かつて、天ノ川学園高校という一校では、生徒がスイッチを使ってゾディアーツという怪人に変身するという怪事件が頻発していた。
適性を持つのある生徒たちにスイッチを手渡していたのが、黄道十二星座になぞらえた上級ゾディアーツたちで構成された組織だった。
他ならぬ学園の理事長であった我望光明が学園とともに設立した、彼のためだけの組織。
それがホロコープスだった。
鬼島夏児は、かつてそのうち蟹座を司る幹部だった。
「――おい、そんな怖い顔をするな」
帰る道すがら、雨の中、傘の下の春奈の表情を見て、流星は苦笑を漏らした。
まったく、笑いこそしないだけで悪感情はすぐに顔に出る部下である。
「スイッチャーの多くは、未成熟な若者ばかりだった。実際に組織を運営していたのはごく一部の成人メンバーで、その多くも死亡している。中には、記憶を奪い取られて自身がゾディアーツであったことさえ知らない連中もいる。スイッチを押す前後の事情もかんがみて、ロイミュード特措法同様、情状酌量の余地ありと彼らは放免もしくは減刑となった。それはホロコープスも例外じゃない」
「……更生している態度とは、言い難かったですが」
「そうだな」
流星はそれを否定しなかった。
春奈の懸念、いや疑念はおそらく的を射ている。
「鬼島はゾディアーツの中でも異質な存在だ。そもそもあいつは、ホロコープスに選ばれたわけでもなく、偶然手にしたスイッチを使っていた愉快犯だった。そこから十二使徒まで覚醒し、倒されるその最後までみずからの行いに罪悪感をおぼえることがなかった。今になっても、もしキャンサーのスイッチがあれば、ヤツはためらうことなくそれを押すだろう」
「そんな人物を、何故……?」
春奈は問う。ごく自然なクエスチョンに、流星は一度だけ苦笑でごまかそうとした。
自分でも、いまだ心底でくすぶる思いを、あの小憎らしい落語家に対する感情をうまく言語化できないでいる。それを強引に他人にわかりやすく説こうというのだ。一瞬言葉を詰まらせるのも、無理らしからぬことだった。
「ヤツのおかげで、解決した事件もあってな。それに、力を喪えば自分からつまらない犯罪に手を貸すような男じゃない。時折、ああいう底意地の悪いちょっかいを出してくるが、それさえいなせば、まぁそれなりに味のあるヤツだよ」
流星は空を見上げた。
「だからこそ、もう二度とあいつの手にスイッチは渡さない。押させない。それが俺なりの、あいつへの友情……なのかもな」
八月の終わりの空である。
多くの星座が都心の夜空から失われて久しいが、ましてや今日は雨が降っているが、分厚い雨雲の向こう、今なお輝く星がある。
「俺たちが戦ったそれらの敵は、人間だった」
流星は、雨音の合間につぶやいた。
鬼島のように、絶対的な価値観とプライドを持った奴がいた。
宇宙や我望に対する憧れからゾディアーツになった女性たちがいた。
最低で卑劣な人間だが、みずからの存在の重さを知らしめるために命を賭した男がいた。
死すらいとわない絶対的な忠誠心を持った漢がいた。
歪んではいたが、交わした契約のために友人を救ってくれたヤツもいた。
一度は悔恨と復讐心に取り付かれながら、みずから正気に立ち戻ったヤツもいた。
――裏切ってしまった友への贖罪のため、巨悪を相手に孤独な戦いを続け、若者たちを陰で見守り、導いてきた人がいた。
「信念の強さでは決して俺たちに引けをとらなかった。彼らにもまた、すべてを賭けるだけの理由と苦悩があったんだろう。じゃあ、俺たちと悪の怪人を分けるものは、なんだ?」
春奈は答えない。洒落っ気のない傘で目元の冷たさと弱さを隠す。
かつてであれば、ためらいなく「秩序に反するほうが悪」とでも答えただろうが。
だが、悪いことだとは思わなかった。
彼女もここに至るまでに、いろいろなものを見てきたようだった。それらは決して、無駄でもなければ照井春奈を弱体化させるものでもなかった。
流星は歩道橋の前で足を止めた。春奈が追いつくのを待った。
やがて並び立った彼女の肩に手を置き、流星はふたたび言った。
「春奈。俺たちは仮面ライダーだ。けど、その前に人間なんだ。時にはゾディアーツやお前の知るドーパントのように、自分を見失って道を踏み外すことだってある。その時、仮面ライダーと怪人を分かつものがあるとするならば、それは力や信念の強さじゃない。……他人の弱さを受け入れる、優しさだ」
「……弱さを、受け入れる……?」
「俺は、友人達にそう教えられた」
自分がかつてそうだったがゆえに。
自分がかつてそうされたがゆえに。
春奈は黙って先を行く。
だがその背の向こうでどういう表情をしているのか、誰を想っているのか。流星にはわかる気がした。
「許してやれよ」
流星は追わずに言った。
誰を、と言及する無粋はせず、ただ彼女の背を押すために。
「でなきゃ、お前自身が許せなくなるぞ」
返答はない。
ただ無言で階段を歩き始めた。
だが、彼女の足取りに再会したばかりのような、おぼつかなさはない。出会った当初のような、不必要なまでの力の入り方もなかった。
安堵と確信とともに、流星は部下を見送ったのだった。
雨足が弱まった。
彼の背後の一画で、雨音が収まった。まるでそこだけ太陽がやってきて晴れたように。
「……我ながら、ずいぶん説得力のないことを言ったな」
そう独りごちで、苦笑を漏らす。
「いいや」
それを否定する声が、雨音の収まったあたりで聞こえてきた。
目を柔らかくして細めて、流星は振り返った。
「お前だから良いんじゃねぇか。お前の言葉だから、ここにビシバシ来るんだ」
グレーのスーツの胸のあたりを拳で叩き、流星に強く指を突きつけ無尽蔵の友情と信頼とを示す。
……そこにはかつて、自分が止めた心臓がある。
本人が気にしていないから、男同士、今更互いに蒸し返すことはしない。それでもあの件を思い出すと、鈍く痛みが差し込んでくる。
「お前も、りっぱな『教師』になったんだな。流星」
だがそんなことにはまったく気遣わずに、屈託無く笑ってやってみせるこの男には、やはり銀河をかき回すかの如き豪快さと、宇宙規模の度量があった。
流星はそんな親友に一度微笑みかけてから、あらためて向き直って言った。
「わざわざ来てもらって悪いな。……イカロスの捕らわれた先がわかったから、直接伝えにきたんだ」
「ところで、よくあんな噺で爆笑できたな」
「え?」
「あれ、俺たちの地獄大喜利がモデルだぞ」
「えっ!? あれオレらの話だったのかよ!? ……あンの蟹野郎ォ〜!」
「……まったく気づいてなかったのか……」