前半は普通の日常。
後半は少しだけシリアス……になっているはずです。なっているといいなぁ……。
第7話 聖女との再会
コカビエルを倒して数日。
十香はいつも通り家で家事を行なっていた。母親のジブリールは熾天使であるため、多忙を極めている。そのため、家のことは必然的に十香の役割となる。
尊敬している天使で、母親であるジブリールにこれ以上負担をかけさせないため、十香は喜んで家事を行う。
そして今日は食材を揃えるため天界から地上、つまり人間界に降り立っていた。
別に食材などは天界にもある上、他の天使が買いに行ったりするため十香が行く必要はないのだが、十香は街を歩きたいため、自身が買い物に来ているのだ。
「今日のご飯は何がいいかな〜」
太陽が眩しい昼下がり。スーパーに向かって歩く十香は今晩の夕食について頭を悩ませていた。
十香は料理は得意だ。大抵のものなら作れるだけの腕はある。ならば何に悩んでいるのか? それはジブリールに何を食べてもらえれば疲れを取ってもらえるか、だ。それなら栄養を重視したものにすればいいのだが、毎度それだとたまにはガッツリとしたものも食べたくなるだろう。
ジブリールならば十香の作るものなら何でも美味しそうに食べてくれるだろうが、それでは十香が納得しない。
さてどうしたものか……。顎に手を当て悩む十香。その様子を通り過ぎる人達全員が十香を見ていたのだが、十香が気づくことはなかった。
「う〜ん……あ、猫だ!」
道の端を歩く二匹の猫を見つける。その猫は黒と白と色が反対だったが、十香の目には姉妹や兄弟に映った。
「かわいい……」
無意識のうちにポツリと呟いていた。
ニャーと鳴き合う二匹。姉妹、兄弟は仲がいいのが一番。微笑ましくて自然と笑みがこぼれていた。
ふと、視界の端にもう一匹の黒猫が見えた。何故だかその猫が無性に気になり観察していると、黒猫が黒と白の二匹の猫を見つめているのがわかった。その視線からは、妬み、懐かしさ、悲しみ、そして後悔……が強く伝わってくる。
どうしてそんな思いが伝わって来たのかわからないが、知ってしまった以上はどうにかしてあげたい。そんな気持ちが十香の心から湧き上がり、気づけば足はその猫へと向いていた。
あの二匹の猫に夢中になっている黒猫は、十香が近づいているのに気づいていなかった。
「どうしたの?」
しゃがみこみ尋ねる。猫が人の言葉を理解できないのはわかっているのだがつい聞いてしまった。瞬時に周囲を見渡す。人がいないことを確認すると十香はホッと胸をなでおろした。
「……はっ、そうだ猫ちゃん」
十香は先ほどの黒猫の方を向く。すると、そこにはこちらを警戒する猫の姿があった。
「え? ど、どうして私は警戒されているのかな?」
低く唸る黒猫に十香は困惑する。だが猫は警戒心の強い動物、当たり前の反応かもしれない。
しかし、生まれてこの方、生き物には好かれる十香は初めての経験で少なからずショックを受けた。
めげずに十香は右手を黒猫に近づけていく。今まで以上に唸り、身体を低くし、いつでも飛びかかれる姿勢をとりはじめる。
「大丈夫。私はあなたに危害を加えたりしない」
目を見てそう告げる。場合によっては猫と目をあわせるのは逆効果になるのだが、十香の暖かい眼差しには黒猫も勝てなかったようで、姿勢を戻し、唸りを潜める。が、警戒心が完全に溶けたわけではないようだ。
「ほらほら〜、怖くないよ〜」
手が首元を撫でる。ふわふわした猫の毛が手に伝わってくる。その触り心地よさに、十香は夢中で撫で始めてしまった。首元、顎、鼻の上、頭、背中、お腹。どこも上質な毛並みに気づけば抱き上げていた。
「ニャッ!?」
黒猫が驚きの鳴き声をあげる。十香の腕から逃れるようジタバタと爪を立ててもがき始めた。
「あ、ごめんね? 急に抱っこしちゃって……嫌だったよね」
「……ニャー」
どこかホッとした様子の黒猫。解放されることに安心したのだろう。
だがーーーー
「……でも本当にごめんね。撫でる手が止まらないの」
「ニャニャーーッッ!?」
手が、指が一本一本まるで意識があるようにヌルヌルと動き黒猫を撫で回していく。初めは嫌だと足掻いていた猫だったが、ツボを上手い具合に刺激され、今では逃げる素振りすら見せず、完全に堕ちていた。
「……ニ、ニャァ〜〜」
ビクッと震え、甘い声でなく猫。そのテクニックは最早疑いようもない。あの手の、指の動きは十香の身体を撫で回すジブリールのそれと同じだ。
「…………ハッ! ご、ごめんなさい!」
十香は、腕の中でぐったりしている黒猫を見るや否や慌てて撫でる手を退ける。伸びている猫を見てやり過ぎたと反省した十香だが、とても気持ちよさそうなの姿を見て、安堵した。
十香はこれ以上はダメだと、黒猫を離そうとしたのだが今度は逆に猫の方が離れなくなった。十香の腕にしがみ付き、絶対にはなれまいと鳴く。
「え、え? 急にどうしたの!?」
戸惑う十香に黒猫はチャンスと見たのか、腕を駆け上り、肩にちょこんと陣取った。そして髪の毛を掻き分けて首元まで顔を近づけると、チロっと十香の首筋を何度も舐め始めた。
「ひぁぁあっ! どこ舐めてるの〜」
ゾクゾクとなんとも言えぬ感触が十香を襲う。そのせいでみっともなく悲鳴を上げてしまった。その隙に黒猫が十香の肩から飛び降り、こちらを一瞥した後、素早く走って逃げていった。
「……ビックリしたぁ……」
ヘナヘナと地面に座り込む十香は舐められた首筋を抑えながらそう呟いた。
「…………早く買い物に行かなきゃ」
まだ顔が熱い。だがずっと地面に座り込んでいるわけには行かない。十香は立ち上がると汚れた服を払ってから歩々を進めた。
「ありがとうございました!」
店員の元気な挨拶を背に受けながら、十香はスーパーの扉を潜った。今日は悩んだ末、肉じゃがを夕食に決定し、両手にはジャガイモやニンジンなどの食材が入った袋を持っている。
「ふふふ、これでお母さんに美味しいご飯を作って上げられる」
語尾に音符が付いていると思うほど上機嫌な十香。先ほどの慌てようから一転して、鼻歌でも歌う勢いだ。しかし、外ではしゃぐ真似はせず、夕焼けが差す中、帰り道をゆっくりと歩く。その際、風が吹き抜け髪がなびく。十香は荷物を片手で持ち、風で揺られる髪の毛を抑えて整える。
ただ髪を整えただけ。髪が乱れれば誰だってする仕草だ。しかし、それを十香が行うだけで全く別のものに見える。ただの道端であろうと、一枚で軽く数億は売れるであろう絵画のように生まれ変わる。
画家ならば絶対に描きたいであろう一枚。十香の華麗な姿は、見る人を釘付けにさせた。
「必要なものは全部買ったし、そろそろ帰ろうかな?」
あまり遅いとジブリールに心配をかけてしまう。そうなると色々と面倒なため、十香は歩々の速度を速め駒王町にある教会に急いでいった。
☆☆☆☆☆
教会はこの町の外れにある。意外に距離があり、その道中は家が並んでいて、お店や飲食店などは見当たらない。更に今は夕方。誰一人として見当たらない静かな通り道になっていた。そこで、教会へ向かう途中、公園の前を横切る。と同時に視界の端に二人の人影を見た。
公園に人がいるのは当たり前だ。だから人影があろうといつもは気にせず通り過ぎるのだが、今回はそういうわけには行かなかった。
「あの人影……それにあの綺麗な金色の髪は……」
見覚えのある人影に、十香の足は自然と公園に向かっていた。
近づいていくと、小さな男の子とどこかの制服を着た金髪の少女が話をしていた。
「男の子ならこのくらいで泣いてはダメですよ。ーーはい、傷は治りました。もう大丈夫」
「ありがとう! お姉ちゃん!」
どうやら怪我をした少年の手当てをしていたようだ。少年は感謝の言葉を述べると、元気よく走り去っていった。見えなくなるまで手を振って見送っていた少女に十香は声をかけた。
「…………もしかしてアーシア・アルジェント?」
「え?」
急に名前を呼ばれて驚いたのか、金髪の少女は身体ごと十香に向けた。正面から向かい合う。彼女の顔を見た十香はやはりと、自分の予想が当たっていたと安心する。逆に彼女の方は十香を見ると、綺麗なグリーン色の双眸が大きく見開かれた。それはもう絶対に会えないと思っていた友人と再会したときのよう。
彼女……アーシア・アルジェントの瞳が揺れ、唇が震えだす。
「も、もしかして……」
瞳に涙をため、両手を口元に当てて驚くアーシアの言葉は震えていた。十香はアーシアが話すまで待つ。
するとアーシアは声を詰まらせながらも話し始めた。
「な、七星……十香、さん……?」
「…………うん」
ゆっくりと、しかしはっきりと肯定するように頷く。
歓喜の表情を見せるアーシア。だがすぐに疑問の表情となり十香に尋ねた。
「……ッ! 本当に……でも、どうしてここに……」
十香は両手に持つ袋を軽く持ち上げて言う。
「買い物の帰り。今日買っておかないといけなかったから」
「でも十香さんは天界に……」
「たまに地上を歩きたくなるのよ……」
お互いに沈黙が続く。
別段、彼女、アーシア・アルジェントと仲が悪いわけではない。むしろ逆。昔、まだアーシアが教会で聖女として多くの人々を癒していた頃。数日間、教会で暮らしていた十香はよくアーシアと遊んでいた。
期間は短かったが、本当の姉妹のように数日時間を共にした、十香にとってとても大切な人。
だが、今では聖女と呼ばれていた彼女が『魔女』と軽蔑され、教会から追放され、悪魔に転生までしてしまった。
彼女の雰囲気から悪魔の気配が強く感じ取れる。
しかし、十香はアーシアが悪魔になってしまった原因をよく知っている。それ故に、数年ぶりの親友を前にしてもうまく会話が続かないのだ。
もしかすると、彼女はあの時何もできなかった自分を恨んでいるかもしれない。そう思うと気軽に声をかけられるわけがなかった。
話しかけることも、この場から立ち去ることもできず、二人の間に痛いほど長い沈黙が訪れる。
だが、それは目の前の少女が勇気を持って話しかけてきたことで終わる。
「あ、あのっ、私……」
俯いてしまうアーシア。
しかし、彼女は勇気を出して十香の瞳を、その綺麗なグリーン色の眼でまっすぐに射抜く。
十香は、こんなに強い眼ができたのかと、一瞬たじろいだ。
「私……十香さんと、もう一度あえて嬉しいです。今は立場上、敵同士ですけど、それでも! 私は十香さんとまた顔を合わせて、お話しすることができて、本当に……あの頃に戻れたみたいで……嬉しいです……っ」
「ッーー!!」
あの頃、とはやはり教会で過ごしたあの数日のことなのだろう。十香もアーシアと同じ気持ちだった。もう二度と会えないとすら思っていたのに、偶然とは言え再開することができたのだ。今は亡き神の導きなのかもしれない。十香はそう思った。
「こうして会えたのも主のお導きーーあう!」
アーシアも十香と同じ考えだったようだが、主と、祈るように口に出すと頭を抑えて呻いた。
それはアーシアが悪魔である証拠。気配などで感じてはいたが、実際目の前で彼女が悪魔だと認識してしまうと、悲しみで胸が張り裂けそうだった。
「……アーシア、ごめんなさい。私が貴女を助けられなかったから……悪魔に…………」
「いいえ、十香さんのせいではありません。全て、私が悪いんです」
そんなはずない! そう叫びたかったが、アーシアの頬を伝う一雫の涙を見て、十香は喉を詰まらせ、うまく言葉が出せなかった。
「十香さんは何も悪くありません。私を追放した教会も恨んでもいません。そして、あの時、悪魔を癒したことを後悔したこともありません。目の前で傷ついて倒れている人を悪魔だから、堕天使だからっていう理由で放っておくこと、できませんから」
なんて……なんて心の優しい娘なのだろう。
今まで聖女として教会に、天界に、神に身を捧げていたはずなのに途端に魔女と呼ばれて、聖職者から追い出されて恨み一つないなんて……。
十香ですら、アーシアを追放したのが天界の決定だと聞かされた時は恨みや憎しみの感情を抱いたというのに。
彼女は悪魔になろうが優しいまま。十香は彼女こそが聖女だと、心の底から思った。
アーシアは語る。
悪魔になってから素敵な人との出会いがあったと。親のいなかった自分に、両親ができたと。
それはもう嬉しそうに話すアーシアを、十香は笑顔で聞く。
本当は今すぐ抱きしめて、またあの頃のように話したかった。だが、幾らアーシアが自分に罪はないと言ってくれても、親友と呼べるアーシアを追放させてしまった、という罪悪感は簡単には消えない。
その故に、十香はあと一歩が踏み出せない。
(私には、アーシアを抱きしめる資格なんてない。それ以前に、私は半分とは言え天使。アーシアを抱きしめれば私の無意識のうちに流れている光力が彼女を苦しめてしまう。だからーー)
十香は二度と、アーシアをこの腕で抱きしめることができない……。
それを思うだけで涙が出そうだ。しかし、十香が泣くわけにはいかない。それ以上に辛い思いをしてきた彼女が、今を精一杯生きているのだから。
(これは私の罪の証。アーシアという存在が私の、強いては天界の罪)
涙を拭って、楽しそうに今を話すアーシア。彼女の幸せをもう壊させないよう、十香は見守ることを決意した。
と、そこでアーシアの名前を叫びながら血相を変えた一人の男性が駆けつけてきた。
「アーシア大丈夫か!? さっき泣いてただろ!? ごめんな、俺が少し離れたばっかりに! おい! よくも家のアーシアを泣かして……くれた…………な…………」
アーシアを背後に隠し、叫んだ男性の言葉がどんとん小さくなり、最後の方にいたっては全く聞き取れなかった。
見れば、その男性には見覚えがあった。
「赤龍帝……兵藤一誠…………」
そう呟くと兵藤一誠の顔つきが変わり、瞬時に神滅器の赤龍帝の籠手を出現させる。
「き、教会側のあんたが何でこんなところにいる!」
「イッセーさん!?」
声が硬い。それも当然だ。兵藤一誠は知っている。七星十香の実力を。自分では到底勝てないとわかっていても、彼はアーシアを守るように立っていた。
「あんたもアーシアが魔女だから殺すとか、そんな巫山戯たことを抜かす連中の一人か! かってに聖女だとか祭り上げておいて、悪魔も癒せると知った瞬間に捨てた、魔女だとか抜かしてアーシアを追放させたあの連中たちの……!」
彼がここまで過剰に反応するのはゼノヴィアやイリナの例があったからだ。その上、十香のあの神聖さを直視して、十香が悪を絶対に許さない人間だと思い込んでしまっている。故に兵藤一誠はアーシアを守るため、怖くても前に立つ。
「いいえ、そんなこと……」
アーシアの追放を見逃していたという点では彼の言っていることが当たっているため十香は狼狽し、どう答えたらいいのかわからなくなる。
「もうアーシアは教会の人間じゃない! あんたもアーシアを見捨てた一人なら、これ以上アーシアに関わらないでくれ!」
「ーーーーッッ!!!!」
『アーシアを見捨てた』。
十香はハンマーで頭を殴られる思いだった。やはり、事実を他人から突きつけられると心にグサリと刺さる。
「……………………」
泣かないよう我慢していたが、ついに耐えきれずポロポロと、十香の瞳から涙が溢れる。何か話そうとしても、漏れる嗚咽のせいでうまく言葉が出ない。
いや、それ以前に心が痛かった。兵藤一誠の言葉が刃物のように鋭く刺さり、ズキズキと痛む。
「イッセーさん! 言い過ぎです!」
「アーシア…………あっ」
兵藤一誠が十香の涙を見て言い過ぎだと反省する。
(違う。アーシアはそんな怒った顔をしてはダメ。笑っていないと。貴女の笑顔は周囲の人たちを幸せにできるのだから)
それを伝えようとするが、やはり上手く言葉が出ない。
唯一、言葉に出せたのが、
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
アーシアに対する謝罪の言葉だけだったーーーー。
☆☆☆☆☆
「ただいまにゃ〜」
「あ、お帰りなさいーーーー黒歌さん!」
黒猫……黒歌は猫の姿から人の姿えと戻る。黒い着物を着崩している。出迎えてくれたのは仲間のルフェイだ。
「黒歌さん? 何かあったんですか?」
「……何でそう思ったにゃ?」
「え、だっていつもより顔が緩んでいますし、何となく機嫌がいいな〜って」
「そ、そんな事ないにゃ!」
「本当ですか? 少し顔が赤いようですし。絶対何かありましたよね?」
何でもないと何度も繰り返して問い詰めから逃れようとする。
(あの指の動きは反則だったにゃ。極上の気持ちよさがあった……。また会いたいにゃ。まぁ、マーキングはしたからいつでも会えるけど!)
黒猫は舌をペロッと出したあと、ニヤリと笑うのだった。
タイトルの聖女のところに元とつかなかったのは、十香にとってアーシアはいつまで聖女だからです。
それと、アーシアはヒロインではなく、どちらかと言うと親友ポジションです。
イッセーはまぁ……うん。アーシアと話を絡ませようとしたら外せなかったから……。