いつも通り多くは後書きにて語るとしましょう。
つい数日前までは寒風吹き荒れる日々が続いていたというのに、今では布団を三枚も重ねれば暑くて寝苦しさすら感じる夜もある。
とはいえ夜風はまだ冷たい。一陣の風が、闇夜に溶けるようなロングドレスを纏う長身痩躯の少女の頬を撫でた。
「水無月さん?風邪を引いてしまいますよ」
障子戸を開けて、桜を散らした和服を着込んだ少女が現れた。縁側に座る水無月という少女は、夜空に浮かぶ月を眺めながら振り返らず答える。
「……もう少し、ここに居させて」
「ふふっ、そうおっしゃると思いました」
和服の少女が盆に乗せた湯呑みを水無月の傍らに置く。ほのかに湯気が立ち上るそれと同じものを持って隣に座った。
「……神無月?」
「くす、私もここから見る月は好きなんです。池にも映って綺麗ですよね」
神無月と呼ばれた少女は優しく微笑んで、湯呑みを口に運ぶ。水無月も置かれた湯呑みを片手で持つ。神無月の淹れてくれる緑茶は格別だ。
「……わざわざ招いてもらって悪いわね」
「いえいえ、こちらこそ以前お邪魔しましたから。大したおもてなしもできませんでしたが……」
「……そんなことないわ。ありがとう」
以前の水無月からは考えられない、険の取れた口調だった。
「もう明日お帰りになるのですか?」
「ええ……一度人間界に寄ってからね。もうすぐ引き継ぎの時期だから」
そうですか、と神無月が答えて会話が止まる。だが不快な沈黙ではない。
「……楽しかったわ。またいつか」
「ええ、今度は皐月さんも誘ってお伺いします」
「……そうね」
水無月は不器用に、だが確かに微笑んだ。
春の陽気が近付いている。雲ひとつない空には丸い太陽が浮かび、ポカポカとした温もりを道行く人々に与えている。
場所は商店街。時期的に春休みということもあってか、昼間にも関わらず若い男女の姿が目立つ。そんな雑踏の中、一際目を引く格好の少女が人混みを掻き分けて進んでいた。
とびきり身長が高いという訳でもない彼女が目立つ理由はその格好だ。既に三月も終わろうというのに、何故か紅白柄の衣装を着ていた。上半身は半袖の真っ白な和装、下半身は健康的な太ももが眩しく見える深紅のミニスカート。膝上丈のソックスは白地に赤いラインが数本入っており、スラリと伸びた脚は動きやすいスニーカーへと収まる。パッと見ただけではわかりにくい程改造されているが、よくよく見れば巫女装束に手を加えたものであることがわかる。
栗色の髪を後ろでポニーテールに束ね、パッチリとした瞳を持つ快活そうな少女は、人波に酔いながらふらふらとベンチに座り込んだ。
(じ、時期を間違えた……)
名を如月。元々二月を担当する月娘である。
脚を投げ出したせいで、スカートが危ういラインまでずり上がり、それを横目で男たちが見てはひそひそと顔を付き合わせて話し合う。
(こんなに人が多いなんて……)
人間界に来るのはバレンタイン商戦中に視察も兼ねてというのが多いのだが、今年は色々あって二月を担当する必要がなくなっている。そのため自分の担当月が来るまでこうして人間界に遊びに赴くことが多くなっていた。
今回は人間界の花見とやらを見物に来たのだが、それには少し早すぎたらしい。街には若者が溢れ、笑い声が絶えないのは良いことだが、如月には余り身を置きたい場所ではない。
戻ろう。そう思って腰を上げた時だった。
「やあお嬢ちゃん、暇?」
見るからに柄の悪い男が三人、如月を取り囲む。皆一様にニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、ジリジリと間合いを詰めてきた。
「な、何……?」
「それコスプレ?可愛いねえ」
「ちょっと俺たちと付き合ってくれよ」
「悪いようにはしねえからさ」
如月の返事も待たずに手首を掴むと、ぐいっとベンチから引き剥がす。
急な事態に声が出ない。感じたのは恐怖。どこに連れていかれる?何をされる?
「い……嫌……」
周囲からの助けもなく、か細い声が喉から漏れた。
気が動転して焦点が定まらないまま、引きずられるようにして歩く如月。不意に、彼女の手首を掴む男が立ち止まった。
「……その娘、嫌がってるみたいだけど」
その声は、遥か頭上から聞こえた。
「なんだてめえ!」
男が声の主に対して凄む。だが明らかに声の端々が震えていた。
なぜなら声の主は、男より頭二つ以上高かったのだから。
「……嫌がってるみたいだから、離してあげたら……?」
「お、お前は関係ねえだろ!」
「そう……」
声の主は女性だった。如月自身が言えた義理ではないが、余り場にそぐわない黒いロングドレスを纏いつつも汗ひとつ流さない。そんな女。
どこかで見たな、と如月が呑気に記憶を辿っていると、女が男三人を相手に怯むことなく一歩進み出る。それに合わせて男たちと一緒に如月も一歩下がる。
女が一歩、男たちが一歩。女が一歩、男たちが二歩。少しずつその距離は開いて──
「ひゃっ」
男たち如月を女に投げ飛ばすと、脱兎の如く走り去って行った。幸い大事にはなっていないらしく、周囲が騒ぎ立てることもない。
ほっと如月が一息ついていると、ちょうど抱き付く形になっていた女が上から声をかけてくる。
「……怪我はない?」
「あっ、はいっ!助かりました!あ、ありがとうございました!」
「……別に助けるつもりはなかったのだけど……この時期は頭がおかしい連中が増えるから気を付けて……それじゃ」
「あ、待ってください!」
怪訝そうに長身の女が振り返った。
「……何」
「あのー……どこかで見覚えがあるような……」
「私と……貴女が……?」
「はい、その……あっ!大晦日にいた!」
記憶の底を漁って引っ張り出したのは、月娘が一堂に介したあの日。その時こんな見た目の女性がいたような……。
「……ああ、貴女二月の」
如月が思い出すより先に、女の方が気がついたらしい。余り感情の籠っていない口調でそう言うと、改めて如月に向き直る。
「……私は水無月。四月の担当、貴女だから……ちょうどよかったわ」
場所は変わって如月宅。
もろに神社という外観だったが、内装は適度にアレンジが加えられている。とはいえ板張りの床に障子戸といった和風の装いは変わっておらず、どこか神無月の家と似た雰囲気を感じる。
だが神無月宅と違って余り整理整頓されているとは言い難く、所々部屋の隅には慌てて積み重ねたと思われる家具や空き箱がある。
「ごめんねー、急だから大したもてなしもできないけど……」
「……気にしないで」
如月は水無月を通すと、座布団を渡して台所へ消える。湯呑みを二つ用意しながら、水無月のことを考えた。
結果的に助けられた時は気にもしなかったが、いざ目の前にすると威圧感が凄い。感情の起伏も少なく、とてもではないが友好的には見えなかった。
「お待たせー」
部屋に戻ると、意外にも水無月は正座をして待っていた。その格好からして正座という概念自体知らないかもと思っていたが、そうでもないのだろうか。
水無月の対面に座布団を敷きながら自分も座る。片方の湯呑みは相手に、もう片方は自分で手に取りながら、早速一口啜る。暖かい液体が口の中でとろける甘さを放った。
中身はホットココアである。アイスココアも頭をよぎったが、この時期は外より室内の方が冷える時間もある。決して甘すぎず、すっきりした味わい。だが決してカカオの風味を損なうことなく、しつこさもない。如月お気に入りの銘柄だ。もちろんほぼ面識もなく客人である水無月には緑茶を差し出して
「……貴女の所では湯呑みにココアを入れるのが常識なの……?」
いなかった。どうやらぼんやりしていて同じものを注いだらしい。
「あっ……!ごめん!コーヒーとかがよかったかなああでもそもそも私がコーヒー飲めないから置いてないっていうか……」
「……美味しいわね」
「ほぇ……」
ドタバタと如月が言い訳をしている間に、水無月は湯呑みからココアを一口含んでいた。
「……甘いけど、それもしつこくはない……私は余り甘いものは口にしないけど、これは別かもしれないわね」
「わ、わかる!?これの良さが!」
「……貴女ほどじゃないかもしれないけど」
「そんなことないよ!実はこれそこらで売ってるココアより二割くらい高いの!でもその分味は保障されてるっていうか、もう格が違うっていうか!」
「……ココア、好きなの……?」
「ココアも含めてチョコレート系が大好きなの!もう身体にはチョコレートが流れてると言ってもいいくらいに大好き!」
「……そう」
「はぅっ」
思ったより冷たい反応に如月の言葉が詰まる。
自分の大好きなチョコレート系に興味を示してくれたと思ったが、勘違いだったのだろうか。
「……本当に好きなのね」
「え?」
「……チョコレートのこと」
「うん!そりゃあバレンタインの月を担当してるからね!そもそもバレンタインというのは──」
「……」
誰かにチョコレート系の話を聞かせるのが楽しくて、自分でも気付かぬまま如月は喋り続けた。
時計の針が何周回っただろうか。如月は流れるようにチョコレートに関する知識を披露し続けていた。
「チョコレートを食べたら鼻血が出るっていうのは迷信に近くて……」
「……」
「板チョコって溝があるんだけど、それは別に割りやすくするためじゃなくて……」
「……」
「そうそう!チョコレートには結構身体に良い成分が……あ」
ふとした拍子に我に返る。
前には感情の読めぬ顔で佇む水無月と、すっかり冷めてしまったココアの入った湯呑み。
「ご、めん……喋り……過ぎた……」
「……」
水無月は何も言わずに冷めたココアを口に含んだ。
「わ、私、姉と妹がいて、でも……二人ともこういう話には興味なくて、話を聞いてくれるのが嬉しくて、その……」
「……最初の方のパフやシェルの話から随分と飛んだわね……」
「……聞いて、くれてたの?」
「……相手の話はしっかり聞かないと、自分の意見も出せないから……」
水無月はスッと立ち上がると、ドレスの端を整えながら、
「……今日はもう遅いから失礼するわ。明日にでもまた来るから……」
「そ、それじゃあ!」
如月が膝立ちで呼び止める。水無月が半身だけ振り返った。
「あ、明日ちょっと付き合って、くれない?」
二人がやって来たのは小さな公園だった。遊具も錆びれ、人気もない。
ただその一角には立派な桜の木が一本あり、如月と水無月はそこにシートを敷いて座る。
「うーん、まだ八分咲きかな」
「……急に花見なんて、私と一緒でも楽しくないでしょう……」
「ううん、そんなことない。元々お花見に行く予定だったけど、一人より二人の方が楽しいよ」
如月は持ってきたリュックから艶のある重箱を二箱取り出す。片方には三色団子、もう片方には桜をモチーフにした和菓子が詰められている。
「それに、次は私の番かなって」
「……何の話かしら」
「話を聞いてもらったからね。私も水無月ちゃんの話聞きたいな」
「……私の……話?」
不思議そうに水無月が聞き返す。
「私結構人見知りでねー。でも一度話ができるなーって思ったらずっと喋っちゃうの。逆に話を聞くのも好き」
如月早速三色団子を頬張りながら、
「だから水無月ちゃんの趣味とかの話を聞いてみたいな、とか」
「……私の、趣味?」
水無月は考え込むように下を向く。やがて出た結論は、
「……そんなのないわね」
「だったら作ればいいよ」
一串の団子をすべて胃に納めて如月が言う。
「水無月ちゃんが興味があることとか、ない?」
「……そうね……」
再び水無月が下を向く。その視界の端にひらひらと一枚、桜の花びらが舞った。
「……花」
「花?」
一枚の薄い花びらが、水無月の左手の甲に乗る。
「……花についてなら……興味はある、かもしれない……大雑把だけど……」
「それでもいいよ!水無月ちゃんが色々調べたらまた聞かせて!」
如月が目をキラキラさせながら、一串取って水無月に差し出す。
「……いつか、ね」
「うん!待ってる!」
水無月はひとつ、団子を口に運ぶ。
団子の中には、とろけるようなチョコレートが入っていた。
まずはここまで読んでくださった皆様に感謝を
最初に謝罪をば……如月と水無月というカップリング。如月が人見知りであるという設定を活かしたかったのですが、そもそも水無月も似たような性格でして、一向に話が進みませんでした。
しかも短いよこれ!次こそは……!次こそ……!
今回はこの辺りでお別れです。機会があればまた次回お会いしましょう。