シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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 休憩室を出た一同がまず足を向けたのは、廊下の突きあたりにあるトイレだった。

 

「いい? 開けるよ?」

 

 背後にいた面々がうなずくと、凛は勢いよくドアを開け放った。

 

 一同は武器を構えながらトイレ内部へなだれ込んだ。

 

 視界に飛び込んできたのは、正面の割れた窓。

 

 荒廃した世界を象徴するような光景ではあったが――()()の気配はなかった。

 

「中も大丈夫みたいだぜ」

 

 個室をのぞいた奈緒が、振り返って安堵の表情を見せる。

 

「わ、私っ、行かせてもらっていいですか?」

 

 卯月がほうきを凛に預け、慌ただしく手前の個室へ駆け込んだ。緊張が緩んだためか、急に催してきてしまったらしい。

 

 残された面々も、おのおの手にしていた武器――モップやビニール傘を収め、小さく嘆息した。

 

「私たちも……す、済ませておきましょう」

 

 小梅の提案に、一同はうなずきを返した。

 

 みなはみっつ並んだ個室へ順番に入っていく。しかし、そんななか――。

 

「……」

 

 幸子はひとり、二の足を踏んでいた。

 

「さっちー、次、空いたよ?」

 

 最後に個室から出てきた未央が、動かない幸子を怪訝そうに眺めた。

 

「い、いえ!」

 

 幸子は、あわてて笑みを取り繕った。

 

「ボ、ボクはまだ大丈夫ですので……」

「ふぅん……そっか」

 

 なにか言いたげな顔つきにも見えたが、未央は生返事をしただけで幸子から視線を切った。幸子はほっとため息をつく。問い詰められなくてよかった。個室でひとりになるのが怖いとは、口が裂けても言えない。

 

「それで小梅ちゃん、どうするよ? このあとは」

 

 未央は小梅のほうへ体を向けていた。未央の言葉をきっかけに、ほかの者も小梅に注目を集めはじめる。

 

「えっ、は、はい、そ、そうですね……」

 

 ぼんやりしていたのか、小梅は目を瞬かせて一同を見返した。

 

「や、やっぱり、階段を塞ぎに……いきましょう」

「え……っ」

 

 思わず不満の声が漏れてしまった。

 

 一同の視線が今度は幸子に向く。

 

「い、いえ、あ、あの……」

 

 目を泳がせながら、幸子はとっさに言い訳を考えた。

 

「そ、そう! 食べ物! 食べ物は探しにいかないのかな、と……」

 

 ほんの思いつきだったのだが、幸子のひとことは意外にもみなをうならせた。

 

「……たしかに食料はなんとかしたいけど……どうしよっか、小梅ちゃん?」

 

 未央から意見を求められた小梅は、かすかに眉を曇らせた。

 

「食料を探しにいくのは……バリケードを築いてからにしましょう。安全に動ける範囲もまだはっきりしませんし……」

「まあそうだよなあ……」

 

 渋面を作りながらも未央は深くうなずいた。

 

「あいつら、どこから湧いてでてくるかわかんないしな……」

 

 奈緒も太眉を曇らせて未央に同調する。

 

 ほかの者も異論はないようだ。

 

「……」

 

 だが幸子は納得がいっていなかった。

 

 小梅たちはまだ事務所にこもるつもりなのか? ()()()()()が近くにいない今こそ、安全確保なんて悠長なことを言っていないで、一刻も早くここから逃げ出すべきなんじゃないのか……。

 

「……幸子ちゃん、ど、どうかした……の?」

 

 その声で幸子は我に返った。

 

 小梅に顔をのぞきこまれていた。

 

 しまった。不満が顔に出てしまっていたか。幸子はあわてて笑みを取り繕った。

 

「い、いえ! なにもないですよ! そ、そうですよね、食料を探しにいくのは、あとにしましょう」

「……」

 

 少し声は裏返ってしまったけれど、なんとかごまかせたと思う。幸子はきびすを返し、率先して休憩室へ向けて歩きはじめた。

 

 ……こんなところで駄々をこねるほど、ボクは子どもじゃありませんよ。

 

 念のため同じ階のほかの部屋も見回り、やつらがいないことを確認してから、一行は休憩室へ戻った。

 

「さて……それじゃあ、一丁やっちゃいますか」

 

 息つく暇もなく、、未央が腕まくりをして室内の家具を見渡し、作業の算段をたてはじめた。

 

「とりあえず、ソファなんかは持っていったほうがいいよね?

 

 未央は心なしか活き活きしているようにも見える。呑気なものだ。

 

 いっぽう凛は、眉根を寄せて目の前のソファをじっと見ていた。

 

「でもさ、単純に階段の前にこれを置いただけじゃ、あいつら簡単に乗り越えちゃうんじゃないの? どうするの? 小梅」

 

 小梅が少しあわてた様子で振り向く。

 

「あっ、ええと……、通り抜けられるような隙間さえ作らなければ問題ない、と思います」

「え? そうなの?」

 

 意外そうに目を丸くしたのは未央だった。

 小梅は未央のほうを向いて答える。

 

「は、はい。知能の退化したゾンビなら、目の高さ以上の障害物を乗り越えてくることはほとんどありませんから……。ですから、あとはなにか上に乗せるもの――椅子とかを持っていけば足りるんじゃないかと」

 

 ……本当なのか?

 

 みなが感心したようにうなずくなか、幸子はひとり眉をひそめていた。

 

 みんなすっかり小梅のことをゾンビの専門家のように扱っているけれど、小梅の知識なんて所詮は映画から得たものにすぎないじゃないか。そんな見解を全面的に信用してもいいのだろうか? 自分たちが今直面しているのは、まぎれもない現実なのに……。

 

「よし、それじゃあまずは、こっちのでかいソファを運ぼう。ふたつもあれば充分でしょ」

 

 しかし未央たちはなんの疑いもなく運搬作業にとりかかりはじめた。

 

「……」

 

 納得しかねてはいたが、幸子もソファを取り囲むみなの輪に加わった。

 

 無闇に揉め事を起こそうなんて気は――ないのだ。

 

「えっと、どっち行く?」

 

 先頭で扉を出た未央が左右を見回した。階段は廊下の両端にある。

 

「右――エレベーターホール側へ行きましょう」

 

 小梅は顎をしゃくって進行方向を指示した。

 

 狙いはわかる。エレベーターホール付近の階段は逆側の階段と較べて幅が広いのだ。だからそちらを優先して塞いでおこうという考えなのだろう。

 

 休憩室から階段までは数十メートル。さほどの距離ではないともいえるが、女子だけで大きなソファを抱えていくのは、かなりの重労働だった。

 

 しかもまた、同じ作業をさらにもういちど繰り返したのだ。ふたつめのソファを運びおえ、休憩室に引き返す頃には、幸子の細腕は疲労でしびれはじめていた。

 

「次は椅子とスツールだね。これはひとり一脚ずつ持てるでしょ」

「今度は少し楽ですね」

 

 ……楽なものか。卯月さんは少しのんきすぎる。どうしてこんな、引っ越し作業みたいな真似をしなければならないのか。一刻も早く家に帰りたいのに。ふかふかのベッドに入って、ママに頭を撫でてもらいながら、安眠を貪りたいのに……。

 

 そう、家に帰るのだ。帰らねばならないのだ。

 

 今はそのために必要なことをすべきじゃないのか?

 

 たとえばそう、携帯電話で家に連絡し、誰かに迎えにきてもらうとか――。

 

「あっ――!」

 

 廊下に出たところで幸子は重大な事実に気づき、思わずスツールを取り落としそうになった。。

 

 みなの目を盗みつつ、進行方向とは反対をうかがう。

 

 曲がり角。その先には狭い階段がある。ひとつ階を下れば、自分たちの手荷物が置いてある更衣室へ行くことができる。

 

 手荷物。中には携帯電話もある。助けを呼ぶことができる――!

 

「……ちゃん、幸子ちゃん?」

 

 呼び声が不意に耳に入り、幸子はびくりと肩をすくめた。

 

 急いで振り返ると、小梅が不審げな目つきでこちらをうかがっていた。

 

「幸子ちゃん……、なにか気になることでも……あるの?」

 

 小梅さんに気づかれちゃダメだ――幸子はとっさにそう判断した。

 

「え、ええ、ち、ちょっと……く、靴紐! そうです、靴紐が、ほどけてしまったみたいで!」

 

 幸子は抱えていたスツールを置き、すばやくしゃがみこんだ。

 

「大丈……夫?」

「し、心配無用ですよ!」

 

 幸子はスツールのうしろから首を伸ばした。

 

「小梅さんは先に行ってください! ボクもすぐに追いつきますから」

 

 ほかの四人はすでに先に進んでいる。みな椅子を運ぶのに一生懸命らしく、幸子たちの出遅れにはまだ気づいていないようだった。あとは小梅を遠ざければ、なんとかなる。

 

「……そう」

 

 靴紐を結び直すふりをしながら待っていると、小梅がこの場から離れる気配がした。ようやくだ。

 

「じゃあ、先……行ってるから」

 

 そう言い残すと、小梅は椅子を抱えなおし、よたよたとした足取りで前の四人を追いかけはじめた。

 

「……」

 

 小梅はしかし、まだ時々こちらを振り返っていた。幸子は逸る気持ちを抑え、靴紐を結ぶふりを続ける。まだだ。慎重にチャンスを待つんだ。

 

「小梅ー、これって単純にソファの上に乗せりゃいいのかあ?」

「あ、は、はい、そうですね――」

 

 奈緒に呼ばれ、小梅が先を急ぎはじめた――今だ! 幸子はすかさず腰を上げ、小梅たちとは反対方向へ駆け出した。

 

 息を殺し、なるべく足音を鳴らさないようにしながら廊下を急ぐ。

 

 突きあたりで右手に折れ、曲がり角へ飛び込んだ。不意にちくりと胸が痛んだ。ここまで来てしまった。小梅たちを出し抜いて。……もう引き返せない。行くしかない。

 

 幸子は重い気分を振り払うように、狭い階段を一気に下った。下の階に着く。不思議と恐怖は感じていなかった。

 

 すぐ右手にドアが見えた。更衣室である。幸子はほとんど反射的にノブに飛びついた。

 

「やった……っ」

 

 無人の室内を見て、幸子は小さく快哉の声を上げた。

 

 所狭しとロッカーが並んでいる。幸子はすぐさま自分の荷物を入れたロッカーへ駆け寄った。扉を開ける。やった! バッグは無事だ。スマートフォンもある! 歓喜が胸を突き上げ、幸子は思わず声を上げそうになった。

 

 そのときである。

 

「――っ!?」

 

 ドアをノックするような音が聞こえ、幸子は途端にすくみあがった。

 

 振り向くと、ゆっくりと開くドアが見えた。

 

 小梅さん――!?

 

「す、すみませんでした、勝手な真似をして! で、でも、わ、私もなにか力になりたかったっていうか――」

 

 気づけば言い訳が口をついてでていた。

 

「ほ、ほらっ、見てください!」

 

 幸子は右手に握ったスマートフォンを突き出した。これを見せれば小梅も許してくれるはずだ。

 

「こ、これです! これを探してたんですよ! これで外と連絡がとれ、ます、よ……」

 

 ドアの隙間から現れた人影を見て、幸子は眉をひそめた。

 おかしい――背丈がある。

 小梅さん――じゃないのか?

 

「り、凛さん……?」

 

 その推測も違っていた。

 

 ところどころ破れた緑と白のジャージ。

 

 そんなもの、凛は着ていなかった。

 

「ガウゥグァ……ッ」

 

 低いうなり声とともに室内に踏み込んできた彼女の、真っ赤に充血した瞳に射すくめられた幸子は――。

 

「へ、へへへ……」

 

 なぜだか口元にひきつった笑みを浮かべた。

 

 

 *

 

 

 

 ちょうどエレベーターホールに達したときだった。

 

「……幸子ちゃん?」

 

 声が聞こえた気がして、小梅は振り返った。

 

「小梅ちゃん? どうかしましたか」

 

 隣にいた卯月が小梅の動きに気づいた。

 

「いえ、幸子ちゃんが……」

 

 いない。

 

 休憩室のドアの前には、小さなスツールだけがポツンと残されていた。

 

「あれ? 幸子ちゃん、おトイレですか?」

 

 卯月が小首をかしげた。

 

 小梅も廊下の先にあるトイレの入口へ目をやった。幸子はあの中にいるのか――?

 

 そのときである。

 

「……ルゲガヲォァッ!」

 

 けたたましい叫び声が遠くから聞こえてきた――今度ははっきりと、。

 

「な、なに、今の!?」

 

 未央たちも異変に気づき、ソファにスツールを積み上げる手を止めて一斉に振り返る。

 

「幸――」

 

 小梅は顔をこわばらせた。

 

 寒気が背筋を駆け抜けた。

 

「幸子ちゃん!」

 

 気づけば小梅は、スツールを放り出して床を蹴っていた。

 

「ちょっ……、ま、待って!」

 

 背後からの呼び声にかまうことなく、小梅は走った。

 

 休憩室の前を通りすぎ、突きあたりのトイレが迫る。ここか? 違う! とっさの判断で角を曲がった。下の階だ!

 

 狭い階段を駆け下りる。廊下。すぐ右手のドアが開いていた。

 

 大きな物音。

 

「幸子ちゃん!」

 

 小梅はためらうことなく更衣室へ駆け込んだ。そして――。

 

「さ……っ!」

 

 衝撃的な光景を目にした。

 

「グウ……バフゥ……」

 

 白と緑のジャージを着た()()()()()()()()が、真っ赤な血の海の上で仰向けに倒れる小さな人影に覆いかぶさっていた。

 

 抱き合うような格好だが、上に乗った化物は、倒れた人物の首筋に顔をうずめ、小刻みに頭を上下させていた。

 

 むしゃ、むしゃ、と咀嚼音が聞こえてくる気さえした。

 

 食べているのだ。

 

 幸子を。

 

「い……いやあああぁっ!」

 

 金切り声が耳をつんざき、小梅は我に返った。

 

 ひと足遅れて追いついた未央たちが、小梅の肩越しに更衣室のなかをのぞいていた。

 

「なっ……、なっ……!?」

 

 絶句したのは未央と凛と奈緒の三人。卯月はその場にしゃがみこみ、両手で顔面を覆っていた。さっき悲鳴を上げたのは彼女だったらしい。

 

「さ、さっちー!? さっちーなの!?」

「ダ、ダメ! ダメです!」

 

 血相を変えて更衣室へ踏み込もうとする未央を、小梅はとっさに押しとどめた。

 

「で、でも!」

「未央っ、助けにいったらあんたまでやられる!」

 

 背後から未央の腕をとったのは――凛だった。

 

「残念だけど、幸子はもう……」

 

 凛が表情を暗くすると、未央を含めた一同は、ゆっくりと正面へ視線を戻した。

 

 さっきまでビクンビクンと跳ねていた幸子の脚が、今はもうピクリとも動かなくなっていた。

 

「……ち、ちくしょう!」

 

 吐き捨てるように叫ぶと、未央は勢いよくドアを引いた。

 

 ドアが閉まりきる直前、小梅が最後に見たのは――化物の肩越しにこちらへ向かって伸ばされた、幸子の小さな手だった。


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