改めて師匠に許可をいただいてから、私は妖夢の病室へとやって来た。ゆっくりとその扉を開ける。妖夢はまだ寝ているかなぁ、何て思いながら室内を見てみると、彼女はベッドに腰掛けてぼんやりと外を眺めていた。その先にはまたいつかのように兎が跳ねまわっているのだろうか。音を立てずに入ってきた私に気付かない妖夢は小さく息を吐いた。
「どうかしたの?」
「あ、貴方でしたか。また兎が遊んでいるなぁと思いまして」
「あら、本当ね。楽しそう」
「……貴方の表情も、いつもよりも輝いている様に見えますよ」
「そう?」
「えぇ。それはもう、星の様に」
ふんわりとした微笑みにトクンと胸が高鳴るのを感じたけれど、それを見せないようにして彼女の右隣に座る。その時に妖夢が私と手を重ね、恥ずかしいのか頬を赤らめて少し俯いた。かく言う私も高鳴りが増し、それを誤魔化そうとワザとらしく耳を動かす。
いつ以来だろうか、こんな甘酸っぱい時間は。私が一方的にそう感じているだけだとしても、それでも確かにとても暖かくて切ないこの時間は、いつ以来なのだろうか。
時間は止まらない。同じ時は帰って来ない。私が目を背けたこの一月ほども、あの夜までの遠い思い出も、もう二度と帰って来ない。それでも、今この瞬間だけはそれでも良かった。
それ位には、幸せだと感じているのだ。ただ、手を重ねただけなのに、たったそれだけのことなのに。
「何故でしょうか……貴方と居ると、とても懐かしいのです。まだ出会って半年も経っていないのに、懐かしくて心がそっと包まれている様な気がするのです」
「それは、お互い様よ」
私がそう言うと、妖夢は重ねていた手を握った。それも、少しの戸惑いを見せる様に指を這わせ、ゆっくりと。
いつになく、それは強い力だった。痛い訳ではないけれど、それは放したくないと訴えかけてくる様な力。
「貴方は今までに心から大切にしたいと思った方は居ましたか?」
「私?」
「はい。貴方、です」
「……居たよ。それは今でも変わらないけれど、相手が私のことを覚えているのかは分からない」
「……もう、随分と会っていないのですか?」
「……どうなのかしらね。会っているかもしれないし、会っていないかもしれない。だけど、正直言うとそれはどうでも良いのよ」
「どうでも良い、のですか……」
「後ろ向きな意味ではないわよ。ただ、蓄積された何てことのない思い出が私の中にあるのだから、それだけでも十分なのかなって」
言うまでもない。ずっと、誰よりも近い位置で最愛の人を見てきたのだから。例えそれがかつての私を知らなくても、私は彼女のことを何よりも大切に思っていることに変わりは無い。自暴自棄になったって、結局それはずっと変わってはいないのだ。
許されるなら、今でもその華奢な体をそっと抱き締めてみたい。だけど、やっぱりこうして手を握られることが精一杯のやり取りで、思うばかりであと一歩が踏み出せない。
「……私は、剣を捧げる主君以外の誰も皆、詳しく知りません」
「……」
「まだそんなに誰かと出会うことはないけれど、それでも向こうは私を知っている様に振舞うのが、どうしても腑に落ちないのです」
「そう、でしょうね」
「だから、心から大切にしたいと思う方は主君以外に居なかった。主君しか知らないのですから無理もないかもしれませんけど」
左手で自分の髪を抓みながら、妖夢はポツリと呟く。
「だけど……今は少し違います」
「……その大切にしたい人が」
「……居ますから。恥ずかしい話ですけど、ね」
はにかんで妖夢は笑った。またしてもトクンと心臓が高鳴る。顔が段々と熱くなっていき、何とか誤魔化そうと大きな耳を弄る。
「……ねぇ、妖夢。一つ、頼み事なんだけどさ……良いかしら?」
「えぇ。なんなりと」
「今夜、私と星を見に行かない? この竹林を抜け、川の畔を歩いていって……何処にあるのかも分からない、星が綺麗に望める場所で、私と一緒に星を見てくれないかしら?」
「……はい。よろこんで。何処へでも御供いたしましょう」
それは昼下がりの窓際。家族同然の師匠たちと話をして、そしてほんの少し湧いた勇気。
今度こそ、約束を果たそう。
伝わらなくても良い。聞いてもらえなくても構わないから。
そこで、言葉を紡いでみよう。