※
魔法使いの朝は早い。
日夜研究し続ける彼ら彼女らは、少なくとも幻想郷に住む多くが、日の出よりさほど間を置かずに活動を始める。
例えば、霧雨魔理沙。
だが、それは睡眠や食事を補う魔法を会得していない者の話で、ある程度以上の実力を持つ者達は、そもそも昼夜問わず活動し続けている。
例えば、パチュリー・ノーレッジ。
アリスは、既にその、ある程度以上の実力を持っているにも関わらず、普通の人間のような生活リズムを守っている珍しい魔法使いであり。
本来、空が白みはじめたばかりの頃には、まだシーツの感触を味わっているところなのだが。
《すまないね、アリス》
「もう、先生…いったい、どうしたっていうのよ」
今朝方は、突然にアナタが起きるよう促したので、慌てて寝惚け眼を洗い流した。
《よかれと思ったが、厄介事を届けてしまったのかもしれない》
「なんの…まさか、あのバラ?」
《いやまったく迂闊だった。枯れない、ということが、どういうことか。呑気に過ぎた、情けない》
アナタはアリスを連れ、飛び立った。
《入りなさい、少し急ぐ》
「ええ」
実体化したアナタは真ん中の首の、大きく裂けたような口を開き、アリスは何の躊躇いもなく飛び込む。
真っ赤で、巨大な舌の上は、無数の突起でおおわれていて、うちひとつをアナタは大人の背丈程に伸ばした。
それだけ乾いていて、暖かく、心地良い感触。
「いいわ」
アリスが、それを抱き締めるようにしてつかんだのを確認すると、アナタは一気に高度を上げ、加速。
ギドラ族の飛行速度は、最高時速がマッハ一桁代のジェット戦闘機では相手にならない。
そもそも、飛ぶための仕組みが違いすぎるのだ。
翼が大気を掴めずとも巨体を浮かせ、進むことができる。
只ゆったりと羽ばたいて飛んでいるだけで、衝撃波により鉄筋コンクリートや鉄骨を組み合わせた建築物を瓦礫にしてしまう。
それがギドラ族である。
だがアナタは、自身の速度を、嵐並みの突風が巻き起こる程度の遅さに抑える。
アナタが、長い旅路の果てに特異な感性を得ていなければ、魔理沙は家ごと吹き飛ばされて、バラバラになっていただろう。
幸いにして、本を枕に思い切りイビキをかいている。
《追い付いた》
「あっというま、ね…」
アリスは、つい天狗達と比べようとして…方向性が違うのだと考え直した。
文は自由自在に素早く、ギドラは押し退け突き進むのだ。
《おや、あれは幽香か》
「え?…あら、本当」
高度を下げ、滞空したアナタはアリスを外に出す。
突然やってきた黄金色の三つ首竜が、おもむろに口を開いたとおもえば、そこから当たり前のように出てくるアリス。
「えぇ…」
流石の幽香も動揺した。
一文字だった口元がひきつり、崩れた笑みとなる。
「こんばんは、幽香」
「えっ、こんばんは、あの、ごめんなさいアリス…その竜は?」
「私の、先生よ」
《はじめましてと言うべきかな》
「その魔力…あの時は、隠れていたのね。花を踏み潰さないでくれて、どうもありがとう」
幽香は、三つのうち二つの首が、露骨にアリスへ意識を向けている事に気付く。
「フムン、随分と込み入っていそうね。それほどの竜に気をつかってもらえるだなんて、アリス、あなた何者なのよ?」
「そんなことより、も。貴女、何があったの」
つつ、と触れられる距離にまで近寄るアリス。
「ひどい顔…あのバラのせいなの?」
振り乱れた髪、赤くなった目尻、歪んだ眉根、噛みあとのついた唇。
妖怪であるため、少し気を使えばすぐにでも取り繕えるものを、幽香はその余裕すら失っていた。
「…概ね、そうね」
幽香は睨む。
霧の湖に程近い森で動きを止めた、地中の何かを。
「でも、それだけではないのよ…色々と、思うところがあって、ね。だから、アリス」
幽香は、アリスの細い金髪を、優しく撫でた。
「そんな顔しないで頂戴。届けた貴女は、何も悪くないの」
「ごめんなさい、私、こうなるだなんて考えなかったわ」
《わたしもだ、厄介事を届けてしまったね》
幽香はクスリと笑い、外見を軽く整える。
「考えすぎだし、こうなったのは恐らく他の誰かのせいよ。その誰かが居なければ、バラがああなるもんですか」
バサバサカシャカシャと、まるで凩が林を駆け抜けたような音が響いた。
濃厚な緑だった森の一部が、急激に枯れてゆき。
「あのバラ、今はどうなってるの?私、よく知らないのよ」
不安そうに、アリス。
「私が知覚できうる範囲では。あれは、もはや獣だわ」
無惨な地表が轟音と共に割れ、揺れて噴き上げられた。
「誰かが無理に詰め込んだ魔力が、無理矢理に器を拡げているのよ」
ヤマタノオロチを思わせる、巨大な蔦のような数本の触手の先には、鋭い歯の付いた大きな口。
人間など、ひとのみだ。
「最初は、声も届いたのだけれど。詰め込まれた魔力に蝕まれたのかしらね、全くダメになってしまった」
そして巨大なバラの花弁と二枚の葉を頂き、そびえ立った異形。
蔦が絡まりあっているようにも見える幹は、下方の一部が内部から淡く、妖しく光っている。
《これはまた、随分と…》
月明かりに照らし出された真っ赤な花弁の奥に、鋭い牙で閉じられた、口らしきものが覗き。
そこから発したのであろう、独特な声が夜空を震わせる。
咽び泣くような、いや啜り泣くような、悲哀を感じさせる声が、およそ90メートル程の高さにまで成長してしまった異形から、絞り出された。
幽香が、やりきれないとばかりに拳を握る。
そこへ、どこからか、優雅な声。
「あらあら、遅れてしまいましたわ」
異形の鳴き声が、紫があらわれた途端に静まる。
鳴くのをやめたわけでない、聞こえてくる音が小さくなったのだ。
《結界か》
「ええ、一先ず」
「紫…」
「私もいるわよ、幽香」
空中に開いたスキマから、眠たそうな博麗霊夢。
「あなた達は、初めまして?」
霊夢の視線を受けて、アリスは軽く御辞儀する。
「そうね、初めまして。私はアリス・マーガトロイド、魔法使いよ。こちらはギドラ、私の先生のひとり」
《よろしく》
アナタの姿を見、頭に直接話しかけられても、霊夢は動じない。
アリスはアナタへの反応で、霊夢に好感を抱いたが、深淵を覗くような気分にさせられるその瞳に不安も掻き立てられる。
人間の少女がして良い眼ではない、と。
「魔理沙が御世話になったらしいじゃない。知り合いとして、御礼を言うわ」
無意識に、一瞬だけ和らいだ表情。
アリスは、外見相応の少女らしさを感じて少し安心する。
「さて、風見幽香、貴女に質問があります」
「なにかしら」
「正直に答えて。アレを、御しきれる?」
紫の冷ややかな質問に、幽香は異形を見やりながら。
「無理ね」
その答えに、誰より驚いたのは霊夢だった。
幽香の能力と強さを、身をもって知っているから。
「植物であれば、私ひとりでやれたのだけれど。妖怪やら何やら、類雑な要素を取り込んでいるもの」
静かに目を丸くしていた霊夢へ説明するかのように、幽香は続けた。
誰の目から見ても明らかに、悔しさがにじんでいる。
「幻想郷の賢者としては、どうする気なの?」
幽香の鋭い視線、しかし紫は平淡に言い放つ。
「殺す予定です」
瞬間、露骨に殺気立つ幽香。
妖気が目に見えて漂い、渦巻く。
「野放しにしては、やがて野山は枯れ果て、力の弱い者は悉く生命を吸収されてしまうでしょう。遠くないうちに幻想郷の自然環境は致命傷を負い、緑と共に暮らす妖精や妖怪は消え、直接里が襲われずとも、農耕で大半の食を賄う人間は危機を迎えますわ」
幻想郷、という環境は強靭である。
満ち満ちる魔力、今なお力を保つ神妖などに補助をされ、一時的な急変ならば乗り越えることができる。
例え春に雪が溶けずとも、原因さえ解決してしまえば、夏にはキチンと作物が収穫できるし、秋は実りの季節となる。
外の世界の農家が知れば、ふざけるなと言いたくもなる恵まれた環境だが、根本的な生命力を奪う者が現れれば回復に時間がかかる。
特に今回は、予想されるその規模も、奪いながら成長する勢いも大きく、なによりコミュニケーション不可ときた。
今の段階ならば、すぐに回復できる被害にとどまる。
刈り取るのが一番早く、確実なのだ。
「とはいえ」
ちら、とアナタを一瞥して、紫。
「何か事情がおありの御様子。選択肢は他にもあります」
霊夢が口を挟む。
「アレを元に戻せば良いのね」
幽香の剣呑さが柔くなる。
「幽香…あれが取り込んだ諸々を削り取れば、あなたの声も届くのかしら?」
アリスも訊ねた。
「きっとできるでしょうけど…紫?」
地鳴りのような音が響いた。
結界に巨大な蔓が打ち付けられている。
「私だけでは効率が良くありません。ギドラ様、アリス、御協力願えまして?」
《もちろんだとも》
「ええ」
「ありがとう…」
《頭を下げることはないよ、幽香》
ビシリ、結界にヒビの入る音。
一点に攻撃を集中する程には、知性があった。
「…他の連中は、何をしてるわけ?」
懐の対魔道具を確認しつつ、霊夢。
「静観を御願いしたのよ」
紫は、わざとらしく視線を横へ。
その先には、音もなく飛ぶ蝙蝠。
異形からは、湖を挟んだ向こう側に位置する紅魔舘が送り込んだものだ。
他にも、様々な動物や昆虫が、異形とアナタ達を観察していた。
「仕方がないわ、今の幻想郷は、とても危うい。弾幕ごっこという手段への変化に戸惑っていた古株や、流れ込んできた者達が、いよいよ必要充分な適応を終えたのよ」
語る紫は、真剣な眼差しだ。
「この先、より多くの異変が起きる。今、あの異形を相手に消耗して、戦力差を偏らせるわけにはいかないのよ。我を通しながら、住処も保つ、理性を保った闘争のためにはね…」
(…本当のところは、どうなんだか)
霊夢は、話し半分に聞きながら、この事態が茶番と化しているように感じた。
単純に、何かを誤魔化してるとしか思えなかったのである。
実際、もっとやりようがあるのだ。
敢えて回りくどい方法をとる理由…霊夢はアナタの事が書かれた新聞記事を思い出し、溜め息。
(あの竜を気にしている連中ばかり、か。高みの見物ってことかしら?)
《役割はどうする》
「まずは、私と霊夢がアレを新しい結界で囲み、逃げられないようにいたします」
《邪魔な部分の剥離は?》
「それも私が。ただ、アレを物理的に傷付け、弱らせながら行いたいので…ギドラ様、アリス、御願いできるかしら?」
《いいとも》
「うん」
「幽香…私たちは結界と作業に集中するから、アレの攻撃を防いでいただきたいの」
「…わかったわ」
《アリス、今回は魔界で一緒に造った、一番大きなヤツを使いなさい》
「え、でも」
《単純に、相手が大きすぎる》
「…そうね、そうする」
「では、準備はよろしくて?まずは、今の結界の元へ行きましょう。新しい結界で、我々ごとアレを閉じ込めます」
紫を先頭に、アナタ達は夜空を駆けた。
「ところで、呼び名とかないの?アレ、だと分かりにくいんだけど」
《では…ビオランテ、というのは?》
紫が興味深そうに由来を問う。
「どこかの神話から、でしょうか」
《私も詳しくは知らないが、植物の精霊の名前らしい。アレと似た生物に覚えがあってね、そう呼ばれていたんだ》
アナタ自身は見たことがない、だがギドラ族の別個体が、かつて宇宙空間にてビオランテの一部に遭遇している。
その記憶は、共有していた。
「決まりね。ビオランテ、女性の名前らしいじゃない」
「霊夢、性別なんてわかるの」
驚くアリスに、一言。
「なんとなく、よ」
威嚇なのか、一層つよく叫ぶビオランテの正面に滞空するアナタ。
その反対へと向かったアリス。
後方、アナタより高い空で、紫が霊夢の片手を握る。
その斜め下方、幽香は決意を固めた。
(…上手くいったなら。いい加減、向き合わなくては、ね…)
実は、もっと初期の段階で、情け容赦なく周囲に配慮せず攻撃すれば、幽香だけでも事足りた。
それが、できなかったのは、心の整理を未だに出来ていないから。
情けない…幽香は、自分を責めている。
「新しい結界を張ると同時に、今の結界は消えます。では皆様…いきますわよ」
今から始めるのは、ある意味で生存競争。
だから紫は、合図こそすれ、今から張る結界の名前など宣言するつもりは無い。
しかし言葉とは、力である。
言霊といわれるように、物質を振動させ、この世に伝播させることで、より効果を増す場合がある。
様々な術を会得した紫は、だから一言、叫ぶ。
―――別れよ―――
ガラスの砕け散るような音が、雷鳴のように轟き。
同時、アナタは猛然とビオランテに襲いかかった。
魔力と組み合わせた羽ばたきひとつ、既存の航空機では不可能な加速の仕方。
一瞬で、ビオランテへと迫る。
初手に選んだのは、脚撃。
およそ7万トンを余裕で支えきるアナタの脚力に速度を加えて、傷ひとつ付けることすら難しい巨大な爪を、ビオランテの幹へ。
深く、深く突き刺さった衝撃、ビオランテが仰け反る。
緑がかった黄色の樹液が、盛大に吹き出した。
発生した衝撃波に、体制を崩されることなく、アリスも攻撃を開始。
目も眩むような輝きが溢れる魔導書、アリスの前に展開した、巨大かつ複雑な魔方陣。
呼び出すのは、魔導書の助けがなければ動かすこともできない傀儡。
「ガイガアァーーーーン!!」
言葉とは、力である。
起動時と、召喚に大量の魔力を必要とするため、アリスは叫ぶ。
「起動おおおぅっ!!」
現れたのは、両手が鉤爪のようになっている、魔界製の機械とアナタの細胞を利用した生体パーツで造り上げられた二足歩行の竜。
アナタが知るオリジナルに比べれば劣るものの、その身長30メートルほどである。
機械を連想させる電子音のような雄叫びをあげた、ガイガンと名付けられているそれを、アリスは突撃させた。
※