一年物語 其の二   作:りろぶこん

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タイトル詐欺という言葉を心に刻んだ方がいいと思いました。
いつも通り多くは後書きにて語るとしましょう。


実りの二月

「ふにゅう……お布団あったかあい……」

 若草色の毛布の中で、皐月は至福の笑みを浮かべながら睡眠を楽しんでいる。

 まだ冷え込む一月下旬。誰にも邪魔されない朝の微睡みほど幸せなものはない。そう、誰にも

「皐月ー」

 邪魔されない

「皐月?朝だよー」

 この時間こそが

「さーつーきー!」

「んんむ……」

 否、邪魔者がいる。この至福の一時を妨害しようとは何たること。この夢現の状態が一番心地よいというのに。

 そこでふと回らぬ頭で考える。この家にいるのは自分だけのはず。つまり先程から聞こえてくる声は幻聴か夢の類だろう。

 そう結論付けた皐月は再び布団を引き寄せてすやすやと寝息を

「皐月!」

「んひゃああい!?」

 バタァン!と部屋のドアが蹴破られたかと思うレベルの轟音と共に、純白のパジャマを纏った少女が足音荒く入室した。

「皐月?いつまで寝てるつもりなの。もう朝よ?」

「んぁ……師走ちゃん……」

 ぼやけた脳をフル回転させて、皐月は状況を整理する。

(ええっとぉ……確か年始の件で師走ちゃんと仲良くなって……それでまた遊びに来てねって誘って……)

 なぜ師走がここにいるのか、ようやく皐月は理解した。

「ああ確か師走ちゃんお泊まりに来てくれたんだったね……おはよう……」

「おはようって言いながら布団に潜るのやめなさい。ほらもうこんな時間よ」

「んぅ……?」

 師走は『もうこんな時間』だという。はてカーテンを閉めきっているとはいえ遮光タイプではないので朝日が昇れば部屋が明るくなるはずだ。それとも今日は曇りや雨に設定しただろうか?自分の記憶では今日はそれなりに冷え込ませつつも快晴にしたはずだが……。

 チリン、と小さくベルの音を鳴らして目覚まし時計が皐月の眼前に置かれる。時計の針はちょうど数字の『6』の場所で重なっていて……。

「師走ちゃん……これ……」

「そうよ、驚いた?早く着替えなさい」

「まだ朝の六時半だよ……!?こんなの起きる時間じゃない!おやすみなさい!」

「ちょ、冗談でしょ!?別に六時半なんて大して早起きって程でもないじゃない!」

「い~や~だ~出~た~く~な~い~」

「ここで寝たら昼まで寝るでしょ!」

 業を煮やした師走は、皐月の布団を引き剥がす手法に打って出る。だが皐月の睡眠への執念は凄まじく、なかなかどうして布団を離そうとしない。

「ああもう……わかったわよ……」

 遂に師走が折れた。布団の端を握る力を緩め、呆れた様子でため息をついた。

 勝利を確信した皐月は全身を弛緩させて再び微睡みの世界へと片足を

「なんて言うと思ったかー!」

「ふひいいいい!?」

 一瞬の油断。それを師走は逃さなかった。気が緩んだ皐月が力を抜いた瞬間を狙い済まして布団を引き剥がしたのだ。

 今の皐月を襲うのは、ギリギリ日が昇る前の一番キツい冷気。辛うじて敷き布団からはわずかな温もりを感じられるものの、それは気休めにすらなっていない。

「あひっ!ひゃあああ!あああ!」

 逃れようのない冷気に身悶える皐月。悪魔でも乗り移ったかのような勢いでのたうち回る姿を見て少し気の毒に思う師走だが、これも友人のためと心を鬼にして布団をキープする。

「寒い……寒いよおおお!」

「っ!させない!」

 敷き布団に体を擦り付けて仮初めの暖を取ることをやめた皐月は、獣のように師走目掛けて飛びかかった。

 闘牛士を彷彿とさせる動きでひらりと皐月をかわす。だが彼女は一度では諦めず、今度は師走を狙って突進する。これにはさすがに反応できず、布団を背にして二人はもつれこんで倒れた。

 

「ん……?あったかい……」

「いったたた……ちょっと皐月、いい加減起きなさいってば」

 未だに寝ぼけているのか、皐月は師走を抱き枕のようにぎゅっと抱き締めた。だがパジャマの上からでは温もりが足りない。もっと、もっと温もりを……。

「きゃっ!?ちょっと……!」

 皐月が導きだした結論は直接肌を触れ合うこと。そうするために師走のパジャマを捲り上げると、そのまま頭を潜り込ませた。

「やめなさ……!伸びる、からぁ!」

「むにゃにゃ……」

 抵抗しようと伸ばした両手は、皐月のそれによって逆に床に縫い付けられる。この万力の如き力はどこから湧いてくるのか甚だ疑問だったが、師走はそれどころではない。

「くふっ、ひぃ!」

 すべすべした頬が師走の腹部を擦り、サラサラと流れる髪が直に肌をくすぐった。

「んー……手……冷たい……」

「あっ……そこで……喋らないで……んああああ!?」

 師走の抵抗を封じ込めていた皐月の両手が、一瞬で脇腹に移動した。ひんやりとした十本の指がゆっくりと脇腹をなぞり上げる感覚に、師走は思わず背筋を反らして身悶える。

「ひゃ、あああ!くひっ、いい!」

「んー……ぽかぽか……」

 布団では決して味わえない、至高の温もりを逃すまいと、皐月は師走の下半身に己の両足を絡みつかせる。

「さつ、き……!お願い……もう……!」

 師走の必死の懇願も、柔肌という最高の寝具を手に入れた皐月には届かない。

 

「はっくしょい!」

 リビングにて。普段着である地味なジャージに着替えた皐月は盛大なくしゃみをかます。よく見ればその髪はしっとりと濡れていた。

「まったく……こうまでしないと起きないなんてね……」

 時刻は朝の七時を少し回ったくらい。師走はあの後皐月に絡みつかれたまま強引に階段を降りて洗面所へ移動。そこで汲んだ冷水をパジャマの上からぶっかけたのだ。

 この荒業にさしもの皐月も覚醒せざるを得ず、濡れた髪を一通りドライヤーで乾かしてから今に至る。

 普段ならこんな時間はまだぐっすりと寝ている時間だが、冷水を浴びせられた挙げ句にドライヤーから着替えまでの動作をさせられると、意識はどうしても覚醒に向かう。

「はい、たまには早起き……って程でもないけど、ほい、これ飲んで目を覚まして?」

 皐月宅の部屋の間取りからキッチンにある食器の配置まで完璧に覚えた師走は、迷うことなく温かいココアを差し出した。

 

 皐月は礼を言って受け取ると、カップの縁に口を当て、

「あっつ!」

「あ、ごめん。慌ててお湯沸かしたから全然冷ましてなかった」

 推定80℃以上の激熱ココアは一旦テーブルに起き、皐月は何の気なしに壁掛けカレンダーに目をやった。

「あー、もうこんな日かー。そろそろお仕事の引き継ぎにいかないと……」

「あらもうそんな時期なの?」

 きっちり飲みやすい温度まで冷ましたココアを手に、師走は対面に座る。

「そうだねー。次がいつもみたいに水無月ちゃんだったら気が楽なんだけど……今回は神無月さん?って方だからちょっとね……」

「神無月……余り知らないな。霜月なら受け取る側だから多少は親交があるでしょうけど」

「そっかぁ、だよねえ。よし、昼過ぎに行こっかな」

「そう、行ってらっしゃい」

「うん、ありが……え、師走ちゃん一緒に来てくれないの……?」

 キョトンとする皐月に、師走は呆れた口調で、

「あのね、私だって知らない月娘と話すのは結構勇気いるのよ?皐月とこうなるまで仲が良い月娘なんて霜月と睦月ちゃん、それに長月さんくらい?だったんだから」

「ああ……そう……」

「まあそんなに落ち込むことないって。パパっと渡してパパっと帰ってくればいいの。どんなことでもいつの間にか終わってるものよ。十二月担当の私が言うんだから間違いない!」

 師走なりに励ましてくれているのだろうと納得し、皐月は小さく笑みを浮かべる。

「うん……そうだね」

「という訳で」

「?」

「お昼まで時間あるから……最後にぜんざいちょーだい!」

 

 

 雪の重みにしならせた枝の先端から、ぽろりと一塊落ちた。その反動で枝は上下に振れ、それによってまた粉状の雪が真下の池に吸い込まれた。

 そんな様子を、開け放った障子戸の向こう側、畳張りの部屋に佇む少女は眺めていた。

 黒い生地に所々紫色の花があしらわれた上品な着物を纏い、墨で染めたが如き黒髪を背中に流した彼女──神無月は、手元の湯呑みに淹れられた湯気立ち上る緑茶で暖を取りつつ、もう一人の自分に語りかける。

「冬景色……というには大袈裟ですかね、神在月」

『お主がそう思うのなら庭に降る雪も嬉しかろう』

 その声は直に神無月の頭で反響した。彼女の内に眠るもうひとつの人格、神在月。数ヶ月前まではコンプレックスのひとつであったが、最近では互いに心を許して上手く付き合っている。

「寒くありませんか?」

『冬景色というのはこの寒気も楽しまねばならぬであろう。お主の体がよいというなら妾を気にする必要はない』

「はい……ありがとうございます」

 ちらちらと舞い落ちる雪は、やや傾きかけた太陽に照らされてキラキラと輝いている。石で囲まれた池に着水すると、瞬時にその姿を失った。

 その時チリン、と玄関から鈴の音が聴こえた。

「来客……でしょうか。こんな時期に珍しいですね」

 神無月は盆に湯呑みを置くと、襖を開けて玄関へ向かう。

「どちら様……あら」

「ど……どうも」

 玄関を開けた神無月の視界に入ってきたのは、門扉の前で会釈をする少女の姿だった。

「あら……ええっと……」

 少女は緑色のコートを着こんでいるとはいえ、寒空の下を歩いてきたのか肩や髪に雪の粒が散見される。

「かっ、神無月さん、ですか?」

「ええ、確かに私が神無月ですけど……」

「あれ……?こんな喋り方だったっけ……」

 とりあえず門扉まで出てきた神無月は、それを挟んで何やら困惑する少女と対峙する。自分より頭半個分くらい低いかな、と考えていると、不意に神有月が声をかけた。

『神無月、妾を出せ。こやつを知っておる』

「そうでしたか。では」

 カクン、と不意に神無月が首を垂らす。その様子にビクッと少女が反応した。

「……ふむ、お主とは年の瀬に会って以来かのう」

「ひえっ……あの……」

「寒中ご苦労。我が家で暖を取るがよい」

「いや……私はお仕事の引き継ぎができればそれで……」

「この時期は日も暮れるのは早い。遠慮せずに一泊して参れ」

「あっ……その……」

 半ば引きずるようにして神在月は少女を家に引っ張りこむ。

「そういえばお主、名は何という」

 少女は、皐月と名乗った。

 

 皐月を畳張りの一室に案内すると、『表の人格』を神無月に入れ換えた。

「驚かせてしまいましたね。大晦日の時は夜も遅かったので神在月に任せていたのです」

「はぁ……」

「急に言われてもよくわかりませんよね。追々説明しますので、まずはお茶でもどうぞ」

 急須で淹れ直した緑茶と茶菓子を薦めながら、自分が抱える二重人格という点をしっかり説明した。

「えー……つまり神無月さんが表の人格で、大晦日に会ったのは神在月さん……?まず会話してませんけど……」

「そうですね……あら?」

 一通り説明が伝わったことに安堵すると、ふと皐月の緑髪に目が向いた。コートを脱いで紺のジャージになったので目立つのか、腰まで伸びきった余り手入れの行き届いていない髪。所々ハネも見られる。

「どうか……しました?」

「ふふっ、少々お待ちを」

 そう言い残して、神無月は部屋を出ていった。

 

 一人残された皐月は特に当てもなく部屋を見回した。壁にはよくわからない掛軸が備えられ、四方の内の一面にある障子からは傾いた夕日の穏やかな光が射し込んでいる。自分が正座する座蒲団の下の畳には塵ひとつなく清められ、すぐ側には囲炉裏がほのなか温もりを与えてくれる。

(何だか……場違いだなあ、私)

 外観を見てある程度察したが、やはり内装もいつ誰がきても良いようになされている。最低限の片付けしかしていない自宅との違いをまざまざと見せつけられた。

(神無月さんの家がこんなだって知ってれば……もうちょっとマシな服装でこれたのに……)

 ほぼ普段着と変わらないジャージを見て、ため息をつきながら冷めない内にと緑茶が注がれた湯呑みを手に取った。そのままずずっとすすり……。

「ん……ほぁ」

 思わず間抜けな声が漏れた。熱すぎずぬるすぎず、絶妙な温度で喉を通り、体を内側からじわりと暖められるような感覚。

 呆けた顔で虚空を見つめていると、スッと襖を開けて神無月が戻ってきた。

「お待たせしました」

「あ……いえ」

 神無月の手には、シンプルながら品のある手櫛が握られていた。彼女はそのまま皐月の前ではなく背中側に座る。

「……?ふぁっ」

「じっとしていてくださいね……」

 シュッ、シュッと慣れた手付きで神無月が皐月の髪に櫛を通す。どこかで引っ掛かり抜けるということもない。

「あのっ……全然、お手入れとかしてなくてっ、そのっ……」

「ふふっ、だから、です。女の子なんですから、身だしなみには気を付けねばなりませんよ?」

「はい……」

 年上のお姉さんにやんわりとお叱りを受けた皐月は、軽くうつむきながら成すがままにされている。

 数分後。

「はい、終わりましたよ」

「どうも……えっ」

 終わりを告げられ、反射的に自分の髪を触る。そこには今まで触ったことのない、上質な絹のような手触りがあった。

 いつもなら軽く指を通すだけで引っ掛かっていたはずだが、今では根本から先端まで、一度も止まることなく滑らかに流れる。

「うわあ……わあ……!」

 その感触が新鮮すぎて、いつまでも触っていたくなる。そんな皐月に、神無月は口元に袖を添えて微笑みながら、

「皐月さん?櫛を通しただけで洗ってはいませんので、余り触らない方がいいですよ」

「ああ!そ、そうですね……」

 慌てて肩越しに前へ流れた髪を背中に流す。その時の肌触りすら心地いい。

「貴女はとても魅力的な女の子なんですから、ね?」

「ほわぁ……」

 面と向かってそんなことを言われるのは初めての経験で、いくら同姓とはいえ皐月は顔を赤らめる。

 茹で上がりそうなくらい顔を染める皐月を見て、神無月はポンと手を合わせた。

「そうですね、今日はここにお泊まりになって、明日共に人間界へ参りませんか?」

「人間界、ですか」

「はい、親睦を深める意味もこめて……どうでしょう?」

 

 翌日。

「人がいっぱいですね……」

「ええ、人間界へ赴いたと実感できます」

 神無月は先日とは少し意匠の違う着物に草履。皐月は先日と同じジャージにコート姿で雑多な商店街を歩いている。皐月はともかく、こんな時期に着物姿の神無月はやや目立っていた。

 途中、ふと気になっていたことを問う。

「そういえば皐月さん、今回はどのようなご用件で?」

「ああ……話してませんでしたね……例の担当月シャッフルの件で、二月担当は神無月さんだったんです。それでお仕事の引き継ぎに」

「なるほど。この時期に来客など珍しいものでしたが、そういう理由でしたか。そうなりますと……確かばれんたんでい?とやらの管理もせねばならないのでしょうか」

「ばれんたんでい……?ああ、バレンタインデーのことですね。チョコレート関連で特に天候や気温で左右されるイベントでもないですし、大丈夫だと思いますよ」

「そうですか。それを聞いて安心しました。皐月さんはその洋菓子にはお詳しく?」

「いえ全然……」

 そんなことを言いながら並んで歩く二人目に、既に始まっているバレンタインデー商戦の一角が見えた。可愛らしいピンク色の看板に『Valentine』とマーカーで書かれており、店にはシンプルな板チョコから創作チョコ、そして入り口には『おいしいチョコレートの作り方』なる雑誌まで並んでいる。

「行って……みます?」

「申し訳ありませんが、私は洋菓子には疎くて……それより皐月さんを連れて行きたいお店があるんです」

「私を……?」

 

 そして連れてこられたのは、商店街の大通りからひとつ裏手に回った場所。表通りとは打って変わって人通りもまばらな裏通りだ。

 そんな通りの一角、古めかしくも伝統を感じさせる呉服屋に二人はいた。

「ここ……ですか」

「はい、皐月さんを一目見た時から是非ここにお連れしたいと」

 壁には豪奢な和服が大きく広げられており、誰かに纏われるのを今か今かと待ち望んでいる。普段お洒落やファッションに無頓着な皐月にとって、外出用の服といった概念を飛び越えた空間にやや違和感を覚えた。

「いらっしゃいませ。あら神無月さんではありませんか。いつもご贔屓にありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそいつ見ても素晴らしい意匠を取り揃えていますね」

 奥から出てきた主人と社交辞令的な挨拶の後、何やら皐月にはさっぱり理解できない専門用語が飛び交い始めた。

「はい、ですのでそれを……」

「承知しました。では奥へどうぞ」

「ありがとうございます。では皐月さん、行きましょう」

「はあ……」

 よくわからないまま、皐月は奥の部屋へと連れて行かれた。

 

 やってきたのは試着室だった。そうはいっても洋服屋のような手狭さはなく、ほぼ個室のような広さがある。部屋には巨大な鏡があり、皐月の全身を映していた。

「お待たせしました」

 そういって主人が台座に乗せて持ってきたのは、黄緑色を基調にした着物だった。胸や袖の部分にはわずかに桃色の花弁が舞い、足元に行くに連れて黄緑色と桃色の美しいグラデーションに彩られ、そこに白い花が大輪を咲かせている。

「わあ……」

 思わず声が出た。ファッション関連に疎い皐月でもわかるこの美しさ。『本物』を目の前にして、それに圧倒された。

「緑がお好きなんでしょう?気に入りました?」

「はい……緑は私のイメージカラーっていうか……それなんですけど……でもこれ神無月さんが着るにはちょっと小さくないですか?」

「何を言っているのです。貴女が着るんですよ」

「えっ……?そんな……」

 急な提案に戸惑っている間に、主人が置いていった着物を皐月に着付けるべく動き出す。

「さあ、まずはそのジャージを脱いでください。着付けの仕方を説明しながらやりますね」

「えと……その……」

 拒否する訳にもいかず、されるがままに衣服を脱がされる皐月。緊張でガチガチに強張った彼女の耳元に、神無月は口を近付け、

「意外とお胸、あるんです

ね」

「~~~!!かっ、からかわないでください!」

「ふふ、その顔です。余り緊張しなくてもいいんですよ」

「むぅ……」

 顔を朱に染めたまま、皐月は神無月の説明耳を傾ける。

「ここをこうして……はい、できました。後は髪ですね」

「髪……?」

 神無月の説明は明朗簡潔で、初心者である皐月にも大方理解できた。それを反芻していると、神無月は腰まである髪を束ね、首よりもやや上でまとめてかんざしで止めた。

「はい、どうぞ。鏡の前へ」

 促されるままに皐月は鏡の前に立つ。そこに映ったのは……。

「……」

「どうしました?」

 言葉が、出なかった。

 鏡に映るのは間違いなく自分だろう。後にいる神無月も映っているのだから間違いない。だがそれが自分であることを自覚するのに数秒かかった。

「き……れい……」

 まずは髪。和装にあえてポニーテールでまとめたことで普段の自分からは想像もできない快活な印象を受ける。ぴょこんと見える黒塗りのかんざしがアクセントとなり、決して着物姿であるというコンセプトを崩さない。

 本丸の衣装。皐月の体にぴったりの、一切の無駄がないサイズ。広げた時はとても大きく見えたが、いざ着てみればそんな感覚はまったくない。皐月が体を捻る度に袖や胸にあしらわれた花弁が位置を変え、衣擦れの音と共に見え隠れ。

「わっ……わっ……」

 鏡に背を向け背後を見れば、ポニーテールの下から覗くうなじに目が引かれた。白基調に赤い線の刺繍が入る帯が、より周囲の配色を際立たせる。

 

「お気に召しました?」

「かっ、神無月さん……はい……とっても」

 神無月からの問いかけにも、心ここに在らずといったようで、鏡に向かって両手を広げたり、顔を近付けたりしている。

「うふふっ、とてもお似合いですよ」

「ありがとうございます……」

「可愛らしいですね」

「ありがとうございます……」

「その着物、私が貴女に買って差し上げますよ」

「ありがとうございま……ええっ!?」

 流しかけた皐月だったが、さすがに聞き捨てならない言葉だった。

「いやいやいやいやいや、悪いですよ!こんな素敵なもの……」

「遠慮する割には、名残惜しそうですね?」

「か、神無月さん……」

 からかわれているとは理解しているものの、もしこれが本当に自分の物になったら……という思いが捨てきれない。

「こちらの世界の通貨を持っていても使う機会が少ないですから。今回は私と皐月さんが仲良くなれた記念に……ということで、どうですか?」

「ほ、本当に……いいんですか?」

「ええ、嘘はつきませんよ」

「じ、じゃあ……お願い、します……」

「はい、喜んで」

 優しい笑みを浮かべたまま、神無月は主人を呼んだ。そしていくつか言葉を交わしたあと、その場で支払いを済ませる。どれくらいかかるのかはあえて見ないことにした。

「では、行きましょうか」

「そ、そうですね。じゃあ着替えを……」

「皐月さん、この際ですから、そのまま外に出ませんか?」

「こっ、このままですか」

「はい。お嫌でしたら無理にとは言いませんが……」

「そ、そうですね……ここまま、行きましょう」

 かくして皐月は、着物姿のまま通りへ出ることになった。

 

 時は昼下がり。太陽はやや傾いているが、身の引き締まるような寒気は変わっていない。

「神無月さん、今日は本当にありがとうございます」

「いえいえ、喜んでいただけたようで何よりです」

 改めて皐月から礼を言われた神無月は、本心から返答した。当の皐月は自分の姿を見回しながら、時々袖を引っ張ったりしている。

「本当に……綺麗……」

「何か気になることでも?」

「いやその……変な言い方ですけど、鏡の前で見た時に服に『着られてる』なあって……」

「まあ、言い得て妙な表現をなさいますね」

「うっ……神無月さんもそう思いますか」

「少なくとも今は、ですね」

 含みのある言い回しに、皐月はきょとんと首を傾げる。

「今は?」

「はい。今はまだ着られてるかもしれません。でもいずれ……」

 神無月は一歩、皐月との間合いを詰めて視線を合わせた。

「いずれ、貴女がこの服を着こなせるような女性になれると、私は信じていますよ」

「……ぁ」

 ボフン!と皐月の顔が瞬間沸騰する。

「わわわわわわかりましたががががが頑張ります」

 皐月は後ずさりながらガクガクと頷いた。

 

「それと神無月さん!」

「なんでしょう?」

「まだ……お礼ができていません」

「お礼……ですか?先程心のこもったお礼をしてもらいましたよ」

「あれは口だけじゃないですか!いやもちろんとても感謝してるんですけど……」

 歯切れ悪くなった皐月を、神無月は静かに待つ。

「これはお礼になるかわかりませんけど……私の気が済まないんです」

「あらあら、何をいただけるのですか?」

「この近くに……おいしいぜんざいが食べられるお店があるんです、けど。一緒に……」

 恥ずかしそうに言い切る皐月。それに対して神無月はくすりと笑い、

「まあ、私は和風の甘いものには目がないのです。案内していただけますか?」

「……!はい!行きましょう!」

「ふふっ、楽しみですね」

 季節通りの寒空の下、時期外れの着物姿の少女二人。

 一人は急かすように、一人は追いかけるように。その間を、一陣の風が通り抜けた。




まずはここまで読んでくださった皆様に感謝を。
以前の『一年物語』にて出番が悲しいことになっていた皐月とすべてをかっさらった神無月のお話。その反動か皐月がフューチャーされて主役状態に。まあ前作で神無月は出番がありまくりあったから……神有月に至っては出番ほとんどないです。彼女は裏の人格ですから、本来はこれが正しい姿かも?
今回はこの辺りでお別れです。機会があればまた次回お会いしましょう。
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