「ぶえっくしょん!」
リネルは盛大にくしゃみをした。
「あ! あーあ」
今まで魔力を込めていた指輪を慌てて確認し、失敗を知るとリネルは天を仰いだ。
眉間に皺を寄せて、低く呻く。
繊細な魔力操作しながら作っていたアクセサリーが失敗してしまった。
「今ので失敗しちまったよ」
向ける矛先のない苛立ちを険悪にこぼして、八つ当たり気味に(誰かが俺さまの噂でもしているのか?)と居もしない対象に半ば冗談含みであるが怒りを向けた。
リネルが仕事の際に使っている作業場は、ほこりっぽいわけでも、肌寒いわけでもない。
そのような環境下にいたというのに、突然のくしゃみが出た。その理由がわからず、彼は迷信じみたものに怒りを向けた。些細な一瞬が原因で失敗した仕事の苛立ちは、その程度のことで消えるものではなかったが。
怒りがいきつくところまで燃え尽きると、今度はうまくいって完成直後だったものの慣れの果てに気鬱な感情が湧きあがり、リネルは落胆に肩をおとした。
まったく、魔界でも屈指の装飾職人は辛いな。
乾いた笑いをうっすら浮かべながら己を自画自賛することで鼓舞したが、落ち込んだ気分は上がらなかった。
(嫉妬だか称賛だか知らんが有名になりすぎるのも面倒なもんだ。天才装飾職人リネル様の名を知らんやつなど、魔界にはいないからな)
賛辞を続けてみたが、続けるだけ空しくなる事実にすぐに気付き、リネルは考えるのをやめた。
リネルは魔界で名の知れている職人、それは事実だ。しかし、本人はそれを建前では得意になってふるまっているが、本心はそのような細事は気にかけていなかった。有名になった自身の名を「仕事の依頼が多くてめんどくせー」程度にしか捉えていない。仕事を引き受けなければいい、などという問題ではなく、そもそも依頼者に関わることすら倦怠感があるのだ。
リネルは失敗した指輪を見る。青い宝石を飾った銀の指輪に、ベホマズン級の広範囲回復魔法を石にこめようとしていたが、溜まった魔力を確認すると、よくてベホマラー程度の回復量しか見込めなかった。
(悪くてただのベホイミか……)
くそ、忌々しい。
無意識に呟いて、この失敗作をどうするか考える。
これにもう一度無理に魔力をこめなおしたところで、上手くいかないのは目に見えている。
捨てることも考えたが、出かけるたびに怪我をして帰ってくる同居人の顔が脳裏に浮かび、それを改めた。
(あともう少しで完成だったんだが。何処の誰だか知らんが、許すまじ)
くしゃみのことを未だに引きずるリネルは、諦めても諦めきれない思いをため息に託したのち、作業台に置いてある指輪を掴み、作業場に出た。
「うおーい。ダイ、いるかー?」
失敗したアクセサリーは、最近拾った居候にやることにした。少年の名を呼び、姿を探す。
黒の結晶とともに地上から消えたダイは、魔界にまで吹き飛ばされていた。
頼まれたものを納品した帰り道、何故かルーラを使う気が起きず、トベルーラで家に向かっていたリネルは、荒野で倒れていたダイを見つけた。そのときは魔物に殺られた死体が転がっているのだと思った。
しかし、何かこころにひっかかるものを感じて、近寄って確認してみた。虫の息だったが、まだ生きていたのだ。
リネルは種族的に、とてつもなく勘が鋭く働くが、それ以上にダイという存在に対して、厳密にいうならば“竜の騎士”の持つ特異な力の波動が、リネルに気付かないことを許さなかった。
明確なる思考の元に働いた意識とは別の無意識化で、リネルはダイを無視できなかった。
とんでもなくやっかいなもんを見つけちまった。むしろ、何かに導かれるように、見つけさせられたのかもしれねえな。
その瞬間、リネルは信じられない思い飲み下すかのように唾を嚥下した。
届きもしない呪詛で神を呪い、覚悟を決めた。
倒れている者が何であるか、リネルはその時点でわかっていた。
見つけてしまったからには放っておけるはずがなかった。それは感情からくるものでもあったし、種族としての本能でも義務でもあった。
リネルは瞬時に回復魔法をダイにかけ、それだけでは足りずに持ち合わせの回復能力を有したアクセサリーやアイテムを使って、ダイの傷を回復させた。ダイの負った怪我は酷く、その場の治療では、懸命な努力もむなしく、完治させることは出来なかった。
家に連れて帰り時間をかけて、少しずつ治療をしていった。
竜の騎士でなければ、リネルはダイを助けなかっただろう。
見知らぬ他人を助けて、家にあげてやるほど、リネルはおひとよしではない。
薄情ではあるが、それは魔界ではごくごくあたりまえのことだった。
ダイの治療をしながら、リネルは、どうすればこんな酷い怪我を負えるのか。そして、なんでこんな酷い怪我を負ったのに生きていられるのか、と呆れていた。その理由を、リネルは正確に予測し、そして正確に原因たる情報を得られていたが、それでも目の当たりにする竜の騎士の生命力に、否、ダイの生命力に驚き、そしてその生の過酷さに憤りを覚えていた。
黒の結晶の爆発に巻き込まれたのだとあとで話を聞き、ただの竜の騎士であれば、彼の父、バランのように命を費やしていただろうと思った。
二つの竜の紋章を持つ奇跡が、彼を生かしたのだ。
とんでもないものを助けてしまった。
後悔はない。だが、今後起きることを想像して背筋には緊張したものがうまれる。
今の魔界で竜の騎士に関わるのは厄介事に巻き込まれる決定事項のようなものだ。
それでも、ダイを見捨てて放りだす気は、かけらも起きなかった。
リネルは、ダイを助ける際に使ったアイテムの金額を全額返済させるために、という名目で彼を家に置いている。
そうでもしなければ、ダイはひとり何処かに消えていってしまいそうだった。
彼の力は怪我の後遺症のせいか、まだ十全ではない。
そんな状態の彼を、自分の目に届かない場所にやるわけにはいかなかったのだ。
「お前の怪我を全快させるために、かなりの売り物を消費したんだ。まったく商売あがったりだぜ。俺は俺自身のやさしさに本当に感動するよ。こんな善人、めったにいないぜ?」
恩着せがましくダイに言い、家で働くよう命じた。
真面目で純粋なダイは、ちゃんとそれを守っている。
毎日のように怪我して帰ってくる。その度にリネルは回復魔法をかけたりアイテムを使ったりして、傷を治した。その度に、借金の額は増やす。だが、返済させるつもりなどリネルにはなかった。ただ、ダイが家にいなければならない理由をつくっていただけだ。
失敗した指輪も、
「タダ働きはしねーよ、俺は。タダにしてもらうのは大好きだが、タダでやるのは大嫌いだからな。このアクセサリーは、失敗作だから破格の値段で譲ってやろう。といっても、おまえはは一文なしだから、だいたい労働で返してもらうけどな。力仕事とか力仕事とか、力仕事とかで。あと、ときどき家事な」
という、横柄でもったいぶった態度で渡すつもりであった。力仕事を連呼するが、リネルの家には、力を必要とする仕事は、ない。力仕事を連呼するのは、リネルの求める水準に家事能力が達していないが故の皮肉である。
「ダイー。……いねーみたいだな」
リネルはダイに「絶対に作業場に入るな、俺が作業場にいる間は声をかけるな」と命じてある。返事はなく、家の中に姿は見当たらなかった。どうやら、リネルが作業している間に出かけたようだ。
(また怪我して帰ってくるつもりなのかね、あいつ。おひとよしには困ったもんだ)
リネルはてのひらで失敗作の指輪を転がす。
弱い者ほど排他される弱肉強食のこの魔界に住むものたちを、自分の身が傷だらけになろうとも放っておけないのだ。
少ない食べ物を求めて襲う理性なき魔界の凶悪なモンスターから村を守ったり、力を振りかざして暴虐の限りを尽くそうとする粗暴な魔族から弱い者を守ったりでもしているのだろう。
馬鹿な真似はやめろ、まだ力だって戻っていない。むしろ、竜の騎士としての力が完全に戻るのかすら今の段階ではわからないのだ。そうやって言葉を重ねても、どこかで泣いているひとたちが、自分が助けられるひとたちがいるかもしれないと言って、純粋な少年は飛び出してしまう
かつての強さを取り戻せていないのにも関わらず無茶を繰り返すダイを、どうやって止めればいいのか。それがリネルの目下の悩み事だ。
リネルははあ、とため息を吐いた。
自分の置かれている立場の危険性も考えず、鉄砲玉のように飛び出すのは心臓に悪いから早々にやめてほしいものである。
ダイの正体が竜の騎士であり、大魔王バーンを倒した地上の勇者というのは、魔界のほとんどのものが知らないが、知っている者は知っている。
人間など、この魔界では悪目立ちするだけだ。
虎視眈々と地上への進行をもくろむ連中は情報収集に余念がなく、ダイのこともそろそろ耳に入ってもおかしくないはずだ。
今の魔界はダイの敵だらけだ。竜の騎士だとか勇者だとか知らなくても、実力で着々と名をあげつつあるダイを狙うもの。そこにヴェルザーが加わるのは遠くない話になるはずだ。
彼の者の封印は近いうちに解ける。魔界と地上の覇権を狙うならば、ダイが一番邪魔だ。配下どもはヴェルザーが復活する前に、露払いをしておきたいのだろう。いつか、どうしようもない事態が訪れる。そんな予感が、リネルにはある。
そして、ダイはいずれヴェルザーと闘わなければならないことを、理解しているのだろう。
誰かを助けるための純粋さを持ち、助けたものに微笑みかけながらも、彼の視線はいつも何処か鋭い。
「せっかくこの俺様が地上に帰してやろうかと気をつかったのによー」
魔界よりも地上のほうが彼にとって安全なのだ。それに、仲間たちがいる。なにかあっても、仲間がダイを守ってくれるはずだ。
リネルは、理由をつけて地上へ向かわないかダイに打診したことがあった。
ダイと共に暮らしている間、戦いの間の出来ごとを聞いていた。そのとき、ダイの話からかつての弟子が協力していたことを知ったのだ。
ロン・ベルク。
魔界の名工とまで呼ばれるようになった彼を、リネルは今でも気にかけており、魔王との戦いが終わったあとの近況が知りたいから、行ってみてきてくれないか? と頼んだのだ。
よろこんで引き受けるとおもったが、ダイはその頼みを断った。その時のダイは、リネルが言葉を失ってしまうほどに、年齢には似合わない、決意を込めた目をしていた。
たったひとりで、愛するものたちのために、戦う覚悟。
地上に戻り、仲間たちと再会することで新たな戦いに巻き込みたくないのだ。ダイがまた、戦っていると知ったら躊躇わずにそれに協力する仲間たちなのだろう。
だから、最初から会わない。
仲間たちあって揺らぐような決意ではない。そんな生半可な決意ではないからこそ、仲間たちはそれに呆気なく気付いてしまうのだろう。
ダイは、それを恐れているように見えた。
自分だけを犠牲にしようとするその姿勢は潔くて、うつくしい。だが、同時にとてつもなく身勝手だ。
とんでもないアホだ。馬鹿だ。とんまだ。愚かものだ。
なにもかも自分ひとりで背負おうとしている姿に、リネルは同情以上に苛立ちを抱いた。
(お前がいなくなって、泣いているやつらだっているだろう。そいつのことを考えたか? 考えても、ひとりで戦うつもりか?)
もし、俺が、こうやって置いていかれる立場だったら、リネルは絶対に許せない。無力で戦う手段がなかったときの何もできなかった自分のことを思い出しながら、頼ってくれないことを悲しむ。
けれど、リネルはダイになにも言えない。ダイを責める言葉は、リネルは持たない。
地上に残されたダイの仲間の気持ちは簡単に推測できる。だが、ひとり戦おうとするダイの気持ちも分かるからだ。
もし、リネルが戦わなければならないときが来るとしたら、大事な弟子だけは巻き込みたくないという強い思いがある。
「ま、うちに帰って治療を受けるだけ、いいだろう」
少なくとも、完全に孤独なる戦いではないし、帰る場所がないわけではない。
ダイの気持ちを考えれば、ひとりきりで戦おうとするのは否定できないが、心おちつける場所くらいあってもいいだろう、とリネルは少しの救いでも探すかの切なさで思う。
[newpage]
ダイが出かけて怪我を作って帰ってくるのはいつものことだが、今日に限って、嫌な予感があった。見つからない姿に、焦りがうまれてくる。
臓腑を撫でていくような寒気が体の中に生まれる感覚に、リネルは背筋を震わせた。
(……どこかでのたれ死んでいたりしなーよな。あいつ強いくせに性格が素直だから、ちょっと絡め手でこられるとひっかかっる馬鹿をする。それに、俺の知る限りではヴェルザーの配下の幹部には厄介なのが多いし)
リネルはヴェルザーの配下で思いつく者たちの顔を脳内で列記する。
(死神の異名を持ついけすかない野郎だとか、気障で腐った性根の死霊使いだとか、自称『災いの魔女』実際は面倒くさい魔法ばかりチマチマ使ってくる『嫌がらせの魔女』とかな。戦闘狂の餓鬼と武人としかいいようがない糞真面目な剣士は、本気を出したダイの敵にすらなんねらないだろうが……今のダイには危険だろうよ)
リネルが知らないうちに、配下が増えている可能性も高い。ヴェルザーたちの情勢を詳しく知れていたのは大分昔で、リネルの持つ情報は古い。
ヴェルザーの部下として有名な者以外にも、実力のある魔族は多いだろう。無名の中にこそ、とてつもないつわものがいるかもしれない。
そんなものたちにに、まとめてかかられたら、大魔王を倒したダイであっても手にあまるかもしれない。
(そろそろ、来てもおかしくないと思っていた、もし、奴らが来るとしたら、だ)
どのような強硬手段に訴えてきても、おかしくはない。
ダイには念のため、リネルの作ったアクセサリーを邪魔にならない程度にいくつか持たせてある。下手な店で購入する鎧よりも防御効果は高くなっている。剣を失っているので自分の手持ちから名品を渡してあるから、装備に関してなら不安はない。
(多対一は、それでもきついだろうからな)
リネルは出かける準備を始めた。
守備力や攻撃力を上げるアクセサリーを、急いで身につけられるだけ身につける。ダイにあげようと思った指輪がポケットにはいっていることを確認し、それ以外の回復アイテムもそろえる。祈りの指輪も持っていっておく。マジックポイント切れになったら必要になる。
久しく使っていない剣をひっぱりだす。下手をすると伝説級の武器よりも珍しく、高い攻撃力を誇る“はぐれメタルの剣”である。材料が特殊でなかなか手に入らないから、大抵のものは手に入れられるリネルでも、持っているのはこれ一本きりだ。
魔界の歓楽街にあるとあるカジノには、何処かに入手ルートを確保しているのか景品としてこの剣が大量に常備されていたりする。それが何処からなのか、いつまでたってもリネルの疑問だ。(俺に教えろ、そのルート)リネルの常の願いである。グリンガムの鞭というでたらめな攻撃力を持つ鞭も何処から手に入れてきている。そんな疑問が尽きないカジノで手にいれたエルフの飲み薬も持ち、素早さを上げるサンダルに履きなおして準備を終えた。
「さあて、遅くなっても帰ってこないおこちゃまをむかえにいくか」
俺は口では軽くこぼしつつ、表情は真剣にして家を出た。
あいつに死なれるのは嫌だ。竜の騎士を見殺しにして後悔するのは一度きりで十分だ。
苦い、などという言葉では表しきれない絶望の過去を思い出す。
人生が覆され暗転した、衝撃。そのような思いを、二度と味わいたくない。
どうせ死ぬのであれば、長生きをして可愛い嫁を娶り、孫やひ孫に囲まれてベットの上で死ね。リネルは、ダイにはそういう人生を送ってもらいたい。
ダイの話を聞く限り、いい雰囲気になった女の子を地上に残してきたようだった。
その女の子……レオナ王女のことを語るときのダイは、ほかの誰かのことを語るのとは少し違った。敬愛でも友情でもない、大切なひとを想う感情が言葉の端々にあれわれていた。
多分、女の子のほうもダイを同じように想っている。
そんな女の子を残したまま死なせてやるわけにはいかない。
待っているだけというのは、辛いものなのだから。そしてそれだけしかできない間に、死なれてしまったときの絶望。それはとてつもない大きな傷となって残る。
見ず知らずの少女の痛みを想像してしまうのは、彼女のまっている人物が『竜の騎士』だからだろう。普段のリネルならば、そこまで他人をおもいやったりはしない。
「何処にいやがるんだか」
まずはあいつを探さないとな。
これで何事もなく帰ってきやがったら、思いっきりこきつかってやる。リネルは冗談半分に決める。横暴であっても、なんの罪のないダイに対して尊大に振る舞うだろう。(本気出して重装備した自分がかなり恰好悪いからな)しかし、そのほうがいいとリネルは望んでいる。帰りが遅い程度でダイの危機だと勘違いして急いで家をでた照れくささや羞恥のほうが、この切迫した焦りより遥かにましだ。しかし、リネルはそうならないことを予感していた。
「勘がいいからねえ。俺は」
うそぶいて、聴覚を研ぎ澄ます。
ぴくぴくと長い耳を動かして、全神経を集中させる。遠くで戦いの音が響いていないか周囲の音を捕捉する。耳には自由意思で聴力を上げるピアスを装備している。常に聴力をあげた状態にしていないのは、大きな音をたてる攻撃を仕掛けられると逆に大きな負荷がかかるからだ。
他人嫌いのリネルは、ひとけが多く賑わうところから離れた場所に家を建てている。
郊外はひっそりと静まりかえり、聞こえるのは乾いた冷たい風の音と、ちいさな生き物の息吹くらいだ。大型の魔物はリネルが張った結界があるため近くにはこられない。
近くから、遠くへ。今居る地点を中心として、円状に聞こえる範囲を広げて、ダイが何処にいるのか探す。
『……っ!』
『……!!!』
五十キロほど範囲を広げて、ようやく探していた人物の声をひろいとった。
(いた!)
距離があるため会話は聞きとれないが、ダイの声だけははっきりとわかった。
予想の通り、彼は戦いの最中だった。息づかいから、苦戦していると即座に判断する。
(まったく、なにしていやがるんだか)
不味い状況にある。
距離と方向の情報を得て、リネルは即座にトベルーラの魔法を展開。勢いよく魔力を噴出させて、砂埃をあげながら空へと舞い上がる。
厳しい視線で前方を見つめた。
距離からしてアイテムで強化した足で走るよりも、飛んだほうが早くつく。体力がさほどないのに、走ってその場に向かったら疲れ果てて使いものになりそうにない可能性も高い。膨大なる魔力を使ってトベルーラを使ったほうがいい。
最大限出せる速度をもって、ダイのもとへと向かう。
(とにかく死ぬなよ! 死にさえしなければ、俺の魔法やアイテムで回復できる。たとえ死にかけていようと、前みたいに俺の力で助けてやる!)
叫ぶような祈りだった。
風景が目まぐるしく変わっていく。日のささない魔界に適応した植物の楽園となっている森を通りすぎ、剥き出しの岩肌で一面が灰色に見える地帯にたどりつく。その先で、ダイの姿をようやく見つけた。
豆粒のようにちいさく見えた姿から、距離が近づくにつれてはっきりとその姿を視認できるようになる。リネルは剣を支えに立っているダイを見つけ、心臓を大きく跳ねさせた。大丈夫、まだ奴は生きている。ダイの生存を確認して、リネルは気を鎮め、安堵する。すぐに気を引き締めて、敵の数を素早く確認する。
(一、二、三と……まあ団体さんに囲まれちまったな)
十人以上いる魔族に、ダイは囲まれていた。見知ったヴェルザー配下の幹部は、その中には見当たらない。
だが、敵の様子がおかしいことにリネルは気付いた。連中に生きている者の気配がしないのだ。
(……こいつぁ、死霊使いケダンの仕業だな)
彼の術はただの死霊使いよりも悪質だ。
死体のみを操るのであれば、ただの死霊使いであるが、彼は生きているものに術を仕掛ける。
術をかけられたほうはその自覚のないまま生活が可能であるが、死んだ瞬間に仕掛けていたものが発動する。
ケダンの術により生前の実力を遥かに凌駕した力を持つゾンビとなって黄泉がえり、ケダンの強靭な手駒となる。
姿が見えないだけで、その背後にいるヴェルザー軍の存在をリネルは感じ取った。
隠しようのない死臭が上空にまで漂ってくるようである。不穏さをはらんだ空気にリネルは渋面を作った。
見えない敵に舌打ちして、今は目の前にいる敵に集中する。自身の身は巧妙に隠し、安全な場所から姑息に攻撃をしかけてくるケダンは、後で必ず探しだし叩きつぶせばいい。
リネルは、大きく声を張り上げる。
「ダイ! 雑魚に殺られて死ぬなんてみっともねえ真似はすんなよ!」
不意打ちをせず、自分の存在を知らしめたのは、少しでも注意をダイから反らすためである。
「リネル!」
闖入者に、ダイが驚く。
リネルの狙い通り、動く屍たちはこちらに気を取られた。生気のない濁った目が一斉にリネルへと向かう。
「ベ・ギ・ラ」
振りかざしたリネルの腕に、魔法のエネルギーが集中する。冷えた眼差しで的となるものを睥睨する。ケダンに死してまで弄ばれている彼らに、同情はない。
「マ!」
片手を思い切り振りおろし、閃熱呪文で魔族の群れを攻撃した。呪文を放った先から、高熱の光線が魔族たちを襲い、着弾した瞬間、発火して燃え上がる。
屍たちの悲鳴のような怒号があがった。(もうとっくに死んでいる癖に、痛撃に対して反応はすんのな)リネルは余所事に少し感心し、すぐに頭の中から振り払い、固い岩の地面へと着地する。ダイと敵との間に立ちはだかる場所に堂々と身を下ろし、怒りをあらわにさせていた。
「リネル……なんでここに?」
「こんなところでくたばりかけやがって。借金の返済が全然済んでねえのに、死なせてやると思ってんのか?」
満身創痍のダイに視線を向けず、敵を睨みすえたまま、後ろ手に回復アイテムを放り投げる。
「さっさと回復するこった。もちろん、これも借金につけておくからな」
商人のようにけちな余計な一言を付け加えたにも関わらず、ダイは今にも崩れ落ちてしまいそうなくらい弱く滲んだ声で「ありがとう」とリネルに礼を告げた。
胸が熱くなる思いをひた隠しにし、それに一瞥もくれず、リネルは剣を引き抜く。
片手で剣を構えると、鈍色の刃が銀の光をきらめかせた。
一見して、決して名剣になど見えないのがこの剣の特徴である。
死霊使いケダンに手を加えられた死体は、身体能力こそ桁違いに上昇するが、もとが死体であるだけに、思考能力などないに等しい。いくらかはこの剣の威力の犠牲になり、数を減らせるはずだ、とリネルは作戦をたてる。
ダイを助けるために突撃をしかけたリネルに、策などはない。
臨機応変に魔法と剣とを使いわけ、敵の実力を測りながら相手をしなければならないのだ。
身体能力を上げる装飾品を装備し、高威力の魔法を使い、最強と呼べる剣を持つ。それを聞くだけなら強い使い手だと思えるだろうが、リネルの本職は工人であって、戦士ではない。戦いは不得手であった。護身のために魔物を屠る経験は星の数ほどあったが、それは一方的な殺戮であって、戦闘ではなかった。
もっとも安全なのは、ダイを連れてルーラで自宅まで逃げる手段だ。
しかし、リネルは最も確実なその手を選ばなかった。ここで逃げても、また必ずダイを狙う。
家には結界を張っているが、ヴェルザー軍の幹部にかかられては、簡単に安全な場所は安全ではなくなる。
確実に、今ここで叩きつぶす。
それが現時点での最良。
リネルはダイが回復し終えるまでの時間稼ぎにすぎない。たとえダイが万全の状態でなくても、二人がかかりならばこの程度のものどもと戦えるはずである。
リネルは戦闘経験が皆無に近かろうが、攻撃手段はある。ダイが動けるようになるまでの時間なら、ひとりでもどうにかなるはずだった。
裂帛の気合と共に、剣を振り上げてリネルは突進する。歴戦の経験を持つダイにとって、その動きは隙だらけの危険な行為にしか見えず、負傷意外の理由で顔色が変わった。剣を持つことに慣れていない素人の動きなのだ。剣を持っているだけで、扱い切れていないのである。
「危ない!」
ダイは思わず叫んでいた。
正面の敵に剣で切りかかろうとするリネルの横に、魔族のひとりが飛びかかった。
攻撃をまともにくらいそうになった瞬間、リネルはダイが予測も出来ない動きを取った。
強く踏み出した足でアイテムの効果を発揮し、唐突に体の動きを早くした。突然の動きの変化に瞬時についていけるものはおらず、素早く狙った標的に剣を突き立てざま、敵と自分の位置を素早く反転させ、切りかかってきた魔族の攻撃の盾にしたのだ。
「メラゾーマ!」
豪火の火炎球がリネルの掌から生まれ、炸裂する。
近くにいたひとりにぶつかった炎の玉は火柱をあげて燃え上がる。
断末魔の咆哮。皮膚を黒く炭化させて、膝から崩れ落ちる。
だが、それは時間稼ぎにもならない。
仲間が討たれようと、もう既に死んでいる彼らには戸惑いも恐怖も動揺も警戒もない。彼らは次々に襲いかかってくる。
ただ、術によって命じられるまま敵を屠ろうとするだけだ。それがリネルにとって非常に厄介であった。
「マヒャド!」
氷雪呪文で敵を牽制。襲いかかる吹雪の冷気体の動きを鈍らせる。その間に魔族の背を蹴りあげて突き刺した剣を乱暴に引き抜く。
血のついた剣を構えなおし、アイテムにより加速した動きで、リネルは敵の撹乱にとりかかる。
「スカラスカラスカラスカラ……」
動き周りながら狂ったようにつぶやくのは防御力を上げる魔法だ。あたったらただですまない攻撃は、耐えきれる自信のないリネルには恐ろしく、これ以上唱えたところで効果はなく無駄と分かっていても、呪文を何度も唱えた。
回復を急ぐダイに、敵の何人かが向かう。
その背に容赦なくヒャダルコで作り上げた鋭く尖った氷の塊を突き刺す。死した屍の歩みはそれでもとまらなかったが、鈍重になった魔族の戦士の動きを捌くのは手負いのダイでも容易であった。
杖代わりにしていた剣を勇ましく構え、ひと薙ぎに切り払う。
胴からふたつに切断された体は、下半身だけでよたよたとダイに向かう。生命活動を停止していた体は勢いよく血しぶきを迸らせることなかったが、重力に従わせ青い血を大地に溢れさせた。青く染まりながら歩く足だけというのは救いようがなく醜悪な光景だった。
生理的嫌悪感によってこみ上げる吐き気に耐えて、リネルはヒャダルコを唱えて気色の悪い活動を停止させた。
「そろそろ動けるようになったみてえだな。だが、まだ回復に集中してろ」
威圧も通用しない相手に、リネルは技巧もなく早いだけの動きで力任せに剣を振るい、合間に呪文で攻撃する。
分かったのは、剣の攻撃で止めを刺すのは難しいということだった。
全てを抹消し尽くす炎で燃やしてこの世から完全に消し去るか、氷雪呪文で凍らせて体を凍らせなければ、四肢を切断しても動きを止めず、首を刈り取ったところで頭だけになった状態で呪詛を履き続けながら、首から上を消失した状態で動き続ける。
悪夢として夜にうなされそうなものに囲まれながら、リネルは気丈に応戦する。
息を切らせながら、ダイの回復の具合を見やり、唇にちいさく笑みをつくった。
「さあて、前座はこれで終わりだ。いよいよ本打ちの登場だ」
これで自分の出番はこれで終わりだといいんだがな、口の中で小さくつぶやき、リネルはダイと共に並び立つ。
全てを蹴散らすがいい、竜の騎士。