てゐと話したからだろうか、幾分心の中から重たいものが抜け出て行った様な気がする。
恋は盲目なのか、私は大切なものに目を瞑っていたのだろうか。心の中で肥大化していく妖夢への恋情は普段の私をひた隠し、そして最終的には完全に覆ってしまっていた。
だからと言って、好きになるのを止めるのかというとそう言う話ではない。彼女を思ったまま、私は私らしく振る舞えば良いだけなのだ。ただただ真正面から叩き付けられたショックに気持ちが負け、目を背けて悲劇のヒロインを演じていたのはそうなのだろう。
そんな姿をかつての妖夢が見たらどう思うのだろうか。今の妖夢は、どう思っているのだろうか。
まだ辛いものは辛い。悲しみだって多少消え残る。
だけど、やっぱり向くべきは前だけなのよね。
「あら、鈴仙。いつにもまして元気じゃない」
私が自分の頬をぺちぺち叩いた時、丁度前の曲がり角から出てきた姫様が私に声をかけてきた。
「そう、ですかね? いつもと変わらないとは思いますけど……」
「最近の鈴仙よりは全然よ。そう言う自覚はあるのでしょう?」
「……それは、あります」
「でしょう? つまりそういうことよ」
姫様は人差し指を伸ばすと私の額をついと突いた。思わず「あう」と変な声が出て、姫様がクスッと笑う。
それが、そんなやり取りが、とても懐かしい遠い思い出の様に感じられて、顔だけでなく目の奥まで熱くなっていた。
「ちょ、ちょっと!? どうしてそんな泣きそうになっているの!?」
「あ!! いえ、すいません……」
「謝らなくても良いけれど……でも、それ位には自分を追い詰めていたのかしら?」
スッと体を引き寄せられた。感じたのは、温かい人の肌。服越しに伝わる、その温かみ。
私を抱き締めた姫様は、そのまま優しく頭を撫でてくれた。
「……傍から見ていて、本当は助け舟を出してあげたかった。だけど、どうしてもできなかった。だから、先ずは鈴仙に謝るわ」
「そんな……私が勝手に自分を追い詰めていただけの話です。姫様には、何も……」
「私が悪いと思ったのだから悪いのよ。私は我が儘なんだから」
「姫様……」
「……だけど、貴方もまだまだ未熟ね。そこがまた可愛らしいのだけれど」
そっと、姫様は私の両肩を掴んで離した。体に残る僅かな温かみが名残惜しい。姫様はそのまま私にふんわりと微笑み、そして両手を離して竹林の方を向いた。
「覚えているかしら? 貴方がここに来たその当初のことを」
私は首を縦に振った。
「月の都から逃げてきた貴方だけれど……そんな臆病な所は今でも変わらないみたいね」
「それは……」
「そこが貴方らしくて私は好きよ。いつも気丈に振る舞っているのに、本当は誰よりも臆病で、逃げるのが得意なんだから」
「あの、それは貶している様にしか……」
「でもね、鈴仙。逃げることだってとても勇気が要ることなのよ。向き合うことと逃げること、それはただ、勇気の方向を変えただけなのだから」
「……そんな、大層なものではありませんよ」
「その通り。どう綺麗に言い換えても、逃げるってことは目を背けることなのだから」
姫様は私の言葉を否定しなかった。
だけど、責めることも咎めることもせず、ただ優しく肯定してくれた。
「記憶を失くした彼女と向き合うのは怖いのかしら?」
「怖くない、と言えば嘘にはなります。けれど、もう目を背ける時間は終わりました。その決心もついています」
「そう、なら良かったわ」
姫様の言葉に、私は改めて自分の心を確認した。もう何度も確認するまでもないことだけれど、改めて。姫様の隣に並んで同じ方を見てみると、二羽の兎が追いかけっこをしていた。それはとても楽しそうに、そしてとてもあどけない。
「ねぇ、鈴仙。今宵は良い夜になるのではないかしら」
「今宵が、ですか?」
「えぇ。満月だけれど、今この様子だと雲も少々浮かんでいることでしょう。すると、月の明かりが抑えられる分、星々が美しく瞬くわ」
「……それは、とても素敵な夜になりそうですね」
「一人で望むには忍びない、そんな一夜の幻想。貴方は、どうするのかしら」
悪戯にくすりと笑った姫様は、私に背中を向けてゆっくり廊下を歩いて行った。
手も触れられずに後押しされた背中。ありもしない感触に、誰かに支えられているという確かな実感を得る。
そうだ、今日が絶好の日なのならば、今宵にもう一度、彼女と星を見に行こう。
何があってももう怖じ気付かない。絶対に、今度こそ約束を果たすんだ。
「……もう一回、師匠に頼んで来よう。流石に今晩は急過ぎるから、良いと言われるか分からないものね」
足取りは自分でも驚くほど軽い。心が躍っているという自覚まである。
大丈夫だ、私。好きなんだ、それに勝てるものなんてきっと無い。