ただ、里で偶然会っただけだけど、その成り行きで何てことの無い世間話をした。
そして、妖夢は私に言った。
『鈴仙さん』
『何?』
『いつか、一緒に……一緒に……』
『一緒に、どうしたの?』
『ほ、星空を見に行きましょう!!』
ほんのりと頬を赤らめてそう言った妖夢。
忘れもしない、昔の約束だ。
その日は朧夜だった。
いつかの約束を果たす為、私と妖夢は里の外、星が綺麗に見える場所を探し、川沿いを二人で歩いていた。私が持つ提灯が揺れ、夜の闇のその先をぼんやりと照らす。臆病な妖夢は私の腕に抱き着き、風邪で草木が揺れる度にビクッと肩を震わせ、そしてその度に私も驚いてしまう。
『すいません』と照れて頭を掻きながらもやっぱり私の腕を離さない妖夢に何か保護欲の様な物が生まれ、私自身も無意識に『大丈夫だよ』と呟いていた。
「ど、何処までも、暗いですね……」
「夜だからね」
相変わらずビクビクしている妖夢。歩く度、それに呼応する様に提灯が揺れる。
その提灯が照らす先、何故かしら牛車が見えた。
こんな時間に里の誰かが里から出ているのか。不審に思いながらも、道の先にそれがある為に私達は自然とそれに近付いて行った。
「あ、あのー……」
妖夢が恐る恐る問いかける。
「もう夜ですし……こんな所に居ると危ないですよ」
当然、誰かがこの牛車に乗っている筈だ。自然とその牛車を追い越しそうになり、返事が返って来ないその牛車を二人で覗いてみて、
心臓が止まりかけた。
本来簾が掛かっているであろう場所はこの世のものとは思えない、恐怖をそのまま映した様な大きな顔が張り付いているのだから。その口は何でも食べてしまう程大きく、全てを威圧する様に目は鋭く私達を見据えている。挙句、その体は朧。どう見てもそれは妖怪の類だった。
息を呑む私、その目の前に大きな口が迫っていた。
「鈴仙さん……ッ!!」
そんな声が耳元から聞こえ、何か強い力に引っ張られる。バランスを取ることも出来ずに地面に転がる私の直ぐ真横をその牛車が恐ろしい速度で通り過ぎていった。
引っ張られなければ、間違いなく食べられていた。
口をパクパクと動かすことしか出来ない私。その顔を叩きながら妖夢が必死に呼び掛けてくる。
「鈴仙さん!! 大丈夫ですか!?」
「あ、わ、たし……?」
「大丈夫です。生きてます!!」
視界の端で、牛車が向きを変え、その醜悪な顔をこちらに向けてくる。
「……朧車です」
「何、それ……?」
「あの妖怪の名前です。奴は結構恨み深い妖怪でして……兎に角、撃退するか殺されるか、目を付けられた時点でその二択しかありません」
「……え?」
「……来ますッ!!」
妖夢がそう叫ぶと同時、その牛車……朧車は急加速してこちらに向かってくる。
私は必死になって地面を蹴ってそれを避けた。隣を通過した朧車は音すら起こさず、進んだ先で再び方向転換して私を見据える。
わたしを、みすえる。
今度こそ、心臓が止まった様な気がした。
撃退するか、殺されるか。妖夢が言った二択が、一体どれ程残酷な二択なのか。今奴が標的としているのは、
妖夢でなく、私だ。
「鈴仙さん!!」
名前を呼ばれた気がした。
私はそれに反応するだけの余裕が無い。何とかして、生き残る方法を考えろ。そうだ、撃退したら良い。それだけで十分だ。
出来なかったら……?
「え、あ……」
絶望が迫ってくる。
元々、私は月から逃げてきた元玉兎。今ではもう心身共に地上の兎ではあるけれど。
そんな臆病な私は、本当の意味での絶望が迫った時、何も出来やしないのだ。
ドンッ!!
体中を衝撃が貫き、吹き飛ばされて地面に転がる。その時に強く頭でも打ったのか、意識が朦朧としてくる。
その時、私の前に立ちふさがる誰かを見た、様な気がして。
それもプッツリと途絶えてしまった。
★ ★
意識が戻った時、既に陽は上がり始め、空は薄らと青さを帯びてきていた。痛む頭を押さえ、どうして自分がこんな川沿いの道の端で寝ているのか思い出す。
そうだ、確か、何かに襲われて。
そうだ、朧車に狙われて。
「……えっ?」
撃退か、死。
その二択のどちらでもないではないか。ギョッとして辺りを見回しても、何故だか件の朧車は居ない。
そして、妖夢の姿も見当たらない。
「妖夢……?」
頭を押さえて立ち上がり、二三歩フラフラと歩き、改めて辺りを見回した時、
見付けた。
頭から血を流し、川に体を濡らしながら倒れる緑色の服の少女を。
間違いなく、妖夢そのものを。
「よう、む……?」
自分の中で何かが瓦解していくのを感じながら、恐る恐る近付いていく。
間近で見る妖夢の瞼は固く閉じられ、どう見ても意識は無い。それでも二振りの刀を強く握り、その意識が絶える寸前まで誰かと激しい戦闘を繰り広げていたのか、服は至る所が破れ、露わになった素肌にも無数の傷がある。
「冗談でしょ……? 起きなさいって……」
まるで、安らかに眠っているかの様に思い込んでも、その直接的な視覚情報はそれを否定する。
まさか、そんな筈は無い。
死んだはずはない。
一瞬、明確過ぎる『死』が頭を過った時、初めて彼女の手首を取った。
まだ、僅かにでも脈がある。
それだけで莫大な歓喜が体を包み、今からすべきことがスラスラと頭に浮かんでくる。
「待っててね……妖夢……!!」
手元にある物だけででも、私は必死になって応急手当てをした。
まだ助けられる。そう知っただけで、私の胸は騒ぎ、朧車のことも忘れていた。
☆ ☆
「……そう、白玉楼の主にはもう伝えてきたのね」
「はい。『妖夢のこと、暫く頼むわぁ』だそうです」
「自由なものね。従者が大怪我を負ったと言うのに」
永遠亭に何とか妖夢を運び込み、師匠が本格的な治療を施した結果、妖夢は何とか一命を取り留めた。治療が終わっても妖夢の意識は戻らなかったけれど、師匠が言うには直ぐに戻ると言う。その間を使って私は彼女の主である西行寺幽々子に事の顛末を伝え、帰ってきたところだ。
「……優曇華」
「はい、どうしました?」
「まぁ……良いわ。妖夢の意識、貴方が出ている間に回復したわよ」
「本当ですか!?」
「えぇ、ただ……」
師匠は何かを渋っている。
それが何かは分からないけれど、師匠は私の目を見て言った。
「私は、ここに居るから」
私はその言葉に首を傾げながら部屋を出て、妖夢を寝かしている部屋へと向かった。意識が戻った。それだけでスキップでもしそうな程嬉しい。春の廊下は少しだけ冷たくて、それが気持ち良い。
「入るわよ」
その部屋に着いた私はそう一言言った後にそっと戸を開ける。
窓際のベッドで上半身を起こしていた妖夢は、窓の向こうを見たままだ。そのベッドに近付いて、私も同じ様に窓の外を見ると、可愛らしい二匹の兎が跳ねまわって遊んでいた。
「……以前」
「……?」
「私にも、あのように愛おしい誰かが居た様な気がします」
「そうなの?」
「……何て、私事は良いですよね、先生」
「……え?」
私の方に振り返った妖夢はフワッと微笑んで、そう言った。
「あ、し、失礼しました!! てっきり八意先生かと……看護婦の方、ですか?」
「え、い、いや……」
「違い、ましたか……? すいません……」
「……」
気が付けば、私は逃げ出していた。
何かがおかしい。絶対に何かが壊れている。
怖くなって、光がまた暗闇に戻っていくようで、兎に角逃げた。振り向かないで、目を逸らして、兎に角逃げた。冷たい廊下が、今では氷の様に感じられる。
「……師匠」
「……もう少し、ハッキリ伝えるべきだったのかしら」
「どういう、ことなんですか?」
師匠の元まで走って戻ってきた。師匠は全て予想していたかのように、入ってきた時から私の方を向き、切なそうな顔を浮かべている。
「記憶障害よ」
「記憶障害って……どうして……? 治ったんじゃないんですか?」
「私は、意識が戻った、とだけ伝えたわ。嘘は言っていないの」
「何で!?」
自分でも何を聞いているのか分からなくなった。信じたくない現実と何かが混雑し、互いに互いを否定して何もかも分からなくなる。
何かが明確に決壊しそうな私の心中を察したのか、師匠は立ち上がってゆっくり歩み寄ってくる。足を動かすこともない私はそのまま師匠に抱きしめられて、そっと頭を撫でられた。
「ごめんなさい。最初から、伝えておくべきだったわよね」
「……師匠」
「私も、彼女の記憶障害がどの程度なのかはまだ把握しきれていない。少しの問答で分かったことは、生活する上で必要最低限の知識と記憶、そして自身は西行寺幽々子と言う主の下で働く庭師だと言うことは覚えていたわ」
「なら、どうして……?」
「恐らく、彼女はそれ以外のほぼ全ての人間関係等の記憶を失ってしまったの」
淡々と告げられる現実。師匠がこんなことに嘘を吐く筈もない。
嫌だ嫌だと否定しようと、師匠の優しさがそれをそっと拒む。
もう聞きたくない。逃げ出したい。
だけど、これ以上逃げ出すのは、本当にダメだ。そう叫ぶ自分も居る。
「師匠の薬で……何とか、ならないんですか……?」
「……優曇華。残念だけど……」
「無理なんですか……?」
「……幾ら私でも、一度死んでしまったものを生き返らせることは、出来ないのよ。無論、それは細胞でも同じこと」
精神的な要因ではない、物理的に記憶が失われたと言う、止めの事実。
「師匠……妖夢は、私と交わした約束も……忘れてしまったのでしょうか……?」
「どうかしらね。覚えていても、誰と交わしたのかはもう、覚えていないでしょうけど」
「そん、な……」
師匠は私を抱き締める力を少し強くした。とても温かい、母親の様なその胸に顔を埋めた時、どうしても堪え切れない何かが一気に溢れてくる。
どうしてこうならないといけなかったのかとか、そんなことよりももっと単純な理不尽に対する怒りと、そして喪失に対する悲しみが入り交ざった何かが溢れてきた。
「……堪えなくても良いのよ」
その一言で、私の堰は決壊した。
胸に顔を押し付けて、大声を上げて泣いた。子供の様に泣きじゃくって、泣いて泣いて、いつまでも泣き続けた。
先、妖夢が兎を見ながら呟いていたのは、もしかしたら私のことだったのかもしれない。そんな都合の良い考えが更にどうしようもないあの日々を思い出させて、更にその涙が増えていくばかり。
そうだ、もう行ってしまったのだ。
私が恋し、愛し、求めた彼女はもう、思い出と共に遠くへと。
今更こんな感情に気付いたって、一体何になるのか分からないけれど、それでも自覚したこの恋情は、もう決して実ることはない。
今の妖夢を恋し、愛する日も来るかもしれない。
だけど、私の初恋はもう、終わってしまった。
それでも、彼女の中に僅かな記憶が、朦朧とした記憶があるのなら。
それを思い出した時、今度こそ一緒に星空を見て、
そしてこの恋情を伝えたい。
その時まで、もう来ないかもしれない、その時まで。
さようなら、私の初恋の相手。
涙はまだ、止まることを知らない。
もう本当すみません。
Twitterで診断したらこうなったんです。
すいません本当。