短編小説   作:重複

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IFであり、独自設定があります。
モブ(名無し)がいます。

残酷な描写があります。




IF NPCが一人 デミウルゴス 4

今、ニグンの目の前には蛙頭の悪魔、ヤルダバオトと名乗った存在がその大きな目を細めて、二者の間に広げられた地図を見ていた。

 

この地図は、ヤルダバオトに求められて(脅されて)、任務の殆どが他国である陽光聖典であるニグンが描き起こしたものだ。法国の知識の産物であり、他の二国(王国・帝国)に現存する物よりも精度が高いと自負するものだ。

 

その知識の結晶を、悪魔に利用されるとは、甚だ遺憾としか言いようがない事態だ。

 

「なるほど。大凡の勢力分布は理解しました」

 

ヤルダバオトは地図に印を付けていく。

 

ニグンは冷や汗の出る思いでそれを見ていた。

 

この悪魔は頭が良い。

人間の敵なら、絶対に滅ぼさなければならない存在だ。

 

同時に、ニグンは自分たち陽光聖典ではまるでかなわないことも理解していた。

 

とにかく、桁が違う。

 

恐ろしくて仕方のない存在だ。

 

「それでは質問します」

 

そして、聞かされる内容はひたすらに邪悪だった。

 

◆◆◆

 

デミウルゴスは考えていた。

 

召喚した者が憑依できる「依代」となる存在は少ない。

つまりレベルの高い者が少ないならば、量産すればよいのではないだろうか、と。

 

強者の子は強者だという。

 

だから人間は強い存在に惹かれるのだと。

 

つまり、人間という種は劣等種なのだ。

 

ならば、強い者の子を大量に作ればいい。

 

むろん、使用する存在は、ナザリックの敵か潜在的な敵。

あるいは、どのように扱っても問題の無い、犯罪者だ。

 

せいぜい有効利用してやるのが、そんな者たちの罪の精算だろう。

 

 

エルフやドワーフは寿命が長い分、成長が遅いため促成ができない。

なので、候補は寿命は短いが成長が早い人間となる。

 

すぐに手に入る種族が、人間しかいないという問題もある。

 

なにしろ、近隣三国は人間主体の国家で、ただの人間以外の人間種はほとんどおらず、さらに脅威になりそうな異種族の強者は、スレイン法国の六色聖典が狩っていたというのだから、なんとも勿体のない話だ。

 

 

その近隣三国の一つ、東にあるバハルス帝国には、魔法学院なるものが存在するという。

 

魔法を習う場所ではなく、魔法の有用性を理解する場という方向性らしい。

だが、その過程は面白い。

 

魔法を使う者の為の学びの場もある。

そして、幼いころから「どれだけ費用を使えるか」によって、使える魔法の位階に差が出るという。

 

これは魔法訓練を受ける費用だ。

 

この世界では、魔法とは誰かに教えを乞うことで修得することができるようになるらしい。

教師役が必要なのだ。

そして、魔法を習うということは無償ではありえない。

高額な授業料が必要となる。

そしてそれは、名のある存在に対してなら、支払うべき費用はさらに高くなる。

 

つまり、魔法という下地を構築するには、早い段階から学ぶことこそ重要なのだろう。

 

それでも、魔法の才能が無ければ魔法は使えず、さらにそこまでしても、せいぜい第二位階。第三位階が使えれば天才と称される程度(レベル)の低さは、もはや下等生物(人間)なのだからと思うしかない。

 

しかも、二〇〇年以上生きてやっと第六位階が使える者が最高位とは、デミウルゴスからすればため息しか出ないお粗末さだ。

 

それでも、その方針によって、王国では第三位階の使い手が上位の冒険者くらいにしか存在しないことを考えれば、十分に実績に裏打ちされた育成方法なのだろうことは間違いがない。

 

少なくとも、その魔法学院を擁しているバハルス帝国の魔法省には、第四位階が使用できる者が複数在籍しているというのだから。

 

それに、幼いうちから魔法が使えれば、レベルはともかく習熟度は上がるはずだ。

 

そういったメリットから、この方法は精度が高いと言えるだろう。

 

デメリットは、かかる時間の長さと費用の高さだろうか。

 

これには、教師を雇えない、学費を払えない、などの層は対象から外れるという問題がある。

 

 

最初から優秀な手駒を用意できない存在だが、今の自分の苦労を思えば、その手順は参考になる。

 

最初から万全に望み通りの僕を生み出せる、至高の御方々が特別なのだ。

 

それを人間(下等生物)に望むのは酷というものだ。

 

自分(NPC)たちは、そうあれと最初から姿も力も与えられ、足りない能力は仲間を頼るなり、杖(スタッフ)や短杖(ワンド)、巻物(スクロール)などで代用できた。

 

 

自らの守護階層であるナザリック地下大墳墓第七階層を思い出す。

あそこには、至高の存在から与えられた、自らの階層に必要な物全てがあった。

 

第七階層には自らの創造主であるウルベルトの愛が満ち溢れていた。

そこにいれば、自分は創造主に愛されていると、感じ取ることができた。

自分のことを考え用意された品々は、確かな愛の証だった。

 

自らの存在の在り方・考え方の全てが、創造主が考えに考えた結晶(設定)なのだ。

 

これを「愛」と呼ばずして、何と呼ぶというのか。

 

 

しかし今、自らにあるのは、この身一つとインベントリーに入っているアイテムのみである。

 

ナザリックへの帰還がかなうまで、これらで活動しなければならない。

 

しかしそれが何だというのか。

 

かつて創造主であるウルベルト・アレイン・オードルは、至高の御方々のまとめ役たるモモンガや仲の良いペロロンチーノと共に「無課金同盟」という「弱さを腕でカバーしていこう」という試練を自らに課していた時期があるという。

ギルドの利益を優先する為に、その同盟は解散したそうだが、確かに安易に金銭やアイテムに依らず、己の力量のみを頼りとするのは、自身の技量を向上させるには良い手段だ。

 

主人と同じ試練を自らに課して、この局面を乗り越えるべきだろう。

現状では、ナザリックの利益を損なうような緊急性はないのだから。

 

しかし、ナザリックの防衛を担う自分が不在という事態は、その役割を与えてくださった至高の御方々への忠義にもとる。

 

慎重に、かつ迅速にナザリックへの帰還を図るべきだと、気持ちも新たに決意する。

 

 

だが、前述の通り、今の自分に至高の御方々の庇護は無く、使えるアイテムも有限である以上、この世界に早急に適応しなければならない。

 

召喚された者は、子を作ることも不可能だ。

 

これは、「小鬼(ゴブリン)将軍の角笛」で召喚された「死ぬまで消えない」ゴブリンたちであろうとも同様だ。

 

である以上、代替品が必要なのだ。

 

現状、使える現地の強者は、人間至上主義(ナザリックの敵)のニグンと、犯罪者(人権なし)のブレインあたりだろうか。

 

できれば、人間の女の強者も手に入れたいところだ。

両親が同レベル帯であれば、産まれる子供が親より極端にレベルが低いということはないだろう。

 

どうせ生ませる(量産する)なら効率よく行いたいものだ。

 

むろん、掛け合わせができるのなら、他種族同士でもかまわない。

 

なにしろ、この世界には件の竜王国に、ドラウディロン・オーリウクルスという、竜王の子孫(異種族交配)が実在するのだから。

 

そして、「竜王」の判断基準。

 

「始原の魔法」

 

位階魔法とは根元から異なるという、竜王独自の魔法。

 

これも警戒が必要だ。

 

ゆえに――

 

「竜王の子は無理でも、その女王はどうでしょうね」

 

 

 

 

 

 

そして、スレイン法国。

 

目の前にいる存在(ニグン)も第四位階が使える存在だ。

スレイン法国の方法も役に立つだろう。

 

さらに、神人という例。

 

ただ神(プレイヤー)の血筋というだけで、それ以外とのスタートラインが違う。

その成長過程もレベルの上りが速く、伸び代も多い(上限が高い)。

その上で、さらにその血を「覚醒」させた者。

 

つまり、最初から劣等種を廃したやり方だ。

 

可能性よりも効率を重視している。

 

スレイン法国の六大神の血筋なら、至高の御方々との関わりはないだろう。

何れ捕らえて活用したいものだと、デミウルゴスは考えていた。

 

 

次いで、この世界で二〇〇年前に暴れ回った「魔神」という存在。

 

その多くが「十三英雄」という者たちによって滅ぼされたという。

 

だが、中には封印された。

あるいは、眠りについた。

 

と語られる魔神もいる。

 

もし、魔神が滅んでおらずに、今も現存しているのなら、復活させてみたいものだ。

 

少なくとも、この世界の者によって封印されたり、力を失って眠りについているのなら、もし自分(デミウルゴス)が対応しなくても(かなわなくとも)、この世界の存在に任せる(始末させる)ことができる。

 

それに、使える存在なら配下に加えるなり、憑依の依代に使用するなりしたいところだ。

 

使えない存在でも、討伐にやってくる存在(強者)を確認するのに使うのも一つの手だろう。

 

「是非、そういった者たちを捕らえたいものですね」

 

 

そして、ニグンの語る強者の最後は、五〇〇年前に現れた八欲王と呼ばれた存在。

 

殺し合ったというが、最後の一人は残るものではないのか。

同士討ちにしても、そこまでするものだろうか。

勝ちに拘るなら、手を組むなりして勝率を上げるのではないのだろうか。

本当に「死んだ」としても、復活していないと言い切れるのか。

 

そして、そこまで互いに譲らず欲したものとは何なのか。

これも不明な点が多い。

 

なにより「エリュエンティウ」。

「世界の中心にある大樹」など、思わせぶりにもほどがある。

 

◆◆◆

 

デミウルゴスはトブの大森林の奥地に、自身の拠点を新たに設けた。

 

この異世界で、最初にデミウルゴスが意識を取り戻した場所。

 

草原が広がる場所だ。

 

カルネ村から直線距離にして、一〇km程になる。

 

一〇kmと一口で言っても、かなりの距離である。

 

人間の歩く速さが、平均時速四kmと言われる。

 

例えば単純に二kmといえば、舗装された道なら、徒歩で三〇分ほどだろうか。

 

これが単純計算で五倍。

 

舗装された道でも二時間半はかかる距離を、舗装もされておらず、道らしい道などない。

当然だが、標識なども無く、森の中など方向感覚を狂わせるものだらけだ。

ただの草原ですら草や枝で皮膚を切ることがある。

虫によって病気や怪我、炎症やかぶれの心配もある。

その上、この世界には人を襲う獣や魔物の脅威も存在するのだ。

これらを廃しながらの一〇kmなど、通常であれば「死ね」と言われたに等しい。

しかもこの距離は「直線」であって、高低差や障害、迂回などは考慮に入っていないのだ。

 

それほど奥地にある開けた草原。

 

そこにデミウルゴスは、創造や作成によって生み出された悪魔やアンデッドを使って一つの館を建てていた。

 

その館を離れて囲むように、配下となった者たちの家屋も建てられた。

 

そこに、「小鬼(ゴブリン)将軍の角笛」によって召喚した十九匹のゴブリンや、ゴブリンに負けて配下となった現地のゴブリンや人食い鬼(オーガ)も住んでいる。

 

その家屋の一角に、陽光聖典と囮の部隊の生き残りが住む場所もあった。

 

 

陽光聖典のニグンたちにも、ヤルダバオトが自分の世界へ帰る手段を探していると伝えてある。

これはカルネ村の村長にした話と同じ内容だ。

 

この話を聞いて、ニグンが最初に思ったことは、「何て迷惑な輩が居たものだ」であった。

そんなことをする人間がいたために、今自分たちがこんな目に遭っているのかと思うと、同族ながら殺意の湧く話である。

ニグンとしてもその話(召喚)が本当なら、とっとと帰ってほしいところだった。

 

◆◆◆

 

「隊長」

 

声をかけられ、ニグンがその方向へ顔を向けると、そこには陽光聖典の隊員が六人、装備を簡易な物に変えた旅装で立っていた。

 

陽光聖典の装備の中には魔法の背負い袋があり、旅人として必要な荷物が全て入るほどの容量を持つため、軽装ですんだ。

 

だが、そういった魔法道具(マジックアイテム)はヤルダバオトによって剥奪されている。

 

今の彼らの格好は、ただの旅人か冒険者に近いものだ。

 

「これより我々は班を分けて、エ・ランテルへ向かいます」

「ああ。冒険者として登録するのだったな」

「はい」

 

囮の部隊の生き残り三〇名弱が四、五人ごとに六つの班を組み、そこに陽光聖典の中から一名が魔法詠唱者として入り情報を集めながら王国で、そして何れは帝国でさらにはその先の他国で冒険者として活動することになっている。

 

六組に分けられた囮の部隊に、陽光聖典からチームリーダーとして一人が加わる構成だ。

 

まずは、エ・ランテルで冒険者登録を行う予定だ。

 

彼らに取り憑いた悪魔は伝言(メッセージ)の魔法が使えるため、有事の際は合同で行動することも視野に入れているらしい。

 

なにしろ、陽光聖典の隊員に取り憑いた悪魔やアンデッドには、転移(テレポーテーション)が使える者は珍しくない。

国を跨いでの移動も然程問題ないらしいのだ。

 

まったく、ふざけた連中である。

 

現状、陽光聖典も囮の部隊も、全員がヤルダバオトに従うことに納得している訳では無いのだが、自分たちがかなわないことも理解しているという共通の認識があった。

 

「王国にさほどの脅威があるとは思えんが、ヤルダバオト……さまの例もある。十分に注意して行動しろ」

「はい。肝に銘じます」

 

何が気に障るか不明な相手であり、耳目が自分の中にある以上、決して気は抜けない。

 

「うむ、朗報を待つ」

 

言えない言葉は飲み込む以外にない。

 

できるなら本国から救援があることを期待したい。

本来の陽光聖典としての職務、人類の守護者として任務に従事することは誇りでもあったのだから。

 

だが、文字通り命を捨ててまで敢行したいかと言われたならば、二の足を踏むのも事実だ。

 

陽光聖典の任務で、死ぬ覚悟はあっても、死にたくて行動したことはないのだ。

 

死ぬとわかって策もなく行動するのは、ただの自殺行為にすぎない。

 

ヤルダバオトに逆らうということは、そういうことだ。

 

 

現在、ニグン以下陽光聖典四十五名中、先の六名を抜いた三十九名は、ヤルダバオトと共にあった。

 

ガゼフ暗殺という任務に失敗し、さらに悪魔に取り憑かれた状態でスレイン法国へ帰還するなど、できるはずがない。

 

悪魔憑きとして、話にだけ聞く悪魔祓いの儀式を受けたとしても、それによって自分の中にいる悪魔には何の障害にも痛痒にもならないだろう。

むしろ、この悪魔より弱い自分(ニグン)の方が悪魔祓いの儀式に耐えられずに、死亡する可能性の方が高い。

 

そもそも、スレイン法国へ帰るまで、取り憑いている悪魔が大人しくしているはずもない。

 

結果、現状ではおとなしく従うしかないのである。

 

 

今のところ、ニグンがヤルダバオトより与えられた指令は、トブの大森林の探索だ。

 

基本は、何処に何の種族がどのくらいの縄張りを保ってどの程度の規模・数で生活しているのかという調査だ。

 

ヤルダバオトは、人間の領域どころか、近隣諸国全てを調べるつもりらしい。

 

 

冒険者になる六名を抜いて残った陽光聖典三十九名は、トブの大森林からさらにアゼルリシア山脈、アベリオン丘陵、カッツェ平野へと範囲を移動することになっている。

 

「人間に害を与える仕事でないだけ、ましと思うしかないな」

 

 

◆◆◆

 

草原の中央に建てられた館には、一部の者以外の立ち入りは許されていない。

 

配下の者たちは、その館を遠巻きに建てられた家屋に暮らしているが、ここに住む者は他にもいた。

 

基本的に悪魔やアンデッドは飲食不要だ。

 

しかし、憑依された者は元はただの人間であるために、食事等の基本的な生命活動を必要とする。

さらに、「小鬼(ゴブリン)将軍の角笛」によって召喚された存在だが、十九匹のゴブリンたちも食事を必要としたのだ。

当然、現地の存在である他のゴブリンやオーガもその例にもれない。

 

現地の人間を依代にした者は料理ができたが、そもそも手が足りないからこその憑依だ。

家事などに時間を取られたのでは、本末転倒だろう。

そして、召喚されたゴブリンたちに料理のスキルは無いために、掃除や大工仕事などはともかく食事を作ることはできない。

現地のゴブリンやオーガに至っては、食事は生が基本だ。

料理という発想自体が無い。

 

故に、住居の維持管理の人手が新たに必要となったのだ。

 

よって、デミウルゴスは野盗の塒で確保した十人ほどの女たちと、襲われた馬車の生き残りの二人の娘を、下働きとして使用した。

ただの村娘も裕福な商人の娘も、等しく下女となった。

 

 

女たちにかけていた石化を解く。

 

野盗に囚われていた女たちは、わざわざ生かされていただけあって、皆一様に顔の造りは整っており、平均より秀でていた。

 

村から浚われた、ただの村娘でも水準以上の顔立ちだった。

だからこそ浚われ、今まで生かされて(慰み者にされて)いたとも言えるのだが。

 

そんな彼女たちの前に居るのは、そんな美醜などまるで役に立たない異形の存在だった。

 

「野盗は全て排除しました」

 

女たちは、その言葉に単純には喜べない。

もし、告げた相手が人間だったなら、家に帰してほしいなどの要望も口にできたのかもしれない。

しかし、周りにいるのは、恐ろしくおぞましい異形の存在だらけだ。

次はお前たちの番だと言われる可能性とてあるのだ。

迂闊に口を開くことも、はばかられた。

 

何かを喋ることで、恐ろしい事態になるのではないかと、警戒心が高まっていく。

 

そんな女たちの考えなど、まるで気にしないかのように、蛙頭の悪魔は話を続けた。

 

「貴女たちも排除してよかったのですが、人手不足なので、ここで働くなら生かしておきましょう」

 

ここで働かないならどうなるというのか。

それすら、恐ろしくて女たちは一様に黙ったままだ。

 

「どうしますか?」

 

 

 

女たちからすれば、突然人間以外の存在に使われる立場となったのだ。

 

それでも、その扱いは悪くはなかった。

 

基本的な仕事は食事の支度であり、掃除や洗濯などには悪魔やアンデッドが手伝いとして手を貸していたために、苦労は少ない。

 

しかも、野盗の塒では体を拭くくらいしかできなかったが、ここには風呂さえあった。

これはヤルダバオトが、不衛生なことを嫌ったためだ。

 

 

村では男女問わず、自分で服を仕立てるのが普通であるために、大多数の村娘たちは仕事着を繕うことも苦ではなかった。

それも、破れた服を継ぎ接ぎで補強するのではなく、新しい布から真新しい服を新調できるのだ。

 

服は買う物だった街に住んでいた裕福な娘たち以外は、喜んだ。

 

擦り切れたり穴の開いた服に、なけなしの服から生地を切り取り、継ぎをあてて遣り繰りしていた頃に比べれば、どれほど恵まれているだろう。

 

周りにいるのは、人間の姿をした(憑依した)悪魔やアンデッド、あるいはゴブリンやオーガなどの亜人ばかりだが、こちらに危害を加える様子は微塵もない。

 

一部のゴブリンなどは、こちらを労ってさえくれる。

 

あの野盗の塒での扱いに比べれば、雲泥の差だ。

 

いや、一部の村娘からすれば、村に暮らしていた時よりも余程良い暮らしとなっていた。

 

辛く苦しい畑仕事はしなくてよい。

食材や薪などは、ゴブリンやオーガたちが採って運んでくる。

衣服にも不自由しない。

しっかりした建物の中に、大部屋とはいえ清潔に暮らせて、寒さに凍えることも飢えることもない。

 

富裕層の商人の娘たちには然程でもないことだが、野盗の塒で狭い穴蔵に押し込められ、出られる時は男たちの慰み者だった扱いを思い出せば、よほどましと言える環境だった。

 

それでも、ここから生きて家へ帰ることはできないだろうことは、彼女たちの心に影を落としていた。

 

中には、帰らずに済むことを喜ぶ者もいたのだが。

 

「住めば都よね。村にいた頃より快適だわ」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「わたしたち、ここから出ることは許されないのよ?」

「そっちこそ、何を言っているのよ。あの野盗どものところにいたら、いつまで生きていられたかも分からなかったじゃない。そっちの方が良かったって言うの?!」

「そんなこと、ないけれど…」

 

多少の不満は、以前を思えば沈静化した。

 

そう思わなければ、やっていけない者もいた。

 

 

そんな中で、他の女たちと同調できない者が二人いた。

 

「こんなこと、使用人の仕事でしょ」

「家に帰りたいわ。こんな所に閉じこめられるなんて最悪よ」

 

デミウルゴスが「死を撒く剣団」を発見するきっかけとなった、野盗が襲った馬車で生き残った二人の娘だ。

 

彼女たちは野盗に襲われて二人だけが生き残ったところを、デミウルゴスが石化したために、野盗に捕らわれた女たちがどんな目にあっていたのか知らなかった。

 

そして、ただ野盗に襲われたところをこの悪魔たちに別に浚われた、と考えていたのだ。

 

だから――

 

「逃げましょう」

「ええ、そうね」

 

 

二人はいとこ同士だ。

 

年も近く、仲もよかった。

 

良く見えていた。

 

 

「どこに行くの?」

 

外に出る門に辿りついたところで、二人は他の女たちに声をかけられた。

 

「ここから出ていくのよ。貴女たちも一緒に逃げましょう」

 

二人は当然、他の女たちも同意してくると考えていた。

 

こんな所に好き好んで居たがるはずがないのだから。

 

「駄目よ。逃がさないわ」

 

女たちの手が二人を捕らえようと伸ばされ――

 

「きゃあ!!」

 

勢いよく突き飛ばされた娘の一人が女たちへ倒れ、絡まりあうように複数の女たちが一緒に倒れる。

 

「仲の良いいとこ」を突き飛ばした娘は、そのまま身を翻し、門の隙間から外へと走り出た。

 

「待って!!なんでよ!!置いてかないで!!」

 

突き飛ばされた娘が起きあがろうとし、下敷きにした女たちともみ合いになる。

 

そんな集団を置き去りにして、娘は草原を駆けていく。

 

「やった!やった!逃げられた!!」

 

娘はいとこが嫌いだった。

仲が良い方が都合が良かったから、仲が良い態度をとっていただけだ。

家の格が上のいとこは、持ち物も縁談も全て自分より上等な物が与えられていた。

 

いとこはあそこから逃げられなかった。

 

きっと殺されてしまうだろう。

 

このまま自分だけが家に帰れば、いとこの物は自分の物になるに違いない。

 

いとこに他の兄弟はいない。

 

お互いの家は家族同然だった。

 

だから、自分だけが帰れば、どちらの親も自分を一番にするだろう。

 

自分ももうすぐ十六だ。

結婚する年齢だ。

 

いとこにあった縁談も自分に来るに違いない。

 

素敵な人だった。

 

自分があの人と結婚するのだ。

 

いとこの物は全て自分の物だ。

 

いつも比べられて下に置かれて、それでも無理矢理笑っていた過去と決別するのだ。

 

目の前に森が近づいてくる。

 

この森を抜けたら、街に着くはずだ。

 

森を抜ければ――

 

 

「千里眼(クレアボヤンス)」と「水晶の画面(クリスタル・モニター)」を併用することで、複数の者が同じ物を同時に見ることができるようになる。

 

門のところでデミウルゴスは、逃げだそうとして追っ手(女たち)への障害物にされた娘と、それを取り押さえている女たちに、映し出させた映像を見せていた。

 

映し出されている対象は、まんまと逃げ果せた娘だ。

 

嬉しそうに草原を走り続け、もう間もなく森に辿り着くだろう。

 

それを、取り押さえられた娘は恨めしそうに、女たちは逃がしてしまったと顔を青ざめさせて見つめていた。

 

そして――

 

突然、娘の姿が消える。

 

いや、視界から消えた。

 

移動したその先は、木の上。

 

そこには――

 

「ああ、絞首刑蜘蛛(ハンギング・スパイダー)ですね」

 

ぷらん。と、手足が垂れ下がっている。

 

その上。

 

頭は隠れて見えない。

 

いや、もはや存在しないのかもしれない。

 

巨大な蜘蛛が、木の上で食事をしているのだから。

 

少しずつ、娘の体が上に登っていく。

 

蜘蛛の方へと。

 

服は食事の対象ではないのだろう。

 

流れ出る血で重くなった衣類が、ぼとりと音がしそうな勢いで地面に落ちた。

 

 

「やれやれ」

 

蛙頭の悪魔。

ヤルダバオトと名乗った存在が、悲しそうな声音で言う。

 

「せっかく、ここで働くなら命の危険から守ると言ったのに、理解してもらえないとは悲しいことですね」

 

外は人間の領域ではない。

 

それを、「水晶の画面(クリスタル・モニター)」を見ていた女たちはやっと理解した。

 

安全なのは、この建物の中だけなのだ。

 

「さて、逃げたいのでしたら、どうぞご自由に」

 

女たちを見張っていた部下と、門の中に入った女たち、そして数人に地面に押さえつけられていたために、すぐに立ち上がれずに外に残された、いとこに見捨てられた娘。

 

静かに門が閉まる。

 

外に娘を残したまま。

 

「――い」

 

がんがんと激しく門が殴打され始める。

 

「いやー!開けて!入れてぇ!」

 

門の外から娘の悲痛な叫び声が響く。

 

「おやおや」

 

蛙頭の悪魔が、門に近づく。

 

「夜に大声をあげるのは、あまりお勧めしませんよ」

 

ばつん。

 

何かが断ち切れる音。

 

そして門を小さく叩く音が一度だけ響いた。

 

「さて、貴女たちはどうしますか?」

 

女たちは顔を見合わせる。

 

「ここで働かせてください」

 

 

野盗の塒でもあったことだ。

 

「誰かが逃げたら、全員の連帯責任だ」

 

それでも一人が逃げた。

 

すぐに捕まって、酷い暴行を受けていた。

 

そして、洞窟の外の木の下に立たされると、木の枝に結わえつけられたロープを首にかけられた。

 

食事も与えられず、立ったまま休むこともできず、口を縫いあわされて助けも悲鳴も命乞いもできずに衰弱していく彼女に、野盗たちは自分(女)たちに順番に石を投げさせた。

嫌がれば、自分が木の下に立たされて的にされた。

 

嫌でも彼女に石を投げるしかなかった。

 

彼女は、そのまま足が萎えて立っていられずに倒れ、一本も指の残っていない手を振り回しながら、ロープで首が締まって死んだ。

 

その体は、野盗の暴力と女たちの投げた石で、見るも無残な状態だった。

彼女が死ぬまでの間、自分たちはひたすら彼女の死を望んでいた。

 

逃げた彼女が死ぬまで「連帯責任」として、自分たちの食事も抜かれた。

 

さらに「お互いを見張っていなかった」「逃げるのをとめなかった」として、殴られた。

 

逃げた彼女が死ねば暴力を振るわれないと聞かされた時から、ずっと彼女が早く死ぬことを期待して石を投げていた。

 

それだって、新しい女が捕らえられてくれば、年のかさんだ者、容姿の劣った者、気に入られなかった者、と順次殺されていった。

 

解放されるのは、金がとれると確実な女だけ。

 

野盗に身代金がとれない自分たちを生かしておくつもりなど、無かっただろう。

 

性欲処理か

暴力の捌け口か

塒が見つかった時の人質か

あるいは、モンスターへの餌か

 

 

 

だから、帰れないのは今更なのだ。

 

 

門の外側の取っ手に、娘の手首がぶら下がっていたという。

 

おそらく森林長虫(フォレスト・ワーム)に食べられたのだろう、と教えてくれたのは食材を運んできたゴブリンだった。

 

女たちは理解した。

 

自分たち人間は、おそらくここにいる存在の中では虫のようなものなのだと。

 

飼っている虫が役に立つなら生かしておくし、いらないなら逃がすか殺す。

 

勝手にすればいいと。

 

自分から逃げた虫を、わざわざ助けることもない。

 

相手に人間社会と同じ扱いを求める方が、間違っているのだ。

 

例えば、人食い鬼(オーガ)が人間を彼らの基準で扱うなら、その名の通り食料でしかないのだから。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

デミウルゴスがこの世界に、不本意ながら来た日から数日が過ぎた。

 

この日、デミウルゴスは拍子抜けした気分だった。

 

この近隣でも巨大な城塞都市と聞いていた、エ・ランテルにガゼフたち王国戦士団、さらに囮の部隊や陽光聖典の隊員たちが入っても、何も起こらなかったからだ。

 

ユグドラシルでは、「人間種以外が入れない街」という場所もあった。

 

何かしらの制限が各所にあったのだ。

 

例えば、ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の拠点が存在したヘルヘイムのグレンベラ沼地は毒耐性が必要だった。

 

人間だけの街ともなれば、門に何かしらの術式や、監視の目となるような特別職の人間が詰めているのではと警戒していたのだ。

 

だからこそ、自らや配下の悪魔たちを発見した街の中に侵入させるのは控えていた。

 

ガゼフたち戦士団を先行させたのは、ガゼフたちの中にいる悪魔に対して、何かしらの反応があるかどうかの確認もあった。

 

そして、もし発見されても街のあちこちから同時に侵入を試み、攪乱することも考えていたのだ。

 

それが、何の審査も魔術的な調べもなく、ほとんど素通りといってもよい対応だった。

 

国に所属する集団の帰還とはいえ、あまりの警戒感と索敵能力の低さに、デミウルゴスとしては肩すかしを食らった気分は否め無い。

 

事前にスレイン法国の陽光聖典に確認していたが、リ・エスティ―ゼ王国は近隣の人間主体の三国中最も魔法などを含めた国力が低い国であることは間違いがないようだ。

 

三度の質問で死ぬ術式。

人間を魔導具としてしまう呪物。

レベルの概念を覆す指輪。

 

ユグドラシルには無かった、それらの事象に警戒を強めていただけに、驚きすらある。

 

それに、ユグドラシルから流れてきているらしいアイテム類。

レアアイテムとて出回っている可能性もあるのだ。

 

ユグドラシルの知識に無い、警戒すべきことがありながら、警戒の意味すらない水準の社会もある。

 

この世界では、能力の格差が激しすぎるのだ。

 

人間種だけでもそうなのだ。

 

他の種族においても、対応は手探りとならざるを得ないだろう。

 

特にスレイン法国も警戒する、アーグランド評議国。

ユグドラシルでも、ドラゴンは別格の存在だ。

それが、五匹か七匹かが評議員として存在するという。

 

やはり、この世界の内情に詳しい存在を手に入れたいところだと、デミウルゴスは情報の少なさと先の長さに溜め息の出る思いだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

リ・エスティーゼ王国の戦士団にスレイン法国の囮の部隊と陽光聖典を竜王国へ送り出した後。

 

カルネ村の住人は、村の再建に乗り出した。

 

囮の部隊に殺された者たちの葬儀が済んでいるとはいえ、その後すぐに、ヤルダバオトの提案に従って森に避難していたのだ。

 

踏み荒らされたり馬に食われた畑もあれば、扉を壊された家屋もある。

 

それらの後始末に加えて、森に避難していた際に引き合わされた、他の村の生き残りの受け入れもある。

 

他の襲われた村の様に、火を放たれるところまで被害が及んでいないことは僥倖だ。

 

村を救ってくれたヤルダバオトには、いくら感謝してもし足りない。

 

葬儀の時にも、多数の悪魔が埋葬を手伝ってくれたように、今回も手を貸してもらっている。

 

さらにそこに、十九匹のゴブリンたちが加わった。

避難していた森で、同じように引き合わされた者たちだ。

 

彼らは手下にした食人鬼(オーガ)に運ばせた丸太を組み合わせて、簡単にではあるが箱状の大きな屋根付きの建物を作った。

 

そして、ここ数日生き残りの村人が隠れていた場所からいろいろと持ち出してきたのだ。

使用していた手作りの食器。

木枠に枯れ葉を詰めて布を被せただけだが、人数分の寝床。

 

個別な境は無いが、板を立てかけたり、柵をした上から蔓で編んだ垂れ幕を吊るしたりと、それぞれの用途に建物内の空間を区切っていく。

 

屋内に火を使える空間が無いため、屋根を張り出してひさしと壁を作り、その下に竈を作った。

 

そうやって、増えた村人の最低限の生活空間を作っていく。

 

さらには森へ狩りに行き獲物を捕り、カルネ村の襲撃された日の夕餉は肉の多い食卓となった。

 

何とかやっていけると、カルネ村が一団となったのだった。

 

◆◆◆

 

それから二日後。

 

カルネ村で生き残った住人と、焼かれた四つの村の生き残りの住人三十名弱、それに竜王国から連れ帰った村人十二名は、デミウルゴスの拠点(隠れ蓑)としてカルネ村を再興させ共同生活を始めていた。

 

そこには、デミウルゴスが最初に利用した物とは別の「小鬼(ゴブリン)将軍の角笛」から召喚された十九匹のゴブリンたちも住んでいる。

これらは、デミウルゴスがエモットに渡した物から呼び出された存在だ。

デミウルゴスのインベントリーには「小鬼(ゴブリン)将軍の角笛」が複数収納されていた。

デミウルゴスからすれば、雑魚でしかないゴブリンを十九体召喚するアイテムだ。

 

これの「利点」は、召喚時間の制限がなく「死ぬまで消えない」という、死体や憑依の為の依代が必要無いところだけだと考えていた。

だが、人間との交流としても重宝できる存在でもあったのだ。

 

デミウルゴスは自分で使用したことで、その有用性を確認すると、一つをカルネ村のエモットに使用を促した。

 

 

エモットの妻で、エンリとネムの母が死に、三人での生活が始まった。

 

その三人だけの最初の夜。

 

母ではなく、エンリが四苦八苦しながら用意した食事を三人でとり、片づけが済んだ時に、その悪魔は現れた。

 

そして一つのアイテムを提示した。

 

「これは『小鬼(ゴブリン)将軍の角笛』というアイテムです。吹けば十九体のゴブリンが、吹いた相手を召喚主、つまり主人として現れます。たいした力はありませんし、できることに制限がありますが、人手としては先日見た通り使えるでしょう」

 

カルネ村は大きな被害を受けたことになっている。

 

少なくとも、ガゼフはそう国に報告することになっている。

 

実際は竜王国の村人が追加された分、住民は増えているのだが、その分住む場所や食料の確保をする手間も増えたのだ。

 

増えた村人も、これといった職を手につけた者たちではなく、ただの村人だ。

 

カルネ村では、ラッチモンなどの狩人がトブの大森林から肉となる獲物を調達していた。

 

しかし、人が増えたからといって、急に穫れる獲物が増える訳ではない。

 

パンや野菜にしても同様だ。

貯えが増えるわけでも、収穫が増すわけでもない。

 

そういった生活の糧を得るのに、召喚されたゴブリンたちが有用なことは、この世界に来て最初の数日で証明済みである。

 

最初の十九匹は手下にした人食い鬼(オーガ)共々、デミウルゴスの新しい拠点に移動したが、彼らと同等の存在なら受け入れ易いだろう。

 

しかしエモットは、「自分ではなく、娘に使わせたい」と願い出たのだ。

 

デミウルゴスからすれば、どちらが使用しても大した差はなかった。

ただ、娘が十九匹のゴブリン全てに名前をつけるとは思ってもいなかったが。

 

 

増えた人数のために新たに畑を開墾し家屋を建てながら、人間への対策として村を囲うように塀の建設を行っていた。

 

ヤルダバオトがトブの大森林に縄張りを持つ「森の賢王」を支配下に置いたために、今まで以上に、モンスターを気にしなくてよくなったのだ。

 

これにより、村への襲撃に対して備えるのは「人間」を視野に入れたものとなった。

 

ヤルダバオトから下賜された、スレイン法国の部隊の使用していた軍馬も、働き手として重宝されていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

城塞都市エ・ランテルにおいて、毎年行われる帝国との戦争は、もはや年間行事と言って差し支えないほどに恒例化していた。

 

故に、この都市では食料の備蓄や医療用品、さらに命の明暗を分けるポーションが蓄えられている。

 

そのポーションは次の三つの製法から作成される。

 

薬草のみで作られるもの。

薬草と魔法で作られるもの。

魔法のみで作られるもの。

 

ポーションは薬師によって作られる。

そして、薬師は先の三つの方法で薬草と錬金術を用いてポーションを作るのだ。

 

薬草に関しては、栽培されたものや、トブの大森林からの採取が基本となる。

 

そして、ポーションは薬草の品質や薬師の腕によって、効能に差が生じる。

 

つまり、質の良い薬草と腕の良い薬師は、重宝される存在なのだ。

 

そして質の良い薬草というのは、天然の物を指す。

 

つまり、トブの大森林から薬草を採ってくることは、作り手の薬師にとっても、使用者の冒険者にとっても大事な依頼だ。

 

だからこそ、流れ始めた噂に敏感な者は反応する。

 

 

◆◆◆

 

薬師が多く集まるエ・ランテルの中でも高名なリイジー・バレアレ。

その孫であるンフィーレア・バレアレも薬師である。

 

ここしばらく、ンフィーレアは落ち着かなかった。

 

それはここ最近に流れる噂話に、無視できない情報がまじっているからだ。

 

曰く――

 

辺境の村々が襲われた。

死者も多く出た。

廃村となった村もある。

 

どこの村とまでは、はっきりした確認が取れなかった。

 

この噂は、最近エ・ランテルで冒険者登録をした複数の冒険者たちから流れているらしい。

 

本来なら、ろくに流されない情報がなぜ流れているのか。

 

それは王国戦士団が動いたと、確認した者が多くいるからだ。

 

だから、ンフィーレアは落ち着かない。

 

想い人が住む場所も、辺境の村なのだから。

 

不安で心配で、そこから生まれてくる恐怖が心をざわめかせる。

 

無事でいるだろうか。

 

確かめなければ、とてもではないが日常生活にまで支障をきたすほどに、心ここにあらずといった様子だった。

 

「そんなに心配なら、見に行ったらどうだい」

 

さすがに、見かねた祖母が背中を押した。

売り物のポーション作成にまで影響が出るようでは、放ってはおけない。

 

祖母に促されたンフィーレアは、すぐに冒険者組合に走った。

 

さすがに、護衛も雇わずに行ける場所ではないことくらいは理解している。

 

いつもなら、もう少し後の採取したい薬草の時期を選ぶし、その頃に頼む冒険者チームもいるのだが、今は時期はずれだ。

 

もしかしたら、いつもの冒険者チームは不在かもしれない。

それでも冒険者組合へ行けば、もう少し詳しい情報が手に入るかもしれない。

 

価値ある情報は有料なことが多い。

同じ有料なら、より精度の高い情報を持っている相手を選ぶべきだろう。

 

 

ンフィーレアはカルネ村への護衛に、一組の冒険者チームを雇った。

 

それは、最近冒険者登録を済ませたばかりの銅(カッパー)級のチームだった。

 

本来なら、銅(カッパー)級の冒険者に護衛の依頼は受けられない。

 

そんな彼らをわざわざ指名して護衛に選んだのは、彼らが件の噂の情報源であること。

そして、その雰囲気がなりたての冒険者とは思えないほど堂に入ったものだったからだ。

 

ンフィーレアも第二位階の魔法を使うために、個人戦闘能力は高いと言える。

 

それでも、その冒険者チームに依頼をしても問題無いと思える程度には、彼らは頼もしく見えた。

 

冒険者として登録したばかりだと言う、銅(カッパー)である冒険者チームの顔ぶれは次の通りだった。

 

ロンデス

エリオン

デズン

モーレット

 

「そして、私が魔法詠唱者(マジックキャスター)であるイアンです。どうぞよろしく」

 

堅実な雰囲気を纏った男がこの冒険者チームのリーダーであるらしい。

 

実際、チームの中で一番の実力者だろうと思われた。

 

 

翌日にエ・ランテルの外門で合流し、カルネ村を目指すこととなった。

 

 

 

 

特に問題もなく、カルネ村へと向かう。

早くカルネ村へ着くために、そしてまだ銅(カッパー)級のプレートのチームであることも考慮して、安全な東から北へのルートを選んでいる。

 

もっとも、問題があったとしても、この面子であれば大丈夫だろうと思われた。

 

「皆さんは、冒険者になったばかりなのに、随分旅に慣れているんですね」

 

魔法詠唱者のイアンと、残りの四人は少々立場が異なるように感じられていた。

 

四人に比べて「リーダー」であるという以上に、立場が上という雰囲気だ。

実際、四人はイアンに対して基本敬語である。

 

そして、驚くべきことにイアンは第三位階の魔法が使えるらしい。

それが本当なら、白金(プラチナ)級相当の実力者といえるだろう。

 

とても冒険者になりたてとは思えない実力だ。

 

「私はこの国の出身ではないのです。これでも前の仕事ではそれなりの地位についていたのですよ」

「それなのに、どうして冒険者になったんですか?」

「ちょっと事件に巻き込まれまして、前の仕事を続けられなくなったのです」

「はあ」

「そんな事情があって、この国へ移動の際に辺境の村の様子を知ったのですよ」

「皆さん、同じようにですか?」

「ええ、我々は同郷なので」

 

旅の合間に交わされた会話では、ンフィーレアの欲しい情報ははっきりしなかったが、辺境の村が襲われたことは事実と知れた。

あとはカルネ村が無事であることを祈るしかなかった。

 

◆◆◆

 

イアンたち全員が本名を名乗っているのは、咄嗟にぼろが出ないようにするためだ。

それでも、洗礼名の入った三つの名を名乗りはしないが。

 

一つの名前など、貧民と思われることが多いが、イアンたちの立ち振る舞いでは、むしろ偽名と思われているようだ。

 

イアンたちは、辺境の村で異変があったことを吹聴するように、ヤルダバオトから指示を受けていた。

 

その噂で動く者を確認するためだ。

 

もっとも、イアンからすれば、一番に動くべき国がまったく行動しないことに呆れ、さらに失望していた。

 

これが、自分たちが守ってきた国の成れの果てかと思うと、虚無感が襲う。

 

そんな中で、行動したこの少年は、好感が持てる存在だ。

希少な生まれながらの異能(タレント)で有名であっても、謙虚な彼の性格も印象が良い。

 

そんな彼の想い人がカルネ村(襲った村)の住人だということは、イアンたちの罪悪感を多少とはいえ、刺激していた。

 

陽光聖典として国からの命令として、人類のために必要なことだとして非道なことに手を染めてきても、彼らに感情が無いわけではないのだ。

 

ただの「王国民」という「数」の一人ではなく、向き合った「知り合い」とでは、やはり感情の動きも異なるだろう。

 

いずれにせよ、明日にはカルネ村へ着く。

彼の想い人が生き残りの中にいることを、偽善と思いながらもイアンたちは期待していた。

 

 

◆◆◆

 

 

「……そんな」

 

カルネ村を丘から臨いたンフィーレアは、呆然とつぶやいた。

 

村は堅牢な塀に囲まれていたのだ。

 

通常の村には建設不可能な塀だ。

造るには、人手も予算も、何より技術が必要となるのだから。

 

以前のカルネ村に塀など無かったことを、ンフィーレアは覚えている。

トブの大森林に住む「森の賢王」の存在によって、必要が無かったのだから。

 

そこから、一番考えられる可能性は、何者かによってカルネ村が占拠されていることだろうか。

 

 

「……エンリ」

 

ンフィーレアは、想い人の名を呟くと、一目散に駆け出した。

 

その後を、置いて行かれたかたちになった、銅(カッパー)の冒険者チームが馬車と共に追う。

彼ら(スレイン法国)は、全身鎧(フルプレート)で村を襲っていたので、村人に顔を見られている者はいないのだ。

 

そういった意味では、カルネ村に顔を晒して入ることに問題は無い。

 

◆◆◆

 

そして村を警邏していたゴブリンたちと一悶着あったのは、ゴブリンたちからすれば余所者は警戒すべきという状況上、仕方のないことだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

「僕もこの村に住むよ!」

「ええ!!」

 

ンフィーレアの発言に、その場にいた全員が驚愕の声を上げた。

 

この村で起きたことを包み隠さず聞かされたンフィーレアは、想い人(エンリ)に降りかかった事態を重く受け止めていた。

自分の知らないところで想い人(エンリ)が、死んでしまうかもしれない可能性が、これほど現実にありうるのだと、危機感を持ったのだ。

 

それは、自分の想いが伝わらないとか、断られるとかの想像を些末事に変えてしまう恐怖だった。

この想いは、相手(エンリ)が生きていてこそなのだから。

 

しかし、父親も妹もいるエンリに、安全だから村を離れて街で暮らそうなどとは言えない。

 

それに、「人間に」襲われたせいだろうか。

村の住民の見る目は、亜人のゴブリンたちよりも、余所者である自分たちへの不信感の方が強かったのだ。

これは再三にわたって助けてくれた存在が人間では無いことも大きいのだろう、とンフィーレアは予想した。

 

同じ人間なのに、国は守ってくれないという思いがあるのだろう。

襲われた事情まで知ってしまえば、当然だが。

 

だからこそ、村の役に立つことをアピールするべきだと考えた。

 

「この村には薬師がいないだろう?僕がいればその問題は解決するよ!何なら今すぐにでも住んでみんなの役に立てるよ!」

 

「いや、ヤルダバオト様の部下の方やコナーも治癒魔法が使えるから」

 

「で、でも、魔法以外にも必要なことってあるだろう?」

 

必死に言い募るンフィーレアに、エンリは考える。

 

村の復興にヤルダバオトの力を当てにしすぎるのは良くないことだ。

 

ヤルダバオトには、やらなければならないことがあるらしく、このカルネ村にもあまり立ち寄らない。

 

というより、ヤルダバオトにとってカルネ村はたいした価値はないのだろう。

 

助けてくれたし、その後の支援も行ってくれているが、そもそもカルネ村にヤルダバオトに報いるほどの財力も人手もない。

 

現状はおんぶに抱っこの状態だ。

 

 

現在はヤルダバオトが何かと援助をしてくれているが、いつまでも続くと考えるのは、考えが甘過ぎるというものだろう。

 

ヤルダバオトが元の世界へ帰る手段を探しているのは、村のみんなが知っていることだ。

いつかはわからないが、いなくなることは必然と心掛けるべきだ。

 

今からヤルダバオトの手を煩わせないように、独立独歩を心がけることこそ正しいのではないだろうか。

 

であるなら、治療行為に精通した人間がいるのは、将来的にも悪い選択ではないだろう。

 

ただ――

 

「でも、ンフィーレアが帰らなかったら、リイジーさんが心配するよね。たった一人の家族なんだから、捜索の依頼とか出るかもしれないよ?」

 

「それは……」

 

「だから、その問題が片付いてからカルネ村に移住して来てほしいの。今はとにかく問題が起きるのを避けたいから」

 

「……わかった」

 

確かに、エ・ランテルで一応名の通っている有名人の一人に入る自分(ンフィーレア)が帰らなければ、騒ぎになるだろうことは間違いない。

 

特に祖母のリイジー・バレアレは、エ・ランテルでも影響力のある人間だ。

 

自分が帰らなければ、自分を捜す為にあらゆる手段を使うだろう。

 

少なくとも、金銭的に出し惜しみをするような性格ではない。

 

伊達に現在も現役の職人ではない。

 

職人とは探求者でもある。

 

今でも祖母は、新たなポーションの開発を模索している。

 

「真なる神の血」と呼ばれる、劣化しない完成されたポーション。

全ての錬金術師の悲願。

そこに至る為に、あらゆる試行錯誤を繰り返し続けているのだ。

 

その探求が自分に向かえば、人手も金銭も惜しまないだろう。

 

祖母は己の技術や知識そして夢を、自分(ンフィーレア)に託したいと考えているのだから。

 

当然、高名なポーション職人である祖母に協力する者も多いだろう。

 

いずれにせよ、黙っていなくなるという手段は悪手だ。

 

ここは一度エ・ランテルに戻り、祖母の承諾を得るべきだろう。

 

最悪、縁を切られることも覚悟するべきかもしれない。

 

それでも、好きな相手の危機に何もできず、後悔するような事態になるよりはましなはずだ。

 

エンリたちを助けてくれたのが、悪魔だというのが少々気になるところだが、助けてくれない神より、救ってくれる悪魔の方が有り難いというものだ。

 

たとえそれが打算含みだとしても、だ。

 

ただで助けてくれる者など、人間でもそうそう居るものではない。

 

「助けたい」ということと、「助けられる」ということは、同じではないのだから。

 

例えば――

 

転んでいる相手を助け起こす。

貧しい人に施しをする。

襲われている人を、その相手から救い出す。

 

転んだ相手に手を差し伸べても、打算や持ち逃げを疑われるかもしれない。

急いでいたら、わざわざ助け起こそうなど考えもしない。

むしろ、転んで交通の邪魔だの転んだ間抜けだのと考えるかもしれない。

 

施しをするような人間で、感謝よりも鴨と思われるかもしれない。

一度で済まず、何度も強請りたかられるかもしれない。

別の人間も同様に施しを期待して、寄ってくるかもしれない。

裕福だと思われ、家を調べられ、泥棒に入られるかもしれない。

 

襲われているのが、絶対に「弱者で正しい人」だと断言できるだろうか。

盗みを働いた者かもしれない。

大罪を犯して、指名手配をされているのかもしれない。

双方共に悪人で、仲間割れかもしれない。

助けたら、その時だけでなく、以降も助けることになるかもしれない。

個人ではなく、組織的な対立だったらどうするのか。

そもそも助けられるのか。

自分が暴力を受けたり、脅されたり、殺されたりしないと、誰に断言できるというのか。

助けた方が悪だった場合、その責任をとれるのか。

 

可能性は多岐にわたる。

今のカルネ村に必要なのは、落ち着いて考え行動のできる人間だ。

 

自分の行動が、村全体の不利益にならないように気を付けなければならない。

 

少なくとも「悪魔に助けられた」など、一番に隠さなければならないことだろう。

 

どう考えても、好意的には受け取ってもらえないだろうことは間違いが無い。

 

 

脅されていると勘ぐられるくらいなら、まだいい方だ。

もしかしたら、洗脳されているとか、悪魔が人間に化けているなどと決めつけられ、皆殺しにされるかもしれない。

 

王国の対応を知ってしまえば、考え過ぎとは思えなかった。

 

 

◆◆◆

 

カルネ村から帰る道すがら、イアンたちは確認する。

 

わざわざ村の安否を確認する存在に村の現状を隠さないのは、その後の対応を見るためだ。

 

他の村への確認は今のところ無いらしいが、他の村の生き残りがカルネ村に移住していることが知られれば、そういった存在が他にも現れるかもしれない。

ンフィーレアが祖母と一緒にカルネ村へ移住するのなら手を出す理由にならないが、ンフィーレアだけで祖母が事情を知りつつエ・ランテルに残るのなら、対応を考えなければならないだろう。

 

秘密を守るなら、喋る口は少ない方がいいのだから。

 

むろん、ヤルダバオトからの指示を受けることになるはずだ。

 

できるなら、穏便な対応になることを祈るのみだ。

 

 

◆◆◆

 

エ・ランテルに着くと、ンフィーレアはそのまま冒険者組合へ赴き依頼の完了手続きを済ませる。

そして冒険者の一行と別れ家路を急いだ。

 

予定より遅い日程の旅になってしまったのだ。

なにしろ、件の悪魔ヤルダバオトが、トブの大森林に住む「森の賢王」と呼ばれる強大な魔獣を支配下に置いたということで、薬草を安全に採取することができたのだ。

戻って祖母に話す内容も考えると、ついつい採集に力が入ってしまった。

 

あの「森の賢王」を下すなど、さすがはヤルダバオトという悪魔は強大な力を持っているのだと、納得したものだ。

あの悪魔がいれば、カルネ村は安全だろうと思われた。

 

そして、今回護衛を引き受けてもらった冒険者たちには、後日改めて依頼を出す予定だ。

 

これから祖母と話し合わねばならないことがたくさんあるのだ。

 

祖母が寝ていれば、話し合いは明日に持ち越されるだろう。

起きていたとしても、すぐに決着のつく話ではない。

夜通しになる可能性もあるのだ。

護衛でしかない部外者の冒険者に居てもらう理由がない。

 

できれば、祖母も巻き込んでカルネ村へ移住したいところだ。

 

薬師は製法の必要から、魔法も使える。

魔法が使えるということは、一般人よりも強者であるということだ。

 

自分(ンフィーレア)も第二位階の「酸の矢(アシッド・アロー)」が使えるし、祖母にいたっては第三位階の「雷撃(ライトニング)」が使用できるのだ。

 

これだけでも、戦力として強力なことはいうまでもない。

 

そんな祖母が一緒に来てくれれば、カルネ村にとっても心強いことこの上ないはずだ。

 

 

「おっかえり~。待ってたんだよ~」

 

明るい声だ。

ひどくその場に馴染まない異様さを感じさせる。

 

「どちらさまですか?」

 

どうしてこの部屋はこんなに暗いのか。

嗅ぎなれた薬草の匂いに混じっている、この匂いは――

 

「おばあちゃん!!」

 

自分を迎え入れた相手の後ろの床に、見慣れた祖母がうつ伏せに倒れている。

その床には血溜まりができていた。

 

「あ?もう死んでるよ、そのババア。あんたがなかなか帰ってこないから鉢合わせしちゃってさー。ちょっとお話ししてたら死んじゃったんだよねー。やっぱ年寄りは堪え性が無くていけないよ。でも、どうせこの都市のみんな死んじゃうんだから、今のうちに死ねてチョーハッピーだよねー」

「何言ってるんだ、人殺し!」

「うっさいよ!散々人を待たせといて文句言うな!!」

「な……」

「あんたは殺さないでやるよ。あんたの生まれながらの異能(タレント)は、ちゃ~んとあたしらが役に立ててあげるからね~」

 

第三位階の魔法を使いこなす祖母は、このエ・ランテルでも有数の戦闘能力上位者だ。

 

その祖母がかなわなかった相手に、ンフィーレアがかなう道理が無かった。

 

◆◆◆

 

突然墓地から溢れだしたアンデッドの大群に、エ・ランテルは大混乱に陥った。

 

墓地に詰めていた衛兵の連絡で衛兵駐屯所や冒険者組合から救援が駆け付けた時には、すでに墓地の門は破壊されていたのだ。

 

とにかく数が尋常では無い。

 

門を破壊するほどの大量のアンデッドや、集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)相手には、近隣の家屋も扉を閉めた程度では侵入を防ぎきれない。

 

そして倒しても倒してもわき出るかのように増え続けている。

 

疲労も死の恐怖もないアンデッド相手では、アンデッドのほとんどが低位でも、人間の方が不利だった。

 

「報告ご苦労でした。全く、自分の住む場所さえ守れないとは、嘆かわしい事態ですね」

 

陽光聖典の連絡を受け、エ・ランテルへとやって来たデミウルゴスは、悲しげに言った。

 

ナザリック地下大墳墓において、一五〇〇人の侵攻以外は第六階層より先に抜かれたことは無く、その一五〇〇人の侵攻も主人たる至高の御方々によって阻んでいる過去を持つ身として、自分の居住地を守れないとはゆゆしき問題だ。

 

もっとも、この都市に住む人間にとって、この事態がナザリックにおける「一五〇〇人の侵攻」に匹敵する大攻勢だというのなら、少しは気の毒と言う気にもなる。

 

こんなことで混乱に陥る、お粗末な防衛能力に。

 

一大事であるのなら、なおのこと一丸となって事態の収拾にあたるべきではないのだろうか。

 

 

それにしても、これが自然発生とは思えないとは陽光聖典の見立てだったが、それは確かなようだ。

 

アンデッドの「流れ」に人為的な物を感じるのだ。

 

「まあ、良いでしょう。貴方たちはこの都市の冒険者として他の冒険者と協力して事態に当たりなさい。元陽光聖典の六名は、私に着いてきなさい。元凶を排除します。それを以て、貴方たちの昇格の一助としましょう」

 

未だ完全に人間社会を掌握していないのだ。

その足場の一つをこんなことで、しかも人間ごときの都合で潰されるのは少々面白くない。

 

「首謀者が使える人間だと嬉しいのですが」

 

手駒と情報源は多いほど良い。

それが「犯罪者」なら、尚良い。

いなくなっても、どのように使い潰そうと、一定の理解が得られるのだから。

 

◆◆◆

 

元陽光聖典の隊員たちは、使い慣れた装備を一時的だが返却され、身も心も引き締める。

 

さすがに、エ・ランテルで冒険者登録したばかりの者が、この装備を纏うのは憚られた。

 

元の身分を示さないためにも、これらは剥奪されていたのだが、この事態には今の冒険者としての装備では心許ないと、戻されたのだ。

 

それはつまり、これから対峙する相手がただ者ではないということに他なら無い。

 

装備の充実が安心に繋がらないことを、心に刻む。

 

陽光聖典の任務でも、油断や慢心は己の身を危うくする一番の要因なのだ。

 

六人はヤルダバオトとは別に、墓地の破壊された正面口から中に入る。

 

ついでに、ここで一番の難敵と思われた集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)を派手に倒しておく。

ヤルダバオトはこの都市の人間に見られないためだが、昇格の証明のためにも、陽光聖典の六人は中に入る所を誰かに見てもらう必要があるのだ。

 

むろん、顔は売るが装備は見られないように、普段のローブを装備の上に羽織っている。

 

墓地の中に入り、しばらくアンデッドを倒しながら進む。

そして中に都市の人間が死体以外には存在しないと確認すると、彼らは慣れた手順で天使を召喚した。

 

低位のアンデッドなどは、これで問題は無い。

術者が身体的な怪我とは無縁と言うのも大きい。

 

ヤルダバオトと合流し、そのまま墓地の中を進んでいく。

進軍は楽なものだ。

 

天使はアンデッドに相性でも強く、第三位階の魔法で呼び出された天使が、この世界でも低位のアンデッド相手に苦戦する理由もない。

 

さらに先頭にはヤルダバオトがいるのだ。

 

指先の一振りで数十のアンデッドが消滅する。

陽光聖典はその周りからくるアンデッドに対処すればよいのだ。

 

自分たちの全力が、悪魔の指先一つと同等かそれ以下と知り、正しく桁の違う存在だと再認識せざるを得ない。

 

それでも、現状は敵ではないという事実は大層心強いものだ。

 

そして――

 

「この先に魔力反応があります。まずは貴方たちで対応しなさい」

 

陽光聖典の六人が最奥の霊廟へと進んでいく。

 

「注意!魔法詠唱者七、隠れてる者が一」

 

「や~だ。バレバレじゃん。つーか、懐かしい奴らがいるもんだね~」

 

陽光聖典の装備に、神殿の陰から出てきたクレマンティーヌの顔が憎々しげに歪む。

 

「貴方は漆黒聖典の?」

「え?本国の仕業なのか?」

 

「ちょっとちょっと。こっちはもう漆黒聖典も抜けて法国にも帰れない身なんだよ?そっちと一緒にしないでよ」

 

そして女は猫のような仕草で首を傾げる。

 

「つーか、あたしが法国から逃亡したって、あんたたち知らされてないわけ?」

 

お互いの情報不足が露呈した場面である。

お互いにお互いを「法国」絡みだと、この瞬間誤解したのだ。

 

「元」陽光聖典は、このアンデッド騒動をエ・ランテルに引き起こしたのが、法国だと思った。

「元」漆黒聖典第九席次は、エ・ランテルに陽光聖典がいるのは、法国からの追手だと思った。

 

陽光聖典隊長であるニグンは、クレマンティーヌ(元漆黒聖典第九席次)が逃亡していることを知ってはいた。

そもそもそれが原因で、ガゼフの暗殺という任務が陽光聖典へ回ってきたのだから。

 

それでも、逃げ隠れしているだろうクレマンティーヌと、エ・ランテルで鉢合わせるなど思ってもみなかったために、その情報は部下と共有されていなかったのだ。

 

 

「おやおや、これは奇遇、あるいは奇縁というべきでしょうか」

 

上空から声と共に、ゆっくりと降りてくる存在がある。

 

仕立ての良い南方風の「スーツ」と呼ばれる衣装。

人間の体に蛙の頭という、冒涜的な姿。

大きく広げられた濡れた皮膜のような翼。

 

どう見ても人間ではない。

 

そんな存在が、クレマンティーヌたち「ズーラーノーン」と「元」陽光聖典との間に降り立つ。

 

「初めまして、お嬢さん」

 

耳に心地よい声。

それ以上に肌が泡立つような危機感。

 

「異形種?!」

 

それまで黙っていた、この事件の首謀者であるカジットの弟子の一人が思わず、といった様子で声を出す。

 

「馬鹿者!術を乱すな!」

 

カジットからすれば、誰が来ようが術が完成すればいいのだ。

 

「ああ、そちらは大したことがないようですね。貴方たちはそちらの対応をしなさい」

 

そしてクレマンティーヌに向きなおる。

 

「こちらのお嬢さんは、『元』とはいえ漆黒聖典にいらしたとか。貴方たちには荷が重いでしょうから、私がお相手しましょう」

 

そして、クレマンティーヌを全く気にすることのない様子で、陽光聖典に注意する。

 

「わかっているとは思いますが、その者たちを殺してはいけませんよ。貴重な「材料」なのですから」

 

そして再度クレマンティーヌに顔を向ける。

 

「お待たせしました。そういえば『貴女のお名前は?』」

「クレマンティーヌ」

 

「え?」

 

自分で言って驚く。

この名前を何の迷いもなく口にできるほど、自分は世の中にもまれ慣れていない存在ではない。

 

それが、こうもあっさりと口にするなんて、おかしいとしか言いようが無い。

 

「ふむ。残念です。どうやら貴女は大して強くは無いようですね」

「な…ん…」

 

ある意味、唯一自分が誇れる「強さ」を、会ったばかりの相手に否定され、クレマンティーヌの頭は一瞬で沸騰しかけ――

 

やばいやばいやばいやばい。

 

クレマンティーヌは恐怖した。

 

「国堕し」と呼ばれ、この王国でアダマンタイト級冒険者「蒼の薔薇」の一員となっているイビルアイでも、デミウルゴスと会えば生存本能を刺激され、逃げるという選択肢しか選べないほどの隔絶した差を感じるだろう。

 

「元」漆黒聖典といえども、実力上位に入れないクレマンティーヌは、蛇に睨まれた蛙の如き状態に陥っていた。

 

「まあ、いいでしょう。丁度女の手駒が欲しいと思っていたところです。使えないことは無いでしょう」

 

「物」を見る視線に、恐怖する。

 

加虐趣味の「拷問」でも「殺人」でもない。

食用家畜を屠殺するがごとき、無慈悲な視線。

 

「悪魔かよ」

「ええ、そうです。よくおわかりですね。私の種族は悪魔です。どうぞよろしく」

 

優雅とも言える一礼を返す「悪魔」に、警戒感が一気に膨れ上がる。

この余裕は「本物」だ。

 

「とはいえ――」

 

悪魔は――蛙の顔の表情など全くわからないが――その声音から楽しそうなことを思いついたらしい。

 

「貴女と私では差がありすぎますから、私の召喚したものがお相手しましょう」

 

そして――

 

現れる自称「悪魔」などより、よほど悪魔らしいといえる存在。

 

巨大な体。

燃え盛る炎の翼。

怒りを湛えた憤怒の表情。

眼光と牙の鋭さは全てのものを切り裂くようだ。

 

 

それは圧倒的な強者だった。

 

自分を強いと思っていた頃の自分を罵倒し、殴り倒したくなるほど天地ほどの差を感じる強さ。

 

体が心が生存本能が、全力で叫んでいる。

 

「死にたくない」

「逃げろ」

「助からない」

 

力の波動が物理的に自分を打ちのめすかのように感じられる。

この強者と戦って勝つことなど不可能。

振るった腕の動きさえ見切れない早さ。

 

基本的に召喚される者は、召喚者より弱い者というのが常識だ。

 

では、目の前に現れた存在よりも、自称「悪魔」は一体どれだけ強いというのか。

 

 

それでも、僅かな生存に賭けて突貫する。

 

そして――

 

優しく摘まれたスティレットごと、放り投げられた。

 

それは狙い通りだ。

 

投げられた方向へ、そのまま転がり逃走を計る。

 

ふと振り向き、相手がいないことに気付き――

 

走り出した方向にぶつかって、無様に尻餅を着く。

 

見上げた先には――

 

「何処へ行くのだ?」

 

先ほど自分を放り投げた相手。

 

あの一瞬で、自分の逃走方向へ移動し、先回りしたというのか。

 

あるいは転移。

 

どちらにしても、速度でも移動手段でも、自分を遙かに上回ると知れた。

 

 

 

「た…たすけて」

 

なんて滑稽な台詞だろう。

 

この台詞を言う相手をどれだけ馬鹿にしてきただろうか。

 

「助けて」と言われて助けるくらいなら、そもそも襲いかかってなどこないだろうに、と。

 

だからこそ、自分はそんな台詞を言う相手を助けたことなど無い。

 

だから理解してしまう。

 

自分は助からないと。

 

 

◆◆◆

 

強者たる者で罪を犯している者というのは、とても都合が良い存在だ。

 

なぜなら、なにをしてもさせても非難の対象とならないからだ。

 

どれほど酷使しようと、周囲は納得してくれる。

 

「犯罪奴隷」という表現があてはまるだろうか。

 

そもそも強者が犯罪者であれば、捕らえておくことも拘留しておくことも困難だ。

 

捕らえる際に死んでいた方が、あとあとの面倒がないくらいだろう。

 

そういった面倒な存在を「捕らえた」、つまりその対象よりも強者が監視してくれるのなら、願ったり叶ったりという訳である。

 

当然、何か問題が生じた場合には、管理責任を問える。

 

厄介払いとして、最適ともいえるのだ。

 

「戦利品が「女」とは、今回はよい収穫でしたね。『ついてきなさい』」

 

圧倒的な存在のただの腕力による殴打によって、火傷の変色と打撲や骨折の内出血で体中がまだらに染まったクレマンティーヌ(レベル四〇以下)に逆らう術など無かった。

 

 

◆◆◆

 

カジットと高弟たちも、陽光聖典に捕らえられた。

 

自慢の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)も第三位階で召喚された天使の集団のメイスによって、粉々になっている。

その上、陽光聖典に憑依している悪魔たちの加勢もあるのだ。

負けるはずも、苦戦する理由もない。

 

 

デミウルゴスは憤怒の魔将(イビルロード・ラース)に命じる。

 

基本的に悪魔という種族は、治癒魔法などの信仰系魔法を使えない者が多い。

 

もちろん、拷問の悪魔(トーチャー)のように、種族特性として使える者もいるが、一般的には少ない。

 

しかし、代価を払うことで魔法の行使を可能とする者もいる。

 

憤怒の魔将(イビルロード・ラース)も〈魂と引き換えの奇跡〉を使用すれば、第八位階までの魔法を自由に使うことが可能となる。

 

第八位階の魔法など、ユグドラシルプレイヤーなら一般的に使う対処可能な魔法でしかない。

 

ただ、本来なら使えないはずの魔法を行使してくるというイレギュラーが予測を困難にするということになる。

 

しかし、それはあくまでも「ユグドラシル」というゲーム内での話だ。

 

この世界では、第八位階の魔法など神の領域とされている。

 

そして第六位階にある「大治癒(ヒール)」は、過去の傷さえも修復するのだ。

 

つい先ほど失明しただけのンフィーレアの治療など、たいした手間ではない。

 

難点とすれば、魔将の召喚が五〇時間に一度という制限を考慮しなければならないことだろう。

 

「叡者の額冠」もすでに一つ、手に入れている。

破壊することに問題はない。

 

むろん、手に入る機会があれば、手に入れることは吝かではない。

 

今は重要度の差があるだけだ。

 

 

◆◆◆

 

「複数の冒険者チームによって助け出された」と教えられたンフィーレアは、店中のポーションを処分した。

都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアに、店の売却を依頼したのだ。

 

工房も含めた店にある物全ての売却だ。

 

ポーションも店も全て売り払い、当座の資金とする。

祖母の貯めていた金貨や宝石も、全て持ち出した。

 

その金を持って、王都に向かうことにしたのだ。

 

祖母リイジー・バレアレの蘇生を頼むために。

 

このリ・エスティーゼ王国で蘇生魔法の使い手は、アダマンタイト級冒険者「蒼の薔薇」のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラのみだ。

 

彼女の活動拠点は王都なので、祖母の遺体を持って「死者蘇生」を依頼しに行くことにしたのだ。

 

カルネ村へ移住するために必要な最低限を残して、ポーションや薬の生成器具、店まで含めた売却費用はそれなりになった。

 

これで費用は問題ない。

 

あとは祖母が「復活」に耐えられるか、である。

それでも祖母は第三位階魔法の使い手だ。

単純な戦闘力なら、白金(プラチナ)級冒険者と同等の戦闘力と言われている。

蘇生に耐えられないということは無いだろう。

 

王都までの旅には、以前カルネ村への護衛を頼んだ冒険者たちに依頼した。

 

彼らは、先のアンデッド騒動を治めた功労者として、ミスリル級に昇格していた。

 

他にも幾つかのチームがミスリルに昇格したそうだが、今のンフィーレアには関係の無いことだった。

 

彼らは相場より安値で依頼を引き受けた。

 

それは――

 

「蘇生費用に相場なんて当てになりませんからね。節約しておくべきですよ」

「リイジーさんが復活したら、カルネ村に行くんでしょう?そこまでの護衛も我々が行くことになるでしょうから、そちらは正規料金でよろしくお願いします」

 

事情を知っている上で、ふっかけるのではなく協力を申し出てくれたのだ。

 

「ありがとうございます」

 

祖母が復活すれば、また元に戻れる。

エンリとのことも相談して、できれば二人でカルネ村へ引っ越そう。

あそこなら、不自由だけれど人間に襲われる心配はきっとない。

 

祖母さえ復活す(生き返)れば――

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「蒼の薔薇」のリーダー、王国で唯一の復活魔法の使い手。

彼女、ラキュースが言うには、祖母の死体は損傷が激しく、復活は不可能だと言い渡されたのだ。

 

あのアンデッド事件の首謀者の一人、クレマンティーヌという女が、祖母を拷問の末に殺したらしく、死体の損壊は「見る者が目を背けるような有様」だった。

 

「安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)」に包まれた祖母の死体を前に、ンフィーレアは憔悴していた。

 

これで祖母の復活はあり得なくなった。

この国に、ラキュース以外の蘇生魔法の使い手は存在しないのだから。

法国には存在するかもしれないことは噂として、そして祖母の話から知ってはいるが、カルネ村を襲うような国が、祖母を金銭を払うだけで復活させてくれるとは思えない。

 

非道なことを、それこそ王国を害するようなことを強要されるかもしれない。

 

「首謀者」の一人であるクレマンティーヌは、エ・ランテルでアンデッド騒動を解決したチームの一つに預けられている。

 

「犯罪奴隷」という扱いだ。

 

奴隷制度は、第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフによって、撤廃された。

 

しかし、法国から流れてくるエルフや亜人種などの奴隷に、犯罪者への刑罰としての奴隷制度は残っている。

 

どんな扱いでも文句の言えない犯罪奴隷。

 

口さがない者は、女だから助けたのだと噂している。

その噂が同じミスリルの冒険者からだという噂もあったが、そちらはどうでもよかった。

 

あの女がどうなろうと関係無い。

 

ただ、祖母が復活しないと知って、ようやく彼女への憎悪が明確になったのだ。

 

祖母は復活すると信じていた。

疑っていなかった。

 

だから、クレマンティーヌへの憎しみもどこか不明瞭な物だったのだ。

 

それが、確かな形としてンフィーレアの中に生み出された。

 

憎い

殺してやりたい

祖母と同じ目に会えばいい

 

様々な負の感情が溢れてくる。

 

それでも――

 

「カルネ村へ行きます」

 

祖母の遺体と共にカルネ村を目指すことに決めた。

 

エ・ランテルには埋葬しない。

 

あの女(クレマンティーヌ)がいる場所では、祖母も安まらないだろう。

 

カルネ村に行くのだ。

あそこには、正しく自分の気持ちをわかってくれる人たちがいるのだから。

 

 

 

エ・ランテルで引き留められることを厭うて、寄ることなくトブの大森林を目指す。

その手前にある、カルネ村が目的地だ。

 

人目につきたくないために、浅い場所とはいえ森の中を通るなど自殺行為に等しいが、ンフィーレアは気にしなかった。

 

彼が雇った冒険者のチームが、大丈夫だと太鼓判を押したからだ。

 

彼らは、エ・ランテルで冒険者になる前にはトブの大森林で活動することも多かったという。

 

「よろしくお願いします」

 

彼らには護衛でも救出でも、世話になりっぱなしである。

雇ったというより、相談に乗ってもらっているような感覚だった。

 

そして――

 

「待っていましたよ」

 

 

カルネ村へ向かう道中でンフィーレアはその存在と会合した。

 

「君とは初めましてでしたね。私はヤルダバオト。君が向かっているカルネ村を救った者です」

 

話には聞いていたが、初めて会うその存在は、蛙の頭という見た目からは想像できないほど紳士的な態度だった。

 

「このまま、君の祖母の遺体を持ってカルネ村に行かれては困るのです」

「どうしてですか?!僕はカルネ村に不利益なことはしないと誓います!貴方のことだって誰にも――」

「違います」

「え?」

「あの村で、私は村の人間を復活させていないのです。君の祖母を村で復活させては、どうしても不愉快に思う者が出てくるでしょう」

「復活?」

「ええ、そうです」

「! だっておばあちゃんの復活は無理だって、蒼の薔薇の人が……」

「それは第五位階の魔法しか使えないから、でしょう?」

「第五位階『しか』?」

「はい」

 

祖母の遺体を「安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)」から取り出す。

酷い状態だ。

 

眼球が片方は潰され、片方は抉られている。

歯は折られるか抜かれるかで、残っていない。

首に付けられた切り傷は両手でも足りない。

耳の片方は削ぎ落され、もう片方は無数の切込みで花弁のように開いている。

見える範囲でこれだ。

服の下はどうなっているのか。

 

それでも――

 

「本当に生き返るのですか?」

 

悍ましい、けれど絶対的な強者の雰囲気を持った、人間では無い存在。

 

「私では無理ですね」

「そんな!!」

「ですので、悪魔に願いを叶えて貰いましょう」

 

異形がそう語った瞬間、叩きつけられる恐ろしいまでの力の波動。

圧倒的な力が形を作ったようだ。

 

そんな存在の圧力に屈しそうになる。

 

「悪魔は対価を払うことによって、願いをかなえてくれます。」

 

御伽噺などで、よく聞く話だ。

それらの話は、真実を含んでいたというのだろうか。

 

「と言っても君に払えるほど、この悪魔の対価は安いものでも楽に手に入るものでもありません。そこで提案です。この悪魔への対価は私が払いましょう。君はそれを「負債」として、私のこれからの頼みごとを受ける。いかがです?君のお婆様も一緒に返済に努めれば、より早く済むかもしれませんよ。むろん、一生かかるかもしれませんが」

 

ンフィーレアは即答する。

答えは決まっているのだから。

 

その願いをヤルダバオトと名乗った悪魔は、改めて口にする。

 

「この女性を蘇生させなさい」

 

蛙頭の異形の命令に、強大な力を発している悪魔が応じる。

 

「蘇生(リザレクション)」

 

 

◆◆◆

 

何度も頭を下げて、馬車に乗り旅に戻ってカルネ村を目指す二人の薬師と、その護衛の冒険者を見送る。

 

これであの二人は、カルネ村で生活しても問題ない。

 

リイジーが「ヤルダバオトによって復活した」ことを、村の住人やエ・ランテルなど他の者に伝えないように、よく言い含めた。

 

恩人(ヤルダバオト)の言いつけを守れないほど、頭のタガが外れているような人間ではないと把握している。

 

わざわざ、憤怒の悪魔(イビルロード・ラース)を召喚した甲斐があったと思いたいものだ。

 

 

 

デミウルゴスはンフィーレアを手中に収めたかったのだ。

 

彼の持つ「生まれながらの異能(タレント)」、あらゆるアイテムを一切の制限を無視して使える力。

 

例えば、この世界には医療行為として「手術」が存在する。

この「治癒魔法」が存在する世界でだ。

 

「ユグドラシル」でも、そんな技術は存在しない。

似たようなことはできるだろうが。

 

しかし、明確に「医療行為」として確立されているのだ。

 

手法が野蛮だとか、成功率が低いだとかは、問題ではない。

そういう「手段」が存在することが問題なのだ。

 

どうして存在しているのか。

 

考えられる単純な理由は、治癒魔法を受けることができない貧しい者たちのため、かもしれない。

 

だが、ンフィーレアの「生まれながらの異能(タレント)」のように、「魔法が一切効かない異能」が無いと言えるだろうか。

 

魔法が効かない者への救済措置であり、そういった能力持ちが一定数いるために普及したのだという可能性が「絶対に無い」と言い切れるだろうか。

 

ゆえに「希少(レア)」であり、有効性の高いンフィーレアの「生まれながらの異能(タレント)」は確保しておきたい能力だ。

 

もし「魔法が効かない能力」が存在したなら、魔法攻撃はもちろんのこと、魅了や麻痺、デバフも効かない。

もしかしたら、自分の「支配の呪言」が効かない者もいるかもしれない。

それどころか、至高の御方々が使われる「超位魔法」や規格外の「ワールドアイテム」さえも無効化するかもしれないのだ。

 

不安材料、懸念事項は、早急に取り除かなければならないが、それがかなわないのならば、対策を立てるのは当然のことだ。

 

そのためにも、ンフィーレア・バレアレの「生まれながらの異能(タレント)」は役に立つ。

それにこれで使用制限があり、自らが使えないアイテム類も使用可能となる。

 

そのために、二日に一体しか召喚できない憤怒の魔将(イビルロード・ラース)の力を使ってまでこちらの支配下におくのは、損耗というよりは投資と考えるべきだ。

 

◆◆◆

 

「これで良かったと思いますか?」

 

イアンの言葉にンフィーレアは少し黙る。

 

この冒険者たちは、カルネ村へ行ったとき、村にいるゴブリンたちから「村を救った悪魔(ヤルダバオト)」のことを、あれこれと訊ねていた。

その上で、黙っていると誓ってくれたのだ。

きっと、自分の考えを話しても大丈夫だろう。

 

そして答えた。

 

「いい人かはわかりません。でも……有り難いですよね」

 

次に発せられた言葉は、イアンには少し辛かった。

 

「困った時に助けてくれるって」

 

◆◆◆

 

デミウルゴスはこの事件を喜んだ。

 

今回は収支がプラスになったといえる。

 

ユグドラシルには存在しなかった「知性あるアイテム(インテリジェンス・アイテム)」である「死の宝珠」の確保。

さらに、創造や作成の材料となる死体も大量に手に入った。

その上、他よりは強いレベルを憑依させることができる「依代」として、カジットという存在とその弟子が「五人」手に入ったのだ。

 

クレマンティーヌが魔法を使えないために、もう一人の「魔法詠唱者の首謀者」が必要だった。

 

そこで、首謀者として残る死体が「一人」必要となる。

その「一人」を「六人の弟子」の中から選んだ。

選ばせたのは六人だ。

 

「貴方たち六人の中から、死ぬ者を一人選びなさい」

 

その後の見苦しい罵りあいは、なかなかに見物だったと言えるだろう。

殺す自分(ヤルダバオト)より、自分を「生贄」に選んだ仲間を罵倒し続けていた。

 

念の為、自分のような存在が居る可能性を心配して、充分に体を損壊させた。

その役目は、残りの五人にやらせた。

殺してくれと何度懇願されたことだろう。

 

その上で、わざわざ高位の魔法による死を与えたのだ。

 

これで、低位の魔法では復活できず、本人(生贄)もおいそれと復活を望むこともないだろう。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 




◆地図

デミウルゴス作成と、スレイン法国作成があります。
デミウルゴス作成は精度が高いのですが、地形のみとなっています。


◆量産

デミウルゴスはやっぱりデミウルゴスなのです。


◆召喚された者は子供が作れない

感想返しより


◆エリュエンティウ

帝国の魔法省の者が調べればわかることなら、法国の陽光聖典隊長のニグンが知っていてもおかしくないのでは思っています。


◆イアン

ゲームをやっていませんので、キャラクターが違うと言われても対応ができません。
ご了承ください。


◆悪魔祓い

原作にはありませんので、独自設定です。

ですが、十二巻でイビルアイが「悪魔を召喚してヤルダバオトの情報を」とも言っているので、悪魔もそれなりにいるのではないかと考えています。


◆女たち

後で出てくるかもしれないので、何故いるのか、何故逃げないのか、という説明です。


◆二人の娘

襲われて石化されていたので、エ・ランテル近郊の森の中と勘違いしています。
だから、逃げることに躊躇いが無かったという理由です。


◆「千里眼」と「水晶の画面」の併用

二巻より


◆カルネ村の認識

スレイン法国の行動も、それに対する王国の対応も、全て真実を知らされています。
なので、何かあったら王国を離脱する覚悟はできています。

ばれれば儚い嘘などより、真実の方が残酷に人を動かせるので、デミウルゴスに隠す気はありません。


◆情報

一〇巻でも、貴族であろうと正確な情報はあまり出回らないようです。
二巻でも、ンフィーレアはカルネ村に着くまで、辺境周辺の村が襲われたことを知らなかったので、意図的に噂を拡散しています。


◆リイジー殺害

原作でンフィーレアが帰ってきた時に家の中に居たのは、精神支配したワーカーに見張らせていたからですが、原作と異なり、ここではンフィーレアは冒険者組合で手続きを済ませてから帰宅したので、原作より遅い帰宅となり、リイジーは殺されてしまいました。


◆ポーション

ポーションの作り方は三種類。
魔法のみの場合は「錬金術溶液に魔法を注ぎ込む」ことでできるとあります。
この「注ぎ込む魔法」が「治癒魔法」なら信仰系魔法が使えるので、ポーションをわざわざ作る必要はないのではないかと思いました。
八巻でのアーグの怪我も、ポーションを使うより治癒魔法を使った方が早いでしょう。
そうなると「注ぎ込む魔法」は治癒魔法では無い可能性があるのではないかと思います。
WEBでは「錬金術によって生み出される特殊な溶液を必要とする。この溶液は薬草や鉱物等の混合体に、複数の工程を経過させることで作り出される」とあります。
錬金術溶液にすでに薬効があり、その効果の向上、効能の継続保存の為に魔法が必要なら、ンフィーレアが薬師で錬金術師であることも一応納得できる、かも?


◆リイジーの復活

拷問の末の死ですが、高位の復活魔法であること、ンフィーレアが呼んでいることもあり、問題なく復活します。

一巻で、ユグドラシルでは死んだ時に五レベルのダウンとありますが、同じく一巻で、レベルダウンも〈蘇生(リザレクション)〉や〈死者復活(レイズ・デッド)〉で緩和される、とあるので、拠点復活(無料)と魔法復活(有料)では、レベルダウンに差が出るのではないかと考えています。

◆◆◆

誤字報告をくださった方々、ありがとうございました。

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