除霊師・安倍あやめの非日常的日常譚   作:ゆうと00

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迷惑な人々(5/5)

 があああああああああああぁぁぁぁん!

 

 けたたましい音が公園を越えて辺り一帯に鳴り響き、ビリビリと空気が震えるほどの衝撃の余韻が明の体に鈍く伝わってきた。腕が振り下ろされる直前に思わず目を閉じてしまった明は、絶望的な表情を浮かべながらガタガタとその体を小刻みに震わせている。

 しかし、いつまでもそうしている訳にはいかない。明は覚悟を決めて、顔を真っ青に染めながらもその目をゆっくりと開けた。

 

「……あれ?」

 

 しかし明の目の前に広がっているのは、彼が想像していた最悪の光景とは違うものだった。

 少年はバケモノの腕に潰されることなく、明が目を閉じる直前にいたときと寸分違わず存在していた。

 しかし明が目を閉じる直前までとは違い、その空間だけを切り取るように青白い透明な壁が彼の周りを取り囲んでいた。そしてバケモノの腕はその壁に阻まれ、少年まで届いていなかった。壁に囲まれている少年は訳も分からず戸惑っており、バケモノの方も(般若のような顔から感情が読み取れないものの)同じように戸惑っているように見える。

 つまりその壁は、少年とバケモノ、そのどちらかが出した訳ではないということだ。

 

「もしかして……、これが『界』ってヤツ?」

 

 驚きの表情でその光景を見つめていた明だが、ふと思い出したようにそう呟いた。それは先日、清音からあやめの除霊についての話を聞いたときにも出てきた、何かを閉じ込めたりするときに使う除霊師の術だったはずだ。

 

「ま、まさか……」

 

 明はワナワナと震えながら、自分の両手をじっと見つめた。

 

「これが……、俺の力?」

「そんな訳ないでしょ」

 

 容赦の無いそのツッコミは、明のすぐ背後から聞こえてきた。

 彼が振り返ると、そこにはよく見知った顔がいた。

 

「安倍さん!」

「とりあえず、間に合ったみたいですね」

 

 あやめは少年の様子を確認しながら、無表情ながらもホッとしたように溜息を吐いた。

 ホッとしたのは明も同じであり、むしろ明の方がそれは大きいようで、ほとんど泣きそうになりながら彼女の下へと駆け寄っていった。情けない姿だとは彼も思っているものの、殺されそうになったのだから仕方ないだろう。

 

「あ、安倍さん! あ、あの鬼みたいなバケモノは何なの!」

 

 そしてあやめの傍に来て安心したのか、明は先程までの恐怖を全て吐き出すように、バケモノを指差して叫ぶようにそう尋ねた。

 するとあやめは、若干驚いたように目を丸くして、

 

「よく分かりましたね。佐久間さんの言う通り、あいつは“鬼”ですよ」

「……えっ? 本当に“鬼”なの……?」

「はい。幽霊の中には時々、その想いの強さから極端に霊力の大きい人がいます。しかしそういう人は大抵、その霊力に自身が耐えられないんですよ。そうやって霊力に自我を呑み込まれてしまった霊の成れの果てが、あそこにいる“鬼”です」

 

 あやめが一通り説明したところで、そのバケモノ――あやめの言うところの“鬼”が彼女の存在に気がついた。

 そして動物としての本能か、先程までの明達にはけっして見せなかった“警戒”の色を浮かべながら、“鬼”は彼女へと向き直り、頭を低くして今にも跳び掛かりそうな体勢となった。よく耳を澄ませてみると「グルルルルル――」といった唸り声も聞こえてくる。

 

「気をつけて、安倍さん! そいつ――」

「分かってますから、静かにしてもらえますか?」

 

 視線を“鬼”から外すことなく、ほんの少し刺々しい声でそう言い放ったあやめに、明は咄嗟に口に手を当てて黙り込んだ。バケモノを目の前にして、怖がったり興奮したりせずに平常心のままでいる彼女に、明はすぐさま思い至った。

 今まで彼女がどれほどの場数を踏んでいるのか、を。

 と、そのとき、

 

「ウガアアアアアアアアァァ!」

「――――!」

 

 ビリビリと空気を震わせるほどの“鬼”の咆哮が、あやめ(と隣にいる明)に襲い掛かった。明がそれに怯んだその僅かな合間に、“鬼”が大木のように太い腕や脚の筋肉を一気に盛り上がらせると、地面を思いっきり蹴りつけてあやめとの距離をほとんど一瞬で詰めた。

 そしてその勢いのまま“鬼”は右腕を振り上げ、それを彼女の頭めがけて振り下ろしてきた。

 しかしあやめはその一連の動作を、“鬼”と対峙したときの姿勢のまま、ただじっと見つめているだけだった。

 

「――安倍さん!」

 

 明が思わず叫んだ。それでもあやめは、まったく動こうとしない。

 “鬼”の右腕があやめの頭を捉え、力任せに地面に叩きつける、

 まさに直前、

 

 がっ――。

 

「え……」

 

 自分よりも何倍も大きな“鬼”の拳を、あやめは左手だけで受け止めた。その動きはまるでキャッチボールで山なりの緩い球を受け止めたときのようにあっさりとしたものだが、“鬼”の右腕はピタリと止まり、それ以上進むことは無かった。

 

「え……、え?」

 

 明が驚きのあまり、意味の無い声を漏らすのみだった。青白い壁越しにそれを見ていた少年も、ポカンと口を開けていた。

 

「ウ、ウガアアアアアアァァァ!」

 

 “鬼”は一瞬戸惑う様子を見せたが、今度は左腕を振りかぶって横殴りに薙ぎ払ってきた。猛烈な風を纏った、幅だけであやめの胴体はありそうな腕が、彼女に容赦無く襲い掛かってくる。

 しかし、

 

「無駄ですよ」

 

 あやめが右手で“鬼”の腕を下から小突くだけで、それはあっさりと軌道を変え、彼女の頭上を豪快に振り切った。

 

「あ……あの……、安倍さん……?」

 

 その声に、あやめは視線だけをチラリと後ろへ向けた。そこにいた明は、目の前の光景が信じられないとでも言いたげに口をあんぐりと開けている。

 あやめは呆れたように溜息を吐いて、

 

「念の為に言っておきますけど、私が特別力持ちという訳ではありませんよ」

「へっ? そ、そうなの?」

「こんな(なり)をしていますが、“鬼”も所詮は幽霊です。その運動能力や破壊力は、全て霊力に依存します。つまり、相手が殴りかかってきたのなら――」

 

 説明の最中であるあやめに、“鬼”の右腕が容赦なく振り下ろされた。しかし彼女はそちらに目を向けることもなく、右手だけで何の苦も無くそれを受け止めた。

 

「――それ以上に大きな霊力で、捻り潰してやれば良いんですよ」

 

 そして“鬼”の腕を受け止めたときには、あやめの左手に青白い光の球が出来上がっていた。それは手の平で覆えるくらいに小さなものだが、そこから感じる力は、あのとき階段の踊り場で見せたときのものとはまるで違う、とても禍々しいものだった。

 

「――『砲』」

 

 あやめが小さく呟くと、それは“鬼”に向かってまっすぐ放たれた。

 それは一瞬で、そして的確に“鬼”の鳩尾にめり込むと、ぱぁん! と音をたてて破裂した。

 

「ガアアッ!」

 

 音自体は爆竹のような軽いものだったが、“鬼”が苦悶の声をあげ、その体は完全に宙に浮いた。そのまま10メートルほど吹っ飛ばされると、豪快な地鳴りと共に背中から叩きつけられた。その際、子供達に人気の黄色い滑り台が巻き込まれて鉄屑と化した。

 仰向けになったその姿勢でもがき苦しむ“鬼”の姿に、

 

「なかなかしぶといですね」

 

 あやめはポツリとそんな感想を呟くと、両手を青白く光らせた。一瞬で、その両手に先程と同じ光の球が出来上がる。

 

「――『砲』」

 

 そしてあやめは、それを“鬼”に向かって投げつけた。2つの光の球はまっすぐ“鬼”へと飛んでいったかと思うと、突如空へと跳ね上がって“鬼”の真上辺りで静止した。

 そして重力で引っ張られるように、2つの光の球は高速で地面へと落ちていった。

 つまり、高速で“鬼”の鳩尾へとぶち当たった。

 

「ウガアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 1発目で“鬼”は苦痛にもがいてその腕を空へと伸ばし、2発目で腕をビクンッ! と引き攣らせた。

 そして数秒ほど経った頃、“鬼”はその腕を地面へと投げ出し、ピクリとも動かなくなっていた。

 

「……鬼だ」

 

 明が、ポツリと呟いた。

 

 

 

 

 真昼の公園で、1頭の“鬼”が青白い光となってあの世へ旅立っていった。

 明は離れた場所から、その光が空へと昇っていき消えていく様子を、そしてその光に照らされるあやめの後ろ姿を眺めていた。明が見惚れてしまうほどに、それは幻想的な光景だった。

 

「さてと、次は――」

 

 あやめはそう呟くと、少年へと顔を向けた。それは“鬼”と戦っていたときとまったく同じ、感情の読み取れない無表情なものだった。だからなのか、少年は僅かに体を震わせて怖がっていた。

 と、そのとき、

 

「安倍さん、待って」

 

 明が、躊躇いがちに声を掛けてきた。

 

「何ですか?」

「その子の除霊、俺がやっても良いかな?」

「駄目です」

 

 即答だった。それでも明は食い下がる。

 

「頼む。俺が送っていってやりたいんだ」

「あなたには無理です」

「そ、そんなことは無い! さっきだって、途中まではできたんだ。あのバケモノが邪魔しなければ――」

「“鬼”が邪魔をしてきた、というのが問題なんです」

 

 あやめの言葉に、明が首をかしげる。

 

「……どういうこと?」

「あの“鬼”は、あなたが力を使い始めた途端に姿を現したものです。実際、私はそのときまであの“鬼”の気配を感じ取れませんでした」

「……つまり?」

「あのとき、あなたの霊力を見せてもらったときからそんな気はしていたのですが、今回の騒動で確信しました。――どうやら、あなたの霊力には“災厄”を呼び寄せる力があるみたいです。あの“鬼”は、あなたの霊力に釣られてやって来たのでしょう」

「そ、そんな――」

「今回はたまたま私が間に合ったから良いですが、次に襲われることがあったら、今度こそ死ぬことになるかもしれませんよ。ひょっとしたら、あなたの大切な人達も巻き込まれるかもしれませんね」

「…………」

 

 明はショックを隠せない様子で、唇を噛みしめて顔を俯かせていた。少年のためにやったことが逆に少年を危険に晒す結果となったのだから、無理もないだろう。

 一方あやめも、そんな明に何か声を掛けるでもなく、ただじっとその様子を見つめている。

 そんな中、

 

「あ、あの……」

 

 2人の遣り取りを見ていた少年が、遠慮がちにあやめに声を掛けてきた。あやめが少年へと視線を向ける。

 

「オレは……、明兄ちゃんに、除霊してもらいたい、です……」

 

 その言葉に、あやめは目を細くする。

 

「……私の方が早いですし、確実ですよ?」

「そ、それでも……、明兄ちゃんに、してもらいたいです……。ずっと1人で寂しかったとき、話し相手になってくれたのは、明兄ちゃんだけだったから……」

 

 あやめは視線を、少年から明へと移した。少年の言葉を聞いて尚、明は迷うような表情を浮かべている。

 それを見て、あやめは大きく溜息を吐いた。

 

「佐久間さん、やってみますか?」

 

 あやめのその言葉に、明は大きく目を見開いて驚きを顕わにした。

 

「え……! で、でも、良いの?」

「良いも悪いも、彼がそれを望んでいるのですから、仕方ないでしょう」

「で、でも、さっき無理だって……」

「邪魔が入らなければできるんでしょう? でしたら私が傍で監視してますし、何か起こったときは即座に対処します。――ですから、何があっても絶対に集中力を切らさないでくださいよ?」

「わ、分かった!」

 

 明は満面の笑みを浮かべて、力強くそう言い切った。傍で2人の遣り取りを見ていた少年も、パァッと晴れやかな笑顔を見せる。

 そんな2人の姿に、あやめもフッと笑みを漏らした。

 

 

 

 

「――『葬』」

 そして公園にいた3人は、2人になった。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして、次の日。

 通学路で、校門で、校庭で、昇降口で、廊下で、そして教室で、あやめは擦れ違う大半の女子から睨まれていた。なんであんな奴が、といった声が漏れ聞こえてきたりもした。

 

「……なんででしょうか」

 

 あやめが戸惑いながらも席に着くと、今日は先に来ていた清音と春が、あやめの傍へと駆け寄ってくる。

 

「おっはよー!」

「おはよう、安倍さん」

「おはようございます」

 

 挨拶もそこそこに、清音がズイッとあやめへ顔を近づけてきた。

 

「で、あれからどうなったの?」

「何がですか?」

「もぅ、とぼけちゃってー。あれから、佐久間くんのところに駆けつけたんでしょ? それで、何があったの?」

 

 途端に、教室中がにわかに騒がしくなった。教室だけでなく、廊下で遠巻きにあやめを睨んでいた女子生徒達も、ザワザワと何かを話している。

 

「……清音さん、そのことを誰かに話しましたか?」

「いや、私が広めた訳じゃないよ? たまたま私が話してたのを、偶然近くにいた子に聞かれちゃって。そしたらバァッと噂が広まっちゃったんだよ」

 

 清音は、何の悪びれも無くそう答えた。

 あやめは無表情のまま、右手に青白い光を溜め始めた。

 

「安倍さん……?」

 

 しかし、春の怯えたような声に、あやめはその光を静かに消した。

 と、そのとき、廊下がさらに騒がしくなった。あやめがうんざりした様子で目を遣ると、教室の入口に明が立っているのが見えた。そして例のごとく、ニコニコとあやめに手を振っている。

 

「ほらあやめ、王子様が呼んでるよ」

「――清音さん」

「ごめんなさい」

 

 あやめは見るからに面倒臭そうに立ち上がると、明の前へと歩み寄った。噂の2人のツーショットに、周りの女子達から小さな悲鳴があがる。

 

「何か、用ですか?」

「うん、えっとね……」

 

 明はしばらく言い淀んだ後、用件を話し始めた。

 

「駅前の大通りから1本裏に入った所にさ、女の子の幽霊がいるんだよね。何とかならないかなぁ、って……」

「…………」

「ほ、ほら、俺は自分の力で除霊はできない訳でしょ? でも、こうして安倍さんに伝えれば、その幽霊達も助けられるかなぁ、なんて……」

 

 あははは、と笑う明を、あやめは睨みつけるようにじっと見つめていた。その表情には怒りや呆れ、そしてある種の諦めにも似たものが混ざっていた。

 

「……分かりました。放課後にでも、そこに行ってみようかと思います」

「良かった、ありがと! それじゃ、放課後に校門で待ってるから!」

「はい? あなたも来るんですか?」

「うん、まぁ、俺にできることなんて道案内くらいだけどさ、少しでも安倍さんの力になりたいから……」

「ならなくて良いです。1人で行けますので、ご心配なく」

「そうだ! 俺が安倍さんのボディーガードになるよ! いくら術が使えるとはいえ、女の子1人で裏通りを歩くなんて危険だからね!」

「いえ、あの――」

「大丈夫! 昨日はあれだったけど、俺空手習ってるから、腕には自信あるんだ! ――それじゃ、また放課後に!」

 

 言いたいことだけ言って、明は猛スピードでその場を走り去っていった。自分の教室に入っていく明の姿を、あやめはじっと眺めていた。

 周りに目を遣ると、今にも噛みつかんばかりにこちらを睨みつける女子生徒達の姿が目に入る。

 後ろを振り返ると、清音がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてこちらを見ていた。隣にいる春も、若干頬を紅らめて苦笑いを浮かべている。

 あやめは今までで一番大きな溜息を吐くと、ポツリと呟いた。

 

「まったく、迷惑な……」

 

 そして、あやめは願った。

 願わくば、明のクラスよりも先にホームルームが終わりますように、と。


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