木村夏樹 (13)中学生
夏の終わりに凄いアルバムが発売された。
全く聴いたことのないジャンルの曲がそれぞれ8曲、全部あんまり上手くない英語で歌われてる。
めったに音楽なんか聴かないパパが買ってきて「夏樹、これはすごいぞ」なんて聴かせてくれた。
一回も見たことないようなキラキラした目で「俺もギターかなんか始めてみようかな」って嬉しそうに語るパパと、なんだか急に同世代になったみたいに仲良くCDを聴いた。
パパはI Want Hold Your Handが好きみたいだけど、私はAbra Cadaberがとにかく好きだ。
一緒になって歌いたくなるような曲じゃないけれど、ギターとベースとドラムが絡み合いジェットエンジンになって、キレのあるボーカルを宇宙の彼方までぶっ飛ばしてくれる爽快感がいい。
ネットでは「○○のパクリ」だとか「英語下手すぎ」とか「纏まりなさすぎ」だとか色々言われてるみたいだけど、こんなアルバムを出されて満足できないなら一生文句だけ言って過ごすことになると思うな。
そのアルバム『Not Enough』が売れすぎて社会現象になる頃、パパがトレモロ付きの真っ黒なギターを買ってきた。
ほんとは赤いストラトキャスターかリッケンバッカーが欲しかったらしいけど売ってなかったらしい。
楽器屋ってもともとあんまりエレキギターが置いてないのに、あのCDが出てからは売れ行きが良くてなかなか手に入らないのだそうだ。
「夏樹も触っていいよ」って言ってもらえたのですごく嬉しい、学校から帰ったら毎日練習しようと思う。
高峯のあ (19)大学生
弟が大変なことになってるみたい。
普段から破天荒な祖母について回ったり、料理の腕を見込まれて店を出したりして忙しそうにしている彼だけど。
なにやら今年の夏休みはほとんど家に居着かなかった。
「男の夢を叶える」とか言いながら毎日毎日朝早くに出ていっては夜遅くにクタクタになってタクシーで帰ってきていた。
どうやら弟は音楽のCDを作っていたみたいで、発売日の二日前に「これ、俺のCD」と渡された。
ドンキホーテに売ってるような安いバラエティマスクを被った弟と仲間がふんぞり返っているふざけたジャケットだったわ。
一応中身も聴いたけれど、聞くに堪えない酷い内容だった。
世間では作曲能力を絶賛されているみたいだけれど、とても私の弟が作れるような曲じゃないもの。
どこかから借りてきた曲を楽しそうに歌っている彼を側で見ているだけなら楽しいだろうけれど、このCDの音源は武田蒼一氏の編曲力もあってとても歪なものに思える。
弟も大々的に自分の物として誇る気はないようで、名前を隠して逃げ回っているようだけど。
世間ってのはあなたの意思なんかこれっぽっちも重んじてはくれない勝手なものよ。
自分で作り出した苦労の種だもの、せいぜい苦労するといいわ。
それでも助けてくれって言ってきたらどうしようかしら……
一生私の好きなものを作ってくれるなら、考えなくもないわね。
川島瑞樹 (23)アナウンサー
ここのところ音楽雑誌を買いまくっている。
KTRの記事が載ってるものなら何でも買って、熱に浮かされたように読み込んでいる。
友達にはCDを二十枚買って布教しようとしたけど、みんな買っていたからそんな必要もなかった。
往年の音楽ファンからしても、流行りの曲を聴くだけのライト層からしても今年は特別な年になりそうだ。
世間はまさにKTRショックといった感じで、どこに行ってもあのアルバムの曲が流れているし。
楽器屋ではエレキギターなんてマイナーな楽器が売れに売れて仕方がないらしいし、来月にはギターマガジンっていう日本初のギター専門誌が発売されるそうだ。
そんな影響力絶大なKTRだけど、彼の情報自体はほとんど無いに等しいのがもどかしい。
メディアに全く露出しないばかりか、所属事務所の美城芸能の人間すら正体を知らないという徹底ぶり。
あまりに情報がなさすぎて美城にKTRをテレビに出してくれって嘆願書が毎日キロ単位で届いたり。
28時間テレビで歌わせろって署名活動が何万人もの人間を巻き込んで動いているそうだ。
ああ、一体どんな素敵な人なのかしら。
もし28時間テレビに出るなら、どんな手を使ってでも絶対に会いに行くわ。