第7話を改訂しましたが、大筋は変わっていません。
じわじわとアスファルトの温度が上がり始め、駅から会社まで少し歩く間にも背中に汗が吹き出すようなクソ暑い2012年5月半ばの事だ。
俺はある意味この世界に生まれて最大のカルチャーショックを受けていた。
「本当にモーニング娘○を知らないのか?」
「誰すかそれ」
「まーた社長の脳内世界が漏れだしたよ」
「あみーごは?鈴木○美だぞ?知らないのか?」
「知らねっす」
「あみあみならよく使いますけど」
「なんという事だ……」
ソーシャルゲーム『大覇道』の次の大規模イベントにアイドル投票イベントを提案して皆から怪訝な顔をされた俺は、巨大すぎる存在の不在に打ちのめされていた。
後で調べた事だが、そもそもこの世界にはつ○くが生まれていなかった。
げに恐るべし男女比偏差世界よ。
これまでよく調べなかった俺も悪いが、この世界には俺の知っているアイドルがほとんどいなかった。
キャンディーズが女性アイドルの火付け役というところまでは歴史が一緒なのだが。
その後にホリプロスカウトキャラバン等の人材発掘企画のほとんどが存在しなかったため、80年代の女性アイドル全盛期そのものが存在しない状況だった。
80年代終わりに日高舞というピンクレディーに影響されたタレントが再び『アイドル』を名乗り一躍有名になったが、活動開始から数年で結婚して引退したらしい。
そこから完全に主役を失った女性アイドルという文化はニッチでマニアックなものとなってしまい、今はアングラな文化として存在しているそうだ。
バブル末期で過剰に華やかだった日高舞のステージと比べ今の女性アイドルは独自のアーティスティックな方向に向かっているため、区別する意図と自虐が入り混じり『地下アイドル』と呼ばれているらしい。
そういえば安部菜々さんが地下アイドルがどうとかって言ってたな。
鳴かぬなら鳴かせてみせようではないが、女性アイドルの系譜が途切れてしまったならば新たに作ってしまえばいいだけの話なのだ。
俺は涼しい社長室に毎日篭り、最近毎週のように新譜が発表されているヘヴィメタル音楽を爆音で流し、宅配ピザをコーラで流し込みながら、ゲームとリアルを連動させた一大アイドルオーディション企画をでっち上げた。
その名も『アイドルマスタープロジェクト』俺以外の全社員が声を枯らせて反対した、悪夢の企画が動きだしたのだった。
このプロジェクトは要するに、現実の女性アイドルをゲームに出して、ゲームの中でどの女性アイドルのファンが一番強いのかを決めるというイベントだ。
これを自信満々で会議に提出したところ、非難轟々で吊るし上げられた。
「なんで現実でまで女アイドルを作る必要があるんですか!?ゲームキャラだけでいいじゃないですか!!」
「そもそもなんで男じゃなくて女のアイドルなんですか?女が歌って踊ってるとこなんか別に見たくないんですけど?」
「ていうかそんなイベント作ってる暇も組み込む隙間もないんですよ!あんたが毎月最低2回はイベント打てっていうからこっちは必死でやってんでしょうが!!5本あるから月に10回なんですよ!?わかってますか?」
「まあ待て、みなまで言うな」
俺は手を掲げてヒートアップした開発陣を留めた。
「今日は最後まで聞いてもらいますよ!!大体あんた偉そうな事自信満々で言う割にやることなすこと中途半端で雑なんだよ!!」
留められなかった。
総合プロデューサーから散々に説教された俺は、人がいないなら雇えばいいじゃないかと追加人員の大規模募集をかけた。
これは社内でも歓迎され、更には支払われたボーナスの額面が目くらましになった事もあり、俺は非難轟々のアイドルマスタープロジェクトをゴリ押しで進めることに成功したのだった。
アイドルといえば芸能事務所だろう。
そう思った俺は美城芸能と961プロダクション、そして一応765プロダクションに打診をかけた。
資本的には『美城>>>961>||超えられない壁||>765』だが、アイドルの資質は所属事務所で決まるものではないからな。
担当の社員の胃袋を鷲掴みにしてやりゃ交渉なんざチョロいもんだぜ、なんて考えながら。
ガチ目に仕込んだローストビーフを使ったサンドイッチや、家の近所のコーヒーショップに頼み込んで焙煎させてもらったお高いコナコーヒーを準備していると。
なぜか3社とも社長自らがやってきた。
「フン、ビデオゲーム屋を辞めて喫茶店でも開くのか?」
「いやぁいい匂いだね、どこの豆かな?」
「怖い怖い、先に胃袋を掴んどこうってハラだね。気をつけなくっちゃあな。」
出鼻をくじかれた形になったが、とりあえず先に食事を出してからのアイドルマスタープロジェクトのプレゼンとなった。
「つまり、終わった文化、マニア向けの文化と思われている女性アイドルの復権を狙うと同時に。若い世代に自分の応援するキャラクターと共に成長していく事を経験させ、これを新しい形のエンターテイメントとして定着させるのが目的なのであります。ここまでで何か質問のある方は……」
3人全員が手を上げた。
「では黒井社長からお願い致します」
「現実のアイドルと連動したゲームキャラで代理戦争というのもどうかと思うが。まずなぜ今女性アイドルなのかがわからん、普通に歌手か男性アイドルではいかんのか?」
「私が女とアイドルが好きだからです。では高木社長、お願い致します」
「現実のアイドルをゲームに連動させる意味はあるのかな?」
「全く興味のない事でも、ゲームに組み込まれると興味が湧くという層が少なからずいるためです。では美城社長、お願い致します」
「それは本末転倒じゃないのかい、君はゲーム会社の社長だろう?君の言い方だとこれはゲームの販促のための企画じゃなくて、ゲームで釣って君の趣味の女性アイドルに目を向けさせる企画に思えるんだけど?」
「多少の公私混同は認めます。では次に、黒井社長、お願い致します」
「はっきり言って成功するとはとても思えないのだが、何か勝算があるのかね?」
「ここに、去年人気が爆発したKTRという歌手の作曲したアイドルソングがあります。イベントで使用する予定のものが数曲、優勝者に歌ってもらう予定のものが1曲」
俺がCD-Rを持ち出すと、部屋の中の空気がザワっと揺らいだ。
俺が記憶の中から引っ張り出してパクってきた異世界の天才の曲、しかるべき編曲をすれば大当たり間違い無しのプラチナチケットだ。
「ということは、優勝者の所属事務所が優勝者用の曲をソロで発売ということでいいんだな?」
黒井社長の目が怖い、前のCDの事は相当腹に据えかねてたんだろうな。
「この事は公表し、広く応募を募るつもりでもあります。1ヶ月後に、ゲームキャラのモデルとなるアイドルのオーディションを行います」
6個の目がギラリと輝いたが、プロジェクトは転がり始めなかった。
「全然応募来ませんねぇ」
アイドルマスタープロジェクトのスタッフ、新入社員の千川ちひろさんがぼやいた。
彼女はこの間の人員募集に自作のアプリを引っさげていち早く応募してきたのだった、俺がゲーム会社を買ったのを知ってから少しづつ勉強していたらしい。
来年の4月までは学生なので契約的にはアルバイト社員だが、仕事内容はほとんど社長秘書みたいなものだ。
そして先ほどもちひろさんがぼやいていたように、アイドルマスタープロジェクトには今現在ほとんどエントリーがなかった。
歌手の中から30代、40代の応募はちらほらあったが、さすがに今回の企画では選考落ちとさせてもらった。
20代の地下アイドルも何人か応募してきたが、首から上が著しいポテンシャル不足の人や、リストバンドを外せない人、20年目の21歳の人など、こちらもパンチがありすぎて起用は不可能だった。
一応事前に打診した3つの事務所からは各2人づつアイドル候補生が参加決定していたが、せめて10人は欲しいと考えて期限ギリギリまで応募を待っているのだ。
総合パフォーマンストレーナーの4姉妹や衣装担当の企業さんからもせっつかれていて、先に決まった6人もすでに合同レッスンを始めている状態だった。
気だるい空気の室内に、ポコッという電子音が響いた。
メールだ。
「あっ、応募きました……けど、この人って……」
ちひろさんが添付のJPGファイルを開くと、画面一杯にドヤ顔でダブルピースを決めた飯屋きらりの安部菜々さんが写っていた。
なんともいえない空気が漂う室内に、もう一度ポコッという着信音が鳴った。
「あっ!もう一件……でも、これはぁ……」
ちひろさんが画面と俺の顔を交互に見ながら添付のJPGファイルを開くと、そこにはフリル満載のピンク衣装を着た超笑顔の川島瑞希アナウンサー(24)が写っていた。
「じゃあまず、年齢を教えてくれるかな?」
「ナナは17歳です」
「17歳?まだ学生なんだじゃあ」
「店員です」
「店員ですじゃねぇだろあんた、大体今年25歳だろ何が17歳だよ」
明らかに着慣れていないリクルートスーツを着た安部菜々さんは頭にコツンと自分の拳を当て、片目を閉じて小さく舌を出した。
ほとんどすっぴんに見える顔にも、ちらりと覗くうなじにも小さなシミ1つ見当たらない。
ポテンシャルは高いのだ、ポテンシャルは。
「あたしも25歳よ」
安部さんの隣に座るコンサバ系の装いをした川島瑞希さんが、不満げに唇を尖らせながら言った。
ジャケットを着ていないとこの人の腰の位置の高さがよくわかる。
隣の安部さんよりも10cm以上背が高いのに座高があまり変わらない、物凄くスタイルがいいのだ。
「瑞樹さんは年齢より、お仕事はどうされたんですか?」
「今年からフリーになったの、せっかくだから新しい事にチャレンジしてみようと思って」
「なるほど、それでご応募頂いたという事ですね。採用です」
川島さんなら文句なしだ。
「オーナー、あたしはどうですか?」
「採用」
「なんか素っ気なくないですか!?」
そんなことはない。
2人にはさっそく翌日のレッスンからプロジェクトに合流してもらう事になった。
「どうしてもあと2人欲しいんだよな……」
俺は応募の届かないメールボックスを見つめながら独りごちた。
アイドルマスタープロジェクトの全員でお披露目をした後は、10人のアイドルから5人ユニットを2つ作り紅白戦を行うつもりでいるのだ。
それでまずは5人に絞り、そこからまたイベントを行い1人に絞る。
これで1つのイベントを2回に分けて楽しめる。
3回ではくどすぎて、1回きりでは見送るファンもいるかもしれない。
ベストなのは2回だと、俺のゴーストが囁いていた。
不敵な笑みを浮かべる俺に、千川さんが声をかけた。
「社長、アイドル候補の女の子達が到着しましたよ」
「えっ?聞いてないけど」
「私が選んで呼んでおきました、日程的にこれ以上待てませんから」
たしかに日程的にはギリギリで、俺以外のスタッフは完全に8人で進める気になっていた。
「履歴書は見てないけど、どこの事務所の子?」
「フリーです、社長もよく知ってる方ですよ。入ってきてくださ〜い」
千川さんが間延びした声で言うと、社長室の扉を開けて2人の女性が入ってきた。
1人目は暗い茶髪のショートボブを内巻きにした女性で、挑発的な目は青と緑のオッドアイ、目元の泣きぼくろがセクシーだ。
見たことある。
今朝会社まで車で送ってもらった。
というかうちの嫁さんの高垣楓嬢だ。
2人目は癖の無い前髪を七三分けにした少女で、名門女学院の制服に収められた健康的な身体がえも言われぬ色気を発している。
見たことある。
昨日一緒に風呂入った。
というかうちの嫁さんの新田美波嬢だ。
「えぇ……マジで?」
千川さんは大マジです、と言いながら頷く。
たしかにヴィジュアル的にもポテンシャル的にもこれ以上ない人選だが、さすがに自分の嫁さんがアイドルになるというのは……
「ていうか既婚者なんだけど?」
「なにか問題でも?他にも3人既婚者がいますよ」
どうやらここにもカルチャーギャップがあるらしかった。
「2人はそれでいいの?」
「勘君困ってるって聞いたから、私なんかにアイドルが務まるかわからないけど……」
胸の前で小さな手を組み伏し目がちに言う美波だが、彼女ならば十分すぎるほど務まるだろう。
俺の前世にAK○なんかにこんな子がいたら好みすぎて遠征破産していたかもしれない。
「楓は?」
「これって、あなたが就職を世話してくれるという事ですよね?」
右目をパチンと閉じながら言う楓だが、そういえば酒が入った時に「就活したくない……」とぼやいていた。
彼女はいい大学に行っているし能力はあるが、酒を飲んで必修の授業はサボるし定期考査の日程を忘れていて単位を落とすしではっきり言って生活無能力者の類だ。
勤め人には正直向かないだろう、スケジュールを他人に管理されるような仕事の方が彼女にとってもいいのかもしれない。
もちろん、あくまで彼女が望むならだが。
別に俺は嫁さん2人が専業主婦でもなんとでもなるしな。
2人がいいのならともう一度確認を取り契約を済ませ、早速当日からレッスンに参加してもらうことになった。
翌日、ようやくプロジェクトが本格始動ということでスタッフ全員の顔合わせを行った。
一応、栄光あるアイドルマスタープロジェクトの面子を紹介しておこうか。
765プロダクションからは京都出身のクールなアイドル塩見周子(15)とピンクのジャージがキュートな佐久間まゆ(13)。
961プロダクションからはアメリカで飛び級したと噂の一ノ瀬志希(15)と14歳とは思えぬ色香で唇が艶めかしい速水奏(14)。
美城プロダクションからはハーフの金髪宮本フレデリカ(16)と髪の毛ピンクのヤンキー城ヶ崎美嘉(14)。
そしてフリーの川島瑞希(25)、安部菜々(25)、高垣楓(21)、新田美波(15)。
ちなみに塩見周子と一ノ瀬志希と宮本フレデリカは既婚者らしい、10人中5人も既婚者なんですねぇ……これもうわかんねぇな。
会議室にはそんなアイドル10人とそのプロデューサー、そして開発陣とトレーナー4姉妹が寿司詰めになっている。
「お待たせしてしまいましたが、その甲斐あってプロジェクトに一人も欠かすことのできないベストメンバーが揃いました。皆さん、この度は本当に参加していただいてありがとうございます」
俺が頭を下げると、スタッフと10人のアイドル達からは気のない拍手が起こり。
961のプロデューサーからは苦笑い。
765のプロデューサーからは素直な拍手。
そして美城から派遣されてきた盟友の武内君からは大きな舌打ちと「待たせたってレベルじゃねぇぞ……」という小声の抗議が届いた。
美城から来たアイドル2人は普段礼儀正しい武内Pの豹変を見てドン引きしている様子だった。
千川さんによるプロジェクトの概要の再説明があった後、アイドルのチーム分けの発表になった。
「まずはこの10人で1つのチームを作って1曲、そして次に5人で2チームを作り1曲づつ、最後に残った5人でそれぞれ同じ曲を1曲歌い、最後に残った1人がラスト1曲を歌って頂きます」
「つまり、皆様にはイベント終了までに都合4曲分を練習していただく事になります。8月初めにイベントが始まりますので余裕のないスケジュールになりますがご容赦ください」
有能総合プロデューサーと有能新入社員の千川さんに説明を任せ、俺はコーヒーや紅茶を入れたりお茶請けに朝から焼いたパウンドケーキを出したりしていた。
社員達は仕事で信用を掴み、俺は飯で胃袋を掴む、それがうちの会社のやり方だ。
事実俺が胃袋を掴んだ相手とはビジネスでも上手くいくことが多いらしい、総合プロデューサーが「もう社長は邪魔しないで料理だけしててください」なんて言うぐらいだしな。
「まず1つ目の5人組ユニット『Lipps』ですが、メンバーは一ノ瀬志希さん、城ヶ崎美嘉さん、速水奏さん、宮本フレデリカさん、塩見周子さんです。こちらはクールなヴィジュアルを活かした衣装と楽曲を用意しました」
Lippsは別名ヴィジュアルモンスターだ、顔が良くてクールなメンツを集めた……というよりは最初6人しかいなかったからとりあえずその中から5人決めた。
「次に2つ目の5人組ユニット『ゴールデン・サークル』ですが、メンバーは佐久間まゆさん、川島瑞樹さん、安部菜々さん、高垣楓さん、新田美波さんです。こちらはゴージャスでバラエティ豊かな衣装と楽曲を用意しました」
ゴールデンサークルは特に言うことがない、残りのメンバーの寄せ集めだ。
ポテンシャルは高いのだ、ポテンシャルは。
一応メンバーには事前に話は通してあったので特に質問も出ず会議は進み、いよいよ歌う楽曲の試聴の時間となった。
仮歌は超絶歌が上手いスタジオミュージシャンの木場女史に吹き込んでもらったが。
基本的にはアイドルソング、誰にでも歌える曲だ。
会議室のオーディオから全員で歌う予定の曲が流れ始めると765プロと961プロのプロデューサーは怪訝な顔をし、流れ終わる頃には部屋全体が困惑したムードになっていた。
「本当にこの曲を歌うの?……ですか?」
こわごわと手を上げたピンクの小悪魔城ヶ崎美嘉がそう言ったのを皮切りに、部屋の中がザワザワとした雑談の声で満たされる。
みんな困惑しきった顔だ。
「10人で歌う曲はこの2曲でいきます、僕を信じてください」
真剣な顔で言う俺を遮って、総合プロデューサーが「お手持ちの資料にも記載がありますように。この曲は一応KTR氏作曲、武田蒼一氏編曲ですので、ネームバリューだけでもかなりのセールスは見込めます」と説明を始め、なんだかんだと煙に巻きながら残りの曲の視聴も終わらせて皆を帰してしまった。
うーん、有能。
そこからはプロジェクトの女の子達はひたすらレッスンレッスンレッスンの日々だ。
俺は正月から開発を続けてきた青汁の最終調整をしながら、時々女の子達に差し入れを持っていったりしていた。
「社長さんって何者なんですか?」
そんなある日、スタジオへと差し入れにグルテンフリーの鳥ハムサンドイッチを持っていった俺は佐久間まゆに引き止められた。
「ゴールデン・サークルの他のメンバーは社長さんが集めてきたって聞いてるんですけど。皆さん元々素人やアマチュアなのに事務所に入ってる子よりよっぽど歌もダンスも上手いじゃないですか」
「別に俺が集めてきたわけじゃないよ」
勝手に集まってきたのと身内とで半々だ。
「でも社長さんのお知り合いだったんじゃないですか?みんな実は社長さんはどこかに芸能事務所持ってるんじゃないかって噂してましたよ」
「俺は元々飯屋やってたからさ、そこ関係で知り合いが多いんだよ」
「へぇ、レストランですかぁ〜、どんな店なんですか?」
佐久間さんは夢見がちな顔でオシャレな隠れ家的レストランを想像してるようだが、俺がやってるのは小汚い飯屋だからな。
和久井女史が店長になってからはちょっと装いがガーリィになったり椅子がパイプ椅子からスツールになったりと若干小汚さは薄れているらしいが、それでも拭いきれない漢臭がある店だ。
「ま、まぁカレーとかが名物になってるかな……」
「へぇ〜、こだわりのカレーなんですねぇ」
多分佐久間さんが想像してるのは小さなツボとかにカレーが入ってて、パンと五穀米が選べるようなやつだ。
もしくは皿にソースで絵が描いてあるようなやつ。
「カフェタイムとかはないんですかぁ?私一度行ってみたいです」
「お客さんが多いからドリンクは水か金麦だけかな、あんまり若い女性は来ないし……」
ちなみに金麦は店の外の自販機で売ってるやつだ。
「流行ってるお店なんですねぇ」
イマイチわかってなかったっぽいが、まぁ社交辞令だし実際に来ることはないだろう。
……と思っていたら、次の週ぐらいに佐久間さんがピンクのジャージの下に限定品の飯屋きらりTシャツを着ているのを発見した。
恐らく楓か美波に貰ったんだろうが、少なくとも店には行ったに違いない。
いつも甘い感じのピンクでフリフリな私服の佐久間さんがオッサンの聖地と化した飯屋きらりでカレーをかっこんでいるのは想像もつかないが……
Lippsの方のは少々近寄りがたいというか、美人に慣れた俺でも話しかけるのに躊躇してしまう雰囲気がある。
人妻も3人いるからな、不用意な発言をしてしまったら大変だ。
そんな中でも14歳の城ヶ崎美嘉だけは元気一杯で話しかけてくる。
「しゃちょー!ダイクエの次のアプデっていつなの?」
ダイクエとはうちで開発してる『大覇道クエスト』の略だ、正統派ファンタジーRPGの世界を主人公率いる冒険団が西へ東へ大活躍するゲームのことだ。
「毎月第一土曜と第三土曜だけど」
「そっちじゃなくてちょこちょこやってる小さいアプデの方!2章ボスのネクロマンサーの属性バグあったっしょ?あれの詫び石が来たら次のガチャ分が貯まるんだよね☆」
「ボスはすぐ修正されるから明日までには来るんじゃない?」
「えーっ、社長なのに詳しい時間わかんないの?」
「社長なんかそんなもんだよ」
「ぶーぶー」
城ヶ崎さんは不満気に去っていった。
彼女こそがまさにLippsの肝心要の潤滑油になっている……とトレーナーさんが言っていた。
なんかLippsの面子ってあんまり人の話とか聞かなさそうだしな。
無邪気で元気な城ヶ崎さんが会う人みんなに話しかけまくる事によってプロジェクト全体の雰囲気も良くなっている……らしい。
美波も「いい子だよ〜」と言っていた。
俺には雰囲気どうこうは正直全くわからん、みんな普通に仲良さそうに見えるが色々あるらしい、女の人間関係は複雑怪奇だ。
気の早い蝉時雨の中を社員達が半袖で出勤するようになった6月。
ようやく麻薬じみたヤバい青汁ことヤバ汁が完成した。
諸事情あって真夏まで発売を見送るが、すでに来年以降の農家との契約や今年発売する分の素材の加工は始まっている。
元々青汁を作っていた工場をそのまま買収したんだと凄腕エージェントが自慢げに言っていた。
ちなみに成分調整前のヤバ汁を飲ませ続けた件の爺さん、酒を飲まないどころか野菜にどハマりして家の庭に畑を作り始めたらしい、うちの婆さんに褒められた。
そんな婆さんだが「歌うまいんだからちょっと指導に来てくれよ」と軽く頼んでみたら早速次の日来てくれて。
みんなにさんざっぱら駄目出しした後に「うちの嫁っ子(楓)が一番上手いんじゃないかい?」と不和の種をぶちまけて帰っていった。
俺はヒヤヒヤしてたんだが、今はしわくちゃの婆とはいえ元大スター歌手の指導に皆それなりに感激したり感化されたりしたらしい、次の日からの稽古の熱がまるで違った。
10人できっちり歌いながらステップを踏めるように朝から晩までトレーナーに怒鳴られながら練習したり、声量の小さい佐久間さんを皆で鍛えたり。
それまで微妙に壁があったらしい5人と5人の間に共通の目標ができて、思いっきりガンガン本音でぶつかれるようになった感じだ。
チョモランマを見た大学生のように、グラミー賞歌手のうちの婆さんという巨大な存在を意識する事によって自分個人の小ささがわかったんだとか。
そうやって毎日顔つき合してのたうち回っているうちにそれなりに友情も芽生えたらしい。
美波の実家でホームパーティーも開いたりした。
もちろん料理は俺だ。
そうして熱すぎた初夏は過ぎ7月の末、アイドルマスターチームは富士山ロックフェスティバルのステージ裏で円陣を組んでいた。
「今日まで積んできたもの、全部出すわよ」
Lippsのリーダー速水奏。
「ようやく本番なんだね〜」
一度見聞きした事は忘れない一ノ瀬志希。
「フレちゃんもう汗かいちゃった」
マイペースな宮本フレデリカ。
「楽しもうね☆」
とにかく元気な城ヶ崎美嘉。
「京都はもっと暑いよ〜」
クールだが熱い塩見周子。
「お客さんみんな私の虜にしちゃうわよ〜!」
ゴールデン・サークルのリーダー川島瑞樹。
「大丈夫、大丈夫」
最年少ながら一番の伸びを見せた佐久間まゆ。
「うう、緊張で胃が……」
辛い練習中でも楽しそうな安部菜々。
「みんな、頑張ろうね」
ノースリーブの腋がエロい新田美波(人妻)。
「終わったら、ウヰスキーをスキーなだけ飲みましょうね」
無邪気な割にケツがエロい高垣楓(人妻)。
「尊い……」
そして俺の横でもうすでにボロ泣きしてる総合プロデューサーだ。
こいつは最初はプロジェクト自体にずーっと反対してたのに、途中からはどハマりして毎日スタジオに差し入れ持って行ってたからな。
娘さんがアイドル達と同じ年頃だからか変に感情移入してる奴の一人だ。
社内にはこいつみたいな奴が何人かいて、中には後でコンテンツにするって言って初日の顔合わせからずーっとハンディカムで撮影してる女もいる。
俺も最初から見てるから感動せんでもないが、さすがに横でタオルに顔を埋めてる総合プロデューサーがキモすぎて若干冷めている。
イケメン社員による会場への企画説明とゲームの宣伝が終わった所で、アイドルマスターチームがステージに出る。
静かな出だしのイントロが流れるが、ほとんどの客はスマホを弄ったり他のステージに行く相談をしていたりしてステージの方を見ていない。
そこに爆音で軽薄で鋭いシンセサイザーサウンドが鳴り響いた。
1曲目の『L○VEマシーン』だ。
アイドルたちが軽快なステップと共に入れ代わり立ち代わりステージの前に出てきて、ワンフレーズ歌っては戻っていく。
ともすればスカスカにも思えるほどシンプルな曲を、ダンスが、流し目が、白く揺らめく指先が、輝く笑顔が埋めていく。
他のステージに向かおうとしていたお客さん達もどんどんステージの方に来てくれて、歌に乗って踊りまくっている。
曲の最後にアドリブで宮本フレデリカが小さく「L○VEマシーン……」とタイトルを言ったところで、会場には空が割れんばかりの歓声が響いた。
メンバー達がそれぞれ投げキッスをしたり手を振ったりしながら舞台袖に帰って来て、俺や総合プロデューサーやスタッフたちにハイタッチをして通り過ぎていく。
Lippsは水分補給をしてそのままステージへとんぼ返り。
汗を拭うのもそこそこに、5人のための曲『Tulip』を歌いはじめた。
この曲とゴールデン・サークルが歌う事になる『Love∞Destiny』は俺が前世から持ってきた曲じゃない、この世界の才人が作った、真のこの世界の女性アイドルソングだ。
俺が本当に聴きたかったものだ。
俺は泣きじゃくる総合プロデューサーの隣でこの2曲を聴きながら、この夏1番の感動を感じていた。
富士山ロックフェスティバルの直後に各種動画配信サイトに各曲のショートバージョンのMVが配信され。
音ゲーの『大覇道スクランブルオーケストラ』内でも楽曲が配信され。
そして他4つの大覇道においても『Lipps』か『ゴールデン・サークル』どちらかの5人組ユニットと協力して攻略を行う限定イベントが配信された。
このイベントの成績、そしてどちらのユニットを選んだかによって勝負がつくというわけだ。
配信サイトのMVのコメント欄では。
『KTRとは作風が違いすぎるから絶対に名義貸し』派と『俺はKTRを信じるよ』派が仁義なき戦いを繰り広げていて、それがネットニュースに取り上げられていい宣伝になった。
同日に発売されたシングルもなんだかんだ売れてるらしい。
ゲーム内でのイベント期間は1週間、どっちが勝っても恨みっこなしだ。
アイドルマスタープロジェクトのスタッフ達は気が早いことに、もう1週間後の結果発表のネット生放送の準備をしている。
そうだ、どんな祭りでも終わりが来る。
だから人は短い祭りを力一杯楽しめるのだ。
しかし、今回ばかりはこの祭りの終わりを見ずにいたい……そんな気分だ。
窓の外には陽炎が揺れていた。
あみあみ = ホビー通販サイト
ゴールデン・サークル = ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン から
木場女史 = 木場真奈美、原作では元スタジオボーカリストアイドル