一年物語 其の二   作:りろぶこん

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デンジャラス長月
いつも通り多くは後書きにて語るとしましょう


夜長の七月

 雨が降っている。

 水溜まりに雨粒が落ちる度に輪が広がり、その輪を打ち消すようにまた次の雨粒が輪を作る。

 黒いジャージ姿で窓を眺める霜月は、ここ数日降り続く雨にうんざりしながら、ひとつため息をついた。

「うーん、雨ってやることないなあ……ん?」

 ふと壁掛けカレンダーに目を向ければ、間もなく六月も終わろうかという頃。いつもならどうということもない一日だが、今年に限っては事情が違う。

 霜月は荷物をまとめると、黒い傘を持って家を出た。

 

 ザアザアと雨が屋根を叩く音が響く。外に出れば夏とは思えない程ひんやりとしているのだろうが、生憎締め切った屋内では蒸し暑い事この上ない。

「しっかし、よく降るねえ降るねえ……」

 気休め程度に扇風機の風を受けながら、ソファに体を預ける長月は、自作の自動給水マシンが運んできた濃い目の緑茶を啜る。

 女性にしては長身の部類に入る長月は、しっかりとお洒落をすれば輝くであろう肢体を野暮ったい作業着に包み、ざっと広い工場内を見回した。

 水は機械の天敵だ。なので一滴たりとも雨粒を侵入させまいと工場を密閉しているのだが、暑さばかりはどうしようもない。

 作業着のチャックを胸元の危ういラインまで下ろしながら、パタパタと煽る長月。白い肌を一筋の汗が伝い、くっきりとわかる胸の谷間に吸い込まれていく。

(さーて、この後は……そうだな、そういえば緊急停止ボタンをまだ付けてないんだっけ……)

 工場の中央に一際大きな存在感を放つコンベアに目を向けながら、長月はポンと膝を叩いて立ち上がる。

 趣味の範疇を遥かに超えた機械製作の腕を持つ長月だが、その過程でどうしても『失敗作』が出てしまう。それらを今までは工場の隅にある廃棄場に捨てていたのだが、いっそスクラップにして新しい機械の材料にしてしまえばと思い立ったのだ。

 そんな訳で目の前にあるのは全長十メートル、幅一メートル程のコンベア。その端には持ち上げきれない廃品を移動させるマシンアームに、逆サイドには放り込まれたマシンを圧壊する巨大なボックスがある。

 あまり長い休憩を取ると後が辛いので、軽く汗を拭う程度に済ませて完成間近のスクラップマシンと向き合う長月。

「今日中には終わるかね」

 工具を引っ張り出し、スパナを手にした時だった。

「んひゃあああああ!?」

 カツゥン!と何か金属がコンクリートの床を叩く音と共に、少女の悲鳴が聴こえてきた。

 何事かと振り返ると、工場のドアを開けた所で、頭上から振ってきた裁断用の鎌に腰を抜かす霜月がいた。

 

「いやいや、悪かったね。去年も葉月に似たようなことしたなあ」

 防犯装置を解除し忘れていたせいで体を真っ二つにされかけた霜月は、ソファでぐだーっと転がりながら言う。

「死ぬかと思いました……」

「しっかし、霜月がジャージ姿でこの時期元気だなんて珍しいね。いつもならこの蒸し暑さでへばってるのにさ」

「あ、それはですね」

 霜月は急に目を輝かせながらソファに座り直し、

「葉月さんに教えてもらったんですよ!体力作りの基礎とか食生活で気を付ける事とか!」

「へえ、あの葉月がねえ……」

 長月は腕を組みながらぼんやりと考える。

 自分の記憶では、葉月はあまり他人と積極的に関わるタイプではなかったはずだ。妹分の文月とすら性格が合わない部分もあったはずだ。

 それがほとんど面識もないであろう霜月と意気投合し、こだわっていそうな美への道を共有したというのだろうか?

「睦月の奴のおっちょこちょいも、多少は役に立ってるのかねえ」

「……さーん?長月さーん?聞いてますか~?」

「ああはいはい、聞いてるよ」

「むに~!」

 身を乗り出していた霜月のぷにっとした頬をつまむ。

「おや、痩せたかい?」

「むにゅにゅ……そうれふか?」

 別に以前の霜月が太っていたという訳ではないが、つまめる肉が減ったような気がする。しばらくむにむにと遊んでいたが、むがー!と霜月が振り払ったので中断を余儀なくされた。

 

「ところで長月さん、また何か作ってるんですか?」

「また、とか何か、とか言われると何だかね……まあ、ただ壊すだけのマシンだよ。もうすぐ完成さ」

「はぇ~……ルームランナーみたいですね」

「ルームランナー……?ああ、あの全自動走路機みたいなアレかい」

「ぜ、全自動?何でもかんでも自分の中で変換するの止めた方が良いと思いますよ……」

 長月の脳内にはしっかりとルームランナーの全体像が見えているのだが、機械と見ればどこか自分なりにアレンジを加えられないか考えてしまう長月である。

「走ってみるかい?」

「え?」

「ちょっとやそっとじゃ壊れないからね。コンベアの上で多少ドタバタしても大丈夫さ」

「本当ですか!最近雨続きでろくにジョギングできてなかったので……ありがとうございます!」

 嬉々としてスクラップマシンのコンベアに駆け寄る霜月。長月も後を追うように立ち上がった。

 

「それじゃ、好きに走っといて。簡単な耐久試験も兼ねてるからね」

「はい!」

「あいよ~。それじゃ止めたくなったらあたしに声かけな~」

 ゴウンゴウンと重々しい駆動音をたてながら、ゆっくりと、そして徐々に速くコンベアが回り始める。

 と、ガタアン!と霜月の背後から何かが叩きつけられる音がビリビリを空気を震わせた。

「長月さん……あれは?」

「ああ、そもそもこれスクラップマシンだからね。あの中に入ったら問答無用でぺしゃんこだよ」

「ひっ……」

「ははは、そんな顔しない。普通にやってればあそこに行くことはないさ」

 片手をひらひら振りながら、長月は別の機械の方向へ足を向けた。

 

 はっはっはっ、と規則的な呼吸がコンベアの上で続いている。雨の日に屋内でもジョギングができるというのは素晴らしいが、いくつか勝手が違うな、と霜月は思い始めていた。

 まず風を切る感覚がない。自分が動くのではなく地面が動いているので当然と言えば当然なのだが。

 次にとにかく暑い。風を受けて体を冷やす事ができない為、どんどん汗が吹き出て不快感が増す。いつもの倍以上のペースで霜月の体力は削られつつあった。

(これ意外とキツい……早めに止めてもらおう)

 頬を伝う水滴を払い、霜月は走る。その拍子にポタポタと汗が飛び散った。

 

 機械の天敵である『水』が。

 

 

 始めに気付いたのは少しペースが上がったように感じた事だった。この一ヶ月で大きく成長した霜月は何とか合わせているものの、自分は何も操作していないのにコンベアのスピードが速まる訳がないと首を傾げる。

 霜月の思考を遮ったのは、パチッという火花が散るような音だった。気のせいかと思ったが、それは段々と大きく、そして数を増やしていく。

 ついにはバチバチッ!と目に見える形で激しく火花がコンベアから上がった。

(えっ……!?)

 急にコンベアが加速する。足がもつれそうになるのを何とか回避して、全力疾走で体勢を維持する。

 だが足りない。ゆっくり、ゆっくりと目の前にあるアームが離れていくのがわかる。そして背後にあるのは……、

 死のプレス機。

「ひぃっ……!長月さん……!と、とめっ……止めて……っ!」

 

 長月は別のマシンに手を加えていた。腰に巻いた工具ベルトにスパナを差し込むと、両手にすっぽり収まるくらいの金属の箱についたボタンを押す。直後、耳をつんざくようなサイレンが響き渡る。

「おおっと……よしよし、これなら朝は万全だな。さーて霜月は……」

 そろそろ疲れがピークだろうとスクラップマシンの方へ向かう。初めてのスクラップが霜月でしたでは笑い事で済まされない。

「……さん!助けっ……て……!」

「ん……?」

 音がおかしい。長月の耳には異常なスピードで回るコンベアの音と、それに混じる悲鳴が確かに聴こえていた。

「霜月!」

 目に入ったのは必死の形相でコンベアを走る霜月と、大きく口を開けて待ち構えるボックス型のプレス機。

「……っ!霜月!飛び降りろ!」

 弾かれたように長月は叫ぶ。同時にマシンに駆け寄ると、側面に備え付けた赤い緊急停止ボタンを叩きつけるように押す。

 だが止まらない。コンベアの上では相変わらず霜月が走っている。

(まずっ……まだ接続してなかった……!)

 間に合わない。もういっそ霜月をコンベア上から突き飛ばすか。

 そう思った矢先、霜月の足が限界を迎えた。

「っ!」

  コンベアの上で転倒。もう立ち上がる余力は残されていない。

「霜月!手を伸ばせ!」

 少女がコンベアを流れる一瞬。ボックスに体半分が呑み込まれた位置で、長月は霜月の手を掴む。

「なっ、長月さ……!」

「!?まずい……!」

 長月の視界に入ったのは、スクラップ中に破片が飛び散るのを防止する為のシャッター。それが今、霜月の体を真っ二つに切断しようと上から迫り来る。

 強引にこちらに引っ張る事もできる。だがそれをすれば高速で回転するコンベアに、服ごと霜月の柔肌がズタズタにされてしまうだろう。

「……くっ!」

 一秒にも満たない時間で決心すると、長月は霜月を押し戻すようにして、二人一緒にボックスへ飛び込む。

 直後、シャッターが閉まる轟音が響いた。

 

 二人が転がり込んだのは、四方を厚い金属で囲まれた直方体の内部だった。ほとんど密閉空間で真っ暗だが、暴走に近い形でこうなったためかシャッターが閉まりきっておらず、五センチ程の隙間から外の光が入ってきている。

「霜月……霜月……怪我はないかい?」

「はぁ……はぁ……大丈夫、です……はぁ……」

 腕に抱く霜月は息を荒げながらも、とりあえず目立った怪我はないようだ。

「すまない……あたしがまだ未完成品を押し付けたばっかりに……」

「ふぅ……気にしないでください。それよりここから出る方法を考えましょう」

 危険な事故に巻き込まれたというのに、霜月は前向きだった。そんな彼女に励まされ、長月は唯一外の景色が見えるシャッターの前に立つ。

「この隙間じゃああたしも霜月も入れない……んっ、まだ『生きてる』のか」

 指をかけて持ち上げようとしたが、シャッターはびくともしない。

 入り口が駄目となれば後は出口だが、逆方向にあるはずの扉は固く閉ざされ、一ミリの隙間も見つけられない。

「参ったね……」

「あのー、長月さん」

 腕を組んで壁に寄りかかりながら脱出案を考える長月に、恐る恐るという様子で霜月が声をかける。

「何か……動いてるんです」

「動いてる?」

 霜月に連れられて壁際に行ってみると、確かに何かが動いていた。もちろん生き物等ではなく、機械の一部なのだが。

「ああ、これは伸縮式のアームでね、こいつでプレス盤を……」

 言いかけて、気付く。

 このバネのようなパーツは同じものが四方に配置してあるが、それらが動いているという事実。

 それは漆黒の天井に向かって伸びていく植物を想起させ……、

「ま、ずい」

「え?」

 ツーッ、と冷たい汗が長月の背筋を伝う。

 まさか、まさか。ギチギチと錆び付いた人形が首を上げるようにして上を見る。

 直後、天井が降ってきた。

 

「……ッッッッッ!!!!!」

 それがこの場にあるモノ全てを粉砕するプレス盤だと気付いた瞬間。

 長月は反射的に霜月を抱き寄せ、一気にその全長を縮めようとする伸縮式アームの隙間に右腕をねじ込んだ。

 バキゴキッッッ!

 まず人体から出るはずのない音が、二人の耳にはっきりと聴こえた。

「づっ、っあああああああああああ!!!!!」

 絶叫、咆哮。

 悲鳴の域を超えた何かが長月の口から吐き出される。

「がっ!あああ!ぐああああああ!」

「長月さん!長月さん!」

「がああああああああ!」

 それはまるで獣の唸り声。

 小柄な霜月を壊さんばかりに抱き締めていなければ、舌を噛みきっていてもおかしくはない激痛が、稲妻のように長月の全身を駆け巡る。

 だが、無意味ではなかった。

 長月の右腕と引き換えに、プレス盤は二人の頭上ギリギリで止まっている。

 それでも完全に機能停止したという訳ではなく、今でもギシギシと嫌な音をたてながらプレス盤は下へ下へと迫り来る。

「うっ……ぐっ……」

「長月、さん……腕が……」

 ようやく目の焦点を取り戻した長月の腕の中で、霜月が悲痛な声色でぎゅっと袖を掴む。

「っ……!このくらい……何とも、なぃ……!」

 脂汗を浮かべながら、何とか笑顔を作ろうとする長月。だが腕の痛みはそれを許さず、苦悶の表情を張り付けることを強要する。

「霜月……怪我は……」

「自分の心配をしてください!早く腕を抜かないと……!」

 霜月はするりと抜け出すと、長月の腕の方へ。それを余った左手で制すると、慎重に片膝をついた。

「まだ『生きてる』か……あたしの腕じゃ不満かい……?」

 忌々しげに天を仰ぐ。少し手を伸ばせば届く空が、そこにはあった。

「霜月……ぅっ!シャッター、今ならあんたの力で開かないかい……?」

「シャッターですか?や、やってみます……」

 とてとてと霜月は長月の背後を通ってシャッターへ。何度か軋む音がして、やがて申し訳なさそうな表情で戻ってきた。

「ごめんなさい……私じゃ……」

「いや、いいんだ。完全に『死んで』くれればあそこも楽に開けるようになってるんだけどね……今はまだロックがかかってるか……」

 長月の腕の痛みが徐々に引いていく。だがそれは決して吉報ではなく、神経がやられ始めている証拠だという事はわかっていた。

 このままでは埒があかない。現状維持ではなく、打開する術を探さなければ。

「長月さん、その……凄く、熱いです」

「熱い?」

 見れば霜月は異常な量の汗をかいている。腕を噛まれた痛みでそれどころではなかったが、少し冷静になってみれば確かに部屋自体が熱い。

(何だこの熱気は……?外界とは分厚い鉄板で隔絶してるから外は関係ないはず……とすると内部……)

 何の気なしに、左手で汗を拭う。汗の粒が一滴、壁に飛んで……ジュッと音をたてて蒸発した。

(……!この部屋自体か!)

 そもそも機械とは予定されたプログラムを行程通りに進めているに過ぎない。

 このプレス機は『プレス盤を一定感覚で上下する』というプログラムを忠実に実行しようとしているのだが、そこに長月の腕が楔を打った。

 予定にない動作不良。在るべき場所に力が加わらず、不安定な状況にマシンは熱を持って応える。

 電子部品は高熱に弱い。だが機械が壊れる程の熱気に長時間当たっていれば、まず無事で済むはずがない。

(まずい……このままじゃ蒸し焼きか……)

 不安そうな霜月の頭を撫でながら、精一杯の余裕を見せる長月。だが内心はこれ以上ない程焦っていた。

 どうしたら、どうしたら。

 考えても考えても案は浮かばず、無情にも部屋の温度は上がっていく。

 ポタポタと滴る汗が、落ちては瞬時に蒸発する。それが一層長月の精神を炙り……、

「水……か」

「水?」

「そうか……駆動部……液体……無理矢理ショートさせれば……!」

 ぶつぶつと呟く長月に、霜月はどうすれば良いのかわからず立ち尽くす。

 やがて長月はぽつり、ぽつりと語り出す。

「機械ってのはね……馬鹿正直なんだ」

「……?」

「やると言ったらやるし、無理と判断すればやめる。そしてどこか一ヶ所が破損すれば、それだけで『無理』と判断する完璧主義者でもあってね」

 一体何を言いたいのかわからず、霜月は首を傾げたまま。その様子も気にせず、長月は続ける。

「霜月……あたしの腰のホルダーから電工ナイフを取ってくれないかい……?」

「な、ナイフですか」

 言われるがままに腰のホルダーから電工ナイフを取り出して渡す。長月は畳まれたそれを器用に口を使って刃を出した。暗闇でも鈍く光るくらいよく研がれたナイフが、シャッターからの光を受けてキラリと輝く。

 長月はそれを口にくわえると、片手でしゅるりとベルトを抜く。

「次は……このベルト、あたしの右肩に巻いて欲しい」

「はい……」

 ベルトは簡素な造りだったが生地は丈夫そうだ。しっかりした手触りのそれを長月の右腕に巻いていく。

「よし……それで良い。それじゃ、霜月はシャッターの前で待ってて」

「え……?長月さんは……」

「あたしはこいつに引導を渡さにゃならんからね。あたしが合図したらもうシャッターは手動で開くはず。そしたら外に出て、工具箱を取ってきて欲しい。そしたらそいつで分解してあたしも脱出するよ」

「わ、かりました……」

 後ろ髪引かれるように長月をチラチラ振り返りながら、霜月は言われた通りにシャッターの方へ向かっていく。

「さて……」

 準備は整った。

 なるべく右腕に刺激を与えないように気を配りつつ、挟み込まれた腕を覗きこむような姿勢に移行する。

 腕はこの薄暗さでもわかる程の変色し、ねじ曲がっていた。痛みを感じないのは幸か不幸か。

 長月の考えた脱出手段。それはデリケートな駆動部に己の血を大量に流し込み、ショートさせての破損狙い。一部とはいえ完全に壊れてしまえば、全体の機能がストップする。上手くいくかはわからないが、それしか方法がないのも事実だった。

「ふぅ……」

 一呼吸置く。やはり自分で自分の腕を切り裂くなど、できればやりたくはない。

 それでもやらねばならない。意を決して、肘と手の中間辺りのナイフを当てる。

 ぶちゅっ、とパンパンに膨らんだ水風船を割るような音がした。間髪入れずに滴る鮮血。それは長月の意図した通り、駆動部に流れ込んでいく。

(頼む……止まってくれ……)

 ズキズキ鈍い痛みが走る。心臓の鼓動に合わせて溢れる深紅の液体も勢いが衰えてきた。だがいつまで経っても腕を噛むアームの締め付けは続く。

(この程度じゃ足りないってか……このっ……)

 再び刃を突き立てる。今度はより肘に近い位置。

 ザシュッ、と腐ったら果実にナイフを差し込むような感触。どぼっと溢れる血液は、アームを伝って流れていく。

 でも、それでも。

「足りないのか……まだ……!」

 既に足元は溢れた血液で水溜まりを作りはじめている。これ以上の失血は、間違いなく命に関わる。

 だがここで止まっては霜月も巻き添えになってしまう。これは自分のせいで起こった事故だ。それで無関係な者を死なせる訳にはいかない。

 もっと、もっと血を……。

「……」

 自然に、ナイフは首本に動いていた。頸動脈切れば、文字通り噴水のように鮮血が吹き上がるだろう。

 ごくり。

 長月の喉が鳴る。そしてナイフにゆっくりと力を込め……、

「何やってるんですか!長月さん!」

「霜、月……」

 朦朧とした意識が徐々に覚醒する。息を切らし、大粒の汗をかいた霜月がそこにいた。

「変な臭いがするから何かと思ったら……今すぐ止めてください!」

「ごめん霜月……こうするしか……」

「そんな事したら死んじゃいます!いくらここが長月さんの『領域』でも!」

「それでも二人で死ぬよりはマシだ……わかってくれ……」

「嫌です!絶対に!」

 髪を振り乱し、顔をくしゃくしゃにしながら、涙を流して訴える。

 その涙が一粒、駆動部に溜まった長月の血にポチャリと落ちて。

 ピー、と、あっけないくらい単純な音が鳴り響いた。

 

「どうして作業着のベルトは丈夫で簡単な作りか知ってるかい?事故で出血した時とかに止血するためさ」

「どうでもいいですう……うえぇぇん……長月さあああん……」

 長月宅である工場内。

 右腕を包帯でぐるぐる巻きにされた長月は、泣きじゃくりながら抱きついてくる霜月の相手をしていた。

「いやいや……悪かったねえ……あたしのせいで」

「いいんですぅ……こうして生きてるがらあ……うああああん」

 何とかプレス機を止めた後、霜月は言われた通りに工具箱を運び、長月は腕を噛んでいたアームを分解して脱出した。

 右腕は骨折はもちろんのこと、二度の切り裂きにより相当グロテスクな様相だったが、霜月が顔を青ざめさせながらも丁寧な処置を施した。このまま安静にしていれば、場所が自分の『領域』であるのも手伝って二週間程で治るだろうと予測する。

「しっかしまあ、マシン作りはともかく仕事も満足にできないねこりゃ」

「大丈夫ですぅ!長月さんが治るまで私が代行しますからああああ」

 途中から嗚咽混じりでよく聞き取れなかったが、要するに手伝ってくれるという事だろう。

「重ねて悪いね、ありがとう霜月……霜月?」

 透き通るような髪を左手で鋤く。だが気付けば霜月は長月の胸の上ですぅすぅと寝息をたて始めている。

(まあ、色々あったしね……)

 軽く姿勢をずらして、長月も目を伏せる。

 いつの間にか、雨は止んでいた。




まずはここまで読んでくださった皆様に感謝を。
はい、ごめんなさい色々知識不足を指摘されますと当方どうにもできません。
さて長月ですが、前作も含めて散々な目に会いますね。今回巻き添え食らったのは霜月。彼女も前回色々ありまして……。
今回は人間界は出てきませんでしたね。というかほとんど狭苦しい箱の中で話が進みましたもうちょっと緊迫感が出せればいいなあ、と。他にも至らぬ箇所は多々ありますが。
今回はこの辺りでお別れです。機会があればまた次回お会いしましょう。
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