ゆうべはおたのしみでしたね。
まあ、何を楽しんだかと言えば、宿屋のそれではなくただの食事会だ。結局スイレンも仲間に入れて、せせらぎの丘でバーベキューをする事になったのだった。
何の肉を焼いているのかは、もう考えないことにした。こちらに来てから何度も食してきた肉だ、美味しいことは認めてやろう。だが何が原材料なのかは聞きたくない。
焼いて食べれば美味しいタンパク質と脂質の塊なのだと自分に言い聞かせていると、気が付けば無心で肉を焼き、皿の上に乗せる行為を延々と繰り返していた。
あ、スイレンさん釣ったばかりの活きのいいヨワシを網の上に置かないでくださいメンタルがヘルスしましゅ。
そうやってただ肉を焼く機械になっていると、突然、リーリエが羞恥の表情を浮かべながら、あろうことか、アーンを……やばい刺激が強すぎて思い出しただけで死にそう。逆に表情筋が死んだ。
それはそうとバーベキューにビールは付き物だが、あいにく周りはリアル基準で酒が飲めない未成年揃い。そもそもの話、ポケセンに酒なんて売ってなかった。トラブルの原因になるとのこと。仕方が無いので、サイコソーダで我慢する事にしたのだった。
三本目のサイコソーダをキメていると、不意にその時は訪れた。
一瞬にして視界がブラックアウトし、後頭部に衝撃が走る。平衡感覚から自分が倒れたと知覚し、立ち上がろうとするも、腕と脚が思うように動かない。
野生のポケモンに攻撃されたのかと勘違いしてボールホルダーに触れ、ある事実を思い出した。
俺はインドア派であり、徹夜で動けていたのはドーピングのおかげだったと。
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記憶にあるのは以上だ。
何故リーリエが右腕を抱き枕にして添い寝をしているのかも、ハルジオンがこちらを見つめながら左腕を圧死させようとしているのかも、二人と一匹をまとめてエルモが膝枕?しているのも到底理解できないが、これはもうハーレムの完成と言っても差し支えのないだろう。やったぜ。
ハルジオンとリーリエからの拘束を振りほどくと、上体を起こす。まだ頭は鈍い痛みを発しており、左手は感覚がない。天使はともかくこの邪神、よりによって抱き枕代わりにしやがったな。
「いったーい! どうしてそんなことするの!」
「左腕をもぎ取ろうとした奴がよく言うわ」
血の通ってない両腕を何振りかすると、血流が巡り始めたのか痺れが段々と無くなってきた。ちらとリーリエを見るが、起きる気配は微塵もない。規則正しい寝息と共に肩が揺れ、精巧に作られた人形のように美しい寝顔が生命を宿している奇跡が、より一層酷く儚さを感じさせる。
ここまで、まじまじと近くでリーリエを見るのは初めてだろう。画面越しに眺めていた憧れが、今まさに目の前にある。その達成感は、
「ねえ、いつまでそうしてるつもり?」
脳内に直接刺さる背筋の凍えるような愛の囁き(冷笑)で霧散した。
「……少し黄昏てただけだ。今は何時くらいになる?」
「んーとね、もうちょっとで日の出かな」
となれば、今は六時前くらいになるのだろうか。辺りを見渡すと、既にバーベキューセットは片付けられており、自然らしい静寂を感じる。鳥ポケモンや虫ポケモンたちの鳴き声も、夜明け前で日が昇っていないせいか、あまり聞こえない。
「そうか…………それで、お前達は他に人間と会ったか?」
「ううん。ケンと一緒に居た子だけだよ」
それだけならば対処も簡単だろう。考えたくはないが、今回の事でポケモンだけでなく色々な事がバレた可能性もある。ハルジオンならまだ大丈夫だが、UBのエルモはダメだ。どうやっても誤魔化せない。
最悪の場合、ハンサムやリラ、クチナシといった強力なNCPである国際警察が動くだろう……口封じするなら、人数の少ない今しかない。なんなら遠方に逃げる手段もあるが、子供四人を消すことなど、強力な力を持つポケモンには造作もないことだ。
…………そこまで考えて、思考をやめた。何を馬鹿なことを考えているのだ。この世界はゲームと違い、リセットじゃ戻らない。短絡的な行動は控えるべきであり、熟考とまでは到らずとも思慮深く行動するべきだ。この世界にどれだけ影響するか分からないのだから。
「ケン? もしかして具合悪いの?」
ごめんね、もう無理させないから。と、いつになく優しいハルジオンがそこには居た。どうやら険しい雰囲気を出しているのを、体調不良が長引いているものだと勘違いしたらしい。
いつもは邪神でも、根は優しい子なんだな……と思ったが、そもそも充電切れのように倒れ込んだのは過労が原因であり、元凶はハルジオンだ。祟目にマッチポンプされて好感度を上げてしまうところだった、危ない危ない。
「モクモク」
「セントエルモはね、ボディガード代として虹マメを要求するー!って言ってるよー」
エルモはコードをしゅるりと伸ばし、こちらに掌を向けるかのように広げた。膝枕、兼ボディガード代としてと言うよりは、活動中のエネルギーの補填分を要求しているのだろう。もしかしなくても、ハルジオンより断然いい子だ。
ケースから虹マメを二粒、エルモの掌? に置くと、尻尾部分のコードが横から伸びてきて一瞬のうちに平らげてしまった……一回見てるとはいえ、この瞬間には慣れそうもない。
おそらく、尻尾から電気を吸収している要領で食事しているのだろう。そんなノリでポケマメをドレインするのは、精神衛生上良くないのでやめて欲しい。自分が吸われるのを嫌でも想像してしまう。
「さてと、お前達について言い訳を考えなきゃいけないんだけど……何か案はないか?」
「はいはーい!! あたしたちの仲を一切包み隠さず話しちゃって、お邪魔虫どもを駆除しちゃう!」
「却下」
「モク」
「お、エルモも何か思いついたか?」
「モクく、もくモク」
ダメだ、サッパリ分からない。
「やっぱりそう思うよね! セントエルモもね、あたしたちのこと、そんなに隠さなくてもいいんじゃないかって言ってるよ!」
「本当かぁ?」
訝しげな目でハルジオンを見たが、それを察したのかエルモが触手で肯定をアピールした。どうやら本当にそう言ったみたいだ。
「お前達の事がバレると、色んなとこから国際警察が飛んできて大変なんだけど」
「だいじょーぶ!! ちゃんと妻のあたしが守ってあげる! ほら、エルモだって百人は殺れるって!」
「モクク」
無言で肯定するエルモこわい。
物騒なことを言う二匹だが、存外に頼もしく見える。日本人の俺にとって、警察という国家権力は絶対の存在に思えてしまうが、超常の存在であるこの二匹にとっては羽虫も同然のようだ。頼もしいことこの上ない。
「流石に、あんまり物騒なことはやめてくれよ……?」
ふふふっと怖い笑みを浮かべるハルジオンと、高揚したのかバチバチと発光しているエルモを見て、半分くらい諦めの心が芽生えた。国際警察の皆様、御愁傷様です。
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ケンさんが倒れた。
突然の出来事で、ミヅキさんも、ハウさんも、スイレンさんも固まってしまいました。
何かあったに違いないと駆け寄ろうとすると、これもまた突然に、ケンさんの持っていた既視感のあるモンスターボールから、コード束のような巨大なポケモンさんが現れました。
そのポケモンさんは、現状を即座に把握するとわたし達の前に立ちはだかり、わたしに威嚇しているのか、触手を放電させバチバチと火花を散らします。
「そこを退いてくれませんか?」
ケンさんの容態が分からない以上、ここで引いてはいけません。ずいと詰め寄り、謎のポケモンさんと暫し対峙する事数秒間。この短いようで長い数秒が経過すると、もう一匹のポケモンさんが現れました。
「セントエルモ、大丈夫。その女に敵意は無いよ」
アーカラ島の守り神、カプ・テテフ……ハルジオンさんです。ハルジオンさんの言葉を聞くと、セントエルモと呼ばれたポケモンさんは静かに触手を下げました。
「ありがとうございます、ハルジオンさん」
「チッ……別に事実を言ったまでだから。はやくケンを元気にしなさい」
元気にして、と言われても医者の真似事さえ出来ないのですが、それでも何か力になれればとケンさんの容態を確かめるべく、体温を測ったり、脈拍を測ったりしました。
ケンさんは不思議な人です。わたしたちと同い年なのに、振る舞いは大人びていて、ポケモンバトルは一流、島の守り神であるハルジオンさんにも好かれていて、教養と学問も申し分なく嗜んでいます。
そんな彼が、未来から、わたしのためにやってきた。
そんなことを考えるのは自惚れかとも思ったけれど、考えれば考えるほど、ケンさんはわたしのために尽くしてくれている事実に、考えるだけで、不謹慎ですが今までにないくらいドキドキしました。
…………ケンさんこそ、一番大変な目にあって苦労している筈なのに。
空間研究所で、ククイ博士とバーネット博士からFallについて話を聞いた時、胸が締め付けられるようでした。
『彼等Fallは、ウルトラホールに吸い込まれる過程で何かを失ってやってくる。記録に残っている内で、一番可能性が高いのは記憶の喪失だ。彼も例に漏れずその可能性がある』
違う。ケンさんは嘘をついてた。記憶喪失も勿論嘘であり、寧ろ自身がFallであることを悟っていた節さえありました。
じゃあ、いったい何を失ったのか。それは、傍にいたわたしだからこそ分かります。
ケンさんは、喜怒哀楽を表現することができなくなってました。
一緒に話している時も、ポケモンさんと話している時も、バトルをする時も、誰かに脅しをかける時でさえ、
彼は、悲しいほどに真顔だった。
でも、わたしには分かるんです。わたしだけは分かるんです。
彼が喜んでいる時、彼が怒っている時、彼が悲しんでいる時、彼がリラックスしている時。なんとなく、どう思っているのかが。それが少し嬉しくて、ちょっとイタズラした時もありましたけど……
そう思ってたのに、倒れるまで彼の不調に気付けなかった。
触診してみたところ、脈拍数や体温には異常は見られず、ただ疲れて眠っているように感じます。
悔しい。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しいどうして彼が疲れてるなんて簡単で初歩的なことが分からなかったのでしょうか一日中一緒に歩いた時には睡眠をきちんと取っていたみたいだったし道中には疲労した様子は一切見えなかったしベッドに入るまでずっと見張ってたのと匂いからベッドを使ったのは一時間に満たないのも彼が使う部屋に午前二時五十八分四十秒くらいまで侵入しなかったのも記憶していたし置いてあった荷物の一部が無くなってたのも分かってたから彼が殆ど寝てないことなんて推測できたけど一緒にピクニックデートをした時はそんな素振り少しも見せなかったしいつもと違う若干の手の震えだって見過ごしてなかったしバーベキューだって彼にしては少し拙い動きを繰り返してたから栄養取らなきゃってお肉を食べさせてあげたのにどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
ゆるせない。
「ハルジオンさん、ケンさんは過労で疲れて眠ってるみたいです…………何か心当たり、ありますよね?」
「えっと、別になにも……」
「おかしいですよね、いつもはケンさんに触らせてもくれないのに、今回はこーんなに触っても心配そうに見てるだけ……カプ・テテフは生命力を増強させる鱗粉を使い、生物を活性化させると聞きました。昨日はケンさん寝てないみたいですが……」
ハルジオンさんの反応を見て確信しました。ケンさんをあんなに疲れさせたのは、他でもないハルジオンさんの仕業であると。ライチさんにカプ・テテフの生態を教えて貰って助かりました。敵について調べるのは何事においても基本的なことですもんね。
「心当たりがないなら仕方無いですね。でも、ケンさんの身体が冷えると行けないので、ちょっと失礼させていただきます」
「ちょ、ちょっと! あんたどういうつもり!」
そんなの決まってます。ケンさんを守る為には、もっともっともっともっとケンさんのことを知らなきゃいけないんです。だからケンさんと一緒に横になって暖め合うついでに色々なことをしてもそれは仕方が無いんです。
ケンさんの隣に失礼させてもらい、一番近くで寝顔を拝見させてもらいます。普段はキリッとしてる分、寝顔は歳相応でかわいいです。また一つ知ることができました。
もう大丈夫ですよ。この調子で、ちゃあんとケンさんのこと『保護』してあげますから。