それからの大洗女子学園 あんこうチーム卒業編   作:春秋梅菊

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「それからの大洗女子学園 あんこうチーム卒業編」
三年生になったみほ達の活躍を描くシリーズ4話。

あらすじ
いよいよ開催!第六十四回戦車道大会。因縁のライバルが再び一同に会する。みほ達の一回戦の相手は、あの知波単学園。去年共闘して実力を知っているだけに、どこか油断している大洗のチームだけれど……?

大洗女子学園戦車道チーム 編成一覧
1、あんこうチーム Ⅳ号戦車D型改
西住みほ、武部沙織、五十鈴華、秋山優花里、冷泉麻子
2、うさぎさんチーム M3中戦車リー
澤梓、山郷あゆみ、大野あや、宇津木優季、坂口桂利奈、丸山沙希
3、あひるさんチーム 八九式中戦車甲型
磯部典子、近藤妙子、河西忍、川村ユング
4、カバさんチーム 三号突撃砲F型
エルヴィン、カエサル、おりょう、左衛門左
5、新ありくいさんチーム 三式中戦車
内野沙耶、脇野小刀、袴野結子、太刀野間愛
6、新カモさんチーム ルノーB1bis
ゴモヨ、パゾ美、ねこにゃー、ももがー
7、新れおぽんさんチーム ポルシェティーガー
ツチヤ、今暮井つかさ、栗富茜、板部留美
8、新かめさんチーム 38t改・ヘッツァー仕様
麻宮亜依、五代舞、風間未唯
9、うまさんチーム ソミュアS35
武部詩織、藤村綾乃、栗林美智、穂積きりこ

他校新オリジナルキャラクター
エカチェリーナ…プラウダ高校隊長。三年生。プラウダの女帝とも呼ばれる凄腕の戦車乗り。同世代のみほとエリカを敵視する。



4話 第六十四回全国大会です!

 

 時刻は、まだ朝の六時半だった。

 しかし大洗女子学園・戦車道作戦会議室には、履修者全員が集合し、会議用のテーブルに着席していた。

 目下の問題である、戦車道履修者の確保と、生徒会への対応を討議するためだ。

 みほは息を深く吸った。今日の会議は、戦車道の存続に関わる重大な会議だ。

「それでは、始めましょう。まずは優花里さんから、これまでの経過の説明をお願いします」

「はっ!」優花里が席を立ち、ホワイトボードの前に身を寄せた。「新学期より、官有くめ子率いる現生徒会は理由不明ながら我々を敵視しています。始めは予算や特典の無効といった妨害、今度は定人数不足を口実とした戦車道廃止を要求してきました。

 現状、戦車道のメンバーは総勢三十一人。生徒会が要求する定数・三十五人に満たない状況であります。その不足を今週中――つまりあと二日以内に補わなければなりません。これが、第一の課題であります。

 第二に、我々が新たな履修者を獲得しても、生徒会はさらなる妨害工作をしかける可能性があります。今後のために、対応策を練らなければなりません。以上が、本日の討議内容になります」

 優花里の説明を聞き、室内にざわめきが走る。既に仮履修期間も半ばを過ぎている状況で、新しいメンバーを確保することは困難だ。さらに、去年頼もしい味方だった生徒会が敵となったことも、不安に拍車をかけた。

 優花里が室内を見回す。

「では、ご意見のある方は挙手をお願いします」

 沈黙が流れる。

 その中で、一つの手がおずおずと挙がった。

 誰かと思えば、武部詩織だ。

「どうぞ!」

 優花里に促された詩織は、ぎこちない動きで腰を上げると、途切れがちな言葉で話し始めた。

「え、ええと、人員の確保なんですけれど……も、もしかしたら、今日中に何とかなるかもしれません……」

 姉の沙織が、すかさず聞き返す。

「どういうこと?」

 詩織は、昨晩の帰り道での出来事を語った。要領を得ない話しぶりだったが、詩織が戦車道廃止を企むの一派の生徒に襲われたこと、それを謎の三人組に救われたこと、その三人組がどうやら味方らしいことは伝わった。

 話が終わるなり、左衛門左が口を開いた。

「んー? その黒縁メガネって、確か今年の副会長じゃないか?」

 テーブルの反対側にいた居合道部の内野沙耶が、反応を示した。

「あっ、私達も見たことあります! その方に、戦車道をやめろって言われたんですよ!」

「まったくいけ好かない連中でしたわね」

 つけ加えたのは同じく居合道部の袴野結子だ。

「やはり生徒会の差し金だったぜよ」とおりょう。

 あゆみは憤慨した様子で言った。

「それにしても酷いじゃないですか。脅迫したうえに、暴力まで振るおうとするなんて」

 エルウィンが指先で顎を撫でつつ、険しい表情を浮かべた。

「だが、生徒会の情報収集力は侮れんな。入学したばかりの一年生の経歴まで細かく把握しているとは。思うに、履修生達が離反してしまったのも、生徒会が我々に不利益な情報を多く持っていたからだろう」

 華が大きく頷く。

「エルウィンさんのおっしゃる通りです。生徒会は我々と新履修生が対立するよう仕向けたに違いありません。ヤクザの手口ですわ」

 そこへきて、典子がふと話題を変えた。

「ところで、武部さん達を助けたその三人組は、何者なんだろう?」

 問いかけられて、綾乃が肩をすくめる。

「さぁ、わかんないんですよね。ヨーヨーとかビー玉とか持って、自分達で名乗ってて、麻宮さん、五代さん……あと何だっけ?」

「確かサンマさんだよぉ!」

「違う。風間」

 いい加減な返答をする美智へ、きりこが淡々と言葉を被せた。

 それを聞いた沙織が、はっとしたように身を乗り出す。

「あーっ! それもしかして、大洗女子学園の裏番長じゃないのぉ?」

「有名なの?」

 転校して一年が経つものの、まだ大洗の事情に疎い部分があるみほへ、麻子が解説した。

「大洗女子学園・番長グループ。あまり表沙汰にはならないが、生徒会・風紀委員と並んで大洗女子学園の三大勢力と呼ばれてる連中だ。表を仕切る総番長の背後に、三人の裏番長がいると聞く。詩織達を救ったのは、多分その三人だ」

 ツチヤが椅子へ背をもたれ、不思議そうに漏らした。

「なんでそんな物騒な連中が、戦車道と関わるのかねー」

「確かに。別の狙いがあるのでは」と、同じ自動車部の二年・今暮井つかさも同意を示す。

 皆が首を捻っていたところへ、梓がぽつりと言った。

「助っ人、だからかも」

「それ、どういうこと?」

 隣のあやが、眉をひそめて聞き返す。梓はみほをちらっと見て同意を求め、彼女が頷くのを待ってから話し出した。

「昨日、前会長の角谷先輩から、西住先輩に連絡がきたんです。助っ人を寄越すって。もしかしたら、その裏番長三人のことなのかもしれません」

 優季が胸の前で手を合わせる。

「わぁ、そんな凄い人達が加わってくれるなんて心強いかもぉ!」

「だけど、今の人数にその三人を足しても三十四人だよ? まだ足りないじゃん」と桂利奈。

「もしかして、番長グループから別に人手を引っ張ってくるとか?」

 忍の言葉に、妙子はぎこちない笑みを浮かべた。

「それ、なんかちょっと怖いかも……。不良ばっかりってことよね?」

 意見もまわったところで、カエサルが話をまとめた。

「とどのつまり、その助っ人とやらが姿を現すのを待つしかなさそうだな。詩織の語るところが正しければ、今日中には何かしらの動きがあるとみた」

「た、多分そうじゃないかと……思うんですけど」

 詩織も自信なさげに答える。司会の優花里が時計を見て、声を張り上げた。

「では、そろそろ一限も近いので、ここで会議は終了します。また放課後に集まりましょう!」

 

 チャイムが校内に鳴り響く。

 午前の授業が終わり、昼休みになった。

「みぽりん! 今日は久々にハンガーでお弁当食べようよ!」

 手作りの弁当箱を掲げながら、沙織が言った。

「うん、いいよ。私も今日お弁当持ってきたから」

 みほが二つ返事で応じると、華も近づいてきてにこやかに言った。

「そういえば、あそこで食べるのも久しぶりですね」

「じゃ、麻子とゆかりんも誘うね」

 沙織が携帯をいじり、メッセージを送る。

 十分後、全員がハンガーで合流した。早速Ⅳ号戦車の上に座り、弁当を広げる。

「んー! 愛する戦車の上で食べるお弁当って、最高に美味しいよね!」

 笑顔で納豆ご飯を頬張る沙織へ、華が訝しげに尋ねた。

「沙織さん、いつから恋愛対象が男性から戦車に変わったんですか?」

「そんなんじゃなくて! 戦車も男もどっちも好きなの!」

「二股か。どっちつかずで完全に失敗するパターンと見た」と麻子。

「そもそも、Ⅳ号は武部殿だけの物じゃありませんよ?」

 優花里が至極真面目な突っ込みを入れる。沙織は膨れっ面になった。

「んもー。そんなのわかってるってば!」

 みほは友人達のやり取りを微笑んで見守っていた。

 一緒に過ごす、何気無いけれど大切な時間。戦車道が廃止になったら、それも無くなってしまう。そうならないように、頑張らなきゃ。一人じゃなくて、みんなと一緒に。

 昼食を終えた後も、みほ達はしばらくハンガーに居座り談笑を続けた。

 そこへ、うさぎさんチームの面々が入ってきた。M3のもとへ歩きながら、六人で口論を繰り広げている。喧嘩している雰囲気には見えないが、皆真剣な表情なので、みほ達は思わず耳を傾けた。

 桂利奈が両腕を振り回し、声をあげた。

「だからー、そこはどうでもいいんだって! 強くなったように見えないじゃん!」

「でも、外付けの武器とかは無理って言われたし。仕方ないから、やっぱり旗でも立てとく?」とあゆみ。

「それより塗装しようよ~。赤くなると強そうだし~」

 のんびりした調子でそう言ったのは優季だった。それを、梓がたしなめる。

「ダメだよ。色とか旗とか、去年の聖グロリアーナとの練習試合で痛い目見たの覚えてるでしょ?」そこまで言って、彼女はふとみほ達の姿に気がつき、慌てて身を折った。「あ……西住先輩! すみません、ご挨拶が遅れて」

 みほはにこやかに手を振った。

「いいよ。それより、何を話してたの?」

「新学期になったので、うちのM3もパワーアップさせたいって話してたんです。ツチヤさんには相談したんですけど、今年は予算削減のこともあるし、難しいだろうって言われてしまって」

「そうだね。ソミュアやポルシェティーガーは整備するだけでも大変だし。今は戦車の強化までは手が回らないかな」

「ですよね……」

 梓が落胆する。奥の方で、あゆみの声が聞こえた。

「ちょっと沙希、何やってるの?」

 見れば、沙希はM3に書かれたウサギのエンブレム――二本の包丁を持った面相の悪いウサギだ――に、白いチョークで何かを書き足していた。

 梓がその場へ寄って、叱りつけるように言った。

「もう、沙希。いたずら書きしちゃ駄目だよ……って、何これ!」

 梓の反応に、うさぎさんチームのメンバーが集まってくる。

 ウサギの持つ二本の包丁が、巨大な斧に書き換わっているではないか。

 あゆみが呆然と言う。

「さ、沙希。これって……」

 振り向いた沙希は、にこりと微笑んだ。

「ぱわぁあっぷ」

 ウサギの絵を凝視した梓達。次の瞬間、声を揃えて興奮気味に叫んでいた。

「カッコイイ~!」

「凄いよ! 凄いパワーアップじゃん!」と桂利奈。

「これ心理効果抜群だよ!」とあや。

「沙希は天才だね~」と優季。

 遠巻きに眺めていた優花里が、訝しげに言った。

「あれ、パワーアップで言うんですかね?」

「まぁ本人達も喜んでるみたいだし」

 沙織が取りなす横で、麻子も呟いた。

「雰囲気だな。完全に」

 ウサギさんチームがわいわい騒いでいたところへ、また別の一組がハンガーにやってきた。居合道部だ。

 先頭にいた内野沙耶が、礼儀他正しく一礼した。

「あっ、西住先輩! お疲れ様です」

「こんにちわ。皆さん、どうしたんですか?」

 これには、小刀が答えた。

「戦車の整備をしようと思いまして。戦車は居合道における刀と同じです。手入れを怠るわけにはいきません」

 華が微笑んだ。

「素晴らしい心がけですね。是非、他の皆さんにも見習って貰いたいです」

 袴野結子が尊大な調子で高らかに笑う。

「おほほ、とんでもありませんわ。武道を志す者として、当然ですもの」

 沙耶がじとっとした視線を向けた。

「結子さん、一番面倒くさがってましたよね?」

「お黙り!」

「さ、グソクーヌ。ちょっとここで休んでてね」

 金髪の太刀野間愛が、グロテスクなダイオウグソクムシ人形をハンガーの隅にあるテーブルへ置いた。

 優花里が青ざめた。

「何ですかあの人形は。ぞっとするビジュアルであります……」

 みほも頷いた。

「変わった人形を好きな人っているんだね」

「みほ、人のこと言えないと思うよ……」

 沙織が呆れ顔で突っ込む。

 突然、優花里が思い出したように手を叩いた。

「あ、そういえば西住殿。是非見ていただきたい資料があるんです!」

バッグを開けて、二枚の印刷されたプリントを手渡した。一つはネットの百科事典の記事で「栗林流」という題がついている。華が首を伸ばして尋ねた。

「これは何なのですか?」

「先日離反した履修生の言葉が、ずっと気になっていまして」

「詩織さんのチームに、戦車道経験者が二人いたという話のことですか?」

「そうです。そこで調べてみました。栗林美智さんは、どうもあの戦車道の名門・栗林流の跡継ぎらしいんです」

 麻子が眉をひそめる。

「栗林流? 聞いたことがないな」

「大分前に滅んだ流派ですからね。三十年前、日本のプロ戦車道界には四つの大きな流派があったそうです。西住流、島田流、石原流、それと栗林流です。それぞれ、東の島田、西の西住、南の栗林、北の石原と位置づけられ、さらにそれらを総称して「東火・西雷・南水・北風」とも呼ばれていました」

 今度は沙織が尋ねた。

「その火とか水とかって何なの?」

「流派の特徴を一字で表したものであります。即ち、火のように敵を焼き払う島田流、雷のごとく敵を殲滅する西住流といった調子です。中でも栗林流は、水のように柔軟に敵を翻弄するゲリラ戦が得意だったと言われています」

「私も少し、聞いたことがあるの」みほが優花里に続いて口を開いた。「お母さんが学生だった頃は、凄い強い流派だったみたい。でも、ある年アメリカのプロチームに惨敗してから、すっかり勢いを無くしたって。跡継ぎにも恵まれなくて、後進が育たなかったことも衰退の原因かな」

「栗林美智さんについても調べたんですが、中学時代の実績は殆ど見あたりませんでした。それどころか、選手にも選ばれていなかったようです。本当に才能が無いのかもしれませんね」

「でも、まだわからないじゃん? みぽりんだって大洗に来たからこそ実力を発揮出来たんだし」

 沙織の言葉に、みほは微笑んだ。

「そうだね。才能のあるなしは別として、頑張って続けて欲しいかな」

「ですね。続いて、こちらをご覧ください。穂積きりこさんの資料です」

 優花里が見せたのは、新聞記事の切り抜きだ。タイトルは「義留亀須学園・廃艦」。

 あっ、とみほが小さな声をあげる。

「穂積さんは、義留亀須の出身だったの?」

「みほさん、ご存じなのですか?」と華。

「うん。中学戦車道の強豪で、とにかくスパルタ訓練で有名な学校なの。まさか廃校になってたなんて」

 優花里が記事を手に取って解説する。

「去年の廃鑑騒ぎは、大洗以外にも各地で行われていたそうですから。義留亀須もその一つでした。もともとスポーツで名を馳せた学校でしたが、近年は成績も悪く、スパルタ指導が問題になっていたそうで。唯一実績のあった戦車道も、去年は一回戦で惨敗し、廃校を免れなかったそうです。ちなみに、穂積さんはあの有名な「赤砲」のメンバーだと記録がありました。腕前は折り紙つきであります」

 沙織が首をかしげる。

「赤砲……?」

「義留亀須でも選りすぐりの精鋭部隊のことであります。正式名称は、義留亀須学園戦車道第一〇部隊・独立特殊戦略電撃戦闘任務機甲班Yー2といいます」

「何それぇ! 長くて覚えられないよ~!」

「別に覚える必要は無いのでは……」と華。

「さて、もう一人の戦車道経験者、川村ユングさんについてなのですが……」

 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。沙織は弁当箱の風呂敷を畳みながら言った。

「もう授業始まるね。そろそろ行こっか」

 その言葉に促されて、皆は戦車を降りた。

「では西住殿。ここでお別れします」

 ハンガーの入り口で、優花里がびしっと敬礼する。みほも笑顔で手を振った。

「うん。また放課後にね!」

 

 

「よし、一年生! あと十周だ! 根性で飛ばしていけー!」

 磯部キャプテンがストップウォッチ片手に、グラウンドを走る新入部員へ声を飛ばす。

 その姿を、佐々木あけびは少し離れたところでにこやかに見つめていた。

 今年、正式に入部した新入部員は二十一人。バレーボール部はめでたく復活を遂げたのだ。熱心に後輩を指導するキャプテンを見ていると、何だか自分も嬉しくなる。

 そこへ、近藤妙子がやってきた。

「キャプテン、そろそろ戦車道の会合ですけど」

「おっと、もうそんな時間か。それじゃ……」

 キャプテンは、途中で一年生を放り出すのが忍びない様子だった。あけびがゆっくり進み出る。

「あの、キャプテン。新入生は私が見ておきますから、会合に行ってください」

「そうか。じゃあ、頼んだぞ。佐々木」

「はい。行ってらっしゃい……」

 手を振って、キャプテンと妙子を見送る。心無しか、笑顔が作り物になっているのが、自分でもわかった。

 キャプテン達とは一緒にバレーをやっているはずなのに、どこか切り離されているような気分になる。

 理由は、わかりきっていた。

 本当は私だって、一緒に……。思わず、嘆息してしまう。

「何のため息なのよ、それは」

 いきなり声をかけられて、あけびはぎょっとした。振り向けば、無愛想な顔つきの川村ユングが腕を組んで立っていた。 

「あ……川村さん。戦車道の会合始まっちゃうよ?」

「別に出る必要無いわ。どうせ私に発言権なんか無いんだし」にべもない調子で答え、それからつけ加えた。「あんたこそ、行ったらどう?」

「わ、私はもう……戦車道はやれないから」

「だったら、そんな未練がましい顔するんじゃないわよ。人が見たら心配するでしょ」

 あけびは、はっとユングを見た。

「心配……してくれてるの?」

「私が? するわけないでしょ。他の連中が、よ」

「うん……。でも、ありがとう」

「何がよ」

 あけびは微笑んだ。彼女に対して、初めて見せる心からの笑顔だった。

「川村さんが、冷たいだけの人じゃないって、わかったから」

 ユングはふん、と鼻を鳴らして去っていった。

 

 みほは沙織と華を連れ、慌ただしく作戦会議室の中へ駆けこんだ。授業後のホームルームが、思いのほか長引いてしまったのだ。

「ごめんなさい。遅くなりました!」

 既に殆どのメンバーが集合している。

 ところが、その中に予想外の顔ぶれもあった。みほは目を丸くした。

「猫田さん……? それに風紀委員の皆さんも。どうしてここに?」

 先日戦車道を辞めると宣言した四人――ねこにゃー、ももがー、ゴモヨ、パゾ美がいたのだった。

 ゴモヨが、当惑した表情で答えた。

「え……昨日、戦車道の元メンバーも含めた緊急会議をやるって連絡が来たものだから。西住さんが声をかけたんじゃないの?」

 続けてねこにゃーも言った。

「ボクとももがーも同じ連絡を受け取って来たんだけど……もしかして、何かの間違いだったのかな」

 みほにもわけがわからない。そんな連絡をした覚えは無かった。

 しかし履修者も不足している今、これはまたとない機会だ。せっかく来てくれたのだし、駄目もとで説得してみるべきではないか。みほはおずおずと話し始めた。

「あの、皆さん。もしよかったら――」

「何者!」

 突然、居合道部の小刀がドアへ向かって叫んだ。

 沙耶と結子が、木刀を片手にいち早く飛び出す。

 次の瞬間、ドアが開くと同時に、何かが物凄い勢いで飛来した。

 ヨーヨーと、ビー玉。

 沙耶と結子は気合一声、木刀を袈裟懸けに払い、それらを跳ねのけた。

 が、それで終わりではなかった。突如躍り出た人影が、沙耶と結子へ手刀を見舞い、二人の得物を叩き落とす。虚を突かれ、沙耶達はたじたじと後ずさった。

 人影は大洗の生徒だった。両腕には赤塗りの籠手をはめている。彼女は白い歯を見せて笑った。

「居合道部、聞きしに勝る腕前じゃ! 伊達に稽古はしとらんね! わちは大洗女子学園二年C組・風間未唯! 人呼んで、不動明王の未唯じゃ!」

 その後ろから、さらに二人の生徒が近づいてくる。右側にいる、ビー玉を指に挟んだ子が先に名乗った。

「同じく二年C組・五代舞。通り名は鉄仮面の舞! よろしく頼むぜよ」

 エルウィンがおりょうを小突いて、囁いた。

「おい、ぜよって言ったぞ。仲間なのか?」

「んなわけないぜよ……」

 最後は、左手にヨーヨーを巻いた生徒だ。

「同じく二年C組・麻宮亜衣。またの名を、ヨーヨーの亜衣! あたし達三人は、大洗女子学園の裏番長さ。角谷杏前会長からの頼みで、戦車道を履修することになった。ひとつこれからよろしく頼むぜ」

 武部詩織とその友人が、真っ先に反応を見せた。詩織は仲間を代表して、ぺこりと頭を下げる。

「あ、あの、昨日はありがとうございました」

 亜衣は微笑した。

「いいってこった。気にすんな」

 みほも三人が味方だと確信し、自ら進み出た。

「杏さんからお話は聞きました。よろしくお願いします」

 裏番長達はそれぞれ頷く。そこへ、パゾ美が冷ややかに告げた。

「麻宮さん。風紀委員の裏切り者がここに何の用? そどこは、あなたを後継者にと期待していたのに」

 詩織の時とは打って変わり、亜衣が皮肉な表情を浮かべた。

「別に、園先輩も風紀委員も裏切った覚えはねえよ。ただ、学園の平和のためには、風紀委員の立場じゃ見えねえ正義もあるってことさ。今回の戦車道の件もな。そうそう、あたし達が加わっただけじゃ、まだ履修者の定人数には足りなかったはずだ。あんた達四人にも戦車道を履修して貰うぜ」

 そう言って、ゴモヨ達へ視線を向ける。

「そ、そんな! 勝手に決めるなんて。私達風紀委員は、今戦車道どころじゃ……」

 ゴモヨが当惑する一方、パゾ美は合点のいった様子で言った。

「ようやくわかったわ。昨日の召集メッセージ、あんた達が寄越したのね」

 舞がせせら笑った。

「こうでもせんと、おまんらは来なかったぜよ。で、答えはどーなんじゃ?」

 ねこにゃー達も、風紀委員の二人も黙り込んだ。すぐに言い返さないところを見ると、迷っているのかもしれない。

 未唯は腰に手をあて、叱責するような口調で告げた。

「まっこち、情けねえこっちゃ! 戦車道は、あんた達の大事な居場所じゃなかと? それが危のうなっとる時に、迷っちょる暇なんか無いじゃろ?」

 みほもあと一押しだと思って、三人の後に言葉を続けた。

「皆さん、私からもお願いします。どうかもう一度、戻ってきてください。チームには、皆さんの力が必要なんです」

 深く頭を下げる。

 またしても、沈黙。みほは待った。

「西住さん……」ねこにゃーの声に、みほはようやく顔を上げた。「ボクとももがーは、ぴよたんがいなくなってから、ずっと代わりのメンバーが見つからなくて。それなら、戦車に乗る意味も無いって、勝手に決めつけてたんだにゃ。でも……西住さんやみんなが、こんなにボクを必要としてくれてる。それなら……ボクは戦場に戻るんだにゃ」

 ももがーも、ねこにゃーと肩を並べた。

「私も戻る。戻って、戦う! これまでと違うメンバーとうまくやれるかはわからないけど、やってみるナリ!」

 すると、ゴモヨも意を決した様子で言った。

「西住さん。この前はあんなこと言っちゃったけど、やっぱり私達も戦車道をやります。いえ、やらせてください。そどこがここにいたら、やっぱり戦車道を選択したはずですから」

「それに、番長グループに戦車道を任せたら、風紀が乱れるもの」とパゾ美もつけ加えた。

 みんな、戻ってきてくれた……! みほは瞳を潤ませて、四人の手をかわるがわる握った。

「ありがとうございます! また一緒に戦えるなんて、凄く嬉しいです。これで……これで――」

 喜びのせいか、言葉が出てこない。沙織が笑顔で手を叩き、後を引き取る。

「これで三十七人! 人数の問題は解決だね!」

「やっぱり、カモさんとありくいさんもいてこその大洗戦車道であります!」と優花里。

 作戦会議室に、自然と拍手が沸いた。誰もが、四人の帰還を歓迎している。

「ようやくベストコンデイションということか」

 エルウィンがそう言うと、典子が複雑な表情で首を振った。

「いや。もう一人……」

 妙子がそばで慰めた。

「キャプテン。あけびもきっと戻ってきてくれます。だって私達と同じで、戦車道が好きなんですから。きっと、いつか……」

 とにもかくにも、チームメイトは再び終結した。

 喜びに沸き返る一同へ、亜衣が言う。

「あんた達、安心するのは早いよ。まだ、大本の厄介事を引き起こした連中が残ってる」

「官有くめ子さんのことですね」華が尋ねた。「裏番長の皆様は、生徒会がわたくし達を敵視する理由をご存じなのですか?」

「ああ。大体な」亜衣は腕を組んだ。「まぁ、至極単純な話さ。去年廃校になるはずだったこの学園を、あんた達が長生きさせちまった。それが全ての原因なんだよ」

「ええっ」

 その場の一同は、一様に驚きを浮かべた。梓が真っ先に反駁した。

「どうしてですか? 学園の存続は、生徒全員の願いだったはずです!」

「もし本当に全校生徒が反対の声をあげてたら、そもそも文科省だって廃校話を持ちかけねえさ」

 忍が拳を握った。

「一体、誰です? 誰が廃校に賛成を?」

「文科省は、学業やスポーツで優秀な成績を修めた生徒や、生徒会のように学校の中心で活動する生徒にコンタクトをとって、餌を投げたのさ。廃校に賛成してくれたら、転校先では特待生としての特典を与えるってな。まぁ、学費の免除やら奨学金援助やら、色々とだ」

 文科省に散々苦しめられてきた戦車道チームは、亜衣の話を聞いて消えかけていた怒りがぶり返してきた。あやが皆の気持ちを代弁して言った。

「そんなの無茶苦茶じゃないですか。一部の生徒だけに特典だなんて、完全な差別ですよ」

「そりゃ、文科省も全校生徒に特典を与える余裕は無かったしな。優秀な生徒だけを対象にしたのも、そいつらに廃校を反対されるのが一番厄介だからさ。逆に、そいつらさえ抑え込んじまえば、残りの一般生徒の声なんて無視出来ると思ったんだろうよ」

 沙織が憤慨した。

「な、何よそれっ! そんな酷い話ってあるの?」

「表沙汰には出来ねえ学園の裏事情ってやつだよ。杏会長をはじめ生徒会も、文科省の懐柔を受けた。でも、全ての生徒の立場を案じていた杏会長は、文科省の条件を突っぱねたのさ。けど……生徒会の内部にも、廃校に賛成した連中は少なくなかった」

 麻子が腕を組み、理解を浮かべた。

「その一人が、官有くめ子ということか」

「ああ。官有くめ子は、大洗が廃校になれば、最新式の学園艦に特待生として転校出来るはずだった。それがあんた達の活躍でおじゃんになったからね。同じように文科省の誘いを受けていた弓道や忍道の生徒も、あんた達を恨んでるだろうぜ」

 茶道・弓道・忍道は大洗女子学園の三本柱とも呼ばれ、優秀な実績を残している生徒は少なくない。彼らが文科省の取引に同意していたとしたら、当然戦車道チームを敵視するはずだ。

 優花里が暗い面持ちになった。

「道理で、あの無茶苦茶な予算案に茶道や弓道の生徒が賛成していたんですね」

 亜衣がさらにつけ加える。

「生徒だけじゃないぜ。父母会の役員や学園艦に住む有力者に、文科省は積極的なコンタクトをとってる。恐らく、そいつらも何かしらの餌を掴まされて、廃校に賛成してたに違いない」

「あーっ!」突然、忍が声をあげた。「私、わかった! あけびが戦車道やれなくなった理由!」

 隣にいた妙子が、すかさず聞き返す。

「どういうこと?」

「あけびのお父さん、父母会の会長やってるじゃん。もしかしたら、廃校に賛成してたんじゃない?」

「でも、それならなんであけびに戦車道やらせてたのかな? 第一、あけびは私達と同じで、プラウダ戦まで廃校のこと知らなかったみたいだし」

「きっと、うちが優勝するなんて思わなかったからだよ。廃校のことはトップシークレットだったし、あけびのお父さんもそれで黙ってたんじゃないかな」

 梓が肩を落とした。

「私達、学園のために戦ったつもりだったのに……。それが、いけないことだったんでしょうか」

「生徒会の妨害は、今後も続くかもしれませんね」と華が懸念をつけ加える。

 二人の言葉は、チーム全員に苦い思いをもたらした。

 みほは仲間達を見つめた。どの顔にも怒りや不安といった負の感情が浮かんでいる。せっかくメンバーが揃い、戦車道の継続が決まったのに、こんな悪い空気にあてられては、新履修生にも悪影響が出てしまう。

 みほは決意した。今こそ、リーダーとしての役目を果たす時だ。

「皆さん!」

 声を張り上げ、大股で進み出る。全員の視線が集まるのを感じた。

 みほは深く息を吸った。次の瞬間――。

「あああん、あん! あああん、あん!」

 歌と共に手足を激しく振り、踊り始める。

 大洗名物にして――極めて恥ずかしいと評判の――あんこう踊りだ。

 全員が呆気にとられた。それを見たみほは、いったん踊るのをやめて叱咤した。

「どうしたんですか、皆さん? まさかあんこう踊りを忘れたんですか?」

 沙織が困惑を浮かべた。

「いや、あの、忘れてないけど、なんで唐突にそれ……」

「定人数が揃って、裏番長という心強い味方も加わったのに、皆さんの表情が暗いからです! 今は大会に備えて、士気を高める時なんです。私と一緒に踊ってください! あぁのこ、あいたや、あのうみこえて、あったまのあっかりはあぁいのあかし……」

 狂ったように歌い、踊り続ける。

 それを見ていた優花里は、わなわな体を震わせて叫んだ。

「西住殿、私もお供いたしますっ!」

「んもーっ! どうせ士気をあげるんだったら他のやり方があるでしょー!」

 文句を言いながら、沙織もみほ達と肩を並べて踊り始めた。続いて華と麻子、うさぎ、あひる、かば、かも、ありくい……。それからためらいがちに、詩織達を始めとする新メンバーも参加し、とうとう全員で激しく踊っていた。

 踊り続けながら、みほは声を張り上げた。

「皆さん、私達に厳しい状況が続いています。でも、今は自分達に出来ることを、全力でやり抜くしかありません。仲間は揃いました。大会に向けて、明日からは訓練に打ち込みましょう!」

「はい!」

「声が足りません! もっとあんこう踊りです!」

 言いながら、みほが踊りのスピードを速める。メンバー達も必死についていく。

「愛して、あんあん! 泣かさないで、あんあん! いやよいいわよ、あんあんあん……!」

 作戦会議室からは、戦車道メンバーのヤケクソな歌声がいつまでも絶えなかった。 

 

 翌日より、戦車道チームは本格的な訓練を開始した。

 課題は山積みだ。現行メンバーのレベルアップだけでなく、新履修生の教育もしなければならない。予算削減により、整備や訓練も制限されていた。チームは、日々苦闘が続いた。

 何日かして、正式にチーム編成が決定した。あんこう、うさぎ、かばは前年通り。れおぽんとあひるも新メンバーが加わったこと以外は変わらない。残りについては協議の末、居合道部の四人に訓練で乗りなれていた三式中戦車を、裏番長の三人にはヘッツァーを、そして武部詩織とその友人にはソミュアを配車した。残るルノーは、風紀委員の二人とねこにゃー、ももがーの四人でチームを組んだ。ゴモヨとパゾ美はいまだ少なからず対立しており、チームワークに難がある。そこへねこにゃー達が加われば、うまく作用するのではないかと考えたのだ。

 

 

「まったく、どうしてよりにもよってありくいなんですの?」

 ハンガーにたたずむ三式中戦車を前にして、結子が不満げに鼻を鳴らす。沙耶が横からなだめた。

「まぁまぁ。三式は猫田先輩達からの受け継ぎですし、名前を変えるわけにもいかないじゃないですか」

 ダイオウグソクムシを抱えた間愛が、笑顔で言った。

「間愛、ありくいも好きですよ~」

「ゲテモノ好きは黙ってなさいな!」

 怒鳴る結子を後目に、小刀が沙耶を振り向いた。

「ところで、沙耶。戦車道を始めてから、居合道への新しい入部希望者は来たの?」

 沙耶は落胆気味に答えた。

「それがさっぱりで。生徒会を筆頭に、戦車道へのバッシングが酷いみたいですから」

「そのようね。けれど、西住隊長や裏番長達からあんな話を聞かされた後だもの。今更、戦車道をやめるわけにはいかないわね」

「もちろんです! 義を重んじるのが武道の精神、居合と同じですよ。正々堂々戦い抜いて、生徒会の横暴をみんなで打ち破りましょう!」

 四人が話していたところへ、パゾ美とゴモヨが前後してやってきた。沙耶はぺこりと身を折った。

「お疲れ様です。風紀委員の皆さん」

 ゴモヨが尋ねてきた。

「あなた達、裏番長の三人を見かけなかった?」

「いいえ。見ていませんけれど」

 パゾ美が腰に手をあて、忌々しげに言った。

「あの三人、これまで一度も練習に参加していないのよ。本当に協力する気があるのかしら。大体授業をサボるなんて、他の生徒にも悪影響だわ」

「パゾ美ったら。こんなところで愚痴をこぼしてどうするの?」

「あなたこそ、いちいち私に指図しないで。委員長は私よ」

「指図じゃなくて、私が言いたいのは……」

 二人の態度が段々険悪になっていくので、沙耶は慌ててなだめにかかった。

「あ、あの。先輩方。ここはどうか落ち着いてお話を――」

 突然、ハンガーの奥で爆発音が響き渡った。居合道部と風紀委員の面々が、驚いてそちらに目を向ける。

 ポルシェティーガーのエンジンから、火の柱があがっていた。

 中からツチヤ、つかさ、茜、留美ら自動車部のメンバーが次々に飛び出してくる。その後もポルシェティーが―はあちこちから爆発を起こし、四人は慌てて消火作業にかかっていた。

 パゾ美が腕を組み、鼻を鳴らした。

「今年の自動車部、本当に大丈夫なのかしら。去年はポルシェティーガーも楽々整備してたのに。あけびさんの抜けたバレー部もチームワークが乱れ気味だし、まともなのはあんこうとカバとうさぎくらいね。これじゃ、全国大会が思いやられるわ」

 沙耶がため息をついた。

「そういえば、今年は伝説の軍師として名高い河島桃さんもいらっしゃらないんですよね」

「はァ!? 伝説の軍師?」

 ゴモヨとパゾ美が、揃って素っ頓狂な声を上げたので、沙耶は面食らった。

「え……私、何か変なこと言いましたか? でも、去年の生徒会新聞に書いてありましたよ。大洗女子学園が優勝出来たのは、河島桃先輩の優れた戦略があったからだって」 

 結子がすかさず、得意げにつけ加えた。

「あたくしも見たことがありましてよ。確かサンダース戦での勝利は河島先輩の作戦のおかげだったと聞きますし、アンツィオでは河島先輩率いるかめさんチームが勇敢な陽動作戦を行い、敵フラッグ車撃破に貢献したと」

 小刀も大きく頷く。

「プラウダとの準決勝も、河島先輩の敵防衛線突破が逆転のきっかけだったと書かれていました。決勝でのマウス撃破も、河島先輩が咄嗟に機転を利かせて立てた作戦のおかげだとか。さらに大洗でのエキシビジョンマッチでは、空中を滑空していたクルセイダーを撃墜する離れ業をやってのけ、大学選抜チームとの試合では、あの驚異的なカール自走砲にとどめを刺したそうですね。河島先輩がいなければ、昨年度の戦いを勝ち抜けなかったともっぱらの噂です」

 ゴモヨは笑っているような泣いているような、複雑な表情で言った。

「あ、あはは……。確かに間違ったことは言ってないけれど、それは、ええとぉ……」

「ゴモヨ、やめなさい。今更蒸し返すのも面倒だわ。それより、見回りに行くわよ」

「そ、そうね。そうしよう」

 二人はそそくさとハンガーを去っていった。

 後に残された沙耶達は、不思議そうに顔を見合わせていた。

 

 

 訓練の日々は続き、五月も半ばを過ぎた。

 武部詩織にとって、高校生活の日々はかけがえのない宝物になっていた。戦車との出会いで、色んなことが変わった気がする。友達が出来てからは、淵上さん達の虐めも以前ほど堪えなくなった。はきはきとものが言えるようになったし、物怖じすることも減ってきている。

 その日の放課後も、詩織はチームメイトとソミュアの整備にいそしんでいた。

 履帯の掃除をしていた綾乃が、出し抜けに声を放った。

「ちょっと美智! 何やってんの?」

 キューポラにまたがっていた美智が、きょとんとした顔つきで振り向く。手には赤いペンキのついたハケを握っていた。

「砲塔を塗ってるだけだよぉ?」

「だから! なんでそんなことしてるわけ?」

「だってきりこは赤砲出身だもん。義留亀須のチームは、みんなこうやって戦車の砲塔を赤くしてたんだよ! 大抵の中学チームは、赤い砲塔見ただけで驚くんだから。いいでしょ、きりこ?」

 腕を組んで赤い砲塔を眺めていたきりこは、長い沈黙の後で言った。

「少し違うな。赤砲の色はもっと赤い。血の色だ」

「そーだっけ? じゃあ、塗り直さなきゃね」

 綾乃が辟易した。

「そんなことより、こっち手伝いなさいよ~」

 皆のやり取りを微笑んで眺めていた詩織は、ふと話題を変えた。

「あ……そうだ。この前話したチームの名前、みんな考えてくれた?」

 新履修生のうち、先輩の戦車を引き継いだ居合道部や裏番長はチーム名を持っていたが、新しく加わった戦車に乗る詩織達は、チーム名が無かった。それで先日、みほさんに名前を決めておくよう言われたのだ。

「あたしはクマとかを考えてたけど。強くて可愛い感じじゃん?」と綾乃。

「私は『すべすべまんじゅうがに』がいいな!」と美智。

「別に何でも。強いて言えば犬」ときりこ。

 詩織は困ってしまった。見事に意見がバラバラだ。

 綾乃が肩をすくめる。

「とりあえず、美智のはありえないと思うよ……」

「えぇ? すべすべまんじゅうがに可愛いよぉ」

「そういう問題じゃないっつうの」平手でびしっと突っ込みを入れた綾乃は、詩織を見た。「しーちゃんは?」

「うん。うまとか、いいかなって」

「馬?」

「調べてみたんだけど、ソミュアは騎兵戦車っていうカテゴリーなんだって。騎兵って、馬みたいな感じかなって思ったから。ソミュアのシルエットも馬に似てるし……。それに私達が初めて揃った美術の授業で、馬の絵を描いたよね? 何かと繋がるようなものがあった気がして……」

 綾乃は喝采した。

「わー、いいじゃん! うまにしようよ!」

「構わない」

 きりこが頷く横で、美智も両手を振り上げた。

「私もさんせ~い! あ、じゃあ詩織が絵を描いてよ。うまいんだし!」

「わ、私の絵なんかでよかったら。じゃあ、馬にするね」

 三人に否やは無かった。

 その話題の後で、綾乃は身を乗り出した。

「そういえば明日だっけ。全国大会の抽選会!」

 六月から第六十四回・学生戦車道全国大会が始まる。明日は試合参加校による抽選会が開かれるのだった。

 美智が大きく伸びをした。

「どことあたるのか、楽しみだなぁ」

 

 

「12番、大洗女子学園!」

 抽選会場にアナウンスの声が響く。ステージの上で番号を引いたみほは、すぐ近くのホワイトボードに掲示されているトーナメント表を見た。

 12番の相手は……知波単学園だ。

 ステージを降りると、見慣れた顔がみほを待ちかまえていた。知波単学園戦車道チーム隊長・西絹代だ。彼女はつかつかと進み出て、にこやかに告げた。

「まさか一回戦で大洗の皆様と戦えるとは。またとない名誉です」

 みほも微笑んだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 二人はどちらからともなく、手を握り合った。

 

 

「実に賑やかだな」

 学生達で賑わう会場の中を、カエサルはカバさんチームのメンバーと共に歩き回っていた。すぐ横のエルウィンが言った。

「気を抜くなよ、カエサル。我々がここにいるのは敵状視察のためだ」

「無論、心得ているとも」

 あんこうチームが抽選を行う間、他校の情報を探るという名目で、カバさんチームも今回の抽選会に同行していたのだった。

 ふと、左衛門左がトーナメントを見て眉をひそめた。

「んー? 今年は二十四校も参加してるのか。中立高校、中華大付属挑戦学園、十字軍女子学園……どれも去年はいなかったチームじゃないか?」

「無名校だったうちが優勝したものだから、それに触発されて今年は参加校が増えたらしいぜよ」とおりょう。

 エルウィンが不敵な笑みを浮かべる。

「もしかすると、我々のように無名ながら実力のあるダークホースがいるかもしれないな」

 その時、人混みの中から朗らかな声があがった。

「たかちゃーん!」

 近づいてきたのは、アンツィオ高校のカルパッチョだ。それを見たカエサルの表情は、花を咲かせたように輝いた。すぐさま駆けていって、カルパッチョの手を握る。

「ひなちゃん、元気だった? 聞いたよ、今年は隊長になったんだって?」

「そうなの。カルパッチョ隊長って呼んでね」

「アハハ。ところで、一回戦の相手は?」

「継続高校だよ。たかちゃんは?」

「うちは知波単。ま、楽勝じゃない? アンツィオと大洗は、確か同じブロックだったよね?」

「うん。勝ち上がれば、またたかちゃんと二回戦で戦えるね」

「楽しみにしてるよ。絶対勝って!」

「たかちゃんもね!」

 

 

 抽選を終えたあんこうチームの面々は、去年と同じく戦車喫茶に立ち寄った。沙織が両手の上に顎を乗せながら、余裕のある笑みを浮かべた。

「一回戦は知波単かぁ。勝てない相手じゃないよね」

「油断は禁物ですわ。保有している戦車の性能はともかく、知波単とは去年のエキシビジョンでチームを組んでいますから、わたくし達の戦い方をよく知っています」

 華の指摘に、みほも密かに頷いた。知波単は一見頭が硬いように見えて、その実柔軟だ。エキシビジョンでは特攻を貫徹して惨敗したが、大学選抜チームとの試合では戦略的な動きで敵を見事に翻弄してみせた。あの成長力は決して侮れない。

 考え事にふけっていた時、誰かが自分の名前を呼んだ気がした。振り向くと、黒森峰女学園隊長・逸見エリカが、チームメイトの赤星小梅――エリカの話だと、今年は副隊長になったそうだ――を連れて立っていた。

「エリカさん……」

 会うのは、熊本で別れて以来のことだ。

 二人はつかの間、見つめ合っていた。

 突然、沙織が勢いよく席を立ち、窓を見ながら叫んだ。

「あーっ! あそこにイケメンな男の人がいるー! 麻子、見に行こうよ!」

「私は興味無――」

 沙織は麻子の口を塞ぎ、華と優花里にもちらっと意味ありげな視線をなげた。そして嫌がる麻子を強引に連れ出していく。

 優花里がぽんと手を叩き、思い出したように言った。

「そういえば! 私も抽選会場限定の戦車グッズ買いに行かなきゃであります!」

「わたくしも持病の癪が……。少し外させていただきます」

「え、あの、みんな……」

 みほがおろおろする間に、四人は次々と姿を消してしまった。

 エリカの隣にいた小梅までもが、不意に言い出した。 

「あ、隊長! 私、用事があったの思い出しちゃった。みほさんと少しお話ししたら? 会うの久々でしょう?」

「ハァ? 小梅、ちょっと待っ――」

「お待たせしました。ご注文は?」

 タイミングがいいのか悪いのか、店員がやってきた。小梅がすかさず注文を告げる。

「あ、こちらの二人にマチルダコーヒーと、パンターケーキのセットを。それじゃ隊長、また後で!」

「小梅! こらっ、待ちなさいってば!」

 エリカが叫んだ時にはもう、小梅は全力で駆けだした後だった。

 呆然と立ち尽くす彼女へ、みほは遠慮がちに声をかけた。

「あの、エリカさん。良かったら、座って。コーヒー来ちゃうし」

 エリカは鼻を慣らしつつ、腰を下ろした。頬杖をつき、憮然とした表情で言う。

「まったく、小梅もあなたのチームメイトも、示し合わせたようにいなくなって」

「あはは、気を遣ってくれたみたいだね」

「余計なお世話だわ。もう以前みたいに険悪な仲でも無いんだし」

「そうだよね」

 エリカは頭の後ろで腕を組み、椅子に深くもたれた。瞳に、感慨深げな色が浮かんでいた。

「けど、一年の頃は想像もしなかったわよね。こうして別々のチームに別れて、隊長をやってるなんて」

「うん」

「時々、あなたがいてくれたらって思うことがあるわ。昔チームを組んでいた時のように、あなたが指揮をして、私がそれを助ける……。もともと、隊長なんて私のカラーじゃないわ。優れた指揮官の下で戦う方が、性に合ってるのよ」

 みほは、エリカの気持ちをなんとなく察した。こともなげに話しているが、黒森峰はここ二年準優勝止まり、かつて九連覇を成し遂げた頃の勢いは無くなっている。エリカガ隊長として、周囲からの重圧に悩まされているのは間違いなかった。みほがいてくれたら云々というのは、その気持ちの表れなのだろう。

「エリカさん、私は――」

「同情とか謝罪なら、聞かないわよ。私とあなたは、これで良かったの。途中で何があったにせよ、二人とも戦車道を続けてるんだから」

「うん。そうだね……。後悔が無いわけじゃないけれど、この道が正しかったんだって気持ちは変わらないの」

「ええ。それでいいのよ」

 かつては最高のチームメイト、そして今は最高のライバル。まったく異なる立場にせよ、二人は今も戦車道によって結びついている。大事なのはそれだ。

「今年も勝ち上がってきなさいよ。必ず、私の手であなたを倒してみせる」

「私も、負けないよ」

 二人は瞳と瞳で、心を交わした。

 やがてコーヒーとケーキが運ばれてくると、二人でそれを味わいながら、ここ数か月のことを語り合った。戦場で会うのはまだ先のこと。今はお互いに、ただの親友同士として過ごしたかった。

 そこへ――。

「あら……大洗の西住みほと、黒森峰の逸見エリカではなくて?」

 みほとエリカは、同時に顔を上げた。

 そこにいたのは、プラウダ高校の制服を着た生徒だった。白い肌とブロンドの髪、それにややふくよかな体格は威圧感があった。カチューシャやノンナといった生徒と面識のあるみほだが、眼前の生徒のことは知らなかった。

 エリカが冷笑した。

「そういうあなたは、今年のプラウダ高校隊長のエカチェリーナでしょ?」

「ええ、私をご存じ?」

「噂を少々ね。去年の冬に行われたサンダースとの親善試合で、一輌の損害も出さずに勝利したとか聞いたわ。今では、プラウダの女帝と呼ばれてるんですってね?」

 エカチェリーナも負けじと傲慢な笑みを浮かべる。

「ホホホ、実力が伴っていなければ、誰も渾名なんかつけないわ。私にはプラウダの女帝たる実力があるのよ」

「その傲慢さが仇とならなければいいわね。あなた、去年はフラッグ車に乗ってたそうじゃない? 大洗の奇襲であえなく撃破されたザマは、大いに笑えたわよ」

「お黙り、逸見エリカ! あなたこそ将の器ではないわ。西住まほの金魚の糞でしかなかったくせに。そんな輩が隊長になれるなんて、黒森峰も落ちたものだこと」

 ただならぬ事態に、みほは慌てて割って入った。

「二人とも、落ち着いてください。こんなところで言い争って、どうするんですか?」

 エカチェリーナはみほを睨みつけた。

「あなたには二つも貸しがあるわ、西住みほ」

「え……?」

「一昨年、私はあなたのパンターと戦って負けた。去年はフラッグ車を撃破された。あなたはこの私に、二度も土をつけた。この屈辱……晴らさずにおくものですか」

 当惑しているみほを見て、エリカが茶化した。

「残念、エカチェリーナ。みほをライバル視してる戦車乗りは山ほどいるのよ。あなたは生憎、顔も名前も覚えて貰ってないみたいね?」

「ならば、忘れられないよう、悪夢を見せてあげるまでよ。あなた達二人と私こそが、今年の学生戦車道における三強なのは間違いないわ。誰が最高の戦車乗りか、白黒をつけなくてはと思っているの」エカチェリーナはなおも傲慢に応じ、それからみほへ目を戻した。「そうそう、西住さん。うちの負け犬があなたの学校で世話になっているそうだから、せいぜい面倒を見てやってちょうだい。それじゃ、これで失礼するわ」

 うちの負け犬……? みほが問い返そうとした時にはもう、エカチェリーナは大股で立ち去っていた。

 エリカが鼻を鳴らした。

「みほを倒すのは、この私よ。他の誰かじゃなくてね」

 

 

「えっ……それ、ホントなの」

 驚いて聞き返したあけびへ、ユングは顔をしかめた。バレーの練習が終わった、放課後のことだった。

「嘘なんかついてどうするのよ」

「だって、川村さんがあのプラウダの生徒だったなんて……。どうして、転校してきたの?」

 ユングはあけびを鋭く睨みつけた。

「ご、ごめんね。話したくないなら、いいの」

 二人は、体育館裏の倉庫の壁にもたれて座っていた。ここはいつの間にか、あけびとユングが二人だけで過ごす場所になっていたのだった。

 ユングは顔を背け、ぶっきらぼうに告げた。

「あなたに、天才の気持ちがわかる?」

 あけびは首を振った。

「私は勉強もバレーも戦車道も、何でも出来たわ。でもそのせいで、周囲に妬まれたり煙たがられたり。私の方も、そういう凡人達に苛ついて、見下したりして。そんな有様だから、プラウダでは孤立して……結局、チームを出て行くしかなかった」

「そうだったんだ」

 ユングの言っていることは、あながち間違いでもなかった。彼女は確かに天才だ。学問もスポーツも成績優秀、バレー部では早くもキャプテンが彼女をスタメンに選んでいたし、戦車道の実力も西住隊長が絶賛していた。しかし、天才がゆえに周囲を憚らず意見を出すし、スタンドプレーも多い。そのことが、バレーでも戦車道でも少なからぬ悪影響となっていた。

 ユングは皮肉そうに口端を持ち上げた。

「私の性格じゃ、どこの学校へ行ってもうまくいくわけがない、そう思ってるんでしょ?」

「そんなことないよ。だって、私は川村さんとこうして普通にお話してるもん」

「上辺だけよ」

 あけびは微笑んだ。

「今はそうかもしれないけれど、卒業するまでずっとチームメイトでしょう? 私には、川村さんがとっても眩しいの。少しでも近づけたらいいなって、そう思うの」

「無理でしょうね。もとの出来が違うもの」

「じゃ、せめて足を引っ張らないように、頑張るね」

 ユングは面倒くさげに舌打ちした。

「無理に話を合わせなくていいわよ。私のこと、嫌な奴って思ってるんでしょ?」

「それでも……チームメイトだから……。私はもう、戦車道出来ないし。川村さんに、代わりを頑張って貰わなくちゃ」

 背を丸め、俯き加減になりながら続けた。

「チームのために、川村さんには、少しでもバレー部のみんなと仲良くして欲しくて……だから、こうして二人でお話して……こんなことくらいしか、今の私には出来ないから……。でも、余計なお節介だよね、こんなの……」

 ユングは顔をしかめ、無造作に手を振った。

「もういいわ。あなたにそういう話をさせると、完全に悪者になった気分だもの」

 地面へ視線を落としていたあけびは、二つの影が自分達のところへ伸びてくるのを見て、顔を上げた。

 やってきたのは、妙子と忍だ。忍は脇にバレーボールを抱えている。心なしか、二人とも殺気立ったような表情だ。それに、手足のあちこちに絆創膏や包帯。何か物凄い訓練でもしていたかのような姿だった。

 ユングはふっと笑った。

「何かご用かしら?」

 妙子が、ユングに指を突きつけた。

「川村さん、私達と勝負よ!」

「勝負?」

 今度は忍が進み出た。

「あんたが転校してきた日に負かされた借りを、戦車道大会の前に清算しておこうと思ってね」

「フフッ、あれだけやられてまだ実力差がわからないの? まぁ、いいわ。相手くらいいくらでもしてあげるわよ」

 せせら笑ったユングは、緩やかに立ち上がった。

 

 

 妙子がその場で地面に線を引き、コートを作ってから言った。

「五点先取した方が勝ちよ。いいわね?」

「構わないわ」ユングはライン越しに立つ忍と妙子を見て、肩をすくめた。「二人だけでいいの? 佐々木さんも加えた三人だって構わないのよ?」

 忍はそれに答えず、無造作にボールをユングへ放り投げた。

「そっちが先行でどうぞ」

 ボールを掴んだユングは、不敵な笑みを浮かべた。

「そういうことなら……遠慮しないわよ!」

 言うなり、ボールを宙へ投げ、すかさず強烈なサーブを送り込む。最初から全力の一撃だ。この二人では、受けることなんて出来っこない。

 と、妙子が忍の背後に回り込んで、その背中にぴたりと体を張り付けた。

「忍! お願い!」

「任せて!」

 撃ち込まれたボールを、忍が両腕で受けた。尻餅をつかせるほどの威力があったはずだが、妙子が忍を背後から支えていたおかげで、その衝撃を耐えしのいでしまった。

 ボールを頭上へ飛ばした忍が、叫ぶ。

「今よ、妙子! 特訓の成果を見せてやって!」

「オーケー!」妙子が大きく跳躍し、ボールを叩いた。「必殺ゥ! い・な・ず・ま・あたーっく!」

 それはまさしく、目の眩むような一撃だった。

 ユングは身じろぎも出来なかった。右頬のすぐ横を、ボールが矢のような勢いで飛びすぎ、地面へ衝突した。

 妙子と忍が、手を取り合って喝采している。

 呆然としていたユングは、不意に歯を食いしばった。

 まさか、この天才の私が……この二人に?

 許せない。そんなこと、あっていいはずがない。

「まだよ! 今ので終わりじゃないわ!」

 ユングの声に、忍が拳を胸の前で握った。

「もちろん! 勝負はこれからよ!」

 両者が火花を散らす中、妙子が出し抜けに言った。

「あけびも入ってよ。川村さんのチームにね」

「えっ……」

 戸惑うあけびの横で、ユングが声を張り上げる。

「必要ないわ! いっそ、三対一でかかってきなさい」

「そうはいかないよ。数の差で勝ったって言われたくないからね」

 ユングは歯ぎしりして、あけびを振り向いた。

「佐々木さん、来なさい! こいつらを叩きのめしてやるわ!」

 ためらっていたあけびは、ふと倉庫の物陰からこちらを見守っている、小柄な姿を見つけた。

 磯部キャプテンだ。彼女は、あけびに向かって小さく頷いてみせた。

 あけびは、背中を押して貰ったような気持ちになった。そうだよね、私達はバレー部だもん。バレーをやっている時が、一番分かり合える瞬間なんだ。

 心を決めると、コートへ入っていった。

「やろう! 川村さん!」

 ユングは鼻を鳴らした。

「足手まといにはならないでよ」

「うん。しっかりついていく」

「行くわよ!」

 宙へ舞い上がるボールが、遠く海の向こうへ落ちる夕日と重なった。

 

 

 訓練の日々は続き、いよいよ試合前日になった。

 誰もいなくなったハンガーの中、みほは整備された九輌の戦車を眺めていた。

 Ⅳ号の冷たいボディに手を置き、そっと呟く。

「今年も、よろしくね」

 学園艦は、試合会場である南方の孤島へと、徐々に近づいていた。

 

 

 かつての戦争で戦場になったという、南太平洋の名も無きその島。戦後、戦車道連盟の投資により、島は試合会場として改造された。平坦な陸地には緑の木々が生い茂り、ジャングルの様相を呈している。その日は晴天ということもあり、日頃蒸し暑い島の気候は、あらゆるものを溶かしかねないほどだった。

 既に試合の準備が連盟によって進められ、各港から続々と大洗女子学園、知波単学園、それ以外にも一般の観客が上陸していた。

 

 

 観覧席の一角には、優雅なティーセットを揃えたテーブルが用意され、三人の人間が談笑していた。

「いよいよ全国大会の始まりですわね」

 口火を切ったのは、聖グロリアーナ高校OGのダージリンだ。彼女は「お茶会」と称して、観戦席の一等地を真っ先に占領していた。集まった賓客は、去年の大会で戦った各校の隊長達だ。

 ダージリンのすぐ隣にいたサンダース付属のOG、ケイが笑顔で応じた。

「みほ達がどんなファイトを見せてくれるか楽しみだね。とこりでミカ、今日は別の会場で継続とアンツィオの試合でしょ? こんなところにいていいの?」

「試合結果なら既にわかっている。見るまでもないよ」

 継続高校のミカは、カンテレを奏でながら答えた。

 話していた三人のもとへ、新たな人影が近づいてきた。その顔ぶれを見て、ダージリンが微笑む。

「遅かったわね、カチューシャ」

 腕を組んでやってきたのは、プラウダ高校OGのカチューシャだった。背後には相棒のノンナを従えている。

「ふん。多忙な大学生活の中で、何とか時間を作って来てやったのよ。感謝して欲しいくらいだわ」

 身長に似合わぬ横柄な態度は相変わらずだ。ケイは笑いながらなだめた。

「まぁまぁ、積もる話はあとにして、今は試合をエンジョイしよう! コーラやポップコーン持ってきたよ!」

「カチューシャ様の口には合いません。それよりスィールニキはありますか」

 淡々と答えたノンナへ、ミカがチョコレートの箱を差し出した。

「このカール・ファッツェルでどうかな?」

「それで構わないわ!」カチューシャはチョコを受け取り、どっかりと椅子に座った。「ところで、マホーシャは来るの?」

 ダージリンは優雅な笑みを浮かべた。

「ええ。きっと来るはずよ」

 

 

 みほ達は戦車の搬入を済ませ、チームごとに車輌の最終チェックを行っていた。

 ふと、背後から懐かしい声に呼ばれた。

「おーう、全員揃ってるねぇ!」

 前生徒会の角谷杏、小山柚子、そして河嶋桃の三人だった。三人とも無事大学へ進学し、それぞれの道を進んでいる。みほは大喜びで駆け寄った。

「皆さん、来てくださったんですね!」

 桃がモノクルを指先で軽く持ち上げ、澄ました顔つきで言う。

「後輩の進歩を見届けるのは、先輩として当然のつとめだ」

 隣の小山柚子がにこやかに言った。

「桃ちゃん、テストの単位ぎりぎりで来れないところだったよね」

「それは言うな!」

 変わらない先輩達の姿を見て、みほの胸は暖かくなった。うさぎやアヒル、カバのメンバーも駆け寄ってきて談笑に加わる。遅れてやってきたありくいの沙耶は、桃の姿を見つけるや、興奮気味に叫んだ。

「あーっ! あなたが大洗伝説の軍師、河嶋桃先輩ですか?」

 桃は狼狽した。

「な、なんだそれは? 何を言ってる?」

「生徒会新聞で読みましたよ! 先輩の活躍の数々!」

「あのね、あれは桃ちゃんの――」

 ビタンと、桃が勢いよく手を伸ばして柚子の口を塞ぎ、高らかに笑った。

「ハッハッハ! そうか、お前達は私の活躍を読んだのか! 何を隠そう、私こそが大洗の真の隊長と呼ばれた河嶋桃だ!」

 事情を知らないありくいの面々は、すっかり桃の話を信じて質問責めにする。調子づいた桃は、去年の活躍についてあることないこと交えながら延々と話し続けていた。

 みほは杏の前に出て、深々と頭を下げた。

「先日はありがとうございました」

「礼なんかいいよ。それより、今年も優勝しちゃってね」

 杏は力強くみほの肩を叩いた。

「はい!」 

 

 

「これより、大洗女子学園と知波単学園の試合を開始します! 両チームの隊長は前へ!」

 審判の号令で、みほは知波単学園隊長・西絹代と向かい合った。

「よろしくお願いします」

 お互いに一礼し、顔を上げる。西絹代の表情は自信に満ちていた。去年の優勝校が相手であっても、たじろいでいる様子はない。みほもまた、気を引き締めた。

 待機している仲間のもとへ戻り、戦車へと乗り込む。あんこうチームのメンバーは既に搭乗を終え、発進可能な状態にあった。

 通信用のヘッドホンを通して、沙織が呼びかける。

「全機、報告をお願いします」

 各チームが、次々に応答した。

「こちらうさぎさんチーム、準備完了です」

「カバさんだ。Klar zum Gefecht!」

「アリクイです。初陣ですが、皆さんの足を引っ張らないよう尽力します!」

「レオポンもいけるよ~」

「アヒルも準備万端です! いいサーブ決めていきます」

「カモさんも大丈夫だにゃ。フラッグ車として、任務を遂行してみせるにゃ」

「こちらカメだ。いつでも暴れられるぜ」

「え、えっと、うまです。準備整いました」

「みほ。全車オーケーだよ!」

 沙織の言葉に、みほは大きく頷いた。

 周囲の歓声。冷たい鉄の匂い。戦場特有の、張りつめた空気。自分の場所に戻ってきたという感じがする。

 息を吸ったみほは、タコホーンに手をあてて話し始めた。

「皆さん、私達の訓練の日々は、今日のためにあります。試合の前に、同じ戦車に乗る仲間を見てください。隣に立つ仲間の戦車を感じてください。力を合わせてこそ、私達は強くなれます。それを忘れないでください」

 みほはもう一度深く息を吸い、言った。

「PANZER VOR!」

 

 

 戦車は続々と発進し、森林地帯を進んだ。

 みほはキューポラから半身を乗りだし、周囲の景色を観察した。岩や木々によって道は複雑に入り組んでおり、ゲリラ戦向きの戦場だった。これを利用しない手はないが、相手も恐らく同じことを考えているだろう。

 大会規定により、一回戦は十輌までの車両制限がある。

大洗は昨年五輌しか用意出来なかったが、今年は九輌。対する知波単は十輌。戦車の性能を加味を考えれば、戦力としては大洗がやや優位だが、圧倒的な差ではない。となると、やはり戦略が勝利の鍵になる。

 みほはふと、ジャングルの真ん中に窪地のような場所を見つけた。窪地はちょうど戦車が一輌おさまりそうな大きさで、周りには伸びた草が生い茂っている。これは奇襲に利用出来そうだ。

「皆さん、停止してください」

 全車の動きが止まる。みほは窪地へフラッグ車を隠すよう指示し、その守りにカバとアヒルをつけた。それから、残りのチームを率いてさらにジャングルを進んだ。

 五分ほど経ったが、敵との接触は無い。華が訝しげに口を開いた。

「敵はまだ現れませんね。こちらの出方を待ってるんでしょうか」

「他のチームからも敵を見つけたっていう報告は無いし……」と沙織。

 優花里もふむ、と思案顔で述べた。

「西住殿、この入り組んだジャングルの中で戦線を引き延ばすのは、あまり得策といえません」

 みほは頷き、タコホーンで各チームに呼びかけた。

「ここを中継防衛ラインにします。うさぎさん、ありくいさん、れおぽんさんで、この周辺の防御についてください。残りはさらに奥へ進んで偵察を続けます」

 すると、血気盛んなれおぽんさんチームの砲手・栗富茜が抗議の声をあげた。

「我々も偵察に行きます! 我々も行って、知波単の奴らを二、三輌血祭りにあげてきます!」

 みほが苦笑して応じた。

「えっと、茜さんのはちょっと偵察とは意味合いが違うような……。とにかく、こちらで待機していて。敵を見つけたら報告をお願いします。では、カメさんとうまさんはあんこうについてきてください。引き続き偵察を行います」

 

 

 ふあぁ、と砲手の綾乃が欠伸を漏らした。隣の美智がむっと口を尖らせる。

「もぉ綾乃、欠伸なんて緊張感ないよぉ」

「ああ、ゴメンゴメン。でもなんかあれだね、試合ってもっとドンパチやるものかと思ってたんだけどなー」

 車長席の詩織も美智と同じ考えだったが、綾乃の余裕には安心させられた。厳しい訓練を積んだおかげか、みんなそれほど緊張せず試合に臨むことが出来ている。

 前進を続けていると、分かれ道に出くわした。地図を見ると、もう初期配置地点からかなり離れ、島の中心に食い込んでいる。ヘッドホンから隊長の声が聞こえた。

「三手に分かれましょう。あんこうは右、カメは真ん中、うまさんは左の道を進んでください。五分経過して何も異変が無ければ、この地点まで引き返すようにお願いします。単独での行動になりますから、周囲に十分注意してください」

「りょ、了解しました」

 何だか大役を任された気がして、詩織はどきどきした。

 きりこがゆっくりとソミュアを前進させる。詩織は車窓から目を凝らし、敵影がないかを探った。

 二分ほど経ったろうか。何も以上が無いので、少し気が緩み始めた矢先、ふと遠くの景色に違和感が見えた。

 列を成した岩の固まりが、ゆっくりとジャングルを移動している。目をこすって瞬きし、もう一度確認する。

 やはり、動いていた。

 詩織は、咄嗟にきりこを振り向いて叫んだ。

「と、止まって!」

「どしたの、しーちゃん?」

 綾乃が身を乗り出してきた。

「えっと、今……」

 再び車窓を見やった詩織は、きょとんとした。

 岩は動きを停止していた。

「あれ……?」

「敵戦車がいたの?」

「あ、ううん。そうじゃ、ないけど……」

 綾乃の問いに、詩織は弱り果てた。自分の見間違いかもしれない。敵の捜索をしている時に、岩が動いたなんて話をしても、みんなを混乱させてしまう。

「ごめんね、動き止めちゃって。その――」

「敵がいる! こっちに来るよぉ!」

 美智が突然叫んだ。

 体に電流が走ったように、詩織はぎょっとした。すぐさま車窓を覗くと、果たして前方から知波単の戦車が一輌やってくる。

 綾乃が両手の拳を合わせた。

「よーし! ぶっ潰してやるからね!」

「そ、その前に報告しなきゃ!」詩織は慌ててヘッドホンに呼びかけた。「こちらうまです。敵を発見しました!」

「詩織? 敵を見つけたの?」

 応答してきたのは姉だ。声を聞いて、詩織は安堵した。

「う、うん」

「車両は何? 数は?」

「相手は一輌だけ。種類は、えっと……わかんない」

「九十七式だよ!」と美智。

「あ、うん。お姉ちゃん、九十七式が一輌だよ」

 今度は、隊長の落ち着き払った声が答えた。

「了解しました。詩織さん、無理をせずこちらへ引き返してください。余裕があれば攻撃を許可します」

「は、はい!」詩織はきりこを振り向いた。「きりこさん、道を戻って。あと、綾乃さんは敵を攻撃して!」

「任しといてよ、しーちゃん! 美智、タマ入れて!」

「あいあいさ!」

 美智が元気よく応じて、抱えた砲弾を装填した。この数ヶ月の訓練で、二人は装填から発射までの呼吸をうまく合わせられるようになっていた。スムーズな連携で、素早く発射の態勢を整えると、綾乃は間髪入れず発射した。

「食らえ!」

 放たれた砲弾が、九十七式の足下に着弾した。地面が抉れ、土が弾け飛ぶ。

 綾乃は舌打ちした。

「外した! もう一発行くよ、美智!」

 その時、車体に衝撃が走った。詩織は危うく壁に体を叩きつけられそうになったが、何とか踏みとどまり、車窓を覗いた。

「敵が……横からも来てる!」

 今度の敵も九十七式だ。

 詩織は一瞬動揺したが、数で圧倒されるのは初めての経験ではない。複数の敵に遭遇した時の対処法も、訓練で学んでいる。第一に防御、第二に周囲の味方と合流して反撃だ。

 考えが決まると、すぐにヘッドホンで呼びかけた。

「西住隊長! こちらうまです。二輌の敵と遭遇しました。援護をお願いします」

 姉の声が返ってきた。

「オッケー、詩織! すぐ向かうから、何とか持ちこたえて!」

 二輌の九十七式は、雨あられと砲弾を浴びせてくる。幸い、きりこの優れた回避運動のおかげで、一発も当たらなかった。赤砲の技量は伊達ではない。

 砲塔を背後に回して反撃の準備をしていた綾乃が、出し抜けに悲鳴をあげた。

「ちょ、ちょっと! 敵がまた増えてる!」

「えっ?」

 詩織は驚いて、車窓に身を寄せた。追ってくる敵は四輌になっている。飛んでくる砲弾の数が倍加して、さしものきりこも避けきれなくなった。

 きりこ以外の三人は、状況の悪化に焦り出した。このままではやられてしまう。

「そうだ!」綾乃が閃いたように、美智へ言った。「家元! 前みたいにやっちゃってよ!」

「ふええ? 何のこと?」

「こんな状況なんだから、最初の模擬戦の時みたいに隠れた実力発揮してってば!」

「わ、私が? そんな実力無いよぉ」

 美智と綾乃は完全に浮き足立って、反撃するどころではない。きりこが激しく操縦桿を動かして、何とか砲弾の雨を切り抜けていたが、今度はソミュアのエンジンが悲鳴を上げ始めた。次第に反応が鈍くなり、スピードも低下していく。

 ソミュアはもともと整備性に難のある戦車だ。部品の調達も難しいときている。そのうえ詩織達の乗っている車輌は、長年大洗の薄汚い体育館倉庫に放置されていた。自動車部が丹念に調整したが、今だコンディションは完璧ではない。きりこの卓越した操縦技術も、かえってソミュアに負担をかけてしまっているのだった。

 九十七式の攻撃はますます勢いづいて、ついに強烈な一撃が側面を掠めた。小さな爆発が起こり、ソミュアが危うく転倒しそうになる。

「や、やられちゃう……!」

 詩織は焦燥感を募らせながらも、事態を打開する術が浮かばなかった。

 その時だ。

「無事ですか、うまさん?」

 ヘッドホンに響く頼もしい声。前方から、あんこうチームのⅣ号が駆けつけてきたところだった。

「助かったぁ!」と、綾乃と美智が声を合わせて抱き合う。詩織も胸をなで下ろした。

 と、Ⅳ号の姿を見つけた九十七式の隊列は、即座に動きを停止し、次の瞬間、車体を転回し始めた。そしてエンジンを唸らせ、あっという間に道の向こうへ消えていった。

「逃げた……? でも、どうして……」

 詩織は呆然とした。数の上では、まだ敵の方が有利だった。それにあと少しでソミュアは行動不能になるところだったのだ。

「詩織さん、状況は?」

 みほ隊長の声で、詩織ははっと我に返った。

「あ、えっと……何とか動けます」

「見たところ大分ダメージを受けたようだし、後退してフラッグ車と合流してください」

 詩織は申し訳ない気持ちになった。偵察任務のはずが、敵に見つかって一方的に叩かれるだけで終わってしまった。

「すみません。任務を果たせなくて」

「そんなことないよ。詩織さんが敵と遭遇してくれたおかげで、相手の出方が何となくわかってきたから。私達こそ、助けに来るのが遅れてごめんなさい」

 失敗を責めるどころか、励ましの言葉をかけてくれるなんて。詩織は胸が熱くなった。隊長がどうしてチームのみんなに慕われるのか、わかった気がする。

「じゃあ、気をつけてカモさん達と合流して。途中で何かあったら知らせてね」

「は、はい」 

 答えながら、詩織は密かに気持ちを引き締めた。まだソミュアは動ける。隊長の役に立てるように、次こそ頑張らなきゃ。

 

 

 操縦席の茜が、拳を壁に叩きつけて、苛立たしげに言った。

「まったく、こんなところでずっと待機だなんて。一体いつになったら知波単のクソッタレどもに攻撃をかけるんです?」

 留美がへへっと笑う。

「知波単の連中、うちらのことが怖くなったんじゃないのお?」 

「お前達、やめないか」つかさが舌打ちしつつたしなめ、それからツチヤを見た。「しかし先輩。確かに妙じゃありませんか。突撃第一の知波単が、こうも大人しいなんて」

 ツチヤは両腕を頭の後ろにまわし、にっと笑った。

「きっと、向こうにも考えがあるんだろうね。大丈夫、落ち着いて気長に待とうよ」

 しかし、面白くない状況なのは確かだ。

 彼女達の周囲には、ありくいさんチームの三式と、うさぎさんチームのM3も待機しているが、やはり敵を見たという報告は無い。

 西住隊長の索敵を手伝おうか、ちらっとそんなことを考えた矢先、M3の澤梓から連絡が来た。

「れぽんさん、こちらうさぎです。偵察に出ていた沙希から、そちらに戦車が一輌近づいていると報告がありました。視認出来ますか?」

「了解。確かめてみるよ」

 ツチヤはキューポラから身を乗り出し、双眼鏡で周囲を探った。果たして、300mほど先の浅い沼地を、ゆるゆる進んでくる影が見えた。

「お、いたいた」

「九十七式ですか? それとも他のやつですか?」

 興奮気味に尋ねてきた茜に、ツチヤは苦笑して答えた。

「生憎だけど敵じゃないよ。うまさんチームのソミュアだ」ツチヤは通信機のスイッチを入れた。「うまさん、どうして戻ってきたんだい?」

 ややあって、武部詩織のおずおずとした声が返ってきた。

「すみません。偵察中に敵と遭って、損傷しました。隊長の命令で、フラッグ車の防御に回るところです」

「そっか。ご苦労様。こっちも今のところ敵襲は無いから。のんびり合流しなよ」

「は、はい。ありがとうございます」

 ソミュアは少々ぎこちない動きで、ポルシェティーガーの横を通り過ぎていった。

 それを見送ったツチヤは、ふと眉をひそめた。

 周囲の景観が、うっすらと濁っていく。

 煙だ。ジャングルの奥から煙が波のように伸びてきて、ツチヤのいる場所まで達しようとしていた。

 蒸し暑いこの島の中で、どうして煙が……?

 みるみるうちに、視界は悪化していった。これは明らかに自然に発生したものではない。

 不意に、ヘッドホンから逼迫した梓の声を聞こえた。

「ツチヤ先輩! 敵襲です!」

「数は?」

「九十七式が二輌! 煙幕をまき散らして、こっちに近づいてきます」

 そういうことか。ツチヤはにっと笑った。

「うさぎさん、隊長に通信チャンネル開いて!」

「はい! ……西住隊長、聞こえますか? こちらうさぎ、敵二輌を発見。迎撃許可お願いします」

 ほどなく、沙織が応答した。

「こちらあんこうです。攻撃を許可します」

 ツチヤは車長席に戻った。つかさ、茜、留美は準備万端で待っていた。

「みんな、出番が来たよ! M3と合流して敵を迎撃!」

「了解!」

 その時、またしても通信が入ってきた。

「先輩、ありくいも攻撃に参加させていただけますか?」

 沙耶の声だった。ほどなく、三式が近づいてくるのが見えた。ツチヤは微笑んで応じた。

「歓迎するよ。ポルシェティーガーの右側について。煙が濃いから、敵の奇襲には注意してよ」

 二輌の戦車は、肩を並べて前進した。

 ツチヤが目を凝らすと、煙幕の中にM3の影がうっすらと見えてきた。既に敵戦車と交戦している。

 二輌の九十七式は左右に激しくぶれながら、煙をまき散らしている。目眩ましにしては、随分動きが大味だ。あれだけ煙を拡散しては、自分達も攻撃どころではないような気がするが……。ともあれ、せっかく発見した敵だ。ここで撃破しておかない手はない。

「よし、まず一発!」

 ツチヤの合図で、留美がすかさず発射した。ポルシェティーガーの強力な砲撃は、煙をかき消してまっしぐらに九十七式へ飛んでいく。生憎、敵の反応も早く、咄嗟に向きを変えてこの一撃をかわした。

 二発目を指示しようとした途端、二輌の九十七式はそれぞれ西と東に分かれて潰走を始めた。

 ツチヤは怪訝に思った。確かにこちらは三輌、戦車の性能でも勝っている。しかし、知波単らしからぬ弱腰ぶりだ。

「おやおや、何を企んでるのかな。でも、逃がさないよ」

 M3の梓が呼びかけてきた。

「ツチヤ先輩。私達は東の敵を追います」

「了解。こっちは西を追うよ。ありくいはここで待機して」

「かしこまりました!」と沙耶の返事。

 違和感を抱きながらも、ツチヤは茜に敵の追撃を命じた。

 

 

「あれ……?」

 双眼鏡を手に、遠方の様子をうかがっていた妙子が、ふと呟きを漏らした。忍がひょっこり身を乗り出す。

「どうしたの、妙子」

「遠くで、沢山煙が上がってる」

 双眼鏡を受け取った忍が覗いてみると、確かに木々を隔てた向こうに、くねくねした煙の柱が見えた。

 それに……微かな砲音も聞こえる。

「戦闘かな?」

「でも、あの方角に味方の戦車はいないはずだけど」

 妙子は地図を見ながら、首をかしげた。

 二人は八九式を降りて偵察の真っ最中だった。よく育った大木の枝によじ登り、遠くの異変を探っていたのだ。

「とりあえず、キャプテンに報告しよっか」

「そうだね」

 二人は大木を降りて八九式に戻った。

 折しも、キャプテンはエルウィン、ねこにゃー、パゾ美と話し込んでいるところだった。

 あひる、カバ、そしてフラッグ車であるカモの三チームは、敵と接触しないまま二十分を迎えようとしていた。そのため、敵の戦略について討議していたのだった。

 妙子が先ほどの件を報告すると、キャプテンは思案顔になった。

「戦闘があったなら、連絡があるはず……。罠かもしれない。いずれにせよ、その煙の出所を調べる必要があるな。近藤、西住隊長に繋いで偵察の許可を。河西と川村は発進の準備だ」

「でも、私達が抜けたらフラッグの守りはいいんですか」

 忍の問いに、エルウィンが答えた。

「先ほど、うまさんチームがこちらに合流すると連絡があった。敵と遭遇してダメージを受けたらしい。撃破されたわけではないから、我々と一緒に防御に回るそうだ」

 話はそれまでとなり、八九式は準備を整えて出発した。

 

 

 もうすぐ合流だ。

 詩織はほっと胸をなで下ろした。幸い、ここまで敵の攻撃は受けていない。途中でれおぽんさんチームが敵と遭遇したと連絡を受けたが、敵の数は少なく、すぐに撃退出来るとのことだった。

 詩織はカバさんとカモさんへチャンネルを繋ぎ、ヘッドホンで呼びかけた。

「うまです。聞こえますか? もうすぐそちらへ到着します」

 即座に、カバさんチームのエルウィンが返答した。

「待ってたよ。こっちは異常無しだ。合流したら、一息入れるといい」

「はい。ありがとうございます」

 戻ったら、可能な限りソミュアを修理して、敵を迎え撃つ準備をしなきゃ。今度こそ、隊長達の期待に応えなきゃ。きっとうまくやってみせる。きっと……。

 

 

「また、逃げていきますわ」

 九十七式を撃ち漏らした華が、いささか苛立たしげに呟く。あんこうは既に敵と二度遭遇していたが、相手は殆ど交戦することもなく逃げ出してしまう。

 優花里が次の弾薬を装填しつつ、自らの意見を述べた。

「これは知波単のセオリーとは真逆の戦い方であります。西住殿、こちらも戦術を変更すべきでは」

 そのことは、みほもとうに考えていた。敵は意図的にこちらの戦線を広げようとしている。れおぽん、うさぎは敵の戦車を追跡し、あひるも偵察のためフラッグから離れた。既に防御陣形は破られた格好だ。知波単の出方次第では、思わぬ損害を被る可能性がある。

 みほの脳裏に、一つの閃きが走った。

「もしかしたら……!」

 

 

 知波単学園戦車道チーム隊長・西絹代は、腕を組んで車長席に座り、じっと瞳を閉じていた。

 試合開始から、既に三十分。作戦は当初の計画より、若干の遅れが生じている。

 それでも仲間を信じ、忍耐強く攻撃の機を待っていた。時折入ってくる報告で、敵の動きは少しずつ明らかになっている。それに、まだ味方は一輌も撃破されていない。

 不意に、通信手が鋭い声で言った。

「隊長殿! 玉田より伝令です!」

「内容は?」

「我、フラッグ車を発見せり、と」

 絹代は小さく頷いた。いよいよ鉄槌を下す時が来た。

 無線を手に取り、命令を発する。

「各員に通達。これより、転進玉砕戦法を実行。繰り返す、転進玉砕戦法を実行!」

 

 

 それは余りにも突然の出来事だった。

 詩織達の頭上で、何かが閃いた。

 ソミュアを停車するよう命じ、慌てて車窓を覗く。赤い煙が尾を引いて、空へ高く高く昇っていくのが見えた。

「な、何あれ……」

 美智があっと小さい悲鳴を漏らし、青ざめた表情で言った。

「信号弾だよ……! 私達、尾けられてたんだ!」

「尾けられてた?」綾乃が素っ頓狂な声をあげた。「だけど、敵なんかどこにも――」

 言葉は、そこで途切れた。ソミュアに激しい衝撃が走り、詩織達は壁に叩きつけられた。幸い特殊カーボンのおかげで怪我は無く、詩織はすぐに起き上がった。

「今の、どこから――」

「もう無駄」きりこが淡々と言った。「白旗が上がった」

 詩織の背に、冷たい感触が走った。

 やられた? こんなところで?

 思わずハッチを開けて、外に身を乗り出す。

 ソミュアの後部が爆発でもうもうと煙を上げる中、白い旗が揺らめいていた。

「そんな……なんで……」

 呆然とする詩織の視界に、あるものが見えた。

 ソミュアから三百メートルも離れた地点に、岩がたたずんでいた。

 詩織の頭に、鉄槌を食らったような衝撃が走った。

 あの岩は見覚えがある。あんこう、カメと一緒に偵察に出た時、同じものを見た。

 いや、そもそも岩などではなかった。

 その先端からは砲塔が突き出し、微かに煙の筋を立てている。

 岩に偽装した戦車だったのだ。

 まさか、ずっと尾行されてたの? 全身から、どっと汗が噴き出す。でも、どうして私達を追ってたんだろう?

「うまさん、大丈夫か? 応答してくれ!」

 しきりに呼びかけるエルウィンの声、そして頭上に立ち上る信号弾を見て、詩織ははたと真実を悟った。

 そして、愕然とした。

 私達、利用されたんだ。フラッグ車のいる場所まで、敵を連れて来ちゃったんだ……。

 

 

 エルウィンの逼迫した声が響いた。

「こちらカバさん。まずいぞ隊長。敵に発見されたうえ、ソミュアを撃破された!」

 遠くで閃いた信号弾を目にして、みほも確信した。敵の狙いはワンポイント攻撃だ。そのために挑発行為を繰り返し、大洗の戦線を広げていたのだ。

 フラッグ車の周囲にはカバさんしかいない。

 みほはすぐさま連絡を入れた。

「全チーム、急いでフラッグ車の防衛に向かってください! 敵はフラッグ車の位置を突き止めました。間もなく攻勢に転じるはずです。カバさん、何とか敵を足止めしてください。他に安全な場所があれば、そちらへ避難を!」

 それから、麻子を振り向いた。

「麻子さん。全速力で道を引き返して」

「わかった」

 みほは思わず拳を握った。

「お願い。間に合って……!」

 

 

 九十七式の追跡をしていた梓は、みほの連絡で状況が予想外に悪化しているのを悟った。

 そして、ひそかに責任を感じた。さっき敵と遭遇した時は、眼前の二輌に気を取られて、別の敵がソミュアを尾行していたことに気づかなかったのだ。もっと注意深く周りを見ていれば、敵戦車の偽装も見逃さなかったかもしれない。

 もしかして、私達は知波単を侮っていたの? 梓は自問せずにいられなかった。去年共闘して、相手の実力をわかったつもりになっていたんだろうか。たぶん、そうだ。そのせいで、知波単がいかに成長したかを見落としていた。

「みんな、敵の足を止めるよ! 絶対にフラッグへ近づけないで!」

 梓の言葉に、桂利奈が気合いたっぷりの声で応じた。

「よーし! 後輩達にかっこいいとこ見せたるぞー!」

 九十七式の背部から勢いよく白煙が噴出され、梓の視界を塞いだ。右腕で顔を庇いながら、必死に目を凝らす。

「また煙幕……! だけど、いつまでも同じ手には!」

 不意に、九十七式が大きく右へカーブし、茂みの中へと逃げ込んだ。ここまで追ってきたのだ。今更逃がすわけにはいかない。梓は叫んだ。

「桂利奈ちゃん、右!」

「あいあい!」

 桂利奈が大きく操縦桿を振る。M3は履帯が外れるほどの勢いで方向を転換し、九十七式の消えた茂みへ突っ込んだ。

 その時――戦車の足下が大きく沈んで、車体がどしんと落下した。梓は危うくキューポラから投げ出されそうになったが、必死にしがみつき、辛うじてその場に留まった。

 車内から、優季の混乱した声が聞こえる。

「今のなに~?」

 煙が晴れ、梓はようやく何が起きたのか理解した。

「やられた……」

 M3の車体は、落とし穴に沈んでいた。どうやら、まんまと敵の罠にかかってしまったらしい。敵を追っていたつもりが、実際は罠へと誘い込まれていたのだ。

 

 

「こんな単純な罠にかかるなんて、あんた達がしっかり周囲を見ていないからよ!」

「そんなのお互い様でしょ!」

 声を荒げたユングに、忍が食ってかかる。

 正体不明の煙を確認すべく偵察に出たあひるさんチームだったが、途中で落とし穴に引っかかり、身動きが取れなくなっていた。その途端、ユングは妙子や忍と言い争いを始めたのだった。

 キャプテンが出し抜けに叫んだ。

「おまえ達、いい加減にしろ! 喧嘩より、ここを抜け出す方法を探すのが先だ!」

 妙子が困惑を浮かべた。

「でもキャプテン、こんな深い穴じゃ、いくら戦車でも抜け出せません」

「思い出せ。こういう時こそ根性だ。全員で外に出て、戦車を押し出す!」

 ユングが冷ややかに言った。

「それより、土を掘って戦車が通れる道を作る方が早いんじゃありません?」

 キャプテンが不意をつかれたように目を瞬き、それから瞳を輝かせ、ぽんと手を叩いた。

「なるほど! 川村、名案だ! それでいくぞ!」

 ユングはやれやれと肩をすくめた。

 

 

「細見機に続いて、名倉機も転進成功。大洗はM3、ポルシェティーガー、八九式の三輌が落とし穴にかかり、行動不能です!」

 通信手の報告に、絹代は小さく頷いた。

 出来ればもっと多くの敵を罠にかけ、足止めしておきたいところだ。しかし、敵はあの西住みほだ。既にこちらの作戦を見抜いているに違いない。ここは一気に攻勢に転じるべきだろう。

 絹代は無線で命令を発した。

「よし。作戦最終段階だ! 全車、敵フラッグへ特攻を開始せよ!」

 

 

 ケイが口笛を吹いた。

「イッツアメイジング。あの知波単が、ここまで狡猾な戦略を考えたなんて」

「負傷した敵戦車を味方と合流させて、フラッグ車の位置を暴き出す。見事だね」とミカ。

 カチューシャも感嘆した様子で頷いた。

「キヌーシャの実力を侮ってたわ。やるじゃない」

「けれど、知波単の本領はここからよ」ダージリンは、会場中央ディスプレイの戦況ボードを見ながら言った。そこには大洗・知波単両チームの戦車の動きが表示されている。「ご覧なさい。知波単の全戦車が、大洗のフラッグ車へ向かっているわ。逃げる振りを装って敵を足止めし、一気に弱点を突く。まさに究極のワンポイント攻撃ね」

 ケイが肩をすくめる。

「それにしても、十輌全部で突撃とは。大胆なんだか単純なんだか」

 じっと戦況ボードを眺めていたノンナが、ここへきて口を開いた。

「しかし、知波単の勢いは凄まじいです。これを食い止められなければ、大洗は負けます」

 

「えっと……はい! かしこまりました。ありくいさんチーム、防御にまわります!」

 みほからの通信を受けた沙耶は、すぐさま結子を振り向いた。

「結子さん。間もなく敵がこちらへ来るはずです。迎撃準備を!」

「言われなくても準備出来ていますわ。それより、どういうことなんですの。味方が軒並み足止めを食っているだなんて!」

「そんなの私に言われても……来たっ! 結子さん、前です!」

 沙耶は前方から躍り出てきた九十七式戦車を視認し、すかさず叫んだ。

 が――。その直後、右側から別の九十七式が姿を見せた。

「結子さん、右からも――」

 言い終えないうちに、今度は左の森林地帯から九十五式戦車が現れる。

 沙耶はパニックに陥った。

「ちょ……ちょっと待ってくださいよぉ!」

 三方向から、敵戦車の容赦無い砲撃が放たれた。

 立て続けに直撃を浴びて、三式はあっという間に沈黙した。 

 

 

 れおぽんチームのポルシェティーガーも、落とし穴にはまって身動きの取れない状態だった。

「知波単のクソッタレども! こんな卑怯な手を使うなんて。ここを出たら、思い知らせてやる!」

 毒づきながら、茜が操縦桿を乱暴に揺さぶる。それをつかさがなだめた。

「落ち着け、茜。ツチヤ先輩、どうしますか?」

「この子の力を甘くみないでよ。こんな穴くらい、乗り超えてみせる。エンジン出力最大!」

 ツチヤは操縦席パネルに実装された特殊スイッチの一つ「V-TOL(垂直離陸)」をオンにした。途端に、ポルシェティーガーのエンジンが激しい唸りを上げる。つかさがメーターを見やり、カウントを伝える。

「エンジン臨界点突破まで5、4、3、2……」途中で、つかさが顔色を変えた。「だ、駄目です先輩。エンジン出力が上がりません!」

「そんな馬鹿な! しっかり整備してあったはずだよ!」

 ツチヤが身を乗り出し、メーターを覗く。確かにメーターのラインが一定値で止まり、それ以上にならない。

 続いて、車体が震えだした。ミシミシと、悲鳴のような音を立てながら。

 これにはツチヤも当惑した。

「なんだ? どうしたんだ?」

 その言葉が終らないうちに、車体後部で爆発音が轟いた。

 つかさがダメージコントロールパネルを確認し、愕然とした様子で言う。

「エンジンがオーバーフローです! 各部機能低下! このまま出力を上げ続ければ、車体が分解します!」

 爆発は連鎖し、火災がエンジンに及んだ。計器からも火花が飛び散り、もはや手のつけようがない。

 茜が叫んだ。

「ダメだ。完全に狂っちまってますよ!」

「先輩! 降りましょう」

 慌てふためく留美を、ツチヤは一括した。

「そんなこと出来ない! この子は……この子はこんなところでやられるはずないんだ!」

 操縦席のパネルを剥がした途端、煙が勢いよく噴き出し、ツチヤの体を押し倒した。つかさがそれを後ろから支え、茜と留美を振り向く。

「急いで! 戦車から脱出する!」

 

 

 西絹代は八輌の味方を率い、猛然とジャングルを突き進んでいた。玉田機が打ち上げてくれた信号弾を頼りに、ひたすらフラッグのいる方角を目指す。

 ふと、通信手が叫んだ。

「前方に味方発見! 玉田機です」

 一輌の九十七式戦車が、煙を上げて横倒しになっていた。空電混じりに、玉田の悔しげな声が響く。

「すみません隊長! 一番槍で突撃しましたが、撃破されました。敵フラッグ車はこの先にいます! まだそう遠くまでは逃げていないはずです」

「いや、玉田。よくやってくれた」

 絹代はコースの前方を見やった。草が生い茂り、先の状況がよくわからない。すかさず、隊列の右端にいる九十七式へ命じた。「見てこい狩路(かるろ)。お前が先頭だ」

「はい……ウワァー!」

 前進した狩路の九十七式は、突如ジャングルの茂みから放たれた一撃を浴びて、転倒した。

 絹代は目を見張った。

「この威力……三号突撃砲か!」

 

 

 おりょうが目を細めた。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……それと一つ減って、的は全部で八輌。酷い戦力差だが、どーするぜよ?」

 カバさんチームは、フラッグを務めるカモさんチームをジャングルの奥へ避難させ、自らは敵を食い止めるべく待機していた。だが、敵の数は予想以上に多い。このまま戦っても負けは明らかだった。

「敵をフラッグへ近づけるわけにはいかん! ここを死守する!」カエサルは声を励まし、砲弾を装填した。「ひなちゃんとの約束も守れず、こんなところでやられてなるものか!」

 次の瞬間、猛烈な集中砲火が三突へ放たれた。草は焼かれ、木々がなぎ倒され、土が弾け飛ぶ。

 エルウィンが叫んだ。

「後退して反撃! 一秒でも長く、敵をここに留める!」

 左衛門左がジャングルの木々を盾に後退し、それにおりょうが呼吸を合わせ、砲撃する。しかし、いかんせん数が違いすぎる。加えて、三突は砲塔の自由がきかない。突破されるのも時間の問題に思われた。

 ふと、カエサルは敵部隊の中にフラッグ車の姿を見つけた。相手のワンポイント攻撃は、勝敗の要であるフラッグ車を駆り出すほど極端な作戦らしい。しかし、これを利用しない手はない。

「フラッグを狙え! 敵の注意を引きつけ、少しでも足を遅らせるんだ」

「心得たぜよ!」

 おりょうがフラッグ車めがけ、連続で砲撃を放った。さすがに敵もこれを捨ておけず、防備に回る。動きの鈍ったところへ、おりょうはさらにもう一発、砲撃した。フラッグ車の背後にいた九十七式が、直撃を受けて沈黙する。

 またしても一輌をしとめたカバさんだが、途端に知波単の猛烈な反撃が来た。一気に大量の砲弾を浴び、三突は白旗を揚げた。

 六輌の九十七式は、停止した三突を抜き去り、ジャングルの奥へ進んでいった。

 

 

「すまん! 抜かれた!」

 カエサルの苦悶に満ちた声が、沙織のヘッドホンに響く。ソミュアと三式に続き、三突までがやられた。ポルシェティーガーは落とし穴から這い上がれずに自爆。大洗は既に戦力の半数近くを失ってしまった。

 沙織は焦りを感じながら尋ねた。

「フラッグは? 無事ですか?」

「単独でジャングルの奥地を逃げ回っている。まだ撃破はされていないが、追いつかれたらやられるぞ」

 不安な面持ちになりながら、沙織はみほを振り向いた。

「どうしよう、みぽりん」

「もうすぐ敵に追いつけます。敵のフラッグをこちらが先に倒せば、勝機はあるはず」

 みほの力強い答えに沙織が頷いた時、ジャングルの茂みから一輌の戦車が飛び出してきた。一瞬どきりとした沙織は、そのシルエットを見て瞳を輝かせた。

「うさぎさん!」

「復帰が遅れてすみません、西住隊長」

 申し訳なさそうな梓の声が聞こえる。みほは微笑んだ。

「ううん。来てくれてありがとう。敵の主力へ攻撃をかけるから、援護して」

「はい!」

 

 

「いた! フラッグです!」

 大洗のルノーが、ジャングルの奥へ奥へと進んでいく。向こうもこちらに気がついたらしく、慌てて速度を上げた。絹代が叱咤する。

「断じて逃がすな! 勝利は目前だ!」

 しんがりにいた寺本の九十七式から、逼迫した調子で報告が入ってきた。

「西隊長! Ⅳ号とM3が来ます!」

「とうとう来たか」

 絹代は唇をかんだ。こちらがフラッグ車を見つける前に追いついてくるとは。あんこうもうさぎも大洗の主力、数はこちらが勝っているものの、まともに戦えば大きな損害を負うことは間違いない。フラッグ車を倒すためにも、出来れば味方に余力は残したいところだが……。

 不意に、寺本が命令を発した。

「知波単親衛隊、前へ!」

 それを受けて、四輌の九十七式が隊列を離れた。知波単親衛隊とは、チームの中でも精鋭とされる寺本、福田、久保田、細見、四人の車長を総称したものだ。

 無線を通じて、寺元が絹代に言った。

「Ⅳ号とM3は我々が! 隊長殿はお先に!」

「お前達……。すまぬ!」

「お任せを!」

 ハッチから半身を覗かせた寺元が、敬礼を送る。

 絹代も敬礼を返し、味方を見送った。

 

 

「みぽりん、四輌の九十七式がこっちに来るよ!」

 沙織の警告とほぼ同時に、ルノーから通信が入ってきた。

「西住さん、敵が追いついてきたにゃ。援護は?」

 どうやら敵は足止めに来たようだ。今は正面突破以外に手段がない。

「優花里さん、華さん。ここで時間をとられるわけにはいきません。全力で突破をはかってください」

 華が大きく頷いた。

「任せてください、みほさん。全て一撃で落としてみせます」

 みほはタコホーンで梓に呼びかけた。

「梓さん、敵が四輌向かってきます。援護をお願いします」

「了解しました!」

 優花里が装填し、華が砲角を調整する。

「みほ、敵は射程圏内!」

 沙織の合図で、みほは命令を発した。

「攻撃開始!」

 

 

 眩い光がたばしり、煙の柱が次々と上がる。寺本は目が眩んだ。正確無比なⅣ号とM3の砲撃で、知波単親衛隊の隊列はたちまち乱れた。体勢を整える間もなく、次の攻撃が繰り出される。

「くそっ。反撃だ! 敵を進ませるわけにはいかん!」

 細見、久保田、福田の車輌が次々に砲弾を放つ。しかし、Ⅳ号とM3はそれをものともせず突き進んできた。放火はますます激しくなり、親衛隊は反撃すらままならなくなった。

「ああっ!」

 不意に、隣の九十七式にいる福田が悲鳴をあげた。

「どうした、福田?」

「ウサギ殿のエンブレムが……。以前は包丁だったのに、今は巨大な斧に変わっています。なんと恐ろしい!」

 寺本は叱咤した。

「ええい、怯むな! 車両をぶつけてでも、大洗を止める! 全車突貫!」

 

 

 背後で砲音が立て続けに響き、激しい爆発が起こった。

 絹代は、思わず無線を手に取った。

「皆、無事か?」

 空電交じりに、親衛隊が次々と応答した。

「西隊長ォ……!」

「ご心配なくーッ!」

「こちらは、我々がァ!」

「後はよろしくっ……」

 それから、雑音と共に通信が途切れた。

「福田、寺本、久保田、細見……! う、うおおっ!」絹代は操縦席のパネルを激しく叩いた。肩を震わせ、歯を食いしばりながら、ゆっくりと顔を上げた。「一つだけ、はっきりわかっていることがある。この戦い、何としても勝たねばならぬということだ! 皆の犠牲を無駄には出来ん!」

 絹代は残り二輌となった味方へ、無線を通じて呼びかけた。

「全速前進! 敵フラッグを決して逃がすな!」

 

 

「すみません、隊長。うさぎ行動不能です!」

 四輌の九十七式は、最後になって突撃による強引な足止めをはかってきた。みほ達は難を逃れたが、うさぎさんチームのM3が側面に衝突を食らい、行動不能に陥ってしまったのだった。

「いいえ、うさぎさん。よくやってくれました。後は私達が引き受けます」

 みほは梓の言葉に応えてから、麻子を振り向いた。

「麻子さん、Ⅳ号の状態は?」

「ダメージはそれほど受けていない。問題なく行ける」

「わかりました。では追撃を続行します」

 麻子がエンジンを全開にし、勢いよくジャングルを突き進んでいく。

 既にこちらは戦力の半数を失い、フラッグ車も追撃を受けている。

 余裕の無い状況だ。

 みほは深く息を吸い、心を落ち着かせた。まだ勝機はある。

 ハッチから半身を乗り出し、みほはジャングルの奥を見据えた。消炎の臭いは、草木の瑞々しい匂いを乾かしていた。

「敵は残り、三輌……!」

 

 

 続く

 

 

 

次回予告(CV/澤梓)

やめて! 西絹代の転進玉砕戦法で味方を焼き払われたら、フラッグ車を任されているカモさんチームが無防備になっちゃう。

お願いです、負けないでください西住先輩! ここで大洗が倒れたら、逸見先輩との約束はどうするんです? 

戦力はまだ残ってる。ここを耐えれば、知波単に勝てるんですから!

次回「次は継続高校です!」

パンツァー・スタンバイ!


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