短編小説   作:重複

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アニメ二期EDにいる(クルシュ・ツアレ)

クルシュ

 

クルシュ・ルールーは想う。

 

ザリュース・シャシャを愛していると。

 

「おぞましい」と言われ続けた自分を初めて「美しい」と讃え、一生自分には縁のない話と思ってきた求婚をしてきた雄。

 

自分の人生で初めての相手であり、絶対に最後の相手。

 

アルビノである自分を疎まない者など、一族の中にはいなかった。

 

「族長」ではなく、「一族を束ねる者」と称されるのがよい例だ。

 

祭司としての力があったから生かされていたようなものだ。

何の力も無かったらきっと、一族から追い出されて森でモンスターの餌になったか、最悪殺されていただろう。

 

ナザリックとの「戦争(実験)」によって、他の部族と関わるようになった。

 

他の部族では、ゼンベルが他と変わらぬ態度で接してくれたが、あれは「分け隔て無い」のであって、「特別」ではない。

 

自分を「たった一人の雌」として見てくれているのは、ザリュースだけだ。

 

 

だからこそ――

 

 

ザリュースを失う事はできない。

 

結婚し、可愛い我が子にも恵まれた。

 

残念であり可哀想な事に自分に似てしまったが、ザリュースとの子だ。

可愛くないはずが無い。

 

至高なる御方、アインズ・ウール・ゴウン様が我が子を見ると、取り上げられるのではないかと不安になる。

 

もし、我が子を望まれたとしたらどうしようと、心配で落ち着かなくなる。

 

渡したくなど無い。

絶対にだ。

 

 

それでも――

 

 

もし、ザリュースと我が子のどちらかを差し出せ、と言われたなら、自分は何の迷いもなく、我が子を差し出すだろう。

 

それが、今生の別れとなり、生別死別のどちらの結果になろうともだ。

 

どれほど我が子が可愛くても、ザリュースとは比べものにならない。

ザリュースの代わりなど、存在しない。

ザリュースだけでいい。

 

 

だから、自分はこのリザードマンの中で、誰よりも忠実な存在であれる。

 

もう二度と手放す事など、考えられない。

 

だから、もしもの時、自分はザリュースも全てのリザードマンも裏切れる。

 

ザリュースが自分に残されるなら、それを後悔など決してしない。

 

自分が任務に忠実であれば、ザリュースはずっと自分のもの(報酬)だ。

 

 

ああ、アインズ・ウール・ゴウン万歳!

 

自分にザリュースと出会う機会を与え、生涯の相手を与えてくれた、ナザリックに栄えあれ!

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

ツアレ

 

「違う違う。もっと丁寧に優しく。掃除はただ綺麗にすれば良いというものではありません。新品に戻すほどの気合いを持ってください。例え便器でも舐める事を厭わないほど綺麗にしてこそ、『掃除をこなした』と言えるのです」

 

少々反論したい例えもあるが、基本的には間違っていない言葉に、ツアレは必死になって手を動かす。

 

どんな事も聞いただけでは身に付かない。まずは体を動かして覚えるのだ。

 

そもそも、自分に掃除を教えてくれているこの変わった格好のモンスター。

 

ペンギンという種類の鳥人間(バードマン)の異形種であり、ナザリック大地下墳墓の執事助手という肩書きを持つエクレア・エクレール・エイクレアーの掃除は『綺麗』という形容詞以外は使いようが無いほどに徹底的なのだ。

 

こういった講師の面々に教えられる度に、自分のふがいなさが浮き彫りになる気分だ。

 

なにが「セバス様と一緒に働かせてください」だ。

 

セバスと一緒にいて何が出来るというのか。

 

邪魔になる以外の未来が、何一つ想像できない。

 

まったくメイド(働き手)として役に立っていないではないか。

 

王都でソリュシャンを「お嬢様」と呼んでメイド服を身につけていた時の自分を叱りつけたくなる。

 

あれは「メイド」ではなく、更には「メイドの真似事」ですらない、「メイドごっこ」という子供の遊びだったのだ。

 

メイドとしての技術や技量、その在り方を学べば学ぶほど、メイドという職業は「学の無い平民ごときがなれる訳がない」専門職だった。

 

言葉に出さない主人の意を汲み、主人の望む対応を行い、来客に対しても不満を感じさせないような対応を行う。

歩き方一つでも、無様を晒してはならない。

体調が悪かろうと、それを相手に悟らせず、笑顔でそつのない対応をする。

言葉遣いも、ただ丁寧に話すのではなく、相手によって変えていく。

 

主人より目下の相手に、主人より上の言葉を使えば、主人を蔑ろにしている事になる。

 

さらに、主人が気を使っている相手に雑に対応すれば、主人の厚意を踏みにじる事になる。

 

主人を立てつつ、それぞれの相手への対応を、臨機応変に変えていく。

 

 

ナザリックのメイド達は、全てが「完璧なメイド」だった。

彼女達と同じメイドとして働くなど、おこがましいにもほどがある発言だったと今ならわかる。

 

それでも、きちんと一つ一つ教えられた事を自分の物として、「メイド」としての技術を身に付けていく。

 

それは喜びだった。

 

教えられた事を覚えれば、次の段階へ進む事ができる。

できた事をできていないと言いがかりを付けられる事もない。

覚えた事できた事は、きちんと評価される。

その上で、更に上を目指す事を教えられる。

 

 

 

幸せだ。

泣けばうるさいと殴られ、黙れば何か言えと足蹴にされる。

そんな理不尽は、ここ(ナザリック)には無い。

頑張れば頑張っただけ、ちゃんと評価される。

歩き方をマスターすれば、次を学ぶ。

 

 

ツアレニーニャ・ベイロンことツアレにとって、「アインズ・ウール・ゴウン」は絶対の主人である。

自分をあの地獄から救ってくれたセバスが絶対の忠誠を誓っているのだから、素晴らしい方に決まっている。

 

ナザリックでメイドの一人として働いていた時、他のメイドの働きに目を見張った。

一日も休まず、年を通して至高の御方の為に働く事こそ自分達の存在意義だと言っていた。

 

それをアインズ・ウール・ゴウンは「休め」と言ってくるという。

 

良い方だ、と思った。

 

そしてナザリックは、ナザリックの財を狙う者達にすぐ上の階層まで攻め込まれた事があるとも知った。

 

この階層(第九)まで来なくて、本当に良かった。と思ったものだ。

たとえ復活させてもらえると知っていても、セバスが殺されるなど、過去の話でも恐ろしく、想像するだけでも耐え難く許し難い事だ。

 

そして、その話を聞けば、外の存在に対して排他的になるのも仕方のない事だと思った。

 

金持ちが泥棒を警戒するように、ナザリックは外の存在を警戒する必要があったのだろう。

 

そんな存在(攻め込んだ者)がいた以上、外の存在を嫌うのは当然だと思った。

 

自分だって、貴族全てが悪い人間だとまでは思わないが、どうしても悪い印象が先に来るのだ。

同じ種族(人間同士)でも、このような感情を持ってしまうのだから、他種族に対して冷淡なのは寧ろ当たり前だろう。

 

ましてやここ(ナザリック)は異形種の地。

人間から見れば、モンスターの巣窟だ。

警戒するなと言う方が、意識を疑う話だろう。

 

そんな中にあって、アインズ・ウール・ゴウンの存在は慈悲に満ち溢れている。

敵対者であっても、無礼を働いた者でなければ苦痛無き死が与えられる。

殺した者も、きちんと有効活用される。

村にいた頃も、猟師が捕らえた獲物は解体され、毛皮も肉も、血も骨も、全て使いきっていた。

ここでは人間もそういった扱いなのだろう。

その中にあって、人間という種族の自分が、セバスが助けたという一点のみで「アインズ・ウール・ゴウンの名において」保護されているのだから、本当に慈悲深いと思わざるを得ない。

八本指にさらわれた時、「助けに来てほしい」と思う気持ちと「助けに来るはずがない」という考えがあった。

そしてセバスが助けに来てくれた時、それが「アインズ・ウール・ゴウン」の名によって為された事を知った時、ツアレは深い感謝を抱いたのだ。

 

人間(他種族)の自分を「保護する」という口約束を守る為に、救出を命じて下さったのだから。

これを慈悲深いと言わず、何と言うというのか。

さすがにセバスが「最高の主人」と称する存在だ、とツアレは確信した。

だから自分が殺されそうになった事も、仕方がない事なのだと納得できたのだ。

セバスの無実を証明する為に自分(ツアレ)を殺せと言われた時、「仕方がない」とも思った。

だがそれは覚悟を計る為であり、自分は死なずともセバスは自らの潔白の証として許された。

自分も、放り出されるかと思ったが、ナザリックの財を与えられて人間の世界で暮らす事と、ナザリックに仕える事の選択権を与えられた。

 

こんなにも選ぶ権利まで与えられるなど、想像もできなかった。

こんなにも素晴らしい主人に仕えるセバスが、自分を殺そうとした事が間違いであるはずが無い。

セバスを許し、自分(ツアレ)も懐に入れてくれた主人に対して不信感など、あるはずがない。

「至高」という言葉がこれほど合う方(支配者)はいないだろう。

だから自分がその方のお役に立つように働くのは当然の事だ。

 

 

 

それが人間にとって、どれほど都合のよくない事であろうとも。

 

 

セバスの仕える主人なのだから「悪」であるはずがない。

 

こんなにも素晴らしい主人が命じた事なのだから、悪い事に見えても、きっと深いお考えと、そうしなければならない理由があるに決まっている。

 

主人を疑う事こそ「悪」だ。

 

 

 

 

もっとナザリックの、ひいては「アインズ・ウール・ゴウン」の役に立つのだ。

 

それがセバスと共に生きられる唯一の方法なのだから。

 

その為なら、自分は何でもするだろう。

 

 

 

 

 

 

ナザリックに逆らった人間の死体を始末する。

思う事は何も無い。

 

これは、私の楽園(ナザリック)を壊しにきた悪(人間)なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

もし妹がナザリックに対して敵対したら…

 

「せめて苦痛無き死を賜われるように、お祈りするくらいはいいわよね」

 




なんとなくですが、ナザリックを選ぶという事は、本来の種族との同族意識を捨てるという事になるのかな、と。


◆◆◆

以下妄想

今後が気になるのはツアレです。

「ツアレニーニャ・ベイロン」という名前を、あれほど依存しているセバスにも言わなかった理由が気になります。

アインズが「フルネームは?」と尋ねたのに「ツアレニーニャ」と名前しか答えない。
「ベイロン」には何かあるのか。

ある意味「ツアレ」は。、偽名、あるいは愛称だと思うので。

さらに「ニニャ」が姉を忘れない為に、姉の名前の一部を使うのは、まあ、いいとして。
結局「ニニャ」も本名では無いわけで。
なぜ「偽名」を使う必要があるのか。
結局「ニニャの本名」はわからず仕舞いなんですよね。

何故?

そもそも「ニニャ・ベイロン」ではだめなんでしょうか。

と、思ってしまう。

結構名前二つな冒険者は多かったと思うので、特に隠す必要が「普通なら無い」ような気がするんですよね。

そも、設定とはいえ「ニニャ」が成長すれば、フールーダに迫るって、ある意味「漆黒聖典に並ぶだけの実力をつける事ができる」という事だと思うので。

「神人」とまではいかなくても、やっぱりユグドラシルのプレイヤーかNPCの血筋なのかと、勘ぐってしまうのです。

そして隠すとなると「大罪者」の方かな、と。

法国の「六大神」の血筋を「神人」と呼び、それ以外は別の呼び方があるそうなので、そちらの呼び方も知りたいところです。

ツアレに関しては、そのうちデミウルゴスから「さすがはアインズ様」されてほしい。

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