今、オレの目の前に女神が居る。
…………。
いや、女神はオレだった。素で間違えたぞ。
部下から渡された書類の中にあった原石。釣りをしている時に暇つぶしで色々ソートして遊んでいたら一人だけずば抜けた数値を繰り出す奴がいた。それがコイツ、雨宮椿。
顔面偏差値百という女神界隈でも稀にみる高数値を叩き出したコイツの人生はあの世界では正に一人だけ別のゲームをやっているようなものだった。
同期の死神から借りた死を司るノートや未来がわかる日記によるとコイツの運命は何度も書き換わりながら辛うじて死を回避しているようなもので、冗談抜きで選択肢一つ間違えるとデッドエンド一直線。寧ろ今まで生きている事の方が奇跡だったといっていい。
オレ達女神が転生者に与えられる特典の中に『乙女ゲーのような人生』というのがあるが、素でそれを体験している奴は長い女神生の中で初めて見た。いや、オレ女神としては割と新米だけど。
そんな雨宮椿の最後は何とも呆気ないもので、ゲーム中に後ろから刺されて死亡という俺が見た数ある死亡パターンの中でも比較的穏やかなものだった。いや、肉親に刺されて死ぬってのが呆気ないといわれると普通は否なんだが、書き換えられた死因の中にはもっと悲惨なものが有り過ぎてなー。いや、本当死神にでも取りつかれているんじゃねえかって心配したぞ。
「大体わかったわ。私は女神か勇者、そのどちらかになればいいのね」
「……オレが言うのもなんだが、物分かりが良すぎねえか?」
「別に、突然会社が倒産しそうだから結婚してくれだとか死にそうな妹を安心させるために彼女になってくれって言われるよりはいくらかマシよ。死んだって自覚もあるし」
うん、やっぱりコイツの人生おかしいわ。
因みにその会社は今でも日本有数の大企業だし、原因不明の不治の病に掛かっていた妹は数日後に退院したけどな。
「うんうん、そうか。じゃ、こっちの紙に氏名、住所、性別などの必要事項を記載してくれ。あ、勿論生前のモノでいいぞ。で、その後女神か冒険者になるか選んで丸を付けてくれ」
「それ、必要ある?」
「まぁ、女神なんて基本外見がいいだけで選ばれるお役所仕事だからなー」
「……つまり、私が女神候補に選ばれたのも外見がよかっただけってこと?」
「まあなー」
「……」
ここで嘘を言ってもしょうがない。
雨宮椿は女神としては千年にいるかどうかの逸材だ。
女神のような美貌、生きていながら信者数千人を超える神性、強いて言うなら胸が無い事だけが欠点だがそういうのが好きな奴もいるしもう一人の後輩も同じようなものなので問題ない。これなら上から下ってきた条件にも一致する。
天界上層部からの極秘指令。それは転生する勇者によって減り続ける女神をどうにかして増やせという無理難題だった。
あのカタログに追加された女神という項目は一応様々な世界にある展開でも書き足されているのだが、この日本は断トツでこれを選ぶ奴が多い。対策として出来るだけ後ろの方のページに乗せたり他の項目に比べて分かり難いように小さめに載せて見てはいるものの、なぜか日本出身の転生者は「こういう時、大抵最後の方に飛んでも無いチートがある」とか「俺、説明書は隅々まで読むはなんだ」とか言い出して、担当女神の抵抗空しく当たりである彼女達を引き当ててさっそうと異世界へ旅立っていく。
正直なところ、今や女神なんて天界じゃ就きたくない職業でトップテンに入る程の不人気職だ。担当する権能はある程度好きに使えるものの、基本的には転生する勇者達の相手が主な仕事でありいつどこで誰が不慮の事故で死ぬかわからないので旅行にも行けないし、有給消化も知り合いの女神に頭を下げて変わってもらう必要があるというそもそも知り合いがいないボッチには厳しいものだ。
後、基本的に仕事なので笑顔で対応しているものの決して少なくない女神が転生者に対し内心嫌悪感を持っている事も原因だ。年末の忘年会では女神によるわがままな転生者の愚痴が延々と繰り返されるらしい。
そんな相手の特典として連れていかれるなど彼女達にとっては死よりも耐え難い事だったのかもしれない。
……本当、一体どこの馬鹿が特典で女神を連れてくなんて考えつくんだろうなー。まぁ、それを前例として認める上も上だけどさ。
「この特典というのは何を選んでもいいのかしら」
「そのカタログにあるのならなー。ま、今なら人気なのは女神だ。持ってる権能にもよるが、基本的に魔法使いとしては最高峰、見た目はいいんで置物としておくだけでもステータスになるって代物だ。あ、でも女神になるなら特典じゃなくて権能って言うんだぞー」
「へえー、じゃあ権能って例えばどんなものがあるの?」
「んー、オレの後輩で言うと水とか幸運だな。ま、司るってだけで実際にその力を思いのままに出来る訳じゃない。例えば美の女神でも本人が美人なんじゃなくて周りに美しいものを集めるだけだったりするしな。あ、因みにオレの権能は―」
「いえ、それはわかっているから大丈夫よ」
「ん? そうかー?」
オレこいつに自分の権能について教えたかな。ま、いいか。長くなりそうだし釣りでもしていよう。
ボロ竿を担ぎ、室内に作ったため池を適当な水場に繋げる。そこからが勝負だ。ウチのアホ後輩は糸垂らした瞬間から入れ食い状態になるが、俺から言わせればそんなの釣りじゃねえ。釣りってのは魚との真剣勝負。全神経を指先に集中して手の中の竿と一体化する。それからお気に入りの金魚さんルアーに愛と勇気と神力を注ぎ込んで一球入魂!
「ねえ、ここに失敗したら記憶を失って異世界に放り込まれると書いてあるのだけれど」
「そういう事もあるな。でも、女神が居れば問題ないぞ。あれは異世界に行くときに色々知識やら言語やらを脳に詰め込むためのものだが、女神は普通の人間に比べて容量が多いからそう言う事はまずない。オレも担当する異世界の基本知識は全部頭に入ってるしなー」
「……なるほど。わかった、ありがとう」
「おう、何か質問あったら聞いてくれ。あ、一応小声でな。魚が逃げちまうから」
「ええ、気を付けるわ」
それっきり黙り込んだ雨宮椿は他の日本人よろしくカタログを読み込んでいるようで時折ページを捲る音がする以外は無言になった。
経験上、日本人はこうなると暫くは動かない。どれくらい動かないかというと担当になってから僅か数日でオレがこの部屋に趣味で釣り堀を作るくらいだ。後輩なんかは知り合いに暇だからと全二百巻以上もある漫画をまとめ借りしていた。
「理解したわ」
それからどれだけ経っただろうか。
趣味というのは時に時間を忘れさせる。
あまりに暇だったので依然別の世界の女神が日本に転生者を送り込んだ時に与えた後、持ち主が死んで未回収だった人気を何個か釣り上げた時ようやくカタログを読み終えたのか雨宮椿が椅子から立ち上がる音が聞こえた。
「お、随分時間かかったな。慣れたと思ったけど、お前は特に長かったぞー」
「ええ、流石に短期間で異世界の知識と言語を記憶するのは骨が折れたわ。死んだせいか眠気や空腹が来ないのが救いね」
「そうかそうか。早速やる気だな。一応頭に外部から知識を入れるのは可能だけど、やっぱり自分で担当する世界の事くらいは自力で覚えるのが一番だからな!」
これからこいつには新米女神として異世界へ向かう勇者達のサポートをして魔王を討伐してもらうことになる。
辛く険しい道のりになるが、きっとコイツならやり遂げてくれることだろう。なにせ、オレが見初めた女神候補だからな。
「それじゃ、大変だと思うけど頑張ってくれ!」
「ええ、本番前に予習が出来てよかったわ」
二人で同時に陣を描き、部屋の中央に描かれた魔法陣を起動する。
これはこの部屋で、最も重要かつ同時にこの部屋の本来の役割を担う魔法陣。本当なら、女神の仕事は転生者に説明をしてこの魔法陣を起動するだけ簡単なお仕事だった。後はこの部屋から旅立つ転生者を笑顔で見送り、また一人次の転生者が現れるまでこの部屋で待ち続けることになる。
そう、女神なんて仕事は所詮それだけだ。一度その世界に縛り付けられたら下界に分体を降ろす事は出来ても基本的にはこの部屋から出る事は出来ない。なにせ、この転生の間には必ず一人は残らなければならないというルールがあるのだから。
「おいおい、見送りにしては随分丁寧じゃねえか。普通女神ってのはそこにある椅子に座って手を振ってるもんだぞ?」
「あら、私は新人だもの。初めて見る者は実際に間近で見て覚えようとするのは普通でしょう? それより、あなたにはまだまだ教えてもらいたい事があるの」
「いやいや、もうお前に教える事はねえよ。何かわからない事が有ったらさっきみたいに机の中にあるマニュアル読んだり備え付けの異世界向けの外線で他の女神に聞けばいいさ。とにかくもう、お前にオレは必要ねえよ」
異世界へ転生するための魔法陣。
それを中心に丁度向かい合う形でオレ達は対峙する。
雨宮椿は既に女神だ。
少ないながらも下界に信者達が居て、その見た目から少しずつでも情報を小出しにしていけばどんな異世界でも瞬く間に信者を増やす事が出来るだろう。
そして、オレもまだ女神になってから日は浅いがいくつもの世界に自身を信仰する宗教を持っている。
つまり、今この転生の間には女神が同時に二人もいることになる。
当然ながら、こんな場所に女神は二人はいらない。一応時間の流れが緩やかになっているとはいえ、時期にこの事態を察知した上の連中が片方を別のもっと忙しい職場へ向かわせるだろう。
「悪いな。言い忘れてたけど、この部屋にいられる女神は一人だけなんだ」
「知ってたわ。こう見えても私、契約書やテキストの類は始めに隅々まで読み込む派なの」
…………。
オレ達の間に僅かに沈黙が流れる。
先に動いたのは新米女神だった。
「だ、れ、が! 好き好んで自分が特典に選ばれるかも知れないのにこんな場所に残るのよ!」
それは陸上部顔負けの見事なスタートダッシュ。
恐らくあの乙女ゲーも顔負けな波乱万丈な人生の中で鍛え上げた身体能力がなせる業だろう。
だが、甘い!
「させるか!」
雨宮椿が自らに迫りくる危機やヒーロー達と渡り合っている中、仮にも神である俺がタダ呑気に何もしないで過ごしてきたと本当にこの新米女神は思っているのだろうか。
俺は釣り竿の先に付けたルアーを寸分の狂い無く奴の足元へ放ち、そのまま釣りプロ顔負けの竿さばきで絡めとる。
「なっ!!」
「シャァァァ!!」
これでも昔はあの起動要塞デストロイヤーだって釣り上げた事だってあるのだ。
今更新米女神の一人や二人、ニシンを釣るより楽勝だ。
そのまま遠くへ雨宮椿を放り投げつつ、起動してからいくらか時間が経ち消えかけている魔法陣へ再び向き直る。
「よし、待ってろよ異世界のまだ見ぬ魚達! このオレがみんな釣り上げてやるぜ!」
「させるかぁぁぁ!!」
「なっ、もう戻ってきたのかよ!?」
あと少し。
後ろを振り返れば竿に付いている釣り糸を辿る形で鬼気迫る表情で追いかけてくる女神の顔があった。っていうか、そんなに怖い顔をしててもまだそこら辺の女神より美人ってどういう事だよ! 本当に元人間かコイツ!?
「クソ、このままじゃ追い付かれる! でも、釣りを愛する者としてこの竿だけは捨てられねえ!!」
「そもそも、女神になって最初の信者がアイツらなんて耐えられるかァァァ!!」
同時。
魔法陣が消える間際、寸分の狂いも無くオレ達の身体が同時にその中へ入り込む。
「馬鹿、二人同時に入ってどうするんだ! この部屋は一人用なんだぞ!?」
「だったらアンタが残りなさい! 大体最初からおかしいと思ったのよ。他の連中には転生するか天国に行くか質問するってマニュアルには書いてあるのに、私には天国に行くなんてかなんて一言も聞かないし!」
「そもそも天国を整備する女神が居ないからに決まってんだろ! 今は全天界民総動員法でオレみたいな元々女神じゃない奴まで無理やりコスプレさせられて女神の真似事させられてんだぞ!?」
「最初から思ってたけどアンタのはコスプレはコスプレでも夏休みの小学生でしょうが! ヒトの妹と同じ顔で何してくれてんのよ!?」
魔法陣が起動し、オレ達はとても女神とは思えない見苦しいもみ合いをしながら少しずつ沈んでいく。
通常時と違い、激しく発光を繰り返すその姿は明らかに容量オーバーによるものだ。そもそもこれは元々人間を異世界に転生させるための魔法陣。特典として圧縮されている状態ならともかく、素の状態の女神を二人も転移させることなんて考慮していないのは明らかだ。
「ああ、馬鹿止めろ! わかった。わかったから! しょうがねえ、祝福してやるよ! 本当は得意じゃないけど特別だぞ? この世に在る我が眷属よ―――って、わー!! もう、時間がねえ! と、とにかくこの新米女神に祝福をー!!!」
中途半端に掛けられた祝福が雨宮椿の頭上に降り注ぐ中、オレが最後に見たのは限界を迎えながらも己の職務を全うし、やりきったように静かに機能を停止しようとしている魔法陣とまるで最初からこの場所が自分の席だったと主張するかのように何代か前の見栄っ張りな前任者がボーナスで買ったらしい椅子を占領するさっきオレが釣り上げたまま放置していたオオサンショウウオ(雌)の姿だった。