約束   作:大豆御飯

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『鈴仙も大概だよね。上か下ばかり向いてさ』


近くに居る誰かの心の声

 師匠の部屋を後にして、私は一人廊下を歩いていた。散歩帰りの妖夢はきっと昼寝をしているだろう。特にすることが見付からないこの時間、さて何をしようかしら。

 思えばここ最近自分が何をしていたかなんてあまり覚えていない気もする。鮮明に覚えているのは妖夢と一緒に居た時間ばかりで、自分一人で何をしていたかとかそんなことは全然覚えていない。

 今自分は何をしたいのか。何かそんなことさえも曖昧。

 結局、今の私は妖夢を柱にして生きているだけで、それ以外のことなんてもうどうでも良いのかもしれない。彼女さえ居てくれるのならそれでもう、満足なのかもしれない。

 

「……」

 

 何故私はこんなにも歯車を狂わせてしまったのだろうか。失ったのは私を知る少女だけなのに、それがどうしてここまで歯車を狂わせる事態に陥ってしまったのだろうか。

 分からない。私のことを私が一番分かっていない。分かる為の鍵も今は持っていない。

 フラフラとした自分の足取り。自分でも普通でないと自覚はしているが、彼女が居なければ所詮こんな程度なのだろう。

 そして私は、庭で兎と戯れるてゐにすら気が付かなかった。

 

「おっ、鈴仙。浮かない顔だねぇ」

「……」

「ちょっと、無視すること無いじゃん」

「……ん?」

 

 てゐにスカートを引っ張られて初めてそこに居たことに気が付く。そのてゐの表情も昔よく見ていた悪戯なモノではなく、もっと何か寂しがる様な表情をしている。

 

「まぁだ戻らないの?」

「戻るって何よ」

「言われなくても分かっているだろうに」

「私は前からずっと変わらないわよ」

「本当に自覚が無いならそんなこと言わないよ。私だって困っているんだからね? それこそ、ここ最近はあんまり楽しくないんだ」

 

 へらへらといつもの調子を装うけれど、その様子はどこかぎこちない。そんなてゐを見ると『痛々しい』という単語が頭に浮かんだ。

 てゐがこうなった責任はきっと私にある。そんなこと分かっている。だけど、認めたくない。

 だって、てゐは。私ではないのだから。

 

「……アンタには、関係無いでしょ」

「鈴仙……」

「一人にしてくれないかしら。私に必要以上に構う必要なんて無い。アンタは私なんか気にしないで、いつものように過ごしてくれれば、それで良いじゃない」

 

 てゐのスカートを持つ手が離れた。その両目は大きく見開かれていた。

 あぁ、そっか。結構酷いこと言っちゃったわね。ごめんね、てゐ。

 だけど、私は何も言わなかった。ただ、てゐから離れようと反応もすべて無視して、彼女から遠ざかった。

 

「いい加減にしなよ……」

「……」

「そうやって、いつまでもいつまでも、周りを巻き込むのもいい加減にしなよ……!!」

「てゐ……?」

 

 それは、初めて聞いた彼女の怒号。思わず振り返った私を睨み付ける小柄な彼女の姿は今までに見たいつよりも必死で、寂しそうだった。

 

「アンタはそれで良いかもしれないけどさ、こっちは迷惑なんだよ。そりゃ、大切なものを失ったその反動は重々承知しているさ。どれだけ辛いか、どれだけ苦しいか、救いも何もないこと位分かっているよ」

「なら、放っておいてよ……この気持ちも何もかも、分かっただけで理解の出来ないアンタに介入される筋合いなんて無いわよ!!」

「絶望して上向いて呆けて誰かの障害になる位なら、諦めて前向いて歩きなって言ってんだよ!! 誰かに変えられるんじゃない、アンタが自分から変わらないとダメなんだから!!」

 

 てゐは噛み付く様に叫んだ。いつもの呑気な彼女からは想像もできない声で、彼女らしくない意思をもって叫んだ。

 

「私は……鈴仙に死んだままでいて欲しくない。唯一対等に話をできる兎に死んだままでいて欲しい訳がない」

「……私は今ちゃんと、生きてるじゃない」

「だけど、中身がまるで感じられない。そんなの、死んだも同然じゃないか」

 

 今度の声は震えていた。

 今初めて気付けた。私のことを大切に想う誰かの心の声。

 息をする抜け殻の様な私でも、元に戻って欲しいと願っていたどうしようもない知り合いの声。

 私は誰よりも私のことを分かっていない。

 そんな私を理解した、その必死過ぎる声。

 

「前を向いてよ、鈴仙。私だって分かるよ。鈴仙よりずっと長く生きてきた中で、大切な誰かは何度も何度も失ったさ」

「……ごめんさい」

「良いんだ。だから、前を向いてよ。そうしてくれるのなら、幸せは私が持ってくるから」

 

 あの日から死んでいた心。彼女の記憶と共に消えていた筈の光が今、僅かにでも戻った様な気がした。

 あの時よりも前、そして今も変わらずに私に接してくれる人が居るんだ。もう別れたと、そう決めた相手のことをいつまでも引き摺っていた私に、あの以前の私を思い出させてくれる存在はとても近くに居た。

 

「それでも彼女を想う気持ちは分かる。だから、これから大切にしなよ。そしてまた、あの鈴仙の屈託のない笑い声を聞かせてくれたら、またいつもの様に悪戯で答えるからさ」

「……馬鹿みたい」

 

 まだ満面の笑みを浮かべることは出来なかったけれど、それでも心から笑うことが出来た。

 笑顔が今は清々しく思える。

 憎い悪友を、今では誇りに思った。

 

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