ポケットモンスター -N's story-   作:ロールキャベツ

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VS怠惰な博士と怠惰な戦士

 そこは小さな港町だった。大きな建物もなく、特別にその町を象徴するものもないが、その分、見上げると空がとても広く感じる。そして何より、海風が心地良い。

 

 Nが乗ってきた客船は、カントー地方、クチバシティの港に停泊した。その町にはほとんど高低差がなく、ひたすらに平坦だった。人も多くなく、かと言って少なくもない。

 

 穏やかな時が流れている町だ、とNは感じた。町が小さいために行きかう人の中には知り合いとの遭遇率も高いのか、挨拶を交わす声を何度も耳にした。

 

 ひとまずこの町を含めたカントー地方について情報を集めなければならない。そう考えたNはポケモンセンターを探そうと、ベンチから腰をあげた。

 

「見たことのないポケモンを連れていますね」

 

 唐突に声が聞こえたので振り向くと、すぐ近くに老人が立っていた。蓄えた白い髭とサングラスが特徴的で、上品なスーツを身にまとった老紳士だ。携えている杖がよく似合う。

 

 その老人はNのベルトに装填しているモンスターボールを注視していた。

 

 Nが話そうと口を開きかけたそのとき、彼を見た老紳士の顔が緊張したように目を見開いたかと思うと、途端に変な口調で話し始めた。

 

「ハ、ハロー。えー、ワタシノナマエハ……」

 

 どうやらNがほかの地方からの来訪者であることに気が付いた老紳士は、彼にはここの言語は通じないかもしれないと考えた末の言動を取っているようだった。

 

「言葉なら通じますよ」

 

 Nのその言葉を聞いた老紳士は一瞬固まったかと思うと、すぐに笑顔を見せた。

 

「てっきり通じないかと……。とにかく通じるなら安心しましたよ」

 

 一つ咳払いをすると再び会話に戻った。

 

「それで、そのポケモンを私は見たことがないのですが、よければ見せていただいても?」

 

「ええ。構いませんけど」

 

 突然話しかけてきたかと思えばポケモンを見せてほしいなど、少し変わっているとは思いつつも、とくに見せない理由もないNはモンスターボールに手を添えようとしたが、老紳士はそれを手で制した。

 

 彼はNを連れて歩き出した。だいすきクラブへ案内すると言っている。

 

「だいすきクラブとは何ですか?」

 

 聞きなれない単語だった。名前からして何かを好きな人が集まる会合に間違いはなさそうである。

 

 老紳士はにやりと笑うと、目を輝かせながら熱弁し始めた。

 

 だいすきクラブの正式な名称は〝ポケモンだいすきクラブ〟と言うらしい。ポケモンを大好きにしている者たちが普段から集まる会のことで、そこでは自由に自分の好きなポケモンについて話したり、自らのポケモンを見せたりすることができるようだ。

 

 また、そこの会員である者のほとんどがポケモンを戦わせることに抵抗があったり嫌ったりしており、むしろ魅せることの方を好むらしい。

 

 しかしそれは人間のエゴではないのだろうか、とNは疑問に思った。

 

 自分のステータスをよく魅せようとするためにポケモンにもそれを強要しているのではないのだろうか。本当にポケモンたちは好んで美しく、可愛く魅せようとしているのだろうか。人間はポケモンのことを所有物のような感覚として見なしてはいないのだろうか。本当は戦いたくても我慢を強いられているのではないだろうか。

 

「それは、ポケモン自身も戦いたくないと言っているんですか?」

 

「もちろんだとも。愛しいポケモンちゃんたちの声をちゃんと聞き届けての結果だよ」

 

 老紳士は胸を張ってそう答えた。

 

「そこまで言える根拠はいったい何ですか?」

 

「ふむ。質問が多いな……。まあ、よい」

 

 彼はとある建物の前で足を止めた。ポケモンだいすきクラブと書かれた看板が立てかけられており、一緒に描かれているピカチュウの絵が特徴的である。

 

「話はこのだいすきクラブでゆっくりと聞こう。さあ、入りなさい」

 

 老紳士に促されるままNは扉をくぐった。

 

 外観からの想像よりも中は広かった。テーブル、ソファ、本棚といった家具はもちろん、天井からはシャンデリアが吊るされており、床には真紅の絨毯が敷かれている。また、ポケモンのための小さな遊具も設置されていた。〝だいすきクラブ〟の名の通り、ポケモンへの配慮は忘れてはいないようだ。

 

 数人が老紳士に気が付くと、彼を〝会長〟と呼び、挨拶を交わした。

 

 会員であろう人たちは見た目が千差万別だった。

 

 見るからに高そうな服にアクセサリーを体中に身につけている貴婦人から、とあるポケモンを模ったであろうコスプレをしている若者、スーツとメガネが似合う頭の良さそうなビジネスマンまで職業などは異なっているようだ。そして彼らが一緒に連れているポケモンたちまで同じような恰好をしたり、異なる洋服を着ていた。

 

 その見慣れない光景にNは言葉が出て来なかった。そして同時に室内の様々な視線が自分に向けられていることを感じた。彼が異国の地からの訪問者であるからだろう、まるで珍しいものを見るような目つきだった。

 

 席につくと、中年の女性が老紳士の指示で紅茶を運んできた。

 

「こんにちは。会長から話は聞いたわ。きっと無理やり連れて来られたんでしょうけど、悪い人ではないから大目に見てあげてね」

 

 女性事務員は優しく微笑むと奥へと姿を消した。

 

「ところで、君の名前は聞いたかな?」

 

 席に着いた会長が尋ねてくる。

 

「いいえ。Nと言います」

 

「Nくんか。よろしく。私はこのポケモンだいすきクラブで会長を務めています」

 

 老紳士と握手を交わす。優しくも力強いものだった。

 

「それで、さっきの君の話だが――」

 

「会長、こんにちは」

 

 やっと話し合えると思ったのも束の間、誰かに話を遮られた。声が聞こえた方を見ると若い女性がこちらに向かって歩いていた。ブロンドの髪を束ね、眼鏡をかけている。資料のようなものを脇に抱えている以外は特に派手な格好もしておらず、軽装だった。

 

 しかしなぜだか、彼女には目を惹かれる何かがあった。容姿が良いからか、賢そうだからか、今までNに向けられていた視線を彼女は一瞬にして奪った。

 

「おお、ミモザくん! こちらへ」

 

 ミモザと呼ばれた女性は会長に促されるままNの向かいの席に座った。Nと目が合うと握手を求めた。

 

「こんにちは。ミモザと言います。カントーの人……ではなさそうですね」

 

 Nも礼儀に倣って握手を返す。相手は異国の出身でありそうな顔立ちだった。

 

「Nと言います。イッシュから来ました」

 

「そうなんですか! 私も同じ出身で、数年前にカントーに来たんです」

 

 同郷の人との出会いがうれしいのか、ミモザの顔が笑顔で満ちる。

 

「ところで会長、こちらが先日取らせていただいたデータの結果になります」

 

 ミモザが資料を手渡すと、会長は興味津々といった表情で資料を食い入るように見た。合図地を打ちながら資料を読んでいる。

 

 Nはそれがいったい何なのか気になり、彼女に訊いてみた。

 

 まず、ミモザはとあるポケモン研究者の助手をしているらしい。人間とポケモンの間に稀に発生する現象――彼女たちは〝シンクロ現象〟と名付け、それについて研究しているとのことだった。

 

 他の地方ではすでに〝キズナ現象〟としてメガシンカの研究を行っているらしいが、彼女たちが研究しているものはそれとは異なるものらしい。

 

 資料は研究の一環で会長に手伝ってもらったときの結果が記載されている、とミモザは話した。

 

「メガシンカはトレーナーとポケモンとの間において信頼関係ともいえる〝キズナ〟が深まっていることを条件にバトル中のみに起こる現象であるのに対して、シンクロはバトル中でもコンテストなどのパフォーマンス中でも起こるんです。人間とポケモンの〝気〟のようなものが同調したときであれば、状況は問わずに発生すると考えられています」

 

「つまり研究対象はポケモンだけではなく、人間とポケモンの両方、ということでしょうか?」

 

「その通りです。シンクロはその言葉通り、人とポケモンがお互いに、心や思考、見ているものから感じているものまで同じになります。一心同体、という言葉が当てはまるかもしれませんね。なので、ポケモンだけではなくて人間についても研究しています。メガシンカの場合はポケモンが姿を変えて力を増幅させますが、人間にはほぼ影響はありません。対してシンクロは相互が感じるものをお互いに感じます。両者に影響があるのです」

 

「なるほど。たしかにそれなら、なぜ相互に影響し合うのか、人間とポケモンの両方を研究する必要がありますね」

 

 ポケモンを研究している人は世界中にたくさんいるが、〝ポケモン研究〟という枠組みの中でポケモンと人間の両方を研究している人がいるとは聞いたことがなかった。

 

 そもそもポケモン自体について解明されていないことは山ほどある。そのまだ謎が多いポケモンと人間を結びつける研究を行っているとは驚きだ。

 

「この研究にご興味があるんですか?」

 

 ミモザはくすっと笑いながらNに問いかける。その問いで、少し身を乗り出しながらミモザの話に熱心に耳を傾けていたことにNは気付いた。

 

 その研究に興味が湧いているというよりも、人間とポケモンの新たな可能性があることに関心があった。だが同時に、〝研究〟という行為に疑問を持つ自分がいることも確かだった。

 

「なぜ、シンクロ現象の研究を?」

 

「それは――」

 

 彼女が話し始めようとしたとき、会長は資料を読み終えたのか深く溜め息を吐いた。ここの人たちはマイペースに生きているからか、どうやら他者の話に割って入るのがうまいようだ、とNは感じた。

 

「ミモザくんたちにとっての結果はあまり芳しくないようだが、私にとっては良いものだ」

 

 ミモザは会長の言葉の意味がいまいち理解できなかったのか小首を傾げる。

 

「と、言いますと?」

 

「私とポケモンちゃんたちはものすごく深い愛情で結ばれているということだ」

 

 ミモザは呆気に取られて困った表情のまま言葉を出せずにいた。猫なで声を出しながら懐から取り出したモンスターボールを撫でている会長を見て固まっている。

 

「まあ、たしかに、そうかもしれませんね。ポケモンに対する会長の愛は深いですから」

 

 ミモザは苦笑いを浮かべた。

 

「そういえば、ここにいるポケモンのほとんどが進化前ですね。何か理由でもあるんですか?」

 

 Nが会長に尋ねる。

 

「私はとくに進化前のポケモンが好きでね。それに愛しいポケモンを戦わせるなんて可哀想だし、なにも戦わせるだけがすべてではない。だから同じ気持ちを持つ者を集めてそれを共有しているんだよ。そうしたら偶然にも進化させる人が少なかったといったところかな」

 

 基本的に、ポケモンは戦わなければ生存における経験値が得られず、進化しない。進化したくてもそれができないのだ。しかし、本当に彼らは望んで進化をしているのだろうか。

 

 進化したくないポケモンも中にはいるかもしれない。彼らにとっての進化とはすなわち、生きるための更なる力を得て、姿かたちを変えることである。

 

 人間とかかわらない野生の環境は非常に過酷である、その中で生き抜いていくために、たとえ望んでいなくても強くならなければならない。

 

 だが人間と一緒に生活していれば、特にだいすきクラブの会員たちのようにポケモンバトルに抵抗がある人たちと暮らしていれば、彼らは進化するかそうでないかを選択できる。見方を変えれば、生きるための選択肢が増えるということだ。ポケモンにとって幸せなことではないだろうか。

 

 Nが考えに耽っていると、ミモザが突然立ち上がった。

 

「Nさん、よければ研究所に来ませんか? 研究にご興味があるようですし、なにより、学者肌のように感じます。彼もNさんのように興味を持ってくれる人は歓迎してくれると思います」

 

「彼?」

 

「私が助手を務めさせていただいている博士です」

 

 そういえば彼女は博士の助手をしていると言っていた。ほとんど手つかずの分野に取り組んでいる博士にはたしかに一度会ってみたいものだ。Nは頷くと立ち上がった。

 

「会長もご一緒にどうぞ」

 

「そうだね。私も久々に彼の顔を見たいし、行くとしよう」

 

 三人はポケモンだいすきクラブを後にした。

 

 

 

 ミモザが務めている研究所は丘の上にあった。クチバシティの建物はほとんどが低いため、丘から見える海を妨げるものはない。そこはとても見晴らしのいい場所だった。そしてなによりも空が近く感じる。

 

 研究所はこじんまりとしていた。大きくもなく小さくもなく、一軒家を横に二軒ほど連ねたくらいの大きさである。研究所の横には公式にポケモンを戦わせることができるバトルフィールドも設置されていた。

 

「どうぞ中に入ってください」

 

 ミモザに促され、Nは研究所の中に足を踏み入れた。二階まであるようで、玄関の天井は吹き抜けとなっていた。外観からは予想もできなかった広さを感じる。

 

「研究室は少し散らかっていて見せられませんが、客間にご案内しますね。途中で買ったコイキング焼きと緑茶がよく合うので一緒にお出しします」

 

 その言葉に案内役を買って出た会長にNを任せると、ミモザは奥に入っていった。やり取りから察するに、会長はかなりの頻度で研究所に遊びに来ていたに違いないとNは思った。

 

 会長に連れられて客間に入る。客間は庭と繋がっており、その先にクチバシティの港町と海が見えた。本当に景色がよく、いつまでも眺めていられそうである。

 

「あれ? 会長ですか?」

 

 声が聞こえた方を振り向くと、白衣を羽織った男がソファの上で肩肘をついて寝そべっていた。首元にはアイマスクが下がっており、気怠そうにこちらを見ている。

 

「おお、ネムリくん。相変わらずだね」

 

「ご無沙汰してます、会長。実験の折はありがとうございました」

 

 ネムリと呼ばれた男は言葉に反して、態度はまったく変わらずにいた。とても心の底からお礼を述べているようには見えない。

 

「ちょっと博士、何してるんですか!」

 

 お盆を持って現れたミモザが博士に叱責した。

 

「何って、疲れたから寝てたんだよ」

 

「そういう意味じゃありません! どうして来客の方に対してそういう態度なのか聞いているんです!」

 

 男はわかったわかった、と言いながら起き上がるとソファに座り直した。三人も、テーブルを囲んで椅子に座る。

 

「お騒がせしてすみません。この死んだ魚のような目をした人が、この研究所の第一責任者であるネムリ博士です」

 

「今さらっと酷いこと言わなかった?」

 

 ネムリは苦笑いを浮かべながら助手のミモザを見た。

 

 ミモザに紹介された博士は、三十代半ばくらいのようだった。オールバックにしている若干長い髪は乱れており、顎髭が生えている。青白くて面長の顔に細くて切れ長の目がよく合っていた。

 

 白衣の下は開襟シャツにスラックスという恰好で一見真面目そうに見えるも、洋服には皺が寄っており、片方のシャツの裾がだらしなく垂れていた。先程の態度といい恰好といい、怠惰そうな性格であることが瞬時に理解できる。

 

「それで、そこの美青年は誰だい?」

 

「Nさんです。私と同じ、イッシュの出身なんですよ」

 

 へー、と興味のなさそうな返事をしながら、ネムリは卓上に置かれたコイキング焼きに手を伸ばす。

 

 ミモザが彼らを研究所に連れてきた理由を話し終えると、ネムリは何個目かのコイキング焼きを手に取った。

 

「Nくん、コイキング焼き食べたことある? カントーの名物よ。旨いよ」

 

「博士、私の話聞いていました? そろそろ怒りますよ?」

 

「いやいや。もう顔が怒ってるけど?」

 

「まだ怒っていません」

 

 ひたすらに彼らはそのようなやり取りをしている。会長の方を見ると、いつものことだ、とでも言いたそうな顔をしてお茶をすすっている。

 

 Nはコイキング焼きを一つ手に取った。これは研究所へと向かう途中で買ったもので、カントー地方の名産品として有名であるらしかった。ポケモンのコイキングをかたどった焼き型に生地を流し込んで焼いた食べ物であり、中には餡やクリームが入っている。

 

 当然ながらNは見たことも聞いたことも食べたこともなく、その口当たりの良さに不思議な感覚を覚えながら食べた。

 

「まあ、せっかくカントーに来たんだし、ゆっくりしていきなよ。何もないけど」

 

「自分の出身地に対して何もないなんてよく言えますね」

 

「だって本当に何もないじゃん。平和すぎだよ。ちょっと前まではいろいろ大きい事件もあったのに」

 

「その発言は不謹慎ですよ」

 

 〝大きい事件〟が気になったNがそれについて聞こうとしたところ、再び彼らは言い合いを始めてしまった。呆れつつ横の席に座っている会長に事件について尋ねる。

 

 会長は湯呑みのお茶をひと口すすると、話し出した。

 

 数年前、カントー地方の最大にして最悪の事件が起こった。ポケモンマフィアのロケット団がカントー地方とその隣のジョウト地方で主に暗躍していたということだ。彼らはときに企業や施設の運営によって、ときにはポケモンの力を利用して世界征服を企みつつ着実にその勢力を広げていた。

 

 その悪事は次第に人々に知れ渡るようになり、残酷さを増していった。金儲けのためにポケモンの強奪と乱獲、殺害を繰り返したり、ビルの不法占拠、ポケモンを使った強制進化の実験まで非道とも捉えられる行動を起こし、人々はその悪に恐怖した。

 

 しかし、あるときを境に彼らの力は衰退し、現在ではぱったりと音沙汰がなくなってしまったらしい。その背景には組織が大きくなりすぎて収集がつかなくなった、また、とあるポケモントレーナーの活躍が囁かれたりしたが、どこまでが本当の情報かは明らかとされていない。

 

 ロケット団という組織があることくらいはNも知っていた。実際、彼が暮らしていたイッシュ地方でもその組織が暗躍しているという噂は広まっていた。しかし、今ではすでに撤退したという。

 

「ボクも聞いたことがあります。かなり大きい組織だったようですね」

 

「うむ。私も被害にあったことがあって、愛しのポケモンたちを盗られたことがあったのだが、とあるトレーナーが奪い返してくれてね。あのときは本当に助けられたよ」

 

 つまりその組織に立ち向かったポケモントレーナーがいたことになるのだが、奪い返したとなるとその人物もよほどポケモンバトルが強かったのだろう。ただ強いだけなのか、それともポケモンと心を通わせてこその強さなのか。どちらにしろ、いずれ会ってみたいとNは思った。

 

「それで、君はどうして旅なんてしてるの?」

 

 話がひと段落ついたのか、ネムリは胸ポケットから煙草とジッポライターを取り出しながらNに尋ねた。ミモザが近くの棚から彼の前に灰皿を移す。

 

「ボクは何者なのか、この世界でボクにできることはいったい何なのかを探すために旅をしようと決めて、今ここにいます」

 

 Nはイッシュ地方での出来事を一つひとつ思い出しながら、自分が旅をする決意をした理由をネムリに伝えた。

 

「なるほど、自分探しの旅ってやつか。人生の壁にでもぶつかったの?」

 

「もう少し聞き方を考えてください」

 

 ネムリの発言にすかさずミモザが口を挟む。どうやら彼らはこの掛け合いが普通らしい。博士であるネムリのつかみどころのない性格を助手のミモザが細かく軌道を修正しながら話を展開していく。息が合っているように見える。

 

 Nにはその光景に見覚えがあった。彼の近くにも、ネムリとミモザのような性格ではないが、常に息が合っている人物が二人いた。彼らはいつも冷静な思考で、しかし熱心な行動でNのことを支え続けた。そしてお互いに尊重し合ってもいた。

 

 ネムリとミモザも彼らに似ているのかもしれない。言葉や行動は違えど、お互いに認め合い気にかけているからこそこの生活ができているのだろう。

 

「良いコンビでしょう?」

 

 またしても言い合いをしている二人を見ていると、隣の会長がNに耳打ちしてきた。会長も同じ考えのようである。Nは小さく頷くと、咳払いをして二人の言い合いを終わらせた。

 

「ボクの話よりも、博士のシンクロ研究についてお聞きしたいのですが」

 

 博士は煙を吐き出すと煙草の火を消した。

 

「おれの研究に興味を持つなんて君も物好きだね。ミモザちゃんくらいしかいないと思ってたよ」

 

「なんですかその言い方! 私は博士の研究に敬意を払って手伝っていますよ」

 

 うれしいねえ、とネムリはにやりと笑いながらひと言そう言った。

 

「俺がシンクロ研究を始める以前から、似たような現象についてはいくつか事例があった。たとえば、このカントー地方のトキワシティという町には不思議な力を持つ人間が生まれることがある。彼らはポケモンとより心をかよわせ合い、自らの気持ちを同調させてポケモンの力を強化することができるんだ」

 

「……それは本当ですか?」

 

 Nの問いにネムリは無言で頷いた。ポケモンの力を強化することができる人間がいるという話は一度も聞いたことがない。

 

「ミモザちゃん、説明よろしく」

 

 重要な話題を博士が放り投げてきたことに溜め息をつきながら、ミモザは説明を始めた。

 

「先程も簡単に説明しましたが、メガシンカの場合はキーストーンとメガストーンという石を媒介として絆や思いといったものをつなげて、通常の進化ではない進化、メガシンカを引き起こします。これによってポケモンは安定して姿を変えることができ、力を増大させることができます」

 

 理解したことを示すためにNは頷く。

 

「対してシンクロは、媒介するものがありません。人間とポケモン、双方の気持ちのみで強化を図ります。気持ちが一つにならなければ起こらず、仮に起こったとしても一つになることが弱ければ強化が不安定になります。気持ちの一体化が強くなればなるほど、強化は安定し、メガシンカよりも絶大な力を発揮するというのが博士の仮定です」

 

「事例を読む中でいくつかわかったことがある。シンクロ状態になると感覚の共有や動きの同調が起こるんだ。これによって適切な指示を出すことができたり、さらに強いシンクロ状態になると指示を出さなくても思考の共有によって動くこともできる。これが仮定の理由だ」

 

 なるほど、とNは呟いた。

 

 メガシンカが進化を超えた進化と呼ぶなら、シンクロはまさに人間とポケモンの一体化と呼べるのかもしれない。それにポケモンだいすきクラブでの彼女の話からすると、メガシンカはバトル中という状況下になければ起こらない現象であるのに対して、シンクロは特別な条件がない。

 

 つまり、気持ちが一つになりさえすればバトル以外でも起こり得るということである。コンテストの例を極端にとると、演技中にパフォーマーとポケモンがシンクロを起こすことができれば高得点を取れるといったところだろう。

 

「さらにメガシンカはすべてのポケモンに起こるわけではありません。特定のポケモンが最終進化まで辿り着いたときにメガシンカすることができます。しかしシンクロはすべてのポケモンに、進化など関係なく起こると考えられています」

 

「ざっくりと言えば、シンクロ現象は人間とポケモンの気持ち次第で起こる、という感じだね」

 

 ミモザの言葉をまとめるように会長が言った。

 

「言い換えれば、いつ、どこで、どのポケモンに起こるのかわからない現象だ。シビアな話、研究費も時間も多くは割けられない。そこでタイプを絞って研究することにした」

 

「ポケモンのタイプですか?」

 

「そう。俺たちはノーマルタイプのポケモンに焦点を当ててシンクロを研究してる」

 

 タイプ――すなわち、各ポケモンの性質や属性を表すものであり、現在までにノーマル、ほのお、みず、くさ、でんき、いわ、じめん、こおり、どく、エスパー、かくとう、ひこう、むし、ゴースト、ドラゴン、あく、はがね、フェアリーの18種類が確認されている。

 

 今のところは、どのポケモンもいずれか一つはタイプを持っていることが判明している。

 

 ほぼすべてのポケモンがノーマルタイプの技を一つは覚えることができ、最も正統的なタイプとも言える。

 

「なぜ、ノーマルタイプに?」

 

「んー、シンクロ研究に着手する前はノーマルについて研究していたし、じゃあノーマルでいいかっていう感じだな」

 

「建前でもいいのでもう少しまともなことを言ってください」

 

 またもやミモザはやる気も話す気もなさそうな博士の発言に溜め息をついた。

 

「ノーマルタイプに属するポケモンの多くは攻撃面や防御面などの状態において偏りがなく、バランスが取れています。覚えられる技も豊富で、他のタイプの技も多く習得することができて万能であるという声も高いです」

 

 そう言いながら、ミモザはNを庭先に案内した。こうして見てみるとこの丘の上には研究所しか建っておらず、庭というよりは広大な敷地という言葉の方が合っているように感じる。

 

 研究所のそばの木々の近くには二匹の巨体なポケモンと一匹の小さなポケモンが仲良く寝ていた。いねむりポケモンのカビゴンとものぐさポケモンのケッキング、ちゅうけんポケモンのハーデリアであった。

 

「一部になってしまいますが、ご覧のようにノーマルタイプのポケモンには外見の共通点が多くありません。そして彼らが得意とするノーマルタイプの技は、全タイプ中唯一弱点を突くことができません。しかしその代わりに、彼らは他のタイプの技を多く扱うことができるように器官を進化させて生きてきました」

 

 気配がしたのか、ハーデリアは起き上がると尻尾を振ってこちらに近づいてきた。ミモザの元に駆け寄るとうれしそうにじゃれついた。彼女もまた、優しくハーデリアをなでる。

 

「こうしたことからも一部の学説では、ノーマルタイプは他のタイプの原点的な立ち位置にあるのではないか、広義の目で見ても性質的には人間に近いのではないかなどと唱えられています」

 

 ミモザは視線をハーデリアからNに移す。それは真剣な眼差しであり、研究に対する信念で満ちていた。

 

「もしそうであれば、人間が最もシンクロしやすいのはノーマルタイプのポケモンなのではないか。これが、私たちがシンクロ研究においてノーマルタイプのポケモンに焦点を当てている理由です」

 

「さすがだよ、ミモザ。すばらしい説明だ。優秀な助手を持てて俺はうれしいよ」

 

 コイキング焼きを頬張りながら博士は助手に賞賛を送った。優秀な助手は呆れながら上司を見ている。しかしなぜだか、彼女が心の底から呆れているようにNには見えなかった。

 

「まあ、彼女の説明のとおりだ。それで時々、ノーマルタイプのポケモンを持ってる会長に手伝ってもらってるわけよ」

 

「そういうことです。私の愛しいオニドリルちゃんとの絆を研究に役立てていただいています」

 

 シンクロ研究についてはある程度理解できた。メガシンカと同じように心をかよわせても結果は異なるものであることはおもしろい。ポケモンだけでなく人間との相互関係について研究している点も、他の研究とは一味違うようである。

 

 しかし、彼らは決定的なことを話していない。

 

「なぜ、シンクロの研究をしているんですか? 何のためにシンクロ研究をするんですか?」

 

 しばらくの間沈黙が続いた。どうやらこれに関しては、助手のミモザもポケモンだいすきクラブの会長も確かな答えを持っていないらしい。二人ともがただじっと、ネムリが話し出すのを待っている。

 

 ネムリは煙草をゆっくりと吸って吐いてを繰り返している。目の前の灰皿には三本の吸い殻が横たわっている。

 

「……人でもポケモンでも、誰かとつながるっていいことだと思わない? 独りじゃないんだよ」

 

 夕陽が部屋いっぱいを照らした。それは一日の終わりが近づいていることを一瞬で教えてくれる。

 

「クチバはオレンジ、夕焼けの色。夕焼け色の港町」

 

 ネムリは細い目をさらに細めて夕日を見ながらそう呟いた。その表情は穏やかで温かいものだったが、どこか寂し気にも見える。

 

「カントーには温かい人が多い。滞在するならよく見ていきな」

 

 ネムリは煙草の火を消すと立ち上がった。想像していたよりもずっと背が高いことにNは驚いた。

 

「飯の準備だ。会長もNくんも食べていってくださいよ」

 

 ネムリがそう言うと、近くのパソコン画面から何かが突き出てきた。それをネムリはなでる。

 

「いつものピザを頼むわ」

 

 それは一声鳴くと再びパソコンの中へと姿を消した。

 

「ポリゴンZですか?」

 

「ああ、そうだ。バーチャルポケモンで、電脳空間や異次元空間で動くことができる。俺のポリゴンZはパソコンの中が好きでね、メールの連絡とか情報収集とかを任せることが多いんだよ」

 

 ポリゴンZは、人工的に生み出されたポケモンのポリゴンが最終的に進化した姿であり、さまざまな空間での作業を得意としている。今はおそらくインターネットでピザの注文を頼んだのだろうが、まさに適材適所といったところだ。

 

 このネムリという博士は一見怠慢でやる気のないように見えるが、博士なだけあってポケモンに関する知識も多く、人とポケモンについてよく考えているようであった。

 

 Nはそんな彼に、研究に興味を持ち、話すこと以外で彼が何者なのか知りたくもあった。

 

「博士、よければポケモンバトルをしませんか?」

 

 ミモザと会長は驚いたようにNを見た。何か言いたげな表情をしているが、何も言わない。しきりにバトルを申し込まれた博士を見ている。

 

 ネムリはじっとNの目を見つめた。探るような目つきでもなく、感情の色が表れていない。何を考えているのかわからないそれは、自らの心の内を相手に見せないようにしているようでもあった。

 

「まあ、ピザが来るまでの間なら」

 

「なんと!」

 

「博士! 本気ですか?」

 

 よほどネムリの答えを予想していなかったのか、二人は驚いて声を上げた。

 

「なんだよ、その反応は。たしかに基本的にはバトルなんてやりたくないが、気分が乗るときだってあるんだよ」

 

 助手と会長の反応に不服そうに頭をかきながら博士は庭先へと向かう。

 

「Nくん、バトルをするのはいいが、記録は取らせてもらう」

 

 Nが疑問に思っていると、ネムリに頼まれたミモザがアタッシュケースを抱えて部屋に戻って来た。ケースの中には腕輪のようなものが四つ入っている。

 

「これはカロス地方にいる発明家の少年によってつくられたものです。バトルパルス測定器と言って、装着した人やポケモンの脳波や心拍数などを測定してくれます。測定したデータはパソコンに送られて、波長して表示されるようになっています。元々はあるトレーナーとポケモンのために発明されたようですが、さまざまな人やポケモンにも使えるように改良してもらいました」

 

 そんなものをよくもつくったものだ、とNは感心しながら差し出された腕輪を左腕に付けた。もう一つの測定器は使用するポケモンのどこに身に付けてもいいらしい。

 

 またミモザによると、測定器は改良に改良を重ねてある程度の強度と耐久を誇る仕様になっているため、技をぶつけても壊れにくくなっているとのことだった。

 

「それじゃ、ピザが来る前に終わらせよう」

 

 ネムリに従って、Nは外に出た。外で寝ていたケッキングを連れたネムリはバトルフィールドへと向かう。

 

「使用ポケモンは一体。どちらかが戦闘不能になるか、ピザが来たらバトルは終わりだ」

 

 彼はケッキングをフィールドに立たせた。

 

 Nもゾロアークをモンスターボールから出し、測定器を装着させると相手の前に立たせる。

 

「ミモザくん。Nくんのポケモンを見たことないのだが、あれは?」

 

 会長は物珍しそうにゾロアークを見た。私の好みではないがかっこいいポケモンだ、としきりに呟いている。

 

「ゾロアークです。イッシュ地方に生息するポケモンで、あくタイプのポケモンです」

 

 同郷のポケモンを見ることができたからか、ミモザは昼間にNと出会ったときのように少し興奮していた。良いデータが取れそう、とうれしそうに手持ちのパソコンをいじっている。

 

 バトルが始まった。先に動いたのはゾロアークであった。素早い動きでケッキングの懐に潜り込むと〝つじぎり〟の一撃を浴びせた。

 

「動きが早いな」

 

 感心したようにネムリが言う。

 

「ゾロアーク、もう一度〝つじぎり〟」

 

 Nの指示通りに出したゾロアークの一撃はまたもやケッキングに当たった。

 

「なぜ、攻撃してこないんですか?」

 

「これから攻撃するさ」

 

 ケッキングは寝そべると〝なまける〟で体力を回復した。

 

 なぜ、まだ二回ほどしか攻撃していないこのタイミングで、体力を回復する技である〝なまける〟を使うのかNにはわからなかった。

 

 しかし、反対に好機でもあった。ポケモンは戦闘時などに発揮する特性と呼ばれるものをそれぞれ持っている。ケッキングの特性は〝なまけ〟であり、行動してからしばらくは動けないというものだ。そこを狙って攻撃をたたみかけるのが基本的な戦法であろう。

 

 ゾロアークは〝つじぎり〟と〝かえんほうしゃ〟の技を交互に繰り出しながらケッキングの体力を削っていく。

 

「ケッキング、ひたすら〝なまける〟んだ」

 

 攻撃するとは言ったものの、ネムリの指示は体力を回復することだった。これでは技を放ち続けているゾロアークの方が疲弊しきってしまい、反撃される可能性がある。なんとかして大きなダメージを与えたいところであった。

 

「――Nくんならいいバトルをしてくれるって思ったんだけど、俺の見込み違いだったかな」

 

 それは唐突な言葉だった。気付かぬうちに期待されていたとはいえ、勝手にその期待を捨てられてしまっては、さすがに怒りを覚えた。

 

「自分が何者であるかを知りたければ、人の、ポケモンの声に耳を傾けろ。誰かと、ポケモンとつながることを考えろ」

 

 今までポケモンの声を聴いてきた。しかし聴いてきただけであった。ポケモンはこうあらねばならない、と決めつけ、ポケモンと一緒にいる人たちのことは考えてこなかった。

 

 自分の思想に、存在に疑いを持たないで生きてきた。誰かと、ポケモンと心から本当につながることを恐れていたからかもしれない。今までの自分は間違っていた、と認めたくはなかった。

 

「……ゾロアーク!」

 

 帽子を目深に被りなおすと、Nはゾロアークに指示を出した。ゾロアークは一直線にケッキングへと駆けていく。その手前で突然ゾロアークの姿が消えた。

 

「〝つばめがえし〟!」

 

 ゾロアークは一瞬にしてケッキングの背後に現れた。すでに技を放つことができる構えだった。

 

「〝カウンター〟」

 

 ネムリの指示より早くかそれとも同時か、どちらにせよ反撃するには追い付けない速度であり、ましてや後方の死角にいる相手に技は当たらないと踏んでいたにもかかわらず、ケッキングは起き上がると同時に裏拳をゾロアークに放った。

 

 ゾロアークは防御の態勢も取れないまま、まともに攻撃を受けてフィールドの場外へと吹き飛ばされた。地面を転がり、立ち上がる気配がない。

 

「……勝負は終わりだ。ちょうどピザも来たしな」

 

 ピザの配達員は研究所の前で口を開けながらこちらを見ている。

 

 先程の力強くて俊敏な動きはどこへ消えてしまったのか、バトルを終えたケッキングはその場で寝転がってしまった。

 

「どうして、ボクに〝期待〟なんて言葉をかけたんですか?」

 

 ケッキングの腹をなでていたネムリは視線をNに向けた。その表情は背後にある夕日の陰で読み取ることができない。

 

「なんでだろうな。俺にもよくわからないけど、雰囲気とか昔の俺に似てたから放っておけなかったんだろうな」

 

 Nはこれまでのことを思い返していた。幼少期から外界と隔離されて過ごしてきたため、いつも独りで寂しかった。おかげで、いまだに他者とどのようにかかわればいいのかわかっていない。

 

 それに隔離された世界では心に傷を負ったポケモンたちとともに過ごしていた。彼らは優しくしてくれて寂しさを紛らわすことができたが、彼らの傷を見ることができてしまうNにとって、それはあまりにも大きくて重たいものだった。

 

 それゆえに、心のどこかでは彼らを恐怖していた。「ポケモンの声を聴いたことがあるか」などと他者に問いかけているわりには、自分自身が人間はおろか、ポケモンでさえ、心からつながることを恐れているのかもしれない。

 

 自分は何者なのか、それを見つけるまでは心から本当につながることができそうにない。

 

 しかし、シンクロ研究をしているこの場所にいれば、人間とは、ポケモンとは何か、つながるとはどういうことかを少しは知り学ぶことができそうである。

 

「よければ数週間、ここでアナタの研究の手伝いをさせていただけませんか?」

 

「……つぎの目的地を決めるまで好きなだけいればいい。だけど俺には君の助けになれるかわからないよ。それは君自身で見つけなければならない」

 

 Nが頷くと、ネムリはゆっくりと研究所に戻っていった。

 

 ゾロアークをモンスターボールに戻したNは空を見上げた。

 

 青い空と茜色の空がぶつかり合っている境界は不思議な色をしている。その境界の先には何があるのか。Nはしばらくの間見つめ続けた。

 

 

 

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