世界規模の混乱の際にも、地方都市
同種の植物の増殖、異星人の襲来、カルト教団の跋扈などかつて多くの危難に曝されてきたために耐性を得ていたのか。あるいはその苦難を乗り越えた指導者が、断固とした決断力と判断力でもって今回も苦境を脱したのか。
おそらく後者だろう、とオーバーロード葛葉紘汰は信じていた。
街の様子を一望できる大樹。その枝に青年の姿で腰かけ、目を細めて政庁のある方角を見遣った。
(頑張れよ、ミッチ、貴虎。誰を切り捨てて誰を残すかじゃない。お前らならきっと、全部を包めるもっと大きな箱舟になれるから)
どれほどの光年先でも信じられるたしかな絆。それをあらためて噛み締めながら、枝の上で立ち上がる。
背後で、葉が擦れる音がした。
自分と同じように、誰かの足が、枝を踏み鳴らした。
「ギルガメッシュ……奴も結局真のの勝者たりえなかった。過去に固執し、力の使い方を見誤った」
掠れて荒涼とした、だが人を惹きつける力強さを含んだ声調をもって、誰よりも強く、厳しい男は続けた。
「こうして世界はまた強さから遠ざかっていく。弱さに甘えるようになっていく。これが貴様の望んだ世界の姿か? 葛葉」
神社の跡地にいつのまにか生えていた、街の人々が崇めるところの『御神木』。
樹齢不相応に成熟したその枝葉が、嗤うように、あるいは泣き叫ぶように、風の流れに揺られて互いにぶつかり合いながら共鳴していた。
風が、彼らの間を吹き抜けていた。
その一吹きが、宙に踊る電子
拾い上げる。そのログに残る文字がスクロールし、写真がそのまま動画となって当時の様子、そこに映る人々の晴れやかな表情を克明に再現していた。
〈……日本時間きのう未明、トルキア共和国と周辺諸国における和平協定が実現した。その裏には外務官のアイム氏のた根強い外交努力があったことを忘れてはならない。同国は長年貧困と紛争に苦しんできた歴史があり、氏は多感な少年時代を地獄のような環境の中で暮らした。氏は記者団に対し『長年の苦労が報われた。ここまでに散っていった仲間たち、その死を乗り越えて苦楽をともにしてきた同胞たちに、そして遠い国の友にあらためて感謝の言葉を贈りたい』とコメントした……〉
自分とどことなく似た面影を残す異邦人の晴れやかな表情に、宇宙の神は微笑み返した。
「――俺は、そうは思わない」
背にたしかにいる男に向けて、紘汰は指で新聞紙を風に流しながら応えた。
「人はちょっとずつ前に進んでいっている。少しずつだけど強く、ほんのわずかだけど優しく。そうしてひとりひとりがどんなことでも変身していけるなら、世界だって変えられるって、俺は今でも信じてる」
今後も覆ることのないであろう力強い断言とともに、だが柔らかく微笑んで、紘汰は初めて振り返った。
「お前だって、ほんとはそう信じてるからいつまでも見守ってくれるんだろ? ……
答えはない。誰よりも強く、だが皆を想うがゆえに自分にさえ厳しい男の姿はない。
ただ気まぐれな風の中で、葉擦れの音がさわさわと鳴っただけだった。
まるで、鼻で嗤うように、そうやって自分の甘さをごまかすように。
異星の王もまた、素直じゃない守り神に肩をすくめて別れを告げた。
そして、足下へクラックを開き、その中へとためらわずに飛び込んだ。
救いを求める、新たなる戦場へと向けて。
――大丈夫。
どれほど離れた場所にいても、自分はいつまでも見守っている。
力を振り絞って声をあげれば、絶対に駆け付ける。
どんな壁があったとしても、必ず自分が、この空をつなげてみせる。
都心部にオープンした商業モール。
休日平日問わず、買い物客でごった返す。だがその一角が、他のブースとは違う妙な浮つきに包まれていた。
その密かなささやきやざわめきは主に若い男性陣が中核を担っており、彼らが時折思い出したように向ける視線の先には、同じ年頃の娘がいた。
同世代の中では群を抜くであろう美少女で、要するに彼らは強い興味を惹かれると同時に、あわよくば一声かけてみたいという魂胆なのだった。
だがそれをためらうのは、彼女が容姿に恵まれている上に、独特の、清澄で神秘的な雰囲気を持っているからだろう。
「おまたせ」
しかしそんな彼女に、『事件』の後処理を終えてやってきた男は、はばかることなく手を挙げ、気安く声をかけた。
少女とはだいぶ歳の離れた彼だったが、彼女は周囲に目など気にしていないようだった。
「遅い」
娘はそう言って唇を尖らせた。だが本気で咎めている様子はなく、現れた男に対する親しみと慣れ、そして甘えを感じさせた。
周りにいた青年たちは、仲睦まじさをその短いやりとりの中で見て取って、落胆したようにその場から離れていった。
その露骨さに、男はなんだか申し訳なくて苦笑してみせた。
「なに?」
自分に向けられていた興味などまるで気づいてなかったのだろう。
少女は不思議そうに小首を傾げた。あどけない仕草は、アンティークドールを思い起こさせた。
「いや、べつに。それよりほんとに悪かったな。お詫びになんかひとつ、好きなもん買ってやるよ」
「良いわよ、そんな」
「じゃ、ひとつと言わず何個でも」
彼女としては、ねだるつもりで不平をこぼしたわけではなかったのだろう。だが謙遜すれば、彼はますます自分への施しを上乗せしていくことだろう。
妥当な手の打ちどころとして、彼女は密かに今日買おうとしていたものを、ひとつだけ伝えてみることにした。
「それじゃあ……帽子」
男は軽く言葉を詰まらせた。
「――帽子?」
「だめ?」
もともと全て奢りかねない勢いだった彼が、今さら金銭を理由に気後れする理由はない。
だが、帽子は、彼女が帽子を欲しがるということは、彼の中では特別な意味と思い入れがあった。
数秒の沈黙と無表情の中に、言葉に尽くせない感情と、ここにいたるまでの日々の記憶が、どれほど詰め込まれていたことか。
少女は、じっと見上げて彼の反応を待っていた。
それでも、彼はすぐに笑い返した。
あの時と、同じように。
「その程度のお願い、魔法使いにはお手の物だよ。……お姫様」
などとおどけて一礼を捧げてみたりする。娘は、はにかんで頰に朱をのぼらせた。
おずおずと、小さくほっそりとした手を差し出す彼女の手を、魔法使いはうやうやしく握りし返した。
「それじゃ行こうか……コヨミ」
「えぇ、
魔法使いは、再び、いや新しく掴んだ希望をもう二度と手離さないように、指を絡ませた。
彼女もそれに応えて、共に希望の未来へと歩き出した。
――たとえ絶望と言う名の暗闇が太陽を覆ったとしても。
一度は引き裂かれた空であったとしても。
自分自身の希望を諦めなければ、いつかはつながる。