鈴蘭寮の艦娘達   作:雨守学

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寮の前の桜も満開になり、花びらを散らしていた。

 

「おはようございます。提督さん」

 

庭を掃除する鹿島は、いつものようにニコッと笑った。

 

「おう」

 

「もう少しで掃除が終わるので、食堂に来てください。朝食、ご用意しますよ」

 

「悪いな」

 

「いえ、私が提督さんにしたいだけなので」

 

「そうか……」

 

「じゃあ、後で。うふふ」

 

「ああ……」

 

鹿島……。

 

 

 

食堂では、大和が朝食をとっていた。

 

「おはようございます、提督」

 

「おう」

 

「朝食は……」

 

「鹿島が用意してくれるそうだ」

 

「そうですか」

 

隅に置かれたテレビは、全国的に桜が満開になったと報じている。

 

「あの……提督……」

 

「なんだ?」

 

「言いたくなかったらいいんですけど……。その……噂を聞きまして……」

 

「言ってみろ」

 

「提督が、鹿島さんと陸奥さんを振ったと……」

 

「…………」

 

「それって……本当ですか……?」

 

「ああ、本当だ……」

 

そこに、鹿島がやってきた。

 

「お待たせしました。今、準備しちゃいますね」

 

「ああ」

 

調理場へと向かう鹿島を、大和は横目で追った。

 

「どうして……って顔してるぜ」

 

そう言われた大和は、隠すこともせず、身を乗り出した。

 

「もしかして……鹿島さんは諦めてないのですか……?」

 

「ああ……そう言われたよ……」

 

そう……山城が男とデートした翌日……俺は陸奥と鹿島に返事をした。

 

…………「すまん……」

 

…………「どうして……? 分からないわ……。どっちも断るなんて……」

 

…………「提督さん……」

 

…………「お前らの気持ちを知って、恋を知って……色々思う事はあった。恋もいいもんだと思えた……」

 

…………「じゃあ……!」

 

…………「だが……俺が必要だと思ったものとは……どこか違う気がしたんだ。俺が欲しかったのは、恋人じゃねぇのかもしれん……」

 

…………「そんな……」

 

…………陸奥に反し、鹿島は冷静だった。

 

…………「じゃあ……提督さんの欲しいものって……何だったのですか……?」

 

…………「……分からねぇ。だが……お前らの言う恋とか恋人とは違う……。そんな気がした……」

 

…………「……提督さんは……私たちが好きじゃないんですか?」

 

…………「好きだとか嫌いだとかではない……」

 

…………「好きか嫌いかだと思います。私には……提督さんが欲しいもの……なんとなく分かります。だからこそ……言っているのです」

 

…………「…………」

 

…………「お返事は受けます。でも、私は諦めません。きっと提督さんは、まだ私たちを好きでいられないだけです。好きになってもらえれば、その意味が分かるはずです」

 

…………「鹿島……」

 

…………そう言うと、鹿島は陸奥を見た。

 

…………「陸奥さんは……どうするんですか……?」

 

…………「私は……」

 

…………陸奥は深く目を瞑ると、眉をさげた。

 

…………「分からない……。でも……これだけやって貴方の心が動かせられなければ……もう……」

 

…………「ごめんなさい」とだけ言って、陸奥は去っていった。

 

…………「…………」

 

…………残された鹿島は、ニコッと笑った。

 

…………「提督さんは何も気にしなくていいです。私たちが一方的に好きになっただけですから……」

 

…………そう言うと、鹿島は背を向けた。

 

…………「私もいつものように、提督さんを好きでいます。絶対……振り向かせて見せますから……」

 

…………「…………」

 

…………「では……」

 

あれから数日。

鹿島はまだこうして俺を好きでいてくれている。

陸奥は何も変わっていないように見えるが、俺の部屋を訪れる事は少なくなったように感じる。

 

「鹿島さんの気持ちは……本物なんですね……」

 

「好きでいてくれるのは嬉しいが……俺は……」

 

「提督……」

 

しばらくして、鹿島が朝食を持って来てくれた。

嬉しい事だが、鹿島の気持ちを考えると、心苦しいものがあった。

 

 

 

好きか嫌いか。

鹿島はそう言った。

それが何を意味しているのかは分からないが、俺に必要な人が異性である限り、それは避けられないものであるとは思っている。

 

「難しいな……」

 

いっその事、恋に染まってしまってもいいかもしれない。

管理人としてではなく、男として……。

 

「提督……」

 

「おわっ!?」

 

振り向くと、山城がいた。

 

「お前……どうしていつも後ろから……」

 

「すみません……」

 

「何か用か?」

 

「えぇ……。実は、彼が……この前の彼が、お花見をしようと……」

 

「そりゃよかったじゃねぇか」

 

「他の男性陣も来るので、鈴蘭寮のみんなもどうかという話になりまして……」

 

「それで?」

 

「その……あの……」

 

「なんだよ? はっきりしねぇな……」

 

「買い出しの為に……車を出してほしいんです……」

 

それを聞いた俺の表情を見て、山城はさらに申し訳なさそうにした。

 

「む、無理ならいいんです……無理なら……」

 

鏡を見ると、俺の気持ちが表れていた。

だがなぁ……。

山城の頼みだし、恋の後押しをしてやりてぇし、出来る事なら、あいつらにも――。

 

「……よし、分かった。お前の頼みだしな」

 

「あ、ありがとうございます! 実はもうオッケーだと言ってしまっていたので助かります……!」

 

そう言うと、山城は皆に報告しに部屋を出ていった。

 

「…………」

 

 

 

 

花見のメンバーはいつもの7人で、酒は飲めないが鈴谷も参加するようだった。

 

「いよいよ明日かー。鈴谷、合コンとか参加した事ないからドキドキなんですけどー」

 

「別に合コンじゃねぇだろ」

 

「合コンみたいなもんっしょ。あーどうしよう。山城さんみたいに一目惚れされちゃったら」

 

「おめでたい奴だな……」

 

まあ、そうなったらそうなったらで、いいのかもしれねぇけど……。

 

「提督さんは本当に参加されないんですか?」

 

「ああ。アッシー君ってやつだ」

 

「そんな死語知ってるのね」

 

「お前らも、いい奴見つけて来いよな」

 

そう言ってやると、鈴谷達からブーイングが飛び出した。

 

「提督さぁ……自分を好きでいてくれる人にそれはないんじゃなーい?」

 

「貴様にはデリカシーってやつがないのか?」

 

「最っ低……」

 

「呆れたものだな……」

 

大和に助けを求めたが、苦笑いするだけだった。

 

「……悪かったよ」

 

「いえ、私は……」

 

「別にいいわよ。もう提督の事は諦めたし」

 

陸奥がそう言うと、皆少し驚いた顔をした。

 

「陸奥さん、諦めたの?」

 

「えぇ、なんかもう疲れちゃった。だって提督、全然私の事見てくれないんだもん」

 

俺は何も言えなかった。

皆も同じようで、シンと静まった。

 

「やだ、何よこの空気? 別に普通の事じゃない。振られたから諦める。そうじゃない?」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「私だって、好きじゃない人に告白されたら断るもの。それをされただけ」

 

そう言うと、陸奥は鹿島を見た。

 

「違うかしら?」

 

鹿島は何も言わなかった。

それが答えだと、陸奥も分かっていたのだろう。

 

「……なんて。簡単に忘れられないのも事実だし、貴方よりいい男を早く見つけないとね」

 

陸奥が笑ったのを見て、皆も肩の力を抜いた。

 

「そ、そうだよ! 提督なんかよりいい男は星ほどいるしねー!」

 

「確かに」

 

「同感だな」

 

それから皆、いつもの調子を取り戻し、ワイワイ騒ぎだした。

陸奥の笑顔の下に、どんな表情があるのかは分からないが、今はその気持ちを本物として受け取るしか、俺には出来なかった。

 

 

 

そして花見当日。

買い出しを済ませ、花見会場へと皆を送った。

 

「そんじゃー行ってくるねー」

 

「気を付けてな」

 

一応、ポケットマネーで遊べる分だけ渡してある。

まあ、それくらいはな。

 

「さて、帰るかな……」

 

あいつらが帰ってくる頃には、何か進展しているといいがな。

 

 

 

寮に帰り、部屋で仕事をしていたが、どうも静かすぎて落ち着かない。

 

「却って、うるさい方が俺にはあってたのかもな……」

 

あいつら、今頃盛り上がってんのかな。

既にカップルが成立してたりして……。

 

「…………」

 

いつか、あいつらもいなくなる。

そうなったら、今のように――。

 

「はぁ……」

 

そんな事で仕事を投げていると、羽黒と那智が部屋にやってきた。

 

「司令官さん、良かったらお出かけしませんか?」

 

「お前たちから誘ってくるなんて、珍しいな」

 

「貴様が暇してると聞いて、羽黒が気を遣って誘ってくれているんだぞ」

 

「そりゃどーも……」

 

まだ仕事は残っているが、こういうのもありだろう。

これからは、あいつら以外ともこうして交流をする必要も出てくるだろうしな。

 

「んじゃ、気を遣われるかな」

 

「そうしておけ」

 

それから三人で映画を見たり、買い物をしたりした。

この二人と出かける事はあまり無かったから、少しだけ新鮮だった。

 

 

 

寮に戻る頃には、花見組も戻って来ていて、俺の部屋には鈴谷と鹿島がいた。

 

「提督、おかえりー。どこ行ってたの?」

 

「羽黒と那智の二人と出掛けてたんだよ」

 

「へー珍しいじゃん」

 

「俺が寂しそうだから、気を遣ってくれたんだと」

 

「やっぱり提督には鈴谷達が必要って事ー?」

 

「かもな」

 

あっさり受け入れた俺の態度に、鈴谷はつまらなそうに口を尖らせた。

 

「で、どうだったんだよ?」

 

「一応、全員の連絡先ゲットしたよ。まぁ、鈴谷的にはあんまりーって感じかな」

 

「偉そうだな」

 

「偉いもん。門限も守るしねー」

 

「鹿島はどうだったんだよ?」

 

「鈴谷さんと同じです。私には提督さんがいますし」

 

「だってー! ヒューヒュー!」

 

「茶化すな。他の連中も同じ感じか?」

 

俺がそう言ってやると、二人の表情が少し曇った。

 

「それがさ、陸奥さんと大和さんが告白されたんだよね」

 

「陸奥と大和が?」

 

「えぇ……大和さんは「お友達から」と言ったのですが、陸奥さんは「いいわよ」と、即答でした……」

 

「そうか……」

 

陸奥の奴、意外と切り替えが早いんだな。

 

「でも、陸奥さん、無理してる気がするよね」

 

「そうですね……」

 

「どういうことだ?」

 

「えー!? 今の話で分かんないかなー……。提督って本っっっ当に、女心が分かってないよね」

 

「悪かったな……」

 

「普通さ、すぐに気持ちを切り替えられる訳ないんだよ。だって、今までずっと提督を好きだったんだよ? 他の男にも目も暮れず……」

 

「陸奥さん、提督さんを忘れようとしてるんじゃないでしょうか……? あんな事言ってましたけど、それはきっと、自分にそう言い聞かせていたんだと思いますよ……」

 

なるほどな……。

 

「どうにかしてやりてぇけど……俺が原因だしな……。鈴谷、鹿島。悪いが、陸奥の奴を気にかけてやってはくれねぇか? 俺に出来る事ならやる様にするからよ」

 

「はい」

 

「うん、分かった。提督も今一度、陸奥さんへの気持ちを考えといて」

 

「ああ」

 

陸奥への気持ち……か……。

 

 

 

風呂を出て部屋に戻る途中、食堂にいた大和と目が合った。

 

「お前、最近よくこの時間にいるな」

 

「えぇ、まあ……」

 

共用冷蔵庫にあった麦茶を注ぎ、大和の近くに座った。

 

「聞いたぜ。告白されたんだって?」

 

「はい。唐突だからびっくりしちゃいましたけど」

 

「山城が成功したから、そのノリだったのかもな」

 

「そうかもしれません。お酒も入っていましたし」

 

この時間の食堂は、他に誰も居なくて静かだった。

テレビもつけず、こいつはいつも何をやっているのだろうか。

 

「いつもならお断りするんですけど、少しでも変わろうと思いまして「お友達から」お願いしたんです」

 

「相手はなんて?」

 

「「是非!」との事でした」

 

相変わらずモテるな。

相手を選びたくなる気持ちも分かる気がする。

 

「今度、二人で遊んでみようと思うんです」

 

「ほう」

 

「案外楽しかったりするかもしれませんし、相手も「遊びたい!」との事だったので」

 

「そうか。上手く行けばいいな」

 

「えぇ、そうですね……」

 

その言葉とは裏腹に、大和の表情は明るく無かった。

 

「そう言えば、陸奥さんも……」

 

「ああ、それも聞いたよ。即答したんだろ? でも、鈴谷や鹿島に聞いたが、それは本心じゃなくて……その……」

 

「提督を忘れようとしてるんじゃないか……ですね」

 

俺は少し恥ずかしくなって、返事もせず、ただコップを手のひらで転がすのみだった。

 

「陸奥さんの気持ちはよく分かります。大和も、あの人を忘れようと思って、この寮に入ったわけですし……」

 

「…………」

 

「それに、今だって――」

 

そこまで言うと、大和は口を紡いだ。

 

「――とにかく、陸奥さんの気持ちは痛いほど分かります。でも今は、そっとしておくのが一番です。気持ちの整理が必要でしょうし……」

 

「そうだな……」

 

「提督も、見つかればいいですね。自分に必要ななにか」

 

「ああ」

 

それを見つけた時、俺はどうなっているのだろう。

そして、この寮にどんな影響があるのだろうか。

現に、俺は鹿島と陸奥の二人に影響を与えてしまっている。

悪い方向へと……。

 

 

 

それからというもの、陸奥は頻繁に出かけるようになり、夜遅くに帰ってくることも珍しくなくなった。

 

「陸奥さん、今日も遅いんだねー」

 

「山城さんも同じですね。お二人とも、相手と上手くやっているようで安心しました」

 

「やっぱさー、帰りが遅いって事はさー、その……アレとか……?」

 

「アレ?」

 

「だからー……ほら、大人の男女が夜遅くまでヤる事と言ったらさー……」

 

そこまで聞いて、鹿島は顔を真っ赤にした。

 

「す、鈴谷さん!」

 

「あれ? 鈴谷、まだ何も言ってないんですけどー?」

 

「も、もう! 提督さんも何か言ってくださいよ!」

 

「お前らうるせぇんだけど……」

 

時計を見ると、消灯時間が近づいていた。

 

「そろそろ帰れ」

 

「えー? 鈴谷的には、アレ、提督としてもいいかなーって思うんだけど……これからどうかな?」

 

「ななな、何を言ってるんですか!?」

 

「鹿島さんもどーよ?」

 

「わ、私は……その……て、提督さんは……どう……ですか……?」

 

「いいから寝ろ」

 

「え……えぇぇぇぇぇ!? ほ、本当にするんですか!?」

 

「あ?」

 

「鹿島さん……鈴谷が悪かったよ……。頭の中、そのことでいっぱいだもんね……しょうがないよ……」

 

「え? え?」

 

何か勘違いしている鹿島を連れ、鈴谷は部屋を出た。

 

「さてと……」

 

山城はともかく、陸奥の奴も、案外上手く行ってるんだな。

心配していたが、あいつの事だし、杞憂だったか?

 

 

 

結局、消灯時間を過ぎても陸奥は帰ってこなかった。

 

「ただいま戻りました」

 

「おう、お帰り山城」

 

「すみません……遅くなりました……。もう皆さん、寝ちゃってますよね……」

 

「ああ。陸奥の奴がまだ帰ってきてないがな」

 

「そうですか……。あの、提督にお土産があるんですけど……良かったら……」

 

そう言うと、山城はコーヒー豆と、手挽きミル、その他諸々を取り出した。

 

「コーヒー、お好きですよね?」

 

「インスタントだがな」

 

「彼も好きなんです……。だから、色々教えてもらって……」

 

「いいのか? 貰ってしまって」

 

「提督には色々とお世話になりましたし……感謝してますので……」

 

山城は恥ずかしそうに目を逸らした。

 

「そうか……。ありがとう、山城」

 

「まだ……起きてますか? 良かったら、淹れますよ……」

 

「いや、大丈――」

 

そこまで言ってやると、山城は少し残念そうな顔をした。

 

「――やっぱり貰おうか。陸奥を待ってみようと思うし、仕事も溜まってんだ」

 

「わ、分かりました! お湯、沸かしてきますね!」

 

「ああ、頼む」

 

しばらくすると、お湯を持った山城がその場でコーヒーを淹れ始めた。

 

「ペーパードリップって言うんです。こうやって、紙の臭みを取るために、まずお湯だけいれるんです」

 

「ほう」

 

「そしたら、挽いた豆でコーヒーを淹れて……あ、こうやって蒸すとですね?」

 

神社の事もそうだが、こいつは好きになると、とことんこだわるタイプなんだな。

きっとこのコーヒーも、あの男が好きだから、自分も合わせるようにと、頑張って覚えたのだろう。

 

「聞いてますか提督?」

 

「ああ。それからどうするんだよ?」

 

「そしたらですね……」

 

説明する山城の顔は、とても活き活きしていた。

いい男を見つけたな、本当。

鹿島や陸奥にも、こういう顔をしていて欲しいものだ。

 

「はい、出来ました。どうぞ」

 

「いい香りだ。いただく」

 

一口啜る。

 

「どう……ですか?」

 

「美味い……! 何だこりゃ!? インスタントなんか比較にならねぇくらい美味い……!」

 

「でしょう? これは豆もそうですけど、淹れ方も大事なんです!」

 

「こりゃ仕事も捗りそうだ。ありがとう山城」

 

山城は少し恥ずかしそうに笑った後、俺を真っすぐと見た。

 

「私こそ、ありがとうございます。この鈴蘭寮に入って、提督と出会えて、本当に良かったです。私、もう不幸なんかじゃありません。今が一番幸せです」

 

「山城……」

 

俺は鈴蘭寮にいい影響を与えられるか不安だったが、こうして感謝してくれる奴もいるなら、頑張ったかいがあったと言うものだ。

 

「提督、泣いてません?」

 

「泣くか馬鹿。あくびだよ。お前こそ、何かウルウルしてるぜ?」

 

「あくびです」

 

そんなやり取りがなんだかおかしくて、涙は笑い涙となって、互いの頬を伝った。

 

 

 

山城のコーヒーのお陰で、日を跨ぐ時間になっても、眠くならず、仕事に集中できた。

 

「フフ……」

 

あいつの嬉しそうな顔が忘れられないのもあるけどな。

 

「しかし……陸奥の奴おせぇな……」

 

もしかしたら、今日は帰って来ねぇのかもしれない。

変な事故に巻き込まれてなきゃいいがな……。

 

「メールしてみるか……」

 

そう思い携帯電話を手に持った時、廊下から何やらヨタヨタと歩く音が聞こえ、俺の部屋の前で止まった。

 

「ただいまぁ……」

 

顔を真っ赤にした陸奥は、倒れるようにして部屋へ入ってきた。

 

「おう、お帰……って、酒臭っ!」

 

「当たり前じゃない……飲んできたん……らからぁ……」

 

こりゃ相当飲んでんな……。

 

「大丈夫かよ……? ほら、水飲め」

 

「ありがと……」

 

水を飲み干すと、壁に寄りかかり、うつろな目で俺の方を見た。

 

「結構飲んじゃったわぁ……」

 

「そのようだな。男と一緒だったのか?」

 

「途中まではねぇ……。聞いてよ……私……振られちゃったんだぁ……」

 

「あ?」

 

「なーんか……一緒に居てもつまんないんだってー……。でも、しょうがないわよね……私だってつまんなかったんだもん……」

 

「それで深酒か?」

 

「そーよ……悪い……?」

 

そう言うと、拗ねるように頬を膨らませた。

やっぱり、無理して付き合ってたのか……。

 

「……それ……買ったの?」

 

「あ?」

 

「そのコーヒー挽くやつ……」

 

「ああ、これは山城がくれたんだ。相手と上手くいってるみたいでな。感謝の気持ちだと」

 

「ふぅん……。じゃあ……もう私のコーヒーなんていらないわね……」

 

正直、そうかもしれない。

そうは言えないが……。

 

「う……うぅ……」

 

それは突然の事だったから、俺は本当に驚いた。

陸奥はポロポロと大粒の涙を流した。

 

「どうして……どうして提督は……私を除け者にしようとするのよぉ……」

 

「な、なにがだよ? 別に除け者なんかにしようとしてねぇだろ?」

 

「早く私に相手が見つかればいいと思ってるし……コーヒーも自分で挽こうとしてるし……。私なんて邪魔なだけなんでしょお……? デートだって全然してくれなかったし……」

 

マズいな……。

酒のせいもあるが、変なスイッチを押してしまったらしい……。

 

「どうしてそんなに簡単に捨てられるのよぉ……。私なんて……貴方を忘れようと必死なのに……」

 

「!」

 

「誰と付き合ってみても……貴方の事が忘れられなくて……うぅ……振られたって分かってるし……私に振り向いてもらえないって分かってるけど……」

 

「陸奥……」

 

やはり俺が原因か……。

 

「……確かに俺は、お前に早く相手が見つかればいいと思っている」

 

「うぅ……」

 

「だが、それはお前だけに言える事じゃねぇ。この寮にいる全員に思ってることだ」

 

「え……?」

 

「俺は……この寮の管理人だ。お前らを自立させる為に、ここに来た」

 

陸奥は涙を拭いて、言葉を待った。

 

「……お前には話してなかったな。何故俺が管理人になったのか……」

 

聞いている間、陸奥は酔いが醒めてきたのか、徐々に平生を取り戻していった。

 

「――という感じだ。隠すつもりは無かったが、暗い話題だし、話せずにいたんだ」

 

「そう……だったのね……」

 

「男として、管理人として……どちらの立場にもいえるものが、今の俺に必要なものなんだ。恋は……そうじゃないと思った。だから……」

 

「……分かったわ。よく分かった……」

 

「陸奥……」

 

「貴方は優しい人なのね。分かっていたことだけど、改めてそう思ったわ」

 

「…………」

 

「私は、男として貴方が好きだった。でも貴方は、管理人として、私を見てくれていたのね」

 

「ああ……」

 

「その違いかぁ……。見られてないと思う訳だわ」

 

涙はとっくに乾いていた。

 

「貴方の欲しいもの……私の欲しいもの……。貴方は私の欲しいものを持っているのに、私は貴方の欲しいものを持って無かった……」

 

「すまん……」

 

「ううん……。やっとスッキリしたわ。これで貴方の事、諦められそう……」

 

「陸奥……」

 

陸奥は真っすぐ俺を見た。

 

「……鹿島さんは、貴方の欲しいものが何だか、分かっているようだったわ。今の私にも、それが何なのか分かった気がする」

 

「…………」

 

「だからこそ、身を引くのよ……?」

 

「どういう意味だ?」

 

「私にはそれが無いとはっきりわかるし、それに適した人が、この寮には二人もいるのだもの……」

 

「二人……」

 

「鹿島さん……そして……大和さん……」

 

どうしてその二人なのか、理由は分からなかった。

だが、絶対にその二人が来ると、何故だか分かっていた。

 

「貴方は言ったわね。好きか嫌いかではないと……。でも、その二人がいる限り、貴方はそれを避けることは出来ない」

 

俺は何も言えなかった。

否定はしたが、おそらくそうなるだろうと、本当は心の奥底では思っていたからだ。

 

「……でもまあ、大和さんだけは貴方に気があるとは言っていないし……鹿島さんだけなのかもしれないけれど……」

 

「…………」

 

「もしかしたら……「貴方が」大和さんを好きになるかもしれない……」

 

俺が……。

 

「……ねぇ、提督」

 

「なんだ……?」

 

「貴方が誰かのものになる前に……一つだけお願いがあるの……」

 

「お願い……?」

 

「もう一度……キスして欲しいの……。今度は……貴方から……」

 

陸奥の表情は真剣そのものだった。

 

「最後の思い出……欲しいの……」

 

陸奥は顔を近づけ、俺を待った。

 

「……分かった」

 

秒針がやけにうるさく聞こえる。

陸奥の息遣いも、徐々に大きくなっていった。

 

「――……」

 

唇が触れる直前で、俺は陸奥を離した。

 

「どうしたの……?」

 

「……すまん。俺には……出来ない……」

 

「どうして……?」

 

「俺が欲しいもの……それを手に入れる為に好きか嫌いかを選ばなければいけないのなら……ここでキスなんてしちゃいけねぇと……思ったんだ……」

 

自分でも言っている意味が分からなかった。

だが、ここでキスしてしまえば、俺は恋というものを受け入れられない気がしていた。

 

「……合格ね」

 

「え?」

 

「ここでキスして来たら、殴ってやろうと思っていたわ」

 

「お前……」

 

「恋に本気で向き合う決心があるか……それを知りたかったの。貴方は、いつか自分の隣にいるその人の為に、私を離すことが出来た」

 

「…………」

 

「ごめんね。試すようなことして……」

 

「いや……」

 

沈黙が続く。

 

「……さて、私はそろそろ部屋に帰ろうかしら。お休み提督」

 

そう言って、陸奥は部屋の外へと出ようとした。

 

「陸奥」

 

「なぁに?」

 

「……ありがとう」

 

「……うん」

 

表情を見せず、陸奥は部屋を出ていった。

 

 

 

翌日。

あんな事があったから心配していたが、陸奥はいつものように振る舞っていた。

 

「おはよう提督」

 

「おう」

 

「コーヒー飲む? それ貸してくれたら、お姉さん作ってあげるわよ?」

 

「つくれるのか?」

 

「今はネットで何でも出てくる時代なのよ? 食堂で待ってて」

 

そう言うと、陸奥はミルなどを持って部屋を出ていった。

 

 

 

食堂では、鈴谷達が朝食を取っていた。

 

「ちーっす提督」

 

「おう」

 

鈴谷の隣にいる山城は、少し眠そうだった。

 

「山城さん、昨日は遅くに帰って来たんだってー?」

 

「え、えぇ……まあ……」

 

「やっぱりさー、そう言う事したのー?」

 

「そう言う事……?」

 

「鈴谷、それくらいにしておけ。朝だぞ」

 

「いいじゃん別に。ね、どうなの?」

 

山城は訳の分からないと言った感じでパンをかじった。

まあ、まだだろうな……。

 

「はい、提督。コーヒーよ」

 

「おう、ありがとう」

 

「わぁ……いい匂い……。これ、陸奥さんが淹れたの?」

 

「えぇ」

 

「山城が手挽きのミルと豆をプレゼントしてくれたんだよ」

 

「へー、鈴谷も一杯欲しいなー」

 

「ですって、山城」

 

「分かりました。最高の一杯をお作りしましょう。まずですね……」

 

山城の目の輝きを見て、鈴谷は少しマズい顔をした。

 

「味はどう? 提督」

 

「ああ、美味いよ」

 

「そ、良かった」

 

陸奥の笑顔を見て、大和は少し驚いた顔を見せた。

 

「どうかしたか?」

 

「ああ……いえ……なんというか、陸奥さんの機嫌がなおっているというか……いつもの陸奥さんに戻ったと言うか……」

 

「色々あったのよ。ね、提督」

 

「まあ、そうだな」

 

「何があったんですか?」

 

朝食を持って、鹿島が会話に入ってきた。

 

「怪しいです……」

 

「ちょっと昨日……と言うより、今日あったのよ。そう。皆が寝静まった「今日」にね……ウフフ……」

 

「そう言えば陸奥さん、昨日は消灯時間になっても帰ってこなかったですよね? 朝帰りでも無かったし……深夜に帰って来たのですか?」

 

「えぇ、そうよ」

 

「そ、そんな時間に提督さんと何かあったというんですか……?」

 

陸奥は意味ありげに微笑むだけだった。

 

「て、提督さん! 一体何があったと言うんですか!?」

 

「別に、普通に話をしただけで……」

 

「そんな時間に会ってた事は認めるんですか!?」

 

「そうね。唇が触れそうなくらい、顔を近づけて……ね」

 

「おい」

 

「ななな、なんて破廉恥な……!」

 

またギャーギャー騒ぎだしたので、どう収めようか考えていた所で、陸奥が零した。

 

「冗談よ。私、この前の男と別れたの。そのことで話をしただけ」

 

「え……?」

 

場が鎮まる。

山城だけは真剣にコーヒーを淹れていた。

 

「提督を忘れたくて、意地を張っていただけ。今はもう、諦めることが出来たわ」

 

そう言うと、陸奥は鹿島をじっと見た。

 

「貴女には諦めないでいて欲しいわ。この人が欲しいもの……私にも分かったから……その上で貴女には頑張ってほしいと思っているわ」

 

「陸奥さん……」

 

そして、陸奥は大和にも視線を送った。

何も言わなかったが、大和は何故か視線を逸らし、じっと空になった湯呑を見ていた。

 

「出来ました!」

 

空気を変えたのは山城だった。

 

「いい出来です! さあ、鈴谷さん、どうぞ!」

 

それを聞いて、皆大いに笑いだした。

 

「え? な、なんです?」

 

「いや、ナイスだ山城」

 

「???」

 

やっぱり、鈴蘭寮の連中には暗い話題は合わないな。

どうも気が抜ける事が起きてしまう。

 

「ま、そう言う事よ。貴女も落ち着いて、座ったらどう? 冷めちゃうわよ?」

 

「あ、はい……」

 

鹿島は納得のいかないような表情で、席についた。

 

「まあいいわ……。どうぞ鈴谷さん」

 

「いっただきまーす……んんっ……なにこれ苦ーい……」

 

「子供にはこの味は分からんだろうな」

 

「な……!」

 

「まあ……そうですね……」

 

「山城さんまで!?」

 

食堂に再び笑いが起きた。

 

「貴方が欲しいもの……こういうのでしょ?」

 

陸奥は小さくそう言った。

俺は何も言わなかったが、陸奥はニコッと笑った。

 

「素敵じゃない。応援してるわ」

 

誰が持ってきたのか、窓際の鉢には、色とりどりのバーベナが植えられていた。

 

「ああ……」

 

その中でも、ピンクのバーベナだけが、朝の陽を浴びていた。

 

――続く。

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