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結局昼休みに財前に云われたことが頭から離れず、午後の授業も心ここにあらずになってしまった。幸い当たることがなかったので事なきを得たけれど、このままではやっぱり気持ちが落ち着かない。
家に帰ってからも作業部屋には籠ってみたものの、創作意欲がわかなかった。
かといって何もしないのもいろいろ考えすぎてしまって煮詰まりそうだ。
うう、どうしよう。
しかしとりあえず何もしないのに作業部屋にいるのも違う気がして、ひとまず頭を冷やすために部屋に引き返すと。
…テレレ、テレレ、テレレレテレレレレ♪
「………」
聞きなれた、しかし可能な限り聞きたくなかった着信音を放つ携帯電話。某子供向け怪獣映画のテーマである。ラスボス感すごい。
あたしがこの着信音に設定しているのは一人しかいない。
率直に云うと、出たくない。
今はただでさえ考えることが山積みなのだ、どう控えめに云っても面倒ごとや厄介ごとしか押し付けてこない人物からの電話にかまけている余裕はあたしにはない。
…テレレ、テレレ、テレレレテレレレレ♪
よし、無視しよう。そうしよう。それがいい。それでいい。それがベスト!
心の中でリサリサ先生もそう云っているので、あたしはその導きに従うことにした。無視します。
なんか長く鳴ってる気がするけど、もう少し放置すればさすがに諦めるでしょう。ほら、あの人だって暇じゃないんだし。
が。
…テレレ、テレレ、テレレレテレレレレ♪
…鳴り止む気配がない。
何これ、どういうことなの。
なんで諦めないの。
鳴らしすぎでしょ。
あたしが今どうしても手を離せない状況にあるとか、携帯を忘れて出かけてるとか、お風呂に入ってるから出られないんだとか、そういうことは考えないわけ?
あの人から電話があったら絶対出る、みたいな雰囲気になってるのはなんでなの?
テレレ、テレレ、テレレレテレレレレ♪
この電話、あたしが部屋に戻ってくる前から鳴ってるみたいだけど、一体合計どれほどの時間が経ったんだろう。
…本気で、出るまで止めないつもりかな。
いやまさかね、暇人じゃないんだからそんなアホなことしないよね。
「…………。」
鳴り止まない携帯電話、立ち尽くすあたし。
仮に、このまま電話を放置するとする。恐らくあの人は今後、もしかしたら毎日、あたしが電話に出るまで電話をかけ続けてくるに違いない。これは最悪だ。なんとしても避けたい事態だ。
では、今になって電話に出てみるとする。しかし長時間放置していた事実をネチネチ嫌味を云われるのは確定だ。これも嫌だ。
というかどっちも嫌だ。
どっちも嫌だがどっちのほうがより嫌かって、微々たる差で毎日電話を掛けられることだろう。声も聴かないのに人を落ち込ませるってあの人すごいな。下手な無言電話より威力が半端ないよ。
テレレ、テレレ、テレレレテレレレレ…
相も変わらず電話は鳴り続ける。
考えてるうちに切れてくれたらそれはそれでオッケーで、即電源を切ってしばらく箪笥の奥にでもしまっておこうかと思っていたのだけれど、そうは問屋が卸してくれなかったらしい。残念だ。遺憾の意を表明する。
仕方ない。
本当の本当は心の底から出たくないけど、明日のあたしが可愛い。
威圧感すら抱かせる恐ろしい携帯を手に取ると、意を決して通話ボタンを押す。と思ったら反応しない。最近このタッチパネルの接触悪いんだよなぁ、そんなに古くないはずなのに。人間として認識されたいです。というわけで携帯が反応悪くて出られませんでしたってオチは駄目? 無理? 無理か。はい、いい加減往生際が悪い自覚はあります。
これで10秒くらい時間稼いだんだけど、やっぱり駄目でした。諦めて、出ます。
「…は」
『遅ぇグズ』
開口一番これである。ほんとクソ。
『俺様の電話を無視とは良い根性じゃねーか、あーん?』
「い、いや、ちょっと作業部屋に籠ってて」
『嘘つけ。今後一か月お前が出展するようなコンクールがねぇのはお見通しなんだよ』
怖いよ。
でもあの人がやろうと思えばあたしの今後一年間の予定さえも把握することは可能なのだろう。そう考えるとゾッとしない。どうかそんなことをされる事態にはなりませんように。
胃がキリキリと痛むのは気のせいだと思考の外に追い出して、ため息を一つ。
こんな無駄話で時間を取られるのは御免だ。
「…それで、なんの御用ですか、景吾さん?」
+++
「ししししし白石せんぱ―――――い、早まらないでええええええええ!!!!!!」
唯我独尊ナルシー男との電話をぶった切ったあたしは、私服のままで家を飛び出した。
向かったのは再び学校、テニス部部室。
今のあたしの頭には、謙也さんと気まずいとかテニス部部室が男の園であることとかはすっ飛んでいた。
ともかく、あのクソ野郎の暴挙を止めなければ。
そんな使命感だけがあたしを突き動かし、普段は絶対出ないような凄まじいスピードで学校に駆け込んだ。
「な、なんや、どないしたんや津々井?」
もしかして着替え中でしたかすみません。
でも上半身半裸とかどうでもいいからあたしの話聴いて!
「駄目です、いいように使われないでください! どんなに体面の良いこと云ってても、結局あの人は完全に私情で動いてるんです!!」
「お、落ち着け津々井、なんのことや?」
これが落ち着いていられるか。
どうどう、と肩に手を置かれてあやされる様子はまるで子供みたいだったけど、今はそんなこともどうでもいい。ただし普段だったら許さないから覚えとけよ。うるせーチビって云うな!
肩を掴む白石先輩の手を逆に掴んで――なんでこの人包帯してるんだろう、もしかして心を患っている方? という思いは億尾にも出さず――、あたしは怒鳴るように訴えた。
「氷帝と練習試合なんて、絶対あの人何か企んでるに決まってます!!!」
そう、つい先ほど自宅にて、早く電話を切りたい一心で用を訪ねると、景吾さんは最初は他愛ない話を始めた。
やれ学校はどうだとか友達は出来たのかとか無事環境には適応できそうかとか、お前はお父さんかと云いたくなるような、そんな他の人からの話題なら心がほっこりするようなもの。ついでにお前がいなくなって氷帝が上品になったとか云われたのでそっと親指を下に向けておいた。
そんな話題はシカトして、いいから早く本題に入れと云いたい気持ちを抑え込みつつ、意地を張るわけじゃないけど妙な勘繰りを入れられたくはないので、転校から一か月前後の意地っ張り期間のことはなかったことにして掻い摘んで話した。
気の良い人ばかりだし、大阪のノリも慣れれば意外と楽しめる。
嘘ではなく、今のあたしはここに転校してきてよかったと思っていた。
大阪、というか、この四天宝寺中に。
東京とは違った景色があって、そこに生きる人たちも明るくて楽しい。
あちらになかったものが、こちらにはある。
もちろん、今でも東京は好きだ。友達だっているし、生まれてからついこの間まで住んでいた慣れ親しんだ場所をいきなり忘れるなんて出来るはずもない。
けれど、今もし東京に帰ってもいいと云われても、多分素直に喜べない。
それくらいには、今のあたしは大阪を気に入っている。
ちょっと照れくさいけど、こっちではそんな話をわざわざしないものだから、気の知れた先輩ということもあってそんなようなことを話してしまったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。
あたしがこっちの生活を楽しんでいると知って何が気に入らなかったのか知らないが、いきなり景吾さんが『お前がいなくなってせいせいした』なんて云い始めたのだ。
世界中の海の広さを足したくらい心の広いあたしでも、さしものこの言葉にはカチンときた。
そこからはもうアレだ。とてもじゃないが人には聞かせられないような罵詈雑言の応酬の開始である。あの人、洗練されたハイソサエティの人とは思えないほど汚い言葉知ってんのよね。
そして最後にあたしが云い放った一言があの人の逆鱗に触れ、少しの沈黙を挟んだ後、景吾さんは晴れ晴れとした声で権力者特権を振りかざした。
それが。
「…氷帝と練習試合?」
「えーっ、蔵りん、ほんまに?」
「いや、オサムちゃんからは何も聞いてへんけど…」
「ま、間に合った…!?」
しかし気付く、そうだ、あまりに気が動転しすぎて職員室じゃなくてこっちに来ちゃったけど、本来なら部長の白石先輩よりも先に顧問の渡邊先生に連絡が行くはず。しくじったか!
が、そういえばテニス部は部員の自主性が高くて部長がしっかり者だから、代わりに顧問がゆるゆるで実際ほとんど権限なんてない、実質の権力者は白石先輩だと聞いたことがある気がする。何それめっちゃ可哀そうって思った記憶があるから、多分間違いない。ならやっぱり白石先輩に突撃して正解だっただろう。
一瞬ホッとしたものの、危険な事態であることには変わりない。
「とにかく駄目です、しかも普段は絶対遠征なんてしないあの人たちがわざわざ大阪まで遠征するなんて、裏があるに決まってるんです!!」
もしかしたら、ラピュタが見つかるよりありえないけれど、ほんのわずかな確率で普段はあまり交流のない関西の強豪と力試しがしたくて純粋に練習試合を申し込んで、申し込むのは自分たちだからもちろん足を運ぶのは氷帝で、という気持ちがあるのかもしれない。
が、断言してもいい、コンマミクロン以下の確率でそれはない。
あたしにはわかる。
これは、絶対にあたしに対してどうすれば最大限の嫌がらせを出来るか考えられた上での練習試合なのだ。
あの人ならやる。
あたしに嫌がらせをするためなら、権力を振りかざして財力も振りかざして、東京から大阪までやってくる。
あたしの知っているあの人は、そういう人だ。
「氷帝って関東の強豪やろ? そんなところと練習試合できるなんて、ラッキーやと思うんやけど…」
「甘い! 生クリームたっぷりのショートケーキよりも甘いです小石川先輩!!」
控え目に挙手して意見を述べてくれた小石川先輩に、しかしあたしは物申す。
未だに状況を理解できていない様子のテニス部のみなさんをぐるりと見回して、聞き分けのない子供に云い聞かせるように、しかしはっきりと云った。
「いいですか、相手はあの氷帝です。ひいては景吾さんです。確かにあの人テニスの腕は確かかもしれないけど、それ以外は最悪です。史上最悪の人格破綻者なんです。人を人とは思わぬ言動、それを当然受け入れられると思い込んでいる根性、金に物を云わせて解決しようとする資本主義の塊具合、どれをとっても一級品の悪魔! 何より今回の練習試合、絶対嫌がらせなんです!!」
「い、嫌がらせ?」
息継ぎもせずにまくしたてると、一氏先輩がたじろいだように呟いた。
まあそうだ、遠回りではあるがあたしの言動がテニス部に迷惑をかけることになっているのだから、簡単には説明する必要はあるだろう。詳細は伏せて、話せるところだけ話そう。
そう、そうすればこの練習試合がいかに馬鹿々々しい理由で申し込まれたかわかるはず。
いくら強豪校相手だったとしても、そんな馬鹿な理由で申し込まれては関西の強豪の名折れだ。
断るべき。
いえ、断ってください。
「あたしがあの人のことハゲって云ったから怒っちゃって、でも怒るのは気にしてる証拠だと思うから今後も積極的に―――…」
『おい、小毬』
―――ぴたり。
動きが止まった。
息が止まった。
空気も止まった気がする。
ついでにこのまま心臓も止まんないかなってちょっと思った。
いや、っていうかさ!
「………な、なんで、電話つながって……」
『全部聞こえてたぞ』
「ひっ」
思わず携帯を放り出すと、それは綺麗に弧を描いて、少し離れたところにいた白石さんの手の中に納まった。しかも、気付かないうちにどこかに触っていたのか、ご丁寧にスピーカーモードがオンになっていたらしい。
静かになってしまった部室には、景吾さんの声がよく響いた。
まさか。
最近確かにあの携帯は接触が悪かった。
切ったと思ったのに、切れていなかったのかもしれない。
しかもそのままずっと握り締めていたので、気付きもしなかった、と。
え、嘘でしょ。
嘘って云って。
さっきまでの悪口のオンパレード、景吾さん、聴いてないでしょ?
…聴いて、たの?
恐怖のあまりまっすぐ立っていられなくて、思わずいつの間にか傍にいた謙也さんのシャツを掴む。そういえば謙也さんは着替え終わってたんですね。
見える。
携帯電話の向こう、東京。あの人の部屋。
お気に入りのソファに腰かけて高い紅茶を楽しみながら、あの人は今綺麗な顔で微笑んでいる。
けれどそれは機嫌がいいからではない。
『週末、楽しみにしてろよ』
週末?
あたしにとっては終末じゃない?
『俺も、楽しみにしている』
―――最高に、怒っている証拠だった。
景吾さんは普段そんなに怒らないし、一応その辺はしっかりしているので叱るとか注意することのほうが多い。特に、どんなことがあっても声を荒げたりはしない。
代わりに、ものすごーく静かになる。
そして顔に浮かべるのは怒りの表情ではなく、笑顔。
何も知らない人が見れば極上の美形が微笑んでいるのだから、そりゃあうっとりもするだろう。
でもあたしは違う。
あたしや氷帝テニス部の人たちは知っている。
綺麗な笑顔を浮かべているときほど、あの人が怒っていることを知っているのだ。
むしろ景吾さんは、人が悪そうにニヤリと笑っている時のほうが実は機嫌がいい。もうホント終わってるだろ。
しかも、楽しみにしてろよ、と云ったあの声。
とろけるように甘い声だった。
そこらの女の子があんな声を耳元で囁かれたらその場に卒倒するレベルの声だったのだ。ともすれば最後にハートがついていそうなほど優し気で、真っ青になったあたしを見るテニス部のみなさんが不可解そうな顔をしている。
多分この人たちは、『跡部にあんなこと云われて青くなるなんてどうしてだ?』とか考えているんだろう。
馬鹿め。
何も知らないからそんな不思議そうな顔が出来るんだ。
もしこの電話の場面に氷帝テニス部員が同席してたら、あたしは絶対合掌されていた。ちょたも日吉も樺地も基本的には景吾さんの云うことはぜったーい! のやつらだから、あたしの味方なんてしてくれないに違いない。
「終わった……」
直後、男子テニス部の床にへばりついて絶望に打ちひしがれていたあたしにさらなる追い打ちがかけられた。
ふんふんふーんとのんきな鼻歌を歌いながらやってきた男子テニス部顧問の渡邊先生が、今週末正式に氷帝との練習試合が決定した旨の知らせを持ってきたのだ。
そして何故か記録班としてあたしに参加するよう告げられた。あたし、写真部でも新聞部でもないんですけど。
―――そうだ、逃げよう。
逃げてその後事態がどうなるのかなんて考えない。
とにかくあたしは終末の…いや、週末のあたしがかわいい。
誰に何と云われようと、逃げます。
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何度も云いますが私はベ様死ぬほど好きです。