天地の境さえ定かではない、灰色のしじまに、彼はたたずんでいた。
波とも砂地ともつかないさらさらとしたものが足元を埋め、どこかへと彼を引っ張ろうとしているような錯覚に陥る。その牽引力が徐々に強くなってきている。さほど時を置かず、その力はいかんともしがたい強さとなっていくだろう。
まるで悪夢のような心地だった。いや、むしろ醒めようとしているのか。
これが死後の世界ということか。あるいは今わの際に見る夢か。
ひとつだけ確かなことは、ただひとつ。
自分は、ギルガメッシュは戦って敗れた。
本来であれば歯牙にもかけないような、人間の親子に負けた。
そして、眼魂を破壊され、統合された精神はそのまま地上から消滅した。
かすかに漏れた呼気は、怒りの残滓かむなしい自嘲か。
すべてを失った今となっては特に何かができるわけでもなく、行く当てもなく、ただ灰色の砂浜の中で茫洋とたたずむ。
かしゃり。
シャッター音が聞こえたのは、そこからどれほど時が経った時だった。
「なかなかいい
何もかもが輪郭を持たないこの境界で、その男だけが明確なヴィジョンを維持していた。
「タイトルは『最古の敗北者』といったところか」
高い背、すっきりと筋の通った目鼻立ちだが、自分に負けず劣らず傲然とした、
ふてぶてしい面構えと物言いだった。
胸の前にぶら下げたトイカメラで自分に何度もシャッターを切りながら、鼻で嗤う。
そこには好意も嫌悪もない。尊敬も恐怖もない。
あくまでレンズ越しに、公平や中立の眼差しを向けていた。
「――なんだ、お前は」
そのあまりに傍若無人なふるまいに、怒りを覚えるよりも逆に毒気を抜かれる。
誰何するギルガメッシュに、男は名乗りもせず言った。
「ま、俺は他のライダーよりもずっと視野が広いつもりだ。お前の願いも、理解できなくはない。破壊なくして創造はないからな」
「だが、そんな近視眼の連中に俺は負け、ふたたび死んだ。一度目の生と同じだ。収奪も破壊も、次のフェイズに必要なものだと分かろうともしない連中が、邪魔をする」
「なんだそれ。だからお前は負け犬だっていうんだ」
理解を示したその舌の根も乾かぬうちに、男は掌を返した。
「勝ちだ負けだ、生だ死だのと。そんな枠組みに収まっているうちは終わりじゃない。命は終わらない。誰かが覚えているかぎり、俺たちは死も生も超えて、物語として存在し続ける。俺たちの旅は続く」
その超然とした生死観を、まるで自分の体感のように男は語る。
両腕を広げて伸ばし、朗々と。
是非はともかく、スルリと心に滑り込んでくるような、奇妙な説法。
その男の手には、いつの間にか一枚の紙片があった。
それは指の間で輝きを放ち始め、やがて仮面ライダーとしてのギルガメッシュの姿の写し絵となった。
それを満足げに見届けたあと、男はあらためて顔を上げて目線を彼へと合わせた。
「ギルガメッシュ。お前の叙事詩も、まだ続く。今までがそうだったように、人々に語られ続ける限り。みずからの殻を破れ。新たに紡げ。――すべてを破壊し、すべてを繫げ」
王顔負けの不遜さでそう高らかに宣うと、男の背後に、オーロラのように波打つ壁が出現した。
「結局、何なんだ? お前は」
ギルガメッシュに目を向けたままにその向こう側へと身を沈めていく男に、彼はあらためて尋ねた。
影さえもその中に消えた後で、虚空に声が響く。
慣れたような調子で、しかし揺るぎない確固たる強さでもって。
自分が何者か。多くの人があるいは即答できないであろうその問いに。
「通りすがりの仮面ライダーだ、俺のことも、覚えておいてもらおう」
存在感の大きな放浪者が消えて、あたりにはふたたび静寂が訪れた。
いや、男の破壊したその境界から、光が差し込んだ。春風のような、なだれかな流れが生まれた。
この空間にこうした風穴を開けることが、この空間においてあの男に課せられた役割だったと言わんばかりに、変化が生まれた。
亀裂の向こう側から、手が伸ばされた。
少年じみた、ほっそりとした手。
亀裂は広がり、逆光を背に顔が見えた。
悪童めいた、莞爾とした笑み。
「――あぁ、お前か」
なつかしさとともに、その彼に、ギルガメッシュは微笑みかけた。
かつて獣だったもの。この惑星の異物たる自分を、怖れもせず試し、そして受け入れてくれたもの。
彼がいたればこそ、自分は知ったはずだった。
楽しみを、友情というものを、人間の心のなんたるかを。
そして、一個の命の儚さを、尊さを。
いつしか、それを忘れていた。
個ではなく全を視るようになっていた。
そのくせ誰かに歩み寄る気がなく、その命や意思を嗤うようになっていた。
未来や過去に目を向け続け、今この一瞬を愛することをしなくなっていた。
自分の行いの全てが間違っていたとは思わないが、それでもやはり、気負い過ぎていたのだろう。
業腹だが、あの男の言うとおりしがらみに囚われていたのだろう。
だが、もう十分だろ?
友はカラカラと笑みを転がす。
神や王を気取っても、お前もまた、地球や宇宙にとってはちっぽけで唯一つの命だと。
「そうだな」
ギルガメッシュは苦笑する。
そろそろ、その荷を下ろしても良い頃だ。
王ではなく神でもないのなら、人としても未熟であれば、一個の生命として世界を廻る。あの時と同じように。
「帰ろう、ギルガメッシュ」
少年は手を差し伸べる。
「あぁ。また、お前と旅に出るのも悪くない……エンキドゥ」
少年はその手を握り返す。
自由な風が吹いていた。
強く、優しく、懐かしい土の薫りを運んでくる。
灰色の淀みは取り払われて、いつしか目の前には蒼天が際限なく広がっていた。
――きっとこの空は、つながっている。