いつも通り多くは後書きにて語るとしましょう。
最近、朝のジョギングをする際に着る服の枚数が減った。スポーツウェアの上に一枚着ないと肌寒かったが、今ではそうすると熱すぎるくらいだ。
身体のラインがくっきりと浮かぶ紺のスポーツウェア。さらりと流れる金髪をポニーテールにまとめた碧眼の少女、葉月は頬を伝う一筋の汗を拭った。
「ふぅ……後はシャワー浴びて朝食作って……」
一日の予定を組み立てながら、葉月は自宅へと戻った。
一通りやることをこなした葉月は、半袖のTシャツにジーパンというラフな格好でソファにもたれかかった。外は既に太陽が昇り始めている。これから段々と暑くなっていくのだろうが、室内で激しく動きさえしなければ気にならない程度だ。
薄いシャツをぐぐっと押し上げる胸元をパタパタと扇ぎながら、これからの行動を思案している時だった。ピンポーン、と家のインターホンが鳴る。
「……文月?」
いつもだらけてばかりの妹分である文月の顔が頭に浮かぶ。しかし彼女がこんな時間に起きているはずがない。つまりこの家に来るというのはもっと有り得ない。
怪訝そうな表情のまま、葉月は玄関へ向かう。まあここに不審者などいるはずもないので、特に何も警戒せずにドアを開けた。
「お、おはよう?いや、こんにちは……?」
そこに居たのは、不器用な笑顔を浮かべる季節外れの巫女だった。
「お断りよ」
葉月はミニスカ巫女服の少女、如月とテーブルを挟んで向かい合っている。彼女から渡された仕事の書類を見もせずに断言した。
「いや断られても……」
対する如月は困ったように眉を寄せた。
「五月の担当が貴女なんだけど」
「冗談じゃないわ。五月なんてだらける月。文月にでも任せとけばいいじゃない」
「ふみ……?とにかくそう決まっちゃってるからさ……」
如月がなんとか取りなそうとするが、頑として葉月は突っぱねる。
葉月は足を組みながら、
「私は元々八月担当よ?どうして五月を担当しなきゃならないのよ」
「そう言われても今年はしょうがないというか……」
「ああ、そういえば貴女の姉だっけ?本当に余計なことをしてくれたわね」
「ん……」
強く言い返せず如月は黙った。
「あの調子なら普段の仕事もどうなの?どうせろくに出来ないんでしょうけど。貴女も可愛そうね、あんなのが姉で」
「……っ!ちょっと、聴き逃せないかな、今のは」
不意に如月の雰囲気が一変する。おどおどしていたのが嘘のように、芯の通った、強い意思を感じる瞳に。
その様子に葉月も気圧され沈黙する。同時にこの場にいない者を罵倒したことを少し後悔した。
「取り消して。姉さんは確かにちょっと抜けてる所もあるけど、私や弥生みたいな妹を大切に思ってくれる、たった一人の姉さんなんだから」
「……確かに今のは言い過ぎね。謝るわ。貴女と、貴女の姉にね」
葉月は素直に非を認めて謝罪する。こうもあっさり謝られるとは思っていなかったのか、今度は逆に如月が慌てた。
「わ、わかってくれれば、その……いい、よ……」
すごすごと椅子に戻る如月。
ふう、と葉月は一息付くと、おもむろに立ち上がる。
「あれ……どこに……?」
「人間界。まだ暑くないこの時期に色々見て回るだけよ」
「あ、じゃあ私も」
葉月の後を追うようにして如月も立ち上がる。深紅のミニスカートがひらりと揺れた。
「……どうして貴女まで付いてくるのよ」
「色々買い出しとかしなきゃいけないし」
「……勝手にしなさい。でも邪魔しないでね」
新緑が芽吹く人間界。二人は色とりどりの花が咲き誇る庭園に降り立った。
金髪碧眼のナイスバディ少女にミニスカ巫女服少女の組み合わせは嫌でも周囲の目を引く。だがそんなことは気にも止めずに、葉月は時折花に視線を移しながら進む。その背中を如月が追った。
「貴女、買い出しが目的じゃなかったの?」
「いや葉月ちゃんを追ってたらいつの間にか」
「急に馴れ馴れしくなったわね……」
そう言いつつも決して不快な様子を見せずに葉月は進む。
「花、綺麗だね」
声に振り向くと、如月がしゃがみこんで花壇の花に目を奪われていた。別に待ってやる義理もないのだが、葉月は足を止めて如月の方へ向き直った。
「ええ、そうね。でもその美しさに至るまでどれだけの努力があったのかしらね」
「……?」
言っている意味がわからないという風に如月が首を傾げる。葉月は彼女から視線を切って、辺り一面を埋め尽くさんばかりの花を眺めた。
「どんな花も、最初は種よ。貴女は種に美しさを感じる?」
「……感じない」
「そうでしょうね。でも今ここにある花は全てその種から咲いたの。その間にどんな努力があったと思う?」
返答に窮する如月を無視して、葉月は続ける。
「単純なことよ。水をやって、土を管理して、時には風から守って……ただそれを毎日続けるのは相当な根気が必要。結果が見えない最初の方は特にね」
言い終えると、葉月はその整った顔を真っ直ぐに如月へ向けた。澄んだエメラルド色の瞳に如月が映る。
「私、綺麗?」
どこぞの都市伝説のような問答に、如月は一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直した。
「う、うん……とっても綺麗で可愛いと思うよ。私じゃなくてもみんなそう言うはず」
「ありがとう。でも何もせずにこれを維持してる訳じゃないのよ」
再び葉月は歩き出す。如月も慌てて後を追った。
「運動、食事、睡眠、あらゆる行動を美に換算する。それも毎日ね。そりゃあ一部何もせずに維持できる例外もいるけど……!」
語尾に行くにつれて葉月の語気が強まった。彼女の脳裏に黒ずくめで長身の女性がいることを如月は知らない。
「ま、そういう例外は別として。一日、一時間、一分も無駄には出来ないの。ここにいるのも適度に紫外線を浴びるため。遊びじゃないわ」
「ふーん……」
「……貴女には関係のない話だったわね。それじゃ」
「息苦しくない?」
予想外の質問に、葉月は言葉に詰まった。
「何ですって?」
「いやその……毎日毎日同じことを続けるのはとっても凄いと思うけどさ、たまにはパーっとしないと息が詰まっちゃうと思うよ?」
「……だからこういう場所にも来てるじゃない。健康に気を配りつつも景色を変えることで精神的なストレスを緩和して」
「あーもう!そういうのじゃなくて!健康とか考えずにさ、思いっきり甘いものを食べるとか!」
「冗談じゃない……そんなことできる訳……」
初めて不快そうな表情を浮かべながら、葉月はその場を立ち去ろうとする。が、その手首を如月がガシッと掴んだ。
「私そういう閉じ籠った考え方大ッ嫌い!あんまりだらけるのも悪いけど、気を張りすぎても駄目なの!」
言うが早いか、如月は葉月を逆方向へ引っ張る。葉月は何も言えずに引きずられていった。
連れてこられたのは庭園の中央に備わった軽食コーナーだった。ガラスなどない開放的な空間。屋根が陽射しを遮ってくれてはいるが、それでも照り返しによる熱気によって少し暑いくらいに感じる。
「どういうつもり?こんな場所に連れてきて」
「えーっとね……あ、すいませーん!チョコレートあんみつ二つお願いしまーす」
如月が元気よく手を上げて、通りがかったスタッフに注文を伝える。二人の格好を見てぎょっとした様子だったが、そこはプロ、すぐに笑顔になると一礼してその場を去る。
「あんまりここに時間は割けないの。お昼までには家に戻らないとスケジュールが……」
「スケジュールなんてイレギュラーで変わるものでしょ?」
そう言って如月は運ばれてきたグラスに注がれた水をぐいっと煽った。ため息をつきながら葉月も一口含む。火照った喉を冷たい液体が通る感触が心地好い。
「葉月ちゃんさ、さっき自分の努力を花に例えたよね」
「それが何?」
「私たちって……花みたいに単純なのかな」
葉月は無言。エメラルド色の瞳が如月に催促を促した。
「えっとね、何が言いたいかっていうと、確かに花は毎日ちゃんと手入れしてれば綺麗に咲くだろうけど、私たちはそうもいかない時ってあるじゃない?」
「そうね」
「それでも結果を出してる葉月ちゃんは凄いと思うけど……意思のない花と違って私たちには意思とか感情とかあるでしょ?そんなに無理を続けてたらいつか潰れちゃうんじゃないかなって」
「別に無理はしていないわ。この美しさは永遠じゃないってわかってるけど、咲ける内に咲いておきたいというのはおかしい?」
「うーん、そう言われるとうーん……」
如月は誤魔化すようにグラスを手に取った。ポリポリと頭を掻いていると、ちょうど注文の品が席に届いた。
「チョコレートあんみつ、お二つお持ちしました」
「お、来た来たー」
「……」
二人の前に差し出されたのは、手のひらサイズの白い陶器に盛られた色とりどりのフルーツに、つるんと光沢を放つ白玉。そしてバニラアイスを頂点に、そこからとろりとしたチョコレートソースが惜し気もなくかけられた一品だった。
「何この見るからに身体に悪そうな食べ物。毒々しい臭いもするんだけど」
「なっ!葉月ちゃんはこんなに良いチョコレートの香りを毒々しいなんて言うの!?一度食べれば美味しさがわかるって!」
如月は目を輝かせながらスプーンを手に取ると、チョコレートソースたっぷりとかかったバニラアイスを掬って口に運ぶ。たちまち幸せそうに頬を綻ばせた。
「……」
さすがに出された物に一切口を付けないというのもどうかと思ったので、葉月もスプーンを手に取る。するとひんやりとした感触が指に伝わった。どうやらここはスプーンも冷やして提供してくれるらしい。
皿を回してなるべくチョコレートソースのかかっていない部分を探す。そして茶色い面から白い姿を覗かせる白玉を掬って口に入れた。
「……っ!」
「あっ……!ごめん葉月ちゃん!そもそも甘いものが駄目だった……!?」
カッと目を見開いた葉月を心配そうに如月が除きこむ。口の端にバニラアイスの跡が残っているのでは余り深刻さが伝わってこなかったが。
だが如月の心配は当てが外れていた。葉月は別のことに衝撃を受けていたからだ。
(美味、しい……!)
癖のないもっちりとした白玉。それをコーティングするチョコレートソースは濃厚にして芳醇。口いっぱいに広がるとろける味わいを一噛みごとに潰れる白玉が拡販する。
ごくりと唾液と共に飲み込む。つるりと何の抵抗もなく喉を通っていった。
「葉月ちゃん……?」
口の端を拭った如月がなおも心配そうに見つめる。
大丈夫、大丈夫と手を振って合図すると、ほっとしたようにあんみつとの格闘を再開した。既に器の半分は消えている。
もっと食べたい。そう口が、舌が、喉がおねだりする。だがこんなものを完食すれば自分が追い求める『美』はどうなる?
徐々に溶け出したアイスクリームが下のフルーツを侵食し始めた。食べたい、でも、食べたい、でも……。
「そんなに心配しなくてもさ」
呑気に如月が言う。見れば容器に残っているのは白玉ひとつと一欠片のアイスクリームだけだ。
「今日動けなかった分明日動けばいいんじゃないかなーって……あはは……」
本人にとっては何気ない一言。だが脳と口が激しい葛藤を繰り広げている葉月にとってそれは決定的な一言になった。
「そうよね……明日倍動けばいいのよね……」
「うん……?倍も動かなくても……」
「明日やればいい明日やればいい明日やればいい明日やればいい……」
うわ言か呪文のように同じことを繰り返す葉月に、きっちりチョコレートソースを一滴残らず掬って如月はドン引きした。
「葉月、ちゃん……?」
それから葉月は終始無言だった。スプーンに体温が移ってしまう前に、まずは溶け出したアイスクリームを平らげる。そして底に溜まったバニラアイスと一緒にフルーツを次々と口へ放り込んでいく。チョコレートソースが混じってマーブル模様を描く白玉をしっかり味わって完食するまで、およそ三分。
「ごちそうさま」
「あ……うん」
口許を綺麗に拭って手を合わせる葉月。対面では急な変わり様についていけない如月が、曖昧な表情のまま座っている。
「貴女の言う通りかもしれないわね」
「ん?何が?」
「私は咲ける内に咲いておきたいって言ったけど……貴女の言う通り、私は花じゃない。毎日同じことをしていれば同じ結果が出る訳じゃない。なのに馬鹿みたいに繰り返して……これじゃあロボットね」
自虐的に笑う葉月。如月は相変わらず言葉を失ったままだ。
「息抜き、必要かもね。適度にだけど」
「……うん、そうだね。また今度のゴールデンウィークとかにでも、ここに来てみる?」
「ええ、よろしくお願いするわ……如月」
「あ、名前……」
爽やかな春の風。少しずつ熱気を帯びるであろうこの風も、今だけは涼しい。
まずはここまで読んでくださった皆様に感謝を。
灼熱というタイトルですが、いたって本人は涼しい感じ、葉月です。
己の美のためならあらゆる努力を惜しまない。なおかつその(総合的な)美貌に自信を持っていた彼女でしたが、旧作で水無月にそれを打ち砕かれました。それから少し落ち込んだものの、今では上には上がいると理解した上でそこに近付こうとする努力家になりました。相変わらず仕事については熱心ではないようですが。
今回はこの辺りでお別れです。機会があればまた次回お会いしましょう。