一世代前のホンダNSXが路肩に停まると、中から一組の男女が外に出た。
「本当にここまでで良いの? まだ結構距離あるけど」
そう尋ねる青年、泊英志に、照井春奈はわずかに顔を曇らせながら首を振った。
「いや、遠慮しよう。……運転が下手過ぎてこれ以上は吐き気がしてきそうだ」
「父さんの車だからだよっ! ていうかそこはもっとオブラート包もう!?」
思わず英志は声を張り上げた。
だがその反面、表情は寂寥でほろ苦く笑っていた。
訝る春奈に、英志は自分の奇妙な心情の由来を語った。
「なんか久々かも。照井さんに酷いこと言われるのって」
解体されつつある風車が見える風都市の玄関口。そこに立った春菜は得心がいったように「あぁ」と小さく声を発した。
次の瞬間には不敵な笑みを浮かべて、
「これからは耳障りな悪態に煩わされることもないわけだ」
挑発的な、物言いをする。
「いいや、寂しくなるよ」
英志は正直な気持ちを伝えた。
それを社交辞令と捉えたか、それとも真っ直ぐに受け止めたのか。それこそ英志には汲み取るすべはない。
ただ目元を和らげて
「また、会うこともあるだろう」
風吹かすように、さらりと答えた。
「そうだね」
自身の湿っぽさを振り切るように、英志は明るく返した。
「しばらくは日本にいるんでしょ?」
「破壊したメモリとドライバーは、私の私物ではないからな。その科で絶賛謹慎中だ」
しかし世界を救うという使命と重責、そして暫時の公務から解放された彼女は、いつになく晴れやかな面持ちだった。
何より、男物に近いジャケットやパンツではなく、スカートにブラウスという、女性らしい出で立ちで、薄く化粧や香水も施されている。
努めてそれらを意識しないように自分を戒めながら、英志は手を差し出した。
「それじゃ、また」
「どうせ再会はまたロクでもない場面でだろうがながな」
「また一言多い……こういう時ぐらいはさぁ、せめて」
グイ、と腕を引かれる。
瞠目する周囲と英志自身よそに、彼女たちの影がひとつに重なった。
しばらく、のようだったと思う。固まった英志の体感時間では、かなりの間、そうしていたように感じた。
その離れぎわ、彼女の感触と熱が消えるよりも早く、その唇が何かを耳元で、呼気ともに囁いた。
反応らしい反応もできず立ち尽くす英志に、手を振りながら彼女は歩き去って行った。
ただし、彼女自身の耳やうなじも、若干ながら朱色に染めて。
「…………」
泊英志の時間は、静止したままだった。
一瞬はぎょっとして立ち止まった群衆も、若者たちの青春の一ページだとそのイベントを定義して、やがて何も見なかったかのように再び歩き始めていたが、英志だけは、生理的に熱を持った頰や、首筋や耳に残る感触を尊べば良いのか喜べばいいのか分からず、しきりに撫でまくるだけだった。
「なんかいい雰囲気じゃん」
英志が再起動したのは、含み笑いとともにからかうような声がかかったからだった。
慌てて振り返れば、ひとりの少年が車のルーフに頬杖を突いて、澄んだ目を細めて英志見つめていた。
「な、なんだよ君は!?」
荒ぶる動悸は、羞恥のためか、それとも突然現れた少年への衝撃のためか。
判然としないままに、英志の前にその身を移したその少年は、魔性めいた笑みを浮かべ、上目遣いに覗き込む。
だがしばらく見つめた後に、
「……ま、いっか」
と独り合点。軽やかな足取りで英志から離れていった。
「それじゃ、俺からもこう言わせてもらう。……またいつかの時間で、泊英志」
と、謎めいた言葉を言い残して。
立て続けに混乱を呼び込まれて、英志の頭の中でぐるぐると、様々な言葉や感情が渦巻いて、処理落ちしていた。
ただその中で、謎の少年が残した言葉……『時間』というキーワードが、頭の中でこびりついていた。
時間、時間、時間……
「っああああああ! そうだ時間!」
英志は端末の時計を見て、自分の予定より多く時を費やしたことを察した。あわてて身体を弾けさせたものだから、ポールに蹴つまずきそうになったり、足を側溝にずり落ちそうになりながら、車の運転席に我が身を滑り込ませた。
何のために、母も許可を得てまでこんなクラシックカーを操縦しているのか、思い出した。
今日は春奈の見送りの日であると同時に、父の退院日でもあった。
「良いのかい? 我が魔王」
当該人物への接触を果たしながら何も言わずに帰ってきた自分の主人に、従者は季節感に乏しいマフラーをなびかせながら不安と疑念を示し、諫言した。
「あのアナザーワールドから来たパラドックスロイミュードの『落し物』は、時空を超えて2055年のある青年の手に渡った。変質したウォッチを手にした彼はおそらくこの時代に干渉し、我々の時間軸にも影響を及ぼす可能性はある。そうさせないための抑止力に任ずるために、彼にそれを託すという予定だったはずでは」
そんな指摘を受けた若き王は、それと示唆された丸いデバイスを自分の手の中で弾ませた。まるでさほど興味もない玩具を、手持ち無沙汰というだけで弄ぶように。
そこには、ダークドライブの顔が描かれていた。あの泊英志と異なる歴史と同じ力が、そこには刻まれていた。
「うーん、それなんだけど、さ……なんか違う気がするんだよね」
と、彼は気まずげに言った。
この時代、自分たちとは異なる世界線に転移してまで今更、という後ろめたさもあったが、
だが、彼は直感していた。
「やっぱりそれでも、これが彼らの運命で、歴史だと思う。どんな力を手に入れたとしても、ぶつかる必要があるなら、俺に止める資格はないよ。それにさ。必要ならきっと、この力は英志のもとに戻る。そんな気がする」
いつもながら、漠然とした予感。
だがそれが、彼の王たる資質によるものだと青年は知っていた。それが今までも、物事を正しく導いてきたことも。
もっとも、確たる理屈もなくそれに振り回される側としてはたまったものではないが。
「それじゃ帰ろうか……ウォズ。俺たちの時間に」
王命下す少年の前に、二輪にも似たメカが飛来した。
そのコクピットに、まるでプライベートジェットに乗り込むセレブのような足取りで入っていく。
ウォズと呼ばれた臣は一度足を止めて思考する。
時間とは彼が楽観的に語るような単純なものではない。もっと複雑に入り組んで、絡み合う無数の糸だ。
自分たちとて、正史歩んでいるとは限らない。どこかからか分岐した、ひとつの在り得た可能性のひとつに過ぎないのかもしれない。
それでも彼は、楽しげに、それでいてふてぶてしく笑いながら王に臣従の礼をとった。
「
王は、語る。
自分たちが今を全力駆け抜ければ、きっと最高最善の
春奈が久しぶり……でもなく故郷の地を踏むと、そこには父が待っていた。
「戻ったのか」
奇妙な挨拶だった。
この日戻ることは、前もって伝えていた。というか知っていなければ、そもそも待ち受けてはいない。
そのどことなく浮ついて、よそよそしい挨拶は、照井竜なりの照れ隠しだったのだろう。
「えぇ、戻りました」
そしてそれに乗る形で、自分もまたよそよそしい物言いとなってしまった。
「何か良いことでもあったのか」
……そのくせ、妙に踏み込んだことをピンポイントで聞いてくる。
私に質問するな、と拒むことは簡単だった。
「まぁ……少し」
だが彼女の返事は、妙な含みを持たせたものだった。
表情にあからさまに出さないが、狼狽の気配を見せる父が見物だった。
そのことを楽しむ余裕が持てるだけでも、父はともかく自分は成長したように思える。
帰途に着こうとする春奈を、竜が呼び止めた。
「どうだ? しばらく母さんとも会ってなかっただろう。家族みんなで食事にでも」
「良いですね」
春奈はその提案を素直に受け入れた。
微笑み、携帯を取り出して、それから慣れた操作手順で母の番号にかけた。
3コールも必要とせず、相手が出た。
春奈は大きく息を吸ってそして……
「あ、お母ちゃん!」
英志にも竜にも見せたことのないような、満面の笑みを、華咲かせた。
「帰ってきたでー! え、そうそう。帰ってきとったけど色々忙しかってん。ちゅうてもつい最近遊びに来たばっかやんか!」
え、と固まる竜をよそに、互いに早口になった母娘の会話はたくみにぶつかり合いを避けながら進んでいく。
「あーそんでな、なんかご飯食べにいくって話になってん。え? もうっ、そのタコ焼き屋は前行ったばっかやんか! 向かいに出来たお好み焼き屋で良ぇ? せやったら……わかった! なら予約とっとくわ、ほなまた!」
どちらが先ということもなく通話は切れた。
だが、意思疎通はしっかりとできていたので、不安はない。母と話すときはこの調子なのだ、いつも。
「ちょっと待ってくれ」
ハードボイルドの体現者にふさわしい、硬い声質でもって竜は横から口をはさんだ。
慣れない愛想笑いを、張り付かせたまま。
「なんだか、ずいぶん慣れた様子だったんだが」
「そりゃそうでしょう。いつもこんな感じなんだから」
「いつもぉ?」
「父さんにはずっと顔を見せなかっただけで、割と帰ってきてたから」
……訂正。ハードボイルドな様子は、三秒と持たなかった。声質は、すぐに情けない声に切り替わった。
自分がいない間にもだいぶ、探偵事務所の空気に毒されていると思える。
「絶望が俺のゴールだ……」
力なく膝をつかんとする父を促して、自分は軽やかに一歩を踏み出した。
たまには、ゆっくりと歩こうと思う。
肩の力を抜いて、年頃の女の子らしくスカートやパンプスを履いて、空を見上げ、風を感じて。
その間、しばし、正義の仮面も荷物も外して。
――なに、当分不安はないだろう。
この街には、今も昔も、ヒーローがいるのだから。
もし彼らが何かをしくじったとしても、笑って受け入れてあげようと思う。
そしてその時こそ、今度こそ、ちゃんとした形で肩を並べられるはずだから。
ここは風都。文字通りの、風が吹く都。
そしてこの街を愛するヒーローの名は……
〈HEAT! MAXIMUMDRIVE!〉
「メタルブランディング!」
河川敷をつなぐ橋の上、炎渦巻く一閃が、ドーパントの肉体を強打した。
高密度のエネルギーの洗礼を浴びたガイアメモリはブレイクし、四散した怪物の肉体から、その正体たる犯人の身体が吐き出された。
「う、ううぅ……」
うめき声を絞り出す華奢な青年の胸倉をつかみ上げ、サイクロンジョーカーへと戻った仮面ライダーWはあらためて詰問した。
「さぁて聞かせてもらおうか。なんで新風都タワーの予定地を爆破しようとした?」
メモリの副作用で衰弱しきったその犯人だったが、その手はモゾモゾと、ズボンのポケットから紙きれを取り出した。
新風都タワーの完成予想図が書き記されたポスターを、彼らの眼前へと突きつける。
「街のヒーローのあんたらならわかるだろぉ? こんなもの、風都タワーなんかじゃない! 風都タワーっていうのはもっとノスタルジックで、ミステリアスでそれでいて色あせない不朽のフォルムで……ぎゃっ!?」
爆弾魔は昏倒した。Wの弾いた指が、その額を痛打したからだった。
「うっせ! この古参ぶったにわかがッ!」
左翔太郎はそう叱責し、だらりと脱力した肉体を振り落とした。
〈――翔太郎〉
だがWの『右』の目は、別の異変を察知し、点滅していた。
あん? と姿勢を戻す彼らの正面。そこにはずらりと居並ぶドーパントの群体がいて、進路も、そして回り込んで彼らの後背も封鎖していた。
「あ~、こりゃ罠だったってことか?」
〈だろうね。おそらく彼は、ぼくらを吊りだす餌の役割だ〉
久しく見ていない数と種類の怪人たちだった。
中には、ひときわ異彩を放つ特異個体……いわゆるハイドープと呼ばれる上位種らしき姿も確認できた。
〈ギルガメッシュの負の遺産といったところか。彼らが財団と組んでバラまいたメモリは、ふたたびこの街に引き寄せられた〉
だが彼らは危機的状況にも怯まない。
自分たちの長年の努力が水泡に帰したとは嘆かない。
〈どうだい翔太郎? これを機にそろそろ後進に譲ることを……考えないよね、君は〉
「ったりめーだ。こちとら生涯最前線だ」
たとえ街の象徴が入れ替わったとしても、かつての姿も未来のかたちもすべて受け入れて、背中を見守り、追う誰かのためにこの街への愛と正義を示し続ける。
それこそが今なお続く、自分たちの贖罪の戦いだ。
決して消えることのない罪と責任を背負い、彼らは同じく罪を犯そうとしている街の人間を指弾する。
「さぁ、お前の罪を数えろ!」
――今この瞬間も吹き続ける風は自分たちの想いや信念を載せて、未来の風都の空へと流れ、そしてつながっていく。