※
彼なのか、彼女なのか。
それが、アナタと親しくなった人物が抱く、共通の疑問である。
アナタは星の海を游ぎ、戯れに文明を滅ぼす、おぞましくも美しい種族の古株だ。
アナタ達の名はキングギドラ。
数多いるギドラ族のなかでもアナタは一際長命で、強大で、物好きな変わり者だ。
宇宙怪獣でありながら知識欲を抱くアナタは、知的生命体とコミュニケーションを図る事があり。
その対象は人間種である場合が多い。
アナタは、人間とコミュニケーションを図る際、かつて巡り会った宇宙を旅する男の声で、語りかける場合が多い。
その声はアナタのお気に入りなのである。
だからアナタと親しくなる者は、多くがアナタを、とりあえず雄と仮定する。
が、彼女は違った。
アナタが、魔界と呼ばれる世界で出会った創造神、神綺は違った。
一目見て、アナタの奥深くまでをも見抜いた彼女は、アナタが高度な知性を得てから初めての、決して敵わぬ上位者であり、同族以上の理解者であり。
そんな彼女からの頼みとあっては、アナタに断れるはずもなく。
魔界を離れて太陽系をめぐる旅をして、月で癒してまた魔界へ戻ったアナタは、彼女の娘の一人に付きっきりである。
要するに、アナタは今、アリス・マーガトロイドなる少女の家庭教師であった。
もっともアナタとしては、魔法を極める気などない自分では不足だと思っているので、伝を頼り他の魔法使いに指導を任せてばかりである。
それでも、アリスはアナタを慕っている。
「ねえ、先生」
魔界特有の植物を採集しながら、アリスは傍らに居るアナタに声をかける。
《なんだい?》
アナタはアリスの頭に直接声を届けた。
「どうやれば、魔法を使わずに今の先生の状態になれるのよ」
《む、ううん…難しい質問だね》
三つある首をそれぞれ捻ってみせるアナタの姿は、しかし誰にも見えない。
確かに存在しているのに、草木を揺らすこともない。
けれどもアナタが発した独特の、音楽のようなサイレンのような甲高い声は、しっかりと響く。
《宇宙を旅するうちに、成り行きで身に付いたものだからね。理路整然と教えるのは、難しいな》
「よく言うわ。面倒なだけのくせに」
《そんなことは、ないさ。たぶん、きっと、おそらく》
溜め息を吐いたアリスは、退廃的な色をした花を摘む。
「魅魔様や、教授や、沢山の魔法使いから色々なことを教わって。私もそれなりに成長したつもりなんだけど。なかなか自信を持てそうにないわ」
腰にくくりつけた魔導書を撫でつつ、溜め息を吐くアリス。
あなたは、アリスの心情を自身の中に写しとる。
アリスは元々、魔界で生まれた人間だった。
特に素養があったわけでもなく、魔法使いとなってからの月日も、魔界では比較的短い。
だから周囲に聳え立つ壁を、あまりに高過ぎると感じていた。
しかしアリスは知らないのだ、自分が魔界の名だたる実力者達から期待を寄せられていることを。
アリスは、若さ故の悩みを抱えていた。
《そうか…よし、私に良い考えがある》
「えっ?」
アナタはカラカラカラと鳴きながら、実体を顕にすると、思念を飛ばして神綺に語りかける。
多忙な彼女は、快活に笑いながらアナタの案を受け入れた。
「ねえ、良い考えって?」
《アリス、今日の実験が終わったら、引っ越しの準備をしよう》
「…どういうことなの…」
魔界にも日は登る。
翌朝、アナタはアリスを連れ、魔界から宇宙へと飛び出した。
「これが地球。本当に青いのね」
宇宙空間で、巨大な正八面体と化したアナタの中で、アリスが呟く。
優雅にティーカップを傾けながら。
「それにしても驚いた、先生ったら私の家ごと取り込むんだもん」
《これだけの大荷物だ、運ぶ手伝いくらいはするさ》
魔法使いの家は、知識を溜め込む保管庫でもある。
ましてや、これから住むのはアリスにとって未知の領域。
拠点くらいは確保してあげようという、アナタなりの気遣いだ。
《それより、どうだいアリス。宇宙空間からの眺めは》
「最高ね」
アリスの瞳は静かに、だが確かに輝いていた。
「人間が、死をも覚悟で挑むのも、わかるわ」
《そうだろう、そうだろう》
「まさか、魔界しか知らないのは惜しいと感じる日が来るとは、ね」
《そうとも、宇宙は広い。魔界に負けず劣らず広いし、きみが知らない事も沢山ある。魔界は確かに、魔法使いには最高の環境だが、異なる世界を知ることも大切な経験だよ》
アナタは、今まで出会った様々な生命を語って聞かせながら、地球へと降下する。
様々な事を学んだアナタは、アリスの知らないやりかたで自らを隠匿しているため、地球人類の誰もがそれに気付かない。
アナタは無事に、目的地である幻想郷へと降り立った。
※
時に、アナタは幻想郷に来るのが初めてではない。
正確には、幻想郷として隔離される以前、アナタはこの地で一休みをしていた。
そこへ、何を勘違いしたのか、この土地を使わせて欲しいと交渉に来たのが八雲紫である。
アナタとしては、そもそも自分は関係ない話なので、早々に立ち退いたのだが、一応目印はつけておいた。
この土地がどうなるのか、今後に興味があったからだ。
「珍しいわね、先生がそんなに興味を持つだなんて」
何の苦もなく博霊大結界をすり抜けたアナタによって、森の外れに居を構えたアリスは、薬草や鉱物入りの湯船に浸かりながらアナタと会話する。
《私の知る限りでは、こういう計画が成功したことは少ない。もし上手くいったら遊びに行こうと、そう思ったのさ》
「なんだ。先生の事だから、何か企んでの事かと思ったのに」
《何度も言うがね、私は所詮、獣だよ。謀なんて、できやしない》
「どうだか」
《それより、時間だ》
「思ったより早いのね」
言いながら、アリスは湯船を出て、新しい湯で体を洗う。
《心配ない。私から見た限りでは、君の体はこの地に適応できている》
アリスは事情により、ただそこにあるだけで相応の魔力が必要になる。
魔界に比べれば、自然に存在する魔力に乏しい世界で暮らすため、こうしてアナタの監修のもと、体を調整したのである。
一糸纏わぬ姿のアリスは、ほんのりと頬を赤らめながら体を拭うと、衣類に手を伸ばし…止まった。
「…ねえ、先生」
その先を言わずとも、あなたには伝わる。
少女らしい羞恥と、僅かな期待。
「私、どうなのかな?」
それは、若くして人の道を越えたからこそ燻っている、少女としてはごくありふれた悩みのひとつ。
《綺麗だよ》
アナタは、どこまでいっても、三つ首の獣だ。
それでも人間や、それに近い思考形態の生き物の感性は、ある程度なぞることができる。
それは一際長命で、一際他の生命と触れ合ってきたアナタだからこそ。
要するに、アナタは空気を読んだ。
「うん、ありがとう…」
どうやら正解できたらしい事に安堵したアナタは、こっそり微笑みながら衣類を着るアリスから、意識を外した。
すると、屋外に佇むアナタの視界では、今まで見ていた浴室内の光景が見えなくなり、眼下に広がる鬱蒼とした森と、月に映えるアリスの家しか映らなくなる。
《アリスも年頃か。それはそうと…》
《遅かったじゃないか…》
ふと、アナタは背後に音もなく出現した妖気の主に声をかけた。
懐かしさのあまりカラカラカラと鳴きながら、140メートルを越える体高の巨体をそちらへと向け、翼を広げる。
幻想郷の魔法使い達が住まう魔法の森は、アナタが動いたせいで発生した突風と振動に、揺れた。
《お久しぶりだね、八雲紫さん》
紫は、毛ほども動じる素振りを見せること無く、アナタの目線と同じ高さの空中で優雅に一礼。
「また御会いできて光栄ですわ、ギドラ様」
だが紫は内心、戦々恐々としている。
紫は、アナタを正しく評価していた。
幻想郷どころか、この星をも。
現世も幽世も何もかも滅ぼし兼ねない存在と考えているのだ。
「けれど魔界にて羽を休めていらしたギドラ様が、如何様な理由で、この幻想の郷に?」
《突然で悪いのだけど、知人の娘を留学させたくてね》
紫は唇に指をそえ、首を傾げる。
いかにも少女然とした、可愛らしい仕草。
「留学ですか、この地に」
《そう、留学。アリス、来なさい》
アナタの声で、窓から様子をうかがっていたアリスが、アナタの首の傍に一瞬で移動する。
音もなく、空間に干渉して。
初めて顔を合わせた紫は、アリスから強烈な違和感を感じた。
「その娘、魔法使い?」
《そうとも。アリス、こちらの方が幻想郷の管理者だ》
アリスは、自他ともに認める大妖怪を前にして、気圧されることなく淑やかな挨拶をした。
「初めまして、八雲紫様。私、魔界から参りました、アリス・マーガトロイドと申します。以後、お見知り置きを」
紫は、ひとまず丁寧に挨拶を返すと、違和感の原因を探りながら二者と言葉を交わした。
あらゆる侵入を感知できる…はずの、完璧だった術式が用をなさない何者か。
式による見回りによって、魔法の森にいつの間にか建っていた見知らぬ家を発見し、次いでアナタが実体化したことを受け。
すわ侵略かと大慌てで来てみれば、目的は至って穏やかだ。
話すうち、畏まっていたアリスも徐々に打ち解け、気安くなってきた。
つい気を抜いてしまいたくなる紫だが、そうはいかない。
あらゆる可能性を吟味し、常に最悪を想定しなくてはならない。
アリスという、一見すれば駆け出しの魔法使いも、決して油断できないのである。
「そう、人形。アリスは器用なのね」
「ありがとう。御覧のように、まだまだ練習が足りないけどね」
落ち着いた印象とは裏腹に素直な性格なのか、それとも演技か、紫にはまだ判断できない。
そして、本当に軽く誉められただけで、嬉しそうに人形を操ってみせるアリスは、紫の懸念など知らぬとばかりに微笑む。
万全に警戒している時の紫の心情は、さとり妖怪ですら暴くことが困難だ。
アナタでは当然、読み取ることができない。
アナタはそれを自覚しているので、そもそも最初から読もうとすら思っていない。
この日。
妙に空回る紫は、アナタとアリスが純粋な好奇心でもって動いているという事実に。
最後まで気付くことはなかった。
※