突然の事態というものは不意に訪れるからこそ対応できない。
血の滴る左腕を押さえ最期の時に備えていた少女、ジークリート・ファルケ・クレイスターは唐突に現れた人間の残心から目を離すことができず、その錆色の青年に引き込まれていた。
彼の周辺には血溜まりが点在し、其処に殺意と悪意を撒き散らしていた海賊達が事切れていた。外傷は首筋の切傷や胸部辺りに集中している弾痕以外なく、首の大きな血管と心臓あるいは肺以外狙っておらず、彼は海賊以上の殺意を持って事に至ったのだとそのやり口が物語っていた。
青年は
――ガチリ、と初弾装填を告げる音が酷く乾いて聴こえた。
血臭が無遠慮に臓腑を撫でる通路で、ジークリートは毅然と青年を見据える。
息絶えた海賊達の、好色に染まった顔で陵辱を示唆しながら迫り来る先刻に比べれば、相対する青年は彼女の尊厳を奪わず容易く殺し、終わらせてくれるだろう。
何せこの殺人鬼はエアダクトから這い出るように現れ、負傷したジークリートを囲う海賊達の背へ一拍の逡巡すら無く発砲し、空気が抜ける音を皮切りに次々と射殺していったのだ。
四人目の犠牲者が振り向く前にその首へ幅広のアタックナイフを突き這わせ、悶絶する間は生かし立たせ反撃する海賊達の銃弾を受ける遮蔽板代わりにした手際は冷酷そのもの。残りが同士討ちに怯んだ後は胸板目掛けて二発ずつ撃ち込み、最後は
錆色の髪も鉄面皮が如く無表情の貌も血化粧に彩られ、同様に染まった防弾補強されたノーマルスーツは無骨で重量感がある。右手に構えられた拳銃はそのままに、左手の逆手に握られたナイフはぬらりと赤く少女の心を砕きに掛かる。
「私もむざむざやられはしない。この命を獲る積もりなら、一太刀受けて頂こうか」
プラチナ色の髪を短くまとめ、顔を形成する線が細く中性的で端麗な容貌は見た者を惹き付け、何処か猫科の動物を思わせる円らな紅の瞳は決意を湛えていた。動き易さ重視の為か体のラインにフィットしたパイロットスーツは彼女のボーイッシュさに反し女性らしい丸みと豊かさを強調し、海賊達が血迷ったのも極々自然と言えなくはない。しかし、細くとも右手に携えた西洋剣の切先は揺らぎがなく、刀身に付着した赤色から実戦でも通用すると見て取れた。
凛とした口調は勇ましくその風格と相まって、御伽噺の姫君より女性騎士を思わせる。
ジークリートは一息胸に酸素を取り込み、緊張している筋肉を解そうと試みた。
転がりかねない前傾姿勢の突撃はこと接近戦において視界から消失したと錯覚させられる。
事実最後に殺害された海賊は自分の腰以下まで沈み込んだ青年には気づかず、通路の奥や左右へ眼球を動かしたまま死んでいったのだから。
奇襲だけに終わらず正面から問答無用に斬り殺せる技法も然る事ながら、銃火器で終わる戦闘が殆どの現代に於いてこのような武芸者と死合える最後に感謝しようと少女は朗らかに笑う。
上流階級に生まれた故か幼い頃に夢見た未来は遠く、何処ぞの富豪階層の顔も知らぬ男へ嫁がされるか妾になる運命だったのだ。政略結婚の道具と成り愛情も親子の絆も感じられなかった人々の糧と変わるのなら、此処で心奪われた刃に仕留められる方が良い。
「願わくば尋常な勝負を、ってね」
冗談めかして言うのは無言で立つ青年のせいだ。
相手の筋骨の発達した体躯は十分な威圧感があり、強姦に及ぼうとした男達に囲まれた恐怖の比ではない。何人殺していると嘯かれるより目の前で六人殺してみせた方が圧倒的だ。
そのような存在と直に相対するのは肝が据わった男でも難しい。先制の手を打つ読み比べも大事だが、ジークリートはこの畏怖に打ち克つ精神力こそを求める。
頬を流れる汗が顎を伝い胸元に零れる前に、機先を制したのは微動だにしなかった青年だった。
「名は」
「?」
硬い声音で尋ねる相手に、少女は首を傾げた。
それは戦う前に名乗りを求めるにしては弱く、先ほど肌で感じた殺意に比べれば微風に等しい。こちらを困惑させる手管かと思いきや銃口は下げられ、ナイフの切っ先は明日の方へ向いていた。
正眼の構えを解いたジークリートは戸惑いつつも名を告げる。
「ジークリート・ファルケ・クレイスター」
「マルシュ・ヴェスト。貴方の侍女に依頼されて助けに来た護衛だ。臨時の」
血塗れの青年は変わらず硬い声で答える。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする少女にクスリともせず、納刀した手を差し出そうとして漸くその血生臭い様子に気づいたのか止まる。
あるいはぬっと突き出された手にジークリートが再び臨戦態勢に入ったせいかもしれないが。
「……ふむ」
客観的に自分の姿が如何におぞましいか理解したのか、呟いたあとジークリートに背を向け通路の奥――貨物区画へ歩いて行く。拳銃はホルスターに戻さなかったが用心の為なら仕方が無い。まだこの艦に海賊達が居る筈なのだ、優秀な
何か金属同士が当たる音を聞き、マルシュが腰に括り付けたものを視認する。
「ねぇ、ミスター・ヴェスト。それはなんだい?」
じゃらじゃら鳴る、海賊達が所持していた突撃小銃の群れを少女は尋ねる。
じゃらじゃら鳴らす羽目になっていた青年は、振り向きもせず事も無げに言った。
「戦利品だ。防具はサイズの違いもある、武器は訓練次第で誰でも使えるから持ち帰る。
携帯していたアサルトライフルは弾切れになったあと、敵の注意を引くのに使ってしまってな。代用品があるのは喜ばしいことだ。複数を相手にするのに拳銃とナイフだけでは心許ない」
彼の言葉を吟味しながら、住む世界が違うのだとジークリートは理解した。
けれど、現地調達は敵地での戦力回復に有効だからね、と一人頷いて同意したり。
多少の流血沙汰で他愛なく失神やらギャアギャア騒ぐような箱入り娘達の中へ紛れていた半生でありながら、他人のものを奪い生き残ることに頭を使うこの青年に忌避感を抱かない、この時点で彼女も大概変わった価値観を有していた。
● ● ●
とある艦の貨物区画内でリシュー・ヘルモントは頭を抱えていた。
遡ること約六時間前。暫定的住処とする予定の廃施設で、管制室に詰めているレイン・ファーレンが感知した情報を基に作戦を練っていた彼ら元ヒューマン・デブリの集団は迎撃か籠城かで意見が分かれ、最終決断を団長のマルシュに求めた。
彼はリシューとの事前打ち合わせ通り、デブリを隠れ蓑に慣性移動を利用した敵航行ルート上での待ち伏せ作戦を立案し、モビルワーカー六個小隊を当てた。
当初機体大破の為除外する予定だったが、負傷していたパイロットの機体を借り受け参戦したマルシュに団員達が喜び士気を上げる一方で、リシューのみ複雑な心境であった。
デブリに隠れているとはいえ、慣性移動のみで進む行為は気持ち良いものではなかった。無意識にスラスターのスイッチへ触れていた回数は数え切れない。恐らく他パイロットも同じだろう。
定期報告が如くマルシュの「このまま直進すれば敵ルート上に出る。辛抱してくれ」に被せて「あともう少しで不意を突ける。我慢しろ!」と自分を含め叱咤し続けた。
その甲斐あってか、漂流するスペース・デブリに紛れての接近は無事成功した。
問題は、敵モビルワーカー隊が一番厄介だと思っていた艦へ攻撃していた事だ。
どうやら戦艦ではなく輸送艦だったらしく、防衛能力も対空砲だけなのか機動力で撹乱する相手に悪戦苦闘している始末だった。
群がられるまま損傷していく輸送艦を目視したリシューは、想定より戦力が減るのを見越し漁夫の利を獲る案を出したが、輸送艦の推進部にダメージが及んでいない事を確認していたマルシュの「あの艦を頂く」発言に唖然とした。
マルシュが困惑するパイロット達を説得する間に輸送艦を観察していたリシューは、ボックス型の艦体と上下及び両舷に設けられた巨大な四基のカーゴベイを眺め、戦力外の代物ではあるが母艦としては有用だと認めた。
奪われ酷使される立場だった自分達が分捕り使役する。そう考えてしまったらもう止まれなかった。横腹ががら空きの敵モビルワーカー隊を仕留めて落とし、艦後部から取り付き艦内へ先に侵入された形跡を見て取ると「先に獲られてたまるかよ!」などと叫びながら突撃していた。提案したマルシュではなくリシュー自身がである。
彼を制止できなかったのには理由がある。
艦船の動力源に用いられるエイハブ・リアクターはエイハブ粒子と呼ばれる重粒子を生成する。これは一種の慣性制御効果を有し、艦艇の擬似重力発生装置に利用されており、同粒子が崩壊して生まれた素粒子が超高速で拡散する事で磁気嵐を発生させ、その影響範囲内ではレーダー等の電波利用機器やレーザー通信以外の無線が使用不可となる為有線または専用の中継機を介した通信手段以外は相互連絡が途絶する。その場合は戦闘などの混戦時連絡が取れなくなる場合があった。
この中継機代わりを各小隊機が担っていたが、消耗品扱いのヒューマン・デブリの機体であった経緯から通信出力が低く突出すると通信が途絶する性能であり、敵戦力漸滅に全員の思考が向いている中での艦内進攻は独断行動に近い。
その為にリシューの行動に反応できたのはマルシュ以下数名だけだった。
後部ハッチに残る敵モビルワーカーを後続に拿捕させ、機体を擱座しリシューは突撃小銃片手に艦内へ乗り込もうと貨物区画を通過した。もし出入り口付近で撃ってくる歩兵がいようと敵モビルワーカーはこちらで確保しているし、逃げ口を封鎖すれば相手は袋のネズミだ。
略奪に勤しむ海賊だろうと反撃は必ず発生する。窮鼠猫を噛むの諺ではないが、制圧行動で最初に負傷する率はポイントマンが高くそうでなくとも銃撃戦は免れないだろう。敵陣に一番槍を決めるのは
だと言うのに、今の自分は何をしているか。
頭を抱えたままのリシューは何度目か判らない自問をしていた。
「遅いですねぇ」
のほほんと言う
二、三歩離れた所に立つ妙齢の美女は今日の献立に悩む素振りで細い顎へ指先を当て「う~ん」と唸る。首まで覆う赤みがかかった黒髪は波打ち、髪と同色の瞳は
彼女は突入した青年に
輸送艦を攻撃していた敵モビルワーカー隊は既に撃破され、他の団員は貨物区画と後部ハッチを連結するコンテナスペースまたは艦外で待機していた。艦内から時折伝わる銃撃と何かが割れる音以外は静かなもので、それが尚更リシューに自責の念を駆り立てる。
所謂人質にされたリシューを解放するため、マルシュは単独で艦内へ入り戦っていた。団員達の力も借りれず、何人侵入したか分からぬ艦の中へだ。
そう仕向けたこのメイドが掲げた条件は三つ。
彼女が仕える少女を捜索し、生きた状態で此処へ連れて来ること。
集団で行動しては艦内の海賊を刺激する為腕に覚えがあるもの一人で向かうこと。
自分達が安全圏まで逃げるのを手助けする、あるいは客人として迎え入れること。
当然リシューは自分ごと
――わかった。目標の姿格好と最後に見掛けた場所の情報を教えてくれ。すぐ向かいたい。
逡巡も無く承諾した錆色の青年は、そのまま情報を受け取り通路の奥へ消えて行った。
擦れ違うとき一瞥されただけで、無言のまま行ってしまった。
付き合いが一等長いレインならあの青年の感情を読めるかもしれないが、今の負い目しかないリシューは自身に対する情けない気持ちに埋没している。何も言えずただ見送るしかできなかった。
出撃前に自分が吐いた言葉が酷く薄っぺらく、間抜け具合に拍車が掛かり涙が出そうだった。
「期待ハズレ、でしたかねぇ」
だが、溜め息を吐いたこの女の発言は流せなかった。
まるで血液が沸騰したかのように全身を巡り、血色の悪かった青年は真っ赤な顔で怒鳴る。
人質故に相手の目的が達成するまでは殺されないだろう。しかし、不興を買えば目などの重要器官や四肢を刺突されかねない。リシュー達の所有者だった海賊達が人質をそうやって甚振り辱める光景を何度も見てきた。
頭の片隅で不味いと分かっていても噴出す感情は出口を求め騒いでいた。ある種の八つ当たりじみた幼く拙い行動だが、そもそも信用以前に約束を守るか判らないのだ。自分の不始末に凹んでいた青年はいっそ言いたい事を吐いてやると開き直った。
「うるせぇぞ!? まだ二〇分も経ってねぇだろうが!」
「あや? 意気消沈しているものだと思いましたが。意外に元気ありますね」
「大きなお世話だ。もうすぐお前ンとこのお嬢サマ連れて戻って来るんだ、さっきからブツブツ言ってねぇで黙って待ってろ!」
「心配性なので、つい。失礼しました」
腕一本やられるかと覚悟していた青年は、額を軽く叩き謝罪する女性に戸惑う。
此処で図に乗らず「分かってくれりゃ、いい」と座り直すあたり、彼の素直さが滲み出ていた。自然な動き故に見逃していたが、ナイフの切っ先はリシューの肩口を指しており、まだ騒ぐようであれば刺傷されていた恐れがあった。
便乗してこの艦の目的等を聞き出そうとすれば間違いなく一刺しされていただろう状況で、彼は自分の不満を解消した上で命拾いもしていた。
「本当に期待ハズレ、でした」
侍女服の女性――クロエ・ヘンダーソンは口の中で呟き、艦内から迫る複数の足音を捉える。
クロエが表す三日月に開いた酷薄な笑みは見る者の背筋を凍らせ、針のように細まる双眸は狙いを絞る狩人のよう。幸か不幸か背を向けられていたリシューは表情の変化を見ることがなかった。
彼が把握できたのは、対面していた女がいつの間にか背を向け、出入り口方向にアタックナイフを翻していた事だけだ。
通路の角から見間違いようのない錆色の髪が見える。安堵した青年が腰を浮かしたのと、侍女が刀身を閃かせたのは同時で。
「わぁっ!?」
一際大きく艦が揺れ、体勢を崩し壁に突進するプラチナ色の少女を返り血塗れの青年が引っ張ったのも同時だった。
マルシュはそのまま床を蹴り慣性移動で貨物区画へ転がり込む。等しく震動を受けている筈のクロエが微動だにせずジークリートを見つめている事に違和感を覚えた彼は、背後に隠すように立ち上がり拳銃を過剰に刺激しない程度の角度で保持した。
「救出成功したのですね。喜ばしい限りです」
能天気そうな笑顔を浮かべるクロエに、
「人質とお嬢様を交換したい所だが、待て」
揺れが収まらない艦にマルシュの顔は険を深める。
「リシュー。外にいる隊から何か報告はあったか?」
「何? いや、俺の方には何もきてないぞ。それよりお前、全身血塗れじゃねぇか」
「おかしい。艦を攻撃する海賊達は全部始末した。艦外のモビルワーカーは撃破した筈だ。
――どうして、この艦は攻撃されている?
錆色の青年は少女から手を離し、拳銃をクロエに固定し直すと抜刀したナイフを逆手に構える。
ジークリートは首筋をぴりぴり走る緊張感に震え、小さく喉を鳴らす。
無防備な笑顔を提供するクロエは――ガラス玉めいた眼でマルシュを射抜く。
「想像はつきます」
再び大きく艦体が震える中で、誰の者かわからぬ平坦な声が通った。
「そうか。それは味方か?」
「いいえ」
「では敵か。我々にとっても敵か?」
「はい。あなたが海賊達と繋がっているのであれば別ですが」
意図せず錆色の青年が一歩踏み込む。
次の行動を触発させかねない無遠慮な動き、それは肯定ではなく否定であった。
ではクロエが味方なのかと問われれば、簡単に首肯できない問題でもあった。
「なるほど。敵の目的はなんだ?」
「恐らくは、この艦にある積荷でしょう」
「このお嬢さんではないのか?」
「はい。本命は積荷の方でしょう」
「その積荷に何がある? ――悪いが口以外動かした場合射殺する。ナイフを下げろ」
拳銃の位置はピタリと空間に縫われたように止まっている。
銃口が定まる所もまた同じく。
「あら怖い。駆け引きも何もありませんね」
「時間がない。すまないが問答を長引かせるなら手足からやらせてもらう」
「せっかちですねぇ……」
淡々と問い続けるマルシュへ口元をほころばせるクロエの、その横面を衝撃が叩いた。
排出された薬莢が床を跳ねる。僅かに左へずらし発砲した錆色の青年は、静かに照準を戻す。
「出血多量で死なれても困るから警告は一度だけ。再度聞く。積荷は何だ?」
女は憎々しげに頬を歪める――事は無く、むしろ柔らかい微笑すら晒していた。
次弾装填を終えた銃口を下へずらし、引き金に掛けた指が力を込める前に。
後部ハッチから暗褐色のモビルワーカーが胴体を滑らしながら突っ込んできた。その機体に施されたペイントを見て金髪の青年は膝を立てる。
「39? カラムの機体か!?」
「団長、艦の外にモ、モビルスーツが来てる! ライトとベニーの隊がやられた!」
既に六機のモビルワーカーと人員を失った。
そして、敵はモビルスーツ。
モビルワーカーが束になっても打倒できない存在が、艦の外に居る!
「モビルスーツ!? 何でそんなモンが」
「分かんないよ! レインからもエイハブ・ウェーブが接近してるって連絡がっ」
「レインだと? 隠れてる場所が見つかっちまったのか!? ――マルシュ!」
火花を散らすコックピットハッチから覗く、額から血を流す少年へ注目が集まる。
ふらつきながら立ち上がったリシューは金属の擦り合う音に振り返った。視線の先で錆色の青年が茜色の女と鍔迫り合いを演じ、そのままショルダー・タックルでぶつかり壁へ叩き付けた。
「俺達には時間が無い」
鳶色の眼が見開かれ、静かに見返す黒紅色の瞳を覗き込む。
体重を掛けた刃は徐々に天秤を傾かせ、硬質の銃口を女の柔らかい下腹部に押し当てた。
二人の体勢で勝敗を決めるなら男の方が勝つ。だが、一見有利な立場のマルシュに余裕は無く、不利な状況に陥っているクロエは涼やかな表情のままだ。
両者とも、どちらがイニシアティブを握っているのか理解している故に。
「聞かせてくれ。奴らが狙う積荷には何がある?」
互いの吐息の味が解るほどの距離で問う青年は、自分の下で笑みを崩さない女に恐怖を覚える。
時間を掛ければ命を刈り取る事さえ容易いと見積もれるのに、圧倒している筈の自分がじりじりと追い詰めらているようなこの感覚は初体験だった。
精神的な重圧を身を以って体験している青年へ、蠱惑的に囁く女は如何な魂胆か。
――――あなたが求める力が、其処にありますよ。
鼓膜に響く声とその続きは、圧勝する筈の傾きをピタリと留めた。
それは遥か遠い地球の神話にある、禁断の果実を食べさせる蛇の甘言にも似て。
それは青年がこの世で生き続ける途において最も飢えさせた言霊であり、欲しいと思っても手に入らないモノだったが故に、女の誘惑は蠱毒さながらの悪辣さで心に溶け込み欲望を膨れさせる。
だからこそ、マルシュは気づかない。
積年の願いを叶える道標が目の前にある為か。極度の緊張に五感は生来の鋭敏さを閉じたのか。
背後で男女の剣劇と問答を凝視していた少女の危惧に。
「私の侍女だって? ――みんな、海賊に殺されていたのに?」
事態の推移を懸念する少女は戸惑う。
場をこれ以上混乱させないように疑問を抱えた判断は、果たして正しかったのか。
唯一はっきりしている事は、少女自身に味方と呼べる存在が一人も居ない事だけだった。