「ぼっちちゃんに友達絡みのアドバイスを期待した私がバカだった……」
「ただの思いつきなのは否定しないけどさ、さすがにその言いざまはあんまりだと思うわよ!?」
「あんまりなのは岡さんの電波なアドバイスだよ……」
「別に仲直りのタイミングでBGM流せって言ってる訳じゃないわよ。吹奏楽部で小コンサートでも開いて、喧嘩したクラスメイトを招待したらどうって言ってるの。お嬢様達にはお似合いの、高尚な遊びでしょ?」
「むむむ……」
音楽は平和を運ぶ。なんて、月並みな言葉を私も信じている訳じゃない。ただ、お気に入りの音楽を聞いていると心が和む。それは日頃から実感しているのでよく分かる。そもそも喧嘩のきっかけが些細な事なら、仲直りのきっかけも些細な事でいいはずだ。
我ながらナイスアイディアとは思ったものの、当の本人はイマイチ気乗りしないのか、放課後になっても教室の机に突っ伏したまま。うーうーと唸っていたが、他に妙案も思いつかなかったのか観念して立ち上がった。
「……わかった。先生に相談してみる」
「よし、いってらっしゃい」
私は手をヒラヒラと振って、喜多村の健闘を祈った。
「岡さんも来るんだよ!」
「なんでよ!?」
「言い出しっぺでしょ!」
雄弁はなんとやら、私は喜多村に音楽室まで引っ張られる羽目になった。
とはいえ、この学園は広い。幼小中高一貫教育という事もあり、敷地内の設備も充実している。伝統ある学校という事もあってか、敷地面積は私が通っていた小学校とは比較にならないだろう。校舎から音楽室のある棟まで移動するだけでも一苦労だ。
「喜多村。アンタいつもこんな苦労して部活行ってんの……」
「これもある意味、吹部のトレーニングみたいなものだから……」
喜多村は息も絶え絶えになりながら答えた。
吹奏楽部と、運動部の真似事みたいなトレーニング。2つのパズルが私の中で噛み合う事はなかったが、私も余力はなく敢えて追及する気にもなれない。そしてようやく目的地に到着。喜多村が音楽準備室をノックすると、室内から「入りたまえ」といういささか芝居がかった女性の声が返って来た。
「失礼しまーす……」
喜多村に続いて足を踏み入れる。音楽準備室に入るのは初めてだ。奥には、ピアノが1台鎮座している。その周りを囲むように、楽器棚や譜面台が所狭しと置かれている。まるで音楽の城塞だ。音楽関係の施設なんだから、当然と言えば当然だが。
「すまないね。今さっきまでピアノの手入れをしていてね。こういう時でなければ私の方から扉を開けて招きいれるんだが」
ピアノ椅子に陣取った女の先生が申し訳なさそうな顔をして声をかけてきた。おそらくこの人がお目当ての吹部の顧問なのだろう。黒い髪を後ろできつく束ねあげ、濃い目の黒服でほっそりした体型が強調されている。綺麗というより格好いいという印象が先に来る人だった。
「ともあれ我が城へようこそ。喜多村くんは今日も校則ギリギリのスカート丈からのぞくすらりとしたおみ足がまぶしいね。遵法精神など歯牙にもかけぬ君のささやかな中二病の発露は、後進達が私もかくありたいと思うレジェンドへと育つのか、ああはなりたくないものだと思われる黒歴史へと育つのか、はたまた凡人のごとく萎んで消え失せてしまうのか。未来は神のみぞ知るといったところかね」
え、なにこの人。私目的地を間違えた?
私は一旦部屋を出て教室のプレートを確認する。音楽準備室。間違いない。
また部屋に入る。中にはピアノや譜面台、楽器棚には楽器がずらり。間違いない。
「絵に描いたような美しい"私、場所間違えた?"ムーヴをありがとう。しかしメガネをかけていないせいであっさり淡麗風味すぎるね。50点だ」
「先生は相変わらず採点が厳しいです」
喜多村はこの変なのの事は承知しているらしく、苦笑するばかりだ。
「これでも一年生には甘めに採点しているうもりだがね。それよりも喜多村くん。君はこの子に私の事をよく教えないまま不意打ちを喰らわせたようだね。気分はさしずめドッキリ成功、してやったりといったところか。このいたずら小僧ならぬいたずら小娘め。タチの悪い
「それは大丈夫です。私も悪戯は時と相手を選んでやりますから」
「ほう、それでは彼女が噂の岡くんかね」
先生はピアノ椅子から立ち上がって私の前に歩み寄ってきた。背が高い。180cm以上はあるだろう。私は少し
「……
「私は中等部の吹部の顧問をしている
「いや愚劣だなんて思ってませんけど。場違いなところに来てしまったとは思ってますけど。ぐれて不良化したと思われるのは心外なんですけど」
「まだ青い君にひとつ、人生訓を垂れてあげよう。不良というのは非行に走る分かり易いタイプと、協調性の欠如から孤立して斜に構えるようになるタイプに二分されるのだよ。君はどちらかと言うと後者だろうね」
「こ、孤立してねーし!」
「私も後者だったから案ずるな!」
「先生、それは全く自慢になりません」
喜多村が突っ込む。
うちの吹部の顧問が変人過ぎる。……なんてラノベのタイトルみたいな言葉が浮かんだ。ここまで癖の強そうな先生を見たのは初めてかもしれない。
「私も後者だったから案ずるな!」
「何で2度言う!? だから孤立してねーって!」
「休み時間は、用があるふりをして校内を徘徊しているのにかね? そんな小細工したところで、ぼっちである事を隠し続けるにも限度があるぞ」
「ストーカーかあんたは!?」
「今も昔もぼっちの考えることなどそうそう変わらんということだ。経験者を見くびるな」
見くびるとか以前に、人間としてどうかと思う。この教師。
とりあえず分かった事がある。このセンコーは根本的に相容れないタイプだ。私の中で、この女は要注意人物とマークをつけた。
「それゆえ必要とあらば私自ら矯正に出向くところであったが……、どうやら杞憂だったようだ。こうして吹部の顧問である私のもとに、吹奏楽部員である喜多村くんと一緒にやって来たという事は、つまりそういう事だと解釈していいのだね?」
「違います」
別に吹奏楽部に入る為に来たわけではない。
「なんだ、違うのかね。このままではいけないと、自発的に動く内はまだ救いがあるものを」
「吹奏楽部に、一働きしてもらいたいことがあってきたんすよ」
私が投げやり半分にそう言うと、橋本先生は目を丸くした。
「……ふうむ。確かに私は君の事を見誤っていたようだね。吹奏楽部員でもない一年坊が、吹部をパシらせようとは。これはよほどの大物か、それともどうしようもない身の程知らずか。君の思惑を、しかと拝聴させてもらおうではないか」
私はここに来た経緯を橋本先生に伝えた。先生は私の話に一々頷き、やおら口を開いた。
「話は分かった。喜多村くん、今日のミーティングで、今年の部活の方針を決める事になっているのは無論知っているね」
「はい」
「今の話も今日のミーティングで、合わせて
「先生は、吹奏楽部の部員の事を私の可愛い子供達っていうの」
喜多村が、私の耳に
「ああそれと。岡くん、君もオブザーバーとしてミーティングに参加したまえ」
なんでよ。本日2回目。
「まだどの部活に入るか決まっていないのだろう? ならば丁度いい。吹部の活動をその目に焼き付け、後日の検討材料とするがいい」
「はーい、みんなちゅーもーく」
放課後の音楽室。結局流されるまま、私も吹奏楽部のミーティングに参加する羽目になった。部員が揃ったのを見計らって、吹部の部長と思しき人が音楽室の前方に置かれた指揮台に昇って手を叩く。
「今日は、今年の吹部の方針を決めたいと思います。具体的には、コンクールで上位進出を目指して厳しくやるか。それとも気楽にやるか。どちらかです。これから一年間の活動の指針になるので、皆さんよく考えて下さい」
「コンクールは、吹奏楽部にとっての一大イベントなの」
喜多村が、吹奏楽のすの字も知らない私向けに教えてくれたところによると。
コンクールでは、主催側が指定するいくつかの課題曲の中から好きな曲を一つ。コンクールに参加するそれぞれの吹奏楽部が自分達で選んだ曲を一つ。二曲合わせて12分以内の合奏を行うという。
大会の流れは、最初の都道府県大会が7月末から8月初め。支部大会が8月下旬。全国大会が10月下旬、という感じでかなり長期間に渡っている。
コンクールで演奏する二曲の練習に取りかかるタイミングは学校によるらしいが、部活動のかなりの時間、コンクールの練習につぎ込む事になるのは間違いない。まともに参加する気なら。
私は飽きっぽい。たった二曲。合わせても12分で終わるものを、何ヶ月も繰り返し練習するのかと思うと、よくも気が続くものだと呆れ感心する。
「岡さんは、気楽にやる方、厳しくやる方、どっちがいいと思う?」
「どっちでもいいよ。私は」
喜多村の問いかけに、投げやりな返事をした。そもそも私は部外者だ。吹奏楽部にヘルプをお願いしただけで、吹部の方針など知った事ではない。
一方の部員達の反応はどんなものかと、ざっと音楽室の中を見回してみたが、ある事に気付いた。入部間もないわりには、どこか覇気が感じられない同級生が少なくない。この学園の中等部は、部活は全員参加。帰宅部は家庭の事情などの特例を除いて認められていない。他に興味がある部活もないので仕方なく、といった感じで無理に駆り出された雰囲気があった。
そんな新入部員達を前にして、それまで音楽室の隅に寄りかかっていたあの先生が声を上げた。
「決を採る前に、私から言わせてもらっても良いかね?」
新入部員達の視線が橋本先生に集中する。上級生達は心得た様子で、どうぞと先を促した。
「まずは新一年生の諸君。吹奏楽部への入部おめでとう。私は、いや、我々吹奏楽部は諸君を歓迎する」
そう言って橋本先生は拍手した。歓迎というわりには、表情も声音も笑っていなかった。
「一つだけ確認しておきたい。諸君も小学校でリコーダーや鍵盤ハーモニカぐらいは習っただろうが、トランペットやクラリネット、サックスなど、吹奏楽で使う楽器までかじった人はいるかね?」
橋本先生の質問に一年生同士、顔を見合わせては首を振る仕草を繰り返す。
「私はミーハーだから。興味本位の入部なの」
喜多村が、ぺろりと舌を出して呟いた。まあ、部活の入部理由なんてそんなもんだろう。一年生達の反応は、先生にとっては想定の範疇だったらしく、特にこれといって気にする様子もなかった。即戦力になりそうな新人を漁ろうとしたわけではないらしい。
「まあそんな酔狂な人間はそうそうおらんだろうな。吹奏楽は、諸君のように中学にあがってから始める人がほとんどだ。別にがっかりしている訳ではないぞ。新入部員の経歴の確認は、毎年やっている事でね。例年と比べて、諸君の経歴にあまりにも偏りがあるようだったら、余計な発言になるかもしれないから黙っているつもりだったのだ」
そう言って、橋本先生はぐるりと音楽室を見回した。
新入部員達は先生の発言の意図を
「私は、吹奏楽初心者の諸君に、コンクールの為に長い時間練習させるつもりはない。いや誤解しないでくれたまえ。コンクールに参加する事自体を認めない、と言っている訳ではないのだよ」
橋本先生の発言は、私や喜多村が予想していたよりも斜め上だった。先生は、驚きざわめく一年生達を尻目に、音楽室の黒板に"60%の演奏"という短い言葉を書き込む。
「60%の演奏。これが私の吹奏楽に対するモットーだ。吹奏楽の世界に入り込んだばかりの雛鳥である諸君は、コンクールで演奏する曲にせよ、別の機会に演奏する曲にせよ、がっつり100%完璧に仕上げる必要はないのだよ」
それから橋本先生は、黒板に絵を描いた。下手な絵だった。それでも、その絵がトランペットを楽しそうに吹いている子と、辛そうに吹いている子を描いている事は分かった。
「今ここにいる上級生の中には、演奏が上手い子もいれば下手な子もいる。初心者の諸君も、夏になるころには出来る子と出来ない子で分かれてくるだろう。だが私は、吹部を、出来ない子にとって肩身の狭い空間にするつもりは更々ない。部員全員で出来る事をみんなで考えてやりたいのだよ。一緒になってつくる音楽の楽しさを、まずみんなに知ってほしいのだよ」
音楽室が静まり返っている。みんな橋本先生の言葉に聞き入っている。どうやら、この変人教師は音楽に対するこだわりだけはいっぱしのものを持ち合わせているらしい。私もいつの間にか、先生から目を離せなくなっていた。
「だから、全体としては60%の演奏でいい。そこまで出来たら、新しい曲の練習に入る。そうやっていろんな曲に親しみ、演奏を楽しんでもらいたい。長い時間をかけて、一つ二つの曲に真剣に取り組み、観客を感動させる音楽も勿論ある。だがそういうのは、吹奏楽の強豪校や高等部に進学してからでも遅くはない。高校生になってから思いっきりやってほしいのだ。というのも……」
それまでとくとくと持論を展開していた橋本先生が、急に重苦しい雰囲気を漂わせ、沈鬱な視線で私達一年生を見やった。
「やる気に溢れて吹部の門を叩いてくれた新入生諸君に水を差すような事を言って、本当に申し訳ないと思っているよ。だがコンクールでいい賞を取りたい。それがどれだけ大変な事か、深く考えず周りに流され、厳しい活動についていけず吹部から去っていく子を、吹奏楽を嫌いになってしまった子を、私は何人も見てきたのだ。君達にはそんな風になって欲しくない。私からは以上だ」
長話をよく聞いてくれたねと、橋本先生は深々とお辞儀して音楽室の隅に引っ込んだ。
座はしんと、静まり返ったままだ。喜多村もただぼうっとして、先生を見つめていた。
この先生は、部活の顧問よりアジテーターの才能があるんじゃなかろうか。コンクールに力を入れる方向性も否定はしない。口ではそう言うが、相手を懐柔して自身の意見を通そうという油断無さが
先生の話は長くてくどかった。だけど、先生の熱意と言いたい事は素人の私にも、いや、多分、新入部員全員に伝わったと思う。
それから10分ほど、一年生同士で意見を交換し合ってから部の方針を決める決が取られた。
多数決にならなかった。
先生は事前に理論武装をしている。一方、興味本位で入部した一年生に、吹奏楽に対する深い考えなんてない。もっともらしい意見を提示されれば、草の様になびく。声に出して先生の主張に賛意を表明する人、頷く人、手を上げる人。表現は人それぞれだが、一年生全員、先生の考えでよしとした。
吹部の先輩達は先輩達で、やはりこうなったなという感じの苦笑いをしている。
「おやおや。いくら大人しい子揃いの学校と言えど、毎年一人や二人くらいは捻くれた子が出てくるものだがね。今年は特に素直な世代なのか。可愛い奴らめ」
嬉しさの発露か、橋本先生は気色悪く腰をくねらせる。自重しろオバハン。
「捻くれた子も、先生に
「人聞きの悪い事を言うのはやめたまえ。私の真摯な思いが通じたにすぎんさ」
「はい先生、お~い〇茶」
「感謝感謝。私ももう若くないのかね、長話すると喉にこたえるよ。でも緑茶よりほうじ茶の方がいいかな」
部長の皮肉にも、橋本先生は
「では吹部の方針も決まったことだし、さっそく私の可愛い子供達に、お披露目の機会を与えようではないか。新入部員の喜多村くんにオブザーバーの岡くん。お願いできるかね?」
「はい!」「は~い」
2人そろって、返事した。橋本先生の扇動にあてられたか、喜多村は興奮気味に。私は肩をすくめながら。毒を喰らわば皿までだ。私は喜多村と横並びで指揮台に立ち、深呼吸した。
「実は――」
2年前。吹部入部前の、懐かしい日々に思いを馳せていると、慌ただしい足音と共に音楽室の扉が開いた。
「遅れてごめん美貴! あれ……蔵守くん今日もいないね?」
蔵守が音楽室から去って間もなく、来南が入れ替わりにやってきた。
「ついさっき出てったよ。来南の気配を察知して」
実際のところは、気配でも何でもない。三年に進級して、来南とクラスが別々になってからも、月曜に限って音楽室で一緒にお昼を摂るようにしている。息がつまる学園生活の中で、数少ない癒しの時間だった。
いつも昼練に来る蔵守も私のスケジュールを把握して、隣の教室で練習するようになった。私と来南の二人の時間を、邪魔しないでおこうとでも考えてるのかもしれない。
まったく、小賢しい後輩だ。だけど、そういうところは嫌いじゃない。
――月曜だけ一緒に食事なんて、別居夫婦みたいですね――
あらぬ言葉を口走った時は、一発かましてやったが。
「気配て。彼にはセンサーでも付いてるの?」
「付いてんじゃないの? 香水検知センサーとか」
「私そんなに匂う!?」
来南は慌てて制服の
「世間知らずのお嬢様にアドバイス。自分の匂いなんて、自分じゃ分かりはしない」
「むー。それ位、私だって知ってるもん」
来南が膨れっ面をしながら、隣の椅子に座った。
「遅れたお詫びに購買で買ってきたゆで卵、一つあげる」
味ついてて美味しいよ、と喜多村が寄越したゆで卵の殻は簡単に剥けた。家庭科で聞きかじったところでは、茹でた卵を冷たい塩水でもどすと、浸透圧やらの関係で味がつき、殻も剥けやすくなるらしい。私は一口で頬張って
「美味しそうだね」
私の様子をしげしげと眺めながら、喜多村もゆで卵の殻をむき始めた。
「天にまします我らの父よ。命を繋ぐ為とはいえ、生命の根源たる卵を食す私の罪をお許しください。アーメン」
ぎょうぎょうらしく十字を切った後、喜多村は剥き上げたゆで卵にかぶりつく。やっぱりお嬢様は世間知らずである。
「それ無精卵だから。食っても命を奪った事にはならないわよ」
「むせいらん?」
卵を頬張ったまま、喜多村が首をかしげる。はしたないぞ。
「ヒヨコが生まれてこない卵のこと。鶏って、つがいがいなくても卵を産めるの」
「へー。
「鶏がじゃなくて、人間がそうさせてんのよ。食べようと卵割って育ちかけの雛とか出てきたら、食欲が減退するくらいじゃ済まないから」
そんな私も小学校に上がりたての頃は、スーパーの卵を四六時中懐に抱え込んで温めたのに孵ってこない事にわんわん泣いた事がある。あの頃は私も青かった。
サンドイッチを摘まみながら、私は呟く。
「用があったのなら、別に無理して来なくてもよかったんだけど。一人で気楽に食事ってのも悪くないし」
「あー。美貴ったら。またそういう捻くれた言い方するんだから。少しは丸くなったけど変わらないね、そういうとこ」
2年前の、クラスメイトと来南の、ぎくしゃくした関係も吹部の活躍で元鞘に収まっていた。友達付き合いなんて面倒くさい。ずっと一緒だと息が詰まる。負け惜しみでもなく本気でそう思っている私は、これでようやく一人に戻れると思っていた。
そんな時にニコニコ顔で喜多村はやってきた。
――はい。吹部の入部届! 余計なところは私が書いといたから、後はサインするだけだよ?――
――……――
橋本先生のあの演説を聞く前だったら、間違いなく来南をしばき倒していただろう。あれが、どこか私の心を震わせるところがあったのも確かだ。他に入りたい部活もなかった。気が付いたら、私はサインしていた。
吹部という居場所ができてから、私も多少は丸くなったと思う。前よりも表情が柔らかくなったね、と吹部仲間にも言われた。
だけど根っこの部分までは、そう簡単に変わらない。
サンドイッチを頬張りながら、部活の事、それぞれの家の事と、とりとめのない話を繰り返した。クラスで孤立している事を匂わせるような話題は、慎重に避けた。来南に余計な心配をさせたくないというより、心配してくる事自体が、私にとっては重荷だった。そういう雰囲気を感じ取ってくれるのか、噂くらいは耳に入れているはずの来南もクラスの事は切り出してこない。
後輩の、蔵守の事が話題に昇る頃には、昼食もほぼ食べ終えてしまった。
「最近は毒を消したり、呪いを解いたり、情けない冒険者を生き返らせたりで、いろいろ動き回ってるよね。彼」
「一年のお
ミッション系だからといって、蔵守はどこぞのRPGの神父の真似事をしているわけではない。新入部員の指導で忙しいのだ。最初の内は二年生全員に持ち回りでやらせたものの、蔵守の代は特に不器用なのが多かった事もあって、すぐに問題が続出した。
中学から始めたのだから無理もないけど、どうしても二年の指導は片手落ちなものになって、やり直しになる。二度手間になってしまうのだ。この分野では同級生より1年アドバンテージがあるせいか、意外な才覚を発揮した蔵守に任せるのが一番良いと分かり、それ以降はアイツに初心者指導を全権委任する流れになっている。
最後に残ったサンドイッチのかけらを口に入れた。口の中に、マヨネーズの酸味が効いた爽やかな味わいが広がる。
椅子に背中をあずけて、半分仰向けになりながら天井を見上げた。口を拭おうと、引っ張り出したティッシュペーパーの余りを顔の前にかざして、息で吹きあげる。吹きあげたティッシュは、いくらも経たずして顔面に被さった。
「私なら、もっと長く吹きあげられるよ」
来南は、私の視界を覆うティッシュを摘むと、同じように天井に向かって息を吹きあげた。ティッシュを落とさないようにするのはなかなか大変だが、来南はこれが好きだった。余計な事を考えずに集中できるかららしい。
……十三、十四、十五秒。ようやくティッシュが来南の鼻に落ちる。
その間、来南は椅子に座ったままで、首を動かすだけでティッシュの動きを調整してみせた。確かに上手い。同級生では、このやり方で十秒超えられるのは数えるほどしかない。せいぜい七、八秒が関の山だった。来南はやや上気した表情で、呼吸を整えながら私を見返してきた。
「どう?」
「はいはい、凄い凄い。その肺活量を本番でも生かしてちょうだい」
担当する楽器がファゴットに決まっても、一年時の春先は腹式呼吸の練習が続いた。肺活量を鍛える為らしい。他の楽器を担当する同級生達は、それでいい音が出るようになったと口を揃える。私は音が小さいとよく言われるので、そんな実感はわかない。
腹式呼吸の練習は、「10人いれば10の個性があってそれでいい」という先生の方針の基、様々な方法が提示された。そして、みんなそれぞれ自分に合うと思った方法で好き勝手にやっている。
ただ、来南は本番ではどこか硬くなるところがあって、せっかくの能力を生かしきれてないふしがある。人前での演奏なら、私は来南に負けていない。
「ぐぬぬ。……ところで、二人で何を話してたの?」
旗色が悪くなったのを察してか、来南は強引に話題を変えてきた。
「進学先の事を、ちょっとね」
「そっか。外に出るなら、そろそろ考えておかないといけないからね」
来南には、もう高等部には進まない事は伝えてある。
必要はなかったけど、橋本先生にも伝えた。飽きっぽい私が今日まで部活を続けられたのも、吹部の、というより先生の吹奏楽に対する方針が水にあったからだ。吹部の居心地は、悪くない。もう三年生なのに、未だに馴染めずにいるこの学園にあって、唯一落ち着ける時間だった。吹奏楽部員という事で、音楽室でお昼を摂っても文句を言われないのもありがたかった。
「あっちは北宇治に進学する人、多いんだってね」
来南が、窓から東中の校舎をのぞいて呟いた。
「うん。今のところは北宇治も候補かな」
断りを入れた時に先生からは、吹奏楽を本気で続けたいなら北宇治はやめておきたまえと言われた。もっとも私はそこまで本気で取り組むつもりは無い。だから選択肢の一つとして消えずに残っている。そもそもこの学園の中等部の吹部だって、コンクールの方は大した成績を残せてはいないのだ。偉そうなことを言える立場ではない。
「北宇治に行くとしたら、美貴は何したい?」
「そだね。いろいろあるけど、まずは髪を伸ばしてみたいかな」
私の髪は緩いウェーブのかかったくせっ毛。ロングにした方が良さそうに思うんだけど、ここの校則は肩下まで。よく調べずこの学園に来た事に懲りたので、そこら辺の事前調査に抜かりはない。
あと、タイツも履きたい。腰を浮かして、足で踏ん張る演奏を続けてる内に、心なしか脚も太くなった気がする。以前までは気にならなかった男子の視線も、最近は気になってきた。
「うん。美貴はそっちの方が似合うと思うよ」
来南は屈託のない笑顔で、私の髪を撫でてくる。……コイツはこういう調子で、他の子ともグイグイ距離を詰めていくんだろうなあ。どうでもいいけど。
「吹奏楽は続けるの?」
「ファゴットがあればね。弱いくせに上下関係厳しいみたいだけど、それで居場所は作れると思うし」
中学の吹部は、皆ゼロからのスタートだからいい。高校は、そうではない。私みたいな
「私も、北宇治に進学しようかなあ……。高等部はなんかゴタゴタしてるみたいだし」
「中等部で橋本先生の信者になった先輩達が、高等部の吹部の方針に噛みついてるって噂?」
私の返事に、来南は二つ返事で頷いた。
私が高等部にそのまま進学したくないのは、学園の雰囲気に馴染めないからばかりじゃない。
この学園の高等部の吹部は、中等部とは対照的なところがある。新入生の入学式が終わってすぐ、4月の早い段階から長い時間をかけてコンクールに向けての練習に取り組んでいる。コンクールの課題曲は前年度には公表されるので、早い学校だと進級前から課題曲の練習を始めるところすらある。そういう学校に負けまいと、毎日の活動も厳しく、脱落する部員も後を絶たないという。飽きっぽい私には、とてもついていけそうにないスタイルで、心の底から敬遠していた。
同級生達の間でも、あれが音に聞くブラック部活かとまことしやかに語られている。まあ、そういうスタイルの部活が根絶できるはずもないが。ブラック部活に対する世間の目は年々厳しくなっているそうだが、ブラックでないうちの吹部が世間から賞賛されたこともない。ブラックだなんだと言っても、結果を残せば学校にとって広告効果は高いだろうし、強い子上手い子が越境入学して、来年以降も結果を出すための原動力となってくれる。その繰り返しで知名度は上がる一方だ。結果を出さないホワイト部活はコストパフォーマンスが悪いのだ。
理事長が代わってから、金食い虫のくせに結果が出ない吹部に対する学園側の視線も陰に陽に厳しくなって、先生の信者も焦っているのだろう。
「橋本先生はまず吹奏楽に親しんで欲しかったから、そこまで厳しくしなかっただけなのに。先生の考えを絶対視してるみたい。ちょっと怖いな」
「それは橋本先生のせいでもあるでしょ。あのアジ演説は毒が強すぎたと思う」
あれがあったからこそ、覇気の無い同級生が一つにまとまった。私も今日まで、吹奏楽を続ける事が出来た。だけど物事には常に表と裏がある。今、先生のカリスマ性は悪い方向に出てしまっている。
「その点だけは北宇治なら大丈夫そうだよね。昔は強豪だったみたいだけど、もうずっと埋もれちゃってるし」
「一人二人は物好きなのが来るかもしれないけど、多数派にはならないだろーからね」
私が軽口をたたくと、隣の教室から聞き覚えのある音色が聞こえてきた。
2年前、来南とクラスメイトの仲直りに用いた曲は、去年今年の新入生歓迎会にも流用され、後輩達は少なからずお気に入りにしている。春の心地よい風が、穏やかに背中から吹き付ける。その勢いが徐々に強まり、しかし穏やかさを失わずに背中を押す。そういう趣きの曲だった。
「私も吹こうっと」
うがいに出ていって、手早く準備を済ませた来南がファゴットを吹き始める。隣の教室の蔵守も気づいたのか、いくらかテンポを落として来南に合わせ始めた。
喜多村と蔵守の、部屋越しのアンサンブル。こういうのも、悪くない。
前日譚終了
麗奈や希美とは、130度ほど違う主人公の吹奏楽に対するスタンスは
この中学時代に形成されていきました