※
草木も眠る丑三つ刻、昔の人はそう呼んだ。
別に、先人に倣うわけでないが、幽香は規則正しく睡眠をとるようにしている。
もっとも、人間より遥かに短い時間だが。
パステルカラーのパジャマに着替え、意味もなくナイトキャップを被り、枕を抱え赤子のように丸まって眠るその様は、少女然とした可愛らしいものである。
「…!」
そんな、穏やかな夜、幽香は突如飛び起きた。
強力な妖怪の鋭い危機察知能力が、温室がわりの一室に何かが起きたことを捉えたのだ。
一瞬だったが、夥しい量の妖力も感じた。
「何が」
幽香が部屋に飛び込んで、目にしたのは、まず割れた植木鉢。
それには枯れないバラが植えられていた。
しかしバラは見当たらない。
次いで蒸発するように消えていく三人の妖精。
悪戯好きで有名な彼女らだが、幽香の知る限り、自滅するような危険行為はしない。
近寄ろうと一歩踏み出すと、小石を踏んだ感触。
つまみ上げてみれば、それは陶器らしき破片。
「なんなの…」
ともかく、バラはどうなったのかと、感覚を研ぎ澄ませればすぐに気配を掴んだ。
外を移動している。
吹き飛んでいる窓から身を乗り出すと、人間よりも大きな何かが引きずられたように、向日葵が薙ぎ倒されていた。
その跡は森へ続く。
何がどうなっているのか解らないが、とにかく何者かがバラを奪い逃走しているらしい。
暫し呆然と外を眺めていた幽香は、やがて思い出したかのように慌てて身支度をし、応急的に窓を塞いだ後、深夜の空へ飛び出した。
「どうしてよ」
気配の移動速度は増すばかり、進路もあちらこちらへと、定まらない。
気配の位置だって大まかな範囲でしか捉えられない。
「どうして、どうして、どうして」
幽香は、空を飛ぶのは得意でない。
目標になかなか追い付けない苛立ちが募り、理由はさておき、このような事をした者に怒りがわく。
「いつも、そう。誰も彼も、私は何もしていないというのに」
思い浮かべたのは過去に襲いかかってきた妖怪達。
つくづく、理不尽だと吐き捨てる。
幻想郷の人間は、多くが幽香を恐れているし、妖怪も幽香を凶暴強大な妖怪だと思っていた。
だから何度も何度も何度も、彼女を倒し名を上げようとする妖怪に襲われた。
「何故に私を狙うの、何の意味があって嫌がらせをするの」
幽香は、命を奪い合う戦いをするのは好まない。
そういう時期も確かにあったが、今の幽香は穏やかに暮らしたかった。
だというのに、声をかければ凍り付き、ただ歩くだけで牙をむかれる。
スペルカードルールが作られて以後、それに適応できない妖怪が、満足の得られる死闘とやらを求めて幽香を訪ねることが増えた。
迷惑でしかない、自分勝手な妖怪達は当たり前のように花を踏み越え、何を思い込んだか踏みにじることで挑発する。
「もうウンザリだわ。原始的な本能しか頭にない獣の方が、どれだけマシなことか…愚劣な下等妖怪どもめ…」
そんな妖怪達を悉く返り討ちにし、しかし尚訪れ続ける妖怪達に悩まされ。
後腐れのないよう無慈悲に息の根を止めたり、見せしめになぶってみたりしてみたが、結果、幽香は悪循環に嵌まってしまっている。
頭をかきむしりたい衝動にかられ、堪え、意地になって目標を追ううち、目標は止まった。
(…なに?)
直後、目標を中心に森の木々が次々と枯れていく。
同時に、バラの気配がよりはっきりと掴めるようになっていった。
そこで幽香は気付く。
バラを持ち運んでいる、と思い込んでいた者の気配が、バラの気配と共に濃くなっている。
「まさか」
別々ではなく、ひとつのものであったのだ。
幽香は急いで降下、しかし人の腕より太い、触手じみた蔦が何本も猛然と伸びてきて、それを打ち払っている僅かな時間。
完全に混ざりあった気配は、地鳴りを立てながら地中へと潜ってしまった。
※