ポケットモンスター -N's story-   作:ロールキャベツ

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VS鋼の漢と九尾の狐

「お兄さん、観光してはるんですか?」

 

 立ち寄った甘味処で涼んでいたときにNが声をかけられたのはそのときだった。

 

 赤茶色の髪を頭の後ろで一つにまとめ、赤色の着物を着ているその女の子はこの甘味処の看板娘のようだ。多くの人と顔見知りのようで、仕事中に何度も声をかけられては笑顔で明るく雑談していた。

 

「うん、そうだよ。歴史を感じるためにね」

 

 店先にある傘の下で長椅子に腰かけていたNはそう答えた。

 

 注文していた抹茶あんみつを彼女から受け取る。白玉ぜんざいや丹波小豆、抹茶アイスが盛られているそれは、見た目だけでも涼しげだった。

 

「この数年、外人さんがぎょうさん来てくれはってエンジュが賑やかなんですよ」

 

 彼女は辺りを見渡した。たしかにNの他にも、顔立ちがはっきりとしているなどの明らかに他の地方からの来訪者だと思われる人が多く歩いている。しきりに景観を写真に収めたり、異なる言語で会話している。

 

「お兄さん、ジョウトの言葉上手やね。どこから来はったんですか?」

 

「イッシュだよ。ここから遠く離れた場所さ」

 

「ええなー。うちも旅行したい」

 

「キミはずっとここに住んでいるの?」

 

 Nの問いに彼女は首を横に振った。

 

「エンジュとキキョウの間に住んどって、三年前に越してきた」

 

 ジョウト地方の北部に位置しているこのエンジュシティは、古い街並みと基盤目状になった道路が特徴的である。その歴史は長く、昔は政治や文化の中心地であった。

 

 街の様式は今でも受け継がれており、景観を損なわないようにポケモンセンターやフレンドリィショップなどの施設の屋根の色が落ち着いたものとなっている。食にも精通しており、料理屋や茶屋、また、芸妓屋が集まっている花街という地区もある。

 

「エンジュの南側かな? 門が目立つよね」

 

「せやせや。あれくぐったときはドキドキしたん覚えとります」

 

 Nは運ばれてきた抹茶あんみつをスプーンですくって一口食べた。濃厚な抹茶の味が口いっぱいに広がる。苦味があるが、しかし甘い。今までに食べたことのない味にやみつきになりそうである。

 

「お兄さん、抹茶は初めてですか? 口元がほころんどるよ」

 

 優しそうに彼女は笑った。

 

 どうやら未知の味に触れたことでつい口角が上がっていたようだ。

 

「キミはあの二つの塔について何か知っているかい?」

 

 Nは顔を上げた。その視線の先には二つの塔の姿を捉えている。

 

 この街を際立たせるものとして二つの塔が存在する。一つは〝やけたとう〟。もう一つは〝スズのとう〟だ。遥か昔に伝説のポケモンが舞い降りるために建てられたと言われている。

 

「知っとるよ。あの塔は――」

 

「クミちゃん!」

 

 彼女がNの問いに応えようとしたとき、店の中から出てきた女性店員が話を遮って彼女の名前を呼んだ。

 

「マイさんから伝言。休憩やって」

 

 返事をしてNに振り向く。

 

「ちょうどええ。うちがあの塔まで案内したげる」

 

 そう言ってクミはNに店先で待つように言うと店の中へと消えていった。

 

 数分すると彼女は赤い着物のまま戻ってきた。そのまま焼けた塔への道を歩く。

 

 焼けた塔はその昔、〝カネのとう〟と呼ばれていた。

 

 数百年前に火事で焼け落ちてしまったと言われている。それまでは銀色の羽を持つポケモンが飛来する九重の塔として、もう一つの九重の塔であるスズの塔と対を成していたようだ。

 

「焼けた塔にはね、こんな伝説があるんです」

 

 エンジュの伝説によると、塔は落雷による火災で焼け落ち、その後の大雨で鎮火した。しかしこの火災により、名も無き三匹のポケモンが命を落としてしまった。それを不憫に思い蘇らせたのが、空から舞い降りた虹色のポケモンであった。

 

 三匹のポケモンは三聖獣として復活したが、自らの力を持て余しジョウト各地を風のように駆け巡ったという。その三聖獣は塔に落ちた雷、塔を焼いた炎、塔を鎮火させた雨の化身であると言われている。

 

「三聖獣?」

 

「それぞれライコウ、エンテイ、スイクンと呼ばれとります」

 

 大石段の下に着いた。大石段を登りきると門があり、それをくぐると奥には焼けた塔がある。二人は六十一段あるそれを登り始めた。

 

 道中、多くの人に声をかけられた。クミはエンジュの中ではかなり名前が通っているようで、また、異国の地からの訪問者であるNと歩いていることが多くの人の目に留まり驚かせていた。

 

 半数以上の人は彼らがカップルだと思い冷やかしの言葉を投げかけ、クミはそれを赤面しながら否定していた。Nにとってはその感情がどういうものであるのか未知の部分が多く、まだまだその数式を解くには時間がかかりそうであった。

 

 焼けた塔は一階から上が焼け落ちてなくなっていた。それほどまでに凄まじい火災であったのだろう。塔だけでなく、その周りの地面などにも焼け跡が見て取れる。

 

 敷地内には彼らの他に数人の観光客がいた。写真を撮る者がいれば景色を見ている者もいる。何人かが焼けた塔の中から出てきた。どうやら中まで一般公開されているようだ。

 

 塔は焼け焦げており、一階から上が焼け落ちているために、空が見える吹き抜けとなっている。その歴史をありのまま後世に伝えるためか、傷痕や残骸はそのままであり生々しさが残っていた。

 

 また中央の床には大きな穴が開き、地下部分が丸見えとなっている。見たところ何もないのだが、少し前まで何かがそこにあったような痕跡が感じられた。

 

「ここは昔、壮麗な装飾が施された塔でした」

 

 クミはそう呟いた。しかしエンジュの伝説にあるよう、突然の落雷による火災で燃え尽きた。そして蘇った三匹のポケモン。

 

「伝説には続きがあります」

 

「続き?」

 

 クミの表情が曇る。あまり良くない話であることが想像できた。

 

 虹色の羽を持つポケモンによって蘇った三匹のポケモンに人々は恐怖した。厳密に言えば、死をも超えて命を操ったポケモンの力に恐れ戦いたのだ。それは、人とポケモンが対等であると疑わなかった時代に起きた、人智を超越した力を目の当たりにした瞬間だった。

 

 人々は畏怖の念を抱き、暴力で押さえつけようとした。しかし彼ら三聖獣は人間に反撃しなかった。それどころか人間の行いに憐れみや哀しみさえ抱き、自らエンジュの地を去ったという。

 

「悲しいかな、目を閉じるとその情景が目に浮かぶようだよ」

 

 Nはこれまで人間によって虐待され、傷つけられたポケモンをたくさん見てきた。だからこそ、身勝手な都合で近づいてきては拒絶する人間の前から姿を消した彼らの気持ちが痛いほどよくわかる。彼らがこの土地を去るときの想いが、この焼けた塔から伝わってくるようだった。

 

「でも、こうも言われとります。いつかまた、人間を信じることができるようになったとき、彼らは姿を現す、と」

 

 人間を信じる。それはNの心に深く響いた。

 

 世界には人のことを好きでいるポケモンがどれだけいるのだろうか。Nが外に出てイッシュ各地を周るまでは、そんなポケモンはいないと思っていた。

 

 しかし旅を続けるうちに考えや気持ちが揺らいでいった。心を通い合わせ助け合うポケモンと人で溢れていたのだ。

 

 Nは焼け焦げた柱に触れる。

 

「いつか人は、彼らと心を通わせることができるのだろうか」

 

「いつか必ず。彼らも無意味な争いは避けとう思っとるはずです」

 

 クミは笑顔を見せた。Nも同じように彼女に返す。

 

 スズの塔へと向かうために大石段へと向かう。そこでNは思わず足を止めた。眼前にはエンジュシティの街が広がっていた。高い建物はほとんど建っておらず見晴らしが良い。

 

 街の中には川が流れ橋がかかり、所々に小さな塔が建っている。昔の都市計画の名残だろうか、街全体が東西南北に通じる街路によって基盤の目状に区切られているのが上から見下ろすとわかる。その通りを人が、ポケモンが行き来している。

 

 古きを大切に、しかし舗装などもされているところを見ると、昔と今の時間が流れている町であることが窺える。

 

 軒下には灯篭が下げられている。夜になればそれらが一斉に明るくなるのだろう。その光景を想像するだけでもこの街が美しいことがわかる。

 

 突如、小さな爆発音が聞こえた。その直後に視界の端で煙が上がるのを捉えた。黒煙と赤い炎を上げている。どうやら何かが燃えているようだ。

 

「大変や! 行かんと」

 

「どうしたの?」

 

「火事や。みんなが心配や」

 

 いったい何のことを話しているのか問おうとするも、クミは急いで大石段を駆け下りていってしまった。何だかわからずNは彼女の後を追いかける。

 

 爆発音を聞いて驚いた人が多かったのだろう。道はあっという間に野次馬で溢れかえった。クミは人混みを軽やかに縫って進んでいく。Nも彼女の姿を見失わないよう、なんとか後ろを追いかける。

 

 道幅は決して広いわけではないため、団体が歩けば道をふさいでしまうだろう。そのような道路に人が詰めかけてしまうと前に進むのは困難である。早くも彼女を見失いそうになる。

 

 住宅の脇道に入るクミの姿をNは捉えた。彼女はさらに脇道の角を曲がる。Nも同じように角を曲がると、それほど距離は離れていなかったはずであるのに彼女の姿は消えていた。

 

 彼女だけが知っている裏道がさらにあるのだろうかと考えるが、ひとまず火災現場に向かうことにする。

 

 すでに警察官とそのポケモンが現場への野次馬の立ち入りを禁止していた。Nは自然と帽子を目深にかぶる。

 

 火災の発生はある飲食からのものだった。店を飲み込んでいる激しい炎が大気を熱し、さらに日中の日差しで暑さが増している。現場から離れているにもかかわらず汗が噴き出てくる。

 

 そこに真っ赤なトラックのような車両が三台ほどやって来た。車体の正面には花のような紋章が入り、側面には「一七組」という文字が装飾されている。

 

 車両から降りてきたのはいずれも紺色の厚手の服を着た屈強な男たちだった。次々と車両の荷台に積んであるポンプの吸管を道端に設置されている、もしくは運んできた防火水槽につないで首尾よく配置に就いていく。

 

 彼らの後ろに一人の男が腕を組んで仁王立ちする。黄色い三本線が入ったヘルメットをかぶり、防火服を肩に羽織っている。黒のサングラスをかけたその男がこの場を仕切る者であるとその威厳から察することができた。

 

「放水!」

 

 男の声は低かったが、それはよく聴きとることができた。掛け声とともにホースから水が放たれる。

 

 炎は少しずつ小さくなっていき、ものの数十分で完全に消火された。消防隊と警察が協力して現場の事後対応に当たり始める。それに合わせて野次馬も徐々に解散していった。

 

「ヒナちゃん!」

 

 野次馬の中から見覚えのある姿が現場に飛び出した。先程路地裏で見失ったクミだ。その表情は心配そのものを表していた。

 

 数人が振り向き、その中の一人が彼女に近づいていった。サングラスをかけた消防隊のリーダーだ。

 

「また来たんか! 危ねえから来んなって何べん言やぁわかるんや! 先に帰っとれ!」

 

「心配やから見に来たんや!」

 

「それがじゃかあしい言うてんねや! それから〝ヒナちゃん〟言うな! 〝ヒナギク〟や!」

 

 ヒナちゃんと呼ばれた男とクミが言い合いになる。二人ともかなりの剣幕であるが、周囲の者は止めるどころか気にもしていない様子だ。二人の光景を見て笑っている者もいれば黙々と作業を続けている者もいる。他人から見ると止めるべきだと思うのだろうが、彼ら仲間内からすると二人は仲睦まじく見えるのだろうか。

 

 しばらく言い合っているとクミが踵を返して歩き出した。どうやら先程の茶屋へ戻るらしい。そのときNの視線を感じたのか、彼女はNと目を合わせた。走って近づいてくる。

 

「急にいのうなって堪忍してください。火事が気になって」

 

「ボクは大丈夫だけど……彼らは?」

 

「あぁ。消防団のヒナ組ですよ」

 

 クミは冷ややかな目でちらりと後方を振り向く。サングラスの男が腕を組んでこちらを見ている。なぜだか目を合わせてはいけないような気になり、Nは帽子を目深にかぶった。

 

「行きましょ、Nさん。お詫びに茶菓子奢ります」

 

 有無を言わさずクミはNの手を引っ張って歩き出そうとするが、彼の動きが鈍かったために怪訝な表情で振り返る。

 

「どないしたんですか?」

 

 視線を合わせながらNに問う。

 

「――いや、なんでもないよ」

 

「ほんなら行きましょ」

 

 急かすように手を引くクミにNはどうしたらいいのかわからず、言われるがまま彼女についていくことにした。

 

 クミによると、消防団のヒナ組はエンジュシティで主に火災が発生したときの対処を任されている消防機関であるらしい。その消防団の人員をまとめているのがサングラスをかけたヒナギク――通称ヒナという男であった。

 

 ヒナ組の歴史は数百年前にまで遡ることができ、彼の家系が代々消防団の団長を務めている。団長が代替わりするごとに消防団の名前は団長の名前から取って変更されているが、それは団長に責任の大きさを自覚してもらうためであるという。

 

 消防団といっても本業を別に持つ一般市民で構成されており、ヒナギクの家は代々茶屋を継いでいる。Nが立ち寄った店がそれで、クミはそこで三年ほど住み込みで働いているようだ。

 

 再び茶屋へと戻ってくると、クミと同じように着物を着た女性が店内から出てきた。色白で朗らかそうな雰囲気が醸し出ている。

 

「クミちゃん! よかったぁ。心配しとったんよ? また火事場に行ったんやないかと思って」

 

「マイさん、すみません。焼けた塔を案内しとったら火事が見えたので見に行ってました」

 

「そう……。でも危ないからね。火ぃのことはヒナちゃんたちに任せておけば安心やから」

 

 火災現場での威勢はどこへ行ったのやら、クミはおとなしく返事をした。

 

 クミから紹介されたのはマイという女性だった。茶屋の女将をしており、住み込みで働いているクミの面倒を見ているのだという。

 

 彼女はヒナギクの姉であり、彼女の下にはさらに三人の妹がいる。その一番下に生まれたのがヒナギクだった。女系家族の末っ子として生まれた彼は可愛がられて「ヒナちゃん」と呼ばれるようになったようである。

 

「やっと生まれた男の子だから可愛くて仕方のうて。家族みんなで〝ヒナちゃん〟呼んで可愛がっとったんやけど、いつからか〝儂はヒナギクや〟言いよって身体も鍛え出してねぇ」

 

 マイは過去を振り返るかのように楽しそうに話した。独特な抑揚で話しながら目尻を下げて笑顔をつくる姿は優しさそのものであった。その不思議な優しさにNは引き込まれていた。

 

「それで彼は、今は消防団の団長を?」

 

「えぇ。〝町民を守るんが儂の務めや〟言うてね」

 

 代々消防団を継承しているとはいえ、そのように自ら務めを果たそうとするその言葉からは堅く真っ直ぐと伸びた芯の強さが窺えた。それほどまでにヒナギクという男は責任感のある人物なのだろう。現場を指揮する姿も堂々としており、たしかに威厳を感じられた。

 

 数時間後、ヒナギクが帰宅した。消防服は脱いでおり、代わりに袴を着崩していた。ヘルメットをはずした髪型は角刈りで、髭を整え、いかつい容貌をしている。よく見ると、サングラスをしたその顔には傷があった。

 

 応接間にいるNを一瞥すると眉間に皺を寄せた。

 

「さっきの兄ちゃんか。どこぞの馬の骨ともわからん奴にクミはやらんからな」

 

 いきなり何を言っているのか理解に苦しんでいるとクミが応接間に入ってきた。運んできたお茶を二人の前に出す。

 

「いつからうちはヒナちゃんの娘になったんや」

 

「ちゃうわ。働き手がいのうなったら困るだけや。それからヒナちゃん言うな!」

 

「正直に、行かんといて、って言うだけやろ? ヒナちゃん」

 

 満面の笑みを浮かべているクミに対し、ヒナギクは舌打ちをする。見た目からしても年齢差や怖さがあるが、年端のいかない目の前の女の子には言葉では勝てないようだ。

 

「クミ、さっきも火事場に来とったな? 二度と来んな。仕事の邪魔や」

 

「そんな言い方せんでもええやん! うちはみんなのことが、ヒナちゃんのことが心配やっただけやし」

 

「それが邪魔言うとるんや。儂らの仕事は火消しと人命救助や。万が一野次馬に怪我されても仕事増やされていい迷惑なんや。そっちにまで気ぃ遣っとるヒマのうからな」

 

 クミの目つきが鋭くなる。身体中から気が溢れてヒナギクを威嚇しているのが一目瞭然だ。心なしか、部屋の温度が上がっている気がする。さすがのNもこの場には居たたまれない気持ちになった。

 

 それにしても、ヒナギクの真意がわからなかった。彼はクミのことを遠ざけようとする発言をしたかと思えば、次にはその反対の発言をする。

 

 クミはこの茶屋に三年間働いている。寝食を共にし仕事も一緒となると、たとえ血が繋がっていないとしても親心のようなものが芽生えるのだろうか。だが言葉に一貫性がない。これは親心なのだろうか。

 

 それでも彼らは親子に、いや、親子に近い存在のように見える。二人とも口調は荒々しいが、その言葉の節々には相手を思いやる気持ちが見え隠れしている。

 

 自分はどうだっただろうか、とNは自問した。彼にも親のような存在がいる。気付いたときには傍にいたのだ。しかしどうだっただろうか。ヒナギクとクミのように何でも言い合えるような関係ではなかった。

 

 一緒に遊んでもらうことはおろか、衣食住と人間に傷つけられたポケモンを与えられる、一方的な関係だった。親子のような会話は皆無に等しく、父親の計画遂行のために育て上げられただけに過ぎない。

 

 しかしそれでも少なからず感謝していることはある。彼は外の世界を見させてくれた。さまざまな考えを持つ人間に、ポケモンに出会わせてくれた。彼らの〝声〟を聴き、今この地に自分が立っているのは元を辿ればその父親のおかげである。

 

 父親が自分に何を望んでいるのかをNは知っていた。いや、気付いていたと言うべきだろうか。同じように、たとえ周囲が理解できなくとも、ヒナギクの真意をおそらくクミは気付いているに違いない。言い合いは大概にしてほしいものであるが。

 

「こないなりとうないやろ?」

 

 他愛のない長い話に終止符を打つようにヒナギクは自らの顔に走る傷を指差した。威勢の良かったクミが途端に黙る。何も言い返せないとでもいうように目を逸らした。

 

 左目を交差するように縦に傷が伸びている。火傷のような跡も少々見受けられた。その傷を少しでも隠すためにサングラスをかけているのだとわかる。

 

「儂らは命かけて人もポケモンも守っとるんや。興味本位で見に来て怪我でもされたら敵わんのや」

 

「別にうちは……」

 

 沈黙が流れた。クミの表情からは哀しみが窺える。唇を噛み締め、胸の前でお盆をぎゅっと抱いている。

 

 クミは何も言わずに部屋を出ていった。

 

「……追いかけんのか?」

 

「追いかけた方がいいんですか?」

 

 いや、とヒナギクはお茶を啜った。

 

「彼女と傷のことは何か関係でもあるんですか?」

 

「……実際に怪我した話を持ち出しとるんや。敵わんくて何も言い返せんだけやろ」

 

 Nにはヒナギクが何を考えているのかわからなかった。言葉に何か含みを持たせているだけで、言葉そのものに真剣さが窺えないのだ。クミにさえ言いたくない、もしくは言えないことがあるのだろうが、それでは伝わらないのではないだろうか。

 

 クミも同じである。言葉ではしきりに消防団のことが、ヒナギクのことが心配と言っているが、その理由を語ってはいない。言葉に嘘偽りはないことは表情からも汲み取れた。三年間も家族のように暮らしているのだ。身近な人が危険な場所に行く仕事をしていれば誰でも不安や動揺を持つものだろう。

 

 しかし彼女は心配である理由を話していない。彼女にも話せない理由があるのだろうか。

 

 共通するのは二人そろって何かをお互いに隠しているということだ。素直な気持ちを打ち明けられていない。

 

「何か話せないことでもあるんですか?」

 

 ヒナギクは煙草に火を点けると一服した。ゆっくりと煙を吸って吐き出す。その動作は何かを逡巡していることを表していた。

 

「漢っちゅうのはのう、兄ちゃん、愛する女ができたらそのすべてを守ってやるもんだ。嘘があろうが、秘密があろうがな」

 

 彼はおそらく感情表現が上手くないのだろうとNは理解した。ついでに話すのも上手くない。その遠回しの発言が誤解を招くのではないのだろうか。Nも他人のことは言えないのだが。

 

 ヒナギクは窓を通って外に流れていく煙を目で追いかける。その先には金色の空を背景にしてスズの塔が建っていた。

 

 

 

 クミは一人〝すずねのこみち〟を歩いていた。スズの塔へと続く小道であり、見頃となる季節までまだ早いがそれでも美しい紅葉が道沿いを走っている。

 

 その道をつくっているのは等間隔で建てられた鳥居であり、無数に連なってまるでトンネルのように形成している。静寂と一面の紅に染まるそこは異次元へと続くかのような迫力であった。

 

 そろそろ日が暮れ始めてきて辺りに暗さが広がる。足下に気を付けながらクミは歩いた。

 

 ここに来る途中で購入した油揚げ、別名エンジュ揚げの袋を開封して食べる。存分に甘い出汁をしみ込ませたそれはとても美味しい。エンジュシティに初めて訪れた際に食してから彼女の大好物となっている一品である。特に気分が落ち込んでいるときにこれを口にすると元気が出るのだ。

 

 クミは鳥居の隙間から空を見上げた。

 

 ヒナギクはどうしているだろうか。まだ怒っているのだろうか。過剰な心配をして疎まれていないだろうか。嫌いになっていないだろうか。

 

 はあっと溜め息を吐いてクミは鳥居の上に飛び乗った。その高さはとても人間が跳躍力だけで到達することのできるものではないにもかかわらず、彼女はいとも簡単にやってのけた。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いつ、む、なな、や、ここのつ、とう!」

 

 リズム良く数を数えながら鳥居の上を跳び進む。十の数詞の掛け声と共に跳び下りて軽やかに地面に着地する。

 

「見事だね」

 

 着物の皺を伸ばしていると後方から声をかけられた。驚きのあまり変な声を出して肩を震わせてしまった。振り向きざまに距離を取って後方へと跳ぶ。視界に映ったのは帽子をかぶった青年だった。

 

「なんや、Nさんですか。驚かさんといてくださいよ」

 

 見知った人物の顔に安堵する。

 

「驚いたのはボクの方だよ、クミ。今の動きはなんだい?」

 

 信じられないものを見たような口調だった。その問いに、クミは後悔するかのように顔を歪ませた。思わず目線が泳ぐ。

 

「……なしてここに?」

 

「ヒナギクに言われてここに来たんだ。キミのお気に入りはここだからいるだろうって」

 

 余計なことを、とクミは舌打ちする。

 

「ボクの質問にも答えてもらえるかな?」

 

「嫌って言うたら?」

 

「……じゃあ、結論から言おう。キミはポケモンだね?」

 

 不意の問いかけにクミは動揺した。うまく言葉を発することができない。

 

「火事の後、キミがボクの手をつかんだとき、キミの〝声〟が聴こえてきた」

 

 ポケモンの〝声〟を聴きとることができるNにとって、直接でなくとも、ポケモンに触れることで〝声〟を聴くことができるのだろう。今回は触れた手を介してクミの気持ちが伝わったことになる。

 

「それから茶屋でキミがヒナギクと言い争っていたときのことだ。室温の上昇をたしかに感じた」

 

 顔を背けた。彼はいったい何者なのだろう。

 

「そしてキミの今の動きだ。人間離れしているその身体能力。キミは人間ではないね?」

 

「……それでうちがポケモンだと?」

 

「ボクはポケモンの〝声〟が聴こえるんだ」

 

「ポケモンの〝声〟?」

 

 なるほど。彼はどういうわけか、ポケモンの気持ちがわかり、ポケモンと会話ができるようだ。そのような人間がいるとは聞いたことがない。特殊な能力のようだ。

 

 人間離れした動きを見せてしまったことは失敗だった。ひとまず彼にはこのまま隠し通すことができなさそうである。

 

「まあ、Nさんは旅人やから、このままうちの秘密を抱えたまま旅立ってもろてかまへんからなあ。話したるわ、うちのこと。隠すのもちょっと疲れてきとったし」

 

 日が陰り始め、鳥居の吊り灯篭が灯りを点す。僅かに残る日の光とも相まって幻想的な雰囲気がさらに濃くなる。

 

 一陣の風が吹いた。何かの甘い香りがNの鼻をくすぐった。

 

「Nさんの言う通り、うちはポケモン。これがうちの正体です」

 

 何の予兆もなくクミは姿を変えた。Nが瞬きをするとそこにはクミではなく、きつねポケモンのロコンがいた。そのつぶらな瞳でNを見ている。そしていつの間にか再びクミの姿に戻っていた。

 

「驚いたよ。ロコンにはそんな能力があるのかい?」

 

 クミは首を横に振った。

 

「出会ったロコンの中ではうちだけや。うちだけが人間に化けることができる」

 

 さまざまな姿へと自由に変化することができるポケモンといえばメタモンだろう。細胞を急速に組み替えることであらゆる生命体や非生命体にまで外見を変えることができる。さらには変化した相手の能力までをもコピーすることができるポケモンだ。

 

 もう一匹はNがよく知るポケモンのゾロアだ。彼が所有するゾロアークの進化前のポケモンであり、特性の『イリュージョン』による変身能力を有しているため、メタモン同様に人間やポケモンに化けることを得意としている。

 

 主にこの二匹のポケモンが広義での変身の能力を持つわけであるが、ロコンであるクミもその力をもつ特異体質であるということか。

 

「変身能力のことはわかったよ。でも、なぜキミは人間の姿になってまでこの街で暮らしているんだい?」

 

 ふっとクミは笑顔をつくると手招きをしてNを呼んだ。

 

「スズの塔までご一緒してくれへんやろか? 全部話したげる」

 

 クミは踵を返すと塔へと続く小道を歩き出す。Nは彼女の背中を追った。

 

 

 

 三年前、クミ――ロコンはエンジュシティの南側に位置する37番道路付近で仲間とともに暮らしていた。近くには森があり、川が流れ、美味しい木の実をつける木があった。何不自由のない生活を送り、何の変哲もない穏やかな日常だった。

 

 いつからか、他のロコンにはなく、自分だけに変身能力があることに気が付いた。たとえば他のポケモンを一目見るとその外見にそっくり成ることができる。もちろん最初はうまくいかなかったが、練習するうちに本物と見分けがつかないほどにまでなった。

 

 しかし変身能力はメタモンのようにタイプや技など本質までを変えることはできず、ただ外見を変えるだけで、目くらまし程度のものであった。それでも生まれ持った才能は他のロコンたちを惹きつけ、何かに変身しては仲間たちを喜ばせることを楽しんでいた。

 

 あるとき二人の人間が歩いているのを見かけた。彼らは同じ人間にもかかわらず同じではなかった。顔や体つき、身に付けているもの、何から何まで似ていなく、そのとき初めて人間は外見的特徴が大きい生き物であることに気が付いた。

 

 そこからある考えを思いつく。誰かの複製ではなく、よりたくさんの人間を観察して自身で思い描いた人間になってみたい。そしたらもっと仲間たちを喜ばせることができ、人間ともコミュニケーションを取る手段になるかもしれない。

 

 彼女は群れをまとめるキュウコンの目を盗んでは近くのエンジュシティまで足を運ぶようになった。実際のところキュウコンたちからは人間の良いところも悪いところも聞かされており、以前から人間には興味があった。

 

 しかし、むやみに他の種の、人間の世界への干渉は強く禁止されていたのだ。だからこそ、人間のことをもっと知りたくなった。

 

 エンジュシティの人たちは優しかった。食べ物をくれたり優しくなでてくれたり。野生において異なる種族のポケモンと仲良くなるということは滅多にないことなのだが、この街では人間とともに暮らしているポケモンが多い所為か、他のポケモンとも親交を深めることができた。

 

 今までに経験したことのない日常に、彼女は心が躍った。その心に反応するかのようにときどき太陽も強い日差しを降り注いだ。

 

 その日はたまたまエンジュシティに出かけず、仲間たちと戦闘訓練をしていた。将来たしかな力を持つためだ。

 

 彼女がエンジュシティに遊びに行っている間、他のロコンは着実に力を付けていた。これまで負けたことのないロコンに負け、彼女は焦った。従来の戦法がまったく通用しなくなっていたのだ。

 

 さらに他のロコンたちは彼女をバカにするような素振りは決して見せず、むしろ心配の眼差しを向けた。それが彼女にとっては何よりも酷だった。

 

 戦闘訓練中、負けたくない一心で動いた。それは身体の奥底からエネルギーを湧き起こらせた。いつも以上に身体が火照り、炎の技の威力が増した気がした。

 

「話がある」

 

 群れのリーダーであるキュウコンからそう声をかけられたのは戦闘訓練から数日後のことだった。リーダーと二人で近くの森の奥へと向かうと、体毛が美しい銀色に輝く一匹のキュウコンが巨石の上に鎮座していた。

 

「お連れしました」

 

 クミは銀色のキュウコンの前に連れていかれた。

 

 聞けば銀色のキュウコンはすでに千年もの間生きているという。数千年の時を生きているキュウコンの中の一匹で、歴史を見届ける役目を担っているのだそうだ。

 

「わっちは各地にいる同胞たちのことを見守っておる。今日はそちのことを聞いて来たのじゃ」

 

「私のこと?」

 

 銀色のキュウコンは静かな口調で話し始める。

 

「そちは他のロコンとは変わっておる。稀有な存在じゃ」

 

 銀色のキュウコン曰く、一つは変身能力だという。これまでも変身能力を有していたものはいたようだが能力には差があり、また、数百年の間に一、二匹しか生まれなかったそうである。

 

 もう一つは特性についてであった。特性は各ポケモン、各個体が特殊な能力を備えているものであり、その多くが戦闘時に発揮される。クミはその特性もが特殊だった。

 

「そちの特性は天候を操る力の一つで、強力な日を照らすことができる。じゃが、そちはその能力を御すどころか有していることに気付いておらん」

 

 彼女自身はそのような能力まで身に付けていることにまったく気が付いていなかった。

 

 いち早く察知したのはリーダーのキュウコンでこれまでは確信が持てずに見守ることに専念していたようだが、先日の戦闘訓練でのクミの様子を見て特性の片鱗が見え始めていることを悟ったようだ。そして今回、銀色のキュウコンの元へ報告とともに助言を求めに参上したというわけだ。

 

「そちの二つの能力は突然変異のようなものじゃろう。変身能力も人間世界との交流で随分とうまくなっておるようじゃしのう。あとは人間にバレぬよううまくやりんせ」

 

 銀色のキュウコンの口調から、クミはすべての行動が筒抜けだったことに気が付いた。リーダーの方を見るとゆっくりと頷かれた。どうやら彼の目は盗めていなかったようである。

 

「問題は特性の方じゃ。御しきれておらぬ故、身体中からあふれ出る熱気で辺りを焼き尽くすことになり兼ねん。しばらくは街へ行くのを控えるのが賢明じゃな」

 

 心身ともに、特に精神を鍛えなければ戦闘時以外でも特性が発動する可能性があることを銀色のキュウコンは示唆した。一瞬の気の迷いや動転が引き金となって成長段階にある特性を発動し兼ねない。暴走した力はたちまち辺りを飲み込んでしまうだろう、と。

 

 訓練で経験した身体中から沸き上がるエネルギーを思い出した。あの力が強大なものであるとは想像し難かった。天候を操ったわけではなく、ただ炎の攻撃の威力が増しただけだ。

 

 仮にその力があるとしても制御できるようになるまでにどのくらいの時間がかかるだろう。その間にエンジュシティへ遊びに行けなくなることの方が彼女にとってはよほど恐ろしかった。

 

 エンジュシティへ行かなくなってから二ヵ月が過ぎた。

 

 初めの頃は修行に気合いを入れており早く終えてエンジュシティへ向かおうと思っていた。しかし力の制御を訓練するどころか特性が発動するかたちさえ見せず、時間だけが流れていた。

 

 特性の影も形もないことから本当に日照りを操る力があるのかどうかさえ疑問に思い始め、次第に修行にも身が入らなくなった。同時に、遊びに行くことのできない状況に不満を覚えて嫌気が差し、その日の夜、ついに街へと出かけてしまった。

 

 日中に訪れることは多かったが、夜の街は初めてだった。軒下に下がる灯篭の灯りがぼんやりとしている。昼間の賑やかさはどこへやら、多くの店が閉まっており暗闇と静寂が街を包んでいた。

 

 人間は歩いているが数えられるほどだ。街に住みついている野生のポケモンも隅に寄って身体を休めている。

 

 しばらく夜の街を散策していると、夜空に鈍い明かりを発見した。その光が家屋で遮られていることがわかった彼女は、光を目指して駆けた。

 

 その光はスズの塔を照らしていた。大石段の下から上まで照明が点され、さらに塔を囲むように同じく下から光を照らしていた。その輝きは荘厳だった。昼間とはまた違う雰囲気のスズの塔を目の前にしてクミは心を奪われていた。

 

 どれくらいそうしていたのだろうか。

 

 いつの間にか何かに周りを囲まれていることを察知した。物陰や明かりの届かない暗闇からこちらの様子を窺っている。その多くの視線が彼女の一挙手一投足に集中していた。

 

 心拍数が上がり、鼓動が耳元で鳴っている気がする。緊張して身体が動かない。突き刺さるような視線は獲物を狩るときのものだった。

 

 逃げなくてはならない。その言葉だけが頭に浮かんだ。

 

 どこへ逃げる? 街の外か? エンジュシティの外に出ることさえできれば仲間を呼べる――。

 

 彼女は素早く踵を返すと一目散に走りだした。一瞬遅れて隠れていたものたちが姿を現した。ダークポケモンと呼ばれるデルビルだ。優れた視力と嗅覚を持つと言われており、その正確さで獲物を狩る、闇夜に生きるポケモンである。

 

 クミが確認できただけでも四匹の姿があった。彼らは必ずといっていいほど群れで行動し、お互いの鳴き声を使い分けて狩りをする。その連携は思わず賞賛してしまいたくなるほどとても正確で緻密である。

 

 やはり追跡している以外のデルビルもいるようで次々と曲がり角や他の道からも現れる。他のデルビルの出現により何度か南門から遠ざかるが、裏道を駆使して再び南門に近づくことを繰り返しながら彼女は道を一心不乱に走り、南門を目指した。

 

 やっと南門が見えた。出口はもうすぐそこである。これで仲間に助けを求めることができる。そう思ったのも束の間、門をくぐり抜けた先にはさらにデルビルとその進化形であるヘルガーが待ち伏せていた。

 

 そこで初めて誘導されていたことを悟った。彼らはわざと南門から遠ざけるように行動し、そして近づけた。すべては作戦に勘づかれないようにするためだったのだ。うまく行動し、緊張状態の中に安堵感を芽生えさせることでクミの判断を鈍くしていたのだ。

 

 最初から彼らの手の上で踊らされていたことに愕然とした。

 

 逃げようにもすでに周囲はデルビルたちによって塞がれており、完全に退路を断たれていた。

 

 自分の行動を後悔した。行くなと言われていた街に向かい、結果、狩りの標的にされてしまった。逃げたものの彼らの罠にまんまと嵌っていた。自分の考えの甘さに腹が立ち、悲しくなった。そして命を狩られることに恐怖した。

 

 さまざまな感情が入り交じり気持ちが悪くなる。動悸が激しくなり眩暈がした。足が身体を支えていられなくなるほど震える。

 

 何が何だかわからくなったとき、彼女は全身から炎熱気を発した。それは衝撃波となってデルビルとヘルガーを襲った。彼らの特性であるはずの『もらいび』が炎の攻撃を無効化できないほど強力なものだった。デルビルたちに傷を与えるだけでなく、周囲の木々や門を燃え上がらせ、炎はたちまち大きくなる。

 

 暴走したクミは目に入ったデルビルに攻撃を仕掛けていった。デルビルも戦意をむき出しにして襲い掛かってくる。しかし無作為に炎と熱を放出するクミの攻撃にデルビルは倒れ、逃げていった。そして彼女とヘルガーだけが燃え盛る炎の中で対峙することになった。

 

 ヘルガーは彼女に近づくことすらままならかった。そこに立っているだけで辺りに新たな炎が生まれる。まるで小さな太陽のようだ。

 

 仲間を失ったヘルガーは相手との実力差を悟り、これ以上の戦闘は無意味と捉えて姿を消した。

 

 ヘルガーが去ってからもしばらくはその場にただじっと立っていたが、ついに彼女は倒れた。大きすぎた力は尽きて暴走が止まり、新たな炎の発生は途絶えたが、すでに燃え広がった炎は消えることなくその威力を維持している。逃げることなど到底できずに意識を失った。

 

 サイレンを鳴らしながら消防団が到着した。現場から最も近い彼らが初めに到着したときにはすでに火災の被害は大きくなっていた。応援が来るまでなんとかして被害拡大を防ぐとともに人やポケモンの避難をさせなければならない。

 

 ヒナギクは的確に部下へ指示を出し、対処に当たった。万が一、逃げ遅れた人やポケモンがいたら大変である。自らも率先して火の海へと飛び込んだ。

 

 一ヵ所、不自然に炎に包まれていない場所があり、ポケモンが倒れていた。ロコンだ。ほのおタイプのポケモンであることから火災の発生源はこのポケモンだろうかと考えるも、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

 

 目の前に助けなければならない命があれば助ける。それがヒナ組の、ヒナギクの考え方であり信念だった。

 

 数人の仲間とともにロコンを助ける。

 

 そのとき木が倒れてきた。ロコンを抱えたヒナギクは間一髪でその木を避けるも枝が彼の左の顔を襲った。上から下へ一本の傷をつける。それでも彼は倒れることなくロコンを救出した。

 

 二日後、クミはエンジュシティにあるポケモンセンターの治療室で目が覚めた。四肢に力が入らなく、文字通り力が尽きていた。それほどまでにあの力は強大だったことがわかる。

 

 力に支配されて炎を操れなくなくなったのは初めてだった。正直なところ、何が起きたのかよく覚えていなかったが意識を失うほどの力に自身の存在が恐ろしくなった。銀色のキュウコンの言いつけを守っていればこんなことにはならなかったのだろうか、と自問が終わらなかった。

 

 ひとまず群れに帰らなければならないと考えたクミは、体力の回復に努めた。

 

 あるとき、窓越しに部屋の外からこちらを見ている人間がいた。頭と左腕に包帯を巻き、頬には大きなガーゼを貼っている。黒いサングラスに髭という風貌から、ポケモンである彼女でさえその人間に怯え警戒心を抱いた。

 

 部屋の中でクミの健康や傷の経過具合を管理している女医が優しく伝える。

 

「彼はヒナギクさんよ。エンジュの町の火消し人で火災からみんなを守っているの。あなたの命を救った人でもあるのよ」

 

 ずっと疑問に思っていた。誰がポケモンセンターまで運んでくれたのだろう、と。あの傷もきっと自分を救ってくれたときにできたものだろう。あの炎の中で救助に当たっていたのだ。負傷しない方がどうかしている。

 

 途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自らが引き起こした火災に他人を巻き込み、傷を負わせてしまった。自分の行動を、力を責めた。

 

 その後、クミは野生に戻れることとなった。すぐに群れの縄張りに向かうと、リーダーのキュウコンが彼女の前に姿を現した。

 

「何をしたのか理解しているのか?」

 

 静かに彼女に問う。

 

「自然を、人間を、他のポケモンをお前の力が巻き込んだ結果がこれだ」

 

「わかっています。私は、ある人間に命を救われました。感謝してもし切れません。でも私のせいでその人間に怪我をさせてしまいました。その償いはしたいと思っています」

 

「……ならばどうする?」

 

 クミは逡巡したもののリーダーの目を見て意志を伝える。

 

「これからは力を使わないよう人間として生きて、彼に恩返しと償いをしたいと思っています」

 

 その真剣な眼差しを捉えたキュウコンは何かを言いたげな表情で、しかし何も言わずにその場を去った。

 

 クミはリーダーの後ろ姿を見送ると思い描く理想の人間の姿に化け、その足でエンジュシティへと向かった。

 

 

 

 スズの塔に着いた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。ライトアップされたスズの塔は闇夜の中で美しく輝いている。おもしろい魅せ方をするものだ、とNは感嘆した。

 

「これが、うちが人間の姿で生活している理由です」

 

 スズの塔の前でクミはNと向かい合った。

 

「そうか。逆にポケモンが人間を傷つけてしまうこともあるんだね」

 

「力があれば誰かを傷つけてまうんです。特にポケモンは」

 

 クミは困ったように笑う。

 

 この三年間、表には出さずとも彼女はずっと苦しんでいたのだろう。もしも力を制御できていたら結果は違っていたかもしれない。他に被害を出さず、ただデルビルたちを追い払うことができていたかもしれない。群れからも離れずに済んで、これまでのようにエンジュシティに遊びに行ける毎日を送れていたかもしれない。

 

 自らの過ちによるけじめであるとはいえ、たった一人で、人間の姿に化けて人間の世界で暮らすことは不安や寂しさ、なによりも勇気がいることだろう。

 

 誰にも言えない秘密を抱えて三年もの時間を彼女は過ごしたのだ。人間のために、人間の立ち居振る舞いを覚えて、人間になり切ってきたのである。ポケモンの生活を、ポケモンの力を捨てて生きてきたのだ。彼女は十分にうまくやった。もうロコンの姿に戻ってもよいのではないだろうか。

 

「いつまで人間のままでいるつもりなんだい?」

 

「せやなぁ。こん街も人も、マイさんも、もちろんヒナちゃんも大好きやからなぁ。こんままずうっと人間のままかも」

 

「正体は明かさないのかい?」

 

「気持ち悪がられるやろ、人間に化けて生活してたなんて知られたら。それに消えない傷跡残した張本人のことなんか許してくれへんよ」

 

 その口調から、彼女が一番気にしているのはヒナギクのことであることがわかる。その思いは真剣で、でも気を遣いすぎている。どれほど彼のことを思ってこれまでの間生活してきたのだろうか。

 

 Nは大石段の方へと歩いていった。昼間見た景色とは異なり、エンジュシティの夜は静寂に包まれている。

 

 建物の高さ規制があるため見晴らしがとても良い。街灯やところどころ点いている店の明かりが基盤の目に区画された街並みを一層際立たせている。街の外にある山や森がエンジュシティを大きく包み込んでいる雰囲気がどこか安心感を与えてくれる。昼間とはまた違った感情がNの中にあふれた。

 

「今は良くても、いつか何かの拍子に力を抑えきれなくなることがあるかもしれないよ」

 

「せやなぁ」

 

「旅行したいと言っていたね。修行しながら旅行するのもいいんじゃないかな」

 

 Nの助言にクミは口元を拳で隠しながらくすっと笑った。

 

「Nさんについて行けば、力を制御する修行ができてついでに旅行もできそうやからええなぁ。でもせっかくのお誘いやけど、どんなことされるかわからんからお断りしようかな」

 

「……ボクはそういうつもりで言ったわけではないけど」

 

「そうなん? てっきりそういうつもりやと思ったわ」

 

 おかしそうにクミは笑った。

 

 どのような解釈をしたのかはよくわからないが、言いたいことが正確に伝わらなかったことだけは理解できた。

 

 だがこれも意思の疎通を図ろうとする醍醐味である。万人がみな同じ思考回路や感情を持つわけではない。異なるからこそ想像もしていなかったものが生まれるおもしろさがあるのだ。しかしそれを理解するには、Nにとってはまだまだ難しいものであった。

 

「人間を理解するのは苦労するね」

 

「自分は人間やのに? それにうちは人間に見えるけど、人間やないよ」

 

 またもおかしそうにクミは笑う。

 

「もう二、三日したら次の街に行くよ」

 

「それまでこん街を楽しんでいってください」

 

 握手を交わすと、Nは宿屋に戻るため大石段を降りていった。

 

 彼の後姿を見送ったクミは背後に堂々と聳え立つスズの塔を見上げた。美しく厳かにその存在感を放つ姿にクミは見惚れた。

 

 人間の姿で生きていく覚悟はできている。でもいつかは炎の力を使いこなせるようになりたい。誰も傷つけずに済むように――。

 

 来た道を戻るため小道を進んだ。ふと、何かの気配を感じた。来るときには気が付かなかったものだ。それはある一ヵ所から微かに波長のようにその存在をクミに伝えている。

 

 気になったクミは小道を逸れてその気配を探す。少しずつ近づくにつれてどこから波長のようなものが流れてきているのかわかってくる。

 

 立ち止まり、辺りを見回した彼女は地面を見た。しゃがんで落ち葉や枝を払い、地面を少し掘ると、琥珀のように透き通った石を発見した。手に取って月明かりにかざすと、石の中に赤と橙、黄色の炎のような模様が見て取れた。

 

「綺麗な石やなぁ。炎のようなエネルギーを感じるわ」

 

 しかしどこかで見たことのあるような石だ。いや、誰かにこの石のことを聞いたことがあるから知っている? たしかずっと前にキュウコンがまだ幼かったロコンたちを呼んで話してくれた。

 

 ロコンは〝ほのおのいし〟が蓄えているエネルギーで進化し膨大な力を得る。しかし力無きものが闇雲に触れるとたちまち力に呑まれ、あふれ出る力の衝動に駆られて自分ではなくなる。たしかそのようなことをリーダーであったキュウコンは話していた。

 

 手にした石から感じるエネルギーの波長は、当時見せてもらった炎の石のものだ。記憶が今と繋がった。

 

「これ、炎の石? ――っ!」

 

 しまった、と思ったのも束の間、炎の石が煌々と光った。石は砕け散り、中に蓄積されていたエネルギーがクミの体内に流れ込んでくる。身体が燃えるように熱い。まるで体内を炎が蹂躙しているかのようだ。

 

 そして変化は起きた。光をまとい、身体のあらゆる部分が急速に変わっていく。顔が変わり、耳が生え、尻尾が九つに増える。

 

 光が解かれると、クミは金色の体毛を持つキュウコンに進化していた。しかしその赤い瞳の瞳孔は開かれている。

 

 ひと声鳴くと、身体からあふれ出た炎が一瞬にして辺りを焼き尽くした。

 

 

 

 月を見ながらNは歩いていた。雲が少し出てきたようだが夜空に浮かぶ星々は綺麗に輝いている。もうすぐで宿屋に着きそうであった。

 

 そのとき、ポケモンの鳴き声が聞こえた。苦しんでいる声。それが誰のものか、すぐにわかった。

 

「――クミ!」

 

 スズの塔を見やると、その近くで炎が上がっているのが見えた。夕方にクミと二人で歩いた小道がある場所だ。現場に向かうために走りだそうとした瞬間、何かが高く跳び上がり、一軒の屋根に着地した。その体毛は金色に輝き、九本の尻尾の先には火の玉が燃えている。

 

「進化してしまったのか……!」

 

 キュウコンは尻尾の先の火の玉を無作為に飛ばした。着弾した家屋が燃え始める。

 

 続いて天に向かって鳴きながら形成した炎の球体を打ち上げた。それは空高く上がると衝撃波を拡散させて雲を消し飛ばした。球体を包んでいた炎が飛び散り、眩しく輝く球体が出現する。それとともにエンジュシティに強い日差しが降り注いだ。

 

 急な出来事に、飛び起きてきた人々は困惑した。様子を見に外に出てきたら晴れていたのである。一瞬のうちに夜と昼が逆転し、さらには火災も発生しているともなると、人々は軽いパニックに陥っていた。

 

「『にほんばれ』? ……いや、『ひでり』か」

 

 クミの話をNは思い出した。ロコンであるクミの特性は非常に珍しいもので、技を使わずとも日照りを発生させることができる。その能力はしばらくの間炎技の威力を高め、水技の威力を下げるものだ。

 

 このままでは通常よりも早く街を火の海にし兼ねない。彼女動きを止める必要がある。Nはキュウコンの元へと急いだ。

 

 キュウコンは屋根の上を移動しながら抑えきれない炎で家屋を燃やしていった。人々が逃げ惑う中、Nが彼女を追っていると、誰かが彼を呼ぶ声がした。横を見ると、通りをこちらに向かって駆けてくるサングラスの男がいた。

 

「兄ちゃん! 生きとったか! クミはどこや?」

 

 防火服を着たヒナギクに両肩をつかまれて前後に激しく振られる。

 

「彼女は――」

 

 この際隠していても仕方がない。一刻も早く彼女を救うために正体を話そうとしたとき、彼らの近くの屋根にキュウコンが降り立った。その口元からは火の粉が漏れており今にも技を放つ瞬間だった。

 

「クミ……!」

 

 キュウコンの姿を捉えたヒナギクがそう呟くのをNはたしかに聞いた。

 

 放たれた〝かえんほうしゃ〟を二人は間一髪で避け地面を転がった。技が飛び火し、店の看板に火が点く。

 

 再びキュウコンは屋根を移動し始めその場を去っていった。

 

「……彼女の正体を知っていたんですか?」

 

 上体を起こしたNは帽子を整えながらヒナギクに尋ねる。

 

「……知らなかったと言やあ嘘になる。じゃけん、正確に気付いとったわけでもあらん。勘付いとった程度や」

 

 Nは落ちた帽子を拾い上げると被りなおした。彼女の後を追おうとしてヒナギクを見やると彼は座って地面を見つめたままだった。動く素振りすら見せない。

 

「追わないんですか?」

 

「……儂は火消しで、多くの人の命を守らにゃあかん。じゃが、どうやってあいつを止めたらええんや? 儂はあいつを傷つけとうない」

 

 両手の拳を地面に突き立てている。

 

 彼はクミのことを本当に大切に思っているのだ。だから迷っている。どのようにして彼女の暴走を止めたらよいのか考えあぐねているのだ。

 

 彼はこの三年間、ずっとクミのことを考えていたに違いない。救ったポケモンが人間の姿になって自分の前に現れた理由を。

 

「クミは言っていました。アナタを、誰もこれ以上傷つけたくない、と」

 

 Nの言葉を聞いて顔を上げたヒナギクの表情には決意が表れていた。

 

 立ち上がって防護服とヘルメットを脱ぎ捨てると羽織姿になった。その背中には雛菊の花柄と「一七組」の文字が刺繍されている。

 

「漢、ヒナギク。何を迷っとったんじゃ」

 

 サングラスをかけ直してキュウコンが去った方向を見つめる。

 

「クミ、今行くわ」

 

 先程までの姿はどこへやら、一変してヒナギクは駆けだした。続いてNも走り出す。

 

 キュウコンは東西南北に通じる十字路にいた。炎を吐き出し辺りかまわず燃やしている。

 

 エンジュシティは至る所で炎を上げている。まるで火の海だった。炎は生き物のように次々と家屋を呑み込み勢いを増している。

 

「クミ……!」

 

「おそらく予期せぬ進化と急激な力の増大によって力に呑まれてしまっているんです」

 

「それで我を失っとるんか……」

 

 ヒナギクは懐からモンスターボールを取り出した。

 

「兄ちゃん、動きの速いポケモンは持っとるか?」

 

 モンスターボールを取り出したNは頷いた。それに対して上出来だ、とヒナギクは返す。

 

 ヒナギクはボスゴドラを、Nはゾロアークを繰り出した。突如現れた二匹のポケモンにキュウコンが反応して対峙する姿勢を取る。

 

 炎のように揺らめく九尾の先に怪しい紫色の炎が発生する。九つの〝おにび〟が二匹目掛けて飛んでいく。

 

 ボスゴドラは〝どろかけ〟で、ゾロアークは〝かえんほうしゃ〟でキュウコンの技をかき消した。直後、ゾロアークはNの指示でキュウコンの元へ駆けていく。

 

 技を繰り出されると判断したのか、キュウコンはゾロアークの視界に入らないよう移動するが、そうはさせないようにゾロアークはひたすらその後をついて行く。

 

 さらにボスゴドラが〝ストーンエッジ〟で地面から岩を突き出し、キュウコンの行く手を阻んでいく。

 

 次々と行く先を阻まれ、また、直接当たりはしないがそれでも技が掠ることに苛立ちを隠せなくなったキュウコンは〝でんこうせっか〟で一瞬のうちにゾロアークの懐に飛び込むと口から光線を発射した。

 

 防ぐことが間に合わなかったゾロアークは勢いで飛ばされるものの、地に膝をつきながらもなんとか耐え抜いた。

 

「『ひでり』の恩恵で溜めるのが早くなったのか……!」

 

 キュウコンが放った光線はくさタイプの技、〝ソーラービーム〟。強力な大技であるがゆえ、通常ならば発射するまでに光のエネルギーを溜める時間を必要とするが、現在は『ひでり』の影響でエネルギーの収束速度が格段に上がったため攻撃までの時間がかなり短くなっている。

 

「おおきにな、兄ちゃん。おかげで準備できたわ」

 

 Nとゾロアークの前にヒナギクとボスゴドラが立ち、キュウコンと対峙する。鉄の鎧を纏った怪獣は姿勢を低く構えると勢いよく飛び出した。いかにも重そうな姿からは想像ができないほどの速度でキュウコン目掛けて走っていく。

 

「何重もの〝ロックカット〟で素早さは格段に上がっとる。これならクミを抑えることも可能や」

 

 キュウコンは後退して距離を取ろうとするが、後方にはボスゴドラの技によりいつの間にできた岩壁によって退路を断たれていた。本能的に少しでも動きを止めようと吐いた炎は大の字になって直撃する。通常の〝だいもんじ〟に増して炎の威力が大きい。

 

 しかしボスゴドラは動きを止めるどころか怯むことさえせずに猛進する。

 

「無駄や。儂のボスゴドラはその辺のやつとは鍛え方がちゃうねんからの。その程度の炎技ならびくともせえへん」

 

 瞬く間に眼前にボスゴドラが迫り、その太い両腕にキュウコンは成す術なく捉えられた。

 

「ようやった、ボスゴドラ!」

 

 ヒナギクが火の中を歩いて近づいていく。

 

「クミ! ええかげん目ぇ覚ませ! いつまでやっとるつもりや、ボケナスがぁ!」

 

 キュウコンは自らの動きを封じている腕からなんとか脱出しようともがいている。ヒナギクの必死の呼びかけが耳に届いていないのは一目瞭然だった。

 

 ヒナギクは歯ぎしりするとボスゴドラに指示を出す。

 

「許せ、クミ。〝でんじは〟、並びに〝きんぞくおん〟や」

 

 二本の角の間から微弱な電磁波をぶつけて麻痺状態にするとともに、角を振動させて金属の擦れる不愉快な音を発生させる。その嫌な音にキュウコンの動きが鈍くなりぐったりとする。

 

 ようやくこの戦いを治めることができると思ったのも束の間、キュウコンの九本の尾が広がった。それと同時に頑丈な鉄の鎧を炎が囲む。瞬時にボスゴドラの元へ炎が収束したかと思うと、それは上下に伸びて巨大な火柱を形成した。キュウコン自ら、巨体のボスゴドラとともに丸々と呑まれている。

 

 その業火の輝きにヒナギクは思わず腕で顔を隠す。凄まじい熱風が彼を襲った。衝撃で家が吹き飛び、辺りの炎は勢いで消えるか、さらに燃え広がった。

 

 火柱が消えるとボスゴドラは力尽きてその場に倒れた。その重さで地面が揺れる。

 

 解放されたキュウコンは炎を纏いながら歩いている。だがこれまでの戦闘によるダメージが蓄積されているのか、歩き方が覚束ない。そしてその表情はひどく苦しんでいた。

 

 衝動と本能で動いているようなその姿を見たヒナギクはなりふり構わずキュウコンの元へ走り出した。〝おにび〟によって妨害されそうになるも、鍛え抜かれた鋼の精神と肉体で難なく弾き飛ばしキュウコンを抱きしめた。

 

「クミ! もう戻ってこい。もう終わりにせんか」

 

 キュウコンは苦しそうに呻き、じたばたする。それは抱きしめられているからではなく、抑えきれない増大したエネルギーに、止まらない破壊衝動に、そして思うように自らの意志を制御できないことへの苦しみだった。

 

「すまんのぅ、クミ。儂のために人間にさせちまって。儂のために人間で生きようとしてくれておおきにな。こんなにも儂の容体を気にしてくれるんは、後にも先にもおまえだけや」

 

 より一層キュウコンの瞳孔が開かれ、牙を剝く。

 

「この三年、慣れへん世界で一人でよう頑張ったのぅ。もう無理せんくてええ。生きとれば誰かを傷付けてまうんは仕方のないことや。そんときは誠心誠意謝ればええ」

 

 ヒナギクの腕を振り払うと、キュウコンは鋭い牙で彼の左肩に嚙みついた。その力は凄まじく、ヒナギクは苦痛で顔を歪ませるも歯を食いしばって耐え抜く。

 

「自分を犠牲にすな。誰かのために生きんな。これからは自分のために生きるんや。それでええ」

 

 右手で頭を優しくなでる。

 

 荒ぶっていたキュウコンは徐々に落ち着いていった。表情から険しさが消え、肩を噛んでいる力が抜けていく。

 

 空中に浮かぶ光の球体が小さくなり始め、日差しが弱まっていく。その球体が完全に消滅したとき、再び夜が訪れた。

 

 夜の街で炎が明るく燃えている。

 

 力尽きたキュウコンはその場に倒れた。同じく倒れたヒナギクは九尾で優しく包まれている。それは、今この瞬間だけでも一片たりとも傷付けまいとする、キュウコンの想いが表れたようだった。

 

 

 

 目が覚めると見慣れない天井が目に入った。無機質で真っ白い天井だ。テレビドラマなどで見かけるそれとよく似ている。

 

 霞掛かったようにぼんやりとする視界の端に何かが映る。

 

「あら、ヒナちゃん。おはようさん」

 

 そのおっとりとした口調で誰だか瞬時に判断した。何十年も聞いていれば顔を見なくてもわかる。長女のマイだ。

 

「ヒナさん!」

 

 そう声をかけてきたのも誰だかわかる。消防団の部下たちだ。声をした方を見やると人影があった。焦点を合わせるために目を細めると四人ほど姿を確認できた。おそらく残りは現場の作業に当たっているのだろう。

 

「早速怒ろうとせんでくださいよ」

 

 ヒナギクのその様子を見た内の一人が鼻声で言う。こんな時まで人をからかうとは憎めない部下たちだ。ちゃうわ、と反論しようとするも喉がかすれて声が出なかった。

 

 左肩から腕にかけて包帯でがっちりと固められているのが感覚でわかる。他の箇所も包帯が巻かれているようだが動かすことはできそうだ。

 

 なんとか身体を起こそうとするヒナギクをマイは手伝った。部下たちは揃って安静に、と言っている。言う通り、激痛が身体中に走るがそれでもお構いなしに上体を起こす。

 

 酸素マスクを外したヒナギクはマイに尋ねた。

 

「クミはどないした? キュウコンはどないした? 火事はどうなっとる?」

 

「そげん一遍に言われても答えられんよ」

 

「火ぃはほとんど消し終えました。今はほとんどを救助や瓦礫の撤去作業に費やしとります」

 

 火事のことは、マイの代わりにヒナ組の部下たちが答えた。

 

「そんで、クミは無事なんか?」

 

 病室に重たい空気が流れる。それでも察するに余りあったが、マイは答えた。涙声となっている。

 

「クミちゃんは、今みんなで探しとるところや。……どうか無事で、いて」

 

 マイは嗚咽を漏らした。手元のハンカチで口元を抑える。

 

「……儂と戦っとったキュウコンはどないなった?」

 

「ヒナさんのことは副団長が見つけたようですが、そのときキュウコンの九尾にヒナさんが包まれた状態で見つかった、と」

 

「そんで?」

 

「キュウコンはポケモンセンターに搬送されたようですが、その後は聞いとりません」

 

 それを聞いたヒナギクはベッドから降りると病室のドアへと向かった。

 

「ちょ、ヒナさん、どこへ?」

 

「しょんべんや。じゃかあしいからついて来んな。あとサングラス」

 

 受け取ったサングラスは片側が割れているがそれでもかけて部屋を出た。その後も数人の看護師に動くことを止められたが病室を出たときと同じように発言して、目を盗んで外へ飛び出した。

 

 街は悲惨な状態だった。生き残っている家屋もあるが、街の中心にあるものほど焼け焦げ、倒壊している。ある道は瓦礫で塞がれており通行ができない状態となっている。最後にキュウコンと戦った場所へ赴くと規制線が張られて立ち入ることができなくなっていた。

 

 曇天が一層、ヒナギクの心を不安にさせた。早くクミに会いたい。この目でその姿を確認したい。その一心で足を動かす。

 

 ポケモンセンターは所々焼け跡が残るものの、大きな損害は受けていなかった。通常通り開かれているが、運ばれてくるポケモンの数はいつもの数倍であった。治療室が立て込んでいるためか、正面玄関のロビーには傷付いたポケモンやそのトレーナーで溢れている。

 

 忙しなく働いているジョーイさんをなんとか捉まえて、ヒナギクはキュウコンのことを尋ねた。

 

「あぁ、あのキュウコンですね。先程あるトレーナーが引き取っていきましたよ」

 

 トレーナー? しかも引き取っていったとはどういうことだ。

 

 心当たりは一人しかいなかった。

 

 できる限りの情報を聞き出したヒナギクは軋む身体に鞭を入れながらその後を追った。

 

 エンジュシティの外れの道に、その姿はあった。帽子をかぶった長身痩躯で特徴的な緑色の髪。

 

「兄ちゃん!」

 

 ヒナギクは彼に声をかけた。その声に立ち止まった青年は振り向く。

 

「もう動いて大丈夫なんですか、ヒナギク?」

 

 その問いには答えず質問をする。

 

「キュウコン――クミはどこや?」

 

 Nは素直にモンスターボールを取り出した。それを手の平に乗せると前に出す。案の定、中からはキュウコンが出てきた。

 

「どういうつもりや?」

 

「彼女に話したんです。この場所でキミはまだ大切な人を守るのか。それよりも守るためにここを離れて力を付けた方がいいんじゃないか、と。そしたら同意してくれました。彼女はボクと旅をします」

 

 ヒナギクはキュウコンに近づいた。しゃがんで真正面から向き合う。その瞳の奥には見知ったクミの姿が見えた。

 

「……行くんか?」

 

 キュウコンは優しく頷く。

 

 そうか、とヒナギクは短く呟いた。

 

「行きとうなければ行かんくてもええ。ここで生きるんも――」

 

「ヒナちゃん」

 

 クミの声が脳内に響き渡る。テレパシーだ。

 

「うちはうれしかったよ。自分のために生きろって言うてくれて」

 

 ヒナギクは眉間に皺を寄せて険しい表情となる。その顔はどことなく泣くのを我慢しているようだ。

 

「そんなヒナちゃんや。行くな、とは言わんやろ? 漢に二言は?」

 

「……ない」

 

 よろしい、とキュウコンが言う。

 

「ごめんね。二度も傷つけてもうた」

 

 キュウコンは鼻先でヒナギクの左肩に優しく触れる。

 

「気にも留めとらんわ。じゃから気にせんでええ」

 

 キュウコンは困ったように笑顔をつくる。

 

「うち、こん街が大好きやのに、こんなにも傷付けてもうた。街だけやない。人もポケモンも、二度と傷付けないと誓った大切な人まで全部や。もう、こん街にはおられんよ」

 

「わかっとる。皆まで言うな」

 

 ヒナギクがキュウコンの頭をなでる。

 

「別嬪になりおったなぁ」

 

 キュウコンの瞳から涙が溢れた。これまでの想い出が次々と蘇る。楽しいこともあった。苦しいこともあった。悲しいこともあった。喜ばしいこともあった。出来事一つひとつがかけがえのない想い出である。

 

「うちからも餞別や」

 

 割れたサングラスからのぞくヒナギクの細い目をキュウコンは見つめた。その瞳の奥にまで届くように涙ながらに言葉を続ける。

 

「をみなへし さきさはにおふる はなかつみ かつてもしらぬ こひもするかも」

 

 どんなことがあっても泣くまいと決意していた。鍛え上げた精神と肉体は涙を見せない鋼の漢を作り上げたつもりだった。

 

 その和歌はクミのお気に入りのものでよく詠っていたのを覚えている。だからこそ意味が分かり、だからこそ涙した。

 

「うち、ヒナちゃんに会えてよかった。人間になれてよかった」

 

 引き留めようとしたらクミはなんと言うだろうか。きっとまた先程と同じように「漢に二言はない」と言うのだろう。それに彼女の想いを踏みにじるような真似はしてはいけない。今度こそ自分自身のためにその力とともに生きてもらいたい。

 

「今までおおきにな、ヒナちゃん。めっちゃ楽しかったわ」

 

 キュウコンはヒナギクの額にキスをすると背を向けて歩き出した。

 

 まだ言い足りないことが山ほどある。その背中に向かって話そうにも何かを発しようとするたびに嗚咽が漏れて言えなかった。

 

 Nは帽子を目深にかぶる。それは彼らの気持ちを配慮した彼なりの別れの表現だった。

 

 空が晴れ、雲の隙間から日差しが注ぐ。晴れているのに雨が降った。その天気雨はヒナギクの気持ちを代弁しているかのようだった。まるで、嫁入りをする娘の父親のような――。

 

 一人の青年と一匹の狐の女の子の後ろ姿をヒナギクはいつまでも見送った。

 

 

 

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