ポケットモンスター -N's story- 作:ロールキャベツ
葉のない木々に囲まれた殺風景な白銀の世界をユキはイーブイと共に歩いていた。幸いにも風は吹いておらず、雪が静かに降っているだけで歩きやすい。
彼女は鳥の装飾が付いた錫杖を突きながらショルダーバッグをかけ直す。
「なんでうちがこんなことしないといけんの……」
ユキが見上げる眼前には巨大な山が堂々とそびえ立っている。溶けることのない雪と冷気に覆われているそれは、シロガネ山――まさに白銀の山である。
カントー地方とジョウト地方を繋ぐその山は古くから存在し、様々な伝承が残る神聖な場所でもあるため、許可された人間でなければ立ち入ることが許されていない。そうでなくとも強力なポケモンが多数生息し、並みのポケモントレーナーでは敵わないために多くのトレーナーが避けて通る。
ユキは決して強いトレーナーではない。どちらかと言えばポケモンバトルは苦手な方であり、ポケモンとのんびり暮らしている方が好きである。
しかし、それでも山に登らなければならない理由が彼女にはあった。
一週間ほど前の出来事である。
氷の民であるユキが住む村はシロガネ山の麓にある小さな村だ。小さいながらも古来より続く村であり、のどかな場所である。一年中肌寒いことを除けば、澄んだ湖と美しい緑、そして結晶のように生成された氷に囲まれた素敵な土地だ。
しかし最近の若者、特に年頃の女の子であるユキにとっては退屈な村でしかなかった。自然しかなく、とにかくやることがない。退屈しのぎになるものが本当に何もないのだ。
その時もいつものように暇を持て余していた時のことである。突然、村長から呼ばれたために出向くと、ユキが最もやりたくなかった役目に任命されたのだ。
「うちが巫女に? 絶対やりたくない!」
「まあまあ、ユキちゃん。決まったもんは仕方ないし、気楽にいこうよ」
村長が親指を立ててキメ顔をする。こういうノリの軽いところがユキは嫌いだった。ただでさえ嫌であるのにさらに怒りが増してくる。
「面倒だけん。他の人にやらしないよ」
巫女なんて恥ずかしくてやっていられない――。
ここを含めた三つの村には代々伝わる儀式がある。
各村にある三種の神器とも呼ばれる秘宝を伝説の鳥ポケモンが祭られている祭壇へ取りに行き、それを持ち帰って合同行事が催されるのだ。それはこの一年間の村の繁栄や存続、豊穣などを祝い、次の一年も災いなどから守ってもらうために執り行う。
ユキの村では、カントー地方における伝説の鳥ポケモンの一匹であるフリーザーを神として崇めている。そのフリーザーを祀っている祭壇へと赴き、供物を捧げるのと引き換えに〝氷の鏡〟と呼ばれる秘宝を授かるのだ。
そもそも、フリーザーを神として祀ることになったきっかけは、村民が雪山で遭難した際にフリーザーによって命を救われたことにある。
かつて村ができて間もない頃に、村の民がシロガネ山で遭難した。猛吹雪の中で死を覚悟したのだが、その際にフリーザーが現れて命を救われたことで、その感謝を忘れることなく後世に伝えていくために祀り始めたのだ。
「毎年の巫覡の役目は若者と決まっとるし、それにいつも暇や、暇やって言っとるだら? だもんで、行ってこい」
「意味わからん。絶対に行かん!」
そうこうしているうちに秘宝を取りに行く日が迫り、ほぼ強制的に出発させられたのである。
男友達からは物珍しいものでも見るようにからかわれ、女友達はそんなユキを庇いながら巫女の役目を応援して送り出してくれた。
古いしきたりや行事に対してユキは関心がなかった。それに巫女の衣装もダサくて着たくない。村も狭くてやることがない。
そのため必然的に都会への憧れが増して、早く村を出たいという気持ちでいっぱいなのだ。そこに巫女の役目である。不服しかなかった。
ユキは立ち止まると目的地である山頂を見上げた。そこにフリーザーを祀る小さな社が建てられているはずだが、ここからでは影すら見えない。まだまだ道程は長そうである。
溜め息を吐くと、ユキはフードを被り再び歩き出した。
手元の地図には社までの生き方が記されている。山頂まではシロガネ山洞窟内を通るのが一般的な行き方であるのだが、昔から山の麓で暮らしてきたユキたち氷の民は山頂までの独自ルートを開拓したのだ。
野生のポケモンも多く出現することなく、また、洞窟を通るよりも早く頂上まで到達することができる。
早く秘宝をもらって帰ろう――。ユキはそれしか頭になかった。
イーブイが何かに気付いて立ち止まった。真っ直ぐに前方を見ている。その行動に気が付いたユキも地図から顔を上げて前を見た。
数十メートル先の葉のない木の下で何かがうずくまっているように見える。灰色のような体色だ。ポケモンだろうか。ユキは腰のベルトに装填してあるモンスターボールに手をかけつつ近づいていく。
その灰色には少し雪が積もっていた。しばらくの間、この場所でうずくまっていたのだろうか。しかし身動き一つ取らない。
近づいていくにつれて、その灰色からは見覚えのあるものが見えた。帽子のつばと靴だ。そしてそれらを覆っているのは灰色の外套だった。その外套にくるまるようにして人間が座っているのだ。
登山者だろうか。いや、それにしては軽装すぎる。登山用具を装備しているようには見えない。
では、遭難者だろうか。山を歩いているうちに迷ってしまうことはよく聞く話であるし、このシロガネ山は特に雪道も多くて殺風景であるために遭難する人が多数いる。
いずれにしても、その灰色が人間であることにユキはひとまず安堵したが、同時にさらに気を引き締めた。仮にその人間が変質者であった場合、迅速に対処しなければならない。
ユキはあらゆる状況を想定して一歩ずつ、慎重に歩みを進めた。イーブイも腰を低くして警戒態勢に入っている。
「あの……大丈夫ら?」
うずくまっている人から少し離れた距離でユキは声をかけた。しかし、その者は身動き一つしない。
その人間はたしかに帽子を被っているのだがさらにその上から外套のフードを被っており、さらに俯いているため顔が見えない。その者は外套に綺麗にくるまっていた。
怪訝に思っていると、不意にイーブイが近づいていった。外套の裾からはみ出している足に自身の前足を乗せる。
「ちょっと、イーブイ――」
イーブイに声をかけるのと同時に、その人間が動いた。俯いていた顔を少し上げる。まだ表情が見えないが、その顔はおそらくイーブイに気が付いたのだろう。外套の中から腕が伸び、イーブイに触れる。
イーブイはそれを受け入れた。おとなしく頭をなでられており、その表情はうれしそうである。てっきり怯えるものと思っていたユキは拍子抜けした。
「あの……」
ユキの声にその人は反応した。ゆっくりとフードで覆われた顔を上げると目が合った。
外の光が眩しいのだろうか、もしくは眠たいのだろうか、細められているその目は少し目尻が下がっていることもあり、どこか優しげな雰囲気を醸し出している。
また、その顔は非常に中性的であり、男性とも女性とも見て取れる。おまけに肌が白くて綺麗だ。
「大丈夫ら? ここで何しとるん?」
ユキはもう一度尋ねた。
その人物はイーブイに視線を落とし、少し間をあけてから口を開いた。
「歩いていたらいつの間にか正規の道を外れてしまっていてね。少し休んでいたんだ」
男性の声だった。やはり彼は遭難したらしい。この山ではよくある話なため、ユキはさほど驚かなかった。とは言ってもほとんど軽装に近い恰好をしているのには驚きだが。
「それで? どこに行きたいん?」
「行き先は決まっていないけど、ひとまずジョウト地方に入りたいんだ」
ジョウト地方――このシロガネ山を超えた先にある土地だ。カントー地方の西側にあり、陸続きで繋がっている。数年前にはリニア鉄道が開通し簡単に行き来が可能となったのだが、それでも彼は山を越えたいようだ。旅の者だろうか。
「ここから一番近くだと、フスベシティやけん。ドラゴンタイプの使い手がたくさんおるよ」
そうか、とその青年は呟いた。
「キミはどこへ行くの?」
ユキはシロガネ山の頂上を指差した。その付近に雲が発生してきている。登っていけばいくほど雪が強く降るだろう、とユキは想像した。
「頂上の社に用事があるけん」
「社? 頂上にそんなものが?」
青年もユキが指差す場所を見る。
「うちっちの村では昔からフリーザーを神様として崇めちょって、今度のお祭りで使うための宝を取りに行くところやよ」
ユキは村のこと、催事のこと、フリーザーのことなどを青年に簡単に説明した。面倒くさくて本当は山など登りたくないことも。
「なるほど。それが、キミがここにいる理由なんだね」
青年は山からユキへ、ユキからイーブイへと視線を移していった。
「それより、名前は?」
「ボクはN。旅をしているんだ」
エヌ? 変な名前だ、とユキは思った。他の地方からやって来たのだろうか。それにしてもこの辺りでは聞きなれない名前である。
「変わった名前やね。うちはユキ」
「よろしく、ユキ。そういうキミも喋り方が変わっているね。方言かな?」
ユキは思わず口を手で隠した。つい方言を交えて話してしまっていたことに、Nから指摘されて初めて気が付く。一瞬にして顔が火照ったのがわかった。
村には方言がある。その方言も可愛くなく、田舎者であることを晒してしまうために、彼女はそれが好きではない。
たまに村の外に出かけるときは、田舎から出てきたことを悟られないようにするために標準語を使うようにはしているのだが、村長への不満でいっぱいで、つい方言を交えて話してしまっていた。
「うちは田舎者やない!」
「……ボクは何も言っていないけど?」
彼女の言動をまるで理解できないとでも言うような表情でNは首を傾げた。
それに対して、勝手に一人で焦ったり怒ったりしていることにユキは恥ずかしくなる。
「ついて行ってもいいかい?」
「は? 頂上まで?」
Nは立ち上がった。思っていたよりも背が高く、細い。見上げて話す形となる。
「その神聖な場所を、一度見てみたい」
こんな山の頂上まで登りたい者などいるのだろうか、とユキは訝しんだ。特別に何かあるわけでもなく、強力な野生のポケモンも生息している。麓になら人の手によって整備された道も、傷ついたポケモンを回復するための施設もある。
それにもかかわらず、道なき道を歩いて山頂まで行きたいということは変人に違いない。彼女でさえ、登りたくないのだ。
「別にいいけど、遠いよ?」
構わないよ、と言ってNは手を山の方に向けた。先導してくれ、という無言の合図だ。
ユキはショルダーバッグをかけ直すとイーブイを連れて歩き出した。
青年はイッシュ地方というところから来たことがわかった。その場所を、ユキはテレビやインターネットなどのメディアを通して知っていた。
高層ビルが連なる大都会やエンターテインメントに優れた街、貿易の中心地や農業が盛んな土地など、さまざまなものが一つになっている地方だ。
都会に出たい彼女にとっては憧れの場所でもある。イッシュ地方にはファッション界のスーパーモデルが存在し、女の子であれば一度は彼女に憧れるだろう。ユキもその内の一人である。
「私もイッシュに行きたいけど、お父さんもお母さんも許してくれなくて。おまえにはまだ早い、お金かかるって」
「じゃあ、キミがイッシュに来るのはもう少し先になりそうだね」
「今すぐ行きたいのに。村にいてもやることないし」
「どうしてイッシュに?」
「イッシュに行きたいというより、とにかく村の外に出て、旅をして経験を積みたいの」
数年前、ちょうど彼女がイーブイをパートナーとしたとき、少数のトレーナーで構成されたある調査団が村に訪問した。そのときは実際に話すこともなく、ただ遠くから彼らを見ていただけだった。
その中に、おそらくその調査団のリーダーであったのだろう、冷静に効率よく指示を出すトレーナーがいたのを今でもよく覚えている。中性的な容姿で、男性とも女性とも見て取れる出で立ちの、青いコートを羽織った人物だった。
その人物が発揮するリーダーシップの姿が非常に目に焼き付き、村の外にはこんなにも何かに情熱を燃やしている人物がいるのか、と感動したほどだ。
彼らが去ったあとで、その人物はポケモンの知性に興味を持ち、ポケモンが進化する理由を研究していたことがわかり、その研究熱心な姿に刺激されたこともあり、ますます外の世界に憧れを抱くこととなったのだ。
「もっといろんな人に会って、いろんなポケモンに会って、世界を知りたい」
Nは何も言わない。数歩先を行くユキの背中をただ見つめていた。
登るにつれて天候が悪くなってきていた。風が出てきて吹雪となる。気温も下がり、体温が低下していくのを感じる。
しかし、頂上まではあとひと息のところまで来ていた。地図を見て確認する。
殺風景の中を歩くのは疲れることをユキは実感していた。村にいることも退屈だったが、宝を取りにシロガネ山を登ることもこんなにも退屈で疲れるものだとは想像を超えていた。
しかし、それももうすぐ終わる。宝を取って、帰りは母親から借りているポケモン、ラプラスの背中に乗って山の斜面を滑走しながら村まで戻ることを考えていた。
後ろからついて来ているNという青年とも特に話すことはなく、時折他愛のない話やよく理解できない会話を二言三言交わす程度で深い話はしなかった。つかみどころがなくて変な人である彼とも、この何とも言えない空気ともようやく別れることができそうで、ユキはほっとしていた。
頂上は、これまでの景色とは違って、緑の木々で生い茂っていた。並木の一本道が真っ直ぐと中央まで伸びている。その先には広場があり、それを形成するように木々が円を描いて立っている。広場の奥には目指していた社が佇んでいた。
社も鳥居も白い石で造られている。また、長年寒い地に立っているためかところどころ凍りついていた。社の両脇にはフリーザーを模した石像が建てられている。
気のせいだろうか、どことなく空気が重い気がする。標高の所為もあるだろうが、目に見えない力が空気を圧迫しているような感覚である。ユキは鳥居の前で立ち止まると錫杖を雪の上に突き刺した。
「それは?」
鞄から取り出した笛を見て、Nが尋ねる。
「〝あまのとりぶえ〟。これを吹いて、フリーザーを呼ぶの。社に入る前の儀式みたいなもんね」
天之鳥笛――。それは鳥の翼を模った横笛だった。
ユキはそれを口元に運ぶ。すうっと息を吸い込み目を閉じると、音色を辺りに響かせた。
綺麗だが冷たい音だった。遠くまで届くようなその高い音色を吹き続けているとさらに雪が降り注ぎ始めた。空気がさらに冷たくなる感じがする。
空に浮かぶ白い雲の隙間から羽音が聞こえてきた。それは水色の体躯を持ち、透き通るような見事な翼を羽ばたかせて長い尾をたなびかせている。真っ直ぐこちらに目掛けてやって来ると、社の前に静かに舞い降りた。
ユキはゆっくりと目を開けた。目の前には初めて目にする伝説の鳥ポケモン、れいとうポケモンのフリーザーが圧倒的なオーラを放っていた。その青白い羽毛と三対の鶏冠を有する姿は言葉で表すのが難しいほどに美しく優雅であった。
思わず生唾を飲み込む。ユキは跪いて頭を下げると再び立ち上がってフリーザーを見た。目と目が合い、優しげだがその鋭い眼光に射竦められる。
「宝を授かりに参りました。どうか授受をお許しください」
フリーザーはじっとユキを見た。その瞳は心を覗き込まれているようで気持ちが良いものではなかった。
どうせ祀りが終われば宝は返還するのであるし、簡単に貸してくれるくらいいいだろうと思っていた。
神として崇めているフリーザーも毎年、宝を授けるためにいちいちシロガネ山に来るのは大変であるだろうし、お互いに早く儀式を終わらせるべきだ、と彼女は思っていた。
しかし彼女の考えはいとも簡単に踏襲された。
フリーザーは翼を大きく広げたかと思うと、突然にそれを前方に向かって羽ばたかせた。突風が巻き起こり何も構えていなかったユキは容易く吹き飛ばされた。
Nが瞬時に反応し彼女を受け止めるも、勢いが強くて後方へと飛んだ。下敷きになりながら雪の上を滑る。
「だ、大丈夫ら?」
慌てて起き上がりNに尋ねる。うん、と彼はひと言だけ発して身体を起こした。
「なんであんなこと……」
ユキは恐怖の色を浮かべながらフリーザーを見た。その身体の周りに冷気が発生していた。フリーザーの足元から氷が広がっていく。
突風で飛ばされずに済んだイーブイが素早くユキの前に立ち、フリーザーと対峙する。しかしその小さな身体は、まだ闘ってすらいない相手に震えていた。
「フリーザーは怒っているんだ」
「怒ってる? 何に?」
何に対して怒っているのか見当もつかないユキはNに訊き返した。儀式の方法は間違っていないはずであるし、逆鱗に触れるようなことは何もしていないはずだ。
翼を広げ、フリーザーがひと声啼く。その声には威圧感があった。威嚇されていることがわかる。
「キミに怒っているんだよ、ユキ」
諭すような彼の声が心に響いた。「え?」と聞き返すために発したはずの声が出て来なかった。
「どうして……? だって私、何も――」
答えを求めてNを見るも、彼は首を横に振った。自分で気が付くんだ、とでも言うように目で語っている。
「意味わからん。宝をもらうためにわざわざこんなところまで来たんよ? なんでもらえんの?」
ユキは呟くようにそう言った。
宝の授受を断られたとなると、一大事である。宝を持ち帰れなかったとなると催事は執り行われない。如何なる理由があろうとも持ち帰ることができなかった彼女の責任であり、村民から批難されるのは必至である。
これまで一度も中止にならなかった催事を自らの手で壊してしまう。そんなことをしてしまえば村にはいられない。さまざまな考えが頭の中に浮かび始めた。ユキの顔がみるみる強張っていく。
そのとき、彼らの横を熱線上の炎が通り過ぎた。それはフリーザーの足元に着弾すると、雪を蒸発させて白い煙を立ち上げた。
振り返ると、後方に黒い影が二つ動いていた。
一つは人影だった。黒いコートを着ており顔はフードで覆われていて見えない。靴も手袋もすべてが黒で染まっている。
もう一つは見たことのないポケモン――いや、生き物だった。それは比較的人間に近い姿をしているが、背中からは双翼を生やし、筋骨隆々とした逞しい体型である。赤と黒の体色はまるでその強さを象徴しているようであった。
「どういうことだ……?」
そうNが呟くのをユキは聞いた。見たことのない生き物を目にしたからだろうか、その声には戸惑いの色がはっきりと表れていた。
「悪いけど退いてくれるかな? フリーザーを捕獲したいんだ」
若い男性の声であった。
前触れもなく白煙の中から青白い光線が放たれた。黒いフードの男と連れている生き物に一直線に向かっていく。その人型の生き物は両手を前に突き出すと手首から炎を噴き出し、氷の攻撃を相殺した。辺りに爆風が広がる。
フリーザーは翼を羽ばたかせて空へと飛んだ。その生き物も勢いよく後を追う。
「キミは何者だ?」
地上に残った人物にNが問う。
「見ればわかるだろう? 伝説のポケモンを捕獲しに来たんだ」
その声はどこか楽しげである。
「まさか本当にこの目で見られるとは思っていなかったけどね。さすがにフリーザーは美しい」
黒いフードの男が二人に近づいてくる。
イーブイは素早く前に出るとその男に威嚇した。
「おっと。そんなに威嚇しないでくれよ。これ以上近づかないからさ」
男は胸の前で両手を上げて笑う。まるでその状況を楽しんでいるかのようだ。
「オレはゼット。訳があって、あのフリーザーを捕獲しないといけないんだ」
「それは、あの生き物のようにするためかい?」
自らをゼットと名乗った男は、今まさに空中で伝説のポケモンと対決している自身が連れていた生き物を見た。
「カッコイイだろ? この世に一匹しかいない〝ポケモン〟だ」
「あれがポケモン?」
Nは信じられないとでも言いたげに首を横に振った。立ち上がってゼットと対峙する。
「あの一つの姿から二匹のポケモンの声が、キミの言う〝ポケモン〟から聴こえた」
ゼットがそのフードの下で口角を上げるのをユキは見た。
「そうだ。あのポケモンはバシャーモとファイアローが一つになった姿だ」
右手と左手を繋ぎ、二つの魂が一つであることを表す。見事だろうとでも言うように、その声は揚々としている。
ユキは彼らが何を話しているのか全く理解できなかった。Nは深刻な表情をしており、対してゼットという男は何が可笑しいのか笑っている。しびれを切らした彼女はNに訊いた。
「どういうこと? あれは新種のポケモン?」
Nは首を横に振るとその重い口をゆっくりと開いた。
「違うよ、ユキ。人の手によってつくられたんだ」
「その通り! バシャーモとファイアロー、二匹のポケモンの遺伝子を持つ、人工的につくられた〝キメラポケモン〟だ」
ユキは絶句して空中を飛ぶ〝キメラポケモン〟なるものを見た。
キメラ――つまり、同一の個体の中に異なる遺伝情報を持つ細胞があること。もしくはそのような状態の個体のことを指す。
所々細かな点は異なるものの、バシャーモの身体とファイアローの翼を持つその姿はキメラである。紅蓮の炎を身に纏いながら飛翔する姿は太陽のように輝いている。
「キミがつくり出したのかい?」
「残念ながらオレじゃない。オレたちのボスだ」
ゼットは両腕を広げ、声に力がこもる。
「最高にカッコイイだろ? 見た目のカッコ良さだけじゃない。二匹が持つ炎の力がそのまま合わさっているんだ。強さは単純に倍以上。ゾクゾクするだろう?」
「何をしたのかわかっているのかい?」
Nの言葉にゼットは笑うのをやめた。表情のわからない顔から笑みが消え、圧力をかけるような雰囲気が漂い始める。
「水を差すようなことを言うなよ。禁忌を犯したとでも言いたいのか?」
ゼットは溜め息を吐いた。
「これまでだって人間はポケモンをつくってきたじゃないか。それと何が変わらないって言うんだ?」
人工的に創られたポケモンは意外にも多く存在する。
シルフカンパニーという企業はポリゴンというポケモンを創り出し、幻の古代文明の科学によって生まれたとされるゴビットというポケモンもいる。また、ある科学者は幻のポケモンの遺伝子から新たな生命体を生み出したという都市伝説のような話まである。
命が始まり、そしていつかは終わる。これまでにあらゆる生命がそれを繰り返しながら時代の流れとともに、姿形を変え能力を身に付け生きてきた。それはまさに今この瞬間を生きるために長い年月をかけてきた生命の神秘とも言える結晶であろう。それを根底から覆すことになり兼ねないのが人造生命体である。
命を生み出すということは、死者をも蘇らせてしまうことに繋がる。それが普及してしまえばどうなるだろうか。
命を軽んじ、死すら恐れなくなってしまうだろう。多くの生命が簡単に死を乗り越えられるようになるということは思考や行動、そして感情までもが失われることになる。彼らはその神に背く行為をしたのだ。
「これは罪じゃない。科学の大いなる発展なんだ。生命の謎を解き明かすことに繋がるんだよ」
「そのために伝説のポケモンさえも利用すると言うのかい?」
「その通りだ。まぁ、オレは強いポケモンが手に入ればそれでいいし、ボスがそれをしてくれるから従っているだけなんだけど」
雪が強くなり吹雪となった。フリーザーには雪を降らせ、操る能力がある。キメラポケモンとの戦闘で強大な力を発生させている影響が吹雪によって表れているのであろう。
視界がかなり悪くなり、立っていることにも苦労する。
「あんたは新しいポケモンをつくるためにフリーザーを捕まえるん?」
今まで口を閉じていたユキがゼットに尋ねた。その声は震えている。
「そうさ。そういえば、オマエには礼を言わないとな」
二人して怪訝な顔をした。何を仕掛けられてもいいようにNは腰に装填してあるモンスターボールに手をかけて身構える。
「ここにいればフリーザーが現れるのはわかっていたのに、それがいつなのかまではわからなかった。そこにオマエたちがやって来て、わざわざオマエが呼んでくれたんだ。礼を言うよ」
最高だ、と言ってゼットは高らかに笑った。
Nは振り返りユキを見る。
フリーザーが落下した。衝撃で地面が揺れ、雪が舞い上がる。炎の攻撃を受けたその身体からは黒煙が上がっている。受けた傷が大きいのか、身体を起こすのもままならない状態であるのが一目でわかった。
その様子を見たユキの目から涙が零れ落ちる。
「うちが……悪いん? うちがフリーザーを呼んで、怒らせたからやられたん? ちゃんとやってれば――」
「ユキ!」
駆け寄ったNが放心状態の彼女の肩を揺する。
「しっかりするんだ。キミの所為じゃない」
しかしその声は届いておらず、何かを呟きながら虚空を見つめていた。
ゼットがモンスターボールを手にしながらフリーザーに向かって歩いていくのが視界に入った。捕獲する気である。
「させない!」
Nはモンスターボールからゾロアークを呼び出し、行く手を阻んだ。ゾロアークがゼットに攻撃を仕掛ける。だがその攻撃は素早く現れたキメラポケモンの交差した両腕によって失敗に終わった。
「邪魔をするなよ。ゲームクリアできそうなんだから」
Nは憤りを感じた。このゼットという男は、ポケモンの捕獲をゲームに例えているのだ。捕獲できたらそれで終わり。その後フリーザーがどうなろうと関係ないというのが彼の言葉から感じる。
ポケモンの捕獲をむやみに行ってはならない。これは、この世界の人とポケモンとの社会を取り巻くさまざまな事柄を管理するために、秩序の維持と研究を行っているポケモン協会という組織が提示した規則である。
乱獲は生態系の均衡を破壊してしまう。また、ポケモンへの愛情配分の偏りも懸念された。
そのため、モンスターボールの開発により物理的に多くの種類のポケモンを連れ歩くことが可能となった現在でも、規則に乗っ取り手持ちに加えられるのは6匹までとされている。
そして当然ながら、ポケモンの心身を深刻に傷つけることによる捕獲も倫理的に問題視されている。実際にポケモンの売買を通して稼いでいる組織が摘発されたこともあるくらいだ。
やはり、人間にポケモンを持たせてはいけないのだろうか、とNの頭に疑問が浮かぶ。
こうして私利私欲のためにポケモンを複合させて生命体をつくり出し、そのための実験材料として捕獲する。このような扱いを受けるために人間の支配下に置かれたポケモンは幸せから遠く離れてしまう。
それだけではない。ポケモンに愛情を注ぐことができない人間が多すぎるのだ。
ポケモンだけが傷つく戦闘において〝使えない〟と判断されたポケモンは簡単に捨てられる。野生に返されたポケモンには人間の匂いが付き、それによって仲間から受け入れられず孤独に生涯を終えるものもいる。
彼らは自分が何をしているのかわかっているのだろうか。自らの都合で捕獲し、愛で、理想に向かって育て上げる。ポケモンの意志など汲み取っていないのだ。
しかし、その人間の中にもポケモンの声を聴き、心を通わせ合うことができる人々がいることをNは知っている。
「キミは、自分が何をしているのか理解しているのかい?」
ゼットは肩をすくめて困ったように首を横に振った。
「キミはフリーザーだけでなく、ユキも傷つけたんだ」
「だから何だ? ソイツが何なのか知らないが、オレから見ても、ソイツのフリーザーに対する態度は酷かったぜ?」
Nがちらりとユキを見る。イーブイが心配そうに彼女の膝に前足を乗せているが、何も反応はない。心ここに在らず、といった感じだ。
「彼女は今日のことを悔やみ反省するだろう。そして同じ過ちは繰り返さないだろう。何も反省せずに過ちを繰り返すのはキミのような人間だ」
Nの言葉にゼットは何も言い返さなかった。ただひと言、彼はその名を口にした。
「――イカロス」
ゾロアークと対峙していたキメラポケモン――イカロスの両腕と両脚が炎に包まれ翼は大きく開かれた。一瞬でゾロアークの眼前にイカロスが迫り、炎に包まれた拳で殴り飛ばした。
「聞き飽きた。フリーザーを捕獲して帰るよ」
ゼットは見せびらかすように手にしていたモンスターボールをNに見せた。吹雪の所為で視界が悪いが、それは通常のモンスターボールとは異なるものだとNは気付いた。
本来ならば上半分が赤くもう半分が白いのだが、手の中にあるそれは赤い箇所が黒くなっている。捕獲用に特殊な細工でも施されているに違いない。
投げたボールが真っ直ぐフリーザーに向かっていく。投げても外さない距離だった。
しかし、それは空中で二つに割かれて地に落ちた。
一瞬何が起きたのか理解できなかったものの、ゼットはすぐさまゾロアークが倒れている方へ視線を動かす。そこにはゾロアークが倒れているだけだった。何かをした気配すらない。
辺りを見渡して身構える。ボールを投げたとき、ほんの一瞬だけ、視界を小さな何かが横切った気がした。そしてボールが二つに割れたのだ。
Nも状況判断に困惑していた。ゼットはその様子を見て舌打ちをする。
「誰だ!」
吹雪の中で怒りを露にする。ゲームクリア寸前で邪魔が入ったことに苛立ちが隠せないでいた。視界も最悪で邪魔者の姿も確認できずにいる。
何の前触れもなく、今度は電撃が左から飛んできた。イカロスが素早く反応して主の前に割って入り、炎の壁を形成して防ぐ。しかし相手はすぐさま次の攻撃を仕掛けてきた。
エネルギー同士のぶつかり合いで発生した煙幕から現れたのはねずみポケモンのピカチュウだった。
硬化した尻尾が勢いよくイカロスの右頬を打とうとする。
イカロスは咄嗟に反応して防御するもそれは完璧ではなく、力に負けて吹き飛ばされた。
だがすぐに体勢を立て直すと翼を羽ばたかせて炎の拳をピカチュウに放つ。
早業にもかかわらず、ピカチュウはそれを難なくかわして距離を取った。
明らかに闘い慣れしている動きであった。そして油断も隙もない、桁違いのポケモンであることを悟ったゼットは、そのポケモントレーナーを見てみたいという衝動に駆られた。
今までの行動が嘘のように伝説のポケモンなどお構いなしに戦闘を始めた。
突然始まった戦闘にNは呆気に取られていたが、この好機を逃すまいとユキの肩を揺すって声をかける。
「キミはどうしたいんだ、ユキ? どうするべきなんだ?」
ユキはその戸惑いの表情でNを見た。次いで倒れているフリーザーを見る。その美しく青い身体は傷だらけであった。火傷の痕も見られ、何枚もの羽が散らばっている。
フリーザーと目が合った。それは憐れむような色の瞳だった。
「そっか……。フリーザーはうちの心を読んだんね。うちの心に気付いとったんね」
ユキはこれまでを思い出した。巫女なんてやりたくなかった。いくら年次行事の役割を担うと言っても面倒でダサくて、やる気なんて全くなかった。
強制的に押し付けられたその役目を一刻でも早く終えて帰りたかった。フリーザーを呼ぶための横笛の練習も真剣にやったわけではない。幼い頃から練習させられるため氷の民の人間であれば少し吹かない期間があっても音を奏でることができる。だから役目が決まってからも真剣には練習しなかった。
フリーザーに対する気持ちもなかった。たしかに〝伝説のポケモン〟という響きには魅力さを感じて引き込まれたが信仰心があるわけではなく、そもそも先祖が命を助けられたから信仰が始まっただけで、今の自分には関係ないしどうでもよかった。
何一つとして、今回の一連の行動には真剣さがなかった。
しかし、それをフリーザーに見破られたのだ。一度も会ったことのない、それも異なる種族であるポケモンに、心を見透かされたのだ。
自分の愚かな行動が恥ずかしい。自分勝手な行動や思考がフリーザーに伝わってしまい、結果傷つけてしまった。
ユキは力が抜けてしまった身体に活を入れながらなんとか立ち上がった。吹雪に負けないようにフリーザーの元へ歩いていく。
フリーザーは弱々しく翼を振ってユキを遠ざけようとした。だが彼女はそれには動じず近づいていく。
「ごめんなさい、フリーザー。うちは何にも真剣じゃなかった。あんたの気持ちを考えとらんかった。だからあんたを傷つけてしまった」
ユキは〝あまのとりぶえ〟を取り出した。
「うちは気持ちを伝えるのが下手くそなんよ。だから言葉よりも気持ちで、今のうちを知ってほしい」
そう言って目を閉じ、横笛を吹いた。音色が辺りに鳴り響く。それは吹雪の中でもよく聴こえた。
最初に聴いたときとは音色も雰囲気も違う、という印象をNは抱いた。とても繊細で、身体の奥深くまで音が浸透してくる。まるで自分の内側から音を発しているのでは、と思うほどに音の力を感じた。
その場にいる誰もが動きを止めてユキを見ていた。ゼットですら、この音が鳴り響いている間は動いてはいけないと感じていた。少しでも大きく動いたり物音を立てればこの音楽が終わってしまう。不思議といつまでも聴いていたい音色だ。
フリーザーが立ち上がった。身体は傷だらけで立つことすらままならないはずであるのに、力強く翼を広げ、ひと声啼いた。その眼は生気に満ち溢れている。
ゼットははっとした。フリーザーの鋭い眼光が突き刺さる。フリーザーの〝れいとうビーム〟がイカロスを直撃した。
そこをすかさず、ピカチュウの〝10まんボルト〟が貫いた。辺りをまばゆい光が覆う。
イカロスは地に膝をついた。
「手負いのはずなんだけどな。まさかそんな音色一つでフリーザーが立ち上がるとは予想外だ」
袖をまくると左手首には携帯端末のような装置が装着されていた。それに向かって撤収だ、と話す。
ゼットはNを見た。
「オマエの名前は?」
「……Nだ」
「そっちの女の子はユキ、だったかな? それで、そっちは?」
ピカチュウの少し後方に人影が立っていた。寒冷対策に頭から足まで外套で覆われている。フードから見えるのは帽子のつばだけだ。
その人物は何も喋ることなくゼットと対峙している。
「……無言、か。まぁ、いいや。久々に心の底からワクワクして楽しかったよ」
ゼットはイカロスをモンスターボールに戻した。それと同時に崖の下から黒いヘリコプターが現れた。梯子が地面に向かって垂らされている。
「また会おう」
ゼットはそうひと言残すと梯子につかまり、空へと消えていった。
Nはピカチュウのトレーナーであろうその人物を見た。すでにピカチュウを肩に乗せて去ろうとしていた。
「あの、アナタは?」
Nの言葉に立ち止まったその人物は肩越しに振り向くと帽子のつばに手をかけて目深に被った。そして何も言わずにそのまま立ち去ってしまった。
あの人物が何者だったのかはわからない。しかし危機的状況を救ってくれたのは事実である。そしてピカチュウとの繋がりは確かなものであった。戦闘中にピカチュウから声が聴こえた。
トレーナーへの信頼。一片の疑いもなくトレーナーを信じている気持ちが聴こえてきていた。
あれほどまでにお互いを強く想っている関係性をNは初めて見た。この世界には彼らのような存在がどれだけいるのだろうか。
ユキの元へ歩いていく。彼女は横笛を握りしめて立っていた。フリーザーは促すように社を見ている。
Nはユキの肩に手をかけて頷いた。彼女もまた緊張した面持ちで頷き返す。
ユキは鳥居の前でNに待つように言うと、社に向かって歩いていった。
雪を積もりにくくする切妻屋根の下に観音開きの扉が一つある。恐る恐る手を伸ばし、慎重に扉を開いた。
内部にはまるで氷かガラスで造られたようなフリーザーの像が鎮座していた。そして台座の上には今回の目的でもある〝氷の鏡〟が雲形台に乗せられている。
毎年の催事で目にすることはあったのだが、こんなにも近くで秘宝を見たのは初めてだった。鏡にしては大きく、綺麗な円形をしている。頭頂部にはフリーザーの三冠を模したようなものが装飾されている。
ユキは手にしていた錫杖を台座に横たえると、鏡を手にした。冷たくて、名称の通り、まるで氷のようであった。フリーザー同様にとても美しい。鏡を布で丁寧に包み鞄にしまうと、社の外に出て扉を閉めた。
フリーザーの元へと歩いていき一礼すると社と向き合い、横笛を口元に添えた。音色が辺りを包む。いつの間にか吹雪は止んでいた。深々と降る雪の世界を音が構築している。
曲が終わると、フリーザーはユキに向かって頷きその美しい翼で空へと飛んでいった。どうやら宝の授受を許してくれたようだ。
「……うち、もっとポケモンのこと勉強する。そんでいつかまた、フリーザーに会う」
その顔には安堵と決意の色が表れている。
Nは地面に落ちていたフリーザーの羽を拾い上げ、ユキに渡す。
「人間とポケモンは、どこまで行けるんだろうね」
ユキは羽を空に掲げてふふっと笑うだけだった。