ポケットモンスター -N's story- 作:ロールキャベツ
今日も小雨が降っている。夏真っ盛りだというのに、ここ数日は暗雲が立ち込めて雨を降らせていた。湿度も高く、汗をかいた肌に服がまとわりついて気持ちが悪い。
窓辺から外を覗いてみるが、出歩いている人はほとんどいない。たまに買い物帰りの人が目の前を通るくらいである。
と言っても時計の針はまだ正午を過ぎたあたりなので、仕事や学校に従事している人が多いからということがあるが、それにしてもこのシオンタウンは人口が少ない。
カントー地方の右端に位置するこの町は、周囲を岩山に囲まれているために人の入りが少ない。おまけに古くて小さい町であるため、仕事も少なく、若者は手に職をつけるために他の大きな街に移住してしまう。
そのため、老人と小さな子どもを持つ家庭が人口の大半を占めており、活気に乏しい町となっている。しかし発展が進んでいないからこそ環境は汚染されることなく、自然が多く残っているので空気が澄んでいて穏やかな土地となっている。
この町で一番目立ち且つ新しいものと言えば、町の端に建てられているラジオ局だろう。以前はその場所にポケモンタワーという集合墓地があったのだが、数年前に改築されてラジオ局に変貌を遂げたのだ。そして内部にあった墓石はこの〝たましいのいえ〟という霊園施設に移されたのである。
「ラジオ局が気になるのかね?」
背後から老人の声が聞こえた。振り向くとフジ老人が両手にマグカップを持って立っており、そのうちのひとつを手渡された。カップの中のコーヒーが湯気を立てている。
「ええ。なぜ墓石を退かしてまであれを建てたかったのか――。見当もつきません」
「そうだね。わたしにもわからないよ。ただ一つわかっていることは、ポケモンタワーがロケット団に占拠されたときも、ラジオ局に改築されたときも、わたしにはそれに抗う力がなかった」
フジ老人は手元のコーヒーを見つめながら固まってしまった。
ラジオ局が建てられる三年前、ラジオ局がまだポケモンタワーであったとき、そこがロケット団という組織により占拠されるという事件が起きた。彼らはその場所でカラカラとガラガラというポケモンの乱獲を行っていた。その二匹のポケモンが頭にかぶっている骨が高く売れるためである。
あるとき、一匹のガラガラが子どものカラカラを連れてロケット団の元から脱走した。しかし逃げている途中で、親のガラガラはロケット団により命を奪われてしまった。そんな一匹となってしまったカラカラをフジ老人が発見し、保護したらしい。
フジ老人はロケット団に怒り、ポケモンタワーへと乗り込んだが、彼らに捕らわれてしまう。そこにある少年が乗り込んできてロケット団をポケモンタワーから追い出し、また、幽霊となってしまったガラガラを成仏までさせたらしい。なんとも行動力のある少年がいたものである。
「話してくださったあの少年のことを思い出しているのですか?」
「ああ、少しね。彼は明るくて正義感の強い子だった。間違いにははっきりと間違っていると言い、困っている人やポケモンがいれば迷いなく助ける。彼の優しさは本物の強さだったよ」
フジ老人はコーヒーを一口飲んだ。
「わたしにはそれが眩しくてね、欲しかったんだ。でも彼のような強さはなかった。まあ、年の所為もあるだろうがね」
そう言って笑いながらフジ老人は椅子に座った。
「そういえば、調査の方は進んでいるかい?」
フジ老人に尋ねられたハルは首を横に振った。壁にもたれて初老と向き合う。
首元にスカーフを巻いた青年――ハルがこのシオンタウンにやって来たのは二週間ほど前であった。旅の途中でこの町に立ち寄ったのである。彼はいわゆる霊能者で、鎮魂の行いのために世界中を歩き回っていた。ここに辿り着いたのもそれが理由である。
フジ老人と出会ったハルは、近頃、怪奇現象が発生していることを聞き、その正体を突き止めて対応するために調査を開始したのだ。
しかしその怪奇現象に何度か遭遇しているものの、原因の解明には至っていない。また、雨や靄が同時に発生していて視界が悪く、調査は困難と化して時間だけが過ぎ去っていた。
「お役に立てずすみません」
「いやいや、どうして謝るんだい。君と君のポケモンには町の見回りまでさせてしまっているし、感謝するのはむしろこちらだよ」
「ですが調査を続けるうちに天気は日に日に悪くなっていますし、三日後の催事もこのままでは……」
フジ老人は腕を組みながら唸った。やはり三日後の催事のことが気になっているのだろう。住民総出で毎年の夏に行われている催事は野外のため、雨が続いてしまっては決行できない。
話を聞けば、それが行われる祭日はこれまでに一度も雨天であったことはなく、無事に執り行われてきたそうだ。延期も中止もしたことがないが今回ばかりはどうしようもないか、とフジ老人は考えているようである。
そのような伝統を、ハルは自らの力を以ってなんとか開催に至らせたく、またその催しを一目見たいとも思っていた。
「少し外の様子を見てきます」
コーヒーを飲み干すと、ハルは家の外に出た。
夏だというのに外は肌寒かった。天候が悪い所為でもあるだろうが、それにしては寒い。冷気が少しずつどこかから漏れてきているようで、日に日に寒さを増しているような感じがした。また、薄い靄がかかっていて数メートル先が見えにくくなっている。
少し海でも見ようと、ハルは町の南側に歩いていった。南にはいくつもの桟橋で構成された12番道路がある。そこは釣りの名所でもあるため、釣り人たちが海中のポケモンを驚かさないように静かに歩くことからサイレンスブリッジという別名を持っている。
シオンタウンが南に持つ小さな浜辺が、ハルは気に入っていた。町を訪れたときはまだ天気も良く、海から昇る朝日が綺麗に見えたものだった。草花が生え、木々が生い茂るのどかな町に温かい日の光がとても心地よいのだ。早いところ怪奇現象の原因を突き止めて朝日を拝みたいところである。
頭の中で朝日を思い描きながら歩いていると、突然金切り声が上がった。いや、悲鳴だろうか。どちらにしろ、女性の声に間違いはなかった。ハルはすぐさま声が聞こえた前方に向かって走った。
一度、何かが地面に当たるような衝撃音がした。ポケモンの技が地面に炸裂した音だろうか。もしそうであれば、誰かがポケモンに襲われているのかもしれない。すぐさま助ける必要がある。
視界の悪い中を走っていると、空中にぼんやりと灯りが見えた。シャンデリアのような形をしたそれから発せられている炎だった。ハルの手持ちのポケモンの一匹である。
「シャンデラ!」
声をかけられたシャンデラはハルの姿を確認すると彼の元へ素早く移動した。
辺りを確認すると、近くに二人の人物の気配を感じることができた。一人は少し距離があり、靄に邪魔されて姿がはっきりとは確認できないが、その人影は背が低かった。
もう一人はハルの近くに立っていた。帽子をかぶった長髪の青年である。彼の前にはゾロアークというポケモンが人影と対峙する形で立っている。
大丈夫か、とハルが尋ねると青年は人影から目を離さずに頷いた。
「何があったんですか?」
「女の子が突然、悲鳴を上げながら襲ってきたんです」
女の子? 青年の返答にハルは疑問を持った。
先程聞いた声は確かに女性のものだった。青年から発せられたとは思えない。では、今目の前に映る背の低い人影は女の子で、声の主であり、青年を襲ったというのか。ひとまず、姿だけでも確認する必要がある。
「シャンデラ、火力を上げて辺りを照らすんだ!」
指示を受けたシャンデラは高く浮上すると、頭上と腕に灯る炎の威力を上げた。炎の明かりで辺りが照らされる。小雨と靄に遮られて広範囲を明るくすることはできなかったが、それでも人影の姿を捉えるのは十分だった。
黒髪の少女が立っていた。元々は白かったのだろうか、今では土で汚れてしまっているワンピースを着ている。黒い長髪は塵や泥で乱れたり固まっており、肌も汚れてしまっている。所々に傷があり、服もボロボロだ。
しかし、青年を襲うほどの力があるとは、見た目からは想像し難かった。身体の線は細くて今にも倒れそうだ。
「あの子が君を襲ったのかい?」
「ええ。間違いありません」
「しかし、どう見ても女の子だ。それに恰好がひどい。すぐに保護しよう」
ハルは少女の元に駆け寄ろうとした。しかしそれよりも早く、少女は前傾姿勢を取るとハルの懐に飛び込んだ。右手の指をかぎ爪のように折り、下から上へ垂直に腕を振る動きに合わせてハルの足元から鋭い爪が飛び出してくる。それは確実に彼の喉元を狙っていた。
爪がハルに向かって伸びている中、青年のゾロアークが彼の前に割って入った。防がれて、影の爪は当たらない。少女とゾロアークの攻防が始まった。
ハルは、動悸が止まらなかった。青年の判断とゾロアークの素早い動きがなければ爪によって喉を貫かれていた。この瞬間には立っていなかったかもしれない。そう考えただけでも背筋が凍った。だがそれ以上に驚愕したことがある。
「今のは〝シャドークロー〟? なぜ女の子が……?」
「考えられる要因はいくつかありますが、今はこの状況をなんとかしましょう」
青年に言われて我に戻る。確かに、まずはあの少女を落ち着かせることが先決だ。
よく見ると、ゾロアークは少女からの攻撃を防いでいるだけだった。攻撃は一切しかげず、ひたすら防ぐことのみに集中している。おそらくトレーナーである青年の指示だろう。少女を傷つけまいとしていることが見て取れる。
少女の動きは人間のそれとは異なっていた。腰を低く落として構えの態勢を取り、地面を滑るように移動が素早い。腕と脚を器用に使ってゾロアークに打撃を叩き込んでいる。
そして何よりも異なっていたのは、時折ポケモンの技を放つことである。人間がポケモンの技を放つ話など聞いたこともなければ、今目の前で起きていることも信じられなかった。
青年と協力して少女を保護しようと考えたハルは、モンスターボールからオーロットを出した。目が一つで老木のような身体からは二本の腕と多脚が生えているのが特徴のポケモンである。
オーロットは指示を受けると、少女を囲むように地面から複数の根っこを出現させた。根っこの檻のようである。しかし少女の反応は早く、それによって退路を断たれる前に跳躍して脱出した。その跳躍力は凄まじく、やはり人間の身体能力を遥かに上回っているようだ。それを少女がやっているのだから尚更驚きである。
ハルが青年の方を窺うと、彼は頷いた。ハルもまたそれに頷き返す。オーロットとゾロアークは代わる代わる少女の攻撃を防いだ。目まぐるしくお互いの位置を変える。
次第に少女はその動きに圧倒されていき、攻撃を引き始めた。そして後退して距離を取ると、彼女は何かに気付いたように後ろを振り向いた。岩壁に追い込まれていたことを確認する。
少女を岩壁に追い込み逃げ場を失くすことに成功したハルは安堵した。あとは根っこを出現させて檻をつくるだけである。そう指示を出そうとした。
しかし少女はそれよりも早く行動に出た。身体の前で両手を向かい合わせるとエネルギーを発生させた。それは瞬時に集約し黒い球体を生成する。
少女によって放たれた球体はオーロットとゾロアークの足元に着弾した。その衝撃で土や泥が舞い、視界が悪くなる。土埃が晴れたときにはすでに少女の姿は消えていた。
ハルは溜め息を吐くと手持ちのポケモンたちをモンスターボールに戻しながら青年に声をかけた。見た目通り、自分よりも若そうだ、とハルは思った。
「手伝ってくれてありがとう。目配せだけでよく理解してくれたね。驚いたよ」
青年と協力して少女を保護しようと考えていたのだが、そのためには作戦を少女に感づかれないようにする必要があった。結果的にハルはそれを視線のやり取りだけで伝えるという行動に出たわけだが、どうやらオーロットの根っこの檻で作戦を理解してくれたようだ。
即ちそれはあの場の状況を的確に判断していたということになるのだが、恐るべき判断力である。そしてゾロアークにも正確に指示を出していたところを見ると、かなりの裁量を持ったトレーナーでありそうだ。
青年もハルと同じようにゾロアークをモンスターボールに戻すと帽子を目深に被りなおした。
「いえ。アナタのポケモンがいなければボクにはどうすることもできませんでした。シャンデラと、あのポケモンはたしかカロス地方の……?」
「うん。オーロットというポケモンだよ。君が連れているのはゾロアークだよね? イッシュ地方で見かけたことがあるよ。――一応確認だけど、先程の女の子が君を襲ったということで間違いないかな?」
ハルの返答に青年は頷いた。やはりあの少女で間違いはないようである。それにハル自身もその目で確かに見たのだ。少女が人ならざるものの動きをして、ポケモンの技まで繰り出したあの姿を――。
「あの女の子が〝シャドークロー〟を放ったとき、君は理由として考えられる要因があると言ったね。聞かせてもらってもいいかな? ええと……」
「Nと言います」
ハルだ、と言ってお互いに握手をする。天候が悪いこともあり、二人はたましいのいえに向かった。
霊園施設に入ると、フジ老人が心配そうに出迎えてくれた。爆発音が聞こえたために、また怪奇現象が起こったのではないかと考えていたようだ。
「怪奇現象と言えばそうかもしれませんが、一度、話を整理しましょう」
ハルはNをフジ老人に紹介した。
「ボクは12番道路を通ってきました。それまでは小雨が降っていた程度だったのですが、シオンタウンに足を踏み入れると靄がかかってきたんです。そのとき近くに女の子がいることに気付くと、突然その子が悲鳴を上げて飛びかかってきたんです」
「なるほど。それでその悲鳴を聞いて駆け付けた僕と会ったのか」
そして町の見回りのために外にいたシャンデラもその悲鳴を聞いて彼の元に向かったのだろう。
そこで出会ったのが汚れて傷んだ服を着ていた少女だった。
そんな彼女を保護しようとしてハルは一瞬命を奪われそうになったものの、青年のおかげでそれは免れた。二人はお互いにポケモンを出し少女と攻防して壁際まで追い詰めたのだが、結果、多くの謎を残したまま姿を消されてしまったということである。
「でも、君には何か思い当たる節があるようだったよね?」
「はい。おそらくですが、女の子はゴーストタイプのポケモンに憑りつかれている可能性があります」
ハルとフジ老人は驚いた。確かにその可能性は考えた。実際にゴーストタイプのポケモンが人に憑依して身体を乗っ取る事例が存在するためだ。
「その可能性はあるだろうが、シオンタウンに生息しているポケモンではないだろう」
Nの言葉にフジ老人は優しく意見を付け加えた。
「このシオンタウンで暮らしているポケモンは皆、人間と共存している。とくにゴーストタイプのポケモンの中にふざけて憑依して、このような騒動を起こすものなどいないよ」
フジ老人の言葉にハルは同意した。彼の言う通り、シオンタウンに生息するゴーストタイプのポケモンの中にはふざけて人間に憑依するポケモンはいない。ハルも二週間ほど滞在して感じたことだが、町の人々とポケモンの間には固い絆のようなものがある。
それは過去に起こったロケット団による事件が関係しており、それ以来土着の人間とポケモンが協力して暮らすことをお互いに暗に理解しているためである。その関係がいつまでも続くように定期的に催事が行われているのだ。
「……なるほど。アナタたちはポケモンの声をしっかりと聴いているんですね」
Nも納得したのか、それ以上は何も言わなかった。
「しかし、ゴーストタイプのポケモンに憑依されていたのは間違いないでしょう。〝シャドークロー〟と〝シャドーボール〟が女の子から放たれるのを見ました」
「N君の言う通りだね。ポケモンが人間を催眠状態にして操るのは聞いたことがあるが、技を付加することはできない」
フジ老人は顎に手を添えて考え出した。眉間に皺を寄せて持ちうる知識で情報を整理しようとしている。
「シオンタウンのポケモンでないのなら、他の町や他の地方からやって来たポケモンであると考えるのが妥当かもしれない」
フジ老人はそう答えたものの、黙ってしまった。おそらく自らの言葉に該当する情報を頭の中で探しているのだろう、とハルは推測した。普段は優しい表情をしたお喋り好きの老人なのだが、考え事をする時は決まって表情が小難しくなり途端に口を閉ざすのだ。
知識や情報を多く持っていてそれらを共有してくれるのだが、彼は非常に言葉を選んでいる。うっかりと重要な情報を漏らしてしまわないようにしているかのような印象をハルは抱いていた。
住人から聞いた話だと、以前に彼は研究者だったようだが辞職してシオンタウンにやって来たようだ。熟考時に口を閉ざす傾向にあるのはその時の研究者としての癖であるのかはわからないが、何かしら関係はあるのかもしれない。
思い当たる節がなかったためか、フジ老人は町長に連絡を取り始めた。シオンタウンは小さな町である。住人同士で知らないことはあっても、町内の情報を管理している町長ならば知っていることはあるはずだ。
「ハルさん。怪奇現象と言っていましたが、どのようなものが報告されているんですか?」
Nが尋ねてきた。
「怪奇現象と言ってもよく聞くやつだよ。物が宙に浮いたり、突然ガラスが割れたり。最近は悲鳴を聞いたという話が多いね。あとはぬいぐるみのようなものが歩いている姿を目撃した人もいたかな」
「ぬいぐるみ、ですか……?」
Nはさっぱりわからないという表情をした。それよりも気になることがある。
「N君は、なぜシオンタウンに?」
「魂の眠る町に以前から興味があったんです」
珍しい若者がいるものだ、とハルは感心した。
いつの頃からかシオンタウンにポケモンタワーが建設されると、シオンタウンと言えばポケモンタワー、ポケモンタワーと言えば霊魂とでも言うように〝霊〟や〝魂〟、〝墓〟や〝死〟というものがこの町のイメージを形成してきた。
またそれらに導かれるようにして次第にゴーストタイプのポケモンが住み始めた。町自体も小さく、カントー地方の右端に位置しており、岩山に囲まれていて目立たないため訪問客も少ない。
そのおかげでありもしない噂や暗い話が流れて近づく人がより減少してしまっている。ハルのように目的があったりする者でなければあまり立ち寄らないというのが現実である。
聞くところによると、Nはイッシュ地方の出身だった。人間とポケモンはそれぞれ何のために生まれ、何のために生きているのかを探すために旅をしているようだ。善悪にかかわらず、それぞれが共に生活している姿をその目に焼き付け、その中で自分が何者なのか、この世界で自分にできることは何かを探すために旅をしているとのことだった。
「アナタはなぜここに?」
Nに質問をされて、ハルははっとしたように顔を上げた。彼の話に聞き入ってしまい、どうやら考え込んでしまったようだ。
「僕も君と似たようなものだよ」
ハルは優しく微笑んだ。
「語るほどのものではないんだけど、僕は一応、霊能者という肩書であちこちを回っているんだ。とは言っても、実際に亡くなった人間やポケモンの霊が見えるわけではなくてね。生者の心と実体のない死者の魂を鎮めることを生業としているんだよ」
この世界には特殊な能力を扱える人がいる。その中でもエスパーや千里眼といった能力やポケモンが負った外傷を治癒する力を持った人々はその名を世界に広めている。それは強大な力であると同時に羨望の的にもなっているためだ。
ハルにもその能力があるものの、特別に目立つ力ではない。彷徨える死者の霊魂を鎮めるというだけで、それ以上でもそれ以下のものでもない。
「鎮めるというのは、つまりポケモンの声を聴く、ということですか?」
「ポケモンの声か……。そうだね、そういうことになるのかな。ポケモンだけでなく、人の声も聴いているけどね」
Nはおそらく、〝心の声〟を聴いているのか、と問いたいのだろうとハルは解釈した。
人もポケモンも、いずれは命が尽きる。残される者がいればいなくなってしまう者もいる。思いを伝えられないまま別れを迎えてしまう者が多くいる。
そんな彼らのために、現世に残された生けるものと冥界へと逝ってしまった魂を、想い出の品を媒介として一度だけ引き合わせることができる力をハルは持っている。生死を問わず、人とポケモンの声を聴き、彼らの心を鎮める異能のカウンセラーなのである。
電話を終えたフジ老人が二人の元へやって来た。その顔はあまり穏やかなものではないことがわかる。
「町長の話だと、三ヶ月ほど前にホウエン地方から療養のために女の子が引っ越してきたらしい。その子はジュペッタというポケモンを連れていたそうだ」
ハルは腕組をして壁に寄りかかった。
「ジュペッタはゴーストタイプのポケモン。おまけに、その容姿からぬいぐるみポケモンに分類されています」
「なるほど。そうすると仰っていた、ぬいぐるみのようなものが歩いていたという目撃情報も裏付けが取れますね」
ハルの言葉から、Nが情報を整理していく。
ジュペッタは〝シャドークロー〟と〝シャドーボール〟を覚えることができる。また、ゴーストタイプの力で憑りつくこともできるだろう。
これだけの情報からでも十分に、これまでの怪奇事件の犯人がジュペッタであると予想できる。しかし問題はまだまだたくさんある。
「それで、その女の子は?」
「……不幸にも、引っ越してきたひと月後に病気が治らずに亡くなっている」
フジ老人の言葉を聞いて、二人はしばらくの間言葉を発せずにいた。
「――その子の家族は、まだこのシオンにいるんですか?」
Nの問いにフジ老人はゆっくりと首を横に振った。
「ご両親も娘さんを亡くした後に不慮の事故で他界していたよ」
ハルもNも言葉を失った。もしもジュペッタがこの件にかかわっているのであれば、その心を察するには十分すぎる情報だった。
ジュペッタは見知らぬ土地でたった一匹、孤独で過ごしているに違いない。次々と起きた悲劇に心が耐えられなくなっているはずである。
「では、先程遭遇した女の子はジュペッタのトレーナーではないということになりますね」
Nが口火を切った。彼の考えと同じく、ハルもそれについて疑問に思っていた。トレーナーである女の子もその家族も失っているとすると、あのポケモンの技を放った女の子はいったい誰なのか。
いずれにせよ、あの女の子を操っている力から解放するしかない。憑依されたままでは身体も精神も強大な力で蝕まれてしまい、いずれは死に至ってしまう。
「あの力の正体を見破るためにも、もう一度、あの女の子に会うしかないですね。何よりも女の子の命を最優先しなければいけません」
ハルは窓の外を見た。先程外に出たときよりも辺りが暗くなってきているのがわかる。街灯にも明かりが灯り始めたようで靄の中でぼんやりと鈍く輝いている。
「ハルくん、無茶だけは――」
フジ老人の言葉に微笑みながら大丈夫です、とハルは返した。その後、フジ老人は三日後の催事について話し合うために町内会議へと出かけていった。
「――過去に何かあったんですか?」
Nが不意に尋ねてくる。先程のフジ老人の言葉から何かを察したのだろう。彼の洞察力は鋭い、とハルは感じた。
「あまり話して気持ちの良いものではないんだけど……」
そう前置きをしつつ、ハルは首に巻いているスカーフを外す。その下には右の首元――それよりももっと下から顎にかけて大きな傷痕が伸びていた。
その傷はある少女を救えなかったときに負ったものであり、彼にとって戒めとなるものでもあった。それを簡単に人に見せていいものではないと決めたハルは、こうしてスカーフを巻いて隠しているのである。
「僕は自分の力に自信がなかった。むしろ嫌っていたよ。この力の所為で、小さい頃から周りに気味悪がられてね。友達もいなかった」
そして、非行に走ってしまった。誰にも何も言わせない力を欲して、周りのポケモントレーナーや、強そうな野生のポケモンを見かければ手当たり次第に勝負を仕掛けた。
次第に、力だけでは物足りなくなってしまい、自分が存在しているという証を求めてある組織に属し行動する日々を送った。力の限り町を襲い、人々の心を撃ちのめし、そして世界に牙をむいた。
しかし、自分が何をしているのか理解していたが、それに何の意味があるのかはわからなくなっていた。
そんなとき一人の少女に出会い、同時に傷つけてしまった。彼女の命を救えず、心を救えず、何も救えなかった。彼女の命と引き換えに手にしたものは、この戒めの傷だけだった。
「この傷は亡くしてしまった彼女の想いそのものであり、これまでに僕が傷つけてしまった人々やポケモンのものでもある。この傷を胸に自分の力を受け入れて、各地の魂の声を聴き、鎮めているんだ」
スカーフを巻きなおしたハルがNを見ると、彼は何かを考えているかのように深刻そうな顔をしていた。傷、心、命、人、ポケモン――。他にも何かを呟いている。
雨脚が強くなってきたようだ。地面に打ち付ける雨の音がハルの傷を疼かせる。
「傷つくのであれば、人もポケモンも繋がらない方がいいのではないんですか?」
Nの的確な質問にハルは彼の顔を見つめた。どうやらふざけて質問をしているわけではないらしい。
「――そうだね。どんなかたちであれ、傷つくのであれば繋がらない方がいいのかもしれないね」
昔、彼のような考えを抱いたことを思い出す。自らの力の所為で離れていく人が多かったために一度は人と繋がることを止め、また、一緒にいれば傷つけてしまうかもしれないポケモンとも繋がりを断とうとした。しかしポケモンだけは、彼らだけは、ハルの元を絶対に離れようとはしなかった。
その後少女と出会い、彼女は大事なことを教えてくれた。本当に大切なものを失ってしまえば、それは二度と戻っては来ない。たとえ戻って来たとしても、それは大切なものの形をした別な何かであること。後悔しても同じものは戻ってこない。
「でも傷つき、傷つけてしまうのは、生きている証拠だと僕は思うよ。だからこそ僕は、僕のこの能力で人と人を、ポケモンとポケモンを、人とポケモンを繋げているんだ。去った方にとっても、残された方にとっても悔いが残らないように。伝えたかったことを伝えられるように」
Nは何も言わずに俯いた。帽子のつばが彼の表情を隠す。
彼が何を考えているのかハルは気になった。その不思議な青年は単に人やポケモンに関心があるというよりも、その先にある何かを求め、探しているかのように感じる。
そのとき、大きな爆発音がした。重い空気の振動が肌に伝わってくる。二人は顔を見合わせるとすぐさま家を出た。
辺りを見渡すも雨と霧、夜の所為で視界が悪く、どこで爆発が起こったのかわからない。そう思ったのも束の間、再び爆発音が聞こえてきた。周りの住人も驚いた表情で様子を見に外に出てくる。
二人は爆発音のした方へ向かった。
「まずいな……」
現場へと走っている途中で、ハルが呟く。
「この先にあるのは集会所だ」
「つまり……フジ老人がいらっしゃる?」
「おそらくね。行事の話し合いに集会所を使っているはずだ。だとすると、多くの役員が集まっているに違いない」
「……被害が増えてしまいますね」
一刻も早く事の真相を突き止めなければならない。ハルがそう思ったとき、三度目の爆発音とともに、夜空が赤く照らされて黒煙が上った。
火事が起きたのは集会所だった。まだそれほど燃え広がってはいないが、壁が破壊されて熱と煙が漏れている。集会所に集まっていた役員たちが声を掛け合いながら、近くの住人を避難させていた。どうやら役員たちは無事なようである。
数人の住人が燃えている集会所を取り囲むように立っているのが目に入った。彼らの後方にフジ老人の姿を見つけ、二人は駆け寄る。
「ご無事でしたか、フジ老人!」
「おお! 二人とも来てくれたのか。私も、役員たちもみな無事だよ。しかし何の前触れもなく集会所が襲われてご覧の通りだ」
無事とは言いつつも、フジ老人の身体には切り傷や火傷の痕が所々見受けられた。急いで避難したからか息も少し上がっている。それにどこか憔悴しているような表情だ。
とにかく火災現場から離れることを提案しようとすると、Nが小さく呟いた。
「孤独、か……」
彼の視線の先は集会所に向けられていた。それを取り囲んでいる人々も何かに怯えるように少しずつ後退している。
ハルが注意深く見ていると、燃え盛る炎の中から何かがゆっくりと出てきた。泥や埃、火の粉などでぼろぼろになった洋服を着ている、あの少女であった。
すぐさまハルはその奇妙な光景に気付いた。少女は火傷ひとつ負っていないように見える。それどころか、彼女の周りに透明な壁でも張り巡らされているかのように、炎が近づくことを許されていない。
「おそらく、〝サイコキネシス〟のようなもので炎を防いでいるんでしょう」
ハルの思考を読み取ったかのようにNが答える。
炎の勢いが増していく集会所を背に、少女はじっと立っている。その瞳には生気が感じられず、ただ虚空を見つめている。
宙を舞う火の粉が彼女を避けるように流れていく。それは近くの住居に降りかかり、やがて新たな火災を生んだ。
少女は右手を前にかざすと一気にエネルギーを収縮させて黒い球体を放った。〝シャドーボール〟というゴーストタイプの技だ。
やはり彼女はエスパー少女などではない。ポケモンに憑りつかれている――。ハルはボールからオーロットを出した。Nもまた、ゾロアークを出して少女の前に立つ。
ゾロアークと少女が肉弾戦になる。しかしゾロアークは少女を攻撃することなく、防御に身を置いている。時に少女が遠距離からの攻撃を仕掛けてきたときはオーロットがすかさず地中から木の根を出現させてゾロアークを守った。
ひたすらそれを繰り返し、二匹は彼女を追い詰めていく。
少女がぬかるみに足を取られた。その機会を待っていたハルがオーロットに指示を出す。
「〝くさむすび〟だ!」
オーロットの力に刺激され、少女の足元に生えている草が彼女の両足に絡みつく。バランスを崩した少女が地面に手をつくとその両手も縛り、体勢を整える機会を奪った。
「姿を現すんだ。キミも、その女の子をこれ以上巻き込みたくはないだろう?」
Nが一歩ずつ前に出る。
彼は少女に憑りついているものの正体に話しかけているようだ。それは優しく、心にすっと入り込んでくる響きだった。
「キミが――いや、女の子が炎の中から現れたとき、一瞬だけキミの姿を確認することができたんだ。そのとき、キミの声も聴こえたよ」
〝くさむすび〟に抵抗していた少女の動きがぴたりと止まり、Nの足元に顔をゆっくりと向けた。
「もっとキミの声を聴きたいんだ。姿を見せてくれるかい?」
Nの言葉に呼応するかのように、黒い影が少女の背中から剝がれるように出現したかと思うと、それは燃える炎の前に移動した。それと同時に少女は力尽きたかのようにその場に崩れる。
ゆらゆらと揺れながら不定形な影が形を形成した。真っ黒な全身の中に大きな赤い瞳を持ち、まるで歯のようにも見える金色のジッパーが口元で怪しく光っている。
そこに立っていたのは、ぬいぐるみポケモンと呼ばれているジュペッタであった。
「やはり、ジュペッタだったのか」
フジ老人がそう口にするのが聞こえた。予想通りといったところだが、これで安心はできない。まだ肝心な問題が残っている。
ハルはオーロットに少女の救助を任せると、新たにシャンデラを繰り出した。
「ボクたちはキミを傷つけたいわけじゃないんだ。どうかボクの声を聴いて、そしてキミの声を聴かせてほしい」
Nが再び近づこうとしたとき、ジュペッタは彼に襲いかかった。それをゾロアークが防ぐ。
「Nくん! 今のジュペッタには君の声はおろか、周りの声は届かないだろう。だけど届ける状況をつくり出す方法はある」
「……いったい何を?」
ハルはジュペッタを指差した。ジュペッタの両手の中指に指輪のようなものがはめられている。おそらくそれが、ジュペッタとそのトレーナーにとって大事なものであるに違いないとハルは踏んだ。
ハルの能力は、生者の心と死者の魂を引き合わせることであり、それには両者にとっての想い出の品を媒介とする必要がある。そしてそれはあの指輪だろう、とこれまでの経験と勘に基づいた予想をした。
あの指輪に、ジュペッタに近づくことさえできれば能力を使うことができる。
しかし、それにはまず、あのジュペッタを落ち着かせるしかない。できれば傷つけずにいきたいところであるが、ハルの能力は生者が落ち着いている必要がある。
誰の声も届かないジュペッタに声を届けるにはまず、体力を消耗させていくしかない。
「ジュペッタに近づきたい。力を貸してほしい」
数秒、ハルのことを見ていたかと思うとNは無言で頷いた。
Nの指示により、ゾロアークが動く。それをジュペッタが迎え撃つかたちで動く。
タイプの相性的にはゾロアークが有利であることに違いはない。ゴーストタイプのポケモンはあくタイプの技を受けることを苦手としている。それはジュペッタも例外ではないはずであるが、それにしても果敢に挑んできている。
そこまでに彼を突き動かしているものはいったい何なのか。ハルはそれを知り、ジュペッタの心を鎮める必要がある。
人であろうとポケモンであろうと、かつての自分のように力で誰かを傷つけることを、もう誰にもしてほしくはない、とハルは拳を握りしめた。
一瞬だけでいい。攻撃の手を休めることをしないジュペッタの動きを一瞬で封じ、その間に駆け寄り指輪に、ジュペッタに触れることさえできれば――。
ゾロアークが〝かえんほうしゃ〟を放ち、ジュペッタを遠くへと離した。
「いまだ! 〝れんごく〟!」
ハルの指示を受けたシャンデラが二線の炎をジュペッタへと放射した。それは足元に着弾すると螺旋を描くように上空へと昇り、一本の大きな火柱を形成した。その炎にジュペッタは呑まれる。
〝れんごく〟はほのおタイプの技の中で威力が高いものだ。体力を大きく削ることができる。力で抑え込むことはあまりしたくはないが仕方がない。あとは〝れんごく〟の檻から出たジュペッタに接触するだけだ。そう考えたハルが近づこうと一歩踏み出す。
突如、火柱の中から悲鳴が上がった。それと同時に炎が変色し始める。つぎの瞬間、火柱は大きく膨れ上がったかと思うと破裂した。無数の火の粉が拡散し、近くにいた人々は思わず顔を背けたり、覆ったりして身を守る。
火柱のあった方へ目を向けると、そこには虹色の光に包まれたジュペッタが立っていた。
しかしそのかたちは先程までのとは異なるものであった。徐々に光が解けていき、その姿が露になる。全身はさらに黒く染まり、まるで被り物のようなそれからは赤紫色の爪と脚が飛び出している。
「まさか、〝メガシンカ〟の姿……?」
呆気に取られていたハルはやっとの思いで言葉を発した。ジュペッタに新たな進化が確認されている例はない。それに、あの虹色の光は旅の途中で何度か目にしたことがあった。目の前のジュペッタは〝メガシンカ〟をしたのだ。しかし――。
「トレーナーがいないのに何故……?」
Nも驚いたように言う。
そう、彼の言う通りである。本来ならば〝メガシンカ〟は人間とポケモンが想いを交わすことで一時的な変化を遂げるものである。それには人間が持つキーストーンとポケモンが持つメガストーンの二つが必要になる。ジュペッタはそれを持っていなかったはずだ。ハルは必死に思考を巡らす。
――いや、持っていた。あの両手の指輪はただの指輪ではなく、キーストーンとメガストーンだった……? それがジュペッタの、彼らの想い出の品――。
「Nくん、あれは、あの指輪は、キーストーンとメガストーンだったんだ。だからジュペッタは〝メガシンカ〟することができた」
「しかし、普通は人がいて、人と心を通わせて初めて進化を遂げるものでは?」
「普通はそうだと思う。でもジュペッタにとってトレーナーとの絆が何よりも大切な想い出だとしたら、キーストーンとメガストーンがその思いに反応しても可笑しくはない」
Nは驚きを隠せない表情をしている。そんなことが起こり得るのか、としきりに言っている。
「とにかく、あの姿はまずい。〝メガシンカ〟は戦闘時にこそ、その力を発揮する。つまり――」
「つまり、完全な戦闘態勢に入った、ということですね?」
ハルは無言で頷いた。〝メガシンカ〟は、そのポケモンの力を一時的に増強させる。近づくことはおろか、体力を消耗させることも難しくなる。
こうなってしまった以上、闘いはもう避けられない。二人は二匹に指示を出す。再び戦闘が始まった。
ジュペッタは元々、ゴーストタイプの中でも高い攻撃力を持つポケモンである。そこに〝メガシンカ〟の力が加わることでより高い攻撃力を発揮できるようになったためか、シャンデラとゾロアークの二匹を相手しているというのに全く動じていない。
むしろ、こちらが押されている、とハルの目には映った。そしてもう一つ、気になる点が見えてきた。
「あのジュペッタ、闘い慣れしている」
隣にいるNに伝える。
ジュペッタは明らかに闘いに不慣れなポケモンではなかった。その動きは正確で、必ず二匹を目視できるように立ち振る舞っている。死角となる背中を見せることなく闘っていた。
ジュペッタのトレーナーはどうやら相当なバトルセンスを持っていたようである。トレーナーの指示がなくとも、蓄積された経験と技術で動けるポケモンほど手強いものはない。
戦闘しているジュペッタが二匹から距離を取って後方へと下がった。燃え盛る周囲の民家の炎に照らされて、ジュペッタの影が怪しく揺れる。
突然、それはゾロアークの方へと延び影同士が繋がったかと思うと、影の中から刺々しいものがゾロアーク目掛けて飛び出した。直撃を受けたゾロアークがその場に倒れる。〝かげうち〟という技だった。
続けてジュペッタの影がシャンデラへと移動する。素早く移動した影は再び〝かげうち〟を放ち、シャンデラを戦闘不能に追いやった。
凄まじい〝メガシンカ〟の力に二人は思わず言葉を失った。
「ゾロアークはそろそろ限界です」
Nの言葉通り、ゾロアークは息が上がっている。近接戦闘をほぼ任せていたのだから無理もない。体力をだいぶ消耗しているはずである。
「それに――」
Nが続けてジュペッタを指差す。その顔には涙が溢れていた。背後の火事が逆光となっているため表情までは読み取れないが、たしかにその頬には輝く線が流れていた。
「今なら聴こえます。孤独と寂しさ、そして怒りの声が彼から聴こえる……」
〝メガシンカ〟は人とポケモンの絆が一つになることで起こる。その絆に触れることでトレーナーとのさまざまな記憶が蘇ったのだろう。それに影響されて力とともに感情も溢れ出たと考えられる。それほどまでにトレーナーのことを信じ、愛していたからこそ、今となってはそれがつらい出来事となってしまっているのだろう。
だが、それは違う。たとえ二度と会えないとしても、一緒に過ごした時の記憶をつらいものにしてしまうのはあまりにも悲しい。ハルには、その事実を変えなければならない決意があった。
Nくん、とハルがひと声かける。
「これから、僕は最後の一匹を出す。最後まで協力してくれると助かるよ」
Nは無言で頷くと帽子を目深に被りなおした。
ハルは、オドリドリというポケモンをモンスターボールから出した。薄紫色の小さな鳥ポケモンであり、その翼はまるで扇子のようなかたちをしている。
「僕のオドリドリの舞は魂を引き寄せることができる。舞っている間、援護を頼むよ」
オドリドリは舞い始めた。翼の動かし方から足の運び方まで、舞う姿は柔らかくも力強く、どこか妖艶的であった。姿は小さいものの、湧き出る美しさに、その踊りに誰しもが目を奪われた。
ジュペッタが何かを察知したかのように辺りを見回し始める。それは何かにたじろいでいるように見える。ジュペッタはオドリドリに標的を絞った。
舞を邪魔しようと動くジュペッタをゾロアークが食い止める。しかし、これまでの疲労が蓄積されており動きが鈍くなっている。限界が近い。
ジュペッタが〝シャドークロー〟を放つ。
「――〝つじぎり〟だ!」
Nの指示を受けたゾロアークが力を振り絞り、技を放った。鋭い攻撃はお互いに当たり、その衝撃で両者は後方へと飛ぶ。ゾロアークは立ち上がることができなかった。
ジュペッタはすぐに起き上がるものの、かなり息を切らしている。いくら〝メガシンカ〟しているとはいえ、体力の限界が目に見える。
Nとゾロアークの尽力に礼を言いつつ、ハルは一歩を踏み出した。
「ジュペッタ、傷つくのも傷つけるのも、もう終わりにしよう」
寂しさと怒りで涙を流している目の前のポケモンに優しく、そう問いかける。
「君の想いを、君のトレーナーに伝えよう」
差し伸べられた手にジュペッタは困惑した表情を見せるも、すぐにハルをにらみ返した。そして、まるで苦痛を解き放つかのように叫びを上げると、全身から力を放出させた。身体のあらゆるジッパーが開き、中から黒い影が流れ出てくる。ジュペッタの全身全霊をかけた〝おんねん〟だった。
「〝めざめるダンス〟!」
オドリドリが舞にさらに力を込めると無数の青白い火の玉が現れた。勢いよく翼を前にかざすと、火の玉は一斉に尾を引きながら黒い影とぶつかり合った。その衝撃は凄まじく、衝撃波が周囲に拡散する。
人々が顔を背けたり吹き飛ばされないように耐えている中、ハルはジュペッタの下へと駆ける。煙幕を切り抜け、今にも倒れそうになっているジュペッタを抱きしめた。
――ジュペッタの姿になる前はカゲボウズというポケモンだった。頭のツノで人間の感情を、特に妬みや恨みといった負の感情を好物として受信し彷徨っていた。また、誰かを脅かして楽しむことで退屈な毎日を過ごしていた。
あるとき、受診した感情は不思議なものだった。それは他者に向けられた負の感情ではなく、自身に向けられたものであった。これまで出会ったことのない感情に興味をそそられてその下に赴く。それがトレーナーとの出会いだった。
彼女は心臓の病を患っていた。そのため外出はほとんどできず、無機質な病院で寂しく暮らしていた。彼女はいつも窓の外を眺めていた。
本来ならば、なぜ自分がこのような病気にならなければならないのだ、と誰かれ構わずに妬み恨むのだろう。しかし彼女の病気に対する気持ちは、病気になってしまった自分をやるせないものでいっぱいになっていただけだった。
そのときカゲボウズは、人間の新たな一面に惹かれた。
最初は影からこっそりと覗く程度だったが、次第に軽く驚かすかたちで彼女の前に現れるようになった。その度に彼女は心臓に悪いよ、と優しく楽し気に微笑んだ。
出会ってから数回の手術と薬の投与を経て、彼女は退院するまでに回復した。そして彼女はこう告げる。一緒に旅をしてみないか、と。
旅を通して、彼女のことがますます好きになっていった。彼女はいつも笑顔で、誰にでもどのポケモンにも分け隔てなく優しく接していた。
いつしか彼女は言っていた。やっとの思いで出れた外の世界には刺激がいっぱいで、いつも楽しんでいる、と。喜びや楽しさだけでなく、怒りや悲しみでさえも愛しく感じてしまう、と。この幸せな毎日を送ることができているのは、私を見つけてくれたあなたのおかげである、と輝かしい笑顔で満ちていた。
そして新たな姿と力を得て、二人はさらに二つの石を通して未知の力も手に入れた。それはまさしく二人の固い絆で結ばれた、何物にも代えがたい強さだった。
しかし旅は突然終わりを告げる。彼女の病が再発した。何度もごめんね、と謝られた。そして彼女の希望もあってもっと静かな場所で暮らすことになり、シオンタウンへと引っ越した。
そこはたくさんの紫の花が咲く、のどかで静かな小さな町だった。旅をしていた時に比べれば退屈だが彼女が元気になれるなら、とジュペッタは毎日花を摘んでは彼女に届けた。
彼女もまた、すぐに元気になるからね、また一緒に旅をしようね、と言った。その言葉を信じて彼女が元気になるのを待っていた。もう一度、彼女の素敵な笑顔を見たかった。
しかしそれは二度と叶うことはなかった。
彼女に続いて彼女の両親をも不慮の事故で失ったジュペッタは、瞬く間に孤独になった。病気の所為であり、彼女の所為ではないことはわかっていた。だから自分が寂しくなってしまうのは仕方のないことだと思い込んでいた。
あるとき、小さな施設で一人の少女が寂しそうにしているのを見た。その姿にトレーナーであった彼女のことが重なった。その瞬間、さまざまな感情が内から湧き出るのを感じた。
慣れない土地での寂しさや不安や孤独。そして彼女の言葉を信じていたのにそれが実現されなかった怒り。それらの感情にジュペッタは呑まれた。少女に憑りつき、感情の赴くままに暴れはじめた。すべては彼女との想い出のために――。
ジュペッタの瞼の裏に、見覚えのある人影が映っている。しかしぼんやりとしていてはっきりとは見えない。けれどそれはたしかに感じたことのある温かさだった。
その人影はジュペッタを優しく抱きしめる。そのぬくもりは間違いなく、忘れるはずもない彼女のものだった。
自然と涙が溢れてくる。言いたいことはたくさんあるはずなのに、涙がそれを邪魔する。
わかっているよ、と彼女の声が懐かしく響いた。ごめんね、苦しかったね、と続けて響く。でもね、これだけは忘れないで、と彼女の腕に力がこもる。
「大好きだよ、ずっと」
ゆっくりと開いた瞼には美しい月夜が広がっていた――。
目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。〝たましいのいえ〟にいるとすぐにわかる。しかしどうやって移動したのか覚えていない。たしかジュペッタの下へと駆けていって――。
「おぉ、ハルくん。気が付いたかい?」
ドアが開いてフジ老人が入って来た。身体の数か所に包帯が巻かれている。
「自分に何が起きたか覚えているかな?」
首を横に振ると、フジ老人は近くの椅子に座って状況を話し始めた。
ポケモンの技で発生した煙が晴れるとハルが倒れており、その横には〝メガシンカ〟を解いたジュペッタが心配そうに彼を見つめていた。それを見て人々はすべてが終わったことを悟ったそうだ。
また、火災も無事に消化され、そこまで燃え広がらずに済んだらしい。そしてハルは三日間ほど眠っていた。
「というと、今日が催事の日ですか?」
「そうだよ。これから始まるんだ」
「あの被害でよく決行できましたね」
「道具などは別な倉庫に保管していて無事だったし、なによりも今回の件があったからこそやるべきではないか、と皆の意見が一致してね。そこからは即座に準備を進めたんだよ」
無理せず休んでいては、と提案されたがハルは断って外に出た。この催事のためにシオンタウンに立ち寄ったということもある。ぜひ見ておきたかった。
二人で催事会場となる浜辺へと向かう。
途中、焼け焦げた家屋を数軒目にした。その爪痕はまだ生々しく残っており、三日前の出来事が蘇る。
「あの女の子はどうなりましたか?」
「目立った外傷はないけれども、今回のことで少し心に傷を負っているようだ。ジュンサーさんの話だと、元々孤児院で育てられていたらしい。そこをジュペッタに憑依されて抜け出したみたいだよ」
ジュペッタは身寄りのない少女と自分を重ねたのだろうか、とハルは考えた。それほどまでに寂しかったのだろう。
「それにNくんからも、ジュペッタの事情を大体は聞いたんだ。なんでも、彼自身も不思議な力を持っているみたいだね。ポケモンの声が聴こえると言っていたよ。ハルくんの能力と似ているね」
浜辺に着くと多くの住人が集まっており、催事が始まる寸前だった。浜には無数の天灯が設置されていた。
水平線には夕焼けの名残が、そしてその上には藍色の空が広がっている。
辺りを見回すと、Nと少女、ジュペッタが待ち遠しそうに浜を眺めているのが見えた。
「今回は誰も悪くない。むしろ人とポケモンの強い絆を見ることができたのではないかと私は考えているよ」
フジ老人はポケットから十字架のネックレスを取り出した。それをハルに差し出す。
「君のものだろう。チェーンが切れていたから直しておいたよ」
礼を言いつつ、それを受け取る。十字架の裏には文字が刻まれている。一つはハルジオン。そしてもう一つ、決して忘れることのできない想い出とともに刻まれている。
「君も誰かを想って旅をしているんだね」
十字架を握りしめるとハルは小さく、えぇ、と呟いた。
周囲から歓声が沸き起こる。小さな光を灯しながら天灯が一斉に空へと昇っていった。
黄昏時の空一面に広がる景色はまるで魂が天へと昇るかの如く、儚くも尊い美しさを残した。