「…………」
ざり、と。
光すらも届かない古代林の深層に、草を踏む音が静かに響く。
どこか義賊的な雰囲気を持つマッカォ装備に身を包んだ、ハンターの少女のものだ。
愛用の大剣を背中に背負った彼女は、その柄に指をかけ油断なく周囲を警戒しつつ、深層の奥へ奥へと進んでいく。
「…………?」
ふと、鼻先に妙な匂いを感じた。
植物の青臭さに交じる、ほんの僅かな異質。ぴりぴりとした刺激のある、香ばしい匂い――火薬の香りだ。
鉱山ならともかくとして、こんな自然の真っ只中としては珍しい。誰か、自分以外の人間でも居たのだろうか。
ハンターはきょろきょろと辺りを見回しつつ、匂いの根源を辿ろうと試みる。
「……!」
すると、見つけた。
光が薄いために気づきにくかったが、暗色の植物が生い茂る地面に一欠片。青黒い鉱物のような物が落ちていた。
よくよく見れば、何か生物の厚皮のようだ。どうやら火薬のような物の匂いはこれから漂っているらしい。
ハンターはゆっくりとしゃがみ込むと、慎重にそれに手を伸ばし――。
「ッ!」
――その指が触れようとした瞬間、厚皮の欠片が黒いオーラを纏った。ような気がした。
ハンターは咄嗟に手を引き様子を見るが、それ以上は何も起きない。
否、そもそも黒いオーラなど影も形も見えず、意を決して手に取って見ても異常は何も見受けられなかった。
……気のせいだろうか? 僅かな光に透かしつつ、眉をひそめる。
「……、……」
そうして厚皮を荷物に入れ改めて周囲を見ると、森林の一部がやけに荒れている事に気がついた。
一部の地面が踏み荒らされ、数本の木の皮が捲れ、血飛沫の痕跡がついている。
モンスター同士の争いでもあったのだろうか。少し気になったものの、古代林においてはさほど珍しい物でもない。
ハンターは暫くそれを見つめた後、何事も無かったかのように歩き出す。
後にはもう、何も無く――火薬の残り香が、風に吹かれて消え去った。
■
7号の朝は、荷車の整備から始まる。
集落に住むメラルー達と違い、仲間とつるまず一匹での行動が主となるが故の手間暇の一つだ。
何せ食料集めは勿論、物資の運搬も一匹でこなさねばならないのだ。7号にとって荷車はある種生命線にも等しく、武器や閃光玉といった重要な道具類と同じかそれ以上に念入りな点検を欠かさない。
こびりついた泥や土を拭き取り、木組みの隙間に詰まる汚れを掻き出し、最後にコンと叩いて部品の歪みが無いかをチェック。たまにニスやペンキを塗ったりもしてご満悦。
古代林に一人、同族や肉食竜に怯えつつ暮らす7号にとって、唯一の趣味とも言える時間である。
「……うむ、今日もキレイになったのにゃ」
整備が終わり、一心地。
何の変哲もないボロ車であるが、これまで長きに渡り苦楽を共にしてきた、いわば相棒だ。思い入れも一入であり、そりゃあ力も入るという物。
新品同様となった荷車を眺め、7号はニンマリと満足そうな笑みを浮かべ。鼻歌交じりに定位置に戻すと、食料調達の為の準備に移ろうと振り返り、
「……グルルァ」
「にゃぐぅぁあ!?」
眼前に広がるドスマッカォの凶相に肝を潰した。
思わず尻餅をつき、後退る。失禁しなかった事が奇跡だ。
「び、びっくりしたにゃぁ……! な、何でこんなトコに、あ、歩けるようになったのかにゃ……!?」
「グァウ」
どもりながらの問いかけに、ドスマッカォはニヤリと口角を歪め、包帯の巻かれたままの後ろ脚で土を掻く。
その姿には多少のぎこちなさが残り、相変わらず冠羽根も生え揃わないままだ。
完全に回復した訳では無いとハッキリ見て取れたが――それでも、動く分には問題ない様子ではあった。
彼を拾って今日で五日目。昨日の夜まではまだ立つ事はできなかった筈なのに、一眠りするだけでここまで回復するとは流石竜だと恐れ入る。
「そ、そですかにゃ。治ったんなら良かったですにゃ! お祝いに今日は豪勢なご飯、つくりますにゃ!」
ともあれ気を取り直しパチパチと拍手を送れば、ドスマッカォはフンスと得意げに鼻を鳴らし胸を張った。
……どうも先日彼を「スゴイ」と褒めた一件から、少しフレンドリーになった気がするのだが、錯覚だろうか。
7号としては怒りを買っていなかった事に安心はしたが、何となく不気味な感覚は拭えない。不意をついて食べられたりしないかしら、ぶるぶる。
まぁそれはさておき。
「で、何の御用かにゃ? ……も、もしかして、そろそろ全部治るから、ボクを用済みだって、ガ、ガガガガブッと……」
「グルルァ、ギャウ」
ちげぇよ。
未だに事あるごとに怯えを見せる7号に半眼を送りつつ、ドスマッカォは軽く顎を森林へ――浅層の方角へとしゃくった。
「……え、ついてこい、にゃ? ええっと、どこに?」
ぱちくりと目を瞬きながらの問いかけに、ドスマッカォは7号にしか分からない言葉でたった一言を吐き捨てた。即ち。
――ひと狩り、いこうぜ。
*
メラルーにとっての狩りとはつまり、罠を張る事だ。
アプトノスやケルビと言った比較的小柄な草食種に狙いを定め、集団で罠の方向に追い立て捕獲する。
普通に武器を持って戦い仕留める事も容易ではあるが、種族としての本能がそうさせるのか、罠を用いた方法が主流となっていた。
当然7号もそれに則り、普段は罠を利用し狩りをしている。
とは言っても、罠を仕掛けている間に他のメラルーに邪魔される事が多々あるため、成功率はそれ程高いものではない。
それ故、7号の食料調達は山菜類が中心であり、肉を得る機会は中々に少なかったのであるが――。
「……こんな山盛りのエモノ見たの、覚えてる限りでは初めてだにゃあ……」
今、この瞬間。7号の目の前には、幾頭もの草食種の死骸が山となって積まれていた。
中にはこれまで狩った事も無い大型草食種、リモセトスのものまであり、正しく選り取りみどりと言った有様である。
言うまでもなく、これら全てはドスマッカォが仕留めた物だ。
怪我が完治してない状態でここまでの獲物を狩れるとは、流石はマッカォの群れを統率していたリーダーであったという事か、それともこの草食種達が尽くノロマであったのか。
何にせよ凄まじい戦果である事は確かであり、7号は暫く呆然と立ち竦む。
「ギャウ、グギャ」
「……はっ、そ、そうだったにゃ。ボーっとしてないで解体しないと……ああでも、一体どれからやれば良いのにゃ!?」
ドスマッカォが軽く頭を小突くとようやっと正気に戻ったものの、あまりの作業量の多さに頭を抱えた。
皮剥、血抜き、解体、保存処理、その他諸々。それら全てをこなすには一人ではとても無理だ。不可能だ。
何故だろう。獲物がいっぱいで嬉しい筈なのに、全然まったく嬉しくない。それどころか絶望感が溢れてくる……!
「……へ、へへへ……」
「…………」
7号は最後に、一縷の望みを持ってドスマッカォを振り返ったが――返ってきたのは「はよやれ」と言わんばかりの顎しゃくり。ですよね。
「にゃ、にゃ、にゃ……にゃぐぅぅぅぅッ――!
やるしか無いなら仕方ない。背後に立つ肉食竜の気配に圧され、7号は頼りないナイフを一つ構えてヤケクソ気味に覚悟を決める。
メラルー一匹。半分涙と鼻水を垂らし、孤軍奮闘を開始した――。
(…………)
そうして、そんな哀れなメラルーの鳴き声を聞き流しつつ、ドスマッカォは己の身体の調子を確かめる。
激しく動けば痛みは走るが、それ以上の激痛や出血は無い。
数日寝ていた為か若干ながら体力が衰えているように感じるものの、草食種程度ならば問題なく相手取れるまでには回復したようだ。
これならば、もうあのメラルーに頼らずとも生きていく事は可能だろう。少なくとも、再び大怪我でも負わない限りはの話だが。
「…………グゥ」
……しかし、あのメラルーの下を離れたとして、己はどうするべきなのだろう。
再びマッカォの群れに戻るつもりは無かった。
己を見捨てた子分の顔を見たくないという感情は当然あった。しかし、何よりもこんな惨めな形となった冠羽根を、かつての同族に晒したくはなかったのだ。
下らない意地。そう自嘲する事は容易ではあるが、それは僅かに残った矜持の欠片でもあった。
「…………」
ならば一匹で生きていくのか。
群れで行動するマッカォの習性上、個での行動には本能的な忌避感はあるが、やってやれない事はないだろう。
いっその事古代林より離れ、別の土地へ移動するのも良いかもしれない。多少気候や温度に違いはあろうが、草食種さえ居る場所ならば生きていける筈だ。
……生存競争に負け、住処を追われた形になるのが腹立たしいが、事実である以上受け入れるしか無いのだろう。
嗚呼――本当に、腹立たしい。ハンターも、子分も、己も、全部だ。
「……グァ……」
ドスマッカォは胸に溜まる苛つきを吐き出すように息を吐き、ひとまず思考停止。
大わらわで解体作業を行っている7号をぼんやりと眺めた。
……改めて思えば、随分と奇妙な状況に置かれたものだ。
メラルーとマッカォ。敵対関係である種族の筈なのに、7号と己は今こうして狩りを行っている。
7号の特殊さ故か、はたまた己の牙が鈍ったか。どちらにせよ、特異な事であるには違いない。
ドスマッカォは柔らかさと苦味の混じった、何とも言えない笑みをうっすらと浮かべ――。
「――にゃっ!?」
がば、と。視線の先の7号が唐突に頭を上げ、あさっての方向に目を向けた。
毛並みを逆立て、目を丸くして。見る限りでは、警戒態勢を取っているようにも見える。
突然どうしたという。ドスマッカォは眉間にシワを寄せつつ、7号の見るより深い森林へと繋がる獣道。その向こう側を伺った。
「……グギ?」
すると、森の奥からこちらに走る影がうっすらと見えた。
それはともすれば見失いそうに小さく、朧気なもの。通常この距離からでは決して気付く事が出来ないであろうものだ。
一体7号の耳はどうなっているのか。半ば感心しつつ、ドスマッカォは徐々に近づいてくるそれらに目を細め――そして視認した瞬間、身を固くした。
「……ッ」
見覚えが、これ以上なくあったのだ。
己と同じく極彩色をした肌に、真っ赤な色をした頭部。冠羽根こそ無かったが、それは確かに。
「あ、あれ……マッカォ……にゃ?」
――今、ドスマッカォが最も会いたくなかった相手。
かつて己を見捨てた子分達、マッカォ達の群れだった。
*
「…………ッ」
身を、隠したい。
ドスマッカォがそう思った瞬間―――いつの間にか近寄っていた7号の物言いたげな視線がこちらに向いている事に気がつき、咄嗟に下がりかけた足を地面に突き刺し、踏ん張った。
……何となく、このメラルーには格好悪いところは見せられない気がしたのだ。
「……?」
どうやら、マッカォ達は何かから逃げてきたのであろう事が伺えた。
よくよく見れば誰も彼もが身体の至る所に傷を負い、焦ったようにひた走っている。群れの数も随分と減っており、満身創痍と言うに相応しい状態だ。
一体、何があったのだ。その這々の有様にかつてハンターから敗走した自分が重なり、妙な痛みが胸に走る。
「――グ、グギャァ!?」
あちらもドスマッカォ達の姿を捉えたらしい。
一瞬驚いたように目を見開き、警戒の姿勢を取ったが……やがてかつての親分であると気づいた途端、彼らの顔に嘲り混じりの安堵が浮かぶ。
「グギャ、グルルァ……」
――おお、生きていたのか。
そうして、ドスマッカォ達を取り囲むようにして立ち止まったマッカォ達の一匹が、そう言った。
その声色はあからさまにへりくだったものであったが、7号の耳はその裏に隠された白々しさを感じ取っていた。
思わず一歩ドスマッカォの側に寄れば、マッカォ達は目ざとくそれを睨めつけた。しかしそれ以上に反応はせず、無視したまま歩み寄る。
ドスマッカォの額に、血管が浮かんだ。
――……よく、己に近づけるものだな。ハンターとの戦いで裏切っておきながら。
――裏切る? 馬鹿を言え、お前が苦戦するようなバケモノに、我らが集った所でどうなるという。
言い訳には聞こえなかった。マッカォ達は心の底からそう思っているようで、良心の呵責と言ったものは感じられない。
それどころか負けたドスマッカォを非難するような表情すら浮かべ、言葉を続ける。
――それより見ろ。お前が勝手にハンターにやられてから、こっちは随分と苦労したんだ。
――突然現れた妙な竜に、我らの縄張りを侵されたのだ。お前が居なかったおかげで群れの仲間の多くが死に絶え、今やこれで全員。
――お前、我らの長だろう。生きていたのならば、何故戻って来なかった。せめて雄叫びを上げれば、連れ戻しに行けたものを――。
「――……」
ドスマッカォが怒りを堪えられたのは、最早奇跡に近かった。
仲間とは、子分とは、群れとは。このような恥知らずの集まりだったのか。己はこのような者達の長だったのか。
助けを求めたのに応えず逃げ出しておきながら、せめて雄叫びを上げろ、だと?
何を言っているのか全く理解できない。否、したくもない……!
――まぁ良い、こうやって合流できたのだからな。妙な竜は未だ我らの縄張りに居る。さぁ、竜の下へ行ってくれ。
マッカォはそう締めくくると、今し方走ってきた方角へと顎をしゃくる。
他のマッカォ達もそれに同調し、短く唸り声を発した。ドスマッカォを称える、仲間呼びの咆哮だ。
ギャアギャアと重なるそれは酷くやかましく、ドスマッカォの神経を逆撫でる。
「――……ッ」
バキン、と噛み締めた歯が異音を立て、擦れた牙先が火花を上げた。
もう良い、同族だの子分だの知った事ではない。
顔と同様真っ赤に染まった視界の中、ドスマッカォは鼻息荒く身を捩り。そして大きく発達した尾をしならせ、マッカォ達の横面を弾き飛ばそうと力を込めて、
「ま、待ってにゃ!」
突然、足元から上がった甲高い声に意識が割かれ、ドスマッカォの動きが止まった。
7号の声だ。一瞬こちらに向けられた物かとも思ったが、どうやら違うらしい。
7号の目は眼前のマッカォ達へと向けられており、同時に彼らの視線を一身に受けビクリと震える。
「にゃぐ……あ、あのっ! このモンスターさん、まだ怪我してるにゃ。そんな危ないこと、さ、させちゃダメ、ですにゃ……!」
――……何だ、これは。狩りそこねた獲物か。
「っ! お、おはなし、聞いてにゃ!」
しかし、対するマッカォ達に7号の話を聞くつもりは毛ほども無かったようだ。
大声で喚く7号をうるさそうに見下すと、再び目に嘲笑の色を浮かべてドスマッカォに語りかける。
――お前。このような汚らわしい獣を側に置くなど、負けて腑抜けたか? その冠羽根のように、誇りすらも惨めに散ったのか?
「――違うにゃっ!」
その言葉にドスマッカォが激怒するよりも早く、7号の怒声が響き渡った。
そこには先程の怯えなど欠片も見えず、誰にでも分かる程の明確な怒りが吹き荒れている。
「も、モンスターさん、凄く頭の羽根を大事にしてたにゃ! ボロボロだけど、それでも大切だって、そう言ってたのにゃ! だ、だからそんな酷い事、言っちゃダメなのにゃ!!」
「――……」
臆病で、情けなかったメラルーが見せた小さな勇気。その言葉。
それを間近で受けたドスマッカォの思考に、僅かな空白と波紋が生まれた。
――……鬱陶しいな、害獣が。
だが、マッカォ達には関係のない事だ。
マッカォは不快げに牙を向きだすと、瞬時に踏み込み距離を詰め。鋭く突き出た鉤爪で持って、7号の喉下を切り裂かんと一閃する。
「え――」
当然、不意を突かれた7号にそれが避けられる筈も無い。何が起きたのかすら把握しないまま、その首を落とされ――。
「グ、ギッ!?」
――グシャリ。
その直前、鈍い音と共にマッカォが弾き飛ばされた。
いつの間にやらドスマッカォの尾が7号の前に差し出され、強くしなりを上げていた。ポタポタと、マッカォの物らしき血液が滴り落ちる。
――な、何をしている。我らはお前の、
「――グルアァァァ!!」
マッカォの言葉を遮り、咆哮と共に力の限り地面に尾を叩きつける。強烈な砂埃が舞い、風が渦巻き吹き散らされた。
そして、その中心には目を血走らせたドスマッカォが片冠を広げ屹立しており――瞬間、マッカォ達は己の失敗を悟った。
侮っていたのだ。
身体に残る傷跡。そして無残に散った冠羽根を見て、ドスマッカォが弱くなったのだと。自分と同じ格か、それ以下に落ちたのだと錯覚していたのだ。
とは言え、ドスマッカォの統率者としての能力を認めていたのも事実。だからこそ精々利用してやろうと気色ばんだ。
「グ、グ……!」
されど、ドスマッカォの格は依然として自分達の上にあった―――。
先の一撃でそれを理解したマッカォ達は、気づけばドスマッカォから距離を取るように一歩後退っていた。
「……フスン」
「……へ? にゃ、にゃぐぅ!?」
そしてドスマッカォはそのような情けない彼らの姿をつまらなげに一睨みし、鼻息を一つ。
呆然と事の成り行きを見守っていた7号の首根っこを掴むと己の背に放り投げ、道を開けたマッカォ達の間を悠然と進んでいく。
そこには、最早怒りどころかマッカォ達への興味さえも失われているように見え、マッカォの一匹が慌ててその背に声をかける。
――ま、待ってくれ。お前が居なければ、我らは統率が取れない。先の無礼は謝る、どうか――。
――貴様らなど知るか。そこの肉はくれてやる。さっさと血を噛み疾く去ねや。
一蹴。
ドスマッカォは彼らの言葉をまともに取り合う事も無く、それきり振り返りもせず立ち去った。
後に残されたのは解体途中の肉の山と、頭を完全に失った鳥竜種の群れが一つ。
――痛みに呻くマッカォの声が虚しく響き、木々の隙間に消え去った。
*
「…………」
「…………」
中層。7号の隠れ家への帰宅道。
ドスマッカォと、その背に乗った7号は無言のままに道を進む。
二匹の間には何とも言えない空気が漂い、歩みの音がやけに大きく鼓膜を叩く。端的に言えば、気まずい。
(うぅ……な、何か言った方が良いのかにゃぁ……)
のっしのっしと揺られながらそう悩む7号であったが、気の利いた言葉など浮かんでくる訳もなし。
過去の経験から嫌味や罵倒の語録にはそれなりの自信があるが――それを披露すれば血の雨が降る事は目に見えている訳で。
故に口を結び、むっつり黙り込むしか無く……。
「……グルァ」
「! な、何ですかにゃ」
ダラダラと汗をかきつつ俯いていると、徐に声をかけられた。
顔を上げればドスマッカォが首だけをこちらに向け、どことなく気まずそうな半眼を向けている。種族が違えど、感じている事は同じらしい。
「…………」
「……頭がカユイから見て欲しいにゃ? べ、別にいいけども……」
そうして頼まれた事は、何とも些細なものだった。
7号は肩透かしに戸惑いながらも、ドスマッカォの言葉に従い肉球を伸ばし――。
「! おっととと……」
危うく冠羽根に触れそうになり、慌てて手を引っ込めた。
間違って触れでもしたら、先程吹き飛ばされたマッカォのようになってしまう。
7号はどうやって羽根に触れず頭に触るか迷い、あわあわと奇妙な踊りめいた動きを繰り広げる。
「…………」
「え、にゃ、にゃぐ……ッ!? ご、ごめんなさいにゃあ!!」
すると突然ドスマッカォが頭を動かし、肉球と羽根が触れてしまった。
7号は慌てふためき、思わずドスマッカォの背で土下座をしたものの……反応は、無い。
「にゃ、にゃあ……?」
怪訝に思い、恐る恐ると顔を上げてみれば――そこには「何をしている」とでも言いたげなドスマッカォの目があった。
以前向けられた苛烈な敵意は感じられず、それどころかニヤリとした笑みさえ浮かべているようにも見えて。
「……このまま続けていい……のにゃ?」
「グァル」
「そ、そかにゃあ……へ、へへへ」
羽に触れる事を許された。
それの意味する所を理解した瞬間、7号の顔にも笑顔が浮かぶ。これまでの卑屈なものとは違う、ごく自然な笑みだ。
彼らはそのまま。暫しの間笑い合う。それは穏やかで、暖かくて、そして。
……そして、今まで感じた事のない、とても居心地のいい時間だった。
■
「……で、終わってればイイカンジに締まったんだけどにゃあ……」
数十分後。
夕暮れに染まった浅層の森林に一匹、決まり悪げに来た道を戻る7号の姿があった。
一度隠れ家まで戻った後、先程マッカォ達と出会った場所に忘れ物をしていた事を思い出したのだ。
荷車と、解体ナイフと、草食種の肉。最後のものは既にマッカォ達に喰われている可能性が大きいとは言え、残り2つは7号にとってとても大切な道具である。
当然捨て置ける筈もなく、何となく台無し感を覚えつつもとんぼ返りせざるを得なかったのだ。
ちなみに、ドスマッカォはそんな些事は知らぬと無視してご就寝。大方の原因があるにも関わらず気楽なものだと溜息一つ。
……まぁ、しかし。
「……えへへ」
ふと、先程の穏やかな時間を思い出し、ニンマリと笑う。
これまで誰かと笑いあった経験の無い7号にとって、先の出来事はとても得難い経験だ。
思い出すだけで胸がぽかぽかと暖かくなり、ドスマッカォへの小さな不満も吹き飛んだ。何となく、色んな事を頑張れそうな気さえする。
そうして打って変わって鼻歌すらも歌いつつ、道なりに歩く事、暫し。
「……あ、みっけたにゃ」
やがて先程の狩場へ辿り着き、目的のものを発見。
マッカォ達は既にどこかへ行ってしまった後らしく、その隙に荷車とナイフを回収。見たところ破損している様子もなく、ホッと一安心の7号であった。
「さて、お肉の方は……う~ん、どうかにゃあ……」
ついでに獲物の方も回収出来るものは無いか見てみたものの、大部分が食い散らかされており、見た目には酷いものだった。
時間が経ち、血抜きも途中であったせいか匂いもキツく、食肉としてみると大分辛いものがある。
とはいえまだ食べられる部位は多いだろう。出来る限り無傷な部分を探し、方々に散らかった肉の欠片をいそいそと漁り――。
「……にゃ?」
7号の聴覚に、何か物音が引っかかる。すぐにターバンを外し確認してみると、それは生物の足音のようだった。
すわメラルーかと一瞬見を固くしたものの、どうも違う。かと言ってマッカォや草食種の物でもなく、人間のものでもない。それらよりもほんの少し、軽いもの。
はて、一体何者だろうか。すぐに逃げ出せるよう閃光玉を握りしめつつ、様子をうかがう。
(あれは……竜人さん、にゃ?)
するとどうやら、足音の主は竜人種の――それも女性のものであるようだった。
この辺りでは余り見かけることのない、珍しい種族だ。そりゃ聞きなれない筈だと警戒を一段回落とし、ターバンを巻き直す。
確実に視認できる距離まで待っていた為、向こうもこちらを視認し耳を見られたかもしれないが……まぁ、敵意の心は聞こえなかったので大丈夫だろうと楽観視。
7号は近づいてくる竜人の少女を努めて気にせず、残飯漁りを再開した。のであるが。
「――あのっ、すいません。少しお時間よろしいでしょうか……?」
「…………にゃ?」
リモセトスのモモ肉を切り取っていた最中、背後からおずおずと声をかけられた。
振り返ればそこには先程の竜人の少女が立っており、肉の散らばる光景に気圧されているのか、やや緊張した面持ちを向けている。
「……ええと、ボクですかにゃ?」
「はい、あなたです」
キョロキョロと周囲を見れど、この場には7号と少女しか居ない。
戸惑いつつも自分の顔を指差せば、竜人の少女はしっかりと頷きつつ人好きのする笑みを浮かべた。
「ええと、突然ごめんなさい。私、ベルナ村でアイルーさんとメラルーさんにお仕事の斡旋をしている者なんですけど……」
近くで見れば、金色の髪を持ったとても可愛らしい少女だ。
彼女は懐から一枚の紙を取り出すと、何度か7号と見比べ――やがて何かを確信したように頷くと、その言葉を言い放ったのである。
「――あのですね。メラルーさん、オトモに興味とかありませんか――?」
『マッカォ』
よばれて来ないこともある子分達。
別のところにはもうちょっと義に厚い個体も多分いるんじゃないかな……。
『竜人族の少女』
ナビルーにこの子の衣装着せてるんだけど、めっちゃ可愛いよね。