翌朝の休日、無事家に帰ることができたエイジが目を覚ましてリビングに行くと、朝食が並んでいた。
温め直したトンカツに、千切りのキャベツ。
そのはす向かいで、母はフレンチトーストに冷たいミルクにトマトサラダといったベストな献立を、黙々と食べていた。
「……え、いや。朝からこれは重」
母にギロリと、睨まれた。猛々しくエンジンがうなる音を、母の背後から聞いた気がした。
そこでエイジは、自分が昨晩「残した夕飯は朝飯として食べる」という、電話越しに口約束したのを思い出した。
「……いただきます」
泊家の支配者の冷視にさらされながら、手を合わせて箸をとったエイジは、心で泣いた。
味はともかくとして、疲れの残る朝に、ズシンとくる脂っこさはこたえた。それでも、文句を言わずに完食した。
一種の達成感と引き換えに、軽い頭痛とひどい吐き気がやってくる。
「うう……」
小休憩をとったあと具合の悪さはなかなか消えてくれなかった。
少しでも胃を軽くしようと、エイジは散歩に出ることにした。
着ているのは通気性の良い薄手のパーカーに、シャツ程度。スニーカーに履き替えて、玄関のドアを開けた。
照井春奈が、立っていた。
エイジはドアを閉めた。
最初は、ただの見間違いだと思った。
目をこすったり開閉を繰り返したりしてから、ふたたびドアを明けた。
照井春奈が立っていた。
エイジはドアを閉めた。
次に彼は、これは疲れによって見た幻覚だと思った。
腰に手を当て、深呼吸をくり返し、動悸を鎮める。
それから浅く呼吸をくり返してから、ドアを開け放った。
照井春奈が、にらんで立っていた。
エイジはドアを閉めた。
これは夢だと思った。今これを見ている現実こそが、悪夢なのだと。
あらためて深呼吸を繰り返し、目をつぶって玄関に腰を下ろし、頭を抱える。
それにたっぷり十数秒使ってから、覚悟を決めたエイジは思い切りドアを明けた。
やはり照井春奈はそこにいた。
こうなれば、百回似たようなことをくり返しても、彼女はそこに仁王立ちしていることだろう。
エイジは目の前の存在が現実のものだと理解した。
そして、即座に閉めようとした。
だが彼の手よりも早く、彼女の爪先がドア先に差し込まれた。
そして抵抗する間もなく腕をつかまれ、外の世界へと引きずり出されたのだった。
「ギルガメッシュの件で聞き込みに出る。ちょっと付き合え」
と、相変わらず可愛げのない調子で言い放ち、まるで連行のように、色気のない体勢のまま手を引かれてた。そして、近所に停めてあったレンタルらしきハイブリッドカーに、拉致同然で助手席に押し込まれる。
こうした態度からもわかるように、これはデートでもなければ、相棒と認めて事件への協力を申し出たわけでもなかった。
春奈いわく、
「君への監視も私の任務とはいえ、本命はギルガメッシュの捜索だ。となれば、私の都合に君が合わせてもらうしかない」
という、理不尽極まる理由だった。
しばらくは、無言のドライブがつづいていた。
特に目的地やゴールを定めていないような走りは、ただでさえ考えていることが読めないのに、一層に不安をかき立てられた。
さらに彼女はフリーハンドで取り付けた携帯端末越しに、奇妙な『儀式』をはじめたのだった。
〈検索をはじめよう〉
通話に出たのは甲高くて少年めいた声だった。
それでいて幼さは感じられず、むしろ知性や沈着さを持っている。相手の映像は伏せてあっても、エイジはそういう印象を受けた。
〈キーワードは、『ギルガメッシュ』、『黄金仮面』、『財団X』……ここまでは、君が先日依頼したように検索済みだ。だが、どうにもルーツが絞りきれない。そもそも、ギルガメッシュ本人自体が神話と伝説と謎に満ちた英雄だ。むしろぼくは、個人的に彼のことを調べてみたいよ。いやじつに興味深い〉
「……それは後にしてください。それより、奴らを何者が、いつ、どういった目的のもとに生み出したのか。なにも分からないということですか」
〈そうなんだ。財団との繋がり、国内外での犯罪までは閲覧できる。だが、それ以上が不明瞭で遡れない〉
運転は自動操縦に任せたまま、春奈は口元に指をやって思案した。
そしてポツリと、
「……地球の全ての事象を記録している『本棚』で検索できない。ということは、そもそも地球にそれの記憶がない」
とつぶやいた。
自身の言葉に、彼女はハッと息を呑んだ。だが顔を上げたときには、冷徹な女捜査官に戻っていた。
「キーワードを変更。『財団X』を除外。代わりに追加。……『眼魂』、そして『イダルマ』」
呪文のような言葉の中に、最近よく耳にする単語と、逆にまったく聞き覚えのないワードが入り混じる。だが、他人が介在する余地のないふたりの会話を折ることはためらわれた。
〈……なるほど、そういうことか!〉
多少興奮入り混じった声で、少年が言った。
〈たしかに、異世界の代物ともウワサされる眼魂に端を発するというのであれば、地球の本棚で調べきれないのも納得がいく。いや、さすがだハルちゃん。まさか答えそのものへ行き着こうというのではなく、消去法の手段として本棚を使うとは。お母さんゆずりの豪快さと、父親ゆずりの頭の冴えだ〉
「両親は関係ありません。あと、ハルちゃんはやめてください……」
エイジのほうをそれとなく気にしながら、照井春奈は顔をしかめた。
電話の相手はどうやら豊富な知識量を持つらしいが、反面人の機微にはうといようだった。
春奈の不機嫌さをさらりと流すようにして、電話の魔少年は少し時間を置いてつづけた。
〈君の言った条件で、あくまで地球上で起こった事象に絞り込んだうえでの検索を完了した。眼魂がらみの事件を何度も解決していた民間の集団がある。そして彼らの中核ともいえる人物がふたり、ギルガメッシュの登場と前後して立て続けに失踪している。うち一名には、その『イダルマ』という男との接触が確認できた〉
「その、組織の名は?」
食い入るようにその端末をにらむ春奈とエイジ。だがその答えは、電話の向こうの荒々しい扉の開閉音によってかき消された。
〈なんだ。いたのかい〉
〈おい、ハルって……まさか、今それ春奈とつながってんのか!?〉
聞こえてきたのは、べつの男の声だった。
少年とは真反対に、どうにも言葉に感情が出やすいタイプらしい。そしてこの男も、言葉から推量すると春奈とは知らない仲ではないらしい。
だが彼女はというと、男の声が聞こえた直後、その横顔から感情の色が消えていた。
〈あぁ、彼女の依頼を受けて調べものを……って、ちょっと?〉
〈いいから、ちょっと貸せ!〉
電話を『相方』から奪い取ったらしいその男は、
〈うぉいゴラ春奈ァ!〉
という大喝から始まり、早口でまくし立てた。
〈お前日本に帰ってきてんならなんで風都に帰ってこねぇ!? この親不孝モンの不良娘が! こっちは色々心配してやってんだぞ、せめて連絡ぐらい〉
春奈は真顔で、かつ無言で、スピーディーによどみない動作で、通信終了のボタンをタップした。
「……今の、なに?」
「私に質問するな」
そう言うがはやいか、彼女は車が赤信号で停車したのを見計らって、自動運転から手動へと切り替えた。
ふたたび青になると同時にギアを切り替え、角度を攻めてUターンした。
大きく揺さぶられ、エイジは窓ガラスに頭をぶつけた。
その痛みをこらえながら、
「今ので何かわかったの!?」
と、重ねて質問をする。
二度目の『私に質問するな』は、なかった。
「聞いてのとおりだ。余計な茶々が入ったが、あそこまで分かればあとはForest1のデータベースで照会できる」
ハンドルを握りしめながら、通話を切ったその手で今度は端末でべつの操作しはじめた。
ディスプレイに表示された文言に目を通した彼女は「やはりな」とちいさく独り言を漏らした。
「その民間組織の名は、『不可思議現象研究所』。場所は陸堂市瞳ヶ丘五丁目。……