シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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「ひっく、ひっく、うう……」

 

 休憩室には卯月の泣き声だけが響いていた。

 

「……」

 

 更衣室での惨劇を目撃してから十分少々――小梅たちは衝撃からまだ立ち直れずにいた。

 

「……トレーナー」

 

 床に座り込んでうなだれていた未央が、ぽつりと口を開いた。

 

「戻ってきちゃってたのかな、いつのまにか……」

「幸子を襲ったやつ……のこと?」

 

 壁を背にうつむいていた凛が顔を上げると、未央は重々しくうなずいた。

 

「……いや、たぶん、別のやつだ」

 

 答えたのは、窓から外をのぞいていた奈緒だった。

 

「トレーナーなら、まだ下にいるから……」

 

 奈緒が言っているのは、幸子が庭に姿が見えると主張したゾンビのことだろう。

 

 小梅たちは、一旦庭へ降りた彼女がまた事務所内へ戻ってきたのだと、おぼろげながらにそう考えていた。

 

 ところが彼女は、あいもかわらず庭で樹木に爪を立てているという。

 

 凛がはっと目を見張った。

 

「じゃあまさか……、更衣室にいたのは、妹さんのほう?」

 

 凛の言葉に、奈緒は神妙にうなずいた。

 

 346プロダクションでは、四人のトレーナーが所属アイドルのレッスンを受け持っている。四人は実の姉妹であり、顔立ちも体つきもよく似ている。それなりに長く接している所属アイドルでさえ、いまだに見間違えることがあるくらいだ。

 

「はは……、じゃあ、姉妹揃ってゾンビになっちゃってる、ってことかい……」

 

 未央が力のない笑みを浮かべた。笑えない冗談だと、自分でもわかっているのだろう。

 

 もちろん、ゾンビになったのは姉妹のうちふたりだけで、残りのふたりは無事という可能性はある。しかし、そんなことはどちらでもいい。

 

 幸子が襲われた。

 

 それだけだ――いま受け止めるべき現実は。

 

 小梅は固く拳を握った。

 

「私の……せいだ」

 

 自責の念は無意識に口から漏れていた。

 

「私がちゃんと幸子を見ていれば……」

 

 幸子の様子がおかしいことには気づいていた。

 

 しかし小梅は怯える幸子になにもできなかった。なにもしてやれなかった。

 

 それはたぶん、幸子の気持ちに薄々勘づいていたからだ。

 

 幸子は幻滅していた――現状に対してなんの手立ても打てない小梅に。

 

 怖かったんだ。幸子になにか言って、これ以上彼女から嫌われてしまうのが……。

 

「わ、私は……、自分の身可愛さに、幸子ちゃんを見殺しにした……んです……」

 

 罪悪感を言葉にした途端、涙がこみ上げきて、ぐしゃりと顔が歪んだ。

 

 このまま泣きわめいて、()()()()()()。そんな衝動に駆られた、そのとき。

 

「小梅」

 

 足元に影が差し、小梅はおもてを上げた。

 

「り、凛さん――!?」

 

 パン――ッ!

 

 鋭い痛みが頬に走り、小梅は驚いて目をしばたたかせた。

 

 凛が突然、小梅の頬を張ったのだ。

 

「そんなふうに自分を責めて……()()()()()

 

 混乱しながら見返すと、怒鳴った凛は、目に涙をためて小梅をにらんでいた。

 

 凛の叱責に、小梅だけでなくほかの者も驚かされたようだ。みな一様に困惑の表情を浮かべ、凛と小梅を交互にうかがっていた。

 

 しかし凛はそんな周囲の視線にかまうことなく、小梅の両肩を正面から強くつかんだ。

 

「そんなふうにひとりで責任を感じて、自分だけで完結しようとしないでよ! 私たちだってあんたの力になりたいだ! 私はもっと……あんたと話したいのよ……っ!」

 

 肩をつかむ手にぎゅっと力が込められ、凛の声は揺れた。

 

 小梅は驚いた。

 

 私と話したい……? 凛さんが?

 

 そんなふうに思っていただなんて……。そんな、それじゃあ――。

 

 私と……同じじゃないか。

 

「あ、あのさ、小梅ちゃん」

 

 未央は咳払いをすると、なぜか小梅をじっと見つめた。

 

「え……? あ、あの……」

「小梅ちゃん……、私もその……ごめん!」

 

 とまどう小梅に向けて、未央は突然、勢いよく頭を下げた。

 

「えっ!? え……?」

 

 未央は少し体を起こし、ばつが悪そうな表情を浮かべて小梅を見返した。

 

「さっちーのこともそう……だけど、さ。私たち、ほかにもいろいろ、小梅ちゃんに押しつけてた。ホント……ごめんっ」

 

 未央はふたたび深々と頭を下げる。

 

「えっと、その……」

 

 返答に困り、小梅が視線を泳がせると、今度は未央の背後にいた奈緒と目が合った。

 

「そう……だよな」

 

 奈緒もまた、小梅を見て苦々しい表情を浮かべた。

 

「アタシらのほうが年上なのに、いつのまにか小梅に頼りきりになってたよ……。ごめんな、小梅」

 

 奈緒は小梅のほうに向き直り、未央と同じように深々と頭を下げた。

 

「あ、あの……」

 

 どう反応していいかわからず、小梅が前髪のうしろに隠れようとしたそのとき――頭にそっと手が乗せられた。顔を上げる。

 

 そこにいたのは、穏やかな顔つきの凛だった。

 

「……泣いていいんだよ、小梅」

「え……?」

 

 見返すと、凛は優しげに目を細めた。

 

「でも泣くならさ、悲しくて泣こうよ。自分を責めるためじゃなくて、さ……」

「っ……!」

 

 凛の言葉に、思わず胸が詰まった。

 

 その刹那、脳裏に浮かんだのは、幸子の顔だった。

 

 目頭がじんと熱くなる。

 

 小梅は直感した。

 この涙は、まぎれもなく哀惜の涙だと。

 

「幸子ちゃん……っ」

 

 嗚咽を漏らしはじめた小梅の肩を、凛はやさしく抱いてくれた。

 

 しばらくすると、別の手が小梅の肩に重ねられた。

 

 泣きはらした目の卯月が小梅にそっと微笑みかけた。

 

「お祈り……しませんか?」

「お祈り……?」

 

 卯月は静かにうなずく。

 

「ええ、幸子ちゃんが安らかに眠れるように、祈るんです」

 

 幸子ちゃんのために――その思いがすとんに胸に落ちて、小梅は鼻をすすりながら卯月にうなずきかえした。

 

「はい……、しましょう、お祈り」

 

 目を細めて応える卯月の隣で、凛は小梅の背後へ視線を投げた。

 

「やろう、みんなで」

「そう……だね」

「うん……、祈ろう」

 

 呼びかけられた未央と奈緒は、口々に言って、小梅たちのもとに寄ってきた。

 

 小梅たちは互いにうなずきあってから、各々顔の前で手を組んだ。

 

 誰からともなく目を閉じる。

 

 祈り。

 

 たしかにそれが、それだけが、今、自分たちが幸子のためにできることだと思えた。

 

「……階段のところのバリケードを完成させにいきましょう」

 

 一分ほど黙祷を捧げたのち、小梅は目元を拭ってそう切り出した。

 

 もう悲しんでばかりはいられない。

 

 これ以上の涙はもう、幸子のためにはならない。

 

 全員で生きてここから出られるように、最善を尽くす。

 

 幸子の犠牲に報いるにはそうするしかないと、小梅は思った。

 

 小梅の提案に反対する者はいなかった。

 

 小梅たちはすぐにエレベーターホール付近の階段へ向かい、途中だった作業を再開させた。

 

 階段の手前に置かれたソファを前にして、奈緒が振り向く。

 

「あとは上に椅子を乗せるだけ……でいいんだよな?」

 

 小梅はうなずいた。

 

 簡単に乗り越えられない障害物があれば、知能が劣化したゾンビたちは進んでこられないはずだ。

 

「なるべく隙間を作らないように置いていきましょう」

 

 一同はうなずきあうと、捨て置かれていた椅子やスツールをソファの座面へ積んでいった。

 

 足りないぶんの椅子は同じ階のほかの部屋から調達し、十五分ほどかけて、小梅たちは下りと上り、両側のバリケードを完成させた。

 

「あっち側は……どうする?」

 

 凛が廊下の反対側へ目をやった。突きあたりのトイレを曲がった先には、もうひとつ階段がある。無論、そちら側も塞いでおきたいところではあるが……。

 

「向こうは……諦めましょう」

 

 小梅はそう答えた。下の階にはまだ幸子を襲った彼女がいるかもしれない。もしバリケードを築いている最中に襲われてしまったら、それこそ本末転倒だ。

 

「仕方ないね……。こうしてるあいだにも、いつトレーナーが上がってきてもおかしくないし……」

 

 廊下の先を見た未央は、ぶるりと身を震わせた。

 

 小梅たちも急に恐怖を思い出し、みなでいそいそと休憩室へ引き返した。

 

 最後に入室した未央は、きっちりと施錠をすると、ドアにもたれかかってそのまま床に座り込んだ。

 

「せめて朝までなにもなきゃいいけどなあ……」

 

 未央のつぶやきを聴いて、小梅は壁にかかった時計を見た。

 

 時刻はもう午後十時を過ぎていた。いや、まだ十時と言うべきなのだろうか……。

 

 今は静かだが、階段を片側しか封鎖できていない以上、ゾンビたちがまたこの階に押し寄せてくる可能性は捨てきれない。結局、食料も連絡手段も確保できていないが、この状況下でまたこの部屋から出ていくのは危険だ。いましばらくは、この部屋にこもって様子見を続けるしかない。しかし――夜は長い。

 

 とりあえずの安全は確保できているとはいえ、来る見込みもない救助をただ待っているのは、やはり辛いものがある。

 

「はあ……」

 

 小梅が思わずため息を漏らすと、凛が「ねえ……」と声をかけてきた。

 

「あいつらってさ、朝になればおとなしくなったり……するのかな?」

 

 小梅は不安げな表情の凛に向けて、あいまいに首を振った。

 

「……わかりません。日の光を嫌うタイプのゾンビはたしかにいますけど、彼らがそういったタイプなのかは、実際に朝を迎えてみないことにはなんとも……」

「そっか……」

 

 凛はうつむいて、長い嘆息を漏らした。不安な気持ちを少しでも鎮めようとしているのだろう。

 

 沈黙が部屋に流れる。

 

 それを嫌ったのか、奈緒が「ああ、もうっ」と苛立たしげに声を上げた。

 

「じっとしてたらホント気が滅入っちまうよ! アタシ、テレビ直らないか、もう一回見てみる」

 

 奈緒は腕まくりをしながら壁際に置かれたテレビへ近づいていった。

 

「わ、私も手伝います」

 

 すかさず手を挙げた卯月が奈緒のあとに続いた。

 

 テレビの裏側をのぞきこみはじめたふたりを見て、残された三人は互いの顔を見合わせた。未央がぽつりと漏らす。

 

「私らもなんか考えよっか……今できること」

 

 異存はなかった。気を紛らわせるには、やはり無心で体を動かすことがいちばんだと思えた。

 

「でも……なにをしようか?」

 

 凛に問いかけられ、小梅は少し思考をめぐらせる。

 

「これからやらなきゃいけないことといえば……、寝床の用意……でしょうか?」

 

 意外だったのか、未央と凛は揃って「ああ……」と感心したようにうなずいた。

 

「たしかに大事だよね、寝床……。夜通し起きてるってのもしんどいもん」

 

 未央が腕を組んでうなる一方、凛は小梅のほうを見てわずかに目を細めた。

 

「小梅……やっぱり頭いいね、あんた」

「えっ……、な、なんですか、急に……」

 

 思いがけない褒め言葉をもらい、小梅はどぎまぎした。

 

 頭がいいだなんて……凛にそんなふうに見られていたのかと思うと、なんだか気恥ずかしくなって、小梅は前髪で顔を隠してしまう。

 

 そんな小梅を見て、凛はまた頬を緩めるのだった。

 

「ん? どうしたの、ふたりとも。なんか嬉しそうな顔してるけど」

 

 きょとんと首をかしげる未央に、凛はそらぞらしく答える。

 

「なんでもない。それより、寝床。どうする?」

 

 ……ひょっとして凛にからかわれているのだろうか? それで彼女の気が紛れるのなら、まあいいけれど……。

 

 ちょっとだけ唇をとがらせた小梅を尻目に、未央は室内をぐるりと見回した。

 

「ソファは持ち出しちゃったから、人数ぶんはもうないよね……。あとは、杏ちゃんがいつも使ってるクッションを借りるかあ」

「それだけあれば充分じゃない? 全員が一斉に寝る、ってわけにもいかないだろうし」

「ああ、そっか。見張りはいたほうがいいもんね……。それじゃあ、二、三人ずつ交代で寝る……ってことでいいのかな? 小梅ちゃん」

「えっ!? は、はい、そうですね」

 

 急に話を振られてあわてる様子を凛に笑われた気もしたが、小梅は咳払いをしてなんとか気を取り直す。

 

「こ、交代で寝ることには賛成です。でも、眠るにしても、仮眠にとどめておきましょう」

「仮眠? なんでまた?」

 

 未央が眉根を寄せた。

 

「深く眠ってしまうと、すぐ起き出せなくなるおそれもありますから……」

 

 小梅はそこで、窓のほうをちらりとうかがった。

 

「彼らは夜にこそ活発になります。万が一なにかあってもすぐ動けるように――」

 

 小梅が顔を正面に戻した、そのときだった。

 

 ――ガタガタッ!

 

 突然室内に大きな物音が響き、小梅たち三人に揃って振り向いた。

 

 部屋の隅にあるロッカーが揺れていた。音はそこかららしい。

 

「な、なんだ!?」

 

 テレビの修理にいそしんでいた奈緒と卯月も、異変に気づいて同時に振り向く。

 

 ロッカーは、()()()()()()()()()()()ようだった。

 

 その様子を見て、小梅たちは即座に思い出した。

 

 あの中には今、()が押し込められている。

 

「み、未央っ」

「う、うん!」

 

 凛と未央は近くにあったほうきを急いで拾いあげた。ふたりは顔をこわばらせ、ロッカーに向けて()()を構える。

 

 一同が注視するなか、ロッカーは再度ガタガタと音を立てて揺れる。

 

 小梅たちは息を呑んだ。

 

 まさか……飛び出してくる気か!?

 

「く……っ、この……っ」

 

 未央が先手必勝とばかりにほうきを振りかぶった。

 

 未央の気勢に応えるようにまたも小さく揺れたロッカーから返ってきたのは、しかし――。

 

「あ、あの~……」

 

 思わず拍子抜けしてしまいそうになるほどに弱々しい、()()()だった。


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