艦隊これくしょん―艦これ― 第2艦隊健在なり 作:瀬戸 信浩
艦隊これくしょん―艦これ― 第2艦隊健在なり
第1章
人類は今、新たな脅威に襲われていた。
21世紀初頭、人類は突如として深海からやって来た悪魔「深海棲艦」に襲われた。太平洋中心部から現れた彼らは、手初めに太平洋上を航行する船舶を次々と撃沈。多くの罪のない船員が犠牲となる。
アメリカ海軍は一連の沈没事件を深海棲艦のものと特定すると、アメリカ海軍第7艦隊を派遣する。しかし、彼らの性能の高さにより、第7艦隊は猛烈な攻撃に遭い、戦力の9割を損耗。この事態を重く見たアメリカ合衆国は、アメリカを筆頭として、日本、オーストラリア、中国、ロシア、韓国の多国籍艦隊を編成。深海棲艦に総攻撃を仕掛けるが彼らの戦闘力の前に甚大な被害を被り、多国籍艦隊は崩壊した。
太平洋を掌握した彼らは、太平洋上の沿岸に侵攻。ハワイ、オーストラリア、フィリピン、インドネシアは完全に海を封鎖され、沿岸の街、港は沿岸砲撃によって完膚なきまでに叩き潰される。
戦力を多数損耗した海上自衛隊は必死に深海棲艦に対して抵抗するも、徐々に日本本土へと押しやられ、日本沿岸も深海棲艦の襲撃によって被害を受けていた。
だが、1つの出来事がこの事態を変えた。深海棲艦が現れた半年後、今度はある女性が日本近海で保護される。彼女は太平洋戦争で沈んだ艦船の魂を持つ「艦娘」であった。彼女は保護時に武装を持っており、それは多国籍軍では倒せなかった深海棲艦を葬り去る事ができる事がわかった。
また、彼女が発見されて以降、彼女がともに連れていた「妖精」と呼んでいる謎の小さい生物たちのおかげで、かなり限定的ではあるが、艦娘を「建造」できるようになる。しかし、妖精を見ることができるのは艦娘と運の良い人間だけであり、自衛隊内に妖精を見ることのできる適任者は1名のみであった。
このような特殊性から、海上自衛隊は艦娘を通常部隊と分け、新たに下部組織である「日本海軍」を設立するに至る。本部は横須賀市の千代ケ崎に建てられ、旧帝国海軍の呼び方である「鎮守府」が用いられた。この話は、鎮守府設立からさらに2カ月後の横須賀鎮守府の話である。
「本日付で横須賀鎮守府に配属されました寺西少佐です。今後ともよろしくお願いします」
「横須賀鎮守府司令長官兼、第1艦隊司令長官をやっている富山少将だ。こちらこそよろしく頼む」
2人の男はがっちりと固い握手を交わす。
「いや、久しぶりだな。あれからもう2カ月か」
「ええ、そうですね。またお会いできて光栄です」
寺西と名乗った男は、160後半くらいの身長で、線が細く、銀縁のメガネをかけている。顔も細めであるが、温厚さを感じられる表情をしている。一方、富山と名乗った男は、肩幅が広く、体つきもがっしりとしていて、服の上からでも彼の肉体が鍛え上げられていることがわかる。身長は寺西よりさらに大きく、180に少し届かないくらいの高さがあった。体同様、顔全体はがっしりとした形になっているが、表情が柔らかいからか、威圧感を感じさせない。
部屋の中は木製のミーティングテーブルが中心にあって、黒いソファが2対、机を挟む形で置かれている。机の上には、普通の文房具屋では売っていないような、立派な黒塗りのペンが立てられていた。内装はかなり豪華なものになっており、細かい装飾が縫われた赤い絨毯や小ぶりなシャンデリアが置いてある。外の気温がだいぶ上がっているためか、部屋のカーテンは締め切られ、天井に埋め込まれたクーラーが稼働していた。寺西はこの部屋を見渡すと少し落ち着かない様子でそわそわした。そんな様子を気にして、富山が声をかける。
「ここは応接間だ。仕事の関係上、国や自衛隊のお偉いさんが来ることは何度かあるから、こういったちょっと出迎えるための部屋が必要なのさ。先に言っとくと、他の部屋はもっと落ち着いてるからな」
寺西はその話を聞いて胸を撫で下ろした。
「早速、海自で2カ月の研修を受けてきたようだが、どうだった?」
「いや、採用当初は全く運動をしていなかったので、なかなかハードな研修になりました」
寺西少佐は前までは、高校の数学の教員として働いていた。しかし、自衛隊が妖精を見ることができる人材を確保するために、イベントを装って集まった人を調査したところ、彼1人が妖精を見る事ができることが確認され、海上自衛隊にスカウトされたのである。そして、2カ月間の基本的な軍事訓練と艦娘の運用に関する研修を受け、日本海軍へと配属されることとなった。
「そうか、それは大変だったな。まあ、これでもう少佐は俺の部下だ。俺は民間から引きぬかれた少佐とは違って元自衛官なんだが、固いのが苦手なんだ。だからこれからは、遠慮しないで俺に接してくれ」
富山少将は、以前は海上自衛隊で護衛艦の航海長をしていた。しかし、艦娘が回収され、彼に妖精を見る適性があることがわかると、艦娘の管理を任されるようになり、現在に至る。ちなみに、彼は海上自衛官時代は3等海佐であったが、艦娘部隊を統べる必要性から、日本海軍に異動後は少将へと昇格している。
「わ、わかりました」
「さて、最初にいろいろとやってもらいたいことがあるんだが……とりあえずソファに座ってくれ。立ちながら説明するわけにもいかないしな」
「では、失礼して」
「さて、本題だが」
そう言うと、富山は1枚の紙と厚い資料を何冊かテーブルの上に並べて置き、一つづつ資料を確認していく。
「この1枚の紙が日本海軍に所属するための宣誓書だ。内容を読んで、今サインしてくれ。次にこの冊子は、俺がまとめたこれからの仕事の流れだ。あくまで予定ではあるから状況によっては変わるだろうが、とりあえずの仕事はこの冊子を読んでくれれば大丈夫だ。あと、こっちにある何冊かは日本海軍、深海棲艦、艦娘についてまとめられた資料だ。言うまでもないが、この資料の90パーセント位が”軍事機密”……つまり、一般には公開できない内容になってる。それだけは心してくれ」
寺西が資料に目を落とすと、資料の表紙には「秘文書」と書かれているのが目に入った。
「はい、わかりました」
寺西は深く頷くと、もらった資料をまとめて揃えた。その時、コンコンという音が木製のドア越しに聞こえる。
「失礼します」
入ってきたのは、ぱっちりとした目をしてメガネを掛けた、真面目そうな女性だった。寺西は彼女の登場に面食らう。なんと彼女はセーラー服を身につけた、女子高校生としか思えない見た目をしていたからだ。なぜこんな年頃の娘が鎮守府にいるのか、彼の頭はもうその疑問でいっぱいいっぱいになってしまった。
「お、ありがとうな大淀。わざわざアイスティーなんて入れてもらっちゃって」
「何を言ってるんですか提督。せっかく新しい方がいらしたんですから、しっかりおもてなししないと」
大淀と呼ばれた彼女は、いくつかのガムシロップが入った小さいかごとミルクの入った手のひらサイズのステンレスピッチャー、そしてアイスティーの入ったグラス2つを机に置いて、こちらに向いた。寺西もつられて席を立つ。
「大淀です。これからよろしくお願いしますね」
「は、はい。今日から着任した寺西です。こちらこそよろしくお願いします」
そう言って大淀はにこりとした後、部屋を出て行き、パタリとドアを閉じる。
「さて、飲みながら質疑応答といこうか」
いつの間にか富山は、アイスティーを飲みながらくつろぎ始めている。
「えっと、そうですね……先ほどの、大淀さんはいわゆる艦娘ですか」
「ああそうだ。彼女は軽巡洋艦大淀。指揮能力に優れていて、今では艦隊旗艦を任せている」
「そうですか。艦娘の存在は自衛隊での研修中に教えていただいたんですが、あそこまで若いとは思いませんでした。勝手に女性自衛官と同じくらいかと」
「そうかぁ……そうだよな、普通はそう考えるか。今、ここに所属している艦娘は、学生くらいの見た目の艦娘ばかりだ。でも彼女らは艦娘であって、人間とは違うんだ。見た目より中身はしっかりしているから、安心してくれ」
「そういうものですか……分かりました」
「今は困惑するだろうが、すぐ慣れるさ。これからいろいろな仕事をこなしてもらうから、そのうちに慣れてもらえると嬉しい」
「了解です」
寺西がふとグラスに視線を落とすと、アイスティーの量は全くといって減っていなかった。緊張で手を付ける余裕が彼にはなかった。
「紅茶は苦手だったか?」
「いや! そういう訳では」
寺西は慌ててグラスに口をつけ、緊張で高鳴る心臓を落ち着かせる。
「そういえば、今日は私は何をすれば良いですか?」
富山の眉はふっと上がり、軽い調子で話し始めた。
「ああ、それについてなら質問が終わった後で良いかと思ってたんだが、まあいいか」
そう言うと、富山は立ち上がり伸びをする。寺西も同時にその場で立ち上がる。
「ふう、さて。今日はこれから鎮守府内の案内と、私室の片付け、あとは仕事場の整備を行ってもらおうと思ってる。まずは司令部棟内の案内を俺がしよう。宣誓書にサインし終えたら、書類をこのトートバッグにいれて、この部屋を出ようか」
「了解です」
寺西は契約書にサインをすると、それを富山に渡す。
「よし、これでOKだな」
そして、無地の白いトートバッグに書類を入れると、契約書を受け取った富山と共に部屋を出た。
日本海軍横須賀鎮守府は煉瓦造りの司令部棟を中心ととして、広い空間にいくつかの建物が建っている。この司令部棟は過去の艦の生まれ変わりである艦娘たちに配慮して、外見が煉瓦造りであると同時に、内装も意図的に昭和の頃の雰囲気に近づけているデザインが施されていた。具体的には、窓枠や廊下の床には樺茶色の木が使われていたり、壁紙の色がカスタード色であったり、電灯が温かみのある裸電球であったりする。一方で、報知器や監視カメラ、クーラーといった現代のものが置いてあるため、何かまぜこぜだという印象が拭えない。
「宣誓書だけ仕舞ってくるから、部屋の前で待っていてくれ」
そう言われて寺西は、部屋の前で待つことにした。ドアからのぞく彼の執務室は廊下と同じく、落ち着いた昭和の仕事部屋と言うイメージであった。壁紙は廊下と同じカスタード色で、床には緑の絨毯が敷き詰められている。執務に使われる机と椅子はがっしりとした樺茶色の木製のものであり、執務室に厳格さと重厚さを与えている。
富山長官は宣誓書を机の上に置いてあったフォルダーに入れ、部屋の外へと出て来るなり
「よし、まずはこの司令部棟を案内しよう」
と言ってすぐに歩き出した。寺西もその後に続く。
司令部棟の内部は各階が3つの中部屋と1つの大部屋で構成されており、階層は4階までになっている。先ほど立ち寄った富山長官の執務室は2階で、応接室は1階になっている。
富山が2階の部屋の説明をパットすると、3階へと寺西を案内した。
「3階に君の私室と執務室があるから、場所をしっかり覚えておいてくれ」
「分かりました」
2人は寺西の私室へと足を踏み入れた。入ってすぐの左側へ広がるこの場所は、キッチンのスペースだ。この部屋の左の壁に沿って台所が設けてある。コンロは大小2つ用意してあり、シンク、調理台を含めると手を広げるより少し広いくらいのスペースが確保されている。キッチンの反対側には、バスルームが設けてある。脱衣場はないが、キッチン横にあるトイレと別になっていた。バスルームの隣のドアを開けると、6畳の和室があった。部屋の奥側はバルコニーになっており、そこからは横須賀の青々とした海が視界いっぱいに広がり、さんさんとした太陽光が降り注ぐ。
「ここまで景色がいいと、まるで旅館に来ているようですね」
「そうだな。こんな部屋で暮らせるなら、鎮守府暮らしも悪くないだろ?」
「はい」
寺西が畳の中心でぼんやりと外を見ていたが、満足したのか部屋を出ようとしたため、富山が案内を再開した。
一方で、隣にある執務室は、私室と同じ広さで仕切りがない部屋であった。この部屋は先ほどの富山の執務室の真上にあり、部屋の広さも同じものとなっていた。しかし、置いてあるものが寺西持込の荷物だけであることから、先ほどの部屋より広い印象を与える。
「ここの執務室と隣の私室は少佐がやりやすいようにしてくれて構わない。だが、自衛隊が視察とかで来ることもあるから、見られても恥ずかしくない程度には留めておいてくれ」
「了解です。自衛隊の視察は頻繁にくるんですか?」
「いや、そこまで多いわけじゃないが、年に2回は来る。あと、作戦の会議は頻繁に行われているから、その時に執務室を使うこともあるかもな」
2人が話していると、ドアが控えめにノックされる。寺西はふと富山を見たが、彼は思わせぶりな視線を彼に向けるだけだった。仕方なく、寺西は控えめに
「どうぞ?」
と言った。ドアを開けたのは、黒い髪を三つ編みに編んだ、中学生くらいの見た目の持ち主にしては、歳不相応に落ち着いた雰囲気を持った女の子であった。 先ほどの大淀の登場にも驚いた寺西は、目の前に現れた人物のあまりの幼さに軽い立ちくらみを覚えた。
「時間ピッタリだ。ほら、こっちに来てくれ」
富山がそう言うと彼女は部屋へと入り、寺西に向かって敬礼する。
「ボクは白露型駆逐艦の時雨。これからよろしくね」
「ああ、僕は寺西。こちらこそよろしく」
寺西は少々ぎこちない笑顔を見せると、真新しい手袋をはめた手を差し出し、時雨と握手を交わした。
「時雨は明日から俺の部下から少佐の部下になる。お互い仲良くやってくれよ」
「分かったよ」
時雨がそう言うと、富山は彼女の肩をポンとたたく。
「さて、俺の案内はここまでだ。親交を深めてもらう意味でも、あとはこの時雨に鎮守府内の案内を任せる。これから仕事仲間になるんだから、今のうちに仲良くなっておけよ?」
2人の返事を待つ前に、富山は部屋の出口から出て行ってしまった。
彼が出てから少し間が空き、時雨が寺西に声をかける。
「えっと――少将さんからどこまで案内してもらったの?」
「まだ、この司令部棟の中を案内してもらっただけだ。できれば、鎮守府内の他の建物を紹介してくれるとうれしいんだけど」
「いいよ、ボクについてきて」
2人は司令部棟を後にすると、東側にある大きな建物へとやってきた。その建物は三角屋根のレンガ造りで、同じ建物が2つぴったりくっついている。向かって右側の建物は、高さ4メートルほどでトラックでも入りそうな大きな鉄扉が開け放たれているが、左側の建物には人が一人通るには少し大きな扉1つだけがあった。
「あの建物は?」
「あの建物は左側が整備棟で右側が工廠・ドック棟だよ」
「ドック? ドックはあそこにある大きなクレーンがあって、入り江みたいになっているあの場所じゃないのかい?」
寺西はそう言って、鎮守府の内部まで入り込んだ水路を指差す。彼の指差す先には短い水路があり、水路の脇にはガントリークレーンが2つ並んで備え付けられている。
「あれもドックだけど、あれは荷物積み下ろしが主な係船ドックだよ。日本近海だけなら、まだ船は航行しているから、資材の受け渡しに使われてる。艦娘の建造はあの右側のレンガの建物の中にあるドック、いわゆる乾ドックで行われているんだ」
「そうか、ドックにもいくつか種類があって、それぞれ役割が違うって事か。教えてくれてありがとう」
「いいさ。これから仕事をやっていくうちに、しっかりそういった知識は身につくよ。あと、司令官の補佐はボクたち艦娘の大切な仕事の1つだから、わからない事があったらなんでも聞いてよ」
「そうだね。その時は遠慮なく聞かせてもらう事にするよ」
2人は工廠の大きな鉄扉をくぐった。建物の中にはいろいろな種類の工作機械や、組み立て中と思しき兵器が置かれており、奥の方には赤い鉄骨で格子状に区切られたスペースがある。
「奥はさっき言った建造用に使われるドックで、手前は兵器開発のための作業場だよ」
「なかなか、広い場所だね――おっと」
彼が周りに気を取られている間に、工廠で作業をしていた妖精たちが足元に集まっていたようで、彼は驚いて一歩足を引いた。
「妖精さんだね。話は聞いてるかい?」
「ああ、艦娘の建造、兵器開発、兵器の運用を手伝ってくれる、妖精さんがいるという話は聞いていた。抜き打ちの採用試験の時も、彼女たちが見えるかどうかで採用が決まったんだ」
そう言うと彼は妖精さんの1集団に注目した。大きさは手のひらより少し大きいくらいで、飛行帽をかぶっていたり、釣り竿を持っていたりと、見た目はさまざまなようだ。
「ここまで小さいと、ちょっと考え事をしていると気づかずに踏んでしまいそうだね」
その彼の発言に、妖精たちは震え上がって青い顔をする。
「ふふ、大丈夫だよ。これがアリくらいの大きさなら保証はできないけど、君らくらいの大きさなら十分見えるからね。気にしなくて大丈夫だ」
そうやって妖精をからかう彼に、時雨が言う。
「司令官、あまりからかいすぎないでね」
「ああ、ごめん。気をつけるよ」
そんなことをしていると、工作機械の群れの中から1人の女性がこちらにやってきた。時雨よりかは背が高く、太ももまで届きそうな桜色の髪が歩くたびに揺れる。先ほどの大淀と同じセーラー服を着ているが、肩と脚にはまるで武将のような鎧が、そして背中にはクレーンが3本もつけられていた。
「あなたが新しい司令官さんですね!」
「はい、本日付で着任しました寺西少佐です。よろしくお願いします」
「明石です! この鎮守府では艦娘の建造、修復、兵器の開発、解体などを担当しています。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
明石が手を差し出すと、寺西は手を握って握手した。
「明石さん」
明石に時雨が話しかける。
「どうしたの? 時雨ちゃん」
「少将が1100時に会議室に集合して欲しいって言ってたよ」
「少将さんが? それは珍しいけど、何かあったかな」
「行ってみればわかるよ。たぶん明石さんはびっくりすると思うけど」
「うーん、分かりました。特に怒られるようなことはしてないと思うんだけどなぁ……」
時雨はふふっと微笑むと、今度は寺西に向き直る。
「さて、隣の建物も見てみようか」
「あ、見学中ですか。どうぞごゆっくり見ていってくださいね!」
明石は元気よく敬礼すると、作業場の奥の方へと戻っていった。
整備棟の建物の入り口は、先ほどの鉄扉ほどではないが、人が通るには大きな入り口になっていた。
「ここも普通の入り口と比べたら一回りくらい大きいね」
「ボクたちが艤装をここにしまう必要があるからね。艤装を装備したまま入れるように配慮されてるんだよ」
中に入ると、向かって右側には「女」と書かれたのれんがあり、向かって左側には入口のドアと同じ大きさの鉄扉がもう1つあった。
「……ここは温泉なのかい?」
「ちがうちがう。こののれんの向こうは入渠施設があるんだよ。ボクら艦娘は、入渠施設にある特殊なお風呂で戦いでの怪我を治すことができるんだ」
「ここが例の入渠施設か……本当にそんなので治るの?」
「治るよ。言葉にするととても奇怪だけど、こればっかりはそういうものとして慣れてもらうしかないよ――左側は、ボクたち艦娘の艤装を管理しておく倉庫だね」
時雨がドアを開けると、そこにはトラックを何台並べられるか考えてしまうほど広い、コンクリートの壁の部屋が広がっていた。天井では轟々と換気扇が回り、部屋の中には棚の厚さが一般家庭で使われるようなものより三倍ほどある、しっかりとした金属製の棚が一面に並んでいる。棚の上には、小銃と同じくらいの長さがある大砲や魚雷発射管などが整然と置かれていた。
「今は6艦しかいないけど、いつかこの倉庫を艤装で埋めることができるくらいには、仲間ができるといいな」
「そうか……そうだね」
倉庫の中を見回しつつ、少しの間だけ静寂な雰囲気が2人を包む。
「……さて、次のところに行くとしようか。司令官、ついてきて」
今度は2人は鎮守府の土地を、西側の海を望みつつ北から南へ横断するように進む。先程よりも白みを帯びた陽は深い青空を高く登り、ジリジリと照りつける日光が全身に突き刺さる。そんな中、暑さをものともせずに時雨が先行してスタスタ歩いていると、ふっと左のほうに向いた。あとから続くバテ気味の彼も時雨と同じく左側を向くと、そこには先ほど会話にあがった主に荷物積み下ろしに使われるドック、揚げられた資材を保管するであろう倉庫群と広い運動場が設けられていた。時雨は話しだす。
「ボクたち艦娘も、戦いに出るとなれば艤装を支える体力や筋力が必要だからね。こうやって陸の運動場を使って鍛えるのさ」
「そうか、艦娘の戦い方は艤装と妖精さんに頼りきりなものかと思っていたけど、確かにそれを支えるのは本体である艦娘自身だからね。でも、ボクらみたいな普通の人間だと艤装は装備することすらできない。やっぱりそこには何らかの――解明されてない”力”が働いているんだろう?」
「そう……だとは思う。でも、ボクら自身もボクらのことはよくわかってないんだ。なんでボクらだけが艤装を装備して使いこなせるのか、なんでボクらの艤装だけが深海棲艦に攻撃ができるのか――でも、君の言う”力”も万能ってわけじゃない。あの重い艤装を戦闘中に支えるのは、他でもない生身のボクたちの仕事だよ」
「そうか……ごめん、なんか変なことを聞いちゃって」
「いいさ、ボクも自分自身のことは気になるしね……でも、そうやってちゃんとボクの気持ちを汲んでくれるのは嬉しいよ」
そう言うと、ちらっと時雨はこちらを向いて微笑んだ。それに対して彼も少し口角を上げて返事をする。
2人が運動場の横を通り過ぎると、右手には2階建ての団地くらい大きな、レンガ造りの建物が見えた。
「これはボクら艦娘用の寮だね」
「だいぶ大きな建物だけど、ここで艦娘全員が暮らしているのかい?」
「そうだよ。部屋は決まってるけど、艦種で分けたりとかはしていないから、結構みんな自由な部屋割りで使ってるよ」
なるほどね、とつぶやきつつ、彼はいま来た道の先の方へ視線を向けた。寮の後ろに生えている松やくすのきの林の中には、ガッチリとした金属製の高い塀が見える。どうやらそこで行き止まりらしかった。
「さて、これで鎮守府の紹介はあらかた終わったよ。何か聞きたいことはあるかい?」
「そうだね……艦娘は存在自体公表されてないから、鎮守府の警備はがっちりしてるのかと思ったけど、警務官はいないのかい? 見まわってる人を1人も見ないけど」
「警務官? ああ、憲兵のことだね。憲兵は正面の門にしかいないね。でも、あそこにあるみたいにこの鎮守府全体が3メートルの鉄の塀で覆われているし、防犯カメラ、電気柵とかいうものも置いてるから、警備体制は万全らしいよ」
「なるほどね。他は……ないかな。今後、分からないことがあったら、その時にまた教えてもらってもいいかい?」
「もちろんさ。いざ仕事をやってみて分かることもあるだろうから、その時はボクに聞いてよ」
「そう言ってくれると助かるよ」
寺西は鎮守府見学を終えると、時雨に連れられて、司令部棟2階奥にある会議室へ来た。会議室は木製で深茶色のしっかりとした長机がロの字型に並び、椅子が十数個並べてある。入って左側の壁には横須賀周辺の海図が、右側には日本地図が取り付けられており、正面の壁にはそういったものが何もつけられていない代わりに、天井に吊るされたプロジェクターから映像を映したり、書き込んだりするためのホワイトボードが取り付けられていた。天井には裸電球が取り付けられ、窓のない会議室全体を暖かな光で照らしている。
奥側の椅子には、富山少将と大淀が座っており、入り口側の机の端の方に明石が座っていた。時雨と寺西が大会議室に入室したタイミングで全員が立ち上がり、2人の方を向いた。寺西は少し緊張しつつも敬礼して、椅子の前まで移動した。
「座ってくれ」
富山がそう言うと、その場にいた全員が席に着く。さらに彼は続ける。
「本来ならすぐにでもこの鎮守府全員の紹介をすべきところなんだが、訓示は明日の0700の朝礼で行う。その場で自己紹介と正式な艦隊再編を行う予定だ。だから、今のうちに少佐のこれからやることを手短に伝えよう」
そう言うと富山は立ち上がり、日本地図の方へと向かった。
「現在、我が日本海軍は軽巡洋艦大淀を旗艦とした、第1艦隊のみが活動している状態だ。現在も、吹雪、白雪、叢雲、綾波、時雨の5隻は、日本近海を警備のために巡視している。だが日夜、深海棲艦は太平洋側を中心に、本土沿岸の幅広い地域で目撃されている。あってはならないことではあるが、我々が間に合わなかったことで、沿岸施設で被害が出ることも少なくない」
寺西はゴクリと唾をのむ。
「そこで、少佐には新たに第2艦隊を編成してもらう。その上で、ここ横須賀鎮守府から西側を中心に、日本の領海内にて作戦行動を行ってもらいたい」
「了解です」
「あと、ここにいる時雨と明石は明日0700をもって第2艦隊に転属だ。2人とも、少佐のサポートをよろしく頼むぞ」
「はい」
「お任せください!」
そう言う時雨と明石を見て、富山はうんうんと頷く。
「俺から話すことは以上だ。他には……何かあるか、大淀?」
「ありません」
「よし、じゃあ朝に渡した冊子を参考に執務にあたってくれ。時雨は俺の執務を手伝ってもらったりしたこともあるから、分からないことは時雨に聞いてもらえれば大丈夫だ。もちろん、必要があれば俺や大淀に聞いてもらってもいいぞ」
そこまで言うと、富山は立ち上がった。それを合図に他の全員も立ち上がり、敬礼する。富山が歩き出すと、その少し後に大淀が続いて、2人はそのまま部屋を退出した。扉が閉じた後、時雨が寺西に話しかけてくる。
「あらためて、よろしくお願いするよ、司令官」
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ、時雨」
2人はガッチリと握手を交わす。
「私もよろしくお願いしますね、司令官!」
「よろしくおねがいします、明石さん」
明石とも固い握手をする。
「明石さん、じゃなくて、時雨ちゃんと一緒で明石でいいですよ。司令長官のほうが上司ですし」
「わかったよ、よろしく明石」
「はい!」
こうして第2艦隊は新たな一歩を踏み出したのであった。
第2章
翌日、3階の多目的室で行われた朝礼にて、寺西少佐の着任と第2艦隊の結成が正式に発表された。多目的室は下にある会議室とは違い、じゅうたんが敷かれて、置いてあるものが基本的になにもない部屋であった。一応、部屋の片隅には、会議などでも使えるように畳まれた長机やパイプ椅子、そしてキャスターがついたホワイトボードがしまわれている。
朝礼が終わると、すぐに彼が会えぬままでいた第1艦隊の面々全員と紹介する場が設けられた。第1艦隊のメンバーは言われたとおり、吹雪、白雪、叢雲、綾波の4名であった。
吹雪は見た目をみると時雨と同じ歳くらいだが、時雨と違って朗らかな駆逐艦である。言われなければ分からないが、彼女こそ海上自衛隊によって保護された最初の艦娘であり、現在の日本海軍は彼女なくして成り立たなかったほどの功労者だ。
白雪は吹雪と同じ、吹雪型駆逐艦に分類される駆逐艦である。服装は吹雪と同じであるが、元気な吹雪に比べ、白雪は落ち着いた言動が目立つ。また、吹雪が黒髪のポニーテールであったのに対し、白雪はトビのような濃い茶色で、肩に少し届かないくらいの髪を2つにまとめている。
叢雲は同じ吹雪型駆逐艦であるのだが、髪が銀色の長髪で、他の2人からは人少し浮いた感じである。発言から比較的目線が高い態度が目立つが、他の艦娘や富山少将からは、問題なく受け入れられている様子であった。
最後の綾波は綾波型駆逐艦の1番艦である。見た目は茶髪で長いポニーテールと吹雪、白雪に近いものを感じるが、性格は2人と違って、かなりおっとりとした印象を受けた。
午前10時、作業中の明石を除いた第2艦隊のメンバーである、寺西と時雨は会議室に集められた。
そこに富山長官が現れ、クリアファイルを机の上に置くと、立ち上がったこちらに向かって口を開く。「明石から話は聞いている。彼女には途中から参加するように俺から言っておいたから、大丈夫だ」
「お心遣い感謝します」
「気にするな。さて、本題だが」
そう言うと、富山は天井にぶら下がったプロジェクターの電源を入れ、部屋の電気を落とした。小さなファンの音ともに、プロジェクターの光線はホワイトボードに直撃し、鮮やかな横須賀近辺の海図を映しだした。富山は寺西と時雨、そしてじきに来るであろう明石の分の資料を手渡した。資料の題名には作戦計画書と書かれている。
「現在、深海棲艦の影響範囲はかなり広く、日本沿岸でもその存在が確認されている。幸い、陸海空の自衛隊が決死の防衛行動を行っているため、本土への影響はかなり抑えられているが、損耗のことまで考えると、かなり厳しい状態にあるといえる。そこで、日本海軍はこの横須賀を中心として、艦娘艦隊による海上警備を行っている。どうやら我々の必死の抵抗のおかげで、深海棲艦側は斥候のための艦隊を割く程度しかこちらを刺激してこない。今後はわからんが。そこで、この斥候部隊の排除を新設した第2艦隊に任せようと思い、こういった形で作戦を立てさせてもらった。何か質問はあるか?」
富山は出没予想地点と文字を書いて、鎮守府近辺の海を赤いマーカーで丸く囲む。
「では、斥候部隊とおっしゃってましたが、その戦力はどれくらいでしょうか?」
「その時々によって違うが、軽巡洋艦が1、駆逐艦が3,4隻くらいの艦隊で来ることが多いな」
2人が話していると、コンコンっと扉をたたく音がして、部屋に明石が入ってきた。そして明石の後ろには、みずみずしく美しい青色の長髪をたなびかせた、時雨より少し幼い印象の少女が続いて部屋に入ってきた。3人は彼女らのもとに寄って、出迎えた。
「会議中失礼しますね。新しい艦娘が完成したので、お連れしました!」
そう言うと、青色の髪の艦娘は緊張した雰囲気で話し始める。
「あっ、あの、 私、五月雨って言います! よろしくお願いしますっ!」
「おう、俺はこの鎮守府の司令長官をやってる富山だ、よろしくな。あとこっちが……」
「寺西です。階級は少佐です。よろしくお願いします」
「寺西少佐が君が所属予定の、第2艦隊の司令長官だ。よろしくやってくれよ?」
「分かりました、よろしくお願いしますね!」
「こちらこそ」
そう言って2人は握手を交わした。
「久しぶりだね、五月雨」
「時雨ちゃん、私も会えて嬉しいよ!」
2人は軽く抱擁をする。その行動を見て、寺西は明石にこっそり話しかけた。
「あの2人、仲がいいみたいだけど、どういう関係?」
「彼女たちは同じ白露型駆逐艦なんです。人間で言うところの姉妹関係ですね。同型艦のことを姉妹艦とも言いますし」
なるほど、と寺西は納得していると、富山が
「さて、感動の再会の途中で悪いが、先に作戦説明を終わらせてもらってもいいか? 姉妹水入らずの時間は後でいっぱいとってくれ」
「ああ、そうだね。ごめんね」
「ごめんなさい!」
そう言うと、2人はおとなしく席に座った。
「さて、どこまで話したかな――そういえば質問の途中だったな。他に質問はあるか?」
「そうですね……今は思いつかないですね」
「僕も斥候部隊を追い払ったことは何度もあるからね。特に聞きたいことはないかな」
「よし、それなら会議は以上だ。斥候部隊はいつ現れるかわからないから、それまでは訓練を頑張って欲しい。とはいっても、俺の経験だと長くても2週間以内には来ると思う。あと、何かわからない箇所が出たら、俺の所まで来てくれ」
そう言うと富山は会議室を出て行った。寺西は再び作戦計画書に目を落とすと、その情報量の多さに圧倒される。
「これは読みきって理解するのにも、労力が必要みたいだ……」
「長官」
寺西がつぶやいていると、時雨が彼に声をかけた。
「長官? 僕のことかい?」
「そうだよ。長官は今日付けで第2艦隊の司令長官だから、僕は長官って呼んだんだよ」
「そうか、なんか実感がわかないけど、艦隊指揮を取る人は長官になるわけだね」
「そういうことだね。すぐに慣れるさ。ところで、ちょっと五月雨に鎮守府内を案内したいんだけど、構わないかな?」
寺西は少し今日のスケジュールを思い出す。今日のスケジュールは、午前中は特にないが、午後から艦娘たちは鎮守府正面の海で航行訓練を行う予定になっていた。
「そうだね。午後の訓練にちゃんと間に合えば構わないよ。五月雨は自分の部屋も確認する必要があるからね。そういえば、五月雨の部屋はもう決まっているのかな?」
「ああ、そこまでは富山長官から聞いてなかったね」
「そうか、それなら鎮守府の見学ついでに、富山長官の所にどうすればいいか聞きに行ってもらってもいいかい? 僕はちょっと訓練の見学もしたいから、午前中にあらかた書類を片付けておきたいんだ」
「わかった。そういうことなら、僕が行ってくるよ」
そう言うと、時雨は五月雨の肩をたたいて、ついてくるよう促した。
「あっ、では失礼します!」
「うん、また後で」
五月雨はピシっと敬礼すると、時雨の後に付いて行った。そんな彼女らを見送りつつ、寺西は明石に問いかける。
「明石はこれからどうする?」
「そうですねぇ。装備の開発をしたいので、このまま工廠に戻ろうかと考えています」
「分かった、午前中は何かあったら執務室の方に連絡してくれ。午後は訓練を見学しているから、申し訳ないんだけど、岸辺の方まで来てもらっていいかな?」
「了解です!」
そう言うと、明石も工廠の方へと戻っていった。ひとリ残った寺西は、大きく背筋を伸ばすと、無人の部屋を後にして執務室の方へと戻っていった。
5日後、午後の訓練を行う矢先に事態は訪れた。甲高いサイレンの音とともに、大淀の声が鎮守府中に響き渡る。
「深海棲艦接近! 深海棲艦接近! 第2艦隊は直ちに出撃せよ。繰り返す、第2艦隊は直ちに出撃せよ」
寺西は真新しい椅子から立ち上がると、艦娘たちを見送らねばと思いたち、慌てて部屋を出た。すると、富山長官がドアを開けようとしているところで、危うく2人はぶつかりそうになる。
「あっ、申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。それより、すぐに無線室へ向かうぞ」
そう言うと、富山は踵を返して階段の方へ早歩きし始めた。寺西も急いで富山の後に続いた。
無線室は30センチほどの高さと、1メートル半の幅がある、大型の機械が3つ、木製の仕事机の上に鎮座していた。その機械の半分はボタンやつまみ、そしてメーターに覆われ、一見すると何が何を指しているのかが全くわからない。もう半分は円形の大きいスクリーンがついているが、今は何も映されていない。
「1番の無線についてくれ。もう電源は入っている」
寺西は硬い椅子に腰を下ろすと、手元にあるヘッドセットを手にとった。
「第2艦隊の周波数はこれだ」
富山は1枚のメモを渡した。紙には無線の周波数の数字が書いてあり、寺西は訓練中に習った、無線機の設定の手順を思い出しながらツマミをいじり始めた。
設定が完了すると、無線機から声が聞こえてきた。
『……2艦隊、時雨。長官、聞こえますか?』
「こちら横須賀鎮守府、第2艦隊の寺西です。感度良好。よく聞こるよ」
『了解。第2艦隊は装備の受領、補給を完了。現在、浦賀水道を南下中だよ』
「こちらも艦隊をレーダーで補足した。現在の進路を維持して、房総半島を抜けてから方位130に転舵してほしい」
『時雨了解。現在の進路を維持し、房総半島通過後に方位130へ転舵します』
寺西はこの短い間にも手汗をかいており、手を載せているノートがじんわりと波型に変形している。
『こちらオケアヌス1。寺西三佐とはこれが初めての交信ですが、よろしくお願いします。現在、深海棲艦は方位140、1400マイル先を、方位320、毎時20ノットで航行中です』
入ってきたのは海上自衛隊のヘリからの交信であった。突然の交信に寺西の身体がピクリと跳ねるが、驚きの色を見せないように返信を行う。
「了解。こちらこそよろしくお願いします」
1日後の夜、第2艦隊から入電が入る。
『こちら時雨。深海棲艦を視認したよ。向こうも正面から来てるから、視認されてるみたいだね。オケアヌス1の言ったとおり、軽巡1、駆逐5の編成だね』
「了解です。長官をすぐに呼びますが、その進路のまま射程圏内に入ったら、時雨ちゃんの判断で攻撃開始しちゃってください」
「分かったよ明石さん」
今は寺西に代わって、明石が交信を行っていた。いくら彼の交代要員と言っても、明石自身も艦隊運用経験は皆無なので、自分で判断しなければならないことに緊張する。硬い表情で机の上に置いてある内線を手にとった。
「長官、第2艦隊が敵艦隊を視認しました。すぐに無線室に来てください」
「分かった。すぐに行く」
数分後、寺西は無線室へと姿を表した。明石はその姿を見てホッと息を吐く。
「長官、よろしくお願いします」
「ありがとう。もう時間も遅いし、明石はゆっくり休んでくれ」
明石は部屋をゆっくりとした足取りで出て行った。しかし、緊張が解けたからか一気に眠気が来たので、彼には見えないように小さなあくびをした。
「さて時雨。砲撃距離まで後どれくらいだ?」
『あと5分程度で砲撃できるよ』
「了解。ジグザグ航行で敵の攻撃を回避しつつ、攻撃にあたってくれ」
『了解』
時雨が交信を終わると、敵軽巡洋艦が砲撃を始める。どうやら向こうのほうが射程が長いらしい。
「五月雨、全速で回避!」
「分かった!」
急いで増速するも、軽巡洋艦の砲撃は五月雨の二の腕をかすめた。
「大丈夫かい?」
「まだまだ全然平気だよ!」
砲弾がかすったにも関わらず、五月雨は元気な様子であった。そんな五月雨に少しの安心感を抱きつつ、時雨は大砲を構える。
「さあ、砲撃を始めるよ」
まずは、先行する2隻の敵駆逐艦が散発的に砲撃を始める。しかし、砲弾は2人のまわりに水柱を作って静まった。五月雨も応じるように12.7センチ砲を発砲する。すると、その砲弾は敵艦隊のどまんなかに落下し、敵軽巡洋艦に直撃した。
「やったあ!」
五月雨は初めての直撃に喜んだが、敵艦隊は手を緩めない。次の砲撃は2隻を完全に捉え、直撃弾を受けた。
「ぐっ、さすがだね。でも、僕もここで負けるわけにはいかないんだ」
そう言って、時雨は大砲の引き金を引く。砲撃は放物線を描くと、正確無比に軽巡洋艦を貫いた。
「これなら行けそうだ。長官、敵軽巡洋艦への集中攻撃を行うよ。旗艦が手ひどくやられれば、相手も深追いはしてこなくなるはず」
「よし、それで行こうか。時雨、五月雨の両名は敵軽巡洋艦に攻撃を集中。奴らの出鼻をくじいてくれ」
敵艦隊と交差する。その時、両艦隊はありったけの砲弾をお互いに叩き込んだ。爆風が辺りを包み込み、他の艦との相対距離が小刻みに変動する。五月雨と時雨は敵6隻の一斉砲撃で、全力で回避行動を行ったが、軽いダメージが蓄積されていった。しかし、時雨たちの砲撃も軽巡洋艦に直撃し、着実にダメージを与えている。2隻は敵艦隊と離れる際に、魚雷を一斉にばらまいて退避した。しかし、
敵艦隊から放たれた魚雷もこちらの2隻を追いかける。魚雷は互いにすれ違うが、時雨たちを狙った魚雷は時雨と五月雨の間をすり抜け、敵艦隊を狙った魚雷は敵軽巡洋艦の土手っ腹で大きな水柱を起こした。
「グオオオオオ」
敵軽巡洋艦はどこから出したのかわからない悲鳴を上げると、行き脚を止めた。
「こちら時雨。敵艦隊と砲火を交え、敵軽巡洋艦1隻を大破させた。こちらは僕と五月雨、ともに小破程度のダメージしか受けていない。追撃するかい?」
『こちらオケアヌス1。現在、敵軽巡洋艦は爆破炎上中。敵艦隊は撤退しようと、方位100へ進行中』
寺西は判断を迷った。彼は顎に手を当て考えると、時雨に下命した
「現時点をもって作戦は終了。敵残存艦隊とは距離を取りつつ撤退してほしい」
『まだ戦えるだけの余力はあるけど、撤退して良いんだね?』
彼は深く頷く。
「撤退してほしい」
『了解。第2艦隊は作戦を終了し、横須賀鎮守府へと帰還します』
彼は一息つくと、背もたれにより掛かった。目をつぶって今は終わった安心感を噛みしめる。顎から一滴のしずくが落ち、彼の全身を冷め切らせた。
翌日の早朝、時雨たちは横須賀鎮守府へと帰還した。寺西はドックの場所で彼女らを出迎える。まだ朝日は出ていないが、凪いだ海は深海棲艦との争いをひととき忘れさせる。
「第2艦隊、無事帰投したよ」
時雨と五月雨は、身につけているセーラー服にいくつかの焦げ跡のような汚れをつけていたが、大きな怪我は見受けられなかった。
「2人共無事で何よりだ。どこか怪我したりとかはしているかい?」
「私がちょっと」
そう言うと、五月雨はセーラー服の上着を少しまくると、脇腹に打撲跡が残っていた。
「巡洋艦の主砲が防ぎきれなくて、直撃しちゃいました……」
「これは痛いね……すぐに入渠に行ってくれ」
「はい、分かりました!」
五月雨は敬礼すると、すぐに整備棟の方へと向かっていった。
「さて、僕は戦闘詳報を作るとするかな」
「ん? 戦闘詳報はゆっくり休んで、明日書いてくれても構わないけど」
「いや、僕が忘れないうちに書けるところは書いておきたいだけさ。じゃあ長官、おやすみなさい」
「ああ、おやすみなさい」
そう言うと時雨は、艦娘寮の方へと向かっていった。
朝礼が終わると寺西は富山長官に呼ばれ、彼の執務室へとやってきた。
「失礼します」
寺西が部屋に入ると、富山は椅子に座って待っていた。
「ああ、待ってたよ」
富山は寺西の姿を確認すると椅子から立ち上がり、後ろ手に手を組んだ。
「さて、昨日の戦闘はどうだった?」
「あ、戦闘詳報でしたらこちらに」
「それも大切だが、今は艦娘の報告ではなくて、君の感じて、思ったことを報告してほしい」
「そうですか、分かりました」
そう言うと、ぽつぽつと寺西は今回の出来事を報告した。戦闘が始まってからはちゃんと指示を出せていなかったこと、敵軽巡洋艦を大破させれば十分と考え、追い打ちをしなかったこと。そして
「やはり、長官のおっしゃられたように、艦娘たちを人間とは違うものだと考える考え方に馴染めません。いくら彼女たちが艦娘だと言っても、彼女たちが傷を負って帰ってくるのは忍びないです」
富山は右手を顎にあてる。
「確かに、彼女たちが怪我をして帰ってくるのは辛い。だが、今は深海棲艦との戦争状態なんだ。こっちが身を守っている間に、民間人を危険に晒してるんじゃあ、俺達のいる意味が無いだろう」
「その通りです」
「だから言い方は悪いが、こればっかりは慣れてもらうしかない。それでも彼女らを傷つけたくないなら、君と彼女たちが深海棲艦から手出しできなくなるくらい、強くなればいいさ」
「……分かりました」
寺西は少し気落ちした様子で、部屋を出て行った。そんな彼の姿をみて富山は苦い顔をして後頭部を掻いた。
第3章
第2艦隊が斥候部隊を撃退してから3日がたった。あの迎撃作戦以来、深海棲艦は日本近海では目撃されておらず、つかの間の平和を味わっている。寺西長官は、夕食の配給のトラックがロータリーまで来ていたため、その荷物おろしを手伝っているところである。
「これで全部ですね」
明るい青色の作業服を着た自衛隊員が寺西のもとにやって来た。
「はい、ありがとうございます」
寺西がそう言うと、隊員は一礼してトラックへ素早く乗り込み、トラックを出した。寺西は全員分の夕食の入った小さなコンテナを1つ持ち上げると、食堂の方までそれを運ぶ。しかし、コンテナの中身とコンテナ自体の重さがだいぶ重く、少し運んだだけでも手が圧迫され、腕の筋力を要求され、へばりながらもなんとか食堂へと運んでいく。
食堂は木製の大きな長机が2列に並んでおり、その両脇には背もたれのない丸椅子が置かれている。今の時間は、西側の窓から炎のような明るいオレンジ色の夕日が差し込み、食堂全体を茜色に染め上げている。。奥の方には簡素なカウンターで仕切られた調理場があり、一般家庭にあるキッチンより一回り大きい、7、8畳ほどのキッチンが用意されている。とは言っても、ここの鎮守府は多忙を極めるため、食事は先程のように自衛隊に任せきりのため、キッチンに物があまりない。
すべてのコンテナをなんとか食堂に運び込み、寺西は割烹着を身につけて食器類の用意をし始めた。その時、食堂に3人の人影が現れた。寺西は振り返る。
「お疲れ様、明石。夕食の準備ができるまでもう少し……って、後ろの方々は?」
「新しい艦娘が完成したので、長官にご報告に参りました!」
明石の後からついてきたのは、2つのお団子がついた黒髪ツインテールで、やけに自身に満ち溢れている女の子と、同じく2つのお団子がついた茶髪ツインテールで、どちらかと言うとかわいらしい印象を受ける女の子であった。また、茶髪の子は五月雨と同じくらいの歳に見えるが、黒髪の女の子は中学生くらいに見える。まずは黒髪の子が何やら腕を振り上げてポーズを取る。
「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー。よろしくー!」
茶髪の子は腕を組みつつ、目を合わせないで挨拶する。
「満潮よ。私なんでこんな艦隊に配属されたのかしら」
どうやらどちらもとても個性的な性格をしてるようだ。艦娘の年齢といい、性格といい、寺西は頭を痛めた。
「僕は横須賀鎮守府所属、第2艦隊司令長官の寺西少佐です。これからよろしくお願いします」
彼はそう言って手を差し出した。那珂は両手で激しく上下するように握手をしてくれ、満潮は渋りつつも、仏頂面で握手をした。
「さあさあ、あとは司令部棟の案内だけしますから、私についてきてくださいね!」
そう明石が言うと、2人を押すように食堂から出て行く。寺西は軽く肩をすくめると、食事の準備に戻った。
夕食後、寺西を含む第2艦隊の面々は会議室に集まった。寺西の手元には分厚い資料が握られている。
「集まってもらってありがとう。今から作戦会議を行う」
そう言うと、寺西は分厚い資料に目線を落としつつ、ホワイトボードに作戦海域の海図を投影した。
「作戦が行われる海域は南沙諸島南西部。南沙諸島は深海棲艦の侵攻で失われているんだけど、この海路はマレーシア、インドネシアとの貿易を行うための大切なルートだった。そこで我が第2艦隊は、この南沙諸島南西部の制海権を確保し、マレーシア、インドネシアへの航路を再開させることにある」
寺西が手に持っているリモコンのボタンを押すと、今回の作戦で使われる予定航路が表示された。
「今回はこの航路を進むわけだが、流石に何日もかけて生身の君たちを送るわけにもいかない。そこで、君たちには海上自衛隊の護衛艦隊に乗船させてもらって、作戦海域まで移動することになる。あと、」
そう言うと、寺西は那珂へと視線を向ける。視線を向けられた那珂は那珂ちゃんスマイル。
「今回の作戦は、試験的に那珂に旗艦を任せようと思う。時雨、那珂、それでいいかい?」
「かまわないよ。いつか那珂さんに任せようと思ってたんだ。それが今だったってだけさ」
「わっかりましたー! 那珂ちゃん、艦隊のセンターとして張り切っちゃうよ!」
寺西はふっと頬をほころばせる。
「よろしく頼むよ、なにか質問はある?」
時雨がすっと手を挙げる。寺西はうなずくと、手を時雨の方へ向けた。
「この作戦が成功すると具体的にどういった資源が確保されるんだい?」
「今回の作戦海域になっているマレーシア、インドネシアは石油、天然ガスなどの資源を産出している。だから、この作戦が成功すれば燃料が継続的に手に入る事になり、僕達の行動がかなり楽になるって訳だね」
「ということは、深海棲艦がこの作戦を妨げるために、大きな戦力をさく可能性も十分にあるわけだね」
時雨が懸念を寺西に伝える。
「確かにそうかもしれない。彼らにそこまでの統率と、判断能力があるかどうかはわからないけどね」
「なによ、はっきりしないわね」
腕と足を組んで、右足をぶらぶらさせている満潮が噛みつく。
「その近辺の海域での深海棲艦の目撃情報もないわけ?」
「あ、いや」
そう言うと、寺西は手元の資料を急いでペラペラとめくる。
「この海域では軽巡洋艦を主力とする、水雷戦隊が中心に活動を行っているらしい。数は6隻ほどが見られる事が多いから、僕達の艦隊でも十分に太刀打ちできる」
「そう、その規模なら大丈夫そうね。全く、私が今言わなかったら、敵がどの程度の規模かっていう、作戦を考えるうえで本当に基本中の基本のことも分ってないじゃない。長官殿はこんなことも把握せずに作戦指揮を取ろうとするなんて、責任ある立場として恥ずかしく」
「満潮」
話の途中で、時雨のはっきりした声が会話を中断させる。満潮は寺西を軽く睨みつける一方、寺西は悲しげな表情をして俯いていた。
「長官はまだ着任して半月と経ってないんだ。確かに指摘すべき点はあるけど、言い方ってものがあるんじゃないかな?」
「何いってんの! この長官が作戦指揮する人ってことは、私たちはこの人に命を預けなきゃならないわけでしょ! こんなペーペーに私の命は預けられないわ!」
「じゃあどうするんだい? もともと軍艦だった僕達が、上官に従わないことの意味はわからないことはないと思うんだけど」
「待ってくれ!」
寺西が苦渋の表情で2人の会話に割って入る。
「確かに僕が情報を十分に把握してなかったのは事実で、そのせいで君たちの命を危機に晒すことをしっかりと認識できてなかった。本当にごめん」
寺西はその場で深々と頭を下げた。その姿に時雨と満潮は動揺する。
「長官、貴方の気持ちはよく分かりましたから、顔を上げてください」
明石はそう言うと寺西のすぐ横でしゃがみ、寺西の顔を覗き込んだ。彼はギュッと目をつぶり、歯を食いしばる。五月雨と那珂は心配した表情で、寺西を見つめている。
少し時間が経ち、寺西はゆっくりと顔を上げた。
「他に、なにか言うべきことはあるかい?」
寺西は皆を見回すが、全員口を閉じたままである。
「よし、大丈夫そうならこれで解散しよう。遅くなるといけないから早めに寝るように」
艦娘たちは一言も言葉をかわさず、会議室を後にした。全員が出ると寺西は目をつぶり、細く、長く息を吐く。目を開け軽く頷くと、席を立って会議室を退出し、ガチャリと部屋の鍵を閉めた。
数日後、作戦決行の日がやって来た。いつもは何も入れられずに放置されている係船ドック内に、1隻の艦船が停泊していた。長い艦橋と大きなクレーンから、まるで工作艦のような印象を受ける艦船である。今回の出撃メンバーである那珂、時雨、満潮、五月雨、そして第2艦隊の責任者である寺西はドックまで出迎えに出ていた。
「大きい艦だね」
「そう? これでも僕らが艦だった頃の大きさより、二回りくらい小さいよ」
「そうなのか。大戦期の駆逐艦はよほど大きかったんだね」
時雨と寺西が会話を交わしていると、タラップから何人か白い制服を身にまとった軍人たちがやって来た。全員が敬礼で彼らを出迎える。
「おはようございます。日本海軍所属、第2艦隊司令長官の寺西三佐です」
「おはようございます。海上自衛隊開発隊所属、試験艦くりはま艦長の浅田三佐です。今回はよろしくお願いします」
横で出撃予定の艦娘たちは、他の士官に連れられてくりはまへと向かう。
「今回はこのような危険な作戦に艦を出していただいて、本当に有難うございます」
「いえいえ、実はこの艦は退役予定だったのが、こういう時勢になってしまって、退役を免れたんですよ。それに加えて、我らの最重要兵器である艦娘の輸送という大役を任されて、彼女も喜んでると思います」
そう言って浅田艦長は穏やかな笑顔を見せた。
「では、よろしくお願いします。貴艦のご無事をお祈りしております」
「ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いします」
艦長が艦に戻ると、くりはまは汽笛を一鳴らしして、海へと出て行った。
くりはまを中心とする海上自衛隊護衛艦隊が南沙諸島を抜け、リアウ諸島に接近した時、随伴艦のたかなみの観測員が深海棲艦を発見した。
「総員戦闘態勢!」
アラームが鳴り響き、たかなみ、きりしま、くりはまの各艦に緊張が走る。
『日本海軍第2艦隊は速やかに発進せよ。繰り返す、第2艦隊は速やかに発進せよ』
艦内放送で第2艦隊に命令が下る。もうメンバー全員は甲板上に集まっていた。
「さあ、いっくよー!」
一番乗りで那珂が海へ飛び込む。それを見た他の3隻も急いで飛び込む。そこに寺西の入電が入る。
『全員、準備はいいかい?』
「みんなもう海に出て、戦闘準備バッチリだよっ!」
『それなら良し。敵艦隊は見えてるとは思うけど、方位89、距離30マイルを航行中だ。数は軽巡洋艦が1隻,駆逐艦が2隻のみ。頼んだよ』
「りょーかい! 那珂ちゃん頑張る!」
「那珂さんは艦娘になってから初めての実戦だから、あまり無茶はしないでね?」
「大丈夫だよ、時雨ちゃん! 4水戦センターの実力見せてあげる!」
「何かあれば私も援護するから大丈夫よ、時雨」
「みんなで頑張りましょう!」
和気あいあいとした雰囲気の中、第2艦隊は敵艦隊と対峙した。まずは先頭を行く那珂が発砲するが、敵軽巡洋艦の前方に着弾した。
「あ、ちょっと見込みが甘かった」
「そういうこともあるよ」
敵軽巡洋艦も負けじと応戦。直撃コースの敵弾を那珂はひらりと躱した。
「やあっ!」
続いて五月雨、時雨、満潮の3隻と敵の駆逐艦2隻が発砲する。こちらの砲弾は敵駆逐艦に直撃。軽微の損傷を与えることができた。しかし、満潮が喫水線下に直撃弾を受け、少し重いダメージを受ける。
「くッ! やったわね!」
2つの艦隊は更に接近して、殴り合いの様相を見せる。
「全艦、3時の方向に回頭!」
しかし、那珂の的確な指示によって、敵駆逐艦がどちらとも黒煙を吹いて行足が遅くなる。
「当たって!」
「お返しよ!」
遅くなったタイミングを見計らって、全艦が魚雷を放つ。損害を受けていなかった軽巡はなんとか魚雷を避けたが、残りの2隻には直撃。1隻は大きな水柱とともに海に呑み込まれ、もう1席は浮かんではいるものの動かなくなった。敵軽巡洋艦は損害が大きくなったため、退却しようとする。
「追撃するよっ! みんなついて来て!」
「長官、構わないかい?」
寺西は少し逡巡した後、軽く頷く。
『構わない。敵艦隊を追撃してくれ』
全艦が離脱していく敵軽巡洋艦を砲撃する。次々と砲弾が命中し、甲板から火を吹きつつも、敵軽巡洋艦は射程距離外へ離脱していった。これ以上の追撃は無理だと悟った那珂は追撃を諦め、大破漂流していた敵駆逐艦を沈めた。
「さあ、くりはまに戻るわよ。まったく、初戦で食らっちゃうなんて運が無いわ……」
「まって! 2時の方向に何か見えます!」
五月雨がそう言うと、風切り音とともに那珂の右舷すぐのところで大きな水柱が何本も湧き上がる。
「これはまさかだねぇ」
「そんな呑気なことを言ってる場合じゃないでしょ!?」
「敵は戦艦1,軽巡洋艦2、駆逐艦2の大所帯だよ」
『そうか……出来ることなら撤退して欲しい』
「何バカなこと言ってんの!」
『そうだね。そう言いたいところだけど、後方にはまだ君たちを運んでくれた海上自衛隊の艦隊もいるし、撤退できる状態じゃない。だけど、いくら君たちでも、戦艦を含む艦隊と正面切って戦うのは流石に無謀でしか無い』
「そう? 全力で戦えばいい勝負は出来ると思うけど?」
「そうですよ! 私も頑張りますから!」
無線機から寺西の息を吐く音が聞こえる。
「長官はどうしたいの?」
真剣な表情で那珂が問いかける。
『護衛艦が北東方面に撤退するまでの時間を稼いで欲しい。こちらからは攻撃をなるべく行わずに、回避に専念して敵艦隊を足止めして、護衛艦の退避が完了次第、君たちにも撤退してもらう』
「ってことは、作戦失敗ってことだけど、長官はそれでいいの?」
「ああ。君たちの誰かを失うくらいなら、少将にこっぴどく怒られて始末書を書くほうが遥かにマシだよ」
「あーあ、せっかくの那珂ちゃん初センターだったのに、作戦失敗で終わっちゃうのかー、残念だなー」
「……出来る範囲で埋め合わせはするよ」
「本当? それなら何してもらうか考えておかなくっちゃ!」
戦艦の砲撃が再び着弾する。今度は先頭の那珂を挟み込むように水柱が上がった。那珂は無線のマイクを切って、後ろの3人に話しかける。
「大切に思ってくれてるのはありがたいんだけど、あれは過保護すぎるよね~」
「まったくよ! あの甘ちゃん司令官、戦争を経験してないから、あんな生ぬるいことばかり言えるんだわ」
「この前の戦闘でも小破で撤退したからね。悪い、とまでは言わないけど、もうちょっと突っ込んだ指揮をしてくれないと今後もこういった失敗が続きそうな気がするんだよね……」
「でも、長官も私達を思ってしてくれてるんです。悪く言っちゃダメです」
「大丈夫。だから那珂さん、長官が私達を大切に思ってくれるのはありがたいって言ったんだよ」
「まあ、仲間をすぐ死地に追いやる人間じゃなくて助かるわ」
「さて、長官はああ言ってたけど、那珂ちゃんとしてはあの戦艦部隊を沈められると思うんだよね~」
「僕たちは準備バッチリさ」
「こんなの、かすり傷にも至らないわ」
「私も元気に溢れてます!」
「というわけで、あの艦隊を殲滅させよ~! みんなついて来て!」
那珂が速力を一気に上げる。時雨、五月雨、満潮も直後に続き、単縦陣で敵艦隊に突撃していった。まずは先行する敵駆逐艦が発砲。しかし、命中には至らなかった。この砲声を皮切りに砲撃戦が始まる。敵艦隊と砲撃しつつ、肉薄する第2艦隊。目と鼻の先まで近づき、横をすり抜けてゆく。敵戦艦が16インチの鉄塊を再び放つも、時雨は難なくこれを避けた。敵艦隊はさらなる追撃をかけようと回頭し始める、その時を狙って第2艦隊は魚雷を叩き込んだ。
「当たれ!」
魚雷は戦艦、軽巡洋艦と思われた雷装巡洋艦に命中。戦艦は食らったのにゆうゆうと航行している一方、雷装巡洋艦の方は速力が急激に落ちた。また、この魚雷攻撃で敵艦隊は回避行動をおこない、足並みが崩れて陣形がバラバラになった。
「やったぁ!」
「ああ、なかなかいい斉射だったね」
「満潮ちゃん、大丈夫?」
満潮は魚雷発射管付近に直撃弾を受け、中破していた。
「だいぶ食らっちゃったけど、まだ大丈夫だわ。倍返しよ!」
「OK! 他のみんなは?」
「私もちょっと当たっちゃいましたけど、大丈夫です!」
「僕はまだ無傷さ」
『那珂、聞こえるか?』
「よーく聞こえるよ!」
『先程、海上自衛隊の護衛艦隊が危険海域を離脱した。君たちも早く離脱してくれ』
「ごっめーん、離脱したいのはやまやまなんだけど、敵艦隊が早すぎて離脱は無理そう~」
『そうか……』
「よし! じゃあこのまま追撃戦かけちゃうよ! 戦艦を重点的に叩いて!」
いつの間にか太陽の位置も低くなり、各艦の顔を朱色の光が照らす。
反転した艦隊はそのまま敵艦隊の間を抜けるように進み、両舷に広がる敵艦隊を続けて砲撃した。しかし、交差しているときに五月雨に砲撃が集中。大破状態となって機関が停止する。
「五月雨!」
戦艦に魚雷を叩き込んだ時雨が急いで五月雨のもとに戻り、身を挺して五月雨を守る。
「五月雨ちゃん、状況報告!」
「ごめんなさい、機関に直撃弾を受けて航行不能です」
「わかった。機関を急いで修理して、遅くてもいいから航行が可能になり次第、海上自衛隊が退避していった方向に向かって! 敵艦隊は那珂ちゃんたちがどうにかするから!」
「絶対に沈むんじゃないわよ!」
時雨の魚雷が直撃した敵戦艦はそのまま海中に没した。残りは4隻。那珂は歯を噛み締めながら砲撃する。
五月雨の修理が完了する頃には、時雨は中破、満潮は大破状態であった。敵は戦艦と雷装巡洋艦が沈没していたが、軽巡洋艦1隻、駆逐艦2隻は健在。
「……ここまでだね。全艦撤退するよ~」
「まだよ! まだ主砲は撃てるわ!」
鋭い目つきで那珂を睨む満潮。しかし、彼女の両腕は力なくブランと下がっている。
「流石にこれ以上は無理だよ満潮」
時雨も傷を受け、だいぶ疲弊している様子が見て取れる。
「そうだよ満潮ちゃん。こっちは誰も沈没しなかったけど、戦艦と雷装巡洋艦を沈めることができた。作戦は失敗だけど、大戦果だよ」
満潮はうなだれる。
「……そうね。撃滅できないのは心残りだけど、戦艦を沈められただけでもよしとするわ」
「そうそう。さあ、帰って歌の練習しなくちゃ!」
敵艦隊の動向を確認しつつ、距離を取る那珂。敵艦隊がそのまま東南東の方向へと去っていく航路を取るのを確認すると、彼女らは護衛艦隊のもとへと戻った。
くりはまが鎮守府の係船ドックに入ってくる様子を、寺西と明石はドック脇で待っていた。口には出さないが、渋い顔と唇の乾き具合から彼の緊張具合が見て取れる。明石もそんな彼の緊張に煽られて、固唾をのみながらくりはまを凝視していた。タラップが岸へと渡され、彼女らの姿が見えた。3人共、往きの服とは違って海上自衛隊の作業服を着ているが、足首や額などに見える包帯と重い足取りが損傷の深刻さを感じられる。
「第2艦隊、たっだいま戻りました~!」
「お疲れ様。みんな、困難な状況の中で帰ってきてくれて何よりだよ」
「ふん、あんな奴ら、私達にかかれば赤子の手をひねるようなものだわ」
「まあ、あそこまで遠出した事がなかったからヘトヘトだけどね」
「大変でした~」
明るい顔を見せる艦娘たち。寺西は目元と口の端っこだけ笑顔を作ると、ウンウンと軽く頷いた。
「報告は後で構わない。まずは入渠ドックで体を休めてくれ」
「わっかりました~」
そう言うと那珂たちはそのまま入渠ドックへと向かっていった。入れ替わりでくりはまの浅田艦長が寺西のもとへとやってきた。
「長官、お預かりしていた第2艦隊、全員お返しいたしました」
「ありがとうございます。護衛艦の方々も含めて、無事、帰ってきていただけて何よりです」
「任務は達成できませんでしたが、彼女らのお陰で南沙諸島の敵主力艦隊は、大きなダメージを被ることになりました」
「ええ、私としても、あの編成でよくあれだけ頑張ってくれたと思っています」
「その認識を持っていただけているのであれば十分です。では、私はこれで」
さっと艦の方に戻っていく艦長に、寺西が再び声をかける。
「すぐに出港なされるんですか?」
「ええ」
「5分でもいいので、お時間いただけませんか?」
「それくらいなら構いませんが、どうされましたか?」
歩を進めていた艦長の近くに寺西が少し駆け足で向かう。
「深海棲艦と接敵した時の状況を詳しく教えてください。あの時どういった状況で、彼女たち判断を下したのかをしっかりと自分で考えたいんです」
「……分かりました。今後のこともあるでしょうし、私がお話できることはお話ししましょう。出港を遅らせます。艦長室へどうぞ」
寺西は艦長とともにくりはまへと消えた。その様子を見ていた明石は、一抹の不安を覚えながらも、鎮守府へと戻っていった。
第4章
リアウ諸島での作戦から第2艦隊が帰投した翌日、寺西は作戦の結果報告のために富山司令長官の執務室へと来ていた。執務室では富山と大淀が何か書類をまとめているところであったが、富山は書類を横に置いて寺西の報告を聞いた。
「以上が、今回の作戦の報告になります」
「うん、じゃあ戦闘詳報は預かる」
寺西の両手から報告書が手渡される。
「まさかあの海域に戦艦が現れるなんてな。申し訳なかった」
「いえ、あの段階で戦艦の登場は誰にも予測できませんでした。また、私が的確な指示を出せなかったために、艦隊の皆が大きな損傷を被る結果になってしまいました」
「そうか……」
富山は腕を組み、何か考える様子で少し目線を落とす。なにか叱責を受けるのだろうかと思い、寺西は直立不動のまま固まる。少し間が空いて、突然富山は膝を叩いて立ち上がった。
「よし、模擬戦するか」
「も、模擬戦ですか」
突然の富山の提案に、寺西は面食らった表情を見せる。
「ああ、模擬戦なら艦隊運動を実践的に学べる。よし、そうと決まれば」
富山はボタンを押すと、机の上の受話器を取る。
「もしもし? 明石か。開発を頼みたいものがあるんだがいいか? そうそう。艦娘の兵装に使えるペイント弾がほしいんだよ――ああ、空砲じゃ命中判定ができないからな――そればっかりはしょうがない。たとえ軽くても、レーザービームを当て合うより実戦に近い。で、いつくらいならできそうだ? わかった、じゃあその方向性で。開発が遅れるようだったらすぐ連絡してくれ。じゃあまた」
受話器がガチャリと置かれる。
「ということで、模擬弾はすぐに調達できそうだ。模擬戦は……」
富山がそう言いつつ、机の引き出しから手帳を取り出す。寺西も懐からあわてて手帳を取り出す。
「そうだな、十日後はどうだ?」
「十日後は――こちらも特に予定ありません」
「よし、じゃあ十日後、1300時に模擬戦を行う」
「分かりました。第2艦隊のメンバーにも伝えておきます」
寺西は部屋を後にした。
「確かに気にしている様子は伺えたな」
また資料を机の真ん中に戻して富山がつぶやく。
「たぶん、さきほどの那珂さんの言ったことは本当みたいですね」
先程まで書類作業をしていた大淀が顔をあげて、富山の方へと向く。
「そうか? 俺が聞いてた感じじゃ、まだ五分かなと思ってたんだが」
「いえ、あれは確実にそうですよ」
「まあ、大淀が言うならそうなんだろ。そうなると少佐には、超えないといけない壁ができちゃったわけだな」
「壁というより、認識のズレですけどね」
「今度の模擬戦は、場面想定をしっかりやっておいてみるか。よし! 午後の演習で俺が第2艦隊の艦娘たちにも、模擬戦の目的を先に伝えておこう!」
そう言うと、富山の書類に書き込む音がにわかに大きくなった。そんな様子を見て、大淀はふうと息をついて微笑み、また書類作業を再開した。
模擬戦の当日が来た。岸辺で第1艦隊と第2艦隊のメンバーが並ぶ。第1艦隊も戦力増強を推進しており、新たに2隻の艦娘が所属していた。。1隻は黒く長い黒髪が特徴で、あまり快活そうには見えない駆逐艦初雪。もう1隻は背が高く、短髪でプロポーションの良い戦艦陸奥だった。
「今回の模擬戦は、本土に敵艦隊が向かってくる防衛戦を想定して行われる。訓練だからといって、気を抜かないように」
富山長官の訓示が終わると、第1艦隊と第2艦隊はともに出港した。第1艦隊は鎮守府から東へと進み沖合へ。第2艦隊は鎮守府正面で待機していた。富山と寺西は無線室へと赴き、艦隊式の準備をする。
「今日はよろしくお願いします」
「おう、俺のやり方から色々学んでくれ」
寺西が手をそっと差し出すと、富山はその手をがっしり掴んで握手をした。2人が席につくと、寺西の一声で訓練が開始する。
「横須賀鎮守府から方位140、32マイル先で敵深海棲艦を補足。第2艦隊、直ちにこれを迎撃せよ」
「りょーかい! 那珂ちゃんのステージ、みんな楽しんでね!」
那珂率いる第2艦隊は意気揚々と浦賀水道を南下していく。
「本当にこんなので、あの甘ちゃん司令官の意識が変わるの?」
「まあ、少しでも変わってくれるとボクは思ってるよ」
今日も強い日差しが照りつけ、穏やかな海がキラキラと反射する。突然、周りを見ていた五月雨の眉が、ピッと上がった。
「敵艦隊、発見しました!」
艦隊全員で敵艦隊の方向に向く。まだ小さいが、はっきりと黒い影が海に落ちているのが見えた。
「真っ直ぐこっちに来るね……提督、どうする?」
『対艦戦闘用意。敵艦隊には戦艦もいるから、こちらの射程距離まで引きつけて攻撃してくれ』
「了解!」
旗艦の那珂を先頭に猛然と速度を上げる第2艦隊。第1艦隊のメンバーは強者揃いであったが、南沙諸島での戦闘を経験した彼女らは、対等な勝負ができると考えていた。
風切り音とともに、陸奥の主砲弾が艦隊のすぐ近くのところに着水する。飛沫を切って、彼女たちはぐんぐん前に進む。視線が交差し、一斉射が始まった。轟音が辺り一面にとどろき、水煙がたちこめる。両艦隊が砲弾を撃ち終えると、距離を置いて横並びに航行を始めた。五月雨が機関部に命中弾を受けて速力が落ちたこと、吹雪が那珂の砲撃をモロに受け、ダメージが蓄積されてる以外は両者とも損害はまだ軽微のままだ。
「いっくよー!」
那珂の掛け声とともに、第二艦隊は魚雷を一気に放り出す。第一艦隊の面々もお返しとばかりに魚雷を放つ。しかし、双方ともに素早い回避運動を取ったため、特に大きな被害は出ずに終わった。
またすぐに砲撃が始まり、戦場は混戦を極めた。しかし、練度も火力も下の第二艦隊は、ジリジリと被害を増して行く。
「那珂ちゃん、中破しちゃった!」
「全く何やってるのよ! ほら、次来るわよ!」
「いたぁい……」
被害が広がる中、無線からノイズ音が鳴る。
『全艦、横須賀まで退避!』
「ちょっと待って!」
那珂が寺西の言葉を聞いて反論しようとする、しかしその瞬間、海面下の白い雷跡が第二艦隊とぶつかった。
「……時雨、轟沈判定」
「ああ……五月雨、轟沈判定です……」
寺西はそっとヘッドセットを置いて、隣に座っている富山のそばに立った。
「富山長官、これ以上の演習は無意味です」
「寺西少佐、すぐに席に戻れ。艦隊長官が指示を出さないと、彼女たちはどうしようもないぞ」
「これ以上は無意味です」
振り向きもしない富山に対して、寺西は言葉を重ねた。富山は眉をしかめて少し歯を噛みしめると、マイクに向かって命令を発した。
「第1艦隊に発する。敵艦隊は戦意を喪失。深追いはしてこないだろう。このまま東京湾に入り、作戦を続行せよ」
「ま、待ってください!」
想像もしていなかった富山の言葉に、寺西は動揺する。こぶしをギュッと握り、怒りを露わにするが、富山はピクリとも動かない。目を強く瞑り、肩を落とし、寺西は自分の無力さと情けなさを全身で感じた。
「東京都で海に面している区は3つ」
富山がヘッドセットを外して立ち上がり、寺西の方へと向く。顔が地面を向いて、口を閉じている寺西には、富山の表情など伺いようがなかった。
「その3区に住む住人の数は150万人超だ。勿論、区に住んでいる人が全員死ぬわけじゃない。でも、働いている人がオフィスに居たら? 東京だけじゃなく、神奈川や千葉の沿岸都市に砲撃し始めたら? 犠牲者は150万人で済むかどうかすら怪しい。俺達はそんな結果を背負いつつ、仕事をしているんだ」
寺西の肩に優しく手を載せる。寺西も黙って動かない。
「俺も考えることは一緒だ。彼女たちを失いたくない。でも、彼女たちも俺も、軍人としていままでやってきたんだ。戦うのであれば、常に最悪の手段――全滅覚悟で最後の攻撃を行うことも考えないといけない。それが国を守る軍人としての覚悟だ。自衛隊の宣誓にもあったろ?”事に臨んでは危険を顧みず”って」
「はい……」
「つまりはそういうことだ。少佐は完全に志願したと言うわけじゃないから、その心構えを持つのは難しいかもしれない。だが、俺たちはそういった覚悟があるってことだけは覚えていてくれ」
富山は穏やかな表情で軽く頷くと、ヘッドセットを再び手に取った。
「第1、第2艦隊に告ぐ。演習は現時点をもって終了とする。帰投せよ」
『分かりました。すぐ帰投します』
富山はヘッドセットの端子を無線機から抜く。
「今日のこれからの時間と明日一日、少佐は休暇を取ってくれ。もしこれ以上、艦隊運営を続けていくことが難しいと思ったら、退役をしてくれてもかまわない。俺が上層部に掛け合おう」
「……分かりました。少し考える時間をください」
「明日の夕方までに決めてくれればこちらでどうにかする。時間はないが、しっかり考えてくれ」
富山はすこしゆっくりと、静かに部屋の外へと出ていった。残された寺西の背中をは、弱々しくすぼんでいた。
寺西はその後、自室へと戻り、どうするべきか悩みつつ、すぐに床についた。
翌日、 起床ラッパの音が木製の廊下を駆け巡ると、寺西は体を起こす。いくら上司に休養しろ と言われたところで、なんとなく何もしないのは気持ちが悪く、寺西は顔を洗って制服に着替えた。カーテンを開けると、落ち込んだ気分とは対照的なまでに強い朝日が差し込み、目を細める。
「はぁ」
ベッドに腰を下ろす。食堂に行く気が進まない。
また彼はため息をつくと、自室に新たに運び入れた机に向かって座る。特にやることもないので、視線がふらふら歩きだすが、特に面白そうなこともない。仕方なく、旧海軍の戦術について詳しく解説された本を手に取り、最初のページから読み始める。
彼が本を読み始めてから30分が経った頃、特に熱中しているわけでもなく、しかし他に注意が散らない程度で本を読み進めていると、控えめに扉を叩く音が2回、部屋に響いた。
「はい」
特に感動もなく立ち上がって扉の前まで彼が行こうとすると、扉が開かれ、長く艶のある青髪が視線に入ってくる。
「ああ、どうしたんだい五月雨」
「あ、長官。じつは……」
そう言う五月雨に彼が視線を落とすと、両手の上にお盆が載っかっていた。
「そうか、朝食、持ってきてくれたんだ」
さきほど、彼が少し気が引けると思ったことが、申し訳なく感じられる。
「その、昨日も長官、夕食をお召にならなかったので」
「ああ、昨日はあの後は疲れてすぐに寝ちゃったからね。その、心配かけてごめんね」
彼はうつむき気味な五月雨の頭を撫でる。すると五月雨の顔をぱぁっと明るくなり
「いえ、だいじょうぶですっ! 長官、すごく落ち込んでいるのかなぁと思うと、部屋に失礼するのもだめかなと思っていたんですが……元気そうで何よりです!」
「うん。だいぶ言われたことがショックではあるけど、富山長官の言っていたことは、確かに日本を守るための軍人にとって大切なことだからね。あまり落ち込んではいないよ」
「良かったです~落ち込みすぎて、長官が艦隊指揮が出来なくなったら、とても悲しかったので。でも、この調子なら大丈夫そうですね!」
「あ、ああ」
寺西は昨日言われた富山からの提案を迷っていた。今、”ああ”と言ったところで明日には彼はこの鎮守府にいないかもしれない。その事実に、少し彼の心は針で指先を刺されるような瞬間的な痛みを感じた。
「じゃあ、これお渡ししますね」
「ありがとっ――!」
受け取ろうとして寺西が盆に手を伸ばすと、寺西の両手がお盆の重量を受けきる前に、
お盆が重力に従って落下を始める。突然のことで寺西は盆が手から滑り落ちそうになるが、落ちる前に手を盆の横側に素早く回り込ませたことで、落下は防がれた。だが、皿から飛び出した鮭の切り身が盆の上に着陸し、味噌汁の大波が切り身を洗い流し、波は制服のズボンへと排水された。
「あっ、またやっちゃっ――ご、ごめんなさい!」
お盆がなんとか水平を取り戻した時、五月雨の顔からさっと血の気が引き、肩がこわばり始めた。彼女はハッとすると、あわててポケットからハンカチを取り出して、制服の膝の部分をポンポン叩くように拭く。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「いや、今のはしっかり持たなかった僕のせいもあるよ。今日は休日だし、予備の制服も着任前に買ってあるから、気にしなくて大丈夫だよ」
寺西が声をかけても、五月雨は申し訳なさそうにうつむく。寺西は少しかがんで五月雨に再び声をかけた。
「大丈夫。気にしなくていいよ」
そう努めて笑顔で寺西が話しかけると、五月雨も頷いて顔を上げる。ふと、寺西は部屋にかける時計を見る。彼女が部屋を訪れてから10分ほどの時間が経過していた。
「五月雨、もう行ったほうがいいんじゃないか? 今日は朝から警備任務だろ?」
「あっ、もうこんな時間! 長官、これで失礼します!」
「うん、頑張ってね」
「はい!」
五月雨は駆け足で廊下へと飛び出した。寺西はそんな彼女を目で追って、やれやれと思いつつも、彼女が来る前より明るい気分でドアを閉じた。
「五月雨ちゃん、長官の様子どうだった?」
警備任務中に、そう那珂が尋ねる。
「特に落ち込んでる様子じゃなかったです。あ、もちろん昨日のことは反省してると思います!」
慌てて五月雨がフォローを入れる。その五月雨の発言を聞いた3隻は、同時に少し固かった表情を緩ませた。
警備任務中の第2艦隊の周りには、水平線の果てまで深い青の海が続いている。今日の海は敵艦の1隻も、大きな波も無い穏やかな海だ。
「目に見えて落ち込んでないようなら安心だね」
「全く、こんな忙しいときに休むなんて言語道断ね! 明日から馬車馬のように働いてもらうわ!」
「あ、那珂ちゃん、長官の前で元気になれる歌、歌っちゃおー!」
「はは、それはいいアイディアだね。ボクも何か元気になれそうなことをやろうかな」
「あ、私も! 時雨ちゃん、一緒に考えよ?」
「まったく、あなた達は本当にお人好しね」
先程まで彼女らの頭上にあった太陽は真っ白のままだが、いつの間にか傾き始めていた。
「那珂さん」
「うん、みんな~ここで変針! 後、中継点は2つだから、がんばろー!」
「はーい」
那珂の号令に3隻は答える。警備任務はまだ続く。
クリーニングのために外出届を出した寺西が、昼食を外で食べて戻ってくる頃には、時計の針は14時を指していた。夕食までは時間があるため、彼はどうしようかを悩んでいたが、工廠へと向かっていった。工廠では明石が大きなミシンの様な機械に腰を掛けて、作業を行っていた。
「あ、長官! すいません、すぐ作業終わらせますので」
「いやいや、特に火急の用事じゃないから、焦らなくていいよ」
「いえ、あとちょっとでキリの良いところまで行くので、すぐ終わらせますね」
「ごめんね」
工廠の壁に作業音が反響する。ふと寺西は工廠の一角に丸いすが並んでいたので、その一つに腰掛ける。腰掛けると、ぼんやりと右の手のひらを見て左手で揉み始めた。
「ふう、これでオッケーです。お待たせしました長官。今日はどういったご用事ですか?」
「いや、特に用事というわけではないんだ。ただなんとなく寄ってみただけで」
明石と顔を合わせると、少し頬を赤くしながら、寺西は後頭部に手を当ててそう言った。彼の指はスッと彼の髪の間をすり抜けた。
「あ、いえいえ、別に用事がなくてもいいんですよ! いや、長官、昨日の件があったじゃないですか。何か悩まれてたりとか、愚痴を言ったりしたいんじゃないかなーって」
「いや、別にそんなことはないよ。確かに僕は日本を守る軍人だからね。富山長官のような、確固とした意思を持つべきだということは重々分かったよ」
寺西はうんうん頷いて、自分の言葉を探すように話す。
「でも、僕は彼女たちも守りたい。冨山さんは最後の手段と言っていたけど、そんな最後の手段になるような状況を、僕の目が黒いうちは絶対に作らせない。そうすれば、国を守ることと彼女たちを守ること、両方できる。難しいかもしれないけど、そのためなら努力も惜しまないよ」
「大変なことをさらっと言いますね」
明石が寺西の隣の丸いすに座る。明石はぼんやりと正面を向き、寺西の顔の向きは少し明石の方に傾けたが、ゆっくり正面に戻った。
「でも、私は応援してますよ」
寺西の眉がピクリと上方に動いた。
「無理ですよ、とは言わないのかい?」
「確かにその考えは、ただの理想で実現できないものかもしれません。でも、そんなのやってみなくちゃわからないじゃないですか。いくら設計段階でいい作品が出来上がっても、実際に試作してみたら理想からかけ離れた性能になってしまったなんてこともあるんですから」
寺西の視線が少し下がり、腕を組む。小さなため息が漏れた。
「ただ、長官なら出来ますよ。私達のこと、ちゃーんと考えてくれてますから」
「……そうか、ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
寺西の視線がまた上がり、少し口角を上げて頷く。
1600に第2艦隊は鎮守府へ帰投。富山長官の執務室で結果を報告した。そして今日の夕食の配膳担当だった、那珂が司令本部棟前のロータリーで食事を受け取りに行くと、その場には先に人が居た。
「あれ、長官、何やってるの? 今日の配膳は私が担当だよ?」
「あ、いやあ、なんか1日休みだと、どうも手持ち無沙汰でね。夕食が待ちきれなくなっちゃったから、手伝いに来たよ」
「いや、それはだめだよ! 嬉しいけど!」
「えっ、え、なんで?」
腰が引け、明らかに動揺した様子で寺西が聞き返す。腰に手を当て仁王立ちした那珂は、鼻からふっと息を吐くと、訳を語る。
「だって那珂ちゃんはみんなのものなんだよ! そうやって親切にしてくれるのは嬉しいけど、那珂ちゃんは長官のこと、特別に見ることは出来ないから!」
「そ、そうかい」
手の甲で、少し水分の付着した額を拭いつつ、寺西はゆっくり息を吐く。
「今後は気をつけるようにするよ」
「うん! 手伝ってくれるのはありがたいけど、そこは那珂ちゃんがみんなに愛をあげるための、大切な覚悟だからね! それだけはちゃんと知っておいてね!」
「よ、よくわかった。それじゃあ食堂まで運ぼうか」
「うん! お手伝い、よろしくね!」
2人は食事の入った容器を持ち上げると、そのまま食堂の方へと向かっていった。
まだ17時より前だったため、食堂には誰も居ない。那珂と寺西が大きな容器を調理場に持っていくと、那珂が右手を顎先に当てて考える。
「長官」
「どうしたんだい?」
「私が食事をよそうから、長官はお盆に並べて渡してもらっても良い?」
「ああ、構わないよ」
那珂は準備前に食堂を出ていった。寺西は少し首を傾げつつも、せめて髪の毛が入らないように、帽子をいつもより深くかぶり、作業に取り掛かった。彼が念入りに手を洗っていると、那珂が食堂へと戻ってきた。声をかけようと寺西が入り口を向くと、そこには私物と思しきエプロンと三角巾を身に纏った彼女がこちらに来ていた。
「おまたせ長官! いやー、みんなで回して使ってる割烹着も、かわいい那珂ちゃんには似合うんだけど、やっぱり配膳もおしゃれにしないとねっ」
「あ、ああ」
突然の衣装チェンジに驚きが隠せない寺西だったが、そんなことは気にせず那珂は調理室に入って作業を続けた。寺西もそんな那珂を見て、少しそわそわしたまま、夕食の準備作業に取り掛かった。
2人が配膳作業をしていると、何人かの艦娘たちが食堂へとやってきた。一番にやってきたのは第2艦隊の満潮だった。
「え、なんであんたがここにいるのよ」
「いや、どうも休み中は手持ち無沙汰で落ち着かないからね。せっかくだから、那珂の手伝いをしてるんだよ」
「あ、そう。もしかして那珂さんに変なことしてないでしょうね?」
「い、いや、そんなことするわけないだろ」
「ふーん。ま、あなたにそんなこと出来るわけ無いわよね」
横を向きながら自分の悪口を言ってくる満潮に対して、寺西は眉をしかめる。そんなことは気にしないかのように、満潮は続ける。
「ま、自分の配膳担当じゃない休日にこうやって手伝うのは、良い心がけね。戦略・戦術面では論外だけど、性格面では少し見直したわ」
そこまで言うと、お盆をサッと取って席についた。寺西は気付かなかったが、満潮の耳先がうっすら紅梅色に色づいていた。
「なんだったんだ……」
「満潮ちゃんも長官を心配してたんだって―」
那珂はそう言いながら、柔らかな湯気を出す茶碗を寺西に手渡した。
「え、心配していたのかい? そうは見えなかったけど」
「言い方は良くないけど、満潮ちゃん心配してたんだよー。警備任務中だって、長官がそこまで落ち込んで――」
「うるさいわよ!」
那珂が喋ってる途中で、満潮が口を挟んだ。那珂は微笑むと、また皿を持ってよそい始めた。寺西も首を傾げつつ、お盆に皿を並べる。
夕食後、寺西は富山少将に、彼の執務室に来るよう言われた。少し緊張で心拍数を上げつつも、執務室のドアをノックする。
「寺西です」
「ああ、入ってくれ」
ぎこちなくドアを開いて、寺西が中に入る。ドア入ってすぐで敬礼をし、そのまま直立不動で立ち尽くす。富山は手元の資料を合わせると、椅子を引いてゆっくりと立ち上がった。いつもは執務室にいる大淀の姿は見当たらない。
「さて、君がどうしたいか聞かせてもらってもいいか?」
「私は」
少し息を吸って、吐く。心を落ち着けてから、寺西は話しだした。
「私は、続けて行きたいと考えています」
「そうか。じゃあ、この国のために自分と部下の命が失われるときのための、決心はついたということでいいか?」
「……はい」
決心した、しかし少しだけ反抗が見える目で寺西は富山の瞳を射抜いた。その表情を見て、富山は息をついて言った。
「それなら大丈夫だ、これからもよろしく頼む」
「こちらこそ」
2人はこの場で、再び固い握手を交わした。最初の握手より、2人の握手はずっと強く握られていた。