印税いっぱいもらった主人公がコンテナ船買って東日本大震災で俺TUEEEするオナニー話なんで読まなくてもいいです
印税の話で俺は美城の社長のオッサンに呼び出された。
無骨な不夜城といった風情の通称美城タワーの最上階の社長室ではなにやら汗をダラダラ流している武内君と、困ったような顔をしたおっさんが待っていた。
「君のギャラなんだけどさ、ちょっともうしばらく計算かかりそうなんなんだよね」
「とりあえず今まで売れた分だけでもいいんだけど」
「いや、CDなら別に問題ないんだけどさ」
「…………?」
「君は、契約書を書く時に『yaotubeにクロスフェードデモとI Want To Hold Your Handを丸々一曲上げて広告収入であぶく銭を儲けさせろ!』『全ての音楽配信サービスに登録しまくってくれ』と言ったな?」
「言いましたね」
「yaotubeの再生回数が20億回を超えていてね、これの決済がどうなるかわからんので支払いを待ってくれないか?」
「は?」
「クロスフェードデモの方が20億回再生されているのだよ、昨日は18億だったそうだ」
「はっ!?」
武内君は一言も話さないと思ったら白目を剥いて失禁していた。
後で聞いた話では、この時点で胃に大きな穴が開いていたらしい。
「君……はっきり言うよ。こと君の音楽の才能を鑑みると、君の料理の才能は音楽界に対する大きな損失となるかもしれない。いいかい、音楽1本で行くんだ、君は絶対にこっちの世界しかない!」
普段は飄々としている美城のオッサンのわめき声が遠くに聞こえた。
3人とも混乱していた。
この時事態を正確に掴めていたのは、国税局だけだったそうだ。
よくよく考えてみたら。
ビートルズ
バリー・マン
メタリカ
ニルヴァーナ
ディープ・パープル
マイケル・ジャクソン
AC/DC
パブリックエネミー
ハイヴス
がジャンルごと存在しなかった世界で同時に発掘されたわけだ。
俺にとってのホワイトアルバムで、ネヴァーマインドで、メタルマスターで、ブラックプラネットで、ハイタイムなアルバムが発売されたわけだ。
偽物とはいえ、衝撃は推して知るべしだろう。
海外どころか日本国内にすらCDが行き渡っていない状態なので、俺のCDが各ダウンロード配信サイトで過去最高のダウンロード数を叩き出しているらしい。
正直言って事態がある程度把握できた時点で俺は精神を病みかけた。
俺は『僕はビートルズ』がやりたかったわけじゃなくて、こっちの世界でもギターロックが聴きたかっただけだ。
このギターロックの流行らなかった世界に極上のギターロックをぶち込んで目を覚まさせてやるぜ、とか考えていた過去の自分の首を絞めてやりたかった。
俺はナーバスになって閉じこもる前に、きちんと親父に電話してフェンダー社を始めとしたエレキギターを発売している会社の株を買うように言っておいた。
シンセサイザーの影に隠れてすっかりマイナー楽器だったエレキギターだが、これだけ反響があれば絶対にギターロックをやりたがる奴が増えるから確実に値上がりする。
稼げるお金を逃すのは馬鹿を通り越して害悪だからな。
いろんな手続きを代理人に任せ、俺は家に閉じこもった。
いや、正確にはケータリングときらりと学校にいる時間以外は閉じこもった。
なんだかんだ言われて今月は印税が貰えなかったからだ。
代理人からも事態が収束してから纏めてもらった方が面倒がないと言われたので、俺はケータリングに出向いて目先の金のために料理を続けた。
閉じこもったと言いながら楓の大学についていってこっそり講義を聞いたり、うまくもない学食のラーメンを食べたりした。
美波の弟がギターを弾いてみたいというので、一緒にギターを買いに行って拙いハイウェイスターのギターソロを弾いてドヤ顔したりもした。
兄貴がフットサルの試合に出るというので付いていって、コート脇で電熱たこ焼き器でたこパをやったら選手が全員動けなくなるまで食ってしまい試合を崩壊させて怒られたりもした。
後から考えてみたら家に篭っていたのは2日か3日ほどで、その間も普通に新作のゲームをしていただけだった。
精神を病みそうなショックを受けたところで、多感な中学生の皮をかぶったオッサンの俺はあんまりブレなかったという事だ。
美城の社長と話してから一ヶ月もする頃には決済の済んだ金がガンガン口座に入ってきて、株で大いに儲けたらしい親父からも8桁万円の小遣いをもらった。
すぐに婆ちゃんに借金を返し、俺は自由の身になった、なれた気がした。
だが、俺は通帳に並ぶ11桁の数字に静かに狂わされていた。
12月の雪のちらつく日、俺は一生遊べるほど入ってきた金を使ってある会社を買った。
じっくり時間を使って詰めなくてはいけない部分も、時間がかかるのが当たり前の部分も、とにかく金に物を言わせて短時間でやらせた。
前世での後悔を取り戻せると知って血眼で走り回る俺は、周囲から見れば完全に金に狂ってイカれてたんだと思う。
いつでも俺の味方だった婆ちゃんにも親父にも真剣な顔で説教をされ、姉は泣きながら俺をなじった。
美波と楓は2人で俺と向き合って「何をしようとしてるのかわからないけど、精一杯支える」と言ってくれた、こっちに生まれて初めて涙が出た気がした。
説明する時間も、説得する話術もなかったから、俺はただ行動することしかできなかった。
学校にも10月から一度も行っていない。
美城の事務所から入ってくる仕事の話も「後で聞く」と先延ばしにし続けた。
武内君がストレスで入院したと聞いても時間を作って見舞いに行くことすらできなかった。
そうして、2011年の3月がやってきた。
3月11日。
俺は福島県沖に、タンカー1隻と物資を満載したコンテナ船1隻を待機させていた。
印税で買収したのは船を3隻だけ持っている小さな海運会社だ。
1隻はどうしても間に合わずに海外から帰ってこられなかった。
この会社を手に入れるのと船に満載するだけの物資を手に入れるのにここ数ヶ月かなり走り回った。
「それは無理ですよ」と何回言われたかわからない。
時間が足りなかったから、とにかく他の2倍も3倍も金を積んで何でもやらせた。
この日のために、飯屋きらり唯一の東北出身者の三船さんを料理主任兼副店長にするとかなんとか言って家族と親戚をこっちに呼ばせた。
怪しまれないように一応和久井さんを店長に任命し、彼女の家族も呼ばせて適当に祝賀会的な事をやらせておいた。
俺は挨拶だけして離れたが、今頃どちらの家族も臨時休業にした店で宴会をしているはずだ。
午後三時前、揺れが収まるのを待ってから美城タワーへと向かった。
落ちた物の片付けをしている社員達を横目で見ながら、社長室へと通される。
俺は前世に気仙沼に住む友達がいた。
中学からの仲で、大学まで一緒だった、奴が結婚した時はスピーチもやった。
「お前も早く結婚しろよ」なんて会うたびに言われていた。
そんな友達が住む気仙沼が津波と炎に包まれたってニュースを聞きながら、俺は動かなかった。
仕事があった。
あいつなら大丈夫だと思っていた。
周りにも東北の友人や家族を心配しながら仕事をしている人が沢山いた、みんな動かなかった。
仕事があったからだ。
自分一人行ったところで迷惑になるとも思っていたのかもしれない。
でも本当は皆ただ生活に困りたくなかったんだと思う。
コンビニで五千円寄付した。
後日使い込まれていた事を知った、そんなもんかと思った。
友達が死んだのを聞いた、そんなもんかと思った。
みんな友達や親戚が死んでいた。
そんなもんかと思ったのだ。
俺は同じ人生を2回生きても同じようにすると思っていた。
俺に出来ることなんて何もないと思っていた。
でも心の底ではそう思っていなかったのだろう、俺は転がり込んできた金で熱に浮かされたように動いた。
憔悴し切った様子の美城社長が社長室に入ってきた。
「あのさ、毎日呼び出しておいてほんとに申し訳ないんだけど今日のところは帰って……」
「福島県の沖にタンカーとコンテナ船を浮かべてあるんだ」
「むっ?」
「ロシアに運ぶつもりだった缶詰と水と雑貨と防寒具と、燃料だ」
「何だ?どういう事だ?」
「だから……2000トンの救援物資とタンカー1隻分の燃料の送り主と送り先欄が空いてるってんだよ!」
「…………」
社長はたっぷり10分間考え込んで「君、美船と結婚するか?」と言った。
結局物資は大物政治家3人の連名で3月11日の夜半に岩手の港へと届けられた。
崩壊していない港を探すのに手間取ったためだが、支援物資一番乗りとなった。
コンテナごとにきちんと細かく分別されて届けられた物資は、その後の支援物資の受け入れの基準となり、現場の混乱を大きく減らしたそうだ。
俺が美城社長に「素人からの無分別な支援物資は現場の混乱を招く」と力説しておいたからかもしれない。
後で周りの様々な人から「地震を知っていたのか?」と聞かれたが「東北産の食材が教えてくれた、俺も半信半疑だった」と電波な事を言うのが精一杯だった。
地震前に言っても一笑に付されていただろう、そこが俺の人間性の限界とも言えた。