構想はありますが、書き溜めはないので、頑張る所存。
sideA
「・・・ここ?」
「そうだ。まぁまずは入ろうか」
平塚は言いながらドアに手をかけ、開けた。
特に何も書かれていない部屋は、静寂が支配していた。
半分ほど開けられた窓から入るそよ風が、カーテンをほんの少し揺らしている。
「失礼するぞ」
「・・・平塚先生、入る時にはノックをお願いしていたはずですが?」
「ああ、すまん。返事がもらえないことが多くてついな」
果たして、そこには雪ノ下雪乃がいた。小説だろうか、厚めの本を開いたまま手にしている。
綺麗な人だな、と八幡は思った。風になびく長い黒髪。抜けるような白い肌。小さくため息を付き、物憂げにこちらをながめる瞳は、黒く澄んでいる。
だが。
「先生の後ろでぼーっとしているその人は?」
「2年の比企谷八幡。平塚先生に急に連れてこられたんだが」
「・・・そう。私は2年J組の雪ノ下雪乃です。それで今日は何か?」
「雪ノ下、彼は入部希望者であって依頼者だ。彼の根性を叩き直してもらいたい」
八幡は、不信感を隠さずに平塚を睨んだ。そんな話は聞いていないし、打ち合わせもない。自分をこの部に潜り込ませるための方便だろうことは想像出来るが、それに付き合う義理はない。
「ちょ、先生、なんですかそれ。事前に何も聞いてないんですが」
「すまん、合わせてくれ」
小声で文句を言う八幡に、平塚は早口でそう返した。あ、この人俺に説明しそこねたな。言ったつもりになって何も伝わってないパターンだ。
八幡は呆れて更に抗議しようとしたが、雪ノ下雪乃の一言がそれをかき消した。
「お断りします。その男の眼には下卑たものを感じます」
「あ?」
思わず声が出る。初めて会った人間、しかも顧問が連れてきた同じ学校の生徒に対して、いきなり投げつける言葉ではない。先程平塚が、頑ななだけの融通の利かない人間ではないと言ったが、八幡にはどうしてもそうは見えなかった。
「先生。すいませんが入部の件はなかったことに。会話が成り立つ気がしません・・・依頼の件もお断りします」
「まあ待て。もう少し話をしてみればわかる」
「何をコソコソと話しているのかしら。話がそれだけなら、さっさと出ていってほしいのだけれど」
「雪ノ下も落ち着け。これは私からの依頼だ。彼、比企谷八幡を入部させ、活動を通して更生させてもらいたい。それに、彼はこう見えてもリスクリターンの計算には長けている。君の身に危険はないと私が保証しよう」
彼女達のやりとりに、八幡はちょっとした違和感を覚えていた。
初対面の人間(実際には事故の時に居合わせてはいるが)に向かっての過剰なまでの攻撃的な言葉。それを懐柔するかのような物言い。そこまでして俺を入れたい理由はなんだ?
「とりあえず頼んだぞ。私は仕事が残っているので少し席を外す」
「あ、先生・・・。はぁ、まったく・・・」
平塚は言い放つとそそくさと部屋を出ていった。追いかけるように雪ノ下が声を掛けるが、それは平塚には聞こえていないようだった。
sideB(八幡視点)
さて、これはどうしたものか。結局、何もわからないままに放り込まれてしまった。先程からの雪ノ下さんの言動、態度を見るに、ただの人見知りという訳でもないようだ。むしろ人というものに対して憎しみを抱いているようにも見える。いくら俺のことが気に入らないと言っても、ろくに顔も見ず、会話を交わすまでもなく罵倒をするその感じは。
ああ、そういうことか。
「雪ノ下さん、だっけ」
話しかけるとぴく、と肩を竦ませる。そして軽くため息をつき、彼女は言った。
「そこに突っ立っていないで座ったら?椅子ならそのへんにたくさんあるでしょう。といって当たり前のように居座られても困るのだけれど」
「雪ノ下さん」
「・・・何かしら」
多分、彼女はここで、初めて俺の顔を見たと思う。訝しげな彼女の表情に、少しだけ驚きの色が混ざる。
「貴方、・・・比企谷・・・そう、そういうこと」
雪ノ下さんは綺麗な所作で本を閉じ、椅子から立ち上がると、一歩だけこちらに近づき、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
「え?」
「既に手続きなどは終わっているはずだけれど、私からはまだ謝罪していなかったわ。去年の入学式の日、貴方を撥ねた車に私は乗っていたの。だから、ごめんなさい」
「い、いや」
「そうね、本来なら私から貴方を探して、すぐにでも謝らないといけなかったのだけれど・・・。言い訳になってしまうけれど、貴方の名前を聞かされたのは、つい最近のことなの。もう1年も経ってしまっているし、どうしたものかと思っていたのだけれど」
謝ってくれるのはいいし、そもそも追求する気もなかったことだ。一言「許す」と言ってしまえばこの件は解決する。のだが。
丁寧すぎる。慇懃無礼と言ってもいい。言ってみれば、因縁をつけられたことに対し、どうにかして丸く収めようとする感じに近い。
「あのことについてはもう過ぎたことだ、忘れてもらって構わない」
「・・・そう、それなら」
雪ノ下は見事に温度のない美しい笑顔を俺に向けた。
「お帰りは、あちらよ?」
やばい。これはどうにも『イライラする』。額が裂けるような痛みを発し始める。
落ち着け。ここで『なる』わけにはいかない。
「・・・俺は平塚先生の指示でここに来た。だから、先生が戻ってくるまでは出ていくわけにはいかない」
「あら、構わないわ。私の方から『ヒキ・・・ヒキガエルくんは逃げるように帰っていった』と伝えておくわ」
「雪ノ下」
「いきなり呼び捨て?礼儀がなってないわね」
「お前は何に怯えている?」
びくん、と雪ノ下の方が大きく震えた。俺を見る眼が驚愕を示している。半分は俺の苛つきを抑えるために吐いた言葉だったが、どうやら的を得ていたようだ。
「・・・何を言っているのかしら、気持ち悪い。貴方如きが偉そうに上からモノを言うなんて、わきまえなさい!」
「随分感情的になるじゃねえか。逆になんでそこまで他人に上からモノを言えるのかがわからねぇ。別に俺を嫌うのは一向に構わねえが、理由もなくそこまで暴言吐いてくるなんざ、むしろお前が気持ちわりぃわ」
こいつが何かに怯え、自衛としてこんな態度を取っているのはわかった。じゃあ何に怯えているのか。
自分の内面に他人が触れることか?
過去何かがあって、肉体的に距離を詰められることに嫌悪を抱いているのだろうか?
それともただ単純に、自意識の肥大からの被害妄想か?
どれでもありそうだし、どれでもなさそうだ。
「貴方こそ随分口が悪くなるのね。先生がいなければ、点数を稼ぐ必要もないものね?」
「目上に敬語は当たり前だろう。これが俺の素だ。同級生で、そもそも相手が無駄に口が悪いもんでな、加減してやる必要を感じないだけだ。それに」
俺は、後ろの扉をおもむろに開けた。
「平塚先生なら、ずっとここで会話を聞いてる」
「・・・気づいていたのか」
「平塚先生。改めて言いますが、私は彼の入部を認めません。こんな下劣で不快で卑劣な人間を更生させる余地などどこにもありません」
言われた平塚先生は、その言葉には顔をしかめたが、ふと思い直したかのように、興味深そうな表情で俺達の顔を交互に見た。
「・・・ふむ、やはり」
「?」
「雪ノ下」
「なんですか」
「君は比企谷を更生させる余地はないと言った。つまり、出来ないということだな。『君には』な」
「!どういう意味ですかっ!」
「言葉通りだよ。・・・比企谷、随分遅れてしまったが、この部活は名を「奉仕部」という。まぁ奉仕といってもあれだ、誰かに何か施しをするとかそういうことではない。腹の減った人間に魚の釣り方を教える、とでも言えばいいかな」
「持つ者が持たざる者に慈悲の心を持って与える。困っている人には手助けを。人はそれをボランティアと言うわね。いいでしょう、安い挑発だけれど、あえて乗りましょう」
・・・こいつが?慈悲の心?自分が与える側だってことか?
一瞬混乱してしまった。俺の考えが正しければ、むしろ困っている人は雪ノ下自身だ。我を張るのはいい。気が強いのも別に構わない。が、こいつからは他人への敵意しか感じない。それがなんだ、ボランティアだと?
そこまで考えた時、ふいに気づいてしまった。
つまり、こいつは。
「先生」
「なんだ比企谷」
「入部の件、承知しました」
「おお、やってくれるか」
「が、いくつか条件があります。・・・先程も言いましたが、俺は週の後半はバイトで来られません。週に2〜3日が限度ってところです」
「ふむ」
「それから、これはすぐにという話ではないんですが」
「・・・何かしら」
「部員、もう少し増やしませんか?」
その後、雪ノ下は渋々ながら入部を認めた。それには平塚先生の説得があったわけだが、最終的には「仮入部として、何か問題を起こしたら即退部、それは部長判断による」という条件がついた。この女、口は悪いが筋は通す性格らしく、問題をでっち上げてまで辞めさせようという考えではないらしい。
下校時間が迫ってきたので、本日はおひらきということになった。
「比企谷、これから職員室に来い」
「は?」
「比企谷くん、早速何かやらかしたのかしら?」
「どういうことだよ。・・・先生、何かまだあるんですか?」
「バイトの件でちょっとな。何、書類を1枚書いてもらうだけだ。部活動を休む理由として申請するのに必要なのでな」
「はあ」
そんなシステムあったっけか。まぁいい、多分これは方便だろう。
やはりというか、職員室に着くと応接室に案内された。思った通り、方便だったようだ。
「さて、君から雪ノ下雪乃はどう見えた?」
やはりそういうことか。
「一言であらわすなら『知識を詰め込んだ子供』ですね。常識を知識としては持っていても、使うことをしないというか、自分の理想を実現させる為には矛盾も辞さないというか。・・・ただ、ちょっと気になることがあります」
「ほう、なんだね?」
「雪ノ下は、何かが原因で他人に怯えている」
「!」
「何かはわかりません。が、あの拒絶ぶりはちょっと普通じゃありませんよ。最初は俺の眼つきが悪いからとか、そもそも生理的に受け付けないとかそういうアレかと思ってつい涙目になりかけましたが」
「そうではなかった、と」
「顔見て話してませんでしたからね。ある程度暴言吐いて落ち着いたのか、俺の顔を見た途端に慇懃無礼に謝ってきました」
「・・・そうか」
「事故のクレームをつけに来た、みたいな認識だったようです。終わったことだと言ったら暴言が再開されました」
「・・・優秀な生徒なんだがな。正しすぎて生きづらいのだろう」
「優秀かもしれませんが、正しすぎるというのはちょっと賛同しかねますね。・・・先生は部室に行く前、頑ななだけの融通の利かない人間ではないとおっしゃっていましたが、俺には頑ななだけの融通の利かない人間にしか見えませんでした」
「いつもはあそこまでではないんだがなあ・・・。ところで比企谷」
「はい」
「入部するということで、本当にいいか?」
「いいですよ」
「私としてはありがたいが、良かったら理由を聞いてもいいかね?」
「理由、ですか」
言われて、はたと考えこんでしまった。あの時俺は、なんで入部すると言ったのだろう。
「言葉に出来ないんですが、なんかほっとけない感じがしちゃったんですよ」
「ほう?」
「なんでニヤついてるんですか。そういうことじゃなくてですね」
「すまんすまん。あれかな、誰かが見ててやらないと危なっかしいとか、そういう感じかな」
「ああ、近い気もしますね」
「部員を増やしたいというのは?」
「それは単純な話です。あのままだと俺がもちません」
「なるほどな」
平塚先生は少し苦笑気味に微笑んだ。いい女、ていうんだろうな、こういう人。教師という仕事柄、職務中はこういう口調で颯爽としているが、彼氏の前だと結構デレッデレになったりするタイプなんじゃねえかな。やだ、ちょっと可愛い。
「他に何もなければ帰っていいですか?今日はこの後、ちょっとバイト先に行かなきゃいけなくて」
「ああ、そうか、引き止めてすまんな。じゃあこれからよろしく頼むよ。・・・あ、ちなみに比企谷」
「なんですか?」
「君は、彼女はいるのかね?」
「・・・先生。自分が聞かれたくない事は、余り人に聞かない方がいいと思いますよ?」
「ぐぅっ・・・」
「では、失礼します」
「きっ、気をつけてな。君はバイク通学だったな。身体もバイクも大事に、な」
「ありがとうございます、では」
ほんと、なんで独り身なんだろう。