今回の話は、この作品で、『特にやりたかった部分』その1です。
『桜ちゃん……助けに来たよ』
夢だと、すぐにわかった。
また、いつもの夢だ。
このあと、どうなるのかはわかっている。
辛い夢なのに、もう見たくないと思ったことは無い。それは、もうこの人と出会えるのは、夢の中だけだから。
『大丈夫。もうあいつの手の届かないところへ行くんだから』
色の抜けた髪。半分が引きつり歪んだままになった顔。片方の足を引きずる歩き方。
幽鬼のような醜い姿。けれど、その慈しむ微笑みに、少女は嫌悪を感じたことはない。
そして、自動車に乗せられて夜道を行く。おぞましい悪魔の手から逃れるために。
ああだけど。
『どこに行く気かえ? 雁夜よ』
声が聞こえる。魂をしゃぶり、コリコリと噛んで嬲るような、あの声が。
この時、自分の身は縮こまり、恐怖に固まり、息をすることさえ辛かったのを覚えている。
『……臓硯』
なのにあの人は立ち向かった。勝てないことなどわかっていたはずだ。逃げるなど、不可能事だとわかっていたはずだ。
それでも、あの人は戦った。それは愚かなことだ。それは無意味なことだ。
『怖くないよ、桜ちゃん。あんなクソジジイ、恐いもんか。弱いものいじめしかできない奴だ。自分より強い奴を相手にだって立ち向かう、本当の勇気を持った人たちに比べれば、なんてことない』
あの人の人生に、意味はなく、何も為せずに終わってしまった。
『宝石言葉は、忍耐、努力、そして幸福。強い出会いを呼ぶ、『恋の石』でもあるそうだよ。あいつが、遠坂時臣が、君のお父さんが、桜ちゃんを助けるために、俺にくれた宝石だ。俺が弱いせいで、君を助けることはできなかったけど、君を愛している人はいた。これからもきっといる。それを忘れないで……つらくても、耐えて、そして幸せになるんだ』
父が自分を愛していたと言われて、戸惑った。自分は必要ないから、捨てられたのだと思っていた。自分は何か悪いことをしたから、姉とは違い、家族でなくなってしまったのだと、諦めていた。
けれど、あの人は、そうではなかったと言った。自分は愛されていると、自分は愛してくれる人は、これからも現れると。ああ、そんなこと信じられない。
『君は、独りじゃない』
そんなことは……そんなことは……
『……さあて、最後の勝負だ。臓硯』
戸惑う自分を置いて、あの人は立ち向かう。
数百年を生きた魔物に。人の命と尊厳を、喰らい尽くしてきた魔術師に。
勝負になど、なるはずがない。それでも、あの人は一歩たりとも退かなかった。正面から、臓硯を見据え、その奢りを砕き、余裕を傷つけた。
『今のお前は馬鹿丸出しだッ! あの世でお前が来るのを楽しみに待っててやるぞッ!!』
『雁夜ァァァァァッ!!』
それでも、結局あの人は炎に消えた。老人に一矢報いることもできず、骨の欠片として残すことなく、彼の体は灰になった。
『蟲蔵に戻れ、桜。雁夜は失敗した。次の聖杯は確実にとるため、貴様には良き子を孕んでもらわねばならぬ。体をもっと馴染ませねばならぬでなぁ』
そして老人は、また自分を地獄へと引き戻す。
腕が捕まれ、燃え盛る人影から遠ざかっていく。
その時、煉獄の中へ散っていったのは、ただ一人だけであったはずだ。
けれど、その炎の中に、別の顔が見え、そして彼らも燃え尽き、姿を消していく。
あの人に力を貸してくれた、強く優しい、イタリアからやって来た少年。
宝石をあしらった杖を持つ紳士と、自分に似た面影のある大人の女性。
自分の呼び声に答えてくれた、目を隠した長身の美女。
黒い髪をツインテールにした、赤い服の似合う、かつて同じ家で過ごした女性。
自分などをかばい、助けてくれた、弓道部の先輩。
この忌まわしい家で、自分を対等な人間として見てくれた、血の繋がらぬ兄。
あの人の言ったことは、信じられないことだが正しかったらしい。
自分のような人間でも、人を好きになることはできた。
自分のような人間でも、思いやってくれる人はいた。
自分のような人間でも、家族でいてくれる人がいた。
でも、自分などのために、きっと彼らも――
◆
同じ夢を頻繁に見る。10年前のあのときの夢を。
気がつけば思い出す。10年前のあの人のことを。
間桐雁夜が死んだあの夜。あの人が、気高く、最後まで戦い抜いて、決して屈することなく死んでいったのを、桜は知っている。
なんと、綺麗だったことか。
それに比べ、なんと自分の醜いことか。
昨夜、帰って来た兄から、衛宮士郎がセイバーのマスターになったことを聞かされた。
その時抱いた感情は、なんと呼ぶべきものだったか、自分でもわからなかった。余りにも衝撃が大きすぎて、測りかねた。
『あんな三流がマスターになったって、上手くやれるはずがない。初戦で死ななきゃ幸運だろうね。まあ僕が参加している限り、間違っても優勝なんてできっこないけどさ』
慎二は、衛宮を嘲りながら、桜の様子に視線を向けていた。けれど、桜は俯き、蒼白になって『そうですか』と、口から声をこぼすのみだった。
『……それだけか?』
『仕方ないことですから……』
そう答えた桜に、慎二は顔をしかめて、それ以上何も言わずに部屋に戻った。
なぜ兄が嫌な顔をしたのか、桜は察している。
間桐慎二は、自分の意思に従って、望むものへと向かって生きている。
魔術師という、才能の無いものでは決して届かない存在へと、手を伸ばしている。
どんな侮蔑も嘲笑も、慎二は跳ねのけて、夢へと進んでいく。
多くの欠点があり、他人と馴染みにくい捻くれた男なれど、それは間違いのないことだった。
だからこそ、桜のように、自分の意思を封じ込めて、やりたくもないことをやっている人間が嫌なのだ。
(なんで、私が魔術師になれて、兄さんがなれないんだろう……)
望む者に与えられず、望まない者に与えられる。
なんと、世界の上手くいかないことか。
なんと、神様の意地の悪いことか。
慎二は、魔術師としての精神を持っている。
強い意志。命をも超えた覚悟。自分の道を、自分で決める誇り。
魔術師の美徳を備え、常人としても外れていない。桜から見ても、慎二は良い魔術師になれると思える。
(でも、だから兄さんは、私を助けない)
慎二は桜に手を差し伸べない。同情しない。哀れまない。
なぜなら、桜は『助けて』とも、『逃げたい』とも言っていないのだから。
自分で、してほしいことも、したいことも、訴えようとしないのだから。
慎二は、自分の人生を自分で決めることを、誇りと思っている。提示された選択を、自分で決断したことが、今の彼をつくっている。
だから、桜が何も言っていないのに勝手に行動すれば、それは桜の誇りを無視することになると、考えているのだ。
それは雁夜やブチャラティとは違う在り方。だが、生命より精神を尊重する魔術師として、慎二はそうする。どちらかが間違っているということは無い。どちらも、桜のためにそうしている。
(私の意思を……私の選択を……待ってくれている)
それは、ずっと前からわかっている。10年以上も兄妹だったのだもの。それはわかっている。
それでも桜は、慎二までが、雁夜のようになってしまったらと思うと、とても助けてなどと、言えはしないのだ。
◆
ガランとした、荷物の置かれていない貸倉庫。その中央に、顔面を腫らし、背中も生々しい傷痕にまみれた半裸の男が、縛られて横たわっていた。
「喋る気になりましたか?」
フーゴは、縛られた男の頭を足で小突く。男は、アメリカを根城とするマフィアの一員であり、この町に麻薬ルートを作ろうとしていたのを、捕まえたのだ。
フーゴの所属するパッショーネは、麻薬を禁じており、麻薬を扱う相手への対応は自然ときつくなる。特にフーゴは、麻薬を嫌う幹部として知られている。
本当は、フーゴ自身が麻薬を嫌っているのではなく、彼に深い影響を与えた人物が麻薬を忌避していたがゆえだ。
「麻薬なんて、新規参入が難しいものを扱うからこんなことになる。盗品売買程度にとどめていれば、こちらも話し合いでけりをつける余地はあったんですが……もはや我々も優しくはしていられない」
穏やかに語りながら、フーゴはサッカーボールを蹴り上げるような、容赦の無い渾身の蹴りを、男の腹に放つ。
「ごぶっ!」
「そういうわけで、もう一度質問です。貴方たちの取引相手と、次の取引の日時は?」
男はフーゴの問いに答えない。どうやらこの男も筋金入りのギャングのようだ。口を割らせるのは中々骨が折れそうだ。どんな人間でも、数日眠らせもせず痛めつけていれば、意識が朦朧として、喋る気がなくてもいつの間にか喋ってしまうものだが、時間が足りない。
藤村組にも協力を仰ぎ、調査させているから、男が白状せずとも、いずれ情報は手に入ると踏んでいる。焦る必要は無い。この男に加えている拷問は、どちらかというと見せしめの要素が大きい。
(よその国であまりはしゃぐわけにもいかないし、こいつは半殺し……いや八割殺しくらいにして、警察に押し付けるとして、厄介だな。聖杯戦争の最中に、こんなトラブルなど、人員を割かれてしまう)
しかし手を抜くわけにはいかない。この麻薬取引を潰せば、数年にわたるアメリカン・マフィアとの抗争にも終止符がうてる。
(……いっそ慎二に協力してもらった方がいいだろうか?)
フーゴが、慎二と最初に接触したのも、アメリカン・マフィアとの抗争が最も激化していたときのことだ。マフィアのボスが直々に来日して指揮をとり、雇った殺し屋を送り込んで、銃撃戦やビルの爆破まで起こった。
幾らフーゴがスタンド使いでも、一人でできることには限りがある。フーゴと藤村組により、一般人の死傷者は出なかったが、パッショーネの構成員は少数ながら被害が出てしまった。実行犯の殺し屋たちや、マフィアの多くは、フーゴが『始末』したが、敵のボスはまだ捕まえられていなかった。敵のボスと思われていた男は殺したが、それは影武者に過ぎず、本当のボスは、マフィア構成員に紛れて、陰から戦況に対応しているらしかった。
そんな中で銃撃戦に巻き込まれた少年が慎二であり、その窮地を慎二がスタンドを使って脱するのを見て、フーゴから接触した。既に間桐桜の身辺情報を調べ、慎二の存在も知り得ていたフーゴだったが、彼がスタンド使いであることは知らなかった。
桜と深くかかわる人物に下手に関わると、臓硯の目をひいてしまうのではないかという危惧はあったが、この偶然は好機と判断し、彼を引き込むことに決めた。そしてその判断は正しかった。
慎二の能力により、敵のボスの正体を突き止めることに成功した。その後、ボスを捕まえて警察に渡した。ボスは終身刑となり、もう彼がシャバに戻ることはない。パッショーネがそれを許さない。
抗争がひと段落したところで、フーゴは慎二に、自分の事情を話した。その頃には、フーゴも慎二という人間が、少々歪みはあるが、良いところもあるとわかっていた。悪党であることについては、フーゴも言えた義理じゃない。
ゆえに、フーゴはできるだけ丁寧に、慎二に話した。かつての聖杯戦争や、間桐雁夜や桜との関わりについて、何もかも。
『いきなり、ギャングに協力してくれなんて言われても、コイツ頭がおかしいのか、という感想しか出ないかもしれないが――僕はこの日本に一人だ。事情を知りながらも、助けてくれる人間が必要だ。君の力が欲しいんだ』
かつてブチャラティが、フーゴをパッショーネに勧誘した時と、同じ方法をとった。
すなわち、何も包み隠すことなく、ただ真実を、本心のみを口にし、相手を真っ直ぐに見た。
『……マジなんだな。わかったよ……僕の邪魔にならない限りにおいて、協力してやるよ。桜を助けてやる気なんてないけど、お前が勝手に助けるのを止めやしないさ』
慎二はそう答えた。『自分からは助けない』というところに、妙なこだわりを感じた。金銭的な報酬などの話はしてこなかった。
フーゴは、少し慎二に共感した。物質的報酬より、精神的報酬に重きを置く者はいる。フーゴ自身、地位や名誉や金銭ではなく、自分の心を埋める、黄金のようなもののために、パッショーネに身を置いているのだから。
(黄金……か。僕は、周りから一歩引いて冷めた目で見ていたが、ナランチャは周りと自分を重ねて、共感し、手を出さずにいられなかった。慎二はその中間か。一歩引いて見ることを心がけながら、手を出せないことに苛々している、そんな奴だ)
慎二との出会いを思い出したフーゴは、やはり慎二の手を煩わせることはよそうと決める。頼めば慎二は、口ではなんだかんだ言いながらも手を貸してくれるだろうが、それに甘えたくはない。こちらは慎二にも、冬木の町にも関係ない、パッショーネとくだらないマフィアどもだけの事情だ。
(さて、ではもう一度考えてみよう。今のマフィアのボスは、残酷で粗暴で、殺人もためらわない男。それなりに用心深く、知恵も働く。だが、何かあれば暴力に訴えることを好む、器の小さい男。暴力で周囲を押さえつけてはいるが、部下からの信望はない)
現在、アメリカン・マフィアを従えているのは、新たにボスになった――『スポーツ・マックス』という男だ。表向きは自動車のディーラーだが、裏では凶悪な手口でのし上がった悪党である。この麻薬取引の情報をアメリカの警察に渡せば、彼も前のボス同様、一生を刑務所暮らしにできる。
だからスポーツ・マックスは焦っているはずだ。今までよりもっと、自分の一番の武器である暴力で、周囲を威圧しているはずだ。
だから、フーゴは足元の男に声をかける。
「……ところで貴方、ここで口を割れば、後でスポーツ・マックスに殺されると考えて耐えているのなら、無駄ですよ? 一度ヘマをして捕まった貴方を、あの暴君が許すと思えますか?」
男の口元が一瞬動いた。だがすぐに唇を引き結ぶ。フーゴの言葉に、スポーツ・マックスへの恐怖が呼び起こされたが、それでも一欠けらの希望を無理矢理に信じて、無言を通そうとしているのだ。
「そんなにスポーツ・マックスが怖ければ、我々が『始末』してあげます。はっきり言って、麻薬取引で儲けを得ようと、この町に犯罪者を呼び込もうと、今更そちらに勝ち目はない」
前回の抗争で、アメリカン・マフィアの被害は甚大である。このままでは日本に進出するどころか、アメリカの本拠地も危うい。体勢を立て直さなければ、周囲の別のマフィアに嚙み殺され、食い物にされてしまう。
だが、スポーツ・マックスはそうしなかった。マフィアにとって面子は何より大事なものであるがゆえ、わからなくもないが、愚行には違いない。
「君らがすべきことは、日本から手を引くことだったのに、意地を張って徹底抗戦に踏み込んでしまった。我々としても、こうなれば行きつくところまで行くしかない。そして、最後には我々が勝つ。麻薬ルートづくりなんて、重要任務を任されるくらいの賢さがあれば、わかりますよね?」
元々、イタリア全土を掌握するパッショーネと、一介のアメリカン・マフィアでは勝負にならない。日本という異国への進出争いだから、張り合えたのだ。だが、もう無理だ。それを、フーゴは諭す。男の目が泳ぎ、迷いが生じているのがわかった。
「……我々は麻薬を禁じている。麻薬を扱う貴方たちへの対処は、厳しいものになります。今のうちに、恩を売っておいた方がいい……。今なら、見返りも約束しましょう」
パッショーネにより麻薬取引が潰れ、日本に派遣されたアメリカン・マフィアが全滅したのは、フーゴの言葉が放たれてから23時間後。
フーゴの情報提供により、スポーツ・マックスがフロリダで警察に捕まったのは、3日後のことであった。
◆
「襲撃!? 本当かセイバー!」
家に帰って来た士郎は、セイバーの報告を聞いて驚いた。
「はい。テンガロンハットを被った、聖杯から受けた知識でいうと、西部のガンマンのような男でした。自在に軌道を変える銃弾を駆使する、中々面倒な相手です。一番特筆すべきは、逃げ足の速さでしょうが」
実力はセイバーに遠く及ばなかったらしいが、勝てないと判断したらすぐさま全力で逃亡に移る、見切りの良さと、セイバーの追撃を避けるほどの戦線離脱能力は脅威と言えるほどだったと言う。
「クラスはわかりませんが、アーチャーというには弱い。アサシンかもしれません。本来はハサン・サッバーハしか召喚されないクラスですが、やり方によってはハサン以外のサーヴァントを召喚できます」
ルール違反と言えるが、できないことではない。
「サーヴァントは7人だったな……。まずはセイバーだろ。それに俺が、校庭で戦っているのを見た2人。その戦いに乱入した1人。慎二のライダーに……今回のを合わせたら、6人。あと1人か」
まさか白昼堂々、自宅を攻めてくるとは思わなかった。戦闘力は高くないサーヴァントで良かったが、何も知らないところでセイバーが負けていたらと思うとゾッとする。
士郎は窓の外を見る。冬の太陽は、既に沈んでいた。
(もう一度、慎二に会ってみるか)
セイバーが戦ったサーヴァントの情報を渡せば、向こうも情報を交換してくれるかもしれない。その辺り、慎二は律儀なところがあると、士郎は知っている。魔術師の原則とされる等価交換に、こだわりがあるのかもしれない。
(学校でも民家襲撃と殺人が話題になっていた。あれも、ひょっとしたら)
証拠があるわけではないが、今の時期と重なって殺人事件が起こると、関連性を感じる。実際、士郎の予感は正しかった。
自分の知らない所で、自分の手が届かない所で、人が犠牲になり、何もなせないうちに終わってしまう。そんな現状に、士郎は焦燥をかきたてられる。
「セイバー、俺は慎二の家に行く。話してもらえるかわからないが、俺が情報を得られる手立てはあいつの口だけだ」
「わかりました。護衛します」
セイバーも否とは言わなかった。セイバーにとって慎二の印象は良いものではないが、あの程度の捻くれ者など、どうということはない。義兄や、師である魔術師をはじめ、彼女の生前の知己は、それこそ奇人変人しかいなかった。
(ケイ卿に比べれば、可愛いものです)
あの頃の喧騒を懐かしみながらも、ちょっと疲れてくるセイバーであった。
◆
暗い道を、遠坂凛は歩いている。
一人に見えるが、隣には霊体化して姿を消したアーチャーが共に歩いていた。
「気配はない?」
『ああ……やはり少々非効率的ではないか?』
「使い魔だけじゃ足りないんだから仕方ないでしょ。教会が動かない以上、参加者でどうにかしないと」
凛の目的は、一般人に牙を剥いたサーヴァントの征伐である。ほっておけば、神秘の隠蔽を破り、聖杯戦争そのものの進行が危うくなる。遠坂の人間として、土地の管理を任される立場からしても許せなかったし、そもそも凛という人間が、こうした凶行が大嫌いであった。
討ち取らぬ理由はない。しかしキャスターやアサシンならともかく、情報収集に向いたサーヴァントでない以上、地道に探すしかない。だから凛は、こうして夜の街のパトロールを行っているのだ。
『……凛』
「いたの?」
『サーヴァントの気配だ。しかしこれは……』
アーチャーが凛に伝えている間に、気配の主が道の曲がり角から、姿を現した。
「慎二?」
「……遠坂」
見慣れた顔に、凛は拍子抜けする。しかし、いくら見知った相手とはいえ、サーヴァントのマスターであり、聖杯戦争における敵対者だ。
慎二があの殺人を行っているかもという疑いを持つほど、凛も暇ではない。が、このままほっといて探索を続けるというのも参加者の行動ではない。
「偶然ね、慎二くん。それでどうする? 朝に学校で、今日一日、学校では見逃すって約束したわけだけど、もう学校じゃないし。なんなら期限を延ばして、この場は見逃して上げてもいいけど?」
「はっ、そりゃご親切なことだけど、見逃すの立場にいるのはどちらかな? 僕の方から逃げる気はないけど、そちらが逃げるなら追いはしないぜ?」
言葉の応酬の結果、二人の意思は互いに伝わる。つまり、やろうということだ。
「あっちに、ビルが壊された後、まだ何も建てる予定の無い空き地があるわ。学校のグラウンドくらいに広い。戦闘には十分な広さよ」
凛が好戦的な笑みを浮かべ、左の道を指差す。慎二は頷き、戦地へと向かった。
『良いのですか? マスター』
「ランサーの真名はわかったが、アーチャーの方はわかっていない。それを探るチャンスだ。もしまずくなったら逃げればいい」
ライダーの敏捷性を考えれば、アーチャーから逃げることは難しくない。いざとなれば宝具を使うことも視野に入れる。
『……わかりました。しかし、始めから逃げる前提というのは面白くありませんね。私はそれほど弱くはないということを、見せてさしあげましょう』
「……ふん?」
何やら怒っているライダーに、慎二は首を傾げる。プライドを傷つけたようだ。
「まあやる気ならそれでいいさ」
小声で話しているうちに、空き地についた。
「それじゃ、始めましょうか。死んでも化けて出ないでよ?」
「誰に向かって言ってるんだい? 鏡にかな?」
慎二は、凛の挙動を注視する。マスター同士の戦いになったら、勝ち目は薄い。それでも戦いになるなら、先手必勝で攻撃をぶち込むのが吉だ。
魔術を多少使えるようになる『偽臣の書』と、フーゴから貰った武器を準備する。
そうしている間に、戦闘は始まった。ほぼ、前夜の戦闘と変わらない。
二振りの剣を手にしたアーチャーと、鎖付きの短剣を構えるライダー。
技術ではアーチャーが上、力と速さではライダーが上。
戦況は、互角に見えた。だがまだ互いに様子見、手の内の探り合い。どちらが先に相手を見極めて、次の段階に進むかが勝負の分かれ目である。
しかし、そこまで戦況が進むよりも前に、戦いは中断された。戦闘が始まって、まだ1分と経っていない段階で、そこに新たな登場人物が加えられた。
「何やってんだお前ら!」
衛宮士郎と、セイバーである。
◆
士郎の顔を見た慎二は、煩いのが来たと顔をしかめ、士郎が参加者と知らなかった凛は、キョトンとした表情を見せる。
「へ? え、衛宮くん? なんで?」
わけがわからないという様子の少女に、ここで不意打ちしたら勝てるかなと若干思いながらも、慎二は優しく答えてやる。説明することで得があるわけではないが、慎二は人に教えることは好きなのだ。程よい、優越感を得られるから。
「こいつがセイバーのマスターだよ。ついでに、昨夜の校庭にいた、目撃者だ」
「…………はぁ!?」
更にわけがわからなくなった凛である。
「慎二に……遠坂。戦うのはやめてくれないか? 同級生だろ?」
「嫌だって言ったら?」
「……それは、止める。昨夜も言ったはずだ。殺し合いなんて、見過ごせない」
決意した眼をしていた。本気であることを、凛も感じ取り、困惑をやめて、話に入る。
「衛宮くん? 昨夜は貴方が声をかけてくれたから、命が助かったわけだから、そこは感謝しているわ。ありがとう。だけど……戦いを止めるって、どういうこと?」
「こいつはさぁ、聖杯戦争で、殺し合いが起きていて、町にも被害が出るかもしれないってこと説明したら、それは間違っているって言うのさ。どんな邪悪な願いを持つ者がいるかもしれないから、自分が優勝して聖杯を手に入れるんだと。ろくに強化の魔術も使えないへっぽこの分際でね」
「ええ……? それは、無茶じゃない?」
凛は士郎の連れているセイバーを見る。正規のマスターとして、彼女はサーヴァントの能力を読み取ることができる。セイバーの能力は、かなりの高水準であった。
「な、なにこれ! 未熟者の魔術師が、こんな強力なサーヴァントを引き当てるなんて……くうっ!」
「そ、そんなこと言われても……」
ハンカチを噛みしめそうな表情で、妬みの視線を向ける凛。士郎は少し怯む。
「とにかく、俺は聖杯戦争をやめさせたい。前回も凄い被害が出たそうじゃないか。そんな儀式、するべきじゃない!」
「ふーん……本気みたいね。昨日のことには感謝するけど、貴方の意見は聞けないわ。衛宮くん。貴方の言い分が、普通に考えて、正しい意見なのは認める。勝利は、私が父から託された、遠坂家の悲願だもの。けど、私は同時にこの土地の管理者でもあるから、被害を出すようなことはしないし、そんな真似を許す気もないわ。だから、安心して負けていいわよ?」
凛は、士郎の言葉を是としたうえで、否と答えた。
士郎のやりたいことは、自分が代わりにやるから、退場しろということだ。しかし、士郎もセイバーと共に戦うと誓った以上、頷くことはできない。他者の戦いを止めようとする者が、自分は戦いをやめられない矛盾。それを突き付けられる士郎だが、ならばと提案する。
「行動が同じなら、聖杯戦争終盤まで休戦する気はないか? この町には、教会を燃やすような奴がいるんだろう? そいつを脱落させるまでは協力できないか?」
「ふぅん? ちょっとは考えたじゃないか衛宮。けど、セイバーはともかく、素人のお前じゃ、お荷物なんじゃないか?」
「あんたが言うな」
凛のツッコミをスルーして、慎二は言い募る。
「確かにセイバーは強力なサーヴァントだ。そこは協力するメリットもあるけど……最終的に敵になるってのなら、僕と遠坂の二人がかりでお前を潰して、後顧の憂いを絶つって選択肢もある。二つの陣営の戦いやめさせようとする奴は、双方にとって敵になるんだぜ?」
「なに私があんたと組む前提で話が進んでんのよ」
スルーし続ける慎二に、士郎は少し考えて、真顔で答えた。
「……それで二人が傷つけあわないなら、それでもいい。遠坂は、周囲に被害を出すような奴じゃないとわかったし、慎二は最初から心配ない。まあ、二人がかりで来られたら、その場合は流石に逃げるけどさ」
「……ああ、そういう奴だったよ。お前は」
慎二は頭を抱える。
勝敗の問題以前に、知己に敵意を向けられるということを、気にしていないのが問題なのだ。友人が敵に回るということは、一種の裏切りである。それを平然に受け入れられる精神は、やはり狂っている。
(言っちまったものの……どうするかな)
このまま三つ巴の乱戦になると面倒だ。戦闘を続けるか、逃げるか、悩む慎二であったが、すぐにその悩みも消し飛んだ。
4組目が、現れたために。
「こんばんは。あら、思ったよりたくさんいるわ。今夜は随分
鈴の鳴るような綺麗な声が、その場にいる者の耳に届いた。
振り向けば、真っ白な少女が、ルビーのような目で面白そうに慎二たち3組を見つめていた。
その少し後ろには、男が立っていた。その気配はサーヴァントのものだ。
「アインツベルン……」
凛が、話に聞いたアルビノの姿から、相手が御三家の一つ、アインツベルン家からの刺客であることを見抜く。
「そうよ、初めまして、凛。私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
イリヤと名乗った少女は、口を開いた凛へと声をかけ、次に慎二は無視して、士郎へと視線を向ける。
「こんばんは、お兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね。やっとサーヴァントを召喚したんだ。良かった。これで少しはマシに遊べそう」
浮かべた微笑みは、諦観、憎悪、嫉妬、興味、憤怒、親愛、殺意――酷く複雑な感情が混じり合ったものだった。幼げな外見と合っていないこともあって、非常に恐ろしいものに見えた。
「……で、そっちがあんたのサーヴァント。これはまた、随分変わっているわね」
凛の指摘はもっともであった。
御三家の呼び出すサーヴァントとしては、あまりに『弱い』。
凛のマスターとしての眼力で見ても、そのステータスは随分と『低い』。
姿にしても、イリヤの隣に立つサーヴァントは、到底、歴史や伝説に語られる英雄の格好には『見えなかった』。
(とはいえ、宝具までは測り切れない。宝具特化の強力なサーヴァントかもしれないし、油断はできないわね)
たとえ『弱そう』に見えても、相手はアインツベルンが召喚したサーヴァント。油断はできないと気を引き締め、魔力を込めた宝石を手に取る。
その程度の警戒では到底足りないことを理解していたのは、ただ一人だけだった。
「あ……あ……?」
慎二は、口を半開きにし、思考を消し飛ばされていた。見たものが、あまりにも絶望的であったために。
その意地も、誇りも、折れ砕けるほどに。戦意を失い、くじけて倒れてしまいそうなほどに。
「士郎。ここは私が斬り込みます」
「大丈夫か、セイバー?」
慎二の様子に気づかず、最優のサーヴァントは打って出ようとしていた。
「ま、待て、勝手に動くな! あいつは正面から勝てるような奴じゃない! いや、逃げるんだ! 早くっ!」
「お、おい、どうしたんだ慎二?」
士郎とセイバーの会話に、慎二が割り込んだ。その顔は蒼白になり、危険を訴えている。士郎は慎二が必死になっている理由を聞こうとするが、先にセイバーが動いていた。
バーサーカーは、精神を狂わせることを代償にポテンシャルを上昇させるクラス。しかし狂化しているがために、宝具を使うタイミングが正確でない。強力な力を持っていても、それを使う前に倒しきるべきだと、セイバーは一気呵成に攻める。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
セイバーが見えざる剣を振りかぶり、攻撃を繰り出す。体から魔力を噴出し、凄まじい速度で突進する。
対して、男の方は全く動きを見せない。構えをとることもなく、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、立っているだけだ。けれど、このままというわけがない。防ぐか、避けるか、迎撃するか、何らかの行動をとるはずだ。
セイバーは、どのような行動にも対応できるよう、意識を集中させたうえで、斬りつけた。
「……え?」
そう、声を漏らしたのは士郎だった。
士郎の視界から、バーサーカーを切り裂く寸前だったセイバーの姿が消失したのだ。瞬間移動でもしたかのように、急に消えた。後には、ポケットに手を入れて立つ、バーサーカーの姿が変わらずあるだけだ。
「ど、どこだセイバー!」
士郎が叫ぶ。返事は、士郎の背後からあった。
「……し、ろう」
士郎が振り返ると、倒れ伏すセイバーの姿があった。鎧が割られ、血が滲んでいる。
「セ、セイバー!」
「何……? 何が起こったの?」
士郎が叫び、凛が困惑の声をあげる。
バーサーカーに斬りかかったセイバーが、なぜ、いつの間にか士郎達の背後に、倒れているのか。
「わかりません……いつ、私は攻撃されたのか……」
やられた本人さえ、何をされたのかわかっていない。斬りかかったと思ったら、いきなり吹っ飛ばされていた。吹っ飛ばされる、要因も感じられぬままに。剣を杖代わりに使って立ち上がるが、ダメージは中々に深いようだ。自前の魔力で強引に傷を癒すが、士郎との魔力供給ができていない現状、何度も同じことをしていれば消滅してしまう。
「へぇ……バーサーカーが殺しきれないなんて、流石にやるわね。セイバー」
その様子を、イリヤが上から目線で褒める。
「くっ!」
謎の攻撃に危機感を抱いたアーチャーが、行動に移る。素早く、二振りの中華剣を生み出して、鋭く投擲する。空になった両手に、再び中華剣を造り、今度はアーチャー自身が地を蹴って跳躍した。回転してバーサーカーに迫る剣に対処した直後の隙を、突こうというのだ。
セイバーが直接斬りかかったのを防がれたという、前例を見たうえでの、二段階に分けた攻撃。高く空中に舞い上がったアーチャーは、重力加速度をつけた攻撃を、バーサーカーへ繰り出そうとする。
「冗談じゃないぞ……」
この場でイリヤを除けばただ一人、バーサーカーの『真名』を知っている慎二が、恐怖に震える喉から、声を絞り出す。慎二は、アーチャーの作戦が無駄に終わることを知っていた。しかし、
「なんで……嘘だ……なんで召喚されてんだよ……」
慎二が精神的に立ち直る前に、バーサーカーへと剣が突き刺さろうとしていた。しかし、
バキィッ! ベキィッ!
バーサーカーと、剣を投げた時のアーチャーの距離は約30メートル。気がつけば、バーサーカーがいた位置より、手前15メートルの時点で、投げられた剣は折れ砕けて、地面に転がっていた。
そして、バーサーカーの姿はアーチャーの視界から消えていた。鷹のように優れた視力を誇るアーチャーをして、その動きを全く捕えられなかったのだ。
(防御や攻撃どころか、移動さえ補足できないだと……!?)
あのランサーでさえ、ここまでどうしようもない速度ではなかった。そして、アーチャーは敵を見失ったことに焦るが、すぐにバーサーカーがどこにいるのかわかった。
「――――ッ」
「な……!」
まだ空中にいたアーチャーの隣に、彼はいた。彼もまた跳躍していたのだ。
まるで、気がつかぬうちに。俊足や気配遮断などでは説明がつかない。
(何を、どうやって……!?)
アーチャーは、バーサーカーの姿を改めて見る。
そのバーサーカーは、歴史に名を刻む英傑にも、神話に伝説を残す勇者にも見えなかった。
狂戦士とは思えぬ、静かで端正な顔立ち。黒い髪や、肌の色からして日本人のようだが、やや緑色の瞳には、西洋人の血が感じ取れる。背は高く、2メートル近くある。
確かに相当な美丈夫ではあるが、服装が問題だ。
(学ランと学帽……!)
神秘とは程遠い服装。
その姿は、一昔前の高校生にしか見えなかった。
けれど、かつて多くの悪党が、その姿を恐れ、警戒したのだ。
そして、アーチャーに向けて、姿と共に恐れられた雄叫びが向けられる。
「オラオラオラオラオラオラオラオォォォォラァァァァッ!!」
吹き飛ばされる、赤い弓兵。その惨状を震えながら、慎二は見ていた。見ていることしかできなかった。
「なんで……あんたが……」
慎二は
その男の行ってきた冒険と、その実力を知っている。
その、男の名は、
「
……To Be Continued
ヘラクレスファンの方々、ごめんなさい。