鉄の手は救いとなるか。   作:上代

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第六話:身辺整理 其の壱

 纏まりのない錆色の髪を乱暴に掻き上げ、マルシュ・ヴェストは宙を仰いだ。

 彼は二番ドックを一望できる待合室――現休憩所、その窓際に幾つかある丸テーブルの一つに陣取り、耐久性重視の肘掛け椅子へ深く座っていた。気怠く其処に居る姿はただ時間を浪費しているようにも、外部との繋がりを断ち思案に暮れているようにも見える。

 眼下で働く仲間達と同じ小豆色のシャツに紫鼠のパンツ、青のジャケットを羽織り数少ない普段着姿のマルシュは、日に数回規定された休憩時間を過ごしていた。

 

 寄る辺無き者達であった彼らが廃施設を占拠し、住処と定めてから早三週間が経過した。

 宇宙という生物が存在するに過酷な環境で、生きる為に必要な酸素と水を生成するプラントを有しており、次いで施設の動力源であるエイハブ・リアクターによりエネルギー問題すら解消できた点は、これまで遭った団員全ての不幸を元手にしたかのような幸運だった。

 六つのドックを外郭とし中央にエイハブ・リアクターが座るこの施設は、中心部に管制室と居住区画が並び、そこからドック間までプラント設備群が存在している。酸素と水等重要設備は完全なオートメイション化が成され、他に造兵廠や合成食品工場等が区画ごとに設けられていた。

 調査結果からレーダー以外の防諜・防衛機能も備え、拠点として申し分ない能力を有している。

 隠れ家にもってこいの――いや、確固たる生活基盤を手に入れたようなものだ。

 

(此処にブエルの個別識別データがある時点で、厄祭戦所縁なのは分かった。

 だが、かつてはあった、ナノラミネートアーマーで形成された防壁が軒並み失われる攻撃は……此処で一体何が起きたんだ? どうして過去の経歴が一切合切失われているのかが分からない)

 

 ――しかし、それは施設が始動してから人の姿が消えるまでの話だ。

 いつ頃から停止したのか不明だが、設備老朽化や原材料の枯渇などを含め現状は稼働率二十パーセント以下のものだ。一番から六番までのドックも二番だけが使用できるだけで、他は内部の一部崩壊や電線断裂、空気循環器の故障が診断項目に上がり手の出しようがない。

 先述の防諜・防衛機能も宙域に張り巡らされたレーダー網以外は動いておらず、こちらの機能を回復させるには時間と資材もそうだが専門知識を必要としていた。

 幸か不幸か、彼らの所帯ではドック一つと周辺設備を利用できるだけで間に合っている。必要なライフラインも通っているので快適には遠いが、生活するには支障ないレベルが保障されており、以前の生活を鑑みれば十分な居住環境と言えた。

 

 形状が似てる事から蜂の巣(ビーハイヴ)と呼称された当施設――厄祭戦時代の軍事基地は、元ヒューマン・デブリ達の家として全体で見ると緩やかに、彼らからすれば懸命な復旧作業が進められている。

 先の戦い以降工兵や整備兵を主体に作業人員を割り振り、管制室で入手した見取り図と設計図を共有したタブレット端末片手に奮闘している。

 戦闘部隊の面々では修繕知識が応急処置止まりかそれ以下の者が多く、武器取り扱いと体術以外学習したことがない人間すらいるのだ。元々の環境からして文盲であることは普通であり、モビルワーカーや小型コンテナ艇の操縦は阿頼耶識システムを介していた為不都合がなかった。

 この背景から戦闘部隊は運搬作業が関の山で、構想や形作りは全て設備状態を読み取れる者だけとなっていた。資材加工や撤去作業は工作装備に換装したモビルワーカーでやれなくもない。それでも精度を要求されるものは手に負えず、仕事の大部分は一部の者が請け負っている状況だ。

 

(不気味な点はこの上ない基地だが、それを嫌って捨てるにはあまりにも魅力的過ぎる。

 そもそも俺達に選択肢は無い。漂流して集団心中するか、逃亡の末に全滅するか。

 折角拾えた幸運だ、是非とも肖りたい。今後の方針を定めるにしても此処を知る必要がある。

 問題は慢性的な人員不足か。戦力の増強に設備の修繕。やる事が多過ぎて手に負えない。

 それこそ山のように――だが、焦りは禁物なのだろう、きっと)

 

 奇縁から共同生活を営むジークリート・ファルケ・クレイスターから「放っておくと仕事に傾倒し根を詰める」タイプと言われ、頭にクエスチョンマークを浮かべたマルシュ以外の隊長クラスが彼女を中心にスクラムを組み、協議した結果が一日の労働時間内に休憩を設けることであった。

 今まで酷使される立場でしかなかった彼らは、働き詰めでは効率的な仕事のサイクルを保てないと訴える麗人の言を受け取り、働き易い環境というものに取り組もうと試行錯誤の毎日である。

 最初は作業が長引くと難色を示し、働こうとする団員の姿が見られた。

 長年の生活から無意識下で「手を休めない」ことを強要されていたからだ。彼らには休んでいると殴られ、蹴られてきた暴力の過去があり、これはもう一種の強迫観念に近い。

 歓迎されるとばかり考えていただけに反応の薄さ、悪さを目にしたジークリートは隷従を強いられた人間のカタチに少なくない衝撃を受けた。

 誰かの所有物ではなくなった後も、戦利品として追う海賊達が見えない影となって「暴力による服従」を忘れさせなかったのだ。逃避行中も怯えながら働き詰めだった点も拍車を掛け、頭では休もうとしていても体を動かしていないと不安を抱いてしまうのだ。

 特に攫われ人身売買へ到る経緯から、精神が弱った状況で暴力を振るわれた過去がある。

 育ちや生来の精神強度の違いはあれど、深層心理に喰い込んでしまった場合は根深い問題だ。そうなるよう仕向け甚振られたのだから当然ではあるが、この楔を取り除かなければいつまで経っても心身の自由を取り戻せないだろう。

 働かせ易い心理状況であったとしても、これ幸いと乗じる人間は全てマルシュが殺している。

 元凶は既にこの世に存在しなくとも、子供達――瑕つけられた珠は遺されたままとなった。

 彼らは体を休めても気分が晴れない。常にストレスを与えられているのと同じこと。

 ――個々人によって幾ら時間が掛かろうと、団員達が抱える謂れのない不安を克服するまでは、ゆっくりと慣れさせていくしかない。

 如何にか出来ないか問うたマルシュへ、同じく様子を見ていたジークリートから苦虫を噛み潰したような表情で返されたのを思い出す。

 

(結局の所、俺は戦場餓鬼でしかなかった。只々人を殺し、物を壊すだけの取り柄しかない。

 戦えない状況ではこのザマだ。誰かを護る為に体を張っても、守れないところはある。分かってはいても、どうにもならない。……スッキリしないのは、嫌いなんだがな)

 

 他者を圧倒できる暴力を内包した男は、仲間を嬲る不可視の敵と戦えない己の腕を睨んだ。

 敵は殺す、味方は守る――今までは分かり易かった。

 今後はどうやって生きて行くか。全て自分達で決めて歩かなければならないのだ。

 途絶えない敵を倒し、少なくない仲間を犠牲に振り払って辿り着いた此処を安息の地としたい。

 けれど。やるべき事とやりたい事が多過ぎて、呼吸をするのも辛く感じる。

 戦いに身を置いている時はまだ良かった。思考のリソースを全て其処へ注ぎ込めたからだ。

 皆から団長と呼ばれ、慕われるのは嫌じゃない。

 マルシュ・ヴェストという男は仲間からも怖がられていた時期が長かった。それだけに相手から好かれるというのはくすぐったく、スムーズに反応できない時があるものの拒否の感情はない。

 だが、まとめ役として期待されていると肩に掛かる重さには、まだ慣れない。

 幾つもある部隊の一隊長という身分なら、下に就く人間の数から目端が十分に届いた。

 現在の団員は療養中の怪我人を含めれば二二〇を超える。

 彼らの様子を観察しながら適切な指示を送り、隊長クラスの者と情報を共有しつつ一日の工程、一週間の予定を考え予想進捗を見据え、次は何処に着手するのがベストか構想を練る。無論全てをカバー出来ている訳が無く、人間一人に出来る範囲など限られていることを日々痛感していた。

 その度に、自分の得意分野は殺意の対象であった海賊と同じ暴力だけなのだ、と思い知る。

 

(あの二人は、俺とは違う。戦える力以外で皆を守れる――知識がある。

 生まれてからずっとドンパチしていたヤツなんかとは、きっと頭の出来も違うんだろう)

 

 団員だけでは詰まる問題は、ジークリートとクロエ・ヘンダーソンの参加で解決策を見出せた。

 両者の見識が無ければビーハイブの生産能力に気づかなかった可能性があり、気づけたとしても少ない物資貯蓄が更に削られていた。回復が見込めなかった状況で余計な――無駄な支出は痛恨に等しい。二人のお陰でどうにか息を吹き返すところまで漕ぎ着けた。

 今後軋轢を生むのはよろしくない、そう判断して会合に誘ったのはマルシュだ。声を掛けるや快諾してくれたジークリートはともかく、幾らか悩んだクロエには説得を要した。

 その甲斐あってジークリートが成すべき事を明確に打ち出し、クロエが小さな部分を補填して、実行力の団員達は一丸となって目標達成の為に働いている。

 日が過ぎる毎に皆の力が形を成していくと活気が沸き、枝葉のように広がり修繕される自分達の家は感慨深く、これまで彼らの胸に訪れたことの無い愛着心を芽吹かせ、その気持ちが手伝ってか恐るべき早さで作業進捗が前倒しとなり、三週間の短い工期で二番ドックから続くプラント設備と居住区画、管制室までの整備が完了していた。

 これには二番ドックの復旧及び拡張も入っており、本来の用途である艦船ドックは厄祭戦時代の機構を流用して設備を整えた。現在戦艦や輸送艦がなく、所有している小型コンテナ船や貨物コンテナ船にモビルスーツ搭載設備がないことから、ドック内にモビルスーツハンガーを五基設置して整備環境を造り、ジェイ・ジェイを中心に編成された整備班が日夜仕事に追われている。

 ビーハイブに明るい声が響き始めてからマルシュを悩ませているのは、疎外感だ。

 門外漢の彼では理解に及ばない所でジークリートとクロエ、ジェイ・ジェイ達が計画を立案し、一つ一つを成している。となれば物事が円滑に進むのは喜ぶべきだ。自分では答えを導き出せない問題を代わりにクリアしてくれたのだから。

 

 だが、その一方で団長として皆に何か出来たか自問すると、これが芳しくない。

 戦闘後の一週間は、モビルスーツ搭乗時の後遺症で身動きがとれなかった。

 阿頼耶識システムを通じてモビルスーツとの初コンタクトを終えたマルシュであったが、意識が戻りコックピットから出ようと端子を外した直後に昏倒していた。再び目覚めた時に聞いたクロエの診断では、出血や血中濃度の急激な増大、一部神経の炎症などから身体に軽度の麻痺が起こり、回復こそしたものの大事をとって安静を勧められたのだ。

 無理にベットから動こうとすれば看護していたレイン・ファーレンに涙目で覆い被さられ、感覚が戻り具合を確かめようと簡単な訓練を始めれば回診に訪れたクロエから冷たい目で見られ、自己診断を下し部屋から出ようと扉を開ければ待ち構えていたサラ・ラックに不意を打たれ、大人しくベッドで寝ていると見舞いに来たジークリートが驚くものだから事の顛末を話すと呆れられた。

 結局、彼が自由にビーハイブを歩けるようになったのは約二週間前である。

 その間に起きた出来事をつぶさに聞き、団長不在でありながら懸命に働いてくれた団員達に感謝の念を抱いている。自分達がした事を得意げに話す子供達の頭を撫でてやり、レイン達からの報告を受け労いの言葉を掛けることも忘れたりしない。

 それからは休んでいた分を取り戻そうと手を出し始めたが、作業内容と合わせ現状を噛み砕いて分かるようになったのが丁度一週間前だ。理解したのは現場入りしても仕事の邪魔になることと、実作業より司令塔になって指示を送れる知識を蓄えることだった。

 他と変わらずマルシュも考えるより手を動かした方が良い性質だったが、こればかりは適材適所より立場が勝った。今後は他と混じって汗を流すより、責任者の体裁を求められるのだろう。

 以前のまま振舞えれば良かったのに、いつも立っていた場所から引き上げられる。

 考えれば考えるほど、不相応な役職へ押し込まれるのは窮屈だった。

 どうしたものか――

 

「あ、マルシュ。此処に居たんだ」

「ん?」

 

 肩越しに出入り口を見れば、一仕事終えたのかレインが小さく手を上げて居た。同じように返してやると微笑み「あ、水飲む?」と給水器から水の入ったカップを二つトレイへ載せる。そのままトコトコ歩き、対面席へ腰掛けた。

 手の届く位置にカップを置き、タブレット端末を抱えた少年はドック内で働く仲間の姿を見て、何人かの名前を当てながらその動きを目で追う。座り直したマルシュが「休憩か?」と尋ねれば「そうだよ~」と屈託無く笑った。

 顔色と発声の様子から機嫌が良いのだろう。しかし、ふっくらとしていた頬が少し痩せたように見える。休息を摂り回復したマルシュと比べ、レインは目の下に隈が出来ていた。

 

「ありがとう」

 

 カップを取り水を口に含んだ青年は急な礼を受け、少年の疲労が残る顔を見た。

 レインは膝の上に置いたタブレットを両手で握りながら、やや前屈みにこちらへ向いていた。

 連日の疲れに身を侵されているだろうに、少年の草原を想わせる碧眼に陰りは無かった。少し顔が紅いのは照れているのだろうか。もしや熱でもあるのではないかと手を伸ばそうとして――

 

「無理に無茶を重ねて、皆を守ってくれて、ありがとう」

 

 ピタリ、と動きを止めた。

 呆けたように押し黙るマルシュを、上目遣いで見つめるレインは頬を掻いた。

 

「モビルスーツと阿頼耶識を繋いだ時の衝撃、すごく痛いし頭が割れそうだったよ。……あ、マルシュが寝ている間に希望者を募ってやってみたんだ。ブエルはマルシュのだから、鹵獲したモビルスーツでね。そしたらもーっ、皆がみんな参っちゃってさ。手術二回受けたサラだけかな、アレに耐えれたの。リシューなんか叫びながら鼻血出してたから、おじさんに止めてもらったし」

 

 その光景を思い出しているのか、瞼を閉じ顎に手を当てている。

 聞いている方といえば、数ある報告に含まれていたモビルスーツの性能に目を通していた。

 

 鹵獲したロディ・フレーム――阿頼耶識システムを搭載したベルペ・ロディは全体が曲線で構成されたフォルムで、関節部分すら覆う重装甲が特徴的なモビルスーツだ。

 フレーム部分は唯一露出しているのが人間で言う首元だけで、この部分まで装甲で覆うと頭部の可動域を狭めてしまう理由から除かれており、防護上の弱点は此処以外無い。一〇〇ミリライフルを標準装備しているが、ベルペ・ロディの最大の武器は重装甲とその機体を押す推進力が合わさった突進力、その力を利用した大鎚(ハンマー)の打撃力にあった。

 全長九メートル。五メートルの柄部分と長さ四メートル、幅六メートルの頭部からなるこの弩級質量兵器は脅威の一言に尽きる。真っ向からの戦いは装甲で防ぎ、肉薄してハンマーを叩きつけるだけで勝敗が決まるようなものだ。先端の鎚部分に重量が集中しているだけに取り回し辛い点こそあるものの、柄を利用すれば近接攻撃を防ぐ事も出来る。

 推進力に熱相転移スラスターを背部に二基、脚部に一基ずつの計四基。エイハブ・スラスターは背部に二基、スカート内面に三基の計五基となっている。重装甲の機体を操る九基のスラスターは心強い反面、燃費の悪さに直結しているが致し方ない所ではある。

 頭部に六〇ミリバルカンを二基装備することで最低限の対空能力を保持しており、胴部に対象を拘束・拿捕するアンカーが二門ある点が特徴だろう。固有武装を発揮することなくブエルに制圧されてしまっただけに、戦術を確立するのは搭乗者となるパイロット次第か。

 

「その、クロエさんから教えてもらったんだけど、ブエルは出力強化型だからもっと辛いって。

 マルシュが血だらけで出て来た時にどれだけキツイのか分かってたから、誰も挑戦なんてしなかったよ。サラは少し気になってたみたいだけどね。フラフラしてたし、転びそうだったから流石に止めたんだ。……顔隠してたけど、絶対鼻血出してるよ。あ、これサラには内緒だよ!?

 ……それで、初めてモビルスーツに乗って、戦って勝って、やっぱりマルシュはすごいなって」

 

 苦笑して語るレインに返せたのは「そうか」と素っ気無い言葉だけだ。

 同じ場所で気持ちを共有できなかっただけに、マルシュが言えるものはその程度で。戦う役割も取り上げられるのだろうか、とぼんやり考えていた。

 

「だから、皆マルシュが来るのを待ってると思うんだ」

「――なに?」

 

 どういう事だ、と鳶色の眼が赤毛の少年を映す。

 話を聞いていた時と違い、険がある視線は小柄な身体を射竦める。

 マルシュが何故そんな目で自分を睨んでいるのか分からない。

 ただ、レインに分かったのは彼が怒っているのではなく、先を促しているという事だけだ。

 

「だって、いつも皆を引っ張ってたのは、マルシュだよ」

「俺が……?」

 

 思わず問う青年に、少年はコクリと頷いた。

 

「誰一人見捨てずに、先頭で戦って道を拓いて来たのはマルシュでしょ。

 そりゃ途中で機体が壊れた時だってあったけど、此処まで連れて来てくれたのは誰なの? モビルスーツなんてモノに乗って、海賊達から守ってくれたのは誰だっけ? ……三日間目覚めなくて、みんなを心配させたのはっ、何処の……誰だよ!?」

「…………俺、だな」

 

 グシグシと袖で顔を拭うレインから目を逸らし、俯き時折混ざる嗚咽に居た堪れなくなった。

 見舞いに来てくれた仲間のことは覚えている。

 彼らの一言、二言告げて帰る姿も。でも、最後の言葉は決まっていたじゃないか。

 ――早く良くなって。

 明るく言う者が居れば、しどろもどろに言う者も、勢いつけて声を出すような者も居た。

 動かない身体を叩き笑い掛けてくれた者も、痛みを想像したのか泣き出す者さえ居た。

 それらは詰まり、誰も彼もが回復を願っていたのだと。必要にしているのだと今更ながら実感できた。単なるまとめ役ではない、マルシュ・ヴェスト個人の復帰を待っていた。

 なんてこと。

 思い返しても、団長などという肩書きに拘っていたのは、自分だけだった。

 呼び方の違いだけで。其処に仕事を早くしろ、というメッセージは込められていない。

 其処に至れば、己を悩ませていた種子など簡単に分別できた。

 要は、マルシュも他の団員――子供達と同じだったのだ。

 自らの手で葬った所有者の暴力が、買い取られてから随分と痛めつけられた分だけ骨身に染み込んでいた。正常な思考から、ソレを異物だと認識するに遅れていただけだ。

 仕事ができない奴は私刑(リンチ)に遭う。だから、マルシュは働き続けていた。

 その過去と現状を照らし合わせてみれば、成程その通りだ。

 何処から来るか分からない暴行に、自覚することなく怯えていた。

 ――それが焦りを呼んでいたのか。

 考えれば考えるほど、苛立ちと不安の根源を理解した。

 ならば、自身がどう動けば良いか。いや、そもそも振り払うべき問題は何か。

 ジークリートが言う、働き易い環境を、己が実践すれば良い。

 水を飲み干したマルシュはカップをトレイへ戻し、立ち上がった。

 

「すまなかった。俺が顔を出さなきゃ、いつまでも寝てるものだと思われてしまうな」

「えっ!? いや、其処まで思い込む子は少ないんじゃ――わっ」

 

 俯いていた顔を上げた少年の頭に手を置く。

 驚いて瞬くも、その濡れた瞳の輝きは変わらず、()()を問うた時のままだ。

 細く柔らかい赤毛を乱暴に撫でつけ「うわぁ!?」と漏れる悲鳴へ微かに笑う。

 

「明日へ向かう気持ちを忘れない、色褪せない心が必要だったんだな」

「マルシュ? えと、それって何の話?」

「ん。いや、そうだな――俺達のこれからの名さ」

 

 気怠そうな顔から一転、常の真面目な貌で言う。

 好奇心を擽る言葉を聴いたレインは前のめりの姿勢で催促した。

 

「何があっても諦めない、忘れない強い気持ち。それでいて(くろがね)のような硬さ――錆びない心(クロムハーツ)だ」

「ボクらの名、かぁ。硬くて強い、色褪せない心……うん! マルシュらしいかも」

「俺らしい? ……勢いで決めてしまったようなものだ。後で皆にも聞いておかないとな」

「大丈夫だと思うけど、気になるなら聞いた方がいいかもね」

 

 一先ずやるべき事を済ませてからだ、と身を翻すマルシュに手を振って見送る。

 休憩所で一人残されたレインはタブレットを掲げ、スワイプ。起動画面から管制室のメインサーバーとの接続を確認すると、鼻歌を歌いながら作業に入った。

 

「あれあれぇ、ナニか録音されてるなぁ。なんだろうね、これは~?」

 

 ニコニコしながら加工と修正作業を行う少年は、実に精力的に指先を操る。

 ()()()録音した声音をレイン好みに調整して、不要な部分を削除しつつ全体構成を考える。

 ついでに――そう、当たり障りの無い経緯を添えておくのも好ましい。

 大丈夫、彼に対しての観察眼は中々のものだと自負している。考えている内容から逸脱してなければ然程問題はないのだ。

 

「善は急げって言うんだよね、確か。名も無い集団だったボクらに名乗るべきものが出来た。

 うん、これはきっと善い事だよ。早く広めてあげないと!」

 

 マルシュが通過中の区画以外アナウンスが入るようにセッティング。編集した内容が流れた後にきっと問い詰められるだろう。彼に気遣われるとドキリとするけど、怒ったときも嫌いじゃない。

 これは名前を思いついた彼を後押しするだけで、他意はないのだ。

 休憩時間中に船団名で騒いでいた連中を大人しくするためには必要だったし、名前を付けて遊んでた事を咎めるためでもない。歩いている時に聞いたハイパーとか、ジャスティスとかいうネーミングセンスには激しく咳き込んだが。

 

「よっと。これで、みっしょんこんぷりーと!

 ――マルシュに気づかれなかったみたいだけど、まだ感覚戻ってないだけだから。

 くれぐれも誤解しないでよね」

 

 休憩所に靴音を奏でながら入って来た女性へ、一応注意することを忘れない。

 茜色の侍女、クロエは人の良さそうな笑みを浮かべて其処に居た。

 快活さを潜めたレインが見据え、乾いた喉を潤そうとカップを流し込む。

 

「承知していますよ。獣のような殿方ですから。嗅覚も優れているでしょうし」

「そうだよ。だから誰よりも鋭いし、強い。当然だよね、ボクらの最強がそこらの()()()()に負ける訳が無いもの。もう少しで首と胴は離れてたみたいだから、分かってるでしょ?」

「ええ、十二分に。まさに生も死も紙一重。あの一時は、()()()でした」

「……随分と愉しそうに言うんだね」

「ふふっ、剛と柔の駆け引き、とまでは言えませんけれど。――焦る表情は好みでしたから」

 

 頬を桜色に染め恥ずかしがる姿は、さながら初恋を告白する少女のよう。

 その唇から零れたものが初々しい感情の発露であれば尚の事似合うだろうに。少年の耳へ届いたのは血の臭いが彩る科白だった。

 華があろうとも真紅がよく映えては毒々しい。

 

「あなたの趣味はボクには分からないよ。それで、今日は何か用かな?」

「それは失礼を。マルシュさんの様子から事を進めても問題はない、そう思いまして」

「ジークリートさんとクロエさんの問題だったかな。三週間も待たせてる訳だし、もう限界?」

「そうなんですよ~。私よりお嬢様の方が。もう会う度に睨んでまして、心苦しい限りです」

 

 レインは感じないが、二人が同席していると場の空気が一変すると聞く。

 とはいえジークリートの目つきが鋭くなる程度で、クロエからは何らアクションをしていない。仲が悪いようだが会議上ではそれを持ち込んだりはせず、互いに持ち込んだ案件を補填し合う間柄なので致命的なものはない、と周りは静観していた。

 

「……このまま待っていてもマルシュには隠せないだろうし、いいよ。ただ話を持ち掛けるときは前話した通り、ボクも同席するけど構わないかな?」

「最初に打ち明ける人は少ない方が良いと思っているだけですから構いませんよ。こちらとしては無用の混乱を避けたいだけです。皆さんに驚かれるのはともかく、困惑させたい訳ではないので」

「ふぅん……ところで、一つ聞いても良い?」

「はい? 何でしょう」

 

 マルシュが目覚めて直に訪問して来た二人に嫌な感じがして、体調が戻るまで延期してもらったのはレインだ。自身に余裕が無いときに他人の問題事など抱えられる訳がないと追い返したのも。

 事実起き上がってからの彼は精神的余裕が無く、何かに追い立てられているように見えた。

 しばらく看護していた身だからこそ分かる。あれは他人の所有物だった頃に子供達が不安そうに周囲を探っていた時に似ていたから。

 ただ気になっていた事もある。何せあの時の二人は――

 

「ボクに話を持ちかければ断られるって理解していたよね? どうしてそんな人間に話を持ってきたのかが分からないんだ」

 

 マルシュに相談をしたい内容だったろうに、最初に話を持ち掛けたのはレインだった。

 当然、断るに決まっている。

 満足に動けるようになるまで一ヶ月は掛かる。そう診断したのはクロエ自身なのだ。彼女を信じるなら取り下げるのは当たり前だ。目覚めて間もなく軽度の麻痺に陥ってる患者を、殊更悩ませるような事を許せるか? 許せる訳がないじゃないか!

 

「皆さんが口を揃えて言うものですから」

「?」

「”マルシュ絡みの話はレインを通せ”、と。

 最初は何かの符丁かと思いました。それが何でもなく、その言葉通りだと理解したのは十人目に尋ねた時です。波風立たぬよう話を持って来たのもそれだけですよ。本当に、()()()()です」

「――――ッ!」

 

 クロエの逆光で影になった表情に、レインの全身が総毛立った。

 先ほど少年の身体を射竦めた鳶色の眼とは毛色が異なる茜色の瞳。相手の不安を煽るように弧を描く酷薄な笑み。無手の筈なのに刃物で脅されているような心地は如何なる所業か。

 この女は口外にこう言っているのだ。

 貴方があの男の弱みですね、と。

 

「あはっ、別に取って喰おうなんて思っていませんよ。カワイイですねぇ。

 ――話し合いのセッティング。くれぐれもお願いします」

 

 頼み事を終えたクロエは、スカートを小さく持ち上げ一礼して去って行く。

 残ったレインは小さな胸を押さえ、緊張が途切れたのかそのまま椅子へ深く座る。

 腰に吊るしたホルスターには、護身用の拳銃がそのまま有る。

 けれど、本能のままに構えていたら、多分酷い事になっていた。

 クロエが、じゃなく。恐らくはレインが。

 

「本当に、運があるんだか無いんだか。困っちゃうよ、マルシュ」

 

 それでも憎めない。必要以上に怖がるな。

 ビーハイブの機能を明示して自分達に様々な恩恵を与えてくれているのは、彼女なのだから。

 本当に害意があるのなら、果たして此処までするだろうか。

 彼女の真意はまだ分からない。だが、闇雲に疑うのは違う筈だ。

 何らかの目的があったとしても、自分達は()()らしく受けた恩を返すべきだ。

 

「それでもボクらは、やっと歩き出したんだから」

 

 一斉放送で自分達が名乗る船団名がクロムハーツと流れたのはその後の事だ。

 この放送を聴いたもので分かれた割合は、勝手に決めた事でクレームが一割、名前の由来からやる気に溢れるものが四割、これでマルシュが団長確定だと笑うものが三割、とりあえず団長を囲もうと追い駆けるものが二割となった。

 知らない所で騒動の種が盛大にばら撒かれた青年が、仕事を放り出してとある少年を追い詰めるまでそう長い時間を必要とはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第一回「(くろがね)の手は救いとなるか。」問題
Q.1:マルシュくんが麻痺で動けない間、下の世話をしたのは以下の誰か。
 ①レイン・ファーレン
 ②サラ・ラック
 ③クロエ・ヘンダーソン


Q.2:ガンダム・ブエルに乗ろうとしてジェイ・ジェイにコックピットから投げられたのは以下の誰か。
 ①リシュー・ヘルモント
 ②ジークリート・ファルケ・クレイスター
 ③やんちゃな子供A


Q.3:ベルペ・ロディを想像し愛称を付けるなら以下の内どれにするか。
 ①バケツ頭
 ②ドラム缶
 ③コメダワラ


なお、解答は感想欄ではなく、活動報告の内容をよく読み答案(返信)へ記入願います。

小説の感想もお待ちしております(´・ω・`)ノ

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