シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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 戦慄の光景を前にして、小梅たちは言葉を失っていた。

 

 約百八十名弱。

 

 小梅たち八人を取り囲むには充分過ぎる数の人影が、扇状に広がって隊列をなし、一歩、また一歩とこちらへ近づきつつあった。

 

「フハハハッ! どうです、壮観でしょう? ()()()()()()()()()()!」

 

 プロデューサーが興奮気味に声を弾ませた。

 

 百八十人弱の346プロ所属アイドル――今、小梅たちの目の前にいるのは、彼女たちだ。しかし彼女たちはもう――。

 

「ヴヴヴ……ウウ……」

 

 地下駐車場に響く、幾重にも重なったくぐもったそのうなり声は、もはや誰のものとも知れない。非常灯の下にぼんやりと浮かぶその相貌には、ありし日のかわいらしさや美しさはは見る影もなかった。誰もかれも血の気を失った土気色の肌をして、まぷたは寝不足の病人のように落ち窪んでいる。衣服もところどころ破れ、汚れ、ボロ布のようになっていた。かろうじて人の形を保ってはいるが、生気は感じられない。彼女たちは――。

 

 ゾンビとしか、言いようがなかった。

 

 今、目の前にいるのは――百八十体弱のゾンビだ。

 

「……さっきの呼び声は、このためだったんですね……?」

 

 小梅は振り返り、みずからの迂闊さを呪いながらプロデューサーを睨んだ。

 

 プロデューサーが自分たちの前に姿を現してから彼が放った、声なき咆哮。あれはてっきりトレーナー四姉妹を呼び寄せるためのものだと思い込んでいた。しかしそうではなかったのだ。プロデューサーが本当に呼んでいたのは、()()()()だったのだ。

 

「ええ、超音波というやつですよ。あなたたちには聞こえないでしょうが、僕たちは()()でコミュニケーションが取れるんです。と言っても、言語のように複雑な表現はできませんが――おっと、渋谷さん。そんな怖い顔をなさらないでください。別に僕が彼女たち全員を()()()()()()わけじゃありませんよ」

 

 自分に向けられた憎悪の視線に気づき、プロデューサーはわざとらしく胸の前で手を振った。

 

「ああ、それと、彼女たちが事務所に集まってきたのも、彼女たち自身の意志ですよ。もともと事務所内にいた方もいますが、仕事場から帰ってきた方もいるみたいですね。一種の帰巣本能というやつですか」

 

 ……ゾンビは人間だったころの行動を繰り返す。悔しいが帰巣本能という言葉は言い得て妙だった。アイドルにとって所属事務所は戻るべき家と言って過言ではなかろう。とはいえ――。

 

「こ、こんな、みんなを使ってまで……なんだってあんたはそうまでしてあたしらを外に逃したくねえのかよ!?」

 

 奈緒が困惑の混じった怒声をプロデューサーにぶつけた。たしかにプロデューサーがこれだけの数のアイドルをこの場に呼び寄せた目的が判然としない。小梅たちを足止めするためだとしても、少々度が過ぎるようにも思える。

 

 当惑する小梅たちを、プロデューサーは鼻白んだような顔つきで見返した。

 

「だからさっきから言っているでしょう。ステージをやるんですよ」

「ふざけないでっ!」

 

 凛から叱責されても、プロデューサーはむしろ心外だと言わんばかかりに顔をしかめた。

 

「本気ですよ、僕は。納得できないようでしたから、もう少し正確に言い直しましょう。僕はね、ここにいるみなさんで、フェスをやっていただきたいと考えているんですよ」

「フェス……?」

 

 いぶかしむ小梅たちとは対照的に、プロデューサーは興奮を抑えきれないといった様子でカッと目を見開いた。

 

「アイドルフェスですよ! 346プロ所属アイドル総出演の、オールスターライブ! 大勢の、いろんな個性を持ったアイドルを一同に集めて、何日間にも渡って開催される大規模フェス! 僕の長年の夢だったんですよ」

 

 プロデューサーの声のトーンがふと下がった。

 

「しかし、実現は困難でした……。二百人規模の出演者のスケジュールを何日間も押さえることが難しいという理由もありましたが、いちばんのネックは体力の問題です。何十時間もぶっ続けでステージに立ち続けられるアイドルも、それに付き合える観客もいるわけがない……そんな常識に縛られて、僕も自分の願望を押さえ込んでいたんです。しかし――気づいてしまったんですよ、僕はッ!」

 

 プロデューサーは突然声を張ると、自分の胸を拳で強く叩いた。

 

「この体なら――みんながこの体を手に入れれば、できるッ! スタッフもファンも、そしてアイドルもこの疲れ知らずの肉体を持ってさえいれば、僕の夢は叶うんです! いくら働いても死なない肉体! 永遠に歌い踊りつづけられる肉体! 飲み食いも忘れて声援を送りつづけられる肉体! 肉体、肉体、肉体っ! 何日だって、何年だって、永遠にだって! アンコールは繰り返される! ステージは終わらない! みんな倒れるまで――いや、倒れることすら忘れて、世界中が熱狂しつづけるんです!」

 

 プロデューサーの絶叫のあと、あたりは不気味にまでに静まり返った。あまりに荒唐無稽な彼の夢に――いや、あまりに荒唐無稽な()()に、小梅たちは言葉を失わざるをえなかった。

 

「……やっぱマトモじゃないよ、あんた。みんなゾンビになってライブだなんて、そんなこと本気で言ってるわけ?」

「疑り深いですねえ、渋谷さん。本気でなきゃ、倒されるリスクを冒してまでみなさんを迎えにきたりはしませんよ」

 

 迎えに――やはり彼は、残された小梅たちもゾンビにして仲間に引き入れるつもりなのだ。

 

「ふ、ふざんけんなっ! あたしは絶対イヤだからな! ゾンビになってステージに立つなんてっ」

「神谷さんが言うとただのフリにしか聞こえませんが……まあいいでしょう。どのみちこの包囲網は抜けられませんよ」

 

 プロデューサーが片手を挙げた。その刹那、背後でザクっと地面を踏む音がした。反射的に振り返ると、周囲を取り囲んでいたアイドルたちが兵隊のように足並みを揃えて進軍を始めていた。

 

「な……っ、お、おい!?」

「ファンの喜ぶ顔が見たい、華やかなステージの上で輝きたい――そんな夢を抱くあなたたちをプロデュースしたい。それが僕の本心ですよ」

 

 振り返ると、プロデューサーの姿はもう、さきほどまで立っていた場所にはなかった。あわててあたりを見回すと、アイドルたちの陰へすっと消えていく彼の姿が一瞬だけ見えた。

 

「野郎! 逃げる気か!」

 

 夏樹がプロデューサーのあとを追おうと足を踏み出した。だが――。

 

「ヴニァウ!」

「う、うお!?」

 

 隊列のなかのひとりがすかさず飛び出してきて、夏樹の前に立ちふさがった。とっさに足を止めた夏樹は、相手の正体に気づいて愕然とする。

 

「だ、だりー……!」

 

 多田李衣菜。夏樹とは公私ともに付き合いの深いアイドルのひとりだった。

 

「はっはーっ! どうせなら、お友達にお相手してもらったほうがいいでしょう?」

 

 どこからか響いてくるプロデューサーの声とともに、さらに数名が隊列から飛び出してきて小梅たちを取り囲んだ。

 

「か、加蓮……っ」

「お、おい、嘘だろ、比奈……!」

「し、雫ちゃん!?

「茜ちん……っ!」

「美穂ちゃん、そんな……っ」

「ボ、ボノノちゃん……」

「蘭子ちゃん……」

 

 絶望の声しか出なかった。

 

 北条加蓮、荒木比奈、及川雫、日野茜、小日向美穂、森久保乃々、そして神崎蘭子……。みな、それぞれが過去に仕事をしたり、プライベートで交遊のある仲間たちだった。

 

「グルルル……っ」

 

 敵意を剥き出しにしてこちらとの間合いを詰めてくる蘭子たち。

 

「うう……っ」

 

 気圧された小梅が一歩下がると同時。

 

「ガァッ!」

 

 蘭子は牙を剥いて襲いかかってきた。

 

「くっ……っ!」

 

 小梅はとっさにほうきを構え、蘭子の突撃を食い止めた。が、狂犬のごとくほうきの柄に噛みつく彼女の力はすさまじく、押し返すことなどとてもできそうになかった。

 

「小梅っ!」

「ガウッア!」

 

 小梅を助けに入ろうとした凛の機先を制して飛びかかってきたのは、加蓮だ。加蓮は鋭く伸びた爪で凛を引っ掻こうとした。

 

「ヤッ!」

 

 凛はモップで加蓮の手を弾き飛ばし、なんとか防御。しかし加蓮は続けざまに左右のフックを繰り出してくる。その対応に追われ、凛は小梅のそばから引き離された。

 

 ほかの者もおおむね同じような苦境に陥っていた。

 

「ウワアアアっ!?」

「ひいいっ!」

「くそっ……来るなッ、この!」

「てやぁ……てやぁっ!」

「や、やだっ、ちょっ……!?」

「ひ……ひ……っ」

 

 武器を振り回して応戦する者。持ち物で身を守る者。必死で逃げ回る者。対処はさまざまだったが、やはり誰も反撃には移れそうになかった。相手のパワーやスピードに圧倒されていたということもある。しかし真に反撃を不可能こしているのは、そんなものではない。

 

「んんんっ!」

「ギャッ!」

 

 小梅がやみくもに振り回したほうきが、偶然にも蘭子の片目を突いた。蘭子は目を押さえてうずくまった。頭部はがら空きだ。しかし――。

 

「あ、う……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。両手で握ったほうきを、まるで重石でぶらされげられているかのように、どうしても持ち上げることができない。

 

「おやぁ? どうしたんですか、白坂さん。神崎さんはお友達だから殴れないとでも? けれどそれはまた身勝手な話ですねえ。僕やトレーナーさんたちのことは散々殴りつけたくせに」

 

 群れのどこかから響いてくるプロデューサーの声に、小梅はなにも言い返せなかった。身勝手だと罵られれば、グウの音も出ない。しかし仕方がない。頭では分かっていても、体がどうしても言うことをきかないのだから。

 

 だが敵は小梅のそんな葛藤など斟酌してはくれなかった。

 

「ガヴォアッ!」

 

 潰された右目から緑色の血を流しながらも、蘭子はまた小梅に襲いかかってきた。視界が半分になったぶん距離感がつかみにくくなったのか、攻撃の精度はがくんと落ちていたけれど、それでもやはり小梅は反撃に打って出ることができなかった。

 

「んんっ……!」

 

 凛たちも同様に、たとえ相手が隙を見せても有効打を繰り出せずにいるようだった。仲間を手にかけることへの無意識的な抵抗感。やはりそれが、小梅たちの足かせになっているのだ。

 

「フハハハッ! やはり愚かですねえ、人間というのものは! この期に及んでまだ他人の心配とは……。ゾンビになれば余計なことを考えずに踊り狂えますよ?」

「う……うるさいっ!」

 

 凛はモップを薙刀のように横に払って加蓮を遠ざけると、どこに隠れているとも知れぬプロデューサーに向かって怒鳴った。

 

「誰があんたの思いどおりになんてなるかっ!」

 

 ため息が響いてくる。

 

「……素直じゃないですね、渋谷さんも。まあ、いいでしょう。今にそんな強がりも言っていられなくなります」

 

 プロデューサーのそんな言葉に呼応するかのように――。

 

「オ、オ、オ、オオオオオオォ……ッ」

 

 控えていたアイドルゾンビの大群が、四方からじりじりとにじり寄ってきた。生贄を求める亡者のような彼女たちの接近で、小梅たちを取り囲む包囲網はあっという間に狭められる。気づけば小梅たちは、互いに背中をぶつけあっていた。一箇所に固められた小梅たちに、涼たちがのしかかる。

 

「く……っ」

「お、おい小梅っ! なんかないのかよ!? こいつらの動きを止める方法!」

 

 ライダースジャケットを盾にして李衣菜と力比べをする夏樹が叫んだ。

 

「ぐ……っ!」

 

 しかし顔を寄せてくる涼を押しとどめるだけ手一杯だった。いや――。

 

 それ以前に、なにも思いつかなかった。

 

 キノコのにおい、音による誘導、光や武器による攻撃。そして祈り――。手持ちの対抗手段はすべて封じられてしまっている。それに、だ。

 

 迫りくるこの百八十体弱の()()()たちを一挙に足止めする方法など、ありそうもなかった。

 

 プロデューサーにしたように、祈りを捧げてみるか? しかしあれはプロデューサーにだけ有効なボーズだ。目の前にいる全員が同じトラウマを持っていることはまずありえないだろう。

 

 そもそも、この百八十体弱は、あまりに()()()だ。生まれも育ちも趣味も特技も、癖も歳も好きなものも嫌いなものも、ひとりひとりてんでバラバラ。ゾンビが人間だったころの習慣を引きずるのだとすればなおさら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、なにもないように思える。

 

 万策つきた。

 

「く……そおおおおおっっ!」

 

 徐々に李衣菜に押し込まれた夏樹が絶叫を轟かせた――その直後だった。

 

「――と、撮りまーすっ!」

 

 裏返った大声があたりに響き渡った。

 

 あまりに場違いで、小梅は一瞬、その言葉の意味を理解しそこねた。

 

「え――?」

 

 小梅の首元に噛みつく寸前だった蘭子が、小梅からすっと身を引き剥がし、なぜかその場に立ち尽くした。そして――。

 

「ガヴィヴィボバヴェヲッ!」

 

 肩幅より少し広く脚か開いて体を斜にし、指を開いた手を顔の前でかざすお得意のポーズ。

 

 蘭子はそれを、まっすぐ前だけを見据えて、決めてみせた。

 

 そしてそれは、ほかの者も同様だった。

 

 ザザザッと地面を踏む足音がととどろいたかと思うと、百八十名弱のゾンビたちが、一斉に思い思いのボーズをとって静止した。もちろん夏樹たちを襲っていた面々も、まるで自分の使命を忘れたかのようにそれぞれ違ったボーズを決めていた。

 

「は――?」

 

 小梅たちはあっけに取られるほかなかった。目の前の状況をまだうまく飲み込めない。いったいなにが起きているというのだ?

 

 しかしそんななかにあってひとりだけ、必死に声を振り絞る者がいた。

 

「え、笑顔です!」

 

 さっきと同じ声――卯月だ。

 

 卯月は百八十名弱の群れ全体に届かせるように、大声で触れまわった。

 

「み、みなさーん、笑顔をくださいっ! ここはグラビア撮影の現場です! 雑誌の巻頭カラーページに載せますから、とびきりの笑顔をお願いします!」

 

 卯月が触れまわったそんなシチュエーション説明を逐一理解しているとは思えないが――蘭子たちは、ぴくぴくと頬を引きつらせた。まるで、シャッターが切られるのを今や遅しと待ち構えるかのように。

 

「な……っ! ど、どうしたというのです!?」

 

 群衆の中からあわてた声を響かせたのはプロデューサーである。いや声だけではなく、今度ばかりはその姿も見つけることができた。まわりが止まっている中で、ひとりうろたえて左右を見回すその姿は、いやおうなしに目立つのだ。

 

「みなさん! ほ、ほら、言うことをききなさい! ど、どうして……!?」

 

 プロデューサーは何度も指を鳴らすが、アイドルたちは頑なに動こうとしない。ゾンビとして命令をきくよりも優先すべきことがあると言わんばかりだ。

 

「そ、そっか……」

 

 小梅はようやく、彼女たちの行動の理由を理解した。

 

()()()()……だから」

 

 いつの間に忘れてしまっていたのだろう。

 

 皮膚が醜くただれようと、ボロ布を纏おうと、血肉を求めてよだれをたらそうと――。

 

 どんな姿になって、どれだけ人間離れしようと、彼女たちはまごうことなき、アイドルなのだ。

 

 だから、写真を撮ると声をかけられれば、愛想を振りまいて、ポーズを決める。レンズの向こうにいる大勢のファンにむけて、とびきりの笑顔を届けようとする。それが、アイドルだから。

 

 プロデューサーは、彼女たちをゾンビとして操ろうとした。

 

 しかし卯月は、卯月だけは、彼女たちがアイドルであることを片時も忘れなかった。

 

 アイドルへの思いの差が、勝敗を分けたのだ。

 

「……っ! 車! 乗るぞ!」

 

 ハッと我に返った夏樹が、ロケバスが停まる駐車スペースへ向けてきびすを返した。

 

 夏樹は小梅からキーを奪い返すと、ボーズを決めるアイドルたちの脇をすり抜け、並んで駐車されている数台のロングバンのナンバープレートへ目を走らせた。

 

「あった! こいつだ!」

 

 夏樹が駆け寄ったのは、なんのことはない、いちばん手前に停まっていた車両――小梅がプロデューサーに頭をぶつけられた車だった。

 

「おまえらも急げ!」

 

 後部座席のドアを開け、夏樹が小梅たちに向かって叫ぶ。ドアのロックは元から外れていたようだ。

 

「お、おう!」

 

 返事をした奈緒を筆頭に、裕子、輝子、卯月、凛と、マネキンのように静止するアイドルたちの間をこわごわとかいくぐって、続々と車両へ駆け込んだ。未央は助手席に乗り込み、夏樹は運転席へ回った。

 

 小梅ももちろんあとに続こうとしたが――。

 

「く……っ、ま、待ちなさい!」

 

 パスを目前にして、小梅はうしろから強く腕を掴まれた。小梅を捕まえたのはもちろん、あとを追ってきたプロデューサーだ。

 

「っ!」

「小梅っ!」

「させませんよっ」

 

 凛があわてて車両から飛び出そうとしたが、プロデューサーは小梅の腕をぐいと引き、体勢を入れ替えた。同時にもう片方の手を乱暴に振るい、助けに入ろうとした凛を牽制した。

 

「こうなれば白坂さん! あなただけでも残ってもらいますよ!」

「は、放し――」

 

 今度こそ間髪入れず小梅の首筋に顔を寄せてきた。やられる――!

 

 だが、小梅が息を呑んだ、そのときだった。

 

「しぶりん、どいて!」

 

 鋭い声と同時に、小梅とプロデューサーの顔面が、強い光でカッと照らされた。

 

「ぐわっ!?」

 

 弾丸が当たったかのように大きくのけぞったのは、プロデューサーのほうだった。小梅もまぶしさに目を細めはしたが、視界はすぐに回復する。だがプロデューサーのほうは両手で目元を覆い、もだえるようにして小梅から身を離した。

 

 助手席から半身を乗り出していた未央の手には、懐中電灯が握られていた。照射口の中の豆電球が放つ光は、その役目を終えたと言うようにすう、と消えていく。そうか……。未央は、いつか小梅の指示に従って懐で温めておいた乾電池を懐中電灯に戻したのか。乾電池は温めることで一時的に充電が回復する。

 

「ぐ……っ、こ、小癪な真似をっ!」

 

 うずくまっていたプロデューサーは、目元を押さえたまま腕を振るったが、その先は小梅とはまるで逆方向だった。ただでさえ五感が鋭敏になっているゾンビは強い光に弱い。この分では、もうしばらく視界は回復すまい。

 

「小梅、早くっ!」

 

 凛が後部座席のドアから半身を乗り出し、小梅に向かって手を伸ばした。

 

 しかし小梅はその手に背を向け、プロデューサーへ向けて足を踏み出した。

 

「小梅!?」

 

 心配そうな顔をする凛に、小梅は振り返って微笑みかけた。大丈夫。決着をつけにいくだけです。小梅はほうきを握り直し、明後日の方向へやみくもに腕を振るっているプロデューサーの背後に立つ。

 

「……プロデューサーさん」

 

 静かに呼びかけると、プロデューサーはびくりと肩を震わせて小梅のほうへ振り返った。

 

「し、白坂さん……? あっ!」

 

 やはりまだ視界がきかないのか、プロデューサーは振り向いた拍子に足をもつれさせ、その場にひざまずいてしまう。

 

 懺悔でもするかのような体勢になったプロデューサーを、小梅は優しげに目を細めて見下ろした。

 

「プロデューサーさん……、私は、たとえあなたがゾンビになったとしても、あなたのことをプロデューサーさんだと思っています。その思いは、ここにいるみんなも――いえ、()()()()()()()()()()()()()、同じだと思います」

 

 小梅の脳裏に、いくつもの顔がよぎった。この夜の恐ろしい状況をともに切り抜けてきた凛たち、幸子、トレーナーさんたち、志希、数多くの同僚アイドルたち――。

 

 そして、プロデューサー。

 

「白坂……さん」

 

 ようやく光の刺激から回復しつつあるのか、プロデューサーは薄くまぶたを開いた。小梅は彼に微笑みかえす。

 

「……プロデューサーさん。あなたには、すごく感謝しています。()()()()()。ゾンビになっても……。でも――」

「白坂さん……」

 

 その瞳に一瞬、希望の光をたたえたプロデューサーに満面の笑みを返すと、小梅は天井に向かってほうきを高々と突き上げた。

 

「でも――今のあなたは、許せません」

 

 小梅が力いっぱい振り下ろしたほうきで脳天を割られると、プロデューサーは糸の切れた人形のように地面に崩れ落ち、それきり動かなくなった。

 

 


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