川沿いの夜道は風情があって中々良い。寂しげな蛙の泣き声、そして細やかな蛍の光。提灯に照らされる道はそう遠くまで見えないけれど、嘗ての妖夢と一緒に歩いた道は何故だか何処までも見通せている様な気がする。
そして、あの日と同じ朧夜。妖夢の臆病は変わらないのか、あの日と同じで私の腕にしがみ付き、もう片方の手は刀の柄を握り締める。そして風が吹き、草木が揺れればその音にビクッと反応してその可愛らし気な悲鳴を上げる。大丈夫と笑いかけ、ただ星の綺麗な場所を目指して歩くのだ。
そうだ、大丈夫だ。今日こそはきっと見ることができる。あの日の約束を、今日こそは果たすことができる。例え、相手が約束を覚えていなくても、例えすべて自己満足だとしても、約束を果たすのだ。
「あ、あの……」
「どうかした?」
「こ、こわい、ですね……貴方は平気、なのですか?」
「この時間にここに来るのは初めてではないもの。慣れ、ではないかしら?」
「慣れ、ですか……」
夜に消えていく二人分の足音。慣れ、と私が言うと、その足音の片割れが少し揺らいだような気がした。提灯に照らされて見える妖夢の表情はどこか腑に落ちないと言った様子で、片手は私の腕に組みながらももう片方の手を顎に当てて呟いた。
「でも……私はこの道を以前も通ったことがあります」
「そう、なの?」
「はい。それこそ、ほんの一月ほど前……そうです、今日と同じ様に星を見に行こうと思っていました」
「誰と、とか覚えているの?」
「いえ、あれは確か一人だったでしょうか。いや、一人、だったのでしょうか?」
私は何も言えなかった。きっとそれは、私と歩いたあの瞬間。変に口出しをしても妖夢を混乱させることしかできない。それに、忘れている方が幸せな事実だってあるのだから。あの時のことを忘れているのなら、あんな化け物に出会ったことすらも忘れているのでしょう。それは、ある意味では幸いだったのかな。
「……何故でしょう、思い出せません。大事な思い出だとは感じるのですが……」
「まぁ、そういうこともあるわよ。その内思い出すって」
「そう、ですよね。すみません、変なことを言い出して」
「謝ることじゃないでしょ」
何気なく、彼女の頭をそっと撫でる。少し背の低い彼女はその突然のことに少し戸惑った様に私を見た。夜への恐怖からか、若干瞳が潤んでいて、目が合った私の鼓動は一瞬とても大きくなった。愛くるしいその表情へと湧く何故だか切ない恋情。思い返せばあの時と、妖夢に対する感情は違う。あの時はまだ、この恋情に気付いてすらいなかったのだから。
風が通り抜ける。それは、余計なものを取り払ってくれる様な気がした。その余計なものが具体的に何なのかは想像できないけれど、それはきっと最後の蟠り。後少しだけ足りない勇気のストッパー。時間が過ぎれば過ぎる程、思いを打ち明ける時は近付く。それを風の中に感じるのだろうか。
「……あれ?」
だけど、
「何故こんな時間に……牛車が、こんな所に……?」
実際、そこにあるのはストッパーだけではなくて、もっと越えなければならないものがある。
越えなければずっと弱いままで、外側、上っ面だけ固めた明るさなんて役にも立たない。誰かに言われてここまで回復したけれど、最後はやっぱりコイツなのだ。
「朧車……」
忘れもしない、あの悪夢。朧なその体。何もできず、ただただ流されて失ったあの瞬間。あの時もその遭遇は突然だった。あぁ、そうだ。そこから失うまでの時間も殆ど無かった。
「大丈夫、なのでしょうか。ここに居ては危ないでしょうに」
「……妖夢、どうにも私達は運が悪いみたいね」
「ほぇ?」
「こんな一本道で、そしてまたあんな化け物と遭遇するなんて」
「また?」
「……貴方は知らない、近いのに途方も無く遠い、そんなある瞬間の話よ」
キョトンとした疑問の表情。本当に、何も覚えてはいないのね。
「ごめんね」
「どうしたんですか」
「ううん、どうもしない。だけど、そうね……もしものことがあれば一直線に逃げて」
「逃げる様なことがあるのですか?」
「……もしかしたら、ね。大丈夫。えぇ、きっと大丈夫だから」
私はそっと妖夢の手を解いた。一体何がどうしたのか、何も知らない妖夢は未だキョトンとしたまま。そんな表情でさえ、ただただどこまでも愛おしい。
「何があっても、今度こそ忘れないで。貴方の隣には、いえ……貴方の直ぐ傍には、誰よりも貴方に思いを寄せる、どうしようもない馬鹿が居たってことを」
そう言って、妖夢と目を合わせた。瞬間その視界を狂わせる。
こんなことしか出来ない馬鹿だ。守る為に、危害を加えることを選ぶ馬鹿だ。自分を見失って、好きな誰かにすら目を背けた馬鹿だ。
せめて、こんな時位、好きにさせてくれ。これが、私と言う馬鹿なのだから。
「ごめんね」
「な、何を……ッ!?」
慌てふためく妖夢から目を離し、未だ動かない朧車に目を向ける。
あの時の、怯えるだけの私はもう、死んだのだから。