シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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 準備室を出ると、裕子がいつになく思いつめた表情でみなを見つめた。

 

「あの、お薬のケースですけど……私に持たせてもらえませんか!?」

「裕子ちゃん……」

 

 彼女の気持ちはよくわかった。無自覚だったとはいえ、このゾンビ騒動の発端には裕子もおおいに関わっていた。やはり思うところもあるのだろう。

 

 そんな裕子の思いを汲み取ったのか――。

 

「……ほらよ」

 

 夏樹は解毒剤の入ったアタッシェケースを裕子に向けて突き出した。

 

「い、いいんですか?」

 

 かくもすんなりと願いが聴き入れられるとは思っていなかったらしく、裕子はきょんとした表情を浮かべた。

 

 夏樹はふ、と笑みをこぼす。

 

「おまえが持ちたい、って言ったんだろうが。あたしら全員の希望が詰まったモンだ。しっかり守ってくれよな……自慢のサイキックパワーってやつでさ」

 

 胸元に拳を突きつけられた裕子は、その顔にみるみる喜色が広げていく。

 

「は、はいっ! このエスパーユッコにおまかせあれっ。ムムムムンッ!」

 

 裕子はアタッシェケースをしっかりと抱きかかえると、梅干しを丸呑みしたときみたいにぎゅっと顔をしかめた。念を込めているつもりらしい。

 

 夏樹はというと、なんだか照れくさそうに裕子から顔をそむけていた。

 

「意外とツンデレだよなあ、夏樹も」

 

 仲睦ましげなふたりを見て、未央が苦笑を漏らした。

 

「じゃあケースのほうはユッコちゃんに任せるとして……ノートと本のほうはどうする?」

 

 未央は志希から託された残りの品、B5版の薄い実験ノートと古書をテーブルから取り上げ、小梅をうかがった。

 

 ノートと古書を受け取った小梅は、くるりと体の向きを変えた。

 

「これは……卯月さん、お願いできますか?」

「わ、私ですか?」

 

 卯月は自分の顔を指さし、パチパチと目を瞬かせた。

 

「ええと、まとめてバッグに入れておいてもらえると……」

「あっ、そ、そうですよねっ」

 

 卯月は自分がトートバッグを肩に提げていることをようやく思い出したようだ。細かな品をまとめておける容れ物といえばあれくらいしかない。

 

「それと、念のためこのノートパソコンも持っていきましょう。中に参考になるデータが残っているかもしれません」

 

 小梅はノートパソコンの電源を落とし、ノート、古書に続けて卯月に手渡した。

 

 託された品々を慎重にトートバッグへ収めると、卯月はいささか緊張した様子で、両手を胸の前で握った。

 

「裕子ちゃんみたいな超能力はないですけど……わ、私も頑張ります!」

 

 聴きようによっては間の抜けた卯月のセリフに、未央は小さく吹き出した。

 

「うん、頼んだよ、しまむー。それじゃあ私は……」

 

 未央は小梅たちに背を向けると、なぜかまた準備室のほうへ入っていった。なにをするのだろうと不思議に思っていると、ほどなくして戻ってきた未央の手には、透明のビニール傘が握られていた。

 

「あ、それ……」

「さっき志希にゃんを運んでるときに見つけたんだ。志希にゃんの私物かな? これやっぱり、武器になるかなって」

 

 そう言いながら未央は、片手で持ったビニール傘を軽く振った。手への馴染み具合を確かめるように。

 

 そんな未央を、卯月が不安げに見つめる。

 

「で、でも、未央ちゃん……、平気……なんですか?」

 

 ビニール傘。未央にとってそれは、嫌な記憶を呼び覚ましかねないもののはずだ。未央はこれとよく似た傘でいちど、プロデューサーを手に掛けようとしたことがある。卯月が心配する気持ちは痛いほどよくわかる。

 

 未央は右手に握ったビニール傘にふと目を落とし、憂い顔を浮かべた。

 

「たしかにあんまりいい思い出はないけどさ……でも、もう大丈夫だよ。変な話だけど、私はほうきよりもこっちのほうがしっくり来るんだよね。剣士! って感じでさ」

 

 未央はビニール傘を構え、気丈におどけてみせた。しかしその表情はすぐにまた、まじめなものに変わる。

 

「……それにさ、情けないことも言ってられないでしょ? プロデューサーを助けにいくならさ」

 

 未央は精一杯作ったような笑みを小梅たちに向ける。

 

「……わかりました。でも未央さん……、決して無茶はしないでください」

 

 小梅が心からそう告げると、未央は穏やかに目を細め、うなずいた。

 

「わかってる。もうみんなに心配かけるような真似はしないって誓うよ」

 

 未央は小梅の頭を優しくなでると、もともと持っていたほうきを小梅に託した。

 

「こっちは小梅ちゃんにあげるよ。使い方は……奈緒にでも訊いてよ」

 

 自分の名が耳に入ったのか、奈緒がこちらへ振り向いたが、未央はなんでもないと目だけで返した。

 

 小梅は譲り受けたほうきをしっかりと握りしめた。未央の思いも引き継げるように。

 

「そろそろ出ようか。みんな、準備はいい?」

 

 頃合いを見計らって、凛がみなに声をかけた。その凛はあいかわらずモップを携えている。準備は万端なようだ。

 

 ほかの者ももうやり残したことはないようだったが、そんななかでひとりだけ、おずおずと片手を上げる者がいた。

 

「あ……、す、少しだけ待ってて、も、もらえないか? すぐに済む……から」

 

 輝子だった。輝子は志希のいたテーブルに駆け寄ると、そこに置かれたままだったキノコの鉢を手に取った。プロデューサーの手で持ち出され、志希のもとに持ち込まれていたほうの鉢だ。

 

「そっか……、トモダチも一緒に連れていかなきゃね」

 

 しかし輝子は、小梅の言葉に首を振った。

 

「い、いや……。連れていくけど……、こ、この子は、く、薬と一緒に、が、学者の先生に調べてもらおうと……思う」

「え……?」

 

 小梅は一瞬耳を疑った。たしかに、薬の精製に使われたこのキノコも重要な資料には違いないだろうが……。

 

「いい……の? ずっと探してて、やっと見つけたトモダチなのに……」

 

 輝子はこくりとうなずいた。

 

「い、いいんだ。げ、解毒剤を作るなら……きっとこの子も、必要になる……だろ? それに……」

 

 輝子は小梅たちに背を向けると、準備室のドアの前へ行き、もともと持っていたほうの植木鉢をそこに置いた。まるで、ドアの向こうで眠る志希に花を手向けるかのように。

 

 振り返った輝子は、ぎこちなく口元をほころばせた。それは彼女にとっての、精一杯の笑みだ。

 

「ど、どんなに離れていても、どんな姿になっても……、ト、トモダチは、トモダチ……だ」

 

 その言葉の宛先は、さまざまな方面に及んでいるように、小梅には思えた。

 

 

 *

 

 

 志希の実験室を出て下りの階段にさしかかったところで、小梅はそばにいた卯月に向かってぽつりと漏らした。

 

「……輝子ちゃんが準備室の前にキノコの鉢を置いたのは、正解だったかもしれませんね」

「え? どういうことですか?」

 

 小梅は前を歩く輝子の背中を見ながら続ける。

 

「卯月さん、この建物に入る前、輝子ちゃんがゾンビに襲われかけたときのこと、覚えていますか?」

「え、ええ、もちろん……」

 

 卯月は表情を曇らせた。あのときの恐怖を思い出しているのだろう。ゾンビは結局輝子に襲いかかることなく離れていき、事なきを得たのだが。

 

「でも、それがどうかしたんですか?」

「不思議だったんです。あのとき、あのゾンビはどうして目の前にいた輝子ちゃんを無視したんだろう、って……。その理由が、志希さんの告白文を読んでわかりました」

「えっ、本当ですか?」

 

 卯月は目を丸くした。この様子だとやはり、輝子のキノコの秘密に気づいたのは自分だけだったようだ。小梅は先を続けた。

 

()()()のせいじゃないかな、と思うです」

()()()?」

「ええ、()()()()()()()です。ゾンビ化は血液感染によって引き起こされてますが、志希さんによると、()()()()()ゾンビ症状を発症させたエリクサーの精製には、輝子ちゃんの育ててキノコが使われています。ですから、ゾンビ化した生物の体液や体臭にも、ほんのわずかではあってもキノコの成分が残っているんじゃないでしょうか」

 

 思い起こせば、小梅たちは今日、さまざまな場面でこのにおいを嗅いできた。倒れたプロデューサーが吐いた息も、今から思うとキノコ臭がしていた。志希の実験室に足を踏み入れたときに鼻をついた異臭も、エリクサー精製に使われたキノコの香りだったのだろう。そういえばあのとき、輝子だけは平気な顔をしていたようにも思う。普段からキノコに囲まれている輝子は、においが気にならなかったのだろう。

 

「つまりゾンビさんたちは、キノコのにおいをさせている、ってことですか?」

「はい。もちろん、血液感染をしたゾンビのキノコ臭は、普通の人間では嗅ぎ分けられない程度でしょうけど。ただ、ゾンビは普通の人間よりも五感が鋭敏になっているようですから、私たちには嗅ぎ取れない微弱なにおいも嗅ぎ分けているんだと思います。獲物のにおいや、同類のにおいを……」

「獲物と……同類」

「輝子ちゃんはあのとき、エリクサーの原料に使われたものと同じ種類のキノコを手にしていました。だから、あのゾンビは、自分たちと同じにおいを発する輝子ちゃんを獲物だとは認識できなかったんじゃないでしょうか」

 

 いや、おそらくあのときだけではない。輝子はキノコの鉢を肌身離さず持ち歩いていたはずだ。そういえば、一緒にいた裕子がゾンビに囲まれたとは聴いたが、輝子に関してはそうした話は聴かなかった。夏樹と合流したあとも、再三見回りをしながら無事でいられたのも、もちろん夏樹と裕子の活躍もあったとはいえ、輝子のキノコがゾンビの鼻をごまかしていたことも大きいのだろう。

 

「あっ、なるほど。あのキノコがゾンビさん除けになるなら、準備室の前に置いておけば、あとでゾンビさんが実験室まで入ってきても志希ちゃんを守ってくれるってことですね。蚊取り線香みたいに!」

 

 卯月のあいかわらず妙にほのぼのとしたたとえには苦笑させられたが、理解としては間違っていない。

 

「志希さんの遺体を回収してもらう前に、ゾンビに持ち去られでもしたら大変ですからね。効果のほどは……期待していいと思います」

 

 というより、信じるしかなかった。なにより、安らかに眠る志希がゾンビによって蹂躙される場面など、想像したくもなかった。

 

 そんな話をしているあいだに、小梅たちは建物の一階エントランスホールまでたどり着いていた。一行はそこで一旦足を止める。

 

「薬やらなんやら一式をどっかの研究機関に届けるってことは、今からこの事務所から出てく……ってことでいいんだよな?」

 

 夏樹が小梅にたずねた。問いかけというよりは、確認に近い口ぶりだったが。

 

「ええ……。アタッシェケースには保冷剤も入れられていますけど、そう長くは保存できないはずです。あとで成分を調べてもらうことを考えると、なるべく早くしかるべきところに預かってもらったほうがいいと思います」

 

 そうでなくとも、すでに急速な広がりを見せているゾンビ感染を食い止めるためには、一刻の猶予も許されないだろう。

 

「でも、どうやって移動するの? 今は建物のなかであいつらはいないけど、門のところにはうじゃうじゃいるし、外に出ればもっとひどい状況になってるかもしれない」

 

 凛の言うとおりだった。ゾンビ感染が拡大しているというこの現状じたいが、小梅たちの行く手を阻む最大の障壁になっているのだ。

 

「あっ、輝子ちゃんのキノコに守ってもらったらどうでしょう」

 

 卯月が突拍子もないことを言い出したと思ったのか、みなは怪訝そうな表情を浮かべた。小梅はあわてて卯月に話した説をみなにも伝えた。

 

 話を聴き終えると、夏樹は顎に手を当てて考え込むしぐさをとった。

 

「……なるほどな。しかし、そのキノコの効果ってのは、確実に全員の身の安全を保障できるものなのか?」

 

 核心をついた指摘だった。小梅は目を伏せざるをえなかった。

 

「いえ……。ゾンビの入室を妨げるだけならまだしも、ゾンビの群れをかいくぐるとなると、やはりこれだけでは心もとないと思います……。ゾンビだって、鼻だけじゃなく、目も耳も利かせているでしょうから……」

「……ま、そうだわな……。てことは、あたしのギターもどこまで通用したもんか怪しいってことだな……」

 

 本人の手前、わざわざ口にはしなかったが、夏樹の言うとおりだろう。彼女のギターでゾンビを操るという手も、あまりに多数の敵相手では限界がありそうだった。

 

 小梅だけでなく、みな一様に押し黙ってしまった。誰もいい手を思いつけずにいるのだろう。小梅たちがギターとキノコのほかに今手にしているゾンビへの対抗手段といえば、ほうきとモップとビニール傘、あとは懐中電灯くらいだ。こんな装備で大量のゾンビが闊歩しているに違いない街中へ向かうのは、あまりにも無謀に思えた。

 

 なにかほかに打つ手はないのか? 小梅がなんとか頭をひねろうとしたとき――。

 

「……しゃあねえなあ……」

 

 夏樹がぽつりとつぶやき、首筋を掻きながらため息をついた。

 

「なんか思いついたの? 夏樹」

 

 未央の問いかけに、夏樹は渋面を返した。

 

「ひとつだけ思いついちまった……。正直、あんまり自信はないんだがな……」

「な、なに?」

 

 未央がやけにもったいつける夏樹を急かすと、ほかの面々も一様に緊張に息を呑んだ。

 

 夏樹はそんなみなの顔を見渡すと、おもむろに口を開いた。

 

「要は、全員が安全に移動できればいいわけだろ? だったら……地下へ行こう」

「ち、地下?」

 

 未央たちがいぶかしげに眉間にしわを寄せると、夏樹はライダースジャケットのポケットへ手を入れ、中からなにかを取り出した。

 

「ああ、地下()()()だ。()()()()()()()()

 

 夏樹がみなに見せたもの、それは、自動車のキーだった。

 

 

 *

 

 

 小梅たちが今いるビルの地下は屋内駐車場になっている。事務所職員の自家用車や来客の車のほか、事務所所有の社用車やロケバスなども停められている、広い駐車場だ。

 

 通常、小梅たちが事務所からロケバスなどに乗る際はおもてまで車を回してもらうことが多い。だから地下まで降りていく機会はそれほどなかった。だが、自分のバイクで事務所に乗りつけることも少なくない夏樹は、普段からよく地下駐車場を利用しているそうだ。エレベーターを使わず非常階段から地下へ降りるルートを、夏樹は小梅たちに案内してくれた。

 

「車って……夏樹のじゃ、ないよね?」

 

 凛が、非常階段に響く自分たちの足音を少し気にしながら、先頭を行く夏樹に問いかけた。

 

 夏樹は前を向いたまま答える。

 

「……ああ。これはたぶん、ロケバスのキーだ」

「どうしてわかるの?」

 

 夏樹が一瞬だけ返答をためらったように見えた。

 

「……裕子たちと合流する前、中庭で偶然会った知り合いの運転手が落としていったんだ。……その人はもう、ゾンビになってたがな」

「……」

 

 かけるべき言葉を見つけられなかった。

 

 気まずげな面持ちを浮かべるみなに、夏樹は振り返って気丈な笑みを見せた。

 

「言っとくが、さっきキーを出し渋ったのは別に、こいつに嫌な思い出があるからってわけじゃないぜ。そりゃ、あんな姿になった知り合いがいたのには驚いたけどよ……。あたしが心配してるのは運転だ」

「運転……?」

「単車は普段から転がしてるが、さすがに四輪を走らせたことはまだないからな。……よし、この先が駐車場だ」

 

 夏樹は目の前に現れた鉄扉を押し開け、地下駐車場へ足を踏み入れた。

 

 扉の向こうには、無機質なコンクリートの空間が広がっていた。ここも非常灯がともっており、かなり薄暗いがなんとか視界はききそうだ。目が慣れてきたところで、夏樹が左右を見渡して体の向きを変えた。

 

「ロケパスが停まってる区画は……たぶんあっちだ」

 

 夏樹が指差した方向へ、一同は歩きはじめる。

 

 等間隔に立つ太い柱を懐中電灯で照らすと、そこには、アルファベットと数字が大きく書かれていた。区画表示だろう。小梅たちはそれを頼りに、目的の場所を探して奥へ進んだ。

 

 カツーン、カツーンと、自分たちの足音がコンクリートの広い空間に反響する。不気味な雰囲気に怯え、気がつけば一同は隣の者と互いに袖を掴み合うようにして身を寄せて歩いていた。

 

 不安と恐怖に苛まれながら歩くこと、数分。

 

「あ、あれか!?」

 

 白抜きの文字で「E3」と書かれた柱を奈緒が指差した。

 

 その区画の、壁に面した駐車スペースに、ロングバンタイプの乗用車が数台並んで停められていた。

 

「いつもロケに行くときに乗る車ってあれだよな!?」

 

 小梅も見覚えがあった。事務所から仕事現場へ移動する際などに何度か乗ったことがある。

 

 一同は小走りで車へ近づいた。が、ずらりと並んだロングバンはどれも同じデザインで、見分けがつかない。卯月がおろおろと視線を左右にさまよわせる。

 

「ど、どの車でしょう?」

 

 夏樹が片手を挙げた。

 

「キーについてるタグにカーナンバーが書かれてる。一台ずつナンバープレートを確かめていきゃ――」

「――おっと、そこまでですよ」

 

 やけによく通る声が、夏樹の言葉を遮った。

 

 カツーンと不気味に響く靴音に吸い寄せられるように、小梅たちは一斉に振り返った。

 

 いったいいつからそこにいたのか――小梅たちの数メートルうしろで、男がひとり、ニタニタとした笑みを浮かべていた。

 

「おやおや、みなさんお揃いで、いったいどちらへ? ひどいなあ、僕を置いてみんなで出かけようだなんて」

 

 ボロボロになったビジネススーツに、緑がかって皮膚がただれた頬。

 

 見間違えようもなかった。

 

 控え室で気を失っていたはずのプロデューサーが、そこにいた。


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