お試し恋人については、しおいと鹿島がすぐさま皆に広めていた。
「っていうかさ、陸奥さんはそこんとこどう思うの?」
「んー……そうねぇ……。今だからこそ応援したいけれど、昔だったら寮を出るレベルにはショックだったかもね」
「今はいいの?」
「今は提督の気持ちも理解できたし、もう諦めたから」
「そっか……」
鈴谷がこちらをギロリと睨んだ。
「なんだよ……?」
「別にー?」
あれから数日。
特に大きな問題もなく、鈴蘭寮はいつものように平和を保っている。
「しっかし、しおいちゃんも凄い提案をしたもんだねー。ちょいちょーい」
自分の膝の上に乗せたしおいの手で、鈴谷は遊んでいた。
猫でも弄ぶかのように。
「えへへ、そっかなー」
しおいは褒められていると思って、嬉しそうにしていた。
子供って単純だよな。
「キスまではオッケーだなんて、もはや恋人ですね」
「オッケーしたつもりはないんだけどな……」
あれから大和はいつも通りで、鹿島やしおいがこの事を言いだすまで、何も言っては来なかった。
それが逆に、俺を不安にさせた。
「大和もお試し恋人、してみようかな」
「そう言えば大和さん、この前の人とは上手くいったー?」
「んー……まだまだですね。お互いの都合も合わなくて……中々……」
「大和さん、本当にその人と上手くやろうと思っているの?」
陸奥がそう問うと、大和は少し眉をひそめた後、すぐに平生を取り戻して「そうですね」と答えるだけだった。
「みんな、恋の話が多いんだね。しおいもいつか恋、するのかなー?」
「しおいちゃんにはまだ早い話かもねー。これは大人の話だからさー」
「なーにが大人の話だ。クソガキの癖に」
「あー! またクソガキって言った! 鈴谷はもうガキじゃないもーんだ。子供だって産めるんだぞー?」
「そういう所がガキだって言ってんだよ……」
食堂が笑いに包まれる。
いつもの日常。
お試し恋人をすることによって、何かが大きく変わりそうで少し不安だったが、何も変わってなくて安心した。
「提督さん、お仕事中ですか? コーヒーお持ちしましたよ」
「おう。ありがとう」
「冷めないうちに、召し上がれ。ウフフ」
コーヒーを淹れるのは、鹿島だけになった。
皆、気を遣ってくれているのだろうな。
部屋を訪れる者も少なくなったし。
「お仕事、まだかかりそうですか?」
「いや、もう少しで終わる」
「本当ですか? じゃあ……終わったら、鹿島と一緒にまったりしましょうね」
そう言うと、鹿島はべったりと身を寄せた。
最近はずっとこんな感じだ。
恋人がどんなことをするのかよく分からんが、ずっとこうして寄り添っているもんなのだろうか?
「提督さん」
「なんだ?」
「呼んだだけでーす。ウフフ」
……これだけは本当によく分からん。
「仕事も一段落ついたし、外の空気でも吸いに行くか」
「いいですね! どこに行きます? ――とかどうですか? あそこの動物カフェ、行ってみたいです!」
「いいな。しおいたちも誘ってやるか」
いつもの調子でそう言うと、鹿島は頬を膨らませた。
「んっ!」
「どうした?」
「分かりませんか……? んっ!」
「???」
「もう! 怒ってるんですよ!」
「ああ……だから頬を……」
「ああ……じゃあ無いです! なんで恋人なのにデートしてくれないんですか!?」
「してるじゃねぇか。一昨日だって……」
「しおいちゃんが居たじゃないですか! デートは二人でするものです!」
そう言うことか……。
「あれから恋人らしい事、何もしてないじゃないですか……。お試しとは言え、私たちは恋人なんですよ?」
「す、すまん……。恋人って、どういうことすればいいのかよく分からなくてよ……」
「恋人と言うものは、デートもするし、キスもするし、それに……」
そこまで言うと、鹿島は顔を真っ赤にした。
「と、とにかく……もっとこう……ラブラブなものなんです!」
ラブラブ……。
「私はもっと……提督さんとラブラブしたいんです……」
鹿島は少し悲しそうな顔をした。
それを見て、しまったと思った。
「わ、悪い……。不真面目だった……」
「じゃあ……鹿島とラブラブしてくれますか……?」
「あ、あぁ……ラブラブするよ」
何だかラブラブがゲシュタルト崩壊してくる。
ラブラブってなんだよ。
寮を出ようとすると、しおいが一緒に行きたいと飛び出してきた。
鹿島が困った顔をしていると、掃除当番だった大和が察したのか、しおいの気を引いてくれた。
「しおいちゃん、後で大和たちと動物園に行きましょう」
「動物園!? やったー! 行く行くー!」
「すまんな、大和」
「いえ、お気をつけて」
鹿島も一礼すると、そそくさと寮を後にした。
寮を出てしばらくすると、鹿島は俺の手をギュッと握った。
「提督さん!」
何故か怒っている。
「な、なんだよ?」
「もう……どうして手を繋いでくれないんですか!?」
「あ? 拒否してねぇけど……」
「そうじゃなくて! 提督さんから繋いでほしかったんです!」
「お、俺からか?」
「そうです! 考えてみれば、提督さんが私を愛でるような事、一度だってした事ないじゃないですか!」
「そう……だったか……?」
「今日は提督さんが鹿島を愛でてください。恋人なんですから……」
愛でる……。
「じゃあ……」
犬を撫でるようにしてやると、鹿島はまた怒った顔を見せた。
「そうじゃなくて……!」
「違ったか?」
「まあ……これはこれでいいですけど……。でも……むぅ……」
どういう表情をしたらいいのか分からないと言った感じだ。
「提督さんはもっと勉強してください……」
「…………」
「いいですか? もっとこう……体を密着させるんですよ」
そう言うと、鹿島はそっと寄り添って、俺の手を肩にまわした。
「抱き寄せて」
「こうか?」
「そうです。これが基本ですよ?」
気が付くと、往く人々にじろじろと見られていた。
「お、おい、鹿島――」
止めようと鹿島の方を見る。
その表情は本当に嬉しそうだった。
「なんですか?」
「――いや、何でもない」
「変な提督さん。ウフフ」
周りからこんなにも冷たい目で見られているのに、何が嬉しいんだか。
「フフッ……」
それは、自分に対しての台詞でもあった。
――の動物カフェ。
フクロウはもちろんの事、見たこともないような動物とも触れ合えるこのカフェは、常に満席であった。
「わぁ……可愛いですねぇ」
ちょっとけもの臭いのが気になるが……。
「良かったら抱っこしてみますか?」
「いいんですか!?」
店員に促され、鹿島は大きなウサギを抱きかかえた。
「わ、温かい。大人しいですね」
「本当だな」
「提督さんも抱っこしてみますか?」
「あ、あぁ……」
恐る恐る抱きかかえる。
結構熱を持っていて、プルプルと震えているのが分かる。
「提督さん、こっち向いてください」
「あ?」
鹿島の方を向くと、スマホで写真を撮られた。
「えへへ、待ち受けにしよーっと」
「恥ずかしいからやめてくれ……」
「大丈夫ですよ。私しか見ませんし、こんなレアな提督さん、誰にも見せません。鹿島だけの提督さんです。ウフフ」
よくもまあそんな恥ずかしい台詞をさらっと……。
……それを間に受けて赤面している俺も俺だが。
「あ、今度はあの動物を抱っこしてみたいです!」
「お、おい。こいつはどうすんだよ?」
それから色んな動物と触れ合い、茶を堪能した。
気がつけば、時が経つのも忘れて楽しんでいた。
初めて鹿島とデートした時と同じような感覚が、徐々に思い起こされてくる。
ああそうだ。
これは恋の感覚だ。
空が夕焼けに染まる頃、俺たちは――を飛び出して、街を見下ろせる静かな高台へと来ていた。
「あっという間にこんな時間……。恋人になったからこそ、より短く感じちゃいます」
「そうだな」
近くのベンチに座っても、鹿島は手を離すことをしなかった。
「ずっと……ずっと……提督さんとこうすることを……夢見ていました……」
そう言うと、そっと寄り添う。
俺は手を離し、その肩を抱いた。
「ウフフ、分かってきましたね」
「流石にな」
風が木々を騒めかせる。
鹿島は続けるように零した。
「でも……まだ夢の中にいるようです……」
俺にはその意味が分かっていた。
だからこそ、黙っていた。
「提督さん……」
「なんだ?」
振り向くと同時に――だが、それはいつもと違い――。
「鹿しっ……!」
離れようとすると、鹿島は俺の頭を掴んで離さなかった。
最初こそはその感触に驚いていたが、長いその行為に、俺は肩の力を抜いた。
何よりも、鹿島の手が震えていたし、俺以上に、行動した本人が緊張しているようであったからだ。
「…………」
鹿島は静かに顔を離した。
そして、恥ずかしそうに、糸を引く唾液を袖で拭いた。
「これは……まだ……早かったですか……?」
俺が答えに困っていると、鹿島は続けた。
「私は……もっと凄い事……してもいい……と言うか……したい……というか……」
「…………」
「もし……もし……提督さんも同じ考えなら……二人で……その……このまま……」
鹿島の心臓の音が聞こえるようであった。
それは俺も同じで、お互いに息も絶え絶えになりそうなほどだった。
「お試しの一線……越えてみませんか……?」
表情の色は、夕焼けのせいなのか、高揚によるものなのか、もはや分からなかった。
再び、鹿島の顔が近づく。
この行動に応える事が、答えとなると、すぐに分かった。
「鹿……島……」
今までにないくらい、心臓が鼓動している。
男としての反応が、体に現れてゆく。
恋の感覚。
俺は――。
風呂上がり。
寮の食堂には、やはり大和が一人で座っていた。
「おう」
「提督」
俺が来ることを予想していたのか、湯呑は二つあった。
「鹿島さんとのデート、どうでしたか?」
「ああ、楽しかったよ。そっちはどうだ。しおい、任せて悪かったな」
「いえ。大和も楽しかったので」
「そうか」
「恋、分かりそうですか?」
「少しだけな。だが、俺はやはり管理人だ」
結局、鹿島の期待する返事は出来なかった。
――いや、するつもりだった。
男としての決断を。
だが、直前になって、やはりアレが起きたのだ。
「お試しで恋人をやっているから、まだよく分からない所もある。だが、ふと管理人に気持ちが戻る事があって、そうなると、もうすっかり恋の気持ちはさめちまう」
同じことを鹿島に言った。
あいつは「それは私を好きになりきれていないから。絶対に好きにさせて見せる」と言った。
「でも、恋の良さは分かっているのですよね?」
「ああ」
「時間の問題ですよ。大和は……ちょっと恋が分からなくなってきました……」
大和はいつものように、湯呑を両手のひらで転がした。
「思えば、恋なんて、失敗ばかりでした。振られて振られて……いい事なんて、一つも無かったのかもしれません。それなのに、初恋が忘れられなくて……未だにこうして進めずにいる……」
失敗ばかり……か……。
「ん……失敗ばかり? お前、初恋以外に恋をしたことがあるのか」
「え?」
「いや、失敗ばかりって……。振られて振られて……。なんだ、あの男以外に恋をした奴がいたのか」
「あ……いや……すみません……間違えました……。そうですね。失敗ばかりじゃなかった……。たった一回でしたね……」
「それだけ恋に対しての悩みが大きいと言う訳か」
「えぇ……そうですね……」
そう言うと、大和は悲しそうな顔をした。
「でもまぁ……恋が全てじゃねぇしな。俺だって、恋が必要かどうかを知るために、鹿島とこうしているしな」
「そんな事言ったら、鹿島さん怒りますよ。鹿島さんは提督に好きになってもらいたいからお試し恋人しているんですし」
「そうだったな……。軽率だった……」
そうは言ったものの、俺は鹿島が好きだし、もう好きか嫌いかというのは解決しているように俺には思えていた。
俺が知りたいのは、どうして恋の気持ちがピークに達した時、急にアレがきてさめてしまうのだろうという事だ。
俺に必要なものは、家族のような存在。
それが恋に関係していて、好きか嫌いかに関係している。
皆はそう言い、鹿島もそれを信じている。
俺が本当の意味でそれを信じ切れていないのか、それとも――。
「あ、提督さん……」
風呂上がりなのか、鹿島は入浴セットを持って食堂に入ってきた。
「……と大和さん」
「おう、お前も風呂上がりか」
「え、えぇ……。あの……二人はここで何を?」
俺が答えようとすると、大和は席を立った。
「たまたまここに居合わせただけですよ。さて、大和はもうお部屋に戻りますね。お二人の邪魔をしてはいけませんし」
そう言うと、大和は悪戯そうに俺の方を見てニヤニヤと笑って、食堂を後にした。
「風呂上がりか?」
「あ、はい……」
「冷たい麦茶しかないが、飲むか?」
「いただきます」
鹿島が席に座ると、ほのかに石鹸の香りがした。
「大和さんと、何を話していたんですか?」
「ちょっとした世間話だ。あいつも恋に苦戦しているらしくてよ」
「そうですか……」
鹿島の表情は、少し暗かった。
「眠いのか?」
「え?」
「いや、元気ねぇなと思って」
「…………」
「鹿島?」
「提督さん……」
「なんだ?」
「提督さんは……大和さんが好きなんですか……?」
食堂の時計が鳴る。
ここが創設された時に送られた振り子時計だ。
「……どうしてそう思ったんだよ?」
時計の音が消えてから、そう言った。
「……なんとなくです」
切り出し方からは想像できないほど、曖昧な回答だった。
「でも……前にも言った通り……私は大和さんと提督さんが二人で会話しているだけで……不安になるんです……」
今ならその意味がちゃんと分かる。
「お試しの一線を越えられないのも……大和さんがいるからですか?」
「違う」
「じゃあ……」
「……お試しの一線を越えられねぇのは……俺がまだ恋にちゃんと向き合えてねぇからだ。中途半端な気持ちではお前と……その……」
「提督さん……」
「とにかく……心配し過ぎだ。不安になる気持ちも分かるが、俺は男でもあるし、管理人でもあるんだ。あいつも寮の仲間だ。話の一つや二つはする」
「分かってます……」
それでも、鹿島の不安は取れそうになかった。
「少なくとも……」
「……?」
「少なくとも……お試しとは言え……恋人と呼べるのは……お前だけだ……。だから……その、なんだ……」
その先は言えなかった。
「ちゃんと理解している」
鹿島は、そう伝えたかったのだろう。
唇を離すと、鹿島はニコッと笑った。
「フッ……。もうそろそろ消灯時間だ。おやすみ、鹿島」
「お休みなさい、提督さん」
そう言って、鹿島は食堂を後にした。
「さて……」
3つの湯呑を持って、洗い場へと向かう。
「…………」
そう言えば、いつもこの時間に使った湯呑は、大和が洗ってくれていたんだろうか。
自分が洗った記憶はない。
「いつも置きっぱなしで帰っちゃってたしな」
今日は大和が珍しく置いていったな。
たまには洗えって事なのかな。
翌日。
武蔵と長門の二人が、三人で出かけようと誘ってきた。
他の連中も誘ってやろうかと提案したが、何やら重大な話があるとかで、却下された。
まさか、こいつ等にも春が訪れたのか?
――庭園は、桜の季節も過ぎ、特に見どころもないのか、人が少なかった。
「一度来ておきたかったんだ」
明るく振る舞う武蔵とは対照的に、長門はいつもより静かで、ずっと俯きっぱなしだった。
「長門、大丈夫か?」
「あ、あぁ……」
「よし、あそこから回ろうか」
そんな事を気にもせず、武蔵は園内を元気よく回った。
途中、お茶屋を見つけたので、そこで休憩することにした。
「今日は暖かいし、ついソフトクリームを買ってしまったよ」
「武蔵、お前本当に今日は元気だな」
武蔵と長門の対照的な態度に、俺は違和感を覚えていた。
二人に何かあったのだろう。
重大な話があると言っていたが、それと関係が……?
「武蔵……そろそろ……」
長門がそう言うと、武蔵はソフトクリームを食べるのをやめて、大きく深呼吸をした。
「そうだな……。提督よ。大事な話がある」
来た……。
「なんだ?」
「実は……私たち二人――」
「…………」
「鈴蘭寮を……出ようと思っている……」
どこに残っていたのか、桜の花びらが、足元に落ちた。
「ど……どういうことだ……?」
「先日、海軍から直々に連絡があってな。艦娘の学校の教師にならないか……と」
「艦娘の学校……」
「知っての通り、艦娘専用の学校には、艦娘の教師もいる。だが、今はそれが不足しているようでな」
長門が続ける。
「地域によっては……艦娘専用の学校が近くに無くて、一般の学校に通っている艦娘もいるそうだ。しおいがそうだった……。そのような艦娘を受け入れる為、海軍は新たな学校を創設したんだ。私たちはそこに行く……」
情報を整理するのに時間がかかった。
二人はそれを、ゆっくりと待った。
「それは……遠いのか……?」
「ああ……。向こうには教師用の寮もあるらしいから……そこにな……」
「そ……そう……か……」
何て声をかければよいのか分からなかった。
「……皆には言ったのか?」
「まだだ。皆に話す前に、貴様に知っておいてほしかったんだ。あまり大事になっても困るしな」
「そうか……。長門、お前もか。てっきり、男でも見つける為に来たのかと思っていたが……」
「最初はそうだった。しかし、恋と言うものは、中々に難しいものだと知った。あの大和ですら苦戦しているのだしな」
大和の悲しそうな顔が思い出された。
「まだ恋を諦めた訳じゃない。だが、じっとしている訳にもいかない。この話は、私にとって自立への第一歩になりそうなんだ。何ごとも挑戦。提督から学んだことだ」
そう言うと、弱弱しく笑った。
「長門は決断するまでかなり悩んだのだぞ。提督よ、何故だか分かるか?」
「ば……武蔵!」
「何故だ?」
「フフッ……貴様に好意があったからだ」
好意……?
長門の方を見ると、見たこともないくらい顔を真っ赤にして俯いていた。
「貴様が鹿島とお試し恋人になったのを見て、この話を受けようと決意したらしい。だよな、長門よ」
「本当か?」
長門は恥ずかしそうに頷いた。
「いや……その……好意と言っても……他の男に比べてという意味でだな……? 別に……恋の気持ちがあったわけじゃないんだ……」
「フッ……」
武蔵が笑う。
「言うなら、貴様だったらオトせると、長門は踏んでいたようだな」
そう言う事か……。
「しかしまぁ……貴様も今や鹿島の男。諦めるにはいい材料となった……と言ったところだろう」
後押しになったのはいいことだが、複雑な心境だ。
「そうか……。鈴蘭寮を出る……か……」
強い風に煽られて、先ほどの花びらはどこかへ飛んでいった。
「……寂しくなるな」
そう、自然と口から零れた。
本当なら、寮を出る事は良い事だから、祝いの言葉の一つでもかけてやるはずなのに。
「馬鹿……貴様は管理人だろうが。おめでとうの一つでも言ったらどうだ?」
「すまん……」
そう肩を落としたとき、足元にポタリと何かが落ちた。
見上げると、武蔵の手からアイスクリームが溶けて垂れていた。
「武蔵、アイスが――」
その表情を見て、俺の心は締め付けられるようだった。
「提督……」
長門が俺の頭を下げさせた。
そして、武蔵に聞こえないくらい小さな声で言った。
「本当は……武蔵が一番辛い決断をしたんだ。あいつは、鈴蘭寮を……皆を……誰よりも愛していたからな……。もちろん、提督もその一人だ……」
そうか……。
今日の振る舞い……。
長門が特別暗かったんじゃない。
武蔵が無理に明るく取繕っていたんだ。
「明るく送ってくれ。武蔵もそれを望んでいる……」
「……分かった」
武蔵は溶けだしたアイスクリームをがつがつと食べだした。
気分が落ち着いたと思ったところで、俺は声をかけた。
「武蔵、長門、鈴蘭寮卒業おめでとう。もう帰ってくんなよ」
それに、武蔵はニッと笑った。
「刑務所じゃあるまいし、それはおかしいだろ」
「確かにそうだな」
今度は無理せず、自然と笑いあった。
「提督よ、ありがとう。鈴蘭寮を頼んだぞ」
「ああ」
「提督、色々世話になったな。提督から学んだ事、駆逐艦達にも教えていこうと思う。ありがとう」
「……ああ」
そこが、俺の限界だった。
「……花粉症か?」
「そんな所だ……」
二人に慰められながら、俺たちは残り少なくなった時間を、共に過ごした。
そして、卒業当日を迎えた。
武蔵と長門の引っ越しはあっさりしたもので、朝から初めて、午後にはもう二人の姿も、二人の私物もなくなっていた。
「こんなにも急に、それもあっさりいなくなっちまうんだな……」
そう零す俺に、大和は追い打ちをかけるように言った。
「そういうものですよ。管理人なら覚悟してたはずじゃないんですか?」
覚悟はしていたつもりだ。
しかし、いざとなってみると、やはり寂しいものだ。
「いつか……みんなここからいなくなっちまうんだな……」
俺に必要なもの。
家族のような存在。
それは間違ってはいない。
だが、少しだけ違和感があった。
それが、今日の別れではっきりと分かった。
俺は、寂しいんだ。
孤独が怖いんだ。
俺の周りから、どんどん人がいなくなってゆくのが、怖くて怖くて仕方がないんだ。
「提督さん」
鹿島……。
「私は、ずっと傍に居ますよ」
俺の心を読んだかのように、鹿島はそう言った。
そして、そっと寄り添った。
「恋は……大切な人をつなぎとめるのに……必要なものです……」
それを聞いて、俺はすべてを理解した。
何故鹿島が、恋は必要だと訴えていたのかを。
「今の提督さんになら……この意味が分かりますよね……?」
分かる。
分かるからこそ、恐ろしいと思った。
俺は恋をしなければならない。
孤独を避けるには、その道しかない。
そう言われている気がしたからだ。
「待ってますよ……提督さん……」
そう言って、鹿島はニコッと笑った。
――続く。