北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

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第18話 よみがえれクラリネット 前編 (クラリネットパート3年・鳥塚ヒロネ 視点)

 むかしむかし、あるところに竹取のケー・イスケというバンドマンがおりました。野山に混じりて竹を取りつつ、よろづの楽器をつくりだす青年でした。

 ある日の事です。またぞろ新しい楽器でも作ろうかと青年が竹藪に入り込むと、きらきらと黄金色に光輝く竹が見つかりました。

 青年は喜びました。

 

――これは素晴らしい楽器の素材になるに違いない――

 

 竹をただ楽器の材料にする事にしか頭に無い青年は、中に何かあるのではなんて考えもしません。力いっぱい竹を切り倒します。切り倒した瞬間、何やら悲鳴が上がったような気もしますが気にしません。

 ところが帰り道、けもの道を踏みしだき、渓流(けいりゅう)にかかるウマクナリタイ橋を渡っていた時の事です。足元が不安定なせいもあったのでしょう、青年はうっかり渓流に大事な竹を落としてしまいました。取り戻そうにも雪解け水で増水し、流れも急になっている渓流に飛び込むのは自殺行為です。青年の(なげ)きようは大変なものでした。

 そんな彼を哀れんだのでしょうか、突然渓流の中から、それはそれは見目麗しい美少女が現れました。女の子の大事なところはしっかり隠した渓流の美少女ミゾレはこう言ったのです。

 

 ――……貴方が落としたのは、この金の竹? それともこの銀の竹?――

 

 ここで正直に答えれば、もしかしたら両方ゲットできたかもしれませんが、熱に浮かされたように美少女を見つめる青年にとってはもはやその竹が銅であろうが鉄であろうが構いません。というより、竹なんかもうどうでもいいのです。

 

――いいえ、私が落としたのは、ハートです。どうか私と、添い遂げてください――

――……――

 

 とんでもない展開になりました。うろたえた渓流の美少女は、下流のナカヨシ河にいるご両親のナツキとユウコに事の次第を報告します。目に入れても痛くないほどに娘を可愛がっている二人は、堅気(かたぎ)の仕事についていない男に大切な一人娘をやれるかと、結婚を断じて認めません。

 それならばと、青年は発奮しました。五年の内に定職に就き、子供二人は産んでも育てていくに困らないくらい稼いでみせる。だからあと五年は、独り身でいてほしい。青年は、二人とそう約束を取り交わしました。

 

 村に戻った青年は、しばらくしてお隣のテーオン王国の王女サファイアが、背を高くしたがっていて、その願いを叶えたものには金銀財貨を望みのまま与えるというお触れを聞きつけます。一刻も早く結納金を稼ぎたい青年は早速アングラサイト"リューグウ.com"に繋いで「成長促進剤」で検索します。すると都合よく「ウチデノハンマー」と「タマテボックス」の二件がヒットしました。が、ウチデノハンマーはとてつもなく高く、庶民の彼には手に余ります。仕方なく、格安のジャンク品であるタマテボックスを購入しました。

 このタマテボックスなるもの、なんでもウチデノハンマーの気体版ということで、一回限りの使い捨てだそうです。ウチデノハンマー同様、生物の成長を促進させる効果があるそうですが、効果の個人差があまりにも激しく、どうしてそうなったのか分かりませんが、人間が鶴になった事例まで発生したので生産中止になったそうです。その在庫が闇サイトで捨て値で売られているのでした。そんなのを一国の王女に投与して大丈夫なんでしょうか。青年もその点に留意しないでもありませんでしたが、

 

――どうせ使うのは自分ではないのだから別にいいや――

 

 そのように割り切って、早速隣国の王宮に向かいます。鬼畜。

 

 謁見の許可をもらった青年は、王女の身に何かあったら自分の首が文字通り飛ぶかもしれない事など考えもせず、サファイア王女に向かってタマテボックスを開いて煙を浴びせます。するとあら不思議。サファイア王女が三人に分身したではありませんか。王女は単細胞生物だったのでしょうか。

 背を大きくするという王女の願いは叶いませんでしたが、一人っ子だった王女も、王女一人しか子がいなかった国王アスカもこれはこれで大喜び。特に、一人娘に何かあった時の王国の行く末を不安視していた国王は「補欠要員、ゲットだぜ!」と、ことのほかお喜びです。髪が赤い以外は王女とうり二つな娘をルビー、髪が銀色の方はプラチナダイヤモンドと名付け、末永く可愛がったそうです。青年には両手に余るほどの金銀財貨が与えられ、三人になった娘の誰かと結婚しないかとも持ち掛けられましたが、それは丁重にお断りしました。もう想い人がいるので仕方ありませんね。

 

 それから青年は、アスカ国王から頂いた金銀財貨を元手にテーオン王国で畑を買って、野菜の種をまいては空まで届く豆の木に登って巨人ゴトーの秘宝を手に入れてと、まったく堅気でない仕事ばかりで大金をせしめる山師(やまし)ぶりですが、とにかく孫の代まで食うに困らないだけの財産を見事築きあげました。

 いざ年来の悲願である渓流の美少女との結婚の承諾をもらうため、青年は昔懐かしいナカヨシ河に向かったのですが、なんということでしょう。その時既に彼女は月の王子ノゾミの妻になるため、光の階段を昇って月に旅立ったというのです。

 

――どういう事だ、俺を騙したのか。だいたい年中水場で暮らしてるあんたらがあんな水っ気も何にもないとこで暮らせるわけ無いだろう――

 

 娘さんを殺す気かと(なじ)る青年に、娘の両親も困惑気味に返しました。

 三年前、青年のバンド仲間を名乗る同郷の女性が、彼からの伝言を頼まれてやってきたというのです。君と離れて月日が経つうちに心も離れてしまった。君は君でよろしくやってもらいたい、と。

 バンドマンなど女好きの家庭嫌い。そんな偏見にとらわれて、青年が地味で堅実な家庭を築き続ける事に耐えられなくなると信じて疑わない娘の両親です。普通の人間が水の中で暮らしていけるのかという方は考えもしません。なんせ水っ気も何にもない月に、年中水場暮らしの娘を送り出すような親ですから。本当に大事にしてたんでしょうかね。

 とにかく待たせるだけ待たせて、身勝手な陳謝の言葉を自ら伝えるどころか仲介者に頼むという、イメージ通りの卑劣極まりない行為に憤慨すると同時に喜びました。相手が娘から気が離れたというならそれで結構。行き遅れないうちに娘の相手を見繕うことにしよう。そういうことでした。

 当然の事ながら、バンド仲間の背信行為は青年の激昂によって報われました。村に戻った彼は文字通り相手を絞め殺すつもりで問い詰めましたが、向こうもさるもの。飄々(ひょうひょう)とした態度で受け流します。

 

――キミの事を騙っちゃってゴメーン。でもよーく考えて? ちょっとそれっぽい話をしただけで、あの人達は私を貴方のバンド仲間と簡単に信じて、貴方が彼女から気が離れた事も簡単に信じた。貴方の事を良く思っていなかったご両親だけでなく娘さんもだよ。事の初めから、彼女は貴方の事を何とも思ってなかったんだよ――

 

 それはそうでしょうね。出会っていきなりの愛の告白なんて、ちょっと引きます。まずはお友達付き合いから始めて好感度を高めないといけません。

 返す言葉をなくした青年に、二重人格の悪女オ・カトー・キタ・ムーラは畳みかけました。

 

――私はアンタの事が好き。愛してる。だから彼女がアンタをどこまでも信用するのなら諦めるつもりでいた。でもそうじゃなかった。だから奪い取る事にしたの。諦めなさい、貴方は私と一つになるしかないのよ――

 

 ……本当に愛してるんでしょうかね。彼が築いた財産目当てな気もしますが。

 紆余曲折はありましたが、結局青年はバンド仲間の猛烈なアタックに根負けして彼女と結婚する事になりました。ただし結婚にあたって、彼女に一つ条件を付けたそうですよ。

 なんでも、二人の間に女の子が生まれたら、名前を"ミゾレ"とするというのです。

 ええそうです。それは、青年の初恋相手である渓流の美少女の名前でした。

 

 

 

 

問題:ミゾレが月に旅立つ際に昇って行った光の階段とは何を指しているか述べよ

 

 処女だった彼女が月の王子とあんなことやこんなことして、大人の階段を上った事を示す暗喩

 

 

 

 

「……そう書いたら先生に怒られた。納得いかない」

「いやいやヒロネ先輩、私達高校生なんですから。R-18的な回答は自重しなくちゃと思うんですよ」

「じゃー某青狸の世界で販売中止になったどこでもガ〇とでも書けばよかったの?」

「それもどうでしょう」

 

 休日の学校で。

 私こと鳥塚ヒロネは、先日行われた国語の小テストの設問のクソさ加減を後輩相手に愚痴っている。髪を短く切り揃えたショートボブの女の子が、あんまりストレートな発言は止めた方がいいですよ的な事を言ってるけど、これでも自重したんだよなあ。生々しい表現はぼかしてるし、R-15レベルの回答に収まってると思うんですが、そこんとこどうでしょう後輩クン。

 

「どこかで聞いたような名前ばかりが出てくるのはおいといて……。自分的には終盤の、何が何でも男と添い遂げたい女のエゴと、かなわぬ初恋の相手の姿を実の娘に重ねて、心の穴を埋めようとする男の倒錯した心理の方がヤバく感じるんですが」

 

 君もまだまだ青いね。こういうのは日本でもっともノー〇ル文学賞に近いと言われる作家・村〇春樹が得意とする作風だよ。それに今は野菜の化け物がセンター試験に出てくる時代だよ。これまでの常識が通用しない時代だよ。いくら何でも性的描写のある作品が出てくることはあり得ない? 世界レベルの大作家のネームバリューはその幻想(ハードル)をぶち壊す……!

 

「それで、正解は何だったんですか?」

「虹の橋」

「設問の回答まで北欧神話のパクリですか。無茶苦茶ですね」

 

 そうだろうそうだろう。光ってるとこしか共通点ないじゃないか。虹を匂わせる要素、どっから湧いて出た。そもそもあんなどこかで聞いたような童話をごった煮にしたカオスな物語の真面目な感想を書けという方がおかしいのだ。私は空気を読んでちょっとおしゃまなジョークの一つをかましただけだ。うん、私、悪くない。

 

 愚痴を言うだけ言うと、気分は晴れるが喉も乾く。ペットボトルに入ったミネラルウォーターを一息で飲み干してから、机に置いたクラリネットを手に取った。今更だけど、別に愚痴を言う為だけにわざわざ休みの日に学校に集まった訳ではない。ふざけるのはここら辺で止めにしないとね。

 

 「さてと、それじゃそろそろ練習を再開しようか」

 

 (ほこり)臭い空き教室に置かれたメトロノームのテンポを曲に合わせて、二人に合図を取った。二人とも頷き、真顔になって姿勢を正し、クラリネットを構える。休憩していい時と、そうでない時のオンオフの切り替えは出来ている。最初の休符が切れるタイミングで、キーにかかる二人の指が楽しげに躍動(やくどう)し始め、クラリネットの音色が響き渡る。弱々しく、しかし不規則な旋律。時々、急に早くなったかと思うといきなりゆっくりになったりする。これが今度の定期演奏会で演奏する曲の特徴だ。

 最後まであと少し。そう思った瞬間、虚空(こくう)に響き渡るクラリネットの旋律のかけらが途切れた。

 

「やっぱり、息が続かない?」

「はい……。どうしてもこの辺でへばってしまいます」

 

 後輩クンが申し訳なさそうに項垂れる。そんなにしょんぼりしなくてもいいんだけどな。経験者といっても楽器が違えば勝手も違う。急場しのぎの促成栽培だから、限界があるのは初めから分かり切っていた事なのに。

 

「だけど何かおかしいんですよ」

「おかしいというと……具体的には?」

「なんというか吹き始めから微妙に苦しくて。それでこのあたりで息苦しさがどうにも我慢できなくなる感じで。息が続かなくなるという感じとも、少し違う気がします」

 

 後輩クンは、まじまじと手に持ったクラリネットを見つめている。

 

「それに。言われた通り普通に吹いてるはずなのに、何か音が小さい気がします。これ……、あの三年生が使ってたやつですよね? メンテもおざなりでどこかおかしくなってるんじゃないんですか」

 

 日中の陽光を弾き返す光沢も失われた彼のクラリネットは確かに古い。もともと年代物でくたびれている。それに加えて、事実手入れが行き届いていたとは言い難いので、古いというより貧相という印象が濃かった。

 でも、音が出ないように感じてしまうのは、そういう理由でもないんだけどね。

 私は苦笑しながら、席を立った。

 

「楽器のせいじゃないよ」

 

 私は後輩クンに近づいて、自分の目を指さす。

 

「クラは一番指揮者に近いところで演奏するでしょ。だからこの目。奏者の目と、譜面台と、指揮者の指揮棒で形作る三角形の角度がキツくなっちゃうの。他の楽器よりね」

 

 私は人差し指であごを押して、軽く頭を下げる。いわゆる、あごを引くという奴だ。そしてその姿勢のまま上目遣いになる。

 

「指揮を優先して見るようにすれば何も問題ないんだけど、楽譜を暗記できてないうちはそうもいってられないよね。だからこんな風にあごを引いて譜面台と正対して、上目遣いで指揮を見るようになっちゃうの。この姿勢で楽器を吹くと、息の圧が足りなくて音が小さくなったり、それでも無理に音を出そうとして息苦しくなったりするんだよ」

 

 そして私は彼の肩に手を置いて、黒板の方を指差す。

 

「最前列でクラを吹くコツは、顔はまっすぐ、譜面台とも指揮棒ともぶつからず。目線の上げ下げで、楽譜と指揮の確認をすませるの」

 

 私は指揮棒代わりのペンを右手に取って、彼の正面に立った。

 

「物は試し。そこら辺気を付けてもう一回やってみようか」

 

 後輩クンの準備が出来たのを見計らって、私はペンを振り下ろす。しんと静まり返った教室に、ゆっくりと旋律が流れ出した。区切りの良いところで、私は空いていた左手で女子生徒とコンタクトを取る。彼女は即座に私の意図を理解して、クラリネットに息を吹き込んだ。それで、楽器が温まる。温まった楽器は目を覚まして、まともな音色を出すようになる。ほどなくして旋律が重なり、心地よいメロディーが教室に響き渡った。

 私や一年の女子生徒とは違う、にわかづくりのクラリネット奏者にしては、彼は良くやっていた。人前で気に呑まれるという事も無い。わずかに体の動きが硬いあたりに、私のアドバイス通りにしようと意識しているのが伝わってくるけれど、この調子なら自然にできるようになるまでそうかからないだろう。

 洗練されてはいない、けれどどこか心温まる音の余韻を残したまま、合奏は終わった。

 

「うん! なかなか飲み込みが早いじゃない。言われて直ぐ修正出来るなんて。君って頭がいいのかな。それともスジがいいのかな」

「ヒロネ先輩の教え方がいいんですよ!」

「あははっ。そうかな」

 

 後輩クンが何か言いだすよりも早く、女子生徒が断言する。もうクラリネットパートには、彼女しか一年生は残っていない。一人だけになってもこうして休日まで部活に来て、私を慕ってくれいているのが健気なんだよなあ。

 

「ありがとうございます、鳥塚先輩。これで今度の定演、何とかなりそうです」

「お礼を言うのはこっちだよ。今は人手が足りないから仕方ないけど、無理にヘルプを頼んでるんだから」

 

 心地よい光景だった。私の事を慕ってくれる後輩と、一時のレンタルだけど鍛えがいのある後輩に囲まれて。

 いつまでも、こんな日が続いてくれればいいな。本心から、私はそう願った。

 

 

 

 

 

 

 ……なんだか、ひどく懐かしく、暖かいものに包まれる夢を観た気がする。

 

 先生が一人ぼそぼそと話すだけの、単調この上ない本日最後の授業。眠りの呪文の従弟分(いとこぶん)くらいは名乗れそうな説法に根負けしてうとうととしている内に、私は過去の記憶の海原を漂っていたらしい。クラスメイトはみな部活なり予備校なりに行ったのか、たまたまそういうタイミングだったのか、放課後の教室には人気が無かった。

 まだ(まぶた)が重い。心地よかった夢想の余韻を楽しもうと二度寝したくなるのをなんとかこらえる。部活があるんだから、いつまでも居眠りしてちゃ駄目だ。

 重い瞼をこすりつけて、おぼろげな視界を洗浄していると、教室の扉を叩く音がする。

 

「鳥塚先輩、いますか?」

「……ご用件の人物は、現在電源が入っておりません。ピーという発信音のあとに、ご用件だけ話しておとといきやがれです」

「もう約束の時間ですよ。あと寝起きなんでしょうがキャラ崩壊してますよ先輩」

 

 約束。脳裏をかすめるその言葉に、私は慌てて姿勢を正す。そうだ、これから蔵守との打ち合わせがあるんだった。手鏡を出して自分の顔をのぞく。寝癖は……、無い。涎も……、垂らしてない。よし。

 

「いいよ。入って後輩クン」

 

 夢の中に出てきた頃より、いくらか成長したのか声色が低くなった蔵守の事を、咄嗟(とっさ)にそう呼んでしまった。教室に入った彼は一瞬目を丸くしたが、すぐに納得したように独り()ちる。

 

「そのあだ名で呼ばれるの、かなり久々です」

「夢を見てたの。定演前のころの。そのせいだよ」

 

 あの頃からだったかな。ヘルプ要員としてクラに入り浸るようになった後輩クンを、普通に呼び捨てにするようになったのは。

 

「疲れているのなら、クラの演奏聞くのはまた明日にしますか?」

「ううん、今お願い。鬼の居ぬ間に、おかしなところは押さえておきたいの」

 

 職員会議と研修会で放課後の予定が埋まっている滝先生は、今日の部活には顔を出せない。だからといって気は抜けない。休みの間に何ら為すところがなければ、無策を非難されるのは分かり切っていた。だから緊張感を以て練習に取り組むつもりでいるが、もう一つ。予防線を張っておく必要がある。

 そこで毎日先生と一緒になってクラに来ている蔵守に白羽の矢を立てた。クラの演奏を聴いてもらって、なにがしかの有用なアドバイスがもらえればそれでよし。得られなくとも、無為に過ごしてた訳ではないという証明ぐらいにはなる。

 

「了解です。でも本当にいいんですか? 島やクラの先輩を差し置いて、違うパートの自分がこういう事をするのは……」

 

 筋が違う、と言いたそうだった。この約束も、その点を懸念した彼を説得して実現したものだ。気を回し過ぎる。と思わなくもないけど、唯一の二年生パートリーダーという特異な立ち位置のせいで、実際何かとめんどうな配慮をさせている。

 

「いいんだよ。味見はし過ぎると、味が分からなくなってくるんだから」

「聞きなれた身内の評価は当てにならないって事ですか」

 

 頷いて、ラジカセにクラの演奏を録音したCDをセットした。本当はみんなの、生の演奏を聴いてくれた方がいいのだけど、それをやれば彼は必ず私達の顔色を窺ってくるだろう。そういう性分の後輩だ。

 

 ♪~

 

 曲が流れる。蔵守は耳を傾けながら、真剣な表情でクラリネットの楽譜に記された音符を追う。最後のフレーズが奏でられる。そして私はラジカセのスイッチを切り、対面に座する彼に声を掛けた。

 

「どう……かな?」

「……最初の合奏の時と比べたら、格段の進歩だと思います。ボリュームも人数相応のものになっていますし、大人数なのに一人一人のテンポもずれてない」

 

 そう言いつつも、蔵守の表情はいまいち冴えない。隠し事のできない後輩だな、と思う。本当は気になるところがあるんだろうけど、先輩相手だとそれが言いにくいんだろうなあ。ここは私の方からリードしてあげないとね。

 

「ここには私と後輩クンしかいないんだから。気になるトコは思う存分しゃぶっちゃっていいんだよぉ」

「は……? 何を?」

 

 あ゛あ゛あ゛あ゛あっ!? 寝起き間もないせいかろれつが回らないっ!? なんかいかがわしい台詞になっちゃったよ! 

 

「ちっ違、これは違うんだよ! 今のクラの演奏で気になったトコあれば、怒らないから思うまま言ってくれていいって意味で!!」

「アッハイ」

 

 ッッッッィィィィイイイイヨッシャアアアアァァァァ!!!! 軌道修正できた!

 

「では遠慮なく言わせてもらいますけど……鳥塚先輩、最近のクラ、お互いに話が出来ていないのではありませんか?」

「おっふう」

 

 ブラウンのセーラーブレザーに隠されたブラウスが汗ばむ。

 思いのまま言わせたらクリティカルヒットをくらっちゃいました。洞察力が鋭すぎだよ後輩クン。一番知られたくない事を気づかれたよ。

 

「……どどどうして、そう思うのカナ?」

 

 動揺を隠しきれないので、かわゆく言ってみる。うん、自分でも何言ってるのか分かんない。

 

「今言った通り、音自体は前よりずっと良くなってます。でも何かしっくりこないんです。一人一人は前より仕上がってて、テンポがズレてる訳でもないのに、パート全体の旋律としてみると、どこかまとまりがなくて」

 

 賞賛、疑問、不審と、蔵守は忙しく言葉と表情を交代させる。

 

「どうしてそうなるのか考えてみたんですけど。みんな一人で練習してばかりで、楽譜の微妙なところをそれぞれの解釈で吹いて、そのせいで微妙なズレが生まれてる。……という感じが一番しっくりくるんです。自分の事しか見えてなくて、周りの音が聴けてないというか、曲のイメージをパート全体で共有できてないから、そうなってしまうのではと」

 

 私は、はあ、とため息をついて椅子に寄りかかった。

 

「蔵守に見破られるようじゃ、滝先生やあすかに聴かれたら絶対突っ込まれるよね……」

「みんな自力で何とかしようと頑張ってるんですよね? それはそれでいい事だと思いますけど、そのせいで意思疎通に齟齬(そご)が生じるんじゃあ意味ないですよ」

 

 同じパートなのに、コミュニケーションが取れていない。そのことを、蔵守は心配しているようだった。

 各自の状況報告は、一応は上がっていた。あくまで一応で、正確な報告が過不足なく上がってくる事はない。まだ多くを求められない初心者や、一部の中学で鍛えられた経験者を除くと、みんな、滝先生のレッスンだけで疲弊しきってしまうのだ。それで、部活の終わりにパート内で行うミーティングは活発なものになりえない。部活の初めの方にミーティングを持ってきても、同じ事だった。至らない点を責められたくない。それを思えば、自然と口調も歯切れが悪くなる。

 無理にでも口を開かせようという気力は、とうに私から失われていた。落伍(らくご)しかかっている人がいたとしても、かつてのようにフォローにまわれるほど、今の部活動は甘くない。

 

「このこと、滝先生に言っちゃう?」

 

 我ながら卑怯な言い方だ。先生につくか私につくか、そういう言い方をされて私を(そで)にできるような人間ではないのは分かっている。

 

「……まさか。でも、黙っていても問題の先延ばしにしかなりませんよ」

「問題が起きるたびに報告していたら、私はこれからも毎日叱責される羽目になるよ」

「滝先生に報告しにくい空気がある、というのは良く分かります」

「どっちみち怒られるにしても、そこから攻めれば私も反撃のしようがあるんだ」

 

 そもそも先生の「何年もやっているのにこんな事もできないんですか?」的な態度がよくないのだ。そういう出来ない事を馬鹿にするような態度を取られたら、誰だって馬鹿にされたくなくて、相談しにくい。そして(だま)し騙し行動している内に、だましきれなくなってポカをやらかす。それでは誰も得をしないではないか。

 私が胸の内を切々と語ると、蔵守は神妙に頷く。

 

「滝先生って、そういう人の心の機微に疎いみたいですからね。ネガティブな反応がくると思えば、報連相しなくちゃと理屈で分かっていても、気持ちの方がついていかないでしょうに」

「ほんとそう。音楽界の偉人達って奇人変人が多いけど、滝先生もご多分に漏れず、パラメータの割り振りが常人のそれと異なるのよ」

 

 割り振り可能な数値の量も、常人に比べて膨大というわけではないらしい。音楽方面に数値を特化させた代償に、普通の大人なら育っていて当たり前の分野が、どうにも伸び悩んでいる感じがする。

 

 そんな事を思っていると、強い日差しが顔にかかった。正直眩しい。

 

「カーテン、閉めますね」

 

 私の仕草に気づいた蔵守が、立ち上がる。

 

「いいよ。眩しいけど、ちょっと日に当たりたい気分だから」

 

 私も立ち上がって、窓際の席に座り直した。ちょうど一週間後の発表の折り返し地点に差し掛かった事もあり、今日は進捗状況の確認を兼ねて(とお)しの合奏がある。正直、気が重かった。思うように練習スケジュールは進まず、どう言い訳をすればいいかも分からない。

 

――いっそ受験に逃げてしまおうか――

 

 北宇治は、一応は進学校だ。特に受験を控えた三年生は、格好がつく退部の理由に不自由していない。封印しかけていた禁断の誘惑に、ここのところ魅了されかかっている。

 

「鳥塚先輩、どうしました?」

「えっ?」

「いえ、なんか急に怖い顔になって……」

「怖い顔ってなんだよ。女の子に対して失礼だぞ」

 

 私は頬を膨らます。そりゃあ楽器を吹くからリップは普段からつけてないし、化粧だって学校にいる間はろくにできない。吹奏楽部に入ってからというもの、女としてのみだしなみはいくらか捨てている。ただ、女としてのプライドまで捨てているかと言われると、それはまた別問題なわけで……。

 

「もっとこう、物憂げな顔してますよとか。言い方あるでしょ」

「じゃあそれで」

「なめんな」

 

 ファゴットの岡直伝の頭ぐりぐりで蔵守にヤキ入れてやる。岡によると、これを今年に入ってもう二桁単位でやっているらしい。そんな風に(いじ)り合えるダブルリードパートの距離の近さに、羨ましさを覚えもする。

 

「丸パクリしてないで、ちょっとはアレンジなさい」

「えー……。そんな事に労力使いたくないんですが」

 

 心底嫌そうな顔をしちゃって。女の顔の事をそんな事とか言うのよくないぞぉ?

 

「テンプレに従っておけば、少なくともセクハラだのキモいだの言われずに済みます」

「そんな事言わないから。セクハラだと思ったらまた頭ぐりぐりして、キモいと思ったら蹴りいれるだけだから」

「逃げ場がない……」

 

 蔵守はぽりぽりと頭をかいて、考え込む仕草をしてから前言に化粧をかけ直した。

 

「……そんな不景気な顔して、どうしたんですか先輩? せっかくの綺麗な顔が台無しですよ」

「はいセクハラ」

「なぜに!?」

「女の顔をどうこう言うなと言ったばかりじゃないか……全く、重ね重ね失礼だね君は。この美肌がなまじの努力で維持できると思うのかい? 朝起きたら手入れして夜寝る前に手入れして、休みの日はお昼も手入れして。男の吹きさらしほったらかしのガサガサ肌とは訳が違うんだよ」

 

 化粧はただの飾りじゃないんだよ日焼け止めと同じなんだよ若い内からちゃんと手入れしてないと急速に劣化するんだよ君だってどうせ女を頭より顔と体で選ぶんでしょそれなら女がどれだけ身だしなみに心を砕いているか分かってよと、マシンガン説教を喰らわしていると、開け放たれたガラス窓からふわっとした風が教室を吹き抜けて私の髪を揺らす。閑散とした教室の窓から覗く中庭では、テニス部の新入部員と思しき子達が、熱心に素振りを繰り返していた。

 

「テニス部って、毎年男子が大勢入るんだね」

 

 テニス部も吹奏楽部も、女子が率先して男子部員の勧誘に励むのに、前者は入れ食い状態で後者は雀の涙。この差は一体何なんだろ。

 

「あはは、そりゃそうですよ。胸が強調されるテニスウェアを着て、短いスコートをひらひらさせて、笑顔で女子テニス部員が手招きしてきたら、大抵の男子はふらふらってついていきますよ」

 

 邪気の無い笑顔で蔵守が言う。悪びれないんだから。

 

「まったく、男子はバカばっかりだね」

「同じ男としては、ああいう目に毒な服装で勧誘してくる女子もどうかと思うんですがねえ。眼福だから面と向かっては言いませんけど」

 

 目に毒と言えばサンフェスで纏うユニフォームも、なかなかに煽情(せんじょう)的だった。頭では分かっていたつもりでも、男子からそういう目で見られていますよと改めて言われると途端に羞恥心が込み上がる。

 熱をもった顔を振り回しながら苦言を呈した。

 

「……あのねえ。そういう男の本音は、男だけの場だけにして欲しいんだけど」

「男だけだったら、もっとどぎつい事を平然と言い合ってますよ」

 

 一瞬、背中に氷河期が来た。

 ぎょっとして蔵守の事を見つめ直したけれど、彼の表情も口調ものんびりしたもので、咄嗟にどう返すべきか判断に迷った。殊更(ことさら)に偽悪的な発言を繰り返すのも、愚痴や不満を滅多に表に出さない彼の、内に(こも)った屈折した心理の表れなのかもしれない。

 

「それに誘いに引っかかってきたら、女子だって私に魅力あるんだと誇らしい気分になりませんか? 男子は眼福。女子は自尊心をくすぐられる。win-winじゃないですか」

 

 蔵守は女の面倒な心理も分かっていない。魅力的だと思われたいのと、性的に見られたいのはイコールじゃない。

 

「吹部も、そんな風に出来たらいいですよね」

「え?」

 

 蔵守は窓辺に両肘(りょうひじ)をついて、どこか遠い目をして(つぶや)いた。

 

「先輩が後輩に楽器の吹き方を教えて、後輩は教え通りにちゃんと吹けるようになる。後輩は今まで出来なかったことが出来て嬉しい。先輩は教え方に自信を持てて嬉しい。難しいフレーズを吹けるようになったら嬉しい。みんなで合わせられるようになれれば、もっと嬉しい」

「……」

「去年の吹部は、コンクールまではホント滅茶苦茶で。代替わりしてからもしばらくは混乱してました。けど、定期演奏会では久々にそういう機会を持てて、結構楽しかったです」

「クラに代打要員で居座ってた頃だね。あの頃は人数が激減してたからね」

 

 担当楽器が変わって文字通りゼロからのスタート。砂が水を吸うように、教わった事を次々と身に着けていく彼とのレッスンの日々は、確かに私も教え甲斐があった。

 

「一生懸命指導してもうまくいかない事に、指導する側が自信をなくしたり。指示通りに出来ない事をなじって教わる側が委縮したり。そういうのって、どちらにとっても不幸ですよね」

 

 前者はさておき、後者が何を指しているかはおおよそ察しが付く。

 

「蔵守は、さ。滝先生のやり方に反対なの……?」

「指導内容それ自体は、理に適ってると思うんですけどね……」

 

 そこまで言って、蔵守は語尾を濁す。

 声には出さないが、後に続く言葉もまた滝先生に対する評価というわけだ。

 

「でもきっと、誰が顧問になってもこんな惨状になってたと思いますよ。本気で全国に行こうとするのなら」

 

 中庭で素振りを続ける女子テニス部員を睥睨(へいげい)していた蔵守が、ちらりと私に視線を投げかけた。

 

「滝先生の指導を見ていて思ったんです。府大会銅賞の吹部を一年で、いや全国行きを決定する関西大会は夏休み末だから実質四ヶ月弱か……。それだけの時間で、全国に行こうなんて無茶ですよ。その無茶を現実のものにしようとするから、どこかで無理が出てしまう」

 

 感情が読めない表情をして、じっと私を見つめてくる蔵守の視線から逃げたくなった。あの多数決で、全国を目指す方に手を挙げた貴方は、その無理に耐える覚悟はあったのか。そう訴えかけてくるように感じて。

 確かに考えが浅かった、でもこんな事になるとは思わなかった。そんな叫びを誰かが聞き届けてくれてもいいのではないか。

 私は去年から初心者のりえちゃんに指導したり、今年も新入部員に手ほどきはしている。去年までの三年に比べれば、私はずっと仕事している。だから、滝先生にパーリーとしてクラリネットをまとめきれていないとなじられても、どうしてもっと自発的に行動しないのですかと詰め寄られても、頭はともかく心の理解が追い付かない。どうして滝先生は、私のことをもっと分かってくれないのですかと。

 

「……手間取らせちゃったね。私もそろそろ練習に取り組まないと」

 

 蔵守に背を向けて、扉の方へとぼとぼと歩いた。これ以上この場にいたくない。

 

「先輩、どちらへ? もう部活始まりますよ」

 

 進行方向が音楽室とは真逆な事に、目ざとく気づいた蔵守が(いぶか)しむ。

 

「……ちょっと一息ついてくるだけ。大丈夫、合奏の時間までには戻るから」

 

 廊下に出た途端、急に嘔吐(おうと)感が込み上げて、視界がぼやけた。

 

 




竹製の楽器は実在します

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