医者が去ると、全員の胸にはふたたび暗い影が落ちた。
経過が伝えられ、今は、ただ治療室で戦っている当人を信じて待つしかない。それは理解しているが、それでもただ待つという行為は、それだけで彼らの心を疲弊させていく。
真綿で首を絞められるかのように、たとえようのない焦燥感とやり場のない無力感だけが、積もっていく。
そんな中、一番こらえ性のない人間が、ついにしびれを切らした。
追田現八郎は、拳で作って壁を叩き、本人が意図してかはどうかはともかく、衆目を集めた。
「だ、だいたい……お前らがコソコソ妙なコトやってっから、こういうややこしいことになっちまったんだろうがっ」
と、りんなとエイジを非難し始めた。
この事態の元凶となったエイジを名指しで詰らなかったのは、不器用な彼なりの配慮であったのか。
だが、本来なら聞き流してしかるべきその言葉に、
「なんですってぇ!?」
神経をとがらせていたりんなが、過敏に反応した。
「そもそもアンタが時代遅れなヘッポコな捜査ばっかやってるから、アタシたちががんばるしかなかったんじゃない!」
売り言葉に買い言葉の見本市というべきか。
自身にとっては痛いところを容赦なく突いてかかったりんなに、現八郎は凶器的な大きな顔面を突き合わせ、
「ぬぁにぃ!?」
とすごむ。
「何よ!?」
とりんなは睨み返した。
天才科学者と肉体派刑事。相反する両者が同レベルの諍いをしている間に、呆れたように、あるいは慣れ切った感じで、西城究は仲裁に入った。
「やめなよ、ふたりとも……あぁ、ごめんねエイジ君。いつもの痴話ゲンカだから、あんまり気にしちゃダメだよ」
と、慰めのフォローを入れるが、その気遣いが、かえってエイジには突き刺さったようだった。
会話に加わらず、終始無言のエイジの前に、同じく今まで何も語らなかった春奈が立った。だが、エイジは視線をわずかに持ち上げただけで、反応をしなかった。
「追田りんなさん」
春奈もまた、彼が目の前にいないかのように、りんなをフルネームで呼んだ。
「ドライブドライバーは、まだ動きますか」
抑揚のない声で、そう問うた。
夫とにらみ合っていたりんなは、顔色を変えた。その怒りは夫婦喧嘩の延長線上にあったような軽いものではない。もっと深刻味を帯びた調子になった。
「……まさか、まだ彼に戦わせようっていうの……ッ?」
何かと個性のアクも強く欠点も多いりんなだったが、一線を超えるような非情な女性ではない。自分に詰め寄らんばかりの勢いの彼女に、春奈は冷たい視線を流すばかりだった。
「本人がどうであれ、変身せざるをえないでしょう」
と言い添えて。
「108のコアがベルトのリムーブの直前に逃げたのを見ました。この二十年間、復讐のみを支えに生きながらえてきた怪物です。泊刑事が生きていると知れば、再度襲ってくる可能性は非常に高い。となれば、ロイミュードと対等に渡り合うためにはドライブの力が不可欠です」
淡々と道理を語られれば、科学者としての理性が納得せざるをえなかった。
一度、かたく唇を引き結んでからやや間を置いてからりんなは
「ベルト自体は、初期化されてるだけで基本システムは無事よ。ただ、シフトカーは別。……108がどんな置き土産を残しているかわかったもんじゃないし、ギルガメッシュとの通信記録から、今の彼らの居場所を割り出せるかもしれない。だから一度念入りにチェックしないと」
エイジが変身するかどうかについては肯定も否定もせず、りんなは答えた。
「では、そちらのチェックもなるべく早く」
「いやだ」
今まで沈黙を貫いていた青年が、春奈の言葉を遮った。
「いやだ。僕はもう、変身しない」
我が身さえも消えてしまいそうな弱々しい声音で、だがハッキリとした語調で、拒絶の意思を表した。
「そんな身勝手が許される状況だと思ってるのか」
そんな春奈の追及に、エイジは皮肉な笑みを浮かべて顔を上げた。
「そもそも、照井さんは僕が変身するのに反対だったじゃないか。それなのに、僕が嫌だって言ったら変身を強制する。……身勝手は、どっちさ」
「……」
「と言うか、照井さんには言われたくないよ、君が父さんを撃たなければ、今頃……ッ」
エイジの言葉は、途中で遮られた。
胸ぐらを掴まれて壁に叩きつけられる。
「エイジ!」
半歩遅れて剛が声を出した。
だが、それは甥を案じるためのものだったのか。それとも決して言ってはならないことを口にしようとした彼への諌めだったのか。
「望んで撃ったと思っているのか」
春奈の、引き絞られた眦に、光がわずかに波打っている。
「変身する資格がないと、今でも思っていると」
張り詰めた声が、空気を震わせる。
エイジが言ったことは、間違いではなかった。
だが正しいことをそのまま口にすることが、常に正しいとは限らない。むしろ、それを発した後に残るのは、尾を引くようなわだかまりと、言った本人の後悔だった。今のように。
気まずそうにエイジは目を逸らした。
「……全部、僕のせいだった」
春奈の手を強く払いのけ、だが力なく呟くように、言う。
「僕が108を連れ回したせいで、イーディスさんも、『アユム』も死んだ。他にも、大勢の人間が巻き添えになった。挙げ句の果てには父さんまで……僕が何かを選ぶたびに、状況が悪くなっていく」
春奈は、変わらず睨んだままだった。
だが、その目元に垣間見える感情の断片は、りんなの思っているような冷血のそれではなかった。
「……好きにしろ。どのみちもう、ここに用はない」
突き放すような物言いだったが、真実、彼女にはエイジに強制する権限も資格もない。少なくとも、自分自身ではそう思っているようだった。
108はともかく、ギルガメッシュがここに再来する可能性も薄い。
あのロイミュードに一度ダークドライブを乗っ取らせた時点で、おそらくは彼らの目的は達成されている。それゆえに、奴ひとりにその場を任せ、姿をくらましたのだろう。
それに加えてエイジが変身しないとなれば、監察の意義も失った。
言った通り、照井春奈にはここに
泊霧子は、感情と理性の両面から、きびすを返して去りゆく彼女の内面を察した。
その彼女は、ただじっと窓を見つめていた。
音を立てて打ち付けられる水滴を、目で数え続けていた。
雨。
良くも悪くも、彼女の人生のターニングポイントには、常に雨が降っていた。
そして『彼』はその雨とともに現れ、雨とともに去っていった。
岩石ぼように、暗く分厚い果ての見えない雨の向こうに、霧子は在りし日の『彼』を暗視する。
プロトゼロ、仮面ライダープロトドライブ、魔進チェイサー、仮面ライダーチェイサー。
雨粒が激しく窓を洗うたびに、彼の幻影は姿を変える。
馴染みのある青年の姿に変じた彼は、表情を変えずに口だけを動かした。
「家族とは、そんなに大切なものなのか?」
いつかと同じようなその問いを突きつけられる。
こんな有様になっても、いや今だからこそ霧子の答えは変わらない。
(今でも……ううん、前よりもずっと、大切なの)
身勝手は承知のうえだ。
それでも彼女は、雨に向かって祈らずにはいられなかった。
「だからお願い、チェイス。どうか家族を助けて……っ!」