「……でね、そこで閻魔様が提案したわけですよ。『どれ丁稚の歌吉とやら。そんなに死んだお友達を蘇らせたいってんなら、一人アタシを笑わせてご覧なさいよ。そしたら返してやらんこともない』『えっ、返して頂けるんで?』『いや返すとは言ってないよ』『えっ!?』」
笑いが起きる。
「『ただまぁこっちはヒマを持て余してしょうがないんだ。だからお前さんの頑張り次第じゃあお友達の魂を返してやろうじゃあないか』『えぇえぇ、それはもう励ませていただきます。何しろアタシはこう見えてIQ600もありますからね。がっかりさせません』『ほうそりゃあ良い。で、どう笑わせてくれるんだい?』『はい、変顔で勝負させていただきます』」
嵐のような笑いが、またそのホールに響き渡る。
流星に誘われてきたのは、筋書きを聞いたこともない創作落語だった。
シニカルで生真面目な彼にはおおよそ不釣り合いな組み合わせで、彼自身は半笑い、薄笑いと言ったところだが、周囲の反響は良かった。同時通訳されているライブ配信も、洋の東西を問わず好評のようだった。
話の節々には他者を皮肉る悪意めいたものがあって、春奈の笑いの嗜好からはやや離れていたが、談ずる落語家の高い力量は感じられた。
話のテンポ、表情の作り、登場人物になりきる一挙一動。芸事にはとんと無縁な春奈だったが、どれをとっても一流とわかる。
「うあっははは! 面白ぇー!」
途中、あたりを憚らない大笑が、朗々と響く演技をかき消した。
それを背に受けて、流星は苦笑を漏らした。
ふと、その落語家と目が合った。いや、その視線が推移していく過程で、偶然かち合ったというべきか。
落語家らしく、お調子者然とした細目に、何か鋭く、刃のような感情が忍ばせてある気がした。
そしてそれは、どうにも自分の隣の上司に向けられていくような気がした。
当人はどうか。
ただつまらなさげに鼻を鳴らし、用は済んだとばかりに席を立つ。
春奈もまた未練などなく、流星の中座に従ったのだった。
「どうだった?」
自分から席を立ったにも関わらず、演芸ホールから出た流星は施設の軒下で藪から棒に尋ねてきた。
「噺家としての力量があると思います」
極力私情を排した評価を告げると、
「まぁ俺は好かないけどな」
と、誘っておいて身もふたもないことを言われた。
「……では、何故ここに?」
と問えば、
「俺にも付き合いがあるからな」
とこれまたそっけない答えが返ってくる。ただその横顔には、喜劇を観た後とも思えないような苦みばしったものがあり、
「あーらら、やっぱり流ちゃんじゃない」
という親しげな呼び声が、ますますその苦味を増させた。
上司と部下、ふたり揃って振り返れば、つい十分ほど前に見た顔があった。
「まさかホントに来てくれるとはねぇ。電子チケットを送ってあげた甲斐があったってもんだよ」
ニコニコと相好を崩した親しげな表情。噺家特有の、ふしぎと聞き取りやすいしゃがれ声。
だが、どことなく座で感じたように、そこには一抹の剣呑なものを感じざるをえない。
取り巻きを適当にあしらい、散らしながら、その落語家はまっすぐに春奈たちへ、いや流星に歩み寄って来た。
「あぁ、お前の芸でも待ち合わせのヒマ潰しぐらいには使えるからな」
「おやずいぶんな物言いじゃないか。これでも世界をまたにかける落語の伝道者なんだけどねぇ。……さて、そんなアタシとかけて、鉄火巻きを踏んづけちまった寿司職人と解く。さぁお嬢さん、その心は?」
「『
春奈に扇子とともに向けられた謎かけに、流星がすかさず口を挟んで応じた。
いよっ、と落語家は扇子の先を指先で打ち鳴らし、流星にわざとらしいほどの喝采を浴びせた。
「さっすが流ちゃん。頭の回りがやっぱり良いねぇ」
「お前のシャレと芸のレベルが落ちただけだ。よりにもよって、自分の恥を全世界に配信するなんてな」
先の演目のことを言っているのか。もとより皮肉屋めいた彼だが、この人物に対しての風当たりは、とくに強かった。
「やだなぁ、流ちゃん」と、その毒を落語家は笑って受け流した。
一歩進んで流星に目線を合わせると、
「あれは、あんたの恥でもあるでしょ」
声を低めて目を眇め、彼は至近であれば明確に汲み取れる敵意を流星に飛ばした。
「だからあんたに招待状を送ったんだ。忘れてもらっちゃあ困るよメロスの旦那。……まぁ、余計なのもついてきたみたいだけど」
自分のことを言われているのか。そう思った春奈は前に出ようとした。だが、扇子を突きつけ落語家はその機先を制した。
「あぁあぁ、別にお前さんのことじゃないさ。って言うかなに、てっきり来るならあの根暗な嫁さん連れてくると思ったんだけどねぇ。いやさっすが人間プラネタリウム、『新星』を見つけるのも落とすのもお手の物って?」
傍目にはまったく要領をえない会話だったが、両者の間に流れる不穏な空気は伝わってくる。
だが、『人間プラネタリウム』という呼称は、朔田流星という人間から連想し得るものではない。
仮面ライダーメテオという、彼のもうひとつの姿を知らずして、出てこないキーワードだ。
「それとも、カミさんには嫌な思い出を見せたくなかったかい? 当時相当怖がってたから。――笑わせるねぇ! そんな目に遭ったのはそもそもあんたが」
「憶えてるさ」
饒舌に語りながら、扇子で煽るように流星の胸を叩く。その手を、彼は払いのけた。
そして訳はわからずとも口を挟むことができず、成り行きを見守るほかない春奈を横目で一瞬見やってから、あらためて対峙した男を睨み返した。
「あれは、俺とお前の罪だ。俺たちは共犯だ。だから、ここに来た」
短く区切るような強さで、流星は答えた。
道化じみた相手はどう受け取ったのだろうか。
彼の笑みが消えた。虚を突かれたかのように細い目を開いた。敵意をしぼませ、つまらなさげに鼻を鳴らした。
「つまんない男になったねぇ、流星」
「お前の落語よりよっぽどマシだ。もっと精進しろ」
男は、もう一度だけ、だが言葉とは裏腹に、楽しそうに笑った。
「それじゃあヒマなアンタと違ってあたしゃ忙しい身の上なんでね。消えるとしますよ。……さてお別れの言葉とかけまして、途中で縫えなくなったミシンと解きます。さてその心は?」
「『お
流星の解に、きびすを返した落語家は手を振るだけで、その成否は答えなかった。
鼻で嗤ってそれを見送る流星に、春奈はようやく話を振ることができた。
「あの男、何者なんですか?」
流星と一言で片づけられないような関係であることは推察した。
だが、仮面ライダーであることまで知っているとは、ただごとではない。
今までに疑問にさえあげなかった過去の詮索を上司にぶつけた春奈は、自分で考えられるかぎりの可能性を考え、精神的衝撃にそなえた。
だが、その予測を、流星から発せられた真実はおおきく上回ってきた。
「奴の名前は