北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

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サブタイトル通り、前半みぞれ&後半主人公視点の変則パターンでお送りします。


第3章 滝先生・北宇治高校赴任1年目・5月
第27話 焦るオーボエ、危惧するオーボエ(前半 鎧塚みぞれ視点 後半 主人公視点)


原因1:同僚(♀)との間接キス

 体育の授業の後のお昼休み、教室で。

 

「蔵守君、今日のお昼だけど」

「体育の後でお腹空いてるよね? すぐに用意するよ」

 

 蔵守君は喜々として弁当箱を手渡してくる。私が弁当を作ってきたのが彼の競争心を刺激したのか

 

――明後日からは毎日俺に作らせてほしい!――

 

と必死に頼みこんでくるので、それなら交代交代にしてはという私の提案も

 

――毎日じゃなければ鎧塚さんとはもうお昼を一緒にしない――

 

と変なダダをこねるので、結局今日に至るまで蔵守君に弁当を作ってもらっている。

 

「そうじゃない。いつもお弁当作ってもらって、心苦しい」

「(ビクッ)……いやあ、そんな事は気にしないでいいんだよ。オーボエの練習とか、鎧塚さんには随分お世話になってるし」

「私も蔵守君に随分助けてもらってる。だから寄りかかってばかりは嫌」

「(この流れはまずい……)でも、俺は毎日弁当作りたいんだけどなあ」

「わかってる。だからお弁当じゃなくて飲み物を、栄養ドリンク作ってきたの。飲んでみて」

 

 私は栄養ドリンクをコップに注いで蔵守君に手渡した。蔵守君はそうきたかと、天を仰いでぶつぶつ呟いている。

 

「(色や匂いはまともだな……)では、いただきます」

 

 蔵守君は栄養ドリンクをぐいっと飲み込むと、どうしてかコップを持ったまま私に背中を向けて、しばらくしてから無表情で振り返ってコップを机に置いた。

 

「……結構なお点前で」

「……? コップの中身、減ってない。むしろ増えてる?」

「気のせいだろ」

「でも」

「気のせい」

 

 私が(いぶか)しんでいると、

 

「あー体育で喉乾いた! 蔵守君飲み物いただくねー! 」

 

言うが早いが、大野さんは蔵守君飲みかけの栄養ドリンクを一気飲みしてしまった。制止する暇もない。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」

 

 大野さんは理解不能な奇声を上げて教室を走り去っていった。一体何だったんだろう。……いやそんな事より、これっていわゆる……

 

「……ずるい」

 

 

原因2:仕事で家を空ける

 翌日、お昼休みの教室。

 

「蔵守君、今日のお昼だけど」

「お昼……? ああご免! サンフェスの打ち合わせが入っちゃって! 今日は一緒にお昼できないんだ。本当にごめんね。弁当はちゃんと作ってきたから、一人で食べてくれていいよ」

「……」

 

 申し訳なさそうにしてるけど、顔はなんだか嬉しそう。

 

 

原因3:仕事で上司(♀)の誘惑に負ける

「サンフェスの打ち合わせって、誰と何をするの……?」

「衣装とか、備品の購入とかで使うお金周りのことを、中世古先輩と一緒に生徒会と話し合い」

「……また女の子」

「またって何さ。吹部は女子が圧倒的に多いんだし、人聞きの悪い事は言わないでくれませんかね」

「……だって、香織先輩は会計だから分かるけど、どうして蔵守君が手伝おうの?」

「鎧塚さん、君は会計の仕事をご存じない」

 

 ちっちっちっと、蔵守君は指を振って肩をすくめてみせた。すごく小面憎い。

 

「入金や出金の度に帳簿をつける、そんなの今時コンピュータに任せりゃいいだろとお思いなら、それは違うと言っておこう。会計業務は仏と鬼、仏鬼同体であることが求められる世界なんだ」

 

 蔵守君は滔々(とうとう)と語り出す。

 

――だから領収証貰ってこいって言ったでしょ! レシートは時間がたつと文字が消えるから何かあった時に困るのよ!(by 中学時代の岡先輩)――

 

 毎年、領収証とレシートの違いが分からない新入部員に、二度手間になってもこれも教育だと割り切る忍従の精神と。

 

――今年の予算残っちゃったね。馬鹿正直に報告したら、来年度の予算減らされるから適当に買い物して使い切っちゃお♪ (by 中学時代の喜多村先輩)――

 

 余った予算を必要もないのに散財することに後ろめたさを覚えない図太い精神と、それを表に出さない狡猾さ。それこそが会計の両翼とのこと。部活の会計を笑うものは、部活の会計に泣くとのこと。

 会計担当が送る日々はドラマチックでもあるらしい。代替わりして綱紀粛正に乗り出した途端、次々と明るみに出る旧悪。いつ誰が何を買ったか、領収証どころかレシートすら保管されず、共有されない備品のストック情報。帳簿の帳尻が合う合わない以前の、そもそも存在しない帳簿。芋づる式に露見していく悪事が、ポーチに残された部費との不自然な差額を埋めていく。

 

「次回、いよいよ完結。犯人は、OGの中にいる!」

「……要するに、去年の3年生の度重なるお金周りの不始末で、生徒会が財布のひもをキツクしているということ?」

「そうとも言う」

 

 蔵守君(いわ)く、去年の部費の私的流用も問題だが、情報共有がされていなかったのもかなり問題だったらしい。本当に不足していたけど、帳簿に記入しないで備品を購入したり。そのせいで、本当は足りている備品を購入してしまったり。今となっては、そういうケースがどれだけあったか、もう判断がつかないそうだ。

 それで吹部に対する生徒会の視線が厳しくなって、その説得に苦慮している香織先輩のヘルプが必要になったらしい。それは分かる、わかるけど。

 

「手伝うのは部長や副部長じゃダメなの?」

「小笠原先輩も田中先輩もサンフェスの別件で忙しいんだよ」

「……私だって忙しい」

「?」

「(ぷくっ)」

「どうしたの、そのほっぺた」

「……なんでも(ぷくぷく)」

「??? ……じゃあ、そろそろ行かないとだから。またあとでね」

 

 時間が押しているのか、蔵守君は風のように教室から出て行った。私は急いで一人お弁当を済ませると生徒会室へ向かった。さすがに中に飛び込むわけにはいかないので、扉越しに聞き耳を立てる。

 

「……サンフェスの費用請求の件ですが、提出書類に特に不備は見受けられませんでした」

「過大請求も認められず、むしろ衣装は演劇部と共同で自作するなど、コスト削減に対する努力の跡が見られます」

「よって満額請求に応じる事を決定します」

『ありがとうございます!』

 

 どうやら満足いく結果に終わったようで、香織先輩と蔵守君の意気揚々とした声が近づく。私は慌てて廊下の陰に隠れてやり過ごした。

 

「やったね、蔵守君」

「やりましたね、先輩」

 

 生徒会室から出てきた香織先輩と蔵守君が、満面の笑みでグータッチ。……私もああいうの、やってみたい。

 

「やれやれ。ヘソ出しコスチュームが没になって、他に格安のも見つからなかった時はもうお手上げかと思いましたけど、これで一息つけますね。……でも演劇部もタダ働きでいいなんて、ずいぶん太っ腹ですよね。部長さん達、先輩からお金をもらうなんてとんでもない!とか言ってましたけど」

「実を言うと、私も分からないの。 確かに演劇部の人達とは仲良くしてるけど……」

「つかぬ事を(うかが)いますが、仲良くとは具体的にどういう?」

「大した事はしてないよ? 演劇部の人と会ったら、笑顔で手を振って声かけたりとか。つれない態度してたら、私はともかく吹部の印象が悪くなっちゃうかもだから」

「まあ、それはそうですね」

 

 そういう事を大したことないと言ってのけるあたり、香織先輩は私とは人種が違うと痛感する。

 

「それに、頼み事をされた時は、出来るだけ引き受けるようにしてるかな」

「なるほど。今回タダなのは、その恩返しという意味合いがあるのかもしれませんね」

 

 香織先輩はさすが吹部のマドンナ。私には逆立ちしたって真似できない。

 

「あとはそうだね、靴紐がほどけてるの見たら結んだりくらいはするかな」

 

 う……ん?

 

「……それはなぜですか」

「最初はほどけてるのを指摘するだけのつもりでいたんだよ? でもそれだと、遠回しにだらしないって言ってるみたいで嫌味じゃない? だからそういうつもりは無いよって事を示す為にそうするようにしたの。もちろん、相手が嫌がるなら無理にはやらないよ? でもみんなOKしてくれるの」

「……」

「あ、蔵守君も靴紐ほどけてるよ?」

 

 慣れた調子で、香織先輩が蔵守君の靴紐を結び直そうとしゃがみ込むと、蔵守君は慌てて後ずさった。

 

「せ、先輩! 気持ちはありがたいですけど、こんなとこ吉川に見られたら俺が殺されちゃいますよ!」

 

 男子の本懐より後の災厄を恐れる蔵守君。……確かに優子ならやりかねない。

 

「大丈夫だよ。確かに滝野君の靴紐を初めて結んだ時の優子ちゃんは、滝野君を絞め殺すくらいの勢いだったけど……。今度そんな事したら、優子ちゃんの靴紐結んであげないよ?って釘を刺したら大人しくなったよ?」

 

 優子が時々苦虫を嚙み潰したような顔でいるのはそのせいかな。

 

「それとも、やっぱり余計なお節介、かな……?」

「うっ……」

 

 罪悪感ストップ高な一言と、上目遣いのコンボが蔵守君に襲いかかる。でも蔵守君は負けずに、硬派なところを見せてほしい。

 

「……いえ、是非お願いします!」

「うん! 任せて」

 

 悲報、蔵守君も男子だった模様。

 

 

原因4:仕事で同僚(♀)と良い感じになる

 放課後、音楽室にて。

 部活前のミーティングを行うため、机を廊下に運び出して椅子だけにする。それは一年生の役目だけど、ただ人数分の椅子を置いておけばいいというものでもない。クラリネットが一列目、フルート、オーボエ、サックスが二列目……というように、合奏の時と同じように配置するのだけど、まだそのあたりの決まりについてあやふやな一年生はミスを犯したりもする。

 

「うっ……ぐすっ」

「ちょ、ちょっと! なにも泣くことないじゃない!」

 

 一年生の椅子の置き方が雑だった。それを目にした優子が「そこ椅子置くところ違うよ!」と怒ったが、気が小さい子だったんだろう。泣きじゃくり始めてしまった。慌てて優子が宥めにかかるが、その一年生の女の子の涙は止まらない。

 

"そんな事で怒らなくてもいいのに"

 

 音楽室にはそんな空気が満ち満ちていて、優子に対する部員の視線は剣呑なものになって、今度は優子のほうが泣き出してしまいそうだった。

 

「えーと、パーカスの……堺さん、だったよね? ちょっといいかな」

「ぐすっ……え?」

 

 それまで一部始終を見守っていた蔵守君が、優子に泣かされた赤リボンの女の子が置いた椅子にまたがり、その子と向き合った。

 

「前列の真ん中の椅子はもうちょい後ろにずらして、左右は前に出してふくらみを持たせて、先生や部長が話す時に注目し易いようにする。……そうそう、そんな感じ。分かったね?」

「は、はいっ」

 

 優子みたいに、自分の感情をきっぱりとした鋭い声に乗せて言葉をぶつけるんじゃ無く、蔵守君は幼い子供をあやす時のような柔らかな声で指示を出していた。

 

「たったこれだけの事で、怒らなくてもいいじゃない。"最初は"みんなそう思っちゃうよね?」

 

 蔵守君は優子の叱責に、苦言を(てい)するつもりはないらしい。どうして優子が怒ったか、わかっているようだ。

 

「堺さんだけじゃなく、一年生、特に初心者のみんなはよく聞いて欲しい」

 

 蔵守君が立ち上がり、手を2,3度叩いて注目を促すと、一年生は一斉に視線を集中させる。何を言い出すのか興味津々といった感じだ。

 

「初めて海兵隊の合奏をした後、滝先生が「合奏とは聴いてくれている人達に感動を与える時間だ」って言ったのを覚えてるかな? そういう時間をつくるには良い合奏するだけじゃダメだ。こういう雑用一つ一つをスムーズにこなす事も、気持ちよく合奏を聞いてもらう事には大切な事なんだよ」

 

 蔵守君はそこで言葉を区切って一年生達を見渡すと、一人一人の目を見つめながら告げた。

 

「コンクールは演奏時間が12分と短いからまだいいけど、定期演奏会とかになるといろんな曲を披露するから、休憩も挟むと2時間くらいになる。そして演奏会では、飲み物や食べ物片手に鑑賞できる映画とは違って、お客さんもただ音楽を聴く事だけに集中してくれている。それだけに、演奏の合間合間の準備のもたつきって、お客さんにとっては実時間以上に長く感じて、退屈させてしまうものなんだよ」

 

 そこで蔵守君は、堺さんを安心させるように微笑んで、こう付け加えた。

 

「堺さん、吉川は堺さんの事が嫌いだから怒ったんじゃないよ。同じことをやったらアイツは誰にでも怒る。自分達の音楽を聴いてくれる人達の目線にも立ってほしい、普段からそういう事は意識してほしい。だからそうしてるんだ」

「いやそこまで考えてた訳じゃ……な゛ぁっ!?」

 

 私は優子の背後に回って、背中をつねった。優子はハイヒールを履いた時みたいに爪先立ちになる。可愛くない悲鳴が上がる。正直なのは優子の良いところだけど、少しは空気を読んで欲しい。

 

「まあ少し言い方がキツイ所はあるけど、俺みたいにクドクド言われるのもそれはそれで嫌でしょ?」

 

 蔵守君の軽口に、場が和む。堺さんも、涙が止まって微笑みだす。優子も脱力したのか、長い溜息を吐いた。

 

「はいはい! それじゃ1年は椅子置き再開―ッ! 椅子の並べ方おかしかったらまたやり直しだからね!」

 

 優子の号令一下、1年生たちは一本芯が通ったようにきびきびと、かつ真剣な表情で行動する。こういうちょっとした雑用も、大事な事だと理解できたみたい。

 蔵守君はクドいと自虐したが、ああいう説明は貴重だった。最初は何がしかの意図あって始まった活動も、代替わりを経るうちに口頭伝承(こうとうでんしょう)が失われ、何のためにやっているかも分からず、ただ惰性で続いている事が少なくない。

 優子は嬉しそうな、そして悔しそうな複雑な表情で蔵守君に近寄った。

 

「助かったわ……。ありがと」

「これで島と井上に絡まれた時の借りは返したからな」

「……ふんっ」

 

 ニヤニヤする蔵守君にそっぽを向きながら、優子は彼の方に手を掲げた。蔵守君も意図を察してハイタッチ。私もああいうの……、いやあれはやったか。でもなんとなく、私の時よりも自然な感じがする。言葉にするのは難しいけれど、探っている感じでない、媚びの色がないからかもしれない。

 

「……(ぷくぷく)」

「どうしたんですかぁ先輩、そんなふくれっ面して?」

「……なんでもない」

 

 最近どういうわけか絡んでくるシンバルの子に私は生返事した。

 

 

原因5:後輩(♀)の焚き付け

「ですから先輩。憧れの人は憧れで終わるから憧れの人なんですよ。意中の人がいたとしても、最後はいつも側で見守ってくれる存在に気づいて、その人とゴールインするのがこの世の女の常識です。少なくとも、私の読んだ少女漫画は大抵そのパターンでした」

「……」

 

 運命の分岐点は唐突に現れるように見えて、実際は常に予兆という名の警告を発しているという。私は、自分のお尻に火がついた事を自覚せざるを得なかった。

 

 

 

 

 五月に入り、吹部もいよいよサンライズフェスティバルへの準備に軸足を移し始めた。サンライズフェスティバル、通称サンフェスは、この時期に太陽公園で開かれる音楽イベントの一つで、京都中の高校の吹部が広大な公園内を演奏しながら歩き回る、いわば各高のマーチングのお披露目会みたいなものだ。

 だがこの演奏しながら歩き回る、というのもなかなか一筋縄ではいかない。ただ歩くだけでも体は揺れる。体が揺れれば口元も揺れる。口元が揺れれば楽器への息の吹込みも不安定になる。息の吹込みが不安定になれば音もおかしくなる……と、普段やっている座奏よりも音を出すまでのハードルが高い。

 それに加えてダブルリード楽器はその名の通り、向い合わせにした2枚のリードの小さなすき間から息を吹き込んで音を出すよう設計されているのでマーチングとの相性は滅法悪い。それゆえ嫌も応も無く、自分達は演奏する立場から離れる事になる。

 また、吹部唯一の弦楽器であるコントラバスも、その巨大さゆえにダブルリードとは違う意味でマーチングでの運用に支障をきたすので、やはり演奏から離れる。

 

 そのため、

 

「みどりもコンバス持って行進したかったですぅ……」

 

と残念がる川島さんの姿もあれば

 

「……挽回のチャンス、頑張る」

 

 逆に普段とは違うポジションにテンション上がるのか、何時になく張りきっている鎧塚さんのような姿もある。

 はて。挽回と言うが、彼女が失点を犯した事がここ近来あっただろうか。

 

「準備するものがあるから、二人は先に行って」

 

 ふんすと、鼻息も荒く鎧塚さんは校舎に消えていった。

 初心者以外で演奏から離れるのは自分達ダブルリードの4人と、コントラバスの川島さんの計5人。喜多村先輩と岡先輩は、チアガールが持つようなポンポンを振り回す役に回り、自分と鎧塚さんと川島さんは、旗を振り回すカラーガードという役を担当することになった。

 メンバーが揃わないうちから練習を始めてもしょうがないので、校庭でパート毎に分かれてマーチングの自主練習に取り組んでいる様子を眺めた。滝先生は本気で全国を目指している。それは二度目の海兵隊の合奏で部員にも伝わったので、どのパートの自主練も一本芯が入っていた。

 とはいえ。滝先生が本気だとわかっても、それはそれ、これはこれ。これまでケチョンケチョンに貶された恨みつらみがすぐに雲散霧消するはずもなく。

 

「本番では皆さんのもっと良い演奏を期待していますよ」

「何ですか、もっと良い演奏って。もっと具体的に言ってほしいです」

 

 様子見に来た滝先生の言葉尻をとらえて皮肉る部員もいる。しかしそれでカッとなってやり返すような短気さからは縁遠い、冷たい貴公子はこう言った。

 

「そうですね、良い演奏ってなんでしょうか? 貴方にとっての良い演奏。聞いてくれる人にとっての良い演奏。人によって違うでしょうね。全国を目指すなら、そういうことも貴方達ひとりひとりが考えていかなければいけません。そして今日良い演奏が出来てもそれに満足してはいけない。明日はもっと良い演奏をする。そういう気概を持って、日々の練習に取り組んでください。……返事は?」

「は、はぃぃ」

 

 哀れ、レスバトルを挑んだ部員はあっさり返り討ちの憂き目にあった。

 

「滝先生は相変わらずだなぁ」

「ですね。でもみどりは滝先生のああいうスタンス好きですよ。厳しいですけど、意図がはっきり分かりますから」

 

 その点は全く同意だった。川島さんの言う通り、滝先生の指導は厳しく、人の心の機微を介さないところはあるものの、理不尽なシゴキもしていない。

 

「みどりの、聖女の先生も滝先生に近いスタンスでした。先生は学生時代に理不尽なシゴキを受けた反動らしいですけど「この練習はこういう意図で、あの練習はああいう意図でやるんだよと、ちゃんと子供達に伝えるのが大事なんだ」といつも言ってました」

「へえ、聖女みたいな超強豪校だと朝も練習夜も練習、土日も練習、月月火水木金金。休みませんよ勝つまではくらいの勢いで問答無用でシゴかれてるのかと思ったけど」

 

 そう言うと、川島さんはそこまで部活全振りじゃありませんよおと笑い出す。

 

「でも、理不尽なシゴキも収穫が全くのゼロという訳でもなかったと言ってました。どうしてこんな練習をするんだろう、こんなことに時間をかけるのはおかしくないかって、練習内容そのものについて考えるきっかけになったそうですから。それまでは提示された練習をただ黙々と、何も考えずにただこなすだけの毎日だったそうです」

「なるほど、受け身の姿勢を改める機会にはなったわけだ」

 

 (さと)い人なら、そういう事が反面教師になるのだろう。

 

「でも、みんながみんな、そういう悟りを開けるわけじゃないからな」

「はい、先生もその事を心配していました」

 

 鈍感な人には、そういう遠まわしなやり方はうまくいかないだろう。鈍感な人は、辛い事に対してもなまじ感覚が鈍いだけに、黙々と意味のないしごきにも耐えて根性というか、理不尽な事に対する耐性がついてしまう。

 それでもある意味精神的にタフになったと言えなくもないし、それで大会で優勝できたりすれば物語的にはハッピーエンドになるかもしれない。しかし現実は、ハッピーエンドで終わった物語の後も続く。

 そういう人が過去の成功体験に凝り固まったまま、教える側に回ると大変だ。

 

――私はこのやり方で成長できた。だからグダグダ言わず従え――

 

 そんな根性論がまかり通りかねない。

 滝先生には、そういうところが全くなかった。甘い事は、全然言わない。口を開けば厳しいことばかり。だけど先生がどういう意図でこういう練習をするのか分からない、という人もいなかった。というより、分からなければ分かるまで清く正しい言葉攻めの憂き目にあう。

 

――私への正しい批判は私の過ちを正すのに役立ちますし、間違った批判は顧問として間違いを正す訓練になります。いずれにせよ、大歓迎ですよ――

 

 ……自分などはその間違いの正し方にいささか問題があるように思うのだが。

 

 そしてそんな滝先生の悪い面を受け継いだかのように、トランペットパートでは新入部員が冷気をまき散らしていた。

 

「屋外で演奏するからって、むやみやたらに大きい音を出せばいいってもんじゃありません。小さい音でも綺麗な音を保って、遠くまで音を響かせるのが大事です」

「な、なるほど。でも難しいな」

「それはロングトーンの練習が足りないからです。本気で全国行く気があるならもっと真剣に練習してください、前にも言いました」

「す、すまん」

「謝罪はいいですから、結果を見せてください」

 

 トランペットパートでは、滝野が高坂さんに絞られていた。すぐ傍では中世古先輩が困ったような顔をしている。指示は的確だがいささか言葉が強い。気の強い人なら負けじ魂を刺激するだろうが内気な人は委縮する。そんなところまで滝先生に生き写しだ。

 

「高坂さん、張り切ってますね!」

「……ああ、凄いね」

 

 素直に感嘆する川島さんに対し、自分の「凄い」には感心以外にも不安のニュアンスが含まれている。

 滝野から聞いたところでは、トランペットパートに新たに加わった高坂さんの技量は想像以上だったらしい。中世古先輩も素直に彼女の実力を認め、積極的に教えを乞うているそうだ。パートリーダーであり、人望もある先輩が率先して下級生に意見を求めれば、周囲もそれに(なら)う。トランペットパートでは、もともとあった練習熱心さに加えて、先輩後輩の別なく自由闊達に発言しあう空気が生まれた。

 いいことずくめのように見えるが、必ずしもそうではない。

 言うべきことを言うのと、言いたい事を言うのは、近いようで遠かった。

 

――親しき中にも礼儀ありっていうけど、高坂の発言には不遜(ふそん)さが見え隠れするのよ――

 

とは吉川の言である。高坂さんもあからさまな暴言を吐いたりなどは決してしないが、相手の事情を顧みずに直言正論を吐くところがあり、それが吉川には不遜と映っているようだった。

 若くして頭角を現す人にはありがちな事だが、彼女のようなタイプは能力ほどに人間が出来ていない傾向があるので、トラブルメーカーになりやすく、扱いにくい。

 かといって、彼女にもう少し丸くなれというのも気が進まない。全国を目指すなら、日々の練習に緊張感を持たせないといけない。そういう意味では自ら「怖い人」という立ち回りを担ってくれる彼女はむしろありがたい存在だろう。丸くなった結果、彼女の強みが失われるようでは意味がない。中世古先輩もそう思っているから、彼女のやりたいようにさせて先輩自身はフォローにまわるつもりでいるのかもしれない。

 とはいえ……

 

「今は中世古先輩がいるからまだいいけど、クッション役がいないまま上級生になると危ないな。言ってる事は正しいから下級生は意見を言いづらくなる」

 

 分かっていた事とはいえ、中学の時のように仲良しこよしとはいかないらしい。全国を目指す音楽というのも、なかなか難儀そうだった。

 





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